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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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生まれてから21,915日、いよいよ今日満60歳、つまり還暦。

若い頃60歳の人は相当な年長者というような思いであったが、いよいよ自分がその
年になるかと思うと、信じられない思いである。
そして、昨年は胃癌の宣告、そして切除手術。そして今年は腎腫瘍の疑い、精密検査で
問題なし。しかしながらこの年まで無事に生きられたことに関しては、有難く、私を支えて
くれている妻や家族、そして多くの方々に心より感謝。

http://mygoods.upsold.com/bkg/product_id/1017964 より
今の60歳は確かにまだまだ若いが、人生では大切な節目でもあり、
次の世代に対し何らかの足跡を残して生きたい(行きたい)と思っているのである。
私の高校・大学の友人でも、もう退職して隠居を決め込んでいる者も。
これからの生き方はまさに人それぞれ様々。
平均寿命まで生きるとしたらあと20年・・・・。
60歳というと、孔子の「耳順(じじゅん)」という言葉が思い出される。
『論語』にある「六十にして 耳 順(したが)う」という言葉。
孔子が、自らが歩んできた人生を分析して、「60歳で、誰の意見にも耳を傾けら
れるようになった」と言っているのである。

人の言葉に耳を傾けることができるということは、なかなか難しいものであると
感じている。
私自身、聞き上手たれと言い聞かせている自分がいるのである。
一般的には、長く生きてくると自分自身の経験に固執したり、頑固一徹で融通が
きかなくなるといわれているが、そういった時期にこそ、豊かな人生の知恵を生かして、
柔軟に人の話に耳を傾けることが必要となってくるのではないであろうか。
私の人生もあと15~25年??。遺伝子を残すという生物的使命は果たし?、
仕事もそれなりの成果を残したと思いつつ、今後とも仕事・家庭・社会・趣味にバランス
良く関わって生きたいと思っているのである。
どの様に生き、どの様に死んでいくのか、その生き様はそれぞれとは言うものの、
後悔の無い第二の人生を過ごしたいと思っているのである。
6月以来 我が農園の雑草との戦いの日々が続いている。土曜日は毎週畑の草むし
り、そして草削り。
2~3時間以上 腰をかがめての前進運動状態。悲しいかな数日経っても腰が痛
い、疲れが取れない週が続いている。
「歳を取るとなかなか疲れが取れないよ・・・」とは、昔、自分が若かった頃に我が会社の
人生の先輩達が嘆いていたのがまるで昨日のように思い出されるが、今その意味が
嫌というほどよく解る。
そして朝の目覚め時間はますます早くなっている。『年をとると眠る体力が無くなってくる』
が私の持論。
そんな状態の中、最近ことあるごとに肉体年齢と精神年齢の事を考えるようになった。
若い頃は精神年齢と肉体年齢は旨くシンクロナイズ(同調?)していくものだと
思っていた。年齢の老いとともに、精神も老いて行くものだと思っていたのだ。
しかし現実は大きく違い、実は年齢を重ねれば重ねるほど精神年齢と肉体年齢の
ギャップは大きくなるものだということを遅まきながら50代になって知ったのだ。
考えてみれば20代、30代で肉体的に元気なのは当たり前の話だ。その年代で元
気でないのはむしろおかしい。
何をやっても面白いしノリで何でもこなせるような気になるのだ。かつての自分も
そうだった。しかし今はどうだ。
朝晩 洗面所の鏡を覗けば、目の前には疲れた顔をした中年の?髪の薄い姿の
オヤジが立っていたりする。
そしてさも意味ありげにため息なんかついたりしているのだ。
このギャップとはいったい何だろう。
よく諺に「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も」という言葉があるが、これは肉
体年齢が若い人間に対していう言葉である。
これからは「成す為に 成さねば成らぬ 何事も」に段々変わってくるのでは・・・が
今の悲しいかな偽らざる実感。
これからは肉体年齢にあった思考を目指し、これをシンクロしていかなければなら
ないのであろう。
そして 何よりも 生涯 実年齢≧脳年齢≧精神年齢 でありたいと願っているので
ある。
と言うことで これからも『バカ』を言い続けるが、これは 実年齢≧精神年齢 で
ありたい、『アラカンオジサン』の懸命なる『もがき』であることを解って欲しいのである。
今日も同僚、先輩が還暦の宴を開いてくれると。そして連休には家族が。
私が祝って貰うのでなく、逆に皆さんに感謝の気持ちを伝える宴としたいのである。
昔、何かの書物(日経ビジネス?)にサムエル・ウルマンの詩「青春」が掲載され、
これを読み感銘を受けた。
マッカーサー元帥が座右の銘としていたとも。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。困難の時代に生きた
著者・ウルマンは、80歳という人生の頂に立ち、来たるべき死を自覚しながらもなお、
理想を追うことの大切さを謳い続けたのであった。
温かな愛に満ち、生を讃えた彼のこの詩は、時代を超えて我々にさわやかな感動を
もたらしてくれるのである。
多くのトップビジネスマンに愛され続けたベストセラー詩集。
これからも人生の指針の一つににしたいと思っているのである。
青 春
Samuel Ulmann 作
作 山 宗 久 訳
湯 淺 良之助 改訳
青春とは人生のある期間をいうのではなく、
心の持ち方をいうのだ。
バラ色の頬、紅(くれない)の唇、しなやかな肢体のことではなく、
たくましい意志、豊かな想像力、燃えるような情熱をいう。
青春とは人生の深い泉の清新さをいうのだ。
青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて人は老いる。
歳月は皮膚に皺を増すが、情熱を失えば精神はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は衰え、生気ある精神は、芥(あくた)になる。
六十歳であろうと十六歳であろうと、人の胸には、
驚異に惹かれる心、子供のようなあくなき探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも、心の中枢には、無線の通信局があるのだ。
人から神から、美・希望・喜悦・勇気・パワーの
霊感を受ける限り君は若い。
アンテナが低く垂れ、精神が皮肉の雪におおわれ、厭世の氷に閉ざされるとき、
二十歳であろうと人は老いる。
アンテナを高く張り、希望の電波をとらえる限り、
人は百歳であろうと、最後まで青春を謳歌して、生を全うすることが出来るのだ。
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