inti-solのブログ

inti-solのブログ

2012.10.01
XML
カテゴリ: 災害
石原慎太郎 国家的喪失

安保の何たるかもよくわかりもしない手合いが群れをなし、語呂の良い「アンポ、ハンタイ」を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。一応知識人の代表を自負する文士の組織の日本文藝家協会の理事会でも、当時の理事長の丹羽文雄が、「議事も終わったがまだ時間もあまっているので、ついでに安保反対の決議でもしておきますか」と持ち掛け、理事でいた尾崎士郎と林房雄の二人から、「僕らは安保賛成だが、君はなぜ反対なのかね」と問われて答えられず赤面して会は終わりとなった。
(中略)
最近官邸前で盛んな反原発のデモは子供まで連れて、この子供の将来のためにもという道具仕立てでかまびすしいが、それへの反論説得のために政府は一向に的確な説明をしきれずにいる。大体脱原発依存のための三つのパターンをいきなり唱えてそのどれにするかなどという持ち掛けは粗暴で子供じみたもので、何の説得性もありはしないし、原発廃止を唱えてうきうきして集まっている輩(やから)も、放射能への恐れというセンチメントに駆られているだけで、この国の近い将来の経済の在り方、そしてそれを支えるべきエネルギー体制への具体案など一向に備えてはいない。
(中略)
私は先月、政治家を志し参議院に立候補した折のテーマにしていた高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を視察したが、この従来の原発とは全く異なる原子炉が何ゆえに運転停止したまま徒(いたずら)に時を過ごしているのかを知って愕然(がくぜん)とさせられた。青森の六ケ所村に蓄積されている核廃棄物を再燃焼させることの出来るこの炉は、機械のある部分の事故以前の、一部の故障によって停止し、それに怯(おび)えた手合いの停止訴訟によって十年を超える長きにわたって止められたままなのだ。その間機械は完全に修復補強されてもなお、裁判という手続きがこれをはばんでいる。加えてあの福島の事故ですべての原発は国民的禁忌となりはてた。
その結果日本の原発技術の援護なしにはなりたたぬ韓国は、ウェスチングハウスを買収した東芝の後ろ盾でUAE(アラブ首長国連邦)の原発建設を落札しフランスに一泡ふかせた。韓国では、原子物理を専攻する学生の数は急増しているが、この日本では過去から背負った核トラウマと今回の災害による原発被害とあいまって原子力を専門に学ぼうとする学生の数は皆無に近く、またそれを教える先輩学者の数も激減している。
韓国の大企業サムスンの繁栄も実は東芝が財政的理由で放棄した半導体の画期的プロジェクトをそのスタッフごと彼らが法外な給料で抱えて横取りしたことに発している。人間にとって新しい技術体系である原子力も、今またこの国の国民のトラウマから発したいたずらなセンチメントによって捨て去られようとしている。
かつて反権威の象徴的存在でもあった吉本隆明氏は原発反対のヒステリーを批判して、「新しい技術を失敗を重ねて正統化しての進歩が近代精神の芯をなすもので、人間の進歩もそこにあった。それを無下(むげ)に否定してかかるのは、人間が猿に戻ることだ」といっていたが、センチメントに駆られて猿に戻ろうとしているこの国から、周りの、より人間たらんとする国々は容易に収奪しつづけ、日本は国家的喪失をつづけるのだろうか。

---

石原慎太郎のこういうくだらない言説を掲載しているのはどこの新聞か、説明するまでもないでしょうが、産経新聞です。

「語呂の良い「アンポ、ハンタイ」を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。」
という言葉は、「尖閣を守れ」「反中」という言葉に置き換えれば、そのまま石原慎太郎自身がやっていることに当てはまります。尖閣諸島を巡る危機的な状況は、明らかに石原の「尖閣購入」騒動が招いた出来事です。相手を挑発して喧嘩を売ることが「愛国」だと勘違いしたバカ知事と、それに賛同した募金者たちが、「尖閣を守れ」という「センチメント」に駆られて暴走したことが、尖閣諸島の領有を危機に陥れている現状について、反省は一切ないようです。

反原発派に対する悪罵も相変わらずですが、センチメント、センチメントという言葉の連発を見ると、むしろ原発推進派の「センチメント」が透けて見えるというものです。石原にとっての「センチメント」は、核兵器を保有したい、ということなんだろうなと思います。

「もんじゅ」について触れている部分などは、明らかに「センチメント」故に事実に対して盲目になっている状況が読み取れます。石原の認識では、「もんじゅ」は停止訴訟のせいで運転できないのだということになっているようです。
もんじゅに関しては以前に記事を書いた し、 石原のもんじゅについての発言に関しても以前記事を書いた ことがあります。なので重複は避けますが、確かに「もんじゅ」に対する運転差し止め訴訟はありました。しかし、残念なことにこの訴訟は、差し止めを求めた原告側が敗訴しています。そして、2010年5月6日にもんじゅの運転は再開され、同年8月26日に炉内中継装置が炉内に落下する事故が起きています。落とした中継装置は、2度引き抜きに失敗し、事故の10ヵ月後、3度目の挑戦でやっと引き抜きに成功しました。
石原が視察に行った時点でもんじゅが稼動していないのはそのことが原因であって、運転差し止め訴訟がどうこうという話は関係ないのです。


でも、原発推進を盲目的に信仰している石原の「センチメント」は、このような明瞭な事実を直視することすら妨げているようです。
「放射能への恐れというセンチメントに駆られているだけ」という言葉もありますが、放射能(に限らず危険なもの)に対して恐怖心を抱くのは、人間としてもごく当然の反応でしょう。ただし、放射能は目に見えず、人間の五感で直接に危険信号を捉えることは出来ません。だから、知識というものから目をそむけていれば、放射能の危険を体感することはない。「見猿」「聞か猿」「言わ猿」に徹すれば、放射能は怖くない。しかし、それこそ人間が猿に戻ろうとする行為ではないでしょうかね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.10.01 21:57:16
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: