JINさんの陽蜂農遠日記

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2011.02.19
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カテゴリ: 国内旅行
大阪に出張した折り、宿泊ホテルから我が社の関西支社に徒歩で向かう途中に

古い木造の建築物を発見。【緒方洪庵】の住居であり【適塾】とのこと。

DSC08696_R.JPG

適塾は備中足守藩士であった緒方洪庵(1810~1863)により設立された蘭学塾で、

当初長崎へ遊学した福沢諭吉が当時の蘭学レベルはこの適塾の方が先端を行っている

ということを教えられ、この塾へ入門したと。

DSC08697_R.JPG

適塾ではオランダ語の原書を読み、あるいは筆写し、時にその説明に従って化学実験などを

していたと。ただし生来血を見るのが苦手であったため瀉血や手術解剖のたぐいには手を

出さなかったと。適塾は医学塾ではあったが、福沢諭吉は医学を学んだというよりは

オランダ語を学んだということのようである。

適塾は幕末には閉館したが、その後も緒方拙斎・惟準ら緒方家の人々が住み、昭和17年

適塾の土地・ 建物 ともに 大阪大学 に寄付され、以降同大学が維持・管理していると

わが国 唯一の蘭学塾の 遺構 、大阪における最古の 町屋 として現存するのだ。

DSC08700_R.JPG

土地・建物は「緒方洪庵旧宅および塾」として国の史跡、建物は「緒方洪庵住宅」として

重要文化財 。昭和51~55年 文化庁 による解体修理がなされ、 大正期 になされた前面の

軒切りなどを除いて、かつての姿に復元されたのだ。

DSC08701_R.JPG

住宅前の説明文には次のような説明書きが。

   史跡  緒 方 洪 庵 旧 宅 及 び 塾
       昭和16年12月13日指定

  重要文化財 旧 緒 方 洪 庵 住 宅
       昭和39年5月26日指定

   所在地  大阪市東区北浜3丁目30番
        (旧 過書町丼池東入)

 この建物は、蘭学者緒方洪庵が弘化2年(1845)に住宅として買い受けて瓦町から移り住み、

文久2年(1862)に幕府の奥医師として江戸へ迎えられるまでの17年間にわたって、

私塾(適塾とよばれた)を開いたところである。


貢献した多くの人材を育てた。

敷地は間口約12メートル、奥行39メートルあり、建物はこの間口一ぱいに建てられ、

前方の教室部と後方の居室部からなり南庭に土蔵と納屋がある。 前方部は寛政4年(1792)

の北浜大火後まもなくの建築とみられ、もとは町筋に面する商家の形であったが、洪庵入居の

際に背後を切り縮め、おもて造りの店を改めて教室とし、後方に居室部を新しく建て直した。

教室部は2階建て、1階を教室、2階を塾生の部屋とし、居室部は1部2階建て西側に通り庭を

もち、台所・書斎のほか4室がある。 台所の2階にはヅーフ部屋と女中部屋とがある。

洪庵が出府してのち、再三の改造があり、大正4年(1915)には前面道路の拡幅によって

正面を奥行き幅約1.2メートル切り取られたが、昭和51年(1976)からおこなった

根本修理で、正面を除いて、概ね洪庵居住当時の姿に復元した。

この住宅は蘭学発展の拠点となった歴史を伝えるばかりか、近世における大阪北浜の

町家建築の姿を示す貴重な遺例である。

                     昭和55年3月    文化庁

DSC08698_R.JPG

写真から書かれた内容を移書きするのは大変なのである。






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Last updated  2011.02.20 14:49:21
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