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先週末は営業会議に出席のため前夜泊で仙台へ。
翌朝はいつもの早朝散歩へ。6時にホテルを出発。目的地は青葉城。
未だ車は少ない。

西公園・櫻岡花見会場。しかしながら桜の花は未だ一部咲き。
平年より一週間開花が遅いとのこと。そして昨日仙台は桜が満開になったとニュースで。

仙台城の隅櫓(すみやぐら)を模した大町交番。
地下鉄東西線の建設に伴い、新築された模様。
外壁は白色から灰色、格子窓や瓦ぶき風の屋根が美しかった。

広瀬川を渡り坂を登っていくと史跡 仙台城跡の石碑が。
「独眼竜」の異名を持つ戦国時代後期の大名・伊達政宗が、1610(慶長15)年に築城。
以後、廃藩置県・廃城令までの約270年間伊達家の居城であり、仙台藩の政庁であった。
2003年8月、国の史跡に指定されたとのこと。仙台城跡(青葉城跡)には当初から天守閣が
なかったとのこと。伊達政宗が将軍・徳川家康に遠慮して天守閣を設けなかったといわれて
いると。

大手門は1931年(昭和6年)に脇櫓と共に国宝に指定されたが、仙台空襲の際焼失。
その後再建されたコンクリート製隅櫓。

隅櫓前の二の丸側の石垣崩落現場。3.11の大地震により崩壊し未だ写真のように
ブルーシートで覆われていた。

裏側の白壁も大きく崩壊し無残な姿。

隅櫓の横を通り青葉城跡を目指して坂道を登る。
道路の至るところに地震の影響とみられるひび割れが見受けられた。
現在車両は通行止め。
![仙台城ssk2k[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/435ef6aa83b29fa450d0086fb846c96d8af6b05d.15.2.2.2.jpg?thum=53)
よって堂々と大手道の車道を歩くことができたのでなんだかおかしな気分。
途中うぐいすが鳴き歓迎してくれた。
途中の石垣が崩壊寸前までずれていた。これは危険。

漸く本丸の石垣に到着。建物が残っていない青葉城にしてみると、こうした石垣が数少ない
城であった証を今に伝える遺構なのであった。

西南の役や日清戦争など内外の戦いで戦士した東北地方の兵士を慰霊するために
本丸跡に建てられた昭忠塔。高さ20mの巨大な塔だが、頂上にあった幅6.7m鳶の像は
無残に折れ、落下していた。

青葉城址の伊達政宗公が仙台市内を見下ろしていた。
私もこの像の下の石に腰掛け、呼吸を整えながら仙台市内をしばらく見下ろしていた
のであった。

仙台市内の早朝のパノラマは絶景そのもの。

宮城縣護國神社(みやぎけんごこくじんじゃ)。
正宗を祀っているのかと思ったがそうではないらしい。
明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係あるいは縁故のある戦死・殉難者、
5万6千余柱の英霊を祀っているとのこと。

同じ道をホテルに向かって坂道を下る。
途中、西公園近くにあるシダレザクラを「おさ五(い)櫻」。
おさ五は伊達政宗の正室愛姫(めごひめ)の侍女とされ、近くにある愛姫桜とともに
こちらは五分咲き。

約2時間の早朝散歩。青葉城頂上への坂道はかなりタフロードであったのだ。
ホテルに戻り慌ただしく朝食を取り我が東北支店に徒歩で向かったのであった。
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