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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
バスでこの日の昼食レストランに。
メニューはソーセージ料理。しかしこれが主食。

これはスープ・・・・?

レストラン内のステンドグラスは印象に残っているのである。

現地添乗員のドイツ人女性。
ドレスデンは人口:約50万(東部ドイツ新5州の1つザクセン州の州都)。
旧東ドイツで3番目に大きい都市。
ドレスデンは「エルベの真珠 」 とも呼ばれるザクセン州の州都と称えられ、
華麗な宮廷文化が輝くバロックの町であるとの説明。

フラウエン教会(Dresdner Frauenkirche)。
教会の建物は第二次世界大戦中のドレスデン爆撃を乗り切ったものの、完全に焼損し
爆撃の翌日崩壊。現在はかつての敵同士の和解を象徴する建築物として再建。
外部の復元は2004年に、屋内は再建の開始より13年後の2005年に完了。

アウグスト2世の銅像。
18世紀前半,アウグスト強王(1670-1733)とその息子のフリードリッヒ.アウグスト
2世の治世下で,ドレスデンの町は一変した.アウグスト強王はドレスデンの歴史を語る
上で欠かせない人物であるが,ポーランドで生まれた王は当時,ザクセン王国をも勢力
下に納め,その首都であったドレスデンを文化の中心地にしようと優れた芸術家や
音楽家を次々に招聘した.またお抱えの宮廷建築士=ペッペルマンに美しいバロック調
の建物を数多く作らせた.その代表作は何と言ってもツヴィンガー宮殿.現在のドレスデン
の美しい町並みは,この王無くしてはあり得なかったと。

こちらはルターの銅像。
この教会はドイツ福音主義教会を構成するザクセン福音ルター派州教会に属していると。
聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会
のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。
宗教上の足跡のみならず、ヨーロッパ文化、思想にも大きな足跡を残したとのこと。

広場ではピアノの生演奏が行われていた。この日は日曜日。

黒い部分が大戦前に使われていた材料を再利用し復元した部分。
オリジナルのレンガを組み合わせる作業は困難を極め、世界最大のジグソーパズルと
言われたと。

現地ガイドが大戦直後の悲惨な聖母教会の写真?を示してくれたのであった。

ガラスのドームが芸術アカデミー。
建築家コンスタンティン・リプシウスが、1885年から1894年に、この芸術の殿堂を建てた。
ここにはアカデミーとザクセン芸術協会の展覧会場が入ってるとのこと。
この大きなガラスドームは外見から「レモン絞り器」というあだ名で呼ばれていると。
そう言われればなるほど・・・・。

「レモン絞り器」の上の女神ファーマの金の像

君主の行列(Fürstenzug)。

大戦の空襲で町のほとんどが破壊されたドレスデンだが、奇跡的に残ったものがこの
「君主の行列」という壁画。
レジデンス城のシュタルホーフ(武芸競技場)の北の外壁を飾る、長さ102mの
「君主の行列」。35人のザクセンを支配したヴェッティン家の王侯、それに市民階級の
代表者たちが描かれているのである。

1868年に画家ヴィルヘルム・ワルターが、2層の対照的な色からなる漆喰の、表面の
湿った層を掻き落として線画を描く壁の装飾技法であるスグラフィット用法で仕上げたと。

しかしながらしかし 漆喰の損傷が激しく、1904年から1907年にかけて
この外壁を24,600枚のマイセン焼きの磁器タイルの壁画に替えたと。

絵の最下部には「富める者」 「好戦者」 「温厚なる者」 「誇り高き者」 「噛まれた者」と
いった 添え名の記された君主もいるのである。
そして各君主の在位期間が記載されているのであった。
それにしても磁器タイルとは思えない精巧な描写。

アウグスト2世(アウグスト強王)の勇姿。

行列の最後は子供たちも一緒の庶民の群れ、群れの最後尾にこの絵を描いた画家
ウイルヘルム ヴァルターも描かれているとのこと。
カトリック宮廷教会(Katholische Hofkirche)
ザクセン最大の教会であり、最後のバロック教会。

ドレスデン地方裁判所。

ブリュールのテラス前の像。

ブリュールのテラスからアウグスト橋。
ブリュールのテラスは、エルベ川にテラスのように張り出した庭園付きの広大な遊歩道で
ある。本来はエルベ側の堅固な要塞だったが、それを当時権力を振るっていた
ザクセン首相ブリュールが改造したものであるとのこと。

ブリュールのテラスから見たドレスデン城(左)と旧宮廷教会(右)
