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隠居人はせじぃさん
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Gママさん
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落部駐車場でトイレ休憩の後、足並みそろえて9名全員で足助城に向かって
歩きだしました。ここ足助の町は、江戸中期に「塩の道」として栄えた
宿場町なのです。
足助城は、標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用
した、連郭式の山城なのです。
真弓山は、足助の町並みを眼下に見下ろす要害の地、足助城は「真弓山城」とも呼
ばれており「松山城」「足助松山の城」とも呼んだようだ。
皆で息を切らせながらクネクネと曲がる坂道を登ること20分、あの賑やかだった女性も
口数が少なくなり、すれ違う人も少なく静かな山道をただひたすら登ったのであった。
そして漸く『足助城』と表示されている石碑の前に到着。

更にここを左折し登ること5分、終に入り口に到着。
左側の建物が事務所で、受付のボランティアのおばさんに入場料300円を払って
いると紙コップに入った温かいお茶のサービスが。何とVIP待遇の歓迎受けであろうか。
駐車場はざっと数えて30台分だが香嵐渓と異なり全くのガラガラ状態。
駐車料金も取られず、これなら車で来てここに駐車するのも良かったかなと
チョッと後悔。女性群いやある女性の抗議の視線を感じたのは私だけ
だったのだろうか?
しかしあの時間で、せっかく確保した駐車場を放棄する選択肢はなかったのである。
ただし渋滞を避け、ここまで来るための高度なルート情報に対する確信が持てれば
出発時間を遅らすことも可能なのかも知れない。来年までにKさんのご主人に
十分な研究をお願いしたいのである。
開園は9時からですがまだ8時30分、ところがボランティアのオジサンは城の鍵
を開けてくるからお茶が飲み終わったら入ってきていいよ と言いながら山城に向かって
歩いていったのでした。何処まで親切な方々であろうか。

この城は、竹下政権時の例のふるさと創世事業の1億円をもとに総額5億円で、当時
の足助町が発掘した資料を基に櫓や台所、柵、本丸高櫓などを忠実に復元したと
ボランティアのおじさんの張り切った丁寧な解説。この仕事に燃えているのである。
潜り戸は鎌倉時代からおそらく室町時代にまで広く使われていたであろう、とのこ
と。当時のままの素材で復元してあるので山城の砦らしい雰囲気が伝わって来た。
裏手にある西物見矢倉。ここからは飯盛城を目の前に望むことができ、のろし
を上げるなどの連絡に使われていたものと考えられているとの再びボランティアの
オジサンの説明。

眼下には足助の街並みと渋滞した車の列が延々と続いているのを
複雑な気持ち?でニヤニヤ??と見たのも私だけだったのだろうか。

南の丸裏手にある南物見台から見た真っ赤に燃える紅葉。毎年この木は
他の紅葉を超越した赤さを示してくれるのである。この木の紅葉に再会する為に
3年連続この坂道を登ってきた私である。

ただし去年に比べて赤さがやや落ちているように感じた。オジサンの説明も同様。
台風の影響か?それとも温暖化の影響か?この木は何を語ろうとしているのか?
そして高櫓まで脚を進めた。近代城郭での天守閣に当たるもので、城主の間や広間、
応接に使われた座敷などが有る。
そしてここでもう一人、更に燃え上がっているボランティアのオバサンに遭遇。
足助城の歴史や生い立ちを言葉もなめらかに三河弁を交えて語ってくれたのであった。
名前は私と同姓の☆☆八重子さん、72歳とのこと。このオバサンもこのボランティアに
燃えているのである。この熱い語りに負けて、かの木の紅葉も今年は赤みを抑えて
いるのではと感じたのは再び私だけであっただろうか。
そして更に燃え、ご主人とのなれそめ、ご夫婦の歴史を足助城の歴史以上の細かさで
身振り手振りを交え語り続けるのであった。もっと話を聞き、自分の心を温かくしたかった
が、再会を約束して山を下ったのであった。

足助城の出口付近にはこの山『真弓山』の木 『真弓』の花を発見。
濃いピンク色の実が割れて更に深紅の種子が出てきている。
この様子がとても美しいのだ。『まゆみ』 良い名前である。深い意味はないが・・・・・。

「深山辺(みやまべ)や 真弓よりこき 色ぞなき 紅葉は秋の ならひなれども」
---土御門院(つちみかどいん)御歌---
下りの坂道の横の山の中に真っ赤な実を着けている植 物を発見。
赤を求めて見上げてばかりいないで、地面にもこんなに赤く輝いている私がいることを
忘れないで欲しいと抗議しているのであった。敬意を示して接写で激写。

しかし君の名は??・・・・・・・やっと解りましたよ!!君の名は『マムシ草』
『 初冬の森の中を散策すればハットするような赤い実をつけた"へびの松明(ヘビの
たいまつ)"と呼ばれ、コンニャク芋にも似たマムシ草 』とのこと。
やっと気持ちが、落ち着きました。この実が何の実かわかるまで、モヤモヤ気分。
あの仏炎包の花からこんな実が出来るとは・・・・。
また一つ学ぶことが出来ました。感謝!!
帰りの下り坂は、自分の母親のような暖かさとエネルギーをあの八重子さんから
身体中にいただき、勢いも増して転がるように再び香嵐渓へと戻ったのであった。
---つづく----
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18
牛久大仏へ(その1) 2025.11.17