JINさんの陽蜂農遠日記

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2014.09.18
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カテゴリ: 国内旅行

大分空港への帰路、大分府内城に立ち寄る。 

府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城。安土桃山時代後期、府内に12万石で

入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏は改易され、早川長政の府内領

再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成したとのこと。

城内の駐車場は大分文化会館が工事中であり使用できなかった為、近くの有料駐車場に

車を止める。DSC04783_R.JPG

西丸入り口。 

DSC04784_R.JPGDSC04784_R.JPG

山里丸と西ノ丸との間の堀に架けられている廊下橋。

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廊下橋の規模は長さ21.7メートル、幅員2.4メートル、橋脚高3.8メートル、建築部分の

最高高さ4.6メートル、檜造り、壁はしっくい塗り、屋根は檜皮葺き。 

DSC04792_R.JPG

府内城廊下橋内部 

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廊下橋にて日本百名城スタンプをGET。 

DSC04790_R.JPGDSC04790_R.JPG

DSC07333_R.JPG

DSC07333_R.JPG

人質櫓は寛保 3 年( 1743) の大火により、天守をはじめ城内の多くの建物が焼失。

その後も明和 6 年( 1769) の大地震、安政元年 (1854) の大地震、昭和 20 (1945)

空襲により、損壊した建物が多いが、再建されたものは少なく、江戸時代の建物は

人質櫓と宗門櫓のみ。現在の人質櫓は、文久元年 (1861) に再建されたと。

DSC04787_R.JPGDSC04787_R.JPG

お堀には多くの亀が。亀に餌をやるオジサンに指先の水面に群がっていました。 

DSC04789_R.JPGDSC04789_R.JPG

DSC04794_R.JPG

天守台の西側の下に、福原直高の娘であるお宮を祀った祠(ほこら)が。               

直高が築城の際、度重なる水害に悩まされ、完成を願って人柱を立てることとし、

孝行娘であったお宮は一家を救うためにも弁財天の木造を抱いて人柱となったと。

それ以降、城の建築は順調に進み、それによりお宮は城の鎮守として崇められた

という逸話がああると。

DSC04795_R.JPGDSC04794_R.JPG

再び人質櫓の全景。

その名の通り、実際に人質を収容していたと言われていると。

DSC04798_R.JPGDSC04798_R.JPG

築城当時の府内城城内図を示す現地案内看板。

DSC04799_R.JPGDSC04799_R.JPG






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Last updated  2018.02.16 19:57:05
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