2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全11件 (11件中 1-11件目)
1
政治家の方ではない。県知事でもない。NHKの橋本さんの4日間について、ふれてみたい。 空気がある。空気はふつう流れている。これがよどむと流れがない。流れがないということは外の空気が入っていない、ということを意味する。 視聴者の激しいNHKへの批判は、幹部職員の不祥事に端を発しているが、それがNHKを君臨している海老沢会長への怒りとして、強い流れになった。ここに一つの問題がある。この流れを終焉するには、帝王タイプに見え,目立つ会長にやめてもらう以外にない。この流れに沿って遅きに逸した館があるが、辞めた。 その辞めた人間が、即顧問として再登場。これで止まるはずの流れがまたつながってしまった。これでは、辞めたことは何だったんだ、ということになる。当然である。ここにまた問題あり。 おまけにこうした視聴者の流れの方向を読めなかった新会長の経営能力か付加され、これで収まるものが収まらなくなった。責任をとって辞任した人を、即顧問に就任させ、反発があると、あわてて辞任させた対応は、彼の経営者としての資質、すなわち経営者に不可欠な、「空気を察する、流れを読む」といったこと。その上で視聴者の怒りを静め、今後支持されるための意思決定の行う、という経営能力に対し、疑問を生じさせた。これが3つ目の問題。 さらに、「今後顧問制度の廃止を、、」、「経営に関与することはない職なのですが」、といった一連の発言は、さらにこの人の人間性に対しすら首をかしげたくなる。この問題は制度有無の問題ではない。権限の有無の問題でもない。その制度も規約によると、必ず任命すべきという常設ポストではない。「必要であればおくことができる」ということである。つまり後任会長の意思決定で、任命をしてもしなくてもいいのである。 それを自ら意思決定「した」。それを制度の是非の問題へ振り向けようとする。ここは「私の判断が甘かった」となぜ言えないか。このすりかえは、最近も「事務局の、、」といった政治家がいたが、国民がへきへきしている「態度」である。技術畑出身にしては、と国民が首をかしげたくなる言動である。またこれは前任者のやり口と同じだ。 「今後、受信料は公金だ、ということを職員に徹底する」、といった発言もひどい。公金であろうが私金であろうが、不正使用は許されないのである。倫理を知らずにやったとでも思っているのだろうか。これも下手な倫理の問題へのすり替えである。「 これじゃ交代してもかわんないや」とか「霞ヶ関の連中と同じだ」、と見える。これが4番目の問題。 国民は、NHKが、民を代表する報道機関でありながら、いかに内向き、霞ヶ関向きで、民のいる外の空気との温度差があるか、ということを知った。この内と外の温度差こそが問題だと、世論は怒ったのである。これが第5である。 要はNHKの内部の空気がよどんで、外気の空気が入ってこない環境にあること。インターナルチェックシステム)(内部牽制制度)がない組織、偉い人がやることは正しい、あるいは見て見ぬふりをしていないと出世ができない、といった組織風土にある。ここを反省し改革すべきなのである。それをそれを倫理の問題にすり替えるといった霞ヶ関の政治屋の常套手段をなぞるのでは、改革は期待できない、と国民が怒り出すのは当然である。 このさい、顧問制度の廃止ではなく、新会長は辞任し、あらためて民間の良識あるトップによる抜本改革にゆだねる。そうした高所からの意思決定をし、その上で「視聴料をきちんと払ってください」、こうした手順をこなした上で早々に辞任すべきである。先輩の顧問すら3日でやめたのだから。 そうでないと、視聴者の振り上げた手は、また同じ椅子に落ちることになろう。国営放送、TV機関は、かって戦時中、また今でもあの国で、この国で、国家権力者の権力の道具に使われた。それは二度とあってはならないこと。かといって民間放送化すれば、大スポンサーの影響を受ける恐れがあろう。それでいわば民が出した資金により運営されている。これが今のNHKなのだ。だから真の意味で民と空気を一つにしなければ、その存在意義を失ってしまう。 この意義、役割の重大性を知らない、あるいは全うしない新会長ではないことを、心から念じつつ、また一方案じつつ、あえて書いた。コードでカットされないことを祈念している。
2005.01.29
コメント(0)
先日、ここに吉野家の牛焼き肉丼が、といったことを書いた。その翌日だったか,MJ紙にこの牛焼き肉丼を開発し、販売に乗せるまでの開発者の話が掲載されていたのを読んだ。何回もテスト販売を繰り返し、やっと本格的なメニューとして出すことになったという。評判は上々という。 そこまで読んで、はっと気づいた。私は高級料理には関心がないし、そうしたものを食する機会も所得もない。だがこうした庶民が普段食べる料理、外食については絶対音感よろしく、絶対味覚に自信を持っている。だから自信を持って「あまりいただけない」と書いた。だが、その信頼を置いている私の舌と味覚が、変わったか狂っていたとしたら、どうだろう。 はっとしたのは私の舌が肥えて、ああしたモノがまずいといったことではない。年齢的に、豚肉より堅い、こってり感のあるタレ焼きの牛肉を好まなくなっていたとしたら、と思いもしなかったからである。これまで老眼が進むことはわかっていても、初めて老眼が出た時みたいなショックを覚えることはなかった。同様、加齢で自分の味覚が変わっているなど、想像もしたこともなかった。 負け惜しみとかいい訳でなしに、どちらの方が正解なのかは、わからない。それがここでの問題なのではない。私が恥ずかしく思うのは、自分がおかしいという可能性もあるといったことをまったく考えず、相手を評価したことだ。相手がたまたま焼き肉丼だぅただけで、これが人間だとしたら、自分のことは棚に上げて、相手をけなしたことになる。このことは老い>ではない。間違いなく私の奢りと油断なのだ 自分が正しいと主張することは、相手が間違いだと言うに等しい。この両面思考を失ったら、私は私でなくなる。深く自戒している。 吉野家さんにも、この場をお借りし一ファンとしてフェアナコメントでなかったことを謝したい。 30日、博多に行くからもう一度食べてみようと思う。
2005.01.26
コメント(0)
ハードのトラブルは、人に直してもらえるが、ソフトは自分で、といよりその自分がお手上げだから、ほとんど直せないとこが、今回のハードデスクのトラブルでわかった。もっともこのことは、私がパソコンについては全く無知である、と言う理由からであって他の人と普遍性があると言うことではない。ソフトの損失とは、おおむね以下のようなモノである。 どこかに書いたが1に、ダウロードで買ったソフト 2に、紙というソフトにメモを取っていた、いわば発想メモなど。 3に、これまでもメール。特に私みたいにメールを防備録、執筆のコンテ、会員ナンバー、シリアス番号といろいろに使っていたが、これが全部消えた 4に、これが一番の損害だ。メーラーごと消失してしまったから、今大事としている訳である。 OSの再インストは、ウインドウズ95時代から幾度もなくやっているし、事前にクズハラからも、バックアップのことは念を押されていたから、CDにやき、さらに外付けHDにもコピーした。ユーザーデーターらしきモノは総べてそうした。 それでこのざまである。12日にハードは生まれ変わってきたが、ソフトの直し作業はまだ続いている。 たとえばアウトルックにインポートというのがある。これはたとえば、他のメールアドレスから、アオトルックのアドレスに取り組メルのだが、それがそれがそう簡単にはいかないのだ。1万以上のアドレスを拾い集めて、インポートする作業が必要だろう、と言ったことが想定されて作られたモノではないことが明白である。 めったにないことだから、手を抜くのでなく、滅多に起きないことだから、起きたらキット大変、といった優しさは全くない。 「パソコンは、パーソナルコンピュウーター、つまり一般個人が使うという前提のモノだが、その意味ではパソコンはまだ一台も生まれていない」、とは沖縄の金 泰源さんにうかがった言葉だが、それから10年も経っている。だが、以前プロにしかつかえない愚品ばかしなのだ。 「自分の無知、自分のうっかりを棚にあげて、なんじぁ、八つ当たり」、と言う人がいたら、その彼はプロなんだ。 使うのは素人であることを忘れる物作りが、存在する限り、どこかで消費にブレーキがかかっている、と考えている。その証拠に、多くの作り手が、まだ売る努力をして入るではないか。物作りの完成とは、売らなくて売れ、説明なしに使えること。これが私の定義である。
2005.01.23
コメント(0)
19日、10時、中小企業大学校直方校へ向かう。 いつもの通り、博多駅校内の吉野家で、最新メニュー「焼き肉丼」を注文する。食べ物だから当然好みがあるから、一概にいえないが一口食べて、これはお勧めでないと思った。ほぼ満席のお客の注文を見てみると、豚丼が8,この焼き丼が0.5,その他が1.5の割だ。その他に牛鍋、や牛カレーが入るわけだが、牛鍋は380円とやすいし、オーストラリア牛を使っており、うまい。私は季節の追い風もあるから、これはヒットすると思っていたのだが、今のところ私のハズレ。もう2-3回見て、なぜじゃを追求してみたい。 時間があったので本屋、ヨドバシカメラを散歩。最後にトボス内のスーパーへ行って、飲料と簡単な弁当を買い込む。16時前に、直方校についた。早々に風呂に入り、駅弁で食事を済ましたところへ、同僚先生達が到着。食事に誘われた。酒もつまみも用意していたが、久しぶりなので一つ返事で同行。それがなんと行き先は「焼き鳥専門店」。今更逃げ出せないので、酒だけでもと。でも鶏以外のメニューもあったので、2-3注文し、これを肴に焼酎をしこたま飲んだ。 部屋に戻ったときには日付が変わっていた。持ってきたビデオを見始めたが、少し飲み過ぎたのか眠くなり就寝。 20日朝。雪、販売管理の机上研修である。全体の流れ、それに31日からの診断机上研修の進め方、MMAPのルールを簡単に話し、あとは班長に任せ、私は工程表や参考資料の作成にかかる。 午後、雪止み太陽のぞく。中心地から車で20分、いくつもの坂道を昇る小高い山の上にある。これまでも幾度もなく、雪止めを受けたことがあり、心配したがこれでまずは安心。 17時終了。タクシー→直方駅→博多駅→川内→車、自宅についたのは22時。それから食事をし、もう4日も借りているビデオを見る。「ツイスター」。2時就寝。
2005.01.19
コメント(0)
S59年に入会した鹿児島工業倶楽部、多忙のためH2年退会。それを友人小城製粉の小城さんが、どういう風の吹き回しだろう、突然再入会の誘い。昔のでしゃばりが、すっかり出不精になっていたが、なぜかOKしてしまった。 今日はその新年会に参加。所属する84プラゼ24名のうち。当時からのメンバーは藤崎食品の藤崎さん、デザイナーの森重さん、アフファテックスの吉田さん、坂元酒造の竹之下さん、それに小城さんを入れて5名。後は私が退会してからのメンバー。初対面の人には挨拶もできない私にとっては最初は地獄の思いであったが、だんだんなじんできて、アルコールが入る頃にはすっかり昔の雰囲気に浸れていた。 ふるさとを長く捨てていた私に、この84プラザの人たちは優しかった。帰りは、JRの切符をすて、小城さんが車で家まで送ってくれた。車中1時間、10年のご無沙汰を埋めるように二人で夢中に話をし、あっという間に川内についた。 まるでタイムカプセルをあけたような1日であった。感謝
2005.01.18
コメント(0)
12:05分発に乗るためには、青森駅10;30分で十分だ。だが今は全く降っていないが、天気予報では大雪。それで9時20分のバスに乗り、早めに空港へ行った。手続きもスイスイいき、12時までどうしようと、ベンチに腰掛けたとたん、場内放送。同時に案内にパラパラと欠航のマーク。JALのデスクで、羽田までJAで行けば、一便遅れの羽田-鹿児島、17時発には間に合うとのこと。また空港バスで青森駅に引き返し、ぎりぎり5分の待ち合わせで八戸までの特急。 途中三沢空港から羽田、という手もあったな、と思ったが、こちらも青森市内ほどではなかったが結構降っている。 4時間余、車中は、文庫を少し読み後はほとんど寝たまま東京へ。 羽田に着いたのが16時30分。ところがここのカウンターに情報が伝わっていないとか、らちがあかない。 「青森空港が封鎖されたので、JRで羽田まできて、一便後の17時で羽田ー鹿児島」と繰り返し説明しているのに、「その便はすでに満席です」と繰り返すだけ。おそらく20分前に空席待ちを入れてしまってためと思われる。 上司に相談するといって席を外したりでもたもた。そして曰く「もう20分を切りましたので、17時にはお乗りになりません。最終便に」。 冗談じゃない。青森ですでにチェックインしている。それを「私の方では、状況がつかめませんが」とか、上司に確認のため離籍し、時間を経過させたのは、当人なのだ。 それを「払い戻しをご希望でございましようか」に至っては、もうあきれるのみ。 結局、クラスJで18時55分、最終便に乗る。 鹿児島空港へ着いたのは21時。幸い、最終バスに間に合ったから帰れた。もしこの機が10分遅れたら、空港に野宿だった。帰宅は23時。 雪での行き違いは仕方がないが、人の対応のまずさでの行き違いは、困る。それも自分たちのマニアルに従って、言葉をはき出すことを優先し、お客の言っているいることをつかもうとしないためである。 行きに羽田→青森便で、文庫本を忘れたことを2日後青森空港のデスクで告げたら、見つけてきてくれた。彼女もJALのお嬢さん。「みつかって、よろしかったですね。」、そのマニュアルにない笑顔と言葉で、実に気分をよくしたばかりなのに。青森と羽田の違いか。「人」の違いか。忙しさの違いなのだろうか。 非常口席で、水とパソコンのはいったリックを「お膝に抱いていてください」といわれたので、そうしていたら、別の乗務員から、「膝に抱いておられたら、緊急時の姿勢が確保できません」としかられた。 ではどうしたらいいのか、は言わない。こうしたことはしばしばである。非常口はこちらが希望したわけではない。 それを安全確保を人質に、乗客に「失礼と混乱」を辞さないJAL.職員の再教育が必要ではないか。
2005.01.17
コメント(0)
大雪の青森。13日、1時間遅れてホテルに着く。30分床屋で頭を涼しくしてから、スーパーで総菜と飲み物を買い込み、あとは部屋で引きこもり。 ちょうど「グロリア」をやっていたので、もう何度も見た作品だが、みた。リメイク版の方だったのが、ちっとがっかり。 13日の鹿児島空港の荷物係のお嬢さんはおもしろかった。「割れ物も、貴重品も、リックに移していますからね」と私。いわく彼女。「ありがとうございます。ところで割れ物、貴重品はございませんでしょうか」。 14日の青森駅ターミナルビル、トンカツの「サボテン」もゆかいだった。 店員「あつあっのできたてトンカツ弁当です!」 私「12月3日、そうあなたが言っていたので買ったら、冷たかったよ」 店員「それでは、5分お待ち頂けますか。揚げたてを差し上げますので」 こうしたことは、町を歩くといくらでも拾える。 人は無意識にも、意識的にも、言葉を専攻させ、現実との乖離を無視する。進歩のための努力とは、先行する言葉に、現実を近づけることなのだろうが、肝心な現実を見ようとしない。人の話をきちんと受け止め、自分の言葉に対応させることをしない。14-15日、青森の南部地区、田子町での白圭塾。 早速そのことを教訓に、進行、自分の話、対応を、受講生の反応に対応させながら、話の中身を変えたり、リズムを変えたり、といったように受講生の反応を中心において、やってみた。机上で作成した通り、ゼミを進める、用意した通り話をする、こうしたことが、いかに不条理なことが改めてわかった。 その意味では、予定通り、つつがなく、計画に寸ぷん違わず、計画完遂、といったことが、いかに現実を無視し、本来の目的からはずれたものであるか、がわかろうというもの。 自分の考え、計画をつつがなく通すことが、目的ではない。相手の目的を充足するためには、どうしたらいいかが肝心であって、こちらは自分で用意した戦術xといったそうしたことに縛られてはならないのだ。 15日17時、ホテル着。駅弁ですます。夜景を肴に、カップ酒。孤独感に浸れるのも、至福。
2005.01.16
コメント(0)
髪がぼうぼうである。とはいっても3分刈りのスポーツ刈りだから、他の人からみたらこれでも短いのだが。幼児の頃は覚えていないが、いくら人から挑発されても、長髪というのをやったことがない。だから少しのびると、冬季でも気分が悪くなり、のびてしまいそうになる。 だから毎月いくわけだが、昨年は6回が青森、3回が新潟・十日町、1回が徳島と博多、鹿児島市でである。このようにほとんど出張先というわけだ。青森と博多をのぞいて、いくところは決めている。とこや!(どこや)いうと、高松は、お茶の亀屋さんの近くの「イトウ」さん、鹿児島市ではホワイトといったように。 ところが青森だけは、ここ4年間、床屋をとこやとかやとたずねまわってはあっちこっち体験するのだが、どうも気に入ったところがない、気に入るどころか腹が立っことが多い。 青森はタクシーは、実に親切でハズレがないのに、どうして床屋だけはいいとこないのだろう、ふしぎでならない。 4000円出して腹が立つのなら1575円だして腹立てたほうが、2000円のとこや(とくや)、とおもってここ3回は1575円床屋へいっている。できが悪かろうと、いやな思いをしようと、帰り道、一人こういうのだ。 「髪売って、2000円もうかったやん」。 そしてホテルへの帰り道、さくらデパートの地下で、2000円のワインと425円、相当分の肴もうかって、またつぶやく。 「これ、4000円床屋へ行ったとしたら、ただだもんな」。 明日は、その青森。雪の青森だ。昨年12月3日、青森のそこへいったきりでぼうぼうの頭、今日まで我慢していたのだ。 明日だ。明日。雪の青森でチェーン巻いた靴はいて床屋にいく。ところでその床屋、なんていうとこや!(名前や)。 ところで、正月過ぎから歯が痛い。私の歯のかかりつけは新潟・十日町鈴木歯科医院。どんなに痛くてもここにいける日までで我慢する。我慢する歯科、仕方がない。それぐらい鈴木先生を気に入っている。 だが少し遠いから、新潟の仕事があるとき歯科いかれない。だからなかなかいけない。行くには新潟に仕事を見つけなければいけない。「オーイ、新潟の皆さん!」と、大声を上げたいところだが、新潟、大地震で私の歯どころではない。「歯科たない」と我慢している。 おそまつさま。
2005.01.12
コメント(0)
「忙しいから、日数かかるよ」といっていたクズハラだが、翌日には、「なおしたから。でも持ってくる時間ないよ」ということで、我がパソコン、1日で退院。 体は復調したが、中は空っぽ。これを復元するのに今日で3日目だが、まだ完全には遠い。 あれほど入院に先駆けバックアップ、とっておいたつもりなのに、肝心な所で大きな漏れがあった。そのさいたるもの1。ダウンロードで購入したソフト。これのBCを忘れていたこと。この打撃は大きい。 2にメールだ。私はメールに、あらゆる会員番号、シリアスナンバー、メモ、予定表、それに執筆のネタなどを保管しているやり方をしているから、これを失ったことは驚愕だった。デスクを2つに分けているので、当然サブの方へストックするように設定していたつもりだったのだが、一度手裏剣を再インストしたとき、メインに戻してしまっていたのだ。 この衝撃は大きい。 3にホームページ。これは失っても、ダウンロ^ドすればいいのだが、これをダウロードする前に、アップやり、正常画面の方を上書きで消してしまう、というチョンンボをやった。 この心痛は小さくない。 打撃が大きければ、反省も大きい。反省が大きければ対策を真剣に考えるから、少しは知恵がつく。こうして人は進歩発展するのだから、と無理に自らを慰めにかかるのだが、気分は収まらない。 トラブル後、衝動的にバックミラー専用のソフトを予約していたが、大損した上に出費を上積みしていては、反省がたりないと、妙にまじめになってこれを取り消した。 金のかからない方法、いや抜本的になにか革新をはからなくては、と一心不乱に考えている。それにこうしたパソコン不調で、仕事は大幅に遅れた。締め切りに間に合わないおそれさえ頭をよぎる。 頭がふやけてきたので、例のマキオ(商業界執筆したことある独立系パワーセンター)が、川辺に出店。工事に入ったと、社長の牧尾さんお年賀状にあったのを思い出し、みにいくことにした。ゆっくりゆっくりの片道2時間。久々の外出である。途中、道の駅をみたり、地元スパーをのぞいたり。なんだか元の野生感を取り戻した感じになった。 内にこもりすぎ、現場を離れすぎていた。うちにこもった分、世間の広さが見えず、こうしたトラブルが起きる土壌を作ってしまうのではなかろうか。 これが私にとっての最大の反省点である。革新の方向がぼんやり見えて。迷い、トラブルは、戦略、あるいは理念、人の生き方のレベルの狂いが、先述としての誤りを多発させるのだ。そのことに気がついた。 さあもういくつか寝ると13日、青森だ。白圭塾。 今日で私のお正月はおしまいだ。
2005.01.09
コメント(0)
12月頃から不調だったデスク用のパソコンが、とうとう昨日kuzuhara病院に入院。そのトラブルとデーターの引っ越しのお正月でした。 のろいノートで仕事やればいいのですが、そこは怠け者のことゆえ、仕事を投げて、焦る気持ちを一方に、積ん読本の片づけを始めました。おかげで3日で5冊、読了。 その中に今後の研究課題を発見する事項まで見つかって、まさに怪我の功名でした。 我が家、超高齢化の典型。義父が86,義母が82,千葉にいる父が89。お正月は明るくなりようがない。(^_^) 先が短いと、先の話が話題に出来ない。今年の大晦日でも、皆の先の夢話に乗れない義父が怒り出し、大騒ぎになりました。 その点、新しいもの、若さは、いかような可能性をそこへ込めることが出来る。本来の希望、夢というものは無制約の可能性を意味する、本来はそういうものなのに、という思いが、恋しくなる今年のお正月でした。 制約は方向性、エネルギーの集約といった面から欠かせない条件です。ですが一方、本来の希望、夢を暗くする「しばり]になってしまっては、これ本末転倒になります。 人間いくらわがまま、欲の突っ張りといっても、手にいるもの、希望と夢のごくごくごくごくごく一部に過ぎない。それ以外の可能性、広がりは無限だから当然です。 だが個々の命という制約は、そうした夢を見ることすら制約を付けてしまうのでしようか。その苦悩は、彼、義父にしかわからない。それが彼のいらだちだったように思えます。 そういっている私にも30年たたないうちに、それがくる。 しかし本来夢は、限りある命という制約に拘束されるものではないはずです。自分は個、個である全体の方、つまり「自分以外」の方が全体を占めているのですから、その夢をその全体へどんどん広げる。逆に全体の夢を自分が取り入れる。 こうした考えがなければ、たとえ大家族に囲まれて、看取られるにしろ、夢半ば、夢挫折の悔悟と寂しさからは免れ得ない。としたら、未来と他者に夢を託す、そこに楽しみを見いだすことも必要では、とお思いました。 自分の手を離れ、他者にわたったとたんから、それに他者の希望、夢が加えられるだけでなく、さらに具体的なものに進化していくはず。それも思いがけないものに。それが無性の楽しみに、なんとすばらしい、といった境地に巧みなく入れるようにしたい、これが私的な年頭の所感です。 仕事では私が、以前から考えていること。作り手・売り手対買手・使い手の2極にだけのマーケットはもうとっくに終わっている。これにいわばもらい手・味わい手まで、加えた理論、食べ物で言えば、作って、売って、買ってまでのマーケッティングでは、もういけない。これに食べて、排泄して、まで含めたサイクルマーケッティング。これをいっぱい事例を収集し、実験し理論化することです。 人の力も命は限りある。だからこそこれを他者とリンクさせ、未来へつなげる、ということ。これが企業の存続し続ける。これが「こと」の本質ではないか。 これがHP、トップに掲げた今年の私の経営課題です。 月並み、今年もよろしくおねがいします。田上康朗
2005.01.06
コメント(0)
「謹賀新年」と書こうと思ってキーを叩く。なんどやってもオリンピック選手のコメントみたいに、金(キン)が信念」としか変換されない。 この金を、カネと読めば、私の今年の目標になりそうである。(^_^)。昨年は、さすがに生活、苦しかった。妻に言われなくとも、金が信念にしたい。 昨夜は2時まで、メルマガの配信作業をしながら、心、頭に浮かんでくる、こうしたことを含めて、さまざまな思いを、走馬燈のように回しながら、思いに更けた。 シンシンと夜が更けるにつれ、窓の外の遠い灯りがポツン、ポツンと消えていく。皆、どんな思いでお正月を迎えたのだろうか、どんな夢を見ようと床に入ったのであろうか。 人それぞれの心の思いを覗くことができたら、面白いかも、とそんなたわいもないことを考えながら、時折コップの焼酎を口にする。 一括配信ではなく、お一人お一人のアドレスをクリックしながらBCへ移していく。お一人お一人にコメントを書きたい気持ちなのだが、配信数が増え、それが出来ないので、せめてクリックする毎に配信先の方々へ、思いをはせたいと、頑固を続けている。 これ、ハガキ時代は当然に、そうしていたのだから。 個々それぞれの思いで生きている。しかし作り手・売り手は、そうした個々の思いへの対応は、早々に断念し、画一化という方向を選択し、今日まで経済を推し進めてきた。だがその功績・実績と、個々の買い手・消費者の個々の思いの充足とはまったく異なることなのではないか。、この乖離はほとんど縮まっていない。ここにこれからの楽しみ、私の課題、展望がある。酒のおかげで気分壮大な気持ちになって、床についた。「俺、一人でもいいじゃん。息の続く間につかめることなくてもええわな。これで今年もいこ!、付録に金が信念ちょいとつけたろか」。 ふっきれないまま寝入ってしまった。
2005.01.01
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1