JINさんの陽蜂農遠日記

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2014.09.23
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カテゴリ: 国内旅行

郡山山麓にある吉田町歴史民俗資料館(現・安芸高田市歴史民俗博物館)に到着。

もちろん安芸国の戦国大名毛利氏の居城。

多くの毛利氏関連資料が公開されている資料館。DSC06339_R.JPG

日本100名城の認定証が飾られていました。

DSC06341_R.JPG

早速、 日本百名城のスタンプをGET。

DSC06469_R.JPG

毛利元就が愛用した甲冑。

DSC06342_R.JPG

戦国時代、日本全国で群雄割拠するなか、吉田町の一豪族から中国地方を支配下に
治める大名になった毛利氏。
北に尼子氏、西に大内、大友氏、東に全国統一を目指して凄まじい勢いで迫ってきた織田氏。

南には瀬戸内海を挟んで河野氏を援護しながら版図を拡大していった毛利氏中興の祖が、

毛利元就といわれています。

DSC06345_R.JPG

毛筆で馬を描いた屏風。 

DSC06348_R.JPG

郡山城の本丸は山の頂上にあったと。 

吉田郡山御城下古図や、天正15〜16年頃に描かれた絵図には、本丸に三層の

天守閣が描かれているとのこと。今の外見は只の山。 

DSC06351_R.JPG

毛利元就公。

本姓は大江氏。家系は大江広元の四男 毛利季光を祖とする毛利氏の血筋。

寒河江氏などは一門にあたる。

この安芸国吉田郡山城を本拠とした毛利弘元の次男。

幼名は松寿丸(しょうじゅまる)、通称は少輔次郎(しょうのじろう)。

DSC06356_R.JPG

歴史コーナーでは、原始・古代・中世・近代にわたって時代の特徴的なものを展示し、

特に中世では毛利元就の生誕の地吉田郡山城跡他史跡を数多く紹介。 

DSC06357_R.JPG

毛利元就 三矢の教えのお土産。

三矢の教えとは以下の如し。

『元就が三人の兄弟を呼びつけ、一本の矢を折ってみよ!と三人の息子達に言いました。

三人の息子は、すぐに折ってみせました。

では、次に一本の矢を三本に重ねた状態で折ってみよと、いいました。

息子たちは勢いよく力を入れたが、子供達ひとり、ひとりの力では折れませんでした。

つまり、一本の矢では、簡単に折れてしまう=一人の力ではとても脆い。

では、三本の矢なら、中々折れない=三人の力を合わせれば、どんな困難でも

立ち向かえる、強固な絆が生まれる。

という、【兄弟の結束・団結力を説いた】教え』。

DSC06368_R.JPG

家紋は一文字三星紋。 

三つ星は天文学でいうとオリオン座の中央部に直列する三つの恒星のことで、

中国では三武という。将軍星と呼ばれて武人の象徴として信仰された。

毛利氏の遠祖にあたる平城天皇の皇子、阿保親王のご落胤といわれる大江音人

が一品(いっぽん)親王であったので、その後胤にあたる毛利氏は一品の字を

図案化した一文字三つ星紋を用いたと伝えられる。一品とは諸親王の第一階位の親王を

いうとのこと。 

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日本百名城 選出の大きな垂れ幕が。 

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Last updated  2025.07.13 16:35:15
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