JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.11.30
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カテゴリ: JINさんの農園
本堂前の 常香炉



近づいて。
灰の海に、無数の線香が沈んでいた。
陽の光を受けて白くきらめきながら、静かに折り重なっていたのであった。
風に吹かれても、踏まれても、祈りの痕跡だけはそこにとどまり、
「今日も多くの人が手を合わせたのだ」と灰が語りかけてくる――
そんな情景に見えたのであった。



本堂の柱・右: 創造 阿字の子が阿字の古郷たち出て
本来は大日如来と同じいのちをもつ私たちが、その真理のふるさとである仏の世界をあとにして、
この現実世界へと出て来たのだ 」という教えを一行で表した句。
本堂の柱の「創造」という文字と並べて考えると、
大日如来と同じ根源のいのちをもつ私たち(阿字の子)が、その本来のふるさと(阿字の古郷)を
一度離れてこの世に生まれ、それぞれの場所で尊いいのちを「創造的に生きる」ことを
示唆している言葉と受け取ることができるのだ と。



帰源 また立と帰る阿字のふるさと
・帰源(きげん)
「源(みなもと)に帰る」という意味。
ここでは「いのちの根源」「真理の源」である阿字=大日如来の世界を指します。
・また立ち帰る阿字のふるさと
「また立ち返って戻っていく、本来のふるさとである阿字の世界へ」という意味。
迷いのこの世での一生を終えたあと、本来いた仏の世界(阿字の古郷)へと還っていく、
という信仰を表している。

つまり本堂の柱は、
私たちは仏と同じいのちをもつ存在としてこの世に生まれ、
さまざまな創造・営みをなしながら生き、
最後にはそのいのちの源である仏の世界へと帰っていく
という、出発と帰還の物語を左右の柱で表現している、と。



本堂に近づいて。



扁額:山号「 密巌山 」。
字の意味
密 … 「秘密」「奥深い」の意。真言宗では特に密教をあらわす字です。
巌 … ごつごつした大きな岩・険しい岩山。ゆるがない硬さ・堅固さのイメージ。
山 … 山号につける「〜山」。
密教の深い教えが、険しい岩山のように動かず堅固に保たれているところ
不動の岩山のごとく、奥深い密教の教えをたたえた山(寺) 」の意味。



左手に先程訪ねた「 太子堂 」。







普門寺の境内に立つ 「毘沙門天(びしゃもんてん)」像
甲冑姿の武神
 毘沙門天は四天王の一尊(多聞天)で、甲冑を着た武神。
左手に宝塔(たからとう)
 像は左手に小さな塔のようなものを持っています。
右手に戟・三叉鉾(あるいは錫杖状の武器)
 毘沙門天が持つ武器は多様ですが、長い武器を持つのが一般的。
足下の邪鬼(じゃき)
 毘沙門天も邪鬼を踏んでいます。



三界萬霊塔



いわゆる宝篋印塔(ほうきょういんとう)の形式の塔。
「真月完覚」?と。僧名か?



宗派
真言宗高野山派
山号:寳蔵山(ほうぞうさん)
本尊:不動明王
普門寺は鎌倉時代の元亀元年(1528)創建の古寺で、藤沢宿の発展以前からこの地域の
信仰の中心でした。
■ 本堂の特徴
① 入母屋造り × こけら葺き風の屋根
   写真の通り大きな反りを持つ入母屋造。
      屋根は現在銅板葺きですが、伝統的な日本建築らしい力強さを感じます。
② 向拝(ごはい)部分の彫刻
     梁(はり)や組物に細かい彫刻が施されており
     → 真言宗寺院らしい荘厳な造り
     左右に龍・獅子など密教的な意匠
③ 本堂前の石灯籠
     写真中央の石灯籠は江戸期〜明治期のものが多く、
     普門寺の歴史を物語る遺品のひとつです。
④ 境内配置
     本堂の右側には「太子堂」、左奥には「大師堂(準四国八十八箇所 第47・88番札所)」など
     巡礼文化が今も色濃く残っています。



鐘楼



梵鐘。
寛政3年(1791年)11月、東都鋳工、西村和泉守藤原時政、発願主 阿遮梨智英の梵鐘が
あったが、太平洋戦争のとき供出し、現在のものは1974年(昭和49年)鋳造のものである



移動して。



准四国八十八箇所供養塔
山門を入った右側、総高約3.3m、四段の基石上に平頭角柱型塔。
文政10年(1827年)3月1日光明真言総講中が建立。
天下泰平 準四國八十八霊場
南無大師遍照金剛
国土安穏 箇所供養塔




吾幾盡心矣若有信輩能巡拝之、則巡拝四国其又何異也可謂一大事勲成矣、興非吾勲也、
実同志勲也、乃建此塔唱光明真言三千三百万面當其供養面巳矣、浅場野翁識」

【四国には八十八か所の霊場があります。しかし四国は遠く、そこで巡礼するのは簡単な
ことではありません。そこで私は、志を同じくする仲間たちと相談し、ここ鎌倉の地に
小規模ながら八十八か所の霊場を整えました。
私たちはできる限りのことをしましたが、もし信心のある方々がこの霊場を巡ることができれば、
それは四国八十八か所を巡るのと本質的には違いません。
まさに大きな功徳を成し遂げたと言えるでしょう。とはいえ、その功績は私のものではなく、
共に尽力した同志たちの功績なのです。
そこで、この塔を建て、光明真言を 三千三百万遍(3,300万回) 唱えて供養といたしました。
浅場野翁 記す】



五輪塔。



「故齋藤順三郎先生之碑」。 




故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級山口松五郎碑。



日露戰役戦死病没者各英霊供養塔



本堂を振り返って。



祇園天王堂



祇園天王
江戸時代、疫病が流行したときに造立された。7月14日、祇園天王祭が催される。




 ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・


















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Last updated  2025.11.30 05:20:57
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