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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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唐門をくぐった正面には拝殿、幣殿、本殿からなる御本社(宝暦六年・重文)が鎮座。

本殿、幣殿、拝殿は代表的な権現造り。
本殿は、拝殿と共に黒漆塗銅茸入母屋造りであり、拝殿は正面に千鳥破風をおき、
その前に唐破風の向拝屋根を張り出している。宝暦六年(1756)の建造。

黄金に輝く『妙義神社』の社額。

拝殿内部。

拝殿を斜め右から見上げる。

拝殿の欄間、暮股内、脇障子、小天井、柱頭等には多くのすばらしい彫刻が
各所にみられるのであった。

昨年訪ねた日光東照宮の如し。

拝殿では向拝部とのつなぎの海老虹梁に手のこんだ龍が。
拝殿の龍には上り龍と下り龍が対をなしているのだと。

脇障子の竹林七賢人。
竹林七賢人とは中国の晋の時代、世の中のわずらわしさを避けて、
隠者七人が竹林に集まり、清談にふけった故事。
こちらは3人。

こちらに4人。

本殿裏に天狗社があると。

天狗社。
お参りすると心願成就すると。

本殿裏。

拝殿、幣殿、本殿は附透塀で囲まれていた。

附透塀の隙間から本殿を。

帰路は階段を下りずに北門から坂を下る。
苔むした石灯籠群。

水神社

愛宕社。

妙義山登山道入口。

『雲に嶮し 妙義ひぐらし 青の陣』『多希女』と刻まれた句碑。

自然石の上にも小さな石の祠が。

この樹木の生命力に感動。

。境内中段・旧本殿前に奉納された青銅製の燈籠は都内崇敬者から。

社務所(旧宮様御殿)。
妙義神社は江戸時代、上野東叡山寛永寺の座主輪王寺宮御代々の兼任の神社となり、
歴代将軍や諸大名より篤い崇敬を受けていた。
妙義町の指定重要文化財の妙義神社御殿。
俗に宮様御殿といわれ、嘉永5年(1852)に再建。
寛永13年(1636)以来、輪王寺宮の隠居所となり、
御登山の折には、この御殿に泊ったとのこと。

妙義山歩道案内図。
右側が妙義神社で、左側には中之岳神社が鎮座。
黄色の線は一般向けの散歩道だが、岩場やくさり場などがあると。

『妙義山』という歌の歌詞と譜面が刻まれた石碑。

御朱印を戴い次の場所へと移動したのです。

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