JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.01.10
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カテゴリ: JINさんの農園
「吾妻山公園」を後にして、細い山道を下ると、「吾妻神社」の境内に。
境内の隅にあった石碑群。



庚申塔:三猿 笠付
高さ:132センチメートル
造立年月日:元禄4年(1691年)9月上旬
銘文:「汝等前行是菩薩道」(正面種字3種)「漸々修學悉當成佛」「奉新造立庚申供養四面塔祈願」
   「成就所」「相刕淘綾郡梅沢村/元禄四辛未天九月上旬」
所在地:二宮町山西1117



お顔のない石仏。




こちらの石仏にもお顔がなく。
廃仏毀釈の頃、仏像を壊す運動がおこった。
明治初期に神仏分離によって神道を押し進める風潮の中で石仏の顔を壊したのであろう。



割れかけている石碑には「吾妻神社改築寄附 金参阡五百圓也」と。



石鳥居の先に松の巨木が。



廻り込んで。珍しい松のようであったが。



「奉献 日本大相撲協會 武藏山武」と。
「​ 武藏山 ​」👈リンクは、神奈川県横浜市港北区出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。
第33代横綱 。本名は横山 武(よこやま たけし)。



武藏山武(横浜日吉出身 出羽海部屋)

登った。右腕の怪力自慢として出羽海親方からスカウトされる!
昭和5年に吾妻神社で奉納相撲し、大鳥居を寄贈する。
昭和10年第33代横綱となる。神奈川県出身で横綱になったのは武藏山1人です。
以下 省略」



吾妻神社の本殿に刻まれた、「 彫刻家 小林直光さん 龍の彫刻 が見られると。



狛狗(右)。



狛狗(左)。



正面に「吾妻神社(あづまじんじゃ)」の拝殿。

言い伝えには日本武尊(やまとたける・景行天皇の第2子)が東征の途中、海路上総(千葉県)へ
渡ろうとすると突如として暴風が起こリ、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は
海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため荒れる海へ身を投じるとたちまち海は穏やかに
なりました。その後、海辺に流れ着いた命の櫛と小袖を人々が山頂に運び埋めました。
この場所が吾妻神社であり、前一帯を埋沢(うめさわ)、海岸を袖が浦と言うようになったと
伝えられています。日本武尊が東北平定の帰路、相模の国から甲斐へでる途中の峠で遥か
東の海を眺めながら「あずまはや(吾が妻の意)」と嘆き、亡き妻を偲んだところから
命(にこと)を祀った山を吾妻山と呼ぶようになったと言います。」


石鳥居を参道から見上げる。



江戸時代に奉納された 石灯籠(右)



石灯籠(左)



参道を拝殿に向かって進む。



左手に「手水舎」。



吾妻神社 由緒記 」。



吾妻神社 由緒記
吾妻神社は梅沢の氏神でその創建は第十二代景行天皇の朝に始まると云う。弟橘媛命を祭神とし
日本武尊を配祀する。日本武尊は景行天皇の第三皇子である。天皇にそむく蕃族を征伐するため
東北におもむく途中、三浦半島走水から海路上総に渡るき暴風突如に起り、命は夫にかわり海神の
怒りを鎮めるため夫の武運を祈り、別れに臨んで往時を回想され
「サネサシ相武ノ小野ニ燃ユル火ノ ホナカニ立チテ問ヒシ君ハモ」と
海中に身を投じた。するとたちまち海は穏やかになったと云う。その七日後に命の御櫛が海辺に
流れつき埋めて御陵を造り、この地を埋沢といい神社前下一帯を梅沢という。この海岸に命の
小袖が磯辺に漂いこれを山頂に祭ったことから、袖ヶ浦海岸と呼んでいる。また日本武尊は
東北戦 が終り帰路相模の国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ、
「ああ吾が妻」と嘆かれたと云う。
弟橘媛命の御神像は木彫の千手観音で、既に千数百星霜を経過し、御神像は現在梅沢山等覚院に
安置されている。
吾妻神社は「縁結びの神」として知られ例祭日は
   例大祭  一月 第三日曜日
   例祭   八月 十五日」



拝殿に近づいて。



この 社殿を設計したのは「伊東忠太」氏 とのこと。



拝殿の唐破風下の懸魚。



「本殿」を横から。
祭神 橘姫命 ( たちばなひめのみこと )
   日本武尊 ( やまとたけるのみこと )



「本殿」右の彫刻。
この吾妻神社の彫刻は、彫刻師 小林直光 1943(昭和 18)年の作と。



近づいて。



「本殿」左の彫刻。



近づいて。



この日は拝殿内部に入ることが出来た。



祭神 橘姫命 (たちばなひめのみこと)。



五七桐紋 」。
五七桐紋は、中心に7つ、左右に5つの花を立てた桐紋。桐紋の中で最も権威が高く、
『五三桐』よりも格が高い。
天皇家の家紋として知られるが、天皇家が自身で用いるより、足利氏や豊臣氏など政権を
担当する家に下賜されて用いられることが多かった と。



「感謝状」。



祭神  日本武尊 (やまとたけるのみこと)



十六葉菊紋 」。
十六葉菊紋は、16枚の花弁を持つ菊を描く。別名『十六菊』。
多くは皇室や豊臣秀吉より下賜された家が用いる と。



弟橘媛命入水から七日目に(二宮海岸)現袖ケ浦海岸に漂着 」。



「本殿」への入口。



近づいて。



弟橘媛入水の図 」。



本殿正面 」。



」。
日本は古来から「八百万の神」(やおよろずのかみ)という自然のものすべてに神が宿っている
という考え方があります。人にも神が宿っておりますので、神社でのお祈り事は鏡に映る自分の
神様への誓いでもあるということです。神社に参拝に行かれました時は鏡に映る姿を意識
されましてお祈りして下さい。もしも鏡が見当たらなかった時は、鏡に映る自分の姿をイメージ
しながら神様にお祈りを致しましょう と。



本殿の龍の彫刻。



そして拝殿の脇障子(右)。



拝殿の脇障子(左)。



木鼻(右)。



左はピンボケ。



「拝殿」前から境内を見る。



奉納と刻まれた各種石碑が並ぶ。



そして石段の途中から石鳥居を見上げる。



扁額「吾妻宮」は地上に安置されていた。
落下したが割れなかったと。



そして帰路は「 梅澤口 」への坂道を下る。
梅澤口 」近くの右手の石段の上にあったのが「 神明社 」。



近づいて。



社殿



庚申塚 」。



そしてこちらが 「梅澤口」の石鳥居



そしてJR二宮駅に向かい、先輩と昼食を楽しみ、再会を約束して別れて、駐車場に
向かったのであった。


                                ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・END・・・








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Last updated  2024.01.10 23:27:07
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