古い記事へのコメント申し訳ございません。こちらの記事は、なかなか示唆に富みますね。

//uniunichan.hatenablog.com/entry/20190601FertilityRate

昔は、子どもを産み育てるというのが親にとって、将来への投資、労働力確保、保険、福祉になったのでしょうが、それらの機能は現在ないですからね。金が出るばかりであって、前にinti-solさんが驚いていた「コストパフォーマンス」の話になりそうです。

なお私の父も、自分は親から相当無理を言われて親や弟の面倒を見たのですが、子どもの私はそんなことにまったく興味がない人間で親の希望などすっからかんに無視したので、かなり失望していました。父が、こういった状況の変化を理解していない人間だったとは思いませんが、やはり自分の子は・・・という幻想があったのだと思います。inti-solさんのお父さんは、inti-solさんや弟さんに希望とかそういうことを伝えた方ですか。 (2019.06.12 23:59:24)

inti-solのブログ

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2016.02.08
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テーマ: ニュース(95874)
カテゴリ: その他
日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉

明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。
戦後、占領政策を実施したGHQが、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。
焼け野原からの再出発となった日本は、復員や旧植民地からの引き揚げ者が相次ぎ深刻な食糧難に直面した。一方でベビーブームが起こり、増え続ける人口への懸念が広まっていた。
GHQは当初、無関心を装っていたが、21年5月に「食糧メーデー」が起こると態度を一変させた。労働運動の広がりによる共産化への警戒だった。
発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくという見方は戦前から強かったが、「人口が急増している日本も例外ではない」と認識したのである。
懸念はもう一つあった。米国は国土面積が狭い割に多くの人口を抱える日本を戦前から注視していた。
GHQの報告書を翻訳した『GHQ日本占領史第4巻 人口』には、日本の開戦理由を「人口を養うに必要な資源獲得のための軍事力による領土拡張を擁護し、同時に、増加する人口を養うための彼らの帝国主義的政策を宣伝した」とする分析結果が残されている。
GHQの人口問題の専門家らは、戦後も「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来、膨張主義が復活する」と警告した。
占領国が人口抑制を強要した場合、国際社会から強い非難を受けることは必然だった。そこで、GHQは日本人自身の手で産児制限を普及させることにしたのである。(以下略)

---

産経は、戦後日本の問題を何でもかんでもGHQのせいにしたいようです。そんなにGHQが嫌いなら、日米安保も破棄したらいいじゃないかと思うのですが、日米安保は大事だと、実に矛盾した話です。

で、GHQが産児制限を仕向けていたというのは、事実かもしれません。もっとも、産児制限といったって、子どもをつくることを強引に制限したという話ではないし、人工妊娠中絶を政府が推奨したわけでもありません。単に、絶対禁止を緩めただけのことです。
経済的理由での妊娠中絶を安易に認めるのはどうか、という思いは私もあるけれど、そもそも日本では「堕胎」に対する反感が、キリスト教国よりずっと低いことは歴然としています。むしろ戦前の一時期の「産めよ増やせよ」の方が、日本の歴史の中では異様だった、とも言えます。産児制限を受け入れやすい素地が、元々日本にはあったというのが事実でしょう。

それに、第1次ベビーブームの際の出生率の増加は、すさまじいものがありました。そのまま推移していたら、高度経済成長を遂げることは困難だったのではないでしょうか。
そして、GHQの意向がどうだったとしても、やがては少子化に到ったであろうこともまた確実です。少子化は、ある程度の経済成長を経験したすべての国で起こっていることだからです。ヨーロッパのほぼすべての国がそうですし、アジアでは中国、台湾、香港、韓国の合計特殊出生率は日本より低く、タイ、ベトナムでさえも2を下回って急減中です。これらの国と地域には、当然のことながらGHQの統治などなかったし、中国以外は、国が強力な産児制限を主導することもありませんでした。それでも出生率は急減しているのですから、日本だってGHQが何をしたにせよしなかったにせよ、大差ない経過をたどったでしょう。

第一次ベビーブームの際、もしも人口増に対して何の対策も講じていなかったとすれば、果たしてどうなったか。
団塊の次の世代、つまり現在65歳から50代半ばくらいの世代の人口が史実よりはるかに多くなったことは間違いありません。しかし、前述のように出生率はその後漸減したはずです。現在の出生率は史実と大差ないでしょう。ということは、人口の絶対数は史実より多い、特に50代から60代前半の人口が史実よりはるかに多いが、子どもの数は史実と大差がない(親の世代の人数が史実より多いので、子どもの数もやや多くなったでしょうが、人口比では大同小異)という人口構成になった可能性が高く、その状況は現実の日本よりむしろより深刻だったかもしれません。

だいたい、団塊の世代のあと出生率(出生の絶対数も)は急減したものの、それでいきなり少子化になったわけではありません。1974年までは合計特殊出生率は2を超えており、それ以降も1980年代後半まで、2を少し切る程度で推移していました。初めて少子化が問題になったのは、1989年に合計特殊出生率が1.57になったときで、当時「1.57ショック」と言われました。この間に約40年の時間差があり、それを直接結びつけるのは無理がありすぎます。


それにしても、「歴史戦」の次は「人口戦」ですか。産経ってのは本当に戦いが好きな新聞ですねえ。しかし、いったい誰と戦うというのでしょうか。「歴史戦」ってのも滅茶苦茶ですが、まだしも戦い相手が誰かは分かりやすいですが、こちらは、戦う相手すらさっぱりわかりません。





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最終更新日  2016.02.08 22:25:15
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Re:今度は人口戦だって(02/08)  
Bill Mccreary さん
会員登録はしていませんが、面白い記事がありましたよ。

business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100215/212778/?P=1&rt=nocnt

1974年の段階ですら、日本は少子化の方針だったわけですね。

まあどっちにしたって、1950年代以降の政策は、日本政府、自民党政権なのですから、GHQなど出すのも馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。

なお会員登録をしていないので読んでいませんが、ご初会した記事の続きが

>権威主義的な家族制度を持つ国で少子化が進む

というのは面白そうですね。会員登録をしようかな。 (2016.02.09 07:25:18)

Re:今度は人口戦だって(02/08)  
maki5417  さん
人口戦って何のことかと思いました。
以前三菱総研が、100年後人口が半減するとのレポートを出して警鐘を鳴らしていましたが、大半の国民はピンとこなかったようです。

いまのままでも1億人を維持するのは難しいでしょう。
大胆な移民政策を打ち出してほしいです。 (2016.02.09 12:08:11)

Re:今度は人口戦だって(02/08)  
なおなお さん
産経新聞は本当におバカな新聞だなと思いますね。

(2016.02.09 18:35:45)

Re[1]:今度は人口戦だって(02/08)  
inti-sol  さん
Bill Mccrearyさん

>1974年の段階ですら、日本は少子化の方針だったわけですね。

なるほど。
同年(1974年)に厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、人口白書で出生抑制に努力することを主張しています。73年にオイルショックがあって、資源と人口に関する危機感が高まっていたからです。
象徴的なのが同年に開催された日本人口会議です。人口問題研究会が主催し、厚生省と外務省が後援した会議では、「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択しました。
同会議には斉藤邦吉・厚生相のほか、岸信介・元首相や人口問題の識者が勢ぞろいしました。作家の小松左京氏や画家の岡本太郎氏も講演しています。

という記述ですね。この時点では、まだ人口爆発への憂慮のほうが強かったことが分かります。

maki5417 さん

1億人維持は出来ないでしょうが、そんなことに執着する必要もないと私は思います。

なおなお さん

>産経新聞は本当におバカな新聞だなと思いますね。

そのとおりですが、まあ今に始まった話でもないんですけどね。 (2016.02.09 22:54:21)

Re:今度は人口戦だって(02/08)  
Bill McCreary さん

Re[1]:今度は人口戦だって(02/08)  
inti-sol  さん
Bill McCrearyさん

シンガポールの状況までは把握していませんでしたが、確かに子育てへの支援策を手厚くすれば効果がある、というものでもないようですね。

私の進路に関して父の希望というのは、それほど強くは言われませんでした。ただ、私の希望は尊重した上で、それならこうしろ的なことは言われました。結局、最初に言っていた希望とは全然違う仕事をしているので、父の指図はまったく聞かなかったことになります。あと、早く結婚しろということはずいぶん言われました。だから、私が突然結婚すると言い出したときはとても喜んでいました。孫を見せられたのは、私にとっては最大の親孝行だったかな、と思います。
(2019.06.13 06:58:03)

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