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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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道路の反対側には蒔田本陣跡(まいたほんじんあと)を示す標柱が。
現在は、その跡地はラーメン屋になっていたが、その看板には「ふじさわ本陣跡」と。

本陣というのは、宮家、公家、大名が休泊した大規模な施設。
江戸時代初期は大久保町の堀内家が藤沢宿の本陣であったが、類焼のため
坂戸町の蒔田家が明治三年まで約百二十年間その要職にあったと。
総坪数約400坪、門構え庭園等があり堂々たる家であったが、現在は妙善寺に
その墓域を残すのみとなっていると。
![7122456e96b1b7ddaf6d48e1b32b1541[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/ccd4f16375cd6c9458c564f7d1a1534fc0d2f01e.15.2.2.2.jpg?thum=53)
再び旧東海道(国道467号線)の反対側に戻ると、問屋場(といやば)跡があった。
問屋場は、江戸時代の街道の宿場で人馬の継立、助郷賦課などの業務を行うところで
、駅亭、伝馬所、馬締ともいったと。

脇本陣・和田七郎右衛門・坂戸町問屋場の絵図。

坂戸町問屋場跡は現在、藤沢消防署がある所に。
「藤沢宿坂戸町問屋場跡」と書かれた小さな木の標柱のみ。
トランスボックスの写真によると以前は藤沢警察署(写真右)があった。
消防署の脇を入ると常立寺、門前に先ほど訪ねた記念碑があった。

藤沢警察署。

そして妙善寺(みょうぜんじ)の参道を入る。
妙善寺の石の標柱には「南無妙法蓮華経 妙善寺」と。

妙善寺は、藤沢市藤沢一丁目にある日蓮宗の寺院。山号は、長藤山。
妙善寺の山門。扁額には「長藤山」の文字が。
実はこの妙善寺は我が実家の檀家寺。

本堂。
永正元年(1504年)に日純により創立した。前身とされる密教寺院が建立された
延暦15年(796年)が創立で、弘安3年(1280年)日聞が日蓮宗に改宗したという説もある。
天明年間(1781年-1789年)に洪水により堂が流失したが、天保13年(1842年)に日扇が再建。

手水舎。

本堂横に鐘が地面に置かれていた。
銘は、鎌倉極楽寺の鐘と同文とのこと。
鐘楼の再建を待っているのであろうか?。

由緒沿革略記碑。

正宗稲荷大明神入口 の石鳥居。
正宗稲荷大明神は、もとは真言宗の真蔵院という寺が改宗して日蓮宗の道場になった
弘安3年(1280年)に境内に奉安されたものであると妙善寺「由緒沿革略記」碑にある。
この名は鎌倉三郎正宗入道に因み、文永8年(1271年)に日蓮聖人が名付けたものであると
されるが年次が合わない。真蔵院の頃からあった稲荷社であろうと。
正宗稲荷大明神の御神体は伝教大師(最澄)が延暦21年(802年)に刻んだものとされている。
比叡山延暦寺に安置されていたが、4代執権北条経時の時に鎌倉に移され、その後、
この地に移されたと。また、一説には、鎌倉の刀工五郎入道正宗が、この御神体を
守護神としていたとも。

正宗殿。

「正一位 正宗稲荷大明神」と刻まれた石碑。
正一位とは神社における神階の最高位に位し、従一位の上にあたる。

正宗稲荷大明神の隣にもう一つの朱の鳥居と社が。この神社がもともとこの地の人々に守られてきた稲荷神社とのこと。

再び本殿を。

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