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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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旧東海道(現国道467号線)から消防署の脇を入ると、明治五年に警察署の前身である
「邏卒屯所(らそつとんじょ)」が置かれた常光寺が。創立は元亀三年(1572)、
常光寺は、浄土宗の寺院。山号は、八王山。
正式名は「八王山 摂取院 常光寺」、鎌倉光明寺の末寺であったとのこと。

山門横のお地蔵さんが出迎えてくれた。
境内にも数々の新作石像があった。

本堂前の境内。参道の両脇に古木の楠が2本。

境内右の六地蔵様は帽子も前掛けもきれいであった。
六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩。
すなわち,地獄道を救う檀陀(だんだ),餓鬼道を救う宝珠,畜生道を救う宝印,
修羅道を救う持地,人道を救う除蓋障,天道を救う日光の各地蔵の総称。

両端に可愛い豚がいる石のベンチ。
前はベンチをお尻で、そして後ろは前脚で支えていた。

境内の子育て観音像。

本堂左脇に市指定文化財の「庚申供養塔」が2基。

庚申供養塔説明板。
庚申供養塔は庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した
道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いと。

万治二年(1659)の銘をもつ庚申塔は、庚申講中が建立した浄土宗系のものとして
貴重とのこと。

もう1基(寛文九年銘・1699)は、笠石が軽快な感じが。

本堂。
元亀3年(1572年)に光明寺二十七世の明蓮社光誉(西隠)が創立。
本尊は阿弥陀如来三尊立像で、本尊中尊は像高99cm、全高204cm。

福禄寿像。手には不老長寿の桃を持つ。
常光寺は藤沢七福神の寺にもなっている。

常光寺のカヤの巨木。
カヤの巨木が聳えていた。枝を回りに伸ばしているが、幹は空洞化しつつあると。
かながわの名木100選にもなっているが、名木というよりは古木と言った方がぴったり。
この古木のカヤは樹齢320年と推定されているとのこと。
藤沢宿が整備されて85年後くらいに芽吹いたことになる。
「かながわの名木100選 常光寺のカヤ」のプレートには、「樹高 25メートル
胸高周囲 5.0メートル 樹齢 約300年(推定)」、と記載されていた。

常光寺の境内の樹林も藤沢市指定天然記念物にもなっている。

藤沢市指定天然記念物になっている「常光寺の樹林」にはカヤの他に、
山門を潜った参道の両脇にクスノキ(2本)、本堂横のタブノキと若いイチョウ、
弁慶塚入口のイチョウ、弁慶塚石段上のタブノキがあるとのこと。

英米文学者で詩人の野口米次郎(1875-1947)の墓碑。
30cm立方ほどの四角な磨き石が間をあけて二つ。
その上を跨いで積み木細工のように、横60cm縦30cm厚さ30cm程の
矩形の石が、横長にのせられてあるユニークな形の墓。
子息の建築家イサム・ノグチ(1904-1988)が建立したものとのことで納得。

野口米次郎は明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。
ここ常光寺にヨネ ノグチの墓がなに故あるかと言うと、ヨネ ノグチが16歳で親の許可えず、
四日市を去って上京し、兄がこの寺の住職の常光寺に下宿して勉強していたことがあった
ことによると。

墓碑には野口米次郎の臨終の時の詩が刻まれています。
「鐘が鳴る かねがなる これは即ち 警鐘と言うのです
これが鳴ると皆ねます さぁ みんな眠りましょう」と刻まれていた。
この誌の意味は?余裕を失った我々現代人への警鐘?それとも・・・・・?

一段上にも多くの無縫塔(むほうとう)墓碑が。
常光寺の僧侶の墓塔であろうか?
塔身が卵形という特徴があり、「卵塔」とも呼ばれる形。

境内から山門を。
手前に藤沢市指定天然記念物の大きな楠の木が2本。

ここにも新作石像が。

明治5年(1872年)から一時期、藤沢駅邏卒屯所(警察署)が設置されたとのことで、
山門前にはその記念碑が。

再び山門から本堂を。

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