PR
Keyword Search
Comments
New!
隠居人はせじぃさん
Gママさん
noahnoahnoahさんCalendar
曽木公園の紅葉のライトアップを見ることを決断したが、それまで時間があるので
花白温泉を楽しみ、続いて岩村城址を訪ねることとし車を走らせる。
途中『飯高観音』の表示板が道路脇に増えて来たので急遽立ち寄る事とする。
日本三大観音の一つで、山岡町のこの妙法山萬勝寺に祭られているのだ。
厄除け、災難除けの観音さまとして、近郷の尊信を集め、東濃地方で初詣といえば
「飯高観音さん」と名が挙がるほど、この辺りでは有名とのこと。
本尊は千手観世音菩薩で天台宗四祖(比叡山三世)慈覚大師の作と伝えられ、
出身の東国へと下る道すがら、幾度もこの辺りを通ったことが想像できるのだ。
仁王門手前には歴史を感じる鐘楼が。

仁王門には石彫りの仁王像(二王像)=金剛力士像が一対。
燃え盛る火の描写も、そして表情も強い迫力。

仁王門左(向かって右側)には阿形像。
像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにしている。
口を開けている阿形は私達に、心の目を開けと教えているのだ。
全てのものの真実、つまり、生滅変化する仮の姿の奥にあるありのままの姿をよく見て、
宇宙の真理を悟らねばいけないということ。

仁王門右(向かって左側)には吽形像。
吽形像は怒りを内に秘めた表情。
口を閉じている吽形は、煩悩による一切の悪魔を遮断しなさいと教えている。
この二つは、+と-、陰と陽のように、それぞれだけでは働けないけれども、
両者が1つになった時にいろいろな働きが発揮される。それが阿吽の呼吸というもの。
「金剛力士」の「金剛」は、帝釈天がいつも「 金剛杵 」という煩悩を滅ぼす武器を持っている
ところから。

仁王門の横には『飯高山 観音霊場』と刻まれた巨大な石も。

気を引き締めて山門をくぐると、まっすぐストレートに続く石畳が。
その両側は、日本庭園の如く砂利が敷かれ、砂紋が描かれ、その風景に目を奪われた。
柘植の木が刈り込まれ、鶴と亀の姿が白砂利の上に

奥に本堂そして手前に枯山水の小さな岩が。

ゆっくりと回る水車。

そしてその下の池では多くの鯉がのんびりと泳いでいた。

こちらにも柘植を刈り込んだ羽を広げた巨大な鶴?が。

本堂の扁額には『萬勝禅寺』と白い文字で書かれていた。

観音堂へと一直線に参道、その間に灯篭と仏像が。

白寿観音菩薩像、そしてその横には水子観世音菩薩像と書かれた幟が。

観音菩薩像。

観音堂への階段を上る。

丹波鞍馬石の最大級の板石、4m70cm×4m50cm×60cm重量17トンに約2年かけて、
釈迦三尊仏を磨崖仏風に彫り上げたと。

大きな手水舎。

そして手水の作法も説明されていた。

観音堂へ。
慈覚大師円仁の作と伝えられている本尊の千手観世音菩薩の他、不動明王(不動院)、
普賢菩薩(狐月坊)などの仏像が祭られていると。
横桁の両側には獅子の形をした木鼻が。こちらも思わず見入ってしまう。
龍と同じような迫力がありつつも、口元から穏やかな表情にも見えるのが魅力的。

見事な透かし彫りに感動。

目を引くのが龍の彫刻。舌を出したその表情。今にも本当に動き出しそうな、
声が聞こえてきそうな、そんな躍動感。

十三重石塔。

大念珠を回し参拝。

境内の池、これが「機子ヶ池」であろうか。
チョット浅いから違うのだろうか。
「機子ヶ池」には次ぎのような伝説が伝えられているのだと。
昔、機織がとても上手く美しい娘が、鷹狩りで当地を訪れた殿様が見初められ
側室に迎えようとした。娘は固く固辞した為、殿様は面目を潰され、
一族に重罪を科すと命じた事で娘は思い余って「機子ヶ池」に身を投げたと。

境内の坂道には本尊の『南無千手観世音菩薩』の幟が並んでいた。

伝移築御殿茶室(飯高観音茶室)。
境内には岩村藩主松平乗棄が宝永年間(1704~1710年)に岩村城の場内に
建てたと伝わる茶室「月」が移築されていた。

『臨済宗 妙心寺派 飯高山 萬勝禅寺 飯高観音』と刻まれた石柱。

境内横の道路脇の池の周りも紅葉中。
墓石が一基ひっそりと。
この池が先ほどの「機子ヶ池」であろうか。

そして可愛い赤い実の下には可愛い水滴が。

寺務所で御朱印を頂きました。

牛久大仏へ(その4) 2025.11.20
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19 コメント(1)
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18