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萩藩校明倫館は、享保3年(1718)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために
萩城三の丸(堀内)に建てた藩校。それから約130年後、嘉永2年(1849)に城下の
中心地(現在地)へと移転、規模を拡大した。
約1万5千坪(約5万㎡)もの敷地内に、宣聖殿と呼ばれた聖廟を中心に、西側に小学舎、
手習所などを含めた主として学問習得のための建物、それも漢学中心の初等・高等の
教育施設が配置され、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、
北方には約3千坪の練兵場が設けられていた。
吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)もここで教鞭をふるったのだ。
創設より慶応3年(1867)廃館に至るまで、前後約150年の長期にわたって藩校としての
教育が行われ、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしたと。
敷地内には、旧明倫小学校本館(昭和10年に建てられた木造2階建ての校舎)があり、
平成8年に国登録有形文化財に登録されている。
藩校跡に建つ日本最大の木造校舎が、平成 29
年 3
月 4
日 萩・明倫学舎として開館した。
奥にあるのが旧萩藩校明倫館南門。
藩校明倫館の遺構で、新明倫館の正門として建てられたもの。
門は切妻造り本瓦葺きで桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、
潜門がついている。この門は、藩主が聖廟を拝する春秋の「釈菜(せきさい)」(孔子祭)の
公式行事以外は開かれないと。
本願寺山口別院に移され正門となっていたが、寄付され平成16年(2004)に元の位置に
移築されたと。【市指定有形文化財】



















世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。



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