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台東区浅草二丁目三番一号
安政元年(一八五四)、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の妻女が重病で床に伏したとき、
山城(現、京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願した。その効果あって病気全快、同二年、お礼の
意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は
不詳だが、被官は「出世」と解せば良いという。
辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本姓は町田であった。輪王寺
宮舜仁法新王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。その門の番を
命じられたので、新門辰五郎と呼ばれた。辰五郎は町火消十番組の組頭としても、多彩な活躍を
した。
社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、杉皮葺。創建以来のもの。間口約一・五
メートル、奥行約一・四メートルと小さいが、覆屋(おおいや)を構えて保護している。
覆屋は大正期の建築物であろう。
社前には、「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻む鳥居ほかがある。










「 被官稲荷神社の名物
」と言えばコレ。
「 お姿
」と呼ばれる、 白狐の姿をした陶器製の置物。今戸焼(らしい)
。







平成三十年三月十八日」















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