JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.09.07
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
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更に来た道を戻り再び引地川を渡り左手に折れ川沿いを進む。

藤沢バイパスの下を潜り暫く進むと浄土宗本願寺の参道入口に到着。

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坂道の参道の左手に古い庚申供養塔が。

『青面金剛塔』と刻まれた石碑が一番左手に。

その横には六手青面合掌金剛+三猿が。 

その隣に笠付角柱塔、三面猿、蓮台座が。 

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境内には比較的新しい六地蔵が祠の中に。 

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本堂。山号は往生山。

創建は明暦2年(1656年)に阿道による開山であるという説と、西村の観音坂への

再建中興が明暦2年であるとする説もあると。

天明6年(1786年)には大雨により土砂崩れが起こり寺が崩壊したが、

寛政3年(1791年)、恵光が現在地に移転再興。天保5年(1834年)火災にあったと。

本尊は阿弥陀如来。いずれにしても歴史ある寺がここにも。

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墓地へ上る階段の脇に、古い墓石等の石造物がまとめて。

無縁仏か? しかしその石仏は風雨に耐え歴史を重ねていたのであった。

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大きな石塔。

南無阿弥陀仏の文字だけは識別できた。

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中央の石碑には『南無阿弥陀仏』と。

左側の石碑の文字は???。これも南無阿弥陀仏?? 

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『戦死者 迢?墓 南無阿弥陀仏』 と刻まれた石碑。

その後ろには多くの地蔵様が並んでいた。

地蔵様は、子どもを守ってくれる仏様として、昔から人びとに信仰されて来た。

地蔵様に赤いよだれかけをかけるのも、冬には毛糸の帽子や頭巾を被せるのも、

赤ちゃんが丈夫に育つようにという母親たちの願いと祈りがこめられているから。

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参道を下り、右手に折れ川沿いを進むと柏山橋に着きこの橋を渡る。

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川床の雑草の倒れから、台風9号時にこの引地川の水位がかなり

上昇したことが理解できたのであった。

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橋を渡ると正面の銀杏の木の下に『柏山稲荷神社』と刻まれた 社号標の 石碑が。

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銀杏の木には大きな銀杏(ぎんなん)の実が撓わに。

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正面の鳥居に「厳島千人力弁天社」の額が。

縁起によると、女の人だけで、社殿を建てよ」と

いう竜神大神のお告げあり、柏山神社の信者が相談して、女人千人で社殿建築に努力したと。

よってご祭神は市杵嶋姫大神と女神(スサノオの御子神、水・芸能の神、学業の神 )。

800年以上前から女は強かった事を再認識。

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木立に囲まれて池があり、朱塗りの橋・辨天橋が架かっていた。

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伝説によると、この弁天社は大庭景親が厳島神社の分霊を勧進したものと

伝わっているのだと。よって名前が「厳島千人力弁天社」。

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公園の中には別の参道そして鳥居が。 

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更に進むと柏山稲荷神社の一の鳥居が。 

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参道の階段を上る。

左手に百度石と 社号標石碑が。

お百度参りはもともと100日掛けて行なうものであることは明らか。

しかしそれが簡略化され、1度に続けて100回お参りするようになったのだと。

そしてこの百度石が出来、百度石からお参りして百度石へ戻って1回、

後はこれの繰り返しで100回。

最近でも四国88ヶ所巡りで、88ヶ所の寺の名前が書かれた石碑が置かれており

その前を一つ一つお参りすれば、四国88ヶ所巡りを1日で結願になるとの寺も

あるのですが・・・???。

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社殿近景。

大庭城を守る引地川の水門の護り神とされるとのこと。

また堰守であった吉田将監の屋敷跡とされると。

祭神は宇迦之魂命(うかのみたまのみこと)。

名前の「うか」は穀物・食物の意味で、穀物の神であると。

性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきたと。

よってこの場所は女神二人が仕切っているのであった。

そしてこの神社には多くの銀杏の木が植わっていることも理解できたのであった。

何故ならば「ウィキペディア」によると

【銀杏は英語ではmaidenhair tree。これは「娘 (maiden) の毛の木」の意味で、

葉の形が女性のIN毛が生えた部分を前から見た形(葉柄は太ももの合わせ目)に

似ているための名であるが、「木の全体が女性の髪形に似ているため」と美化した

説明もなされる。】と。

そして思い出したのが、イチョウ(銀杏)の巨木の乳根(ちちね)。

枝から垂れ下がったように下に伸びた棍棒状の突起物を見かけることがあるが

これを「乳根(ちちね)」または「おっぱい」と呼ぶことを。

今日も勉強になりました。

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柏山稲荷神社 建立記念之碑文。

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境内の稲荷社正面。 

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奥にある本殿を右側から。

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将監稲荷社。

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厳島千人力弁天社の辨天橋を見る。

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更に歩を進め明治小学校近くの神社に到着。

明治小学校正門前の小高い丘の上にある城神明社。

創立は永久5年(1117)鎌倉権五郎景政の勧進と伝わっています。

この地域は城(タテ)と呼ばれているが、このあたりに大庭氏の館が

あったもの推定されていると。

城(タテ)神名社の 正面鳥居

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鐘楼。

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社殿正面とその右には、この 地区の戦没者317柱を合祀する慰霊碑が。

御祭神は天照皇大神。土地の人は「お伊勢の宮」と呼んでいると。

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道祖神、疱瘡神、庚辰塔他。

疱瘡神とは祈ると疱瘡を免れたり、軽減してくれたりするとされた神とのこと。

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拝殿建設祈念碑。昭和3年建設。

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御神楽殿建設祈念碑。昭和18年建設。

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鳥居建設祈念碑。昭和27年建設。 

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歩道橋から明治小学校を見る。

運動場の広さにビックリ。 

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旧東海道に面している場所にある秋葉堂に到着。

秋葉堂の名前のとおり、秋葉大権現(火伏せの神様)を祭ってあると。

写真のように、小さいながらも石造りの太鼓橋風の橋が架かっていた。

以前はこの太鼓橋の下に池があったと。

この日は門が閉まっていたので中に入ることはできず、外から眺めるだけ。

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更に藤沢バイパス沿いを下り、国道1号線方面に向かうと

前方の松林の下に神社が。

ここは辻堂の旧東海道と国道1号線に挟まれた場所。

ここからは国道1号線は藤沢市街地を通過する藤沢バイパスとなり、

旧東海道は県道となって市街地方面へ向うのだ。

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鳥居が二つ、朱の鳥居は境内稲荷社、隣の比較的新しい鳥居・神社が八坂神社。

バイバス開通時に整備されたのでしょう。

境内稲荷社の朱の鳥居。

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四ッ谷八坂神社の石の鳥居。

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四ッ谷八坂神社社殿。

祭神は須佐之男尊。

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Last updated  2020.06.15 19:34:25
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