JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.06.03
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カテゴリ: JINさんの農園
「鎮護堂」の散策を続ける。
鎮護堂の神木・公孫樹(いちょう)」 。 



鎮護堂の神木・公孫樹
推定樹齢四、五百年。
この公孫樹の木は、昭和二十年の三月十日の東京大空襲の時、焼夷弾を浴びながらも、
その猛火から鎮護堂を守ったという神木である。
今でも木には当時の焼け跡が残っている。
戦争がこの世からなくなることを願いたい。
                        金龍山 浅草寺」 



鎮護堂の「 お狸(たぬき)さま 」。
江戸市中に「狸阪」「狸穴」などという地名があったとおり、かつて江戸には狸が多く
棲んでいた。上野の山や、浅草の奥山にも狸が棲んでいたが、官軍と彰義隊が戦った上野戦争や

一説には狸らは、草履を釜に投げ入れたり、座敷に砂をまいたりなどのいたずらをしたという。
浅草寺も狸らの乱行に困っていたが、時の住職、唯我韶舜大僧正の夢枕に狸が現れ、「われわれの
ために祠を建てて保護してくれれば、伝法院を火災から守り、永く繁栄させましょう」という
お告げがあった。そこで、明治16年(1883)に鎮護大使者として祀ったのがこの鎮護堂である。
その霊験あってか、伝法院、鎮護堂ともに関東大震災や東京大空襲での焼失を免れている。
火除け祈願のほか、この祠に祈ったところ失せものが見つかったという霊験から、盗難除けの
祈願をするご信徒も多い。また、狸を「他を抜く」という語呂としてとらえて、特に落語家や
歌舞伎役者など、芸能関係者の信仰が篤いことで知られている と。



境内から「寺務所」越しに「 東京スカイツリー 」が見えた。



幇間塚碑 」。



幇間塚碑
「幇」は、たすける意。幇間とは、客の宴席に侍し、座を取り持つなどして遊興を助ける者。
たいこもち、男芸者のこと。
幇間有志によって、幇間物故者供養のため、昭和三十八年に建立された。
碑には、浅草生れで、大正・昭和期の小説家・劇作家・俳人、久保田万太郎氏の俳句がある。
またの名の たぬきづか 春ふかきかな
                     金龍山 浅草寺



碑に近づいて。



「幇間とは幇助の義・・・・・・・・・・・・・・

曽呂利新左衛門・・・」



「鎮護堂」入口の右側にあったのが「 浅草画廊 」。



「葛飾北斎」の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 の描かれた暖簾。




「浅草公会堂」手前の浅草伝法院通りT字路の角「龍巳」の屋根にあったのが
「ねずみ小僧次郎吉」の人形


浅草公会堂 」。
指定管理者制度により明治座・野村不動産パートナーズ(株式会社明治座、野村不動産パートナーズ
株式会社の共同企業体)が管理・運営を行っている。
かつてこの地には浅草区役所が建てられており、戦後、下谷区と合併して台東区が発足した折には、
台東区役所浅草分庁舎として引き続き利用された。その後1973年に台東区役所新庁舎が竣工し、
浅草分庁舎を統合したため浅草分庁舎は1974年をもって閉鎖、その後解体された。
1977年(昭和52年)10月、浅草分庁舎跡地に本公会堂が完成した。建物は一部鉄骨の
鉄筋コンクリート造りで地上5階、地下2階建て。設計は日建設計である。
これに伴い、公会堂前の通りの名称が「区役所通り」から「浅草公会堂オレンジ通り」
(現在は「オレンジ通り」)になった と。



こちらが「 伝法院通用門 」。



傅法院 」、「 浅草寺本坊通用門 」と書かれた表札が掲げられていた。



「ねずみ小僧次郎吉」の人形 を振り返って。



ズームして。
鼠小僧(ねずみこぞう)こと次郎吉(じろきち、 寛政7/8/9年〈1795年/1796年/1797年〉 -
天保3年8月19日〈1832年9月13日〉)は、江戸時代後期(化政期)の泥棒。鼠小僧次郎吉として
知られる。最期は捕縛され獄門に処されたが、大名屋敷のみを狙って盗みに入り、人に傷を
負わせることもなかったことから、後世には義賊として伝説化された。
本業は鳶職であったといわれる。



「新仲見世通り」を歩く。





味噌汁専門店「​ ASAKUSA MISOJYU ​」には長蛇の列が。



そして建物の狭い隙間に鎮座した「 無事富稲荷大明神 」を訪ねた。
台東区浅草1丁目14ー2。


無事富稲荷大明神 」。



下町まちしるべ
旧 浅草新畑町

ことから土壤がやせ農作物の不作が続いた。このため、万延元年(一ハ六〇)に町屋開設の許可を
求めたところ許され、新たに浅草寺境内畑町ガ開が開かれた。その後、明治維新を経て政府は
東京の市制改革を進めるため明治三年(一ハ七一)に、この地を浅草新畑町とした。
本町内には、浅草六区に続く「すしや横町」と「新仲見世」がある。これらの通りを中心に
飲食店街などを形成して賑わいを見せ、「仲見世」の持っ風情とはまた違った浅草をみることが
できる。」 



扁額「 無事富稲荷大明神 」 



「??」という、読みようのない字が使われており、実際は社号が「無事富」であるということを
明確に表す由来などが無い。「事」ではなく「筆」でもなく「辜」でもなさそう。

ただし、賽銭箱には「無事富」と書かれていることから、「事」で間違いなさそう。事無きを得る、
富を得るという御利益を社号にしたとも考えられる。



奥に小さな「社殿」。 
賽銭箱には「 無事富稲荷大明神 」と。 



近づいて。



途中におあった「三社祭」ポスター。 

令和7年(2025年)三社祭のポスター:松屋浅草

次に訪ねたのが「 御手洗稲荷大明神 」。
台東区浅草1丁目14-8。



扁額「 御手洗稲荷大明神 」。 




入り口の扉に鍵がしてあり、境内に入る事ができなかった。
丸石が並ぶ狭い山道。



社殿は左に曲がった場所に。



ネットから「社殿」を。しかし「社殿」はどこに? 



そして近くの花屋には鉢植えのカーネーションが並んでいた。
この日、5月11日は「母の日」。



店の女性は、「今日中に全部を売らなければ!!」と。



たぬき通り 」を東に向かって進む。



左にあったのが「 夫婦たぬき 」。



近づいて。
たぬき通り商店会 は浅草1丁目に位置し、雷門通りを浅草公会堂に向ってオレンジ通りに入り、
2つ目を左に折れた場所にあります。
お店は全部で26店舗。この「たぬき通り」には銀色に光る御利益たぬき像が12体11種、
道の両側の祠にあります。昔浅草にいたという「地たぬき」をモデルにしたようです。
それぞれのたぬきには個別に違う御利益があります。
なでなですれば商売繁盛、夫婦円満、家族安全、縁結び、子宝、学業向上などなど・・。



「夫婦たぬき

浅草一の仲のよいたぬきの若夫婦が、夫婦円満や、夫婦ゲンカの仲直りなど

幾久しく仲睦まじく幸せな暮らしをお二人に約束します。」 




                                                                                                 ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2025.06.03 00:00:11
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