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席を譲った高校生たちの話の続きである。 ああ、あまり書きたくない風景である。 高校生たちが席を譲ると、 立っていた乗客たちが高校生を、邪魔だとばかり 押しのけ席を取り始めた。 中には2つ取り、荷物を置き仲間を呼ぶ者もいる。 誰一人、彼女たちに謝意を示す大人はいない。 取り立てて珍しい光景ではないだろうが、 直前の子供達の態度が目に焼き付いていただけに そのことが気になった。まるで部外者のように 目をそらし窓外を見ている、この自分を含めて この大人どもをどやしたくなった。 席を譲ったのが、大人だったらどうだったろう。 席を譲ったのが知り合いだったらどうだろう。 そう考えるとひょっとしたら、 彼女たちが子供だったから、「ありがとう」が出なかったのでなかろうか。 「大人としてのメンツがあるからね」。 しばらくそのことを考えていた。 無意識に私たちは自分が取るべき態度を分別している。 はて、何を基準に?だろう。 さらにそうした場合、常に自分を蚊帳の外において言うのだ。 「(自分の時代と違って)最近の若者は、×、×で困ったものじゃ」。 「(自分はさておいて)あいつらは、親の躾がなっとらんのよ」。 「(自分はおかしくないが)、昔と違って教育そのものがおかしいんだ」。 上の3つに共通するものは、 1に、自分を蚊帳の外においている、ということ。 2に、1つの具象を、「みんな」そうであるかのように匂わしていること。 みんなが、といったとき、そのみんなはけして100%を 意味することはまずありえない。 時には、自分一人がその「みんな」であり得ることは、 「日暮硯」にあるエピソードのとおりである。 ここに人間のもつ哀しさがある。 否、自分の哀しさである。 この哀しさから免れたかったら、あらゆる出来事から 何かを学び、糧を得るとする、人間としての たくましさ、しぶとさであろう。 人は、どうしょうもない哀しさをもち、 たくましさ、しぶとさももっている。 この組合せの中で、 人生を織り成している。
2014.01.31
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先日のこと。 鹿児島市からの帰り21時過ぎの鈍行列車に乗った。この時間帯のことだし、しかも発車7分前である。 3両の列車は満席で立ち席にも人が溢れていた。その車両のほとんどは女子高校生たちが席を占めていた。 一カ所だけ鞄を置いてある席があったので、...そこそこ酔い疲れていた私は、ダメモトと思い、 「ここ空いてますか」と尋ねてみた。 鞄の隣席の女子高校生は、少し当惑したようだったが、だまってその鞄を自分の膝に。その膝には当人の鞄がある。そうか。友達のために席を取っていたんだと思いながら、 「おられるんじゃないですか」と言いつつも、へたり込んでしまった。その直後、トイレに行ってたらしいその鞄の持ち主の女子高生が帰ってきたので、私は謝って席を立った。 「いいです、どうぞ」、とその子は小声でいった。 驚いたのはそれからである。 3人の女子高校生たはお互い目で合図をすると、 一斉に席を立ち始めた。そしたらなんと隣の席の4人も。その隣の席の4人も。こうして座っていた女子高校生たちはみな無言のまま、まるで示し合わせたみたいに、 立っている大人たちに席を譲り、 席を立ち始めたのである。 その光景は、つい先程天文館のネオン街に座り込んでいた同年配の少年や少女を見てきただけに、 感激であった。 席を譲られて助かった、嬉しかったという類とは違う感動を覚えた。こういう子たちもいる。こういう高校生たちもいる。 一緒くたに、 「最近の子どもたちは云々」といった見方を、どこかでしていた自分が恥ずかしくなった。 偶然、この車両に乗って、すばらしい体験ができた、と嬉しかった。 「すてたものじゃないぞ。この日本」。 大袈裟なと笑われるだろうが、事実そんないい気分になった。
2014.01.30
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その理由は、の前に、もう少し「ながれ」を書いておきたい。 どんな仕事をしているときでも、 メールが1つ入ったら、切れの良い時をまち 開く。見る。フエイスブックもそう。 見てその瞬間、直感的にその場で返事を書くか 書かないか判断する。 書くと判断したものは、その場で即返信する。 そうでないものは、次にひらいた時に返事を書くか書かないか判断する。 こうして2-3日中には返信する。 あえて返信しないのも、むろある。 どちらかと言うと気分で判断。 それは義務感や律儀だから、といったものではない。 そのメールで示唆を受け、触発されたこと (それは発信者が意図しないものをも含めてだが)によって、 発想やヒントが生まれるからである。 私が文章の90%は、こうした直感、閃き、隻句、 こうしたものが元になって生まれたものである。 こうなると、古典とか小説を別にして、 たとえば経営の本などほとんど不要になる。 友人らのメールが取って代わって、 有り余る貢献をしてくれるからである。 こうして私の事務所から専門書が消えた。 これは少し理を補足しておきたい。 私が本に求めるのは、そこに書いてあるノウハウや言葉ではない。 既述したとおり、ひとことでいえば「刺激」なのである。 あるいは「思想」なのである。 専門書はその点、もっとも劣る、 しかも人間性が欠如している、 情報としても古い、 普遍性に欠ける、というのが以前からの私の理解である。 それでも専門書を買っていたのは、白状するが、 私の他人に関するスケベ心とのぞき見への好奇心、 それにミエ以外なにものでもない。 文章に主語と動詞が入らないものは、 私にとってはなんの足しにもならない。
2014.01.28
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文章は、うんうんうなって書けるものではない。達観したような言い方をしているが、文章を書くときはいつも反省を込めて、そう実感している。どうしたとき書けるかは、はっきりわかっている。外部からの刺激だ。これを分解すると喜怒哀楽である。喜ぶこと、怒ること、悲しいこと、楽しいこと、これらは間違いなく外部から受けなければ、内部から勝手に発生できないものである。 だからパソコンがない頃、この期のように仕事が無く外へ出ない日が続くと、「暇だから一つ、執筆となりを」と思う意欲はあっても、ほとんど書けなかった。他の人から見たら、飯の種にもならない文章だが、私にとってはそんなことはどうでもよく、とにかくどんどん文章が、出てくることは、実に快感であり、嬉しく、楽しいことなのである。出てこないと気分が悪い。だから、「うんうん、唸って」という状態はいやだ。避けたい。そんな気分で書いても、ろくでもない文書になるに決まっているからだだ。そう。ちゃんとした文章になってくれなければ、私の場合、困るのである。さて前後したがその理由。私が文章を書けるのは、講演ができるのは、オリジナルのアイデアが浮かぶのは、今や、パソコンのおかげ。とくにメール、そしてフエイスブックのおかげといってまちがいがないのである。以前、メルマガ「白圭通信」にも書いたが、このメールのやりとりを、定型文や打ち返しですます。フエイスブックの書き込みをできるだけ短く、といったことは、私にとっては、最大のもったいない話、機会損失になるのである。なぜか。その理由は、の前に、もう少し「ながれ」を書いておきたい。続く。
2014.01.27
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「千脳会」の当初からのメンバーの一人に立野さんがいた。 兄とソニショップをやっていたが、やがて独立。 今の風変わりな店、「音の小屋」を創業。 友達と一緒に手作りしたログハウス、丸太小屋の店舗 電気屋のはずなのに、電気商品だけでなく商品はない。 「こちらで用意した商品を売るのは気が進まない」 というのがその理由だ。 だから、今では本人も自分のHPに書いているように、 お客が欲しいものを取り寄せている内に、 店がどんどん変わり、何の店かわからなくなってしまっている お客から頼まれてから仕入れる。 お客からこんななものがほしい、といわれたら そのお客様にとってベストのものを、徹底的に話し合い 決める。そして発注する。 けしてお客様の言いなりなどではないのである。 「在庫をおいておくと、その手持ち商品を売りたくなりますからね」。 自分が好きなことを仲のいい友達と楽しむ、 その仲間達の困ったことに少しでも役に立とうとして 15年ぐらいたってみたら、こうした店に。 そして今になってみたらこんな店にと変わったということである。 変わらないのは、立野さんの自分の生き様が、 お店そのものということ。 そうしたか彼の生き様は、私の理想に近いから、 いつも彼をうらやましく思ってきた。 私は、営業をやらない営業を探求しながら、 しばし営業くさくなって、その心のゆらぎに、 自分が嫌になることがしばしばだったから。 彼の「相手に合わせて自ら変わる」信念は変わらない。 その姿勢さには感嘆していた。立派である。 お店というものは、本来そういうもであろうに、 と今の私は確信し、その「本来」を、 普遍的な原則として見直す作業を、続けている。 ところで、今年の私のスローガンは「解く、緩める、遊ぶ」 そして「定義の書き換え」である。 ちなみに昨年は、 「縛り、こだわり、囚われからの開放」 過去と今に縛られない生き方をしたい、とする いわゆる本質の追求と本来へ戻る、とした 私の決意の一環である。
2014.01.26
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思うことあり。少し昔の話を記したい。 S57年12月に、東京から川内(現在 薩摩川内)へユータンした。 郷里といっても当時、両親は千葉、兄弟も千葉。 私自身、川内には幼稚園時代しか住んだこともない。 だから、親戚を除けば知人、友人も含めて 人脈ゼロの知らない土地である。 初めての土地、それも人口7万。 住まいは町から7キロも離れた山里の農家のど真ん中 26世帯、平均年齢76歳の限界集落に住み、 経営コンサルタントを開業したのだから、 今考えてもぞっとする。 しかも粋がって、月20万前後の失業保険も一切もらわなかった。 当時13万もあったら、一家4-5人は悠々生活できた時代である。 わずかばかりの退職金を叩きながら、 それでも、じゃんじゃん電話がかかってきて引っ張りだこになると ほんとうに信じて、私は毎日本を読みながら、 絶対来ることのないお客を待っていたが、 1年たっても間違い電話以外ならない。 さすがに、これではいけないと思って、 S60年、経営の勉強会「千脳会」を、 犬の主治医桑原先生の所属していた青年会議所の仲間に 呼びかけてもらって発足した。 それが、最盛期は50人ぐらい。 鹿児島市にも支部を創るほどに大きくなり、 鹿児島銀行の支店長も代々メンバーに加わるなどの大きな組織に発展。 13年続いたが、私が、北海道、宮城県、新潟県、香川県を 中心に、全国から声がかかるようになり、 また塾生がそれぞれ多忙で、なかなか時間調整がむつかしく、 定期開催は無理になり、現在開店休業中である。 ちなみにやめたわけではない。 声が掛かるまで、やらないだけである。
2014.01.25
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石原慎太郎の若いときの作品に「狼の王子」という小説がある。その中で、「幸福は固まりではない。ガラスの破片みたいな小さな喜びを拾い集めることだ」といった意味の文章があって、飛び上がるほど興奮した。そのあと、同名で映画化された。1960年の頃だ。その言葉を求めて、この映画も見に行った。監督は舛田利雄、主役は高橋英樹、その恋人 葉子役が浅丘ルリ子。で買い物帰りの葉子が、子どもたちの縄跳びに引きこまれて、輪に入る。夢中で、飛んでいるうち買物袋を落とし、牛乳瓶が粉々に。それを拾い集める葉子。ここで葉子は気がつくのだ。ヤクザから追われて逃避行している薄幸な二人。それでも幸せを求めてここへ来た。「これが幸せなのだ」。まあ詳細は映画なり、小説に譲るが、「ほんとうにその通りだ」と。それから40年余経て、これが、私の口癖「日常性の中に」が生まれたのだ。嬉しい事、幸せなこと、となにも形容詞がついてやってくるわけではない。 「こと」、様々、次々、あれこれ、絶え間なくやってくる。これが諸行無常のこの世である。それに「良い」とか「悪いと」とか、「うれしい」とか「哀しい」とかこの世にあるおびただしい形容詞の中から、1つを選択し、つけるのは人。いやこの自分の選択なのだ。そのつける基準も自分が作ったもの。だから、例えば「うれしい」と言う形容詞を選択する基準のレートが高ければ当然、低い人より「うれしい」の数が減じる。その責任もまた己なのだ。としたらうんと基準を下げて、すなわちどんなちっちゃなことでも、さらにまた自分のことだけではなく、人様の分も取り込んでのレートにしたらどうだろう、と考え、やり始めた。そうしたら、何も特別なことのない日常の中にある、ある、ある、ある、ある、ある、ある、ある。なにせ他人は、自分以外の全部だから、それを取り込むと、ある、ある、ある、ある、ある、ある、ある、ある。この世の日常の中には嬉しいことの破片でいっぱいなのだ。無論、「嫌な」を選び、「こと」に付すれば、何も特別なことのない日常の中にある、ある、ある、ある、ある、ある、ある、ある。なにせ他人は、自分以外の全部だから、それを取り込むと、ある、ある、ある、ある、ある、ある、ある、ある。
2014.01.22
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過日のこと。 「専門バカと専門外」についての ちょっとしたエピソードがあったので、先週はじめから 朝、早起きして、ここで書き始めた。 だんだんその題材に引き込まれ、 おもしろくなりつい、ふくらんできて長文になった。 そこで、これを毎月発行している「白圭通信」へ回すことを考えている。 以前はメルマガを2つ発行。HPが2つ。 掲示板が6つ。ブログが3つ。 ほぼ毎日これらにカキコミをしていた。 「そんな暇あったら、ちゃんとした書き物できるでしょうが」、 と親しい友人から言われたことがある。 それは違う。 私は、これらに書き込むことで、それが膨らんで、 また自分が魅せられて、ここからほとんどの執筆が生まれているのである。 これまで原稿用紙やワープロ時代まで含めても、 まとまった固まりとしての原稿書きしたことはない。 日々気づいたことをメモやテープに断片とし記録しておく。 それがふくらみ、コラムになり、それがまとまったら本の執筆となる。 こうしたやり方で、分筆・共著を含めて20冊の本を出した。 自費出版が別に3冊。 これから残された一生、半年に1冊は出せるだけの断片稿は、 このパソコンに十分ある。 これからもさらに加え、かなりの分量になるだろう。 この文章だってその一部である。 どう生きようと死ぬまで生きているのだから、 その生き様のスケッチが、私の場合は、分厚い書物に 別枠に時間を確保して書き上げるといったやりかたでなく、 日々生活の中で、数行程度、パソコンのアッチコッチに、 メモや日記風に記録する、ということだ。 なにも誇るつもりで書いたのではない。 仕事を仕事として別枠で生きるとしたら、 時間いくらあっても足りないが、 日常の生活として仕事も含めてしまえばどうだろう、 と言いたかったのである 石原慎太郎の若いときの作品に・・・・・・。続く
2014.01.21
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昭和61年から15年続けていた某大手メーカー主催の傘下小売店を対象とした「小売店繁盛セミナー」を録画したビデオが、当時参加されたメンバーの一人Sさんから送られてきた。 彼は、当時小さな電気屋さんで、店の片隅でたばこも売られていた。当時の年商が6000万円は無かったように記憶している。それが今、バラエティストアに成長し、もう少しで6億に届くという。私のこのHPを偶然見て、懐かしくなってお便りとそのとき、主催者に頼まれて撮影したビデオを添えておくってくださったもの。 そこには40代後半ぐらいの私がいた。懐かしい。ビデオはもちろんテープも、写真すら自分の分は、全くと言っていいほどない私にとっては、照れくさいがありがたい。事実このセミナー参加者の中から、多くの繁盛店が輩出したことを思えば、その証拠・根拠にもなる貴重なものである。 「事例が示す2年で3倍販売法」といったタイトルで、事例を示しながら繁盛の原理を説く自分自身に再会。今の私は理屈が多くなっていることに気づき、思わず最近の私の方が恥じ入ってしまった。 Sさん、ありがとうございます。お言葉に甘え、おっしゃるとおりのご趣旨どおり、あなたの後輩たち、小さなお店の店主達のために役立たせて頂きます。
2014.01.20
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最後に、繰り返しを恐れず、整理しておきます。赤ちゃんが,ハイハイをする。この行動の繰り返しで手足の筋力が付く。赤ちゃんはハイハイで、むやみに動いているわけではありません。その行動は、常に目的です。お母さんの方へ向かったり、おもちゃ、それが時には熱いアイロンだったり。タバコだったり。時には縁側の外の景色が珍しいので縁側に行き,落っこちます。そうしたことも含めて、動きは目的的です。これが行動。行動には目的がある。意味がある。そうした行動の積み重ね、そして組合せ、これを過去形でいうと「経験」ということです。ところが、お父さん、お母さん、周囲の人たちは時としてこの赤ちゃんに、別の目的を持たせてしまいます。ハイハイから脱して、早くヨチヨチさせたい。それで、昔と比べて最近は、このハイハイ期間が極端に短くなり、このことで、両腕、両足等の筋力がつかないまま、幼稚園、小学校へ。それで、転ぶ、立ち上がれない、骨折、脱臼といったトラブルが多発している。経験不足ということですね。社長の息子が、いきなり専務。これと似ていますね。こうしたことは行動の積み重ねから、脳の中に形成された一種のパターン、あるいはここではノウハウと呼んでもよい。経営ではフォーマットとかスキルとか言っていますが一般的には、これを「知恵」といっています。 実はこの知恵は、行動なしには生まれないものなのです。行動することで知恵が生まれる、ということになります。くどいですが、とても大切なことなので繰り返しています。また「考えること」もまた行動抜きではできません。なぜなら、考える材料は外部から脳の中に取り込まねばならないからです。この取り込み作業を「学習」、取り込まれるものを「知識」といいます。このいずれを欠いても、進歩発展ができません。企業などの業績が停滞したとき、いきなり頑張ろうではなく、上のサイクルがうまく回っているかどうかを、チェックしていただければ、と考えています。(了)
2014.01.19
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入手する情報の、量、質も含んでの違いは、 動くことによってその差がでる。 動いた量に正比例して、使う脳の面積も変わってきます。 動くことで行動した範囲のものを立体的に観察できる上に、 視覚だけでなく聴覚、触覚、嗅覚が加わるのですから、 この4者に大きな情報の量,質の差がでるのは当然です。 つまり脳力の差は、実は行動の差なのです。 ここが大切なことですから、頭に止めておいてください。 そうそう。メモを取る行動が加わると、忘れませんよね。 メモしたことを、もう一度みるために記す、というより 記すという行動により、記憶力の補強しょうというのが メモの主機能だと、私は思っています。 身体のどこが動くにしても、脳は細胞を作動させ、 身体体の各筋肉や神経を動かす指令を出し、 また動くことで新しい情報を入手し、手持ち情報の在庫に加える。 これ(手持ち情報在庫+新情報)を整理、統合、加工し、 優先順位の吟味を行った上で、新たな指示を発する。 これが脳の進歩発展の構図、すなわち脳の仕組みと機能なのです。 ということで、繰り返しますが、 動く人と動かない人とでは脳の使いが断然違い、 脳の進歩発展のスピードにも格段の差が出てくるのは当然です。 断定的な言い方をすれば、脳を動かすというのは「行動すること」。 これに尽きるのです。 動いているかぎり、意識せずとも脳を使っていることになる。 のですから。できるだけ動きを増やす。 さらに日常の何気ない、無意識的行動を、意識に上げて行なったり、 新しい行動(体験)を付け加えたりすることで、 脳が使われる範囲は広がり、回線のスピードはますます早くなる といったこと、これが脳の活性化、進歩発展になるのです。 ちなみにこれを意識的に体系的に体得しようというのが、 「脳力開発セミナー」です。 ここではただ考えるという(ロダンの)「考える人」ではなく、 行動すること、これすなわち考えること、ということを ワークで徹底して、体得していただきます。 さらにこれを経営に応用して事業を大いに伸ばそうという勉強会が 「タノウエ脳力経営塾」です。 続く
2014.01.18
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「あいつにはかなわねぇや。すごい情報力だよ」といった場合、その差、違いはどこから出るのでしょう。そう。動いた、動かなかったかですね。3パーセントと30パーセントの差は、第一に「行動の違い」なのです。部屋の中に、4人の人が椅子に座って、その部屋にある唯一の窓の外を眺めている、とイメージしてください。Aさんは、座ったまま窓を観ています。ですから、窓の枠の大きさ分しか、外は見えません。その見える量を、かりに3%とします。Aさん、つまり3%の人は、窓の枠の範囲の脳しか使っていないことになります。Bさんは、腰を持ち上げ立ち上がって窓の外を見ました。この行動によってその窓枠が少しだけ広がりました。これによって、彼はAさんの10倍、すなわち30%の情報を得たことになります。Cさん、60%の人は手と足を使って、窓に近づき、窓の外に身を乗り出し外の見ます。これによって、彼はAさんの20倍の情報を得ました。さらに、Dさんはこの家の人の案内で家周辺を見て歩き、さらにわからないことをその人にあれこれ質問しました。つまり、手と足の行動に加えて口や耳も使ったわけです。当然、彼の得た情報はCさんを上回ります。このように、全身の部位を動かし、働かすことで、使う脳は大きく広がります。入手する情報の、量、質も含んでの違いは、動くことによってその差がでる。まず、このことをご理解ください。続く
2014.01.17
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行動とはいっても、 ただむやみにそこらを走り回っても、 かかるエネルギーが無駄になるばかりか、 成果は得られません。 ではどうしたらいいのでしょう? ここはどうしても行く方向、ゴールが定まっていること これが不可欠になります。 このこと、わかっているようでわかっていない。 やっているようで、やっていない。 「今、◯◯をしている。それはなのため?」 ということなのですが、これでは弱いのです。 今、釣り船に乗っている。それは少しでも早く、札幌へ行くため、 って、おかしいでしょう。 先にゴールありきです。 「このゴールに達するために、今、◯◯をやる」 脳力開発では、戦略ありて戦術あり、と言っています。 まず、行動は、行動するという以前の問題として、 元々「成果を得るため」という目的志向的なものだ、 とお考えください。 そこで3パーセントと30パーセントの差、違いが出る 第二の理由として、 「目的志向」を挙げ、述べることになります。 目的があるから、今やることが決まる。方向が決まる。 脳力開発では、この行動の持つ目的志向を さらに強く打ち出すために、『戦略を確定する』 といったいい方をします。 ここで「戦略」はゴール、目標と置き換えて もらってもいいと思います。 まずゴールを決めて、行動する。 ゴールが42.195粁先、つまりマラソンの場合と、 ゴールが100メートル先、つまり百メール競争とでは 当然、「走り方」が違ってきますよね。 この「走り方」が、戦術です。 続く
2014.01.16
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青森の若山先生(税理士・若山経営社長)に、お招きいただきほぼ6年間、青森県下でセミナーや講演会などに夢中していた私が、一区切りつき、鹿児島へ戻ったとき。まさに私は、「浦島太郎」私を知っていた人たちの多くは、現役から引退。今、知らない世代へ替わっていた。その引き継ぎ内容の中に、「私のこと」は含まれていなかったのです。それまでの私は、その程度が私であったことにも気がついていない。 つまるところ、井の中の蛙。脇の甘さ、油断だらけ。うかつ。脳天気で、青森だけではない。いい気になって全国を飛び回っている間に肝心な地元のこと。初心「ふるさとに帰って、ふるさとのためになにか足跡を残したい」は、最初だけで、夢中の仕事にかまけて、できていなかった。最初は、愚かなことですが「なんでやろ」」とほんとうに首を傾げていました。かしげている内に、こうしたことに気がついて、とても嬉しかったですね。理由が明確でない、わからないと不安でしたが、わかると、実に楽になりました。端的にいえば、仕事量を減じて値する値以上の仕事をやればいい。引退した人を追うのではなく、現役の人の縁を構築していけばいい。ただ、これは天が与えてくれたチャンス。元の鞘に収まってでは、もったいない。その年の年頭所間は「フィールド・チェンジ」新しいフィールドにチェンジしようと思いました。まずそれまで逃げ回っていた自治会の仕事に。こちらはいつ首になってもいい、と腹をくくれるので、思い切って踏み込めます。それに、私の知らない世界のウインドウがいっぱい開けてくる。この窓を通して自分の仕事、経営を見ると、また新たな視野が開けてくる。それにもう一つ。30年来の友人、鹿児島県下で、地域おこしにそれこそ命をかけている大坪徹さんに、私の知らない世界の人との縁を作ってもらいました。その根っこから、少しずつ新しい芽がでて、今がある。あと20年もすれば、さらに新しい世界が見えてくるのではと、今とてもハイになっています。長い話になりました。ことの始まりは、「ネーチャーコールズミー」ということで、本稿,了とします。
2014.01.14
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考えてみれば、今まで、こうしたこと、こんなことをないがしろにしてきていたのか、こんなことも知らずに通り過ごしてきたのか、と唖然としています。口では、一所懸命、事実一所懸命やってきたのですが、「相手に役立ってナンボ」、といったことを仕事と見たら、やはり私は、自分が思っているほど評価されることを、やっていないのです。それに一所懸命と、役立った、とは大して相関関係はない、ということもわかりました。 押し入れにしまい込んでいた、これまでのお客様のお便りを取り出し整理し、それを読み返してみることから始めることにしました。温故知新、というわけです。自慢で言うのですが、大昔新婚旅行に使ったスーツケース2つにいっぱい保管してある。ただ放り込んでいた。これを年代ごとに並べてみることにしました。そして愕然としました。1に、年々頂く礼状が 少なくなっている。2に、ここ10年、ほとんどいただいていない。 そのころから、メールが、最近はフェイス・ブックが、といったことは理由になりません。むしろ私の方がメール、そしてフェイス・ブックに転じて、それらを使っていない私の大切なお客様との乖離を生じさせていた。否、ご縁を切断していたのです。それにもうひとつ理由がありました。知らない人は、仕事を持ってきてくれません。つまるところ、井の中の蛙。私を知ってい世代の人は、高齢になり、現役から引退。今、知らない世代へ替わっている。旧世代がから新世代への引き継ぎ内容の中に、「私のこと」は含まれていなかったのです。その程度が私であったのです。続く
2014.01.13
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お断り; 昨日から掲載しているこの原稿「ネーチァーコールズミー」は、 今日の原稿の前半までは、ここに連載していて、 中断していたものの再掲です。やっと、続きが書けましたが、あいだが開いたため、 再掲したものです。ご容赦ください。 「われ、そな生き方でええと思うとるか」 「天狗になりおっるんと違うか」...その声が 私の耳に聞こえる。そう聞こえたのは、ここでは触れませんが私に思い当たることがあったからです。その声が聞こえる間に、それに素直に従い、ギアシフト、いや場合によっては、 「生き様(ありかた)」そのものを入れ替えしなければ後悔することになる、と思ったのは、けして大げさな気持ちではありません。 大げさではありませんが、こうしたチクリがあったら、大きく捉えて対処する、というのは、私のやり方です。 昨年遅れ、新年度の年頭所感を考えるとき、この際、思い切って転換を図ることを心に決めました。そこで、「ネーチャーコールズミー」、すなわち自分の考えに自分が耳を澄まして聞いてみたら、 「自分のやりたい仕事と、これまでやりたいと思っていて、やっていないことの積み残しが抱えきれないほどある。ちなみに、これも毎年歳末の行事みたいなものですが、 本棚の本の整理をやりながら、 「俺の本当にやりたいことは何だ」と自分に何度も声をかけて見たのです。 驚きました。 読んでいない本がいっぱい。 少なくとも500冊は超える それをやろう、という気持ちになり、やっとそこへ思いが定着してきたところです。それでも毎日16時間やっても追いつかないぐらい忙しい。 考えてみれば、今までこうしたこと、こんなことをないがしろにしてきていたのか、こんなことも知らずに通り過ごしてきたのか、と唖然としています。
2014.01.12
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「ネーチャーコールズミー」は「おしっこしたい」という意味と聞いたことがあります。私は無類の映画好きで、何千巻と観ています。半分はアメリカ映画ですが、まだセリフで 「ネーチャーコールズミー」を聞いたことがない。あるいは聞き落としかも知れませんが。 いえ、いえ。そんなことはどうでいい。私は、この 「ネーチャーコールズミー」を、別の意味に使って、大事にしているのです。 これまで、そう、これまでは。こちらからの売り込みなく、先方から、これまた程よい感覚で有り難いことに次々とくる。 独立はじめの頃はそれらを好きもなく嫌いもなく唯、一所懸命こなす。それが仕事、と思いやってきました。そんな時代を得て、自分の得意不得意、また好き嫌いそして自分の信条を明確にし、それに即しない仕事は、婉曲にお断りしてやってきました。いや、やってきたつもりでした。 つもりは、つもり。なにも「つもって」はいやしない。 いや「つもり」になった分、そうしたきれいごとをいうことで、自分の真からの思いとの違いを、あえて見て見ぬ振りして、やり過ごしてきました。 しばらくして、そうした囁きの声「ネーチャーコールズミー」がだんだん無視できないぐらい、何度も何度も聞こえてくるようになりました。 「ネーチャーコールズミー」「ネーチャーコールズミー」♬ 「ネーチャーコールズミー」♬ ♬耳を澄ますと、それは「われ、そな生き方でええと思うとるか」「天狗になりおっるんと違うか」といった警告に聞こえるのです。続く
2014.01.11
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メディアの曰く、「バブル崩壊」は、現象がでて、それが際立った後のいわば、あとから付けたネーミングである。はい、昨日まではバブル、明日からバブル崩壊といったことではない。くどいが、少しずつ売れなくなっていった結果、ああ「バブルだったんだ。それがあのころ崩壊したんだ」ということ。 さてN精肉店。「最初は、ホテルからの注文のキャンセルばい」たまたま、ある時業務向け豚ヘレのキャンセルがあったので、 「そいで、ホテルに理由を聞いたらば、宴会とか会食にキャンセルがでおると」 それで息子と、帳面ば調べましたばい」 それで、「ホテルなどの業務向けの、それも高級肉の注文が減っているのが、分かって」 そこで、なんかおかしいと感じた、という。 それで、キャンセル分の高級肉を、店頭へ回したところ、あっというまに売れ切れた。これにも彼は、驚いたという。 こうした流れの中で、Nさんは、一つの仮説を立てた。「仮説?そんなもんじゃなかけど、わかったことは不景気になりよる、という予感ですたい。消費者は、旅行や外食をば抑えて家庭料理ば充実させよるとじゃなかろか」。 やれやれと、ここで終わらないのがNさん。「閃きましたばい。お客さんの顔が直接見えない業務向けば、お客さんの顔が見ゆる店頭売りに移すチャンスだって」 「売上至上路線から利益重視へ」、とよく言うが、実際にそれを実現することは難しい。Nさんは、そんな掛け声もかけず、店頭売りの比重を高めることで、その一年、増収増益に持っていったのである。 このNさんの例は一部。私は全国を旅し、こうした地域の日常生活の中に溶け込んで商いをしている多くの商人たちから、教えを受けた。 こうして私が教えてもらったもの、学んだものを、これからの日本を支える若い経営者、後継者たちにお伝えする、それがこれからの私の仕事だ。数多くの私の師へのお返しのためにも、またおこがましいが私が生きてきた証のためにも。
2014.01.10
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ボソリ、ボソリとNさんの話しは続く。 「私達は人様の口に入る仕事ばしとるんですけん。この当たり前のことができんでは生して貰えません。環境整備が流行のごつ言われるのおかしかこっです」 愛想もなく無口、重い口からぼそっと出るNさんの話は実に面白い。時間を忘れてしまいそうである。 それも商人の、というより職人として、当然のことを当たり前として実践してきた、そこから生まれたもの。「本質と原点」だからである。 手捌きだから、思うままアイテムが作れる。作り置きせず、その日の分は注文に応じてカットし、その日に捌く。パック販売は一切やってない。 常備定番で鶏肉を別にしてステーキ用13種類、すき焼・焼き肉用で11種類、ミンチで5種類、加工物で20種類。これにサラダ・惣菜が加わる。 お客の特別注文はいかようでも応じている。いわば全品が手づくりオリジナルみたいなものであるから、他店と価格を比較されようがない。されたとしても当店の方が安いのである。 バブル崩壊後、ホテル等の業務向けの高級肉の注文が極端に落ちきて、なんかおかしい、と感じた。それも、TVや新聞で、掴んだのではない。続く
2014.01.09
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なぜ機械を使わないのか。 「機械は掃除に手間が掛かりけん逆に非効率になっとです。それに1日、作業終えてからの掃除になっでしょう。閉店してから綺麗になっとじゃ遅か。そいじゃ、どうしても売り場が匂うようになります」 たしかに、精肉店やスーパーの肉売り場に行くと、独特の臭いが鼻を突くものであるが、当店にはそれがない。「ありゃ精肉の臭いじゃなかとです。腐っとる臭い。死臭ですたい。肉が古かとじゃなく、掃除が徹底し取らんけん、あっちこっちに付着した肉片が腐敗しおるのがあの匂いですと」。 暖かくなるとハエが出る。精肉店や鮮魚店にはハエで悩んでいるところが結構多い。 中島さんは、それを笑う。「腐りかけのもんがあるけんハエが出っとです。ハエを養うとる。徹底して清掃した店には出まっせん。新鮮なものにはハエはたからんとです。人はハエば好かんでしょ。ですけんハエのいる店にはお客は来なさらん」 店内だけではない。店に向かって左側が奥の自宅へ入る小さな路地がある。ここも丁寧に清掃されている。この路地の端を溝が走っている。下水道である。驚いたことにこの水まで綺麗なのである。 企業間で環境整備が話題になって久しいが、地域の環境を守るのは、本来は企業人である前に、地域の一住民としては当然のことであろう。 ボソリ、ボソリとNさんの話しは続く。
2014.01.08
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ここ、N精肉店。夕方4時を過ぎると、狭い店内が一杯になる。温泉街特有の有線放送が流れる中で、お客と従業員の対話の声が静かに聞こえる。しかしよくみられる客を呼び込む声も、ありがとうございました、と大声で叫ぶ声もない。 店主が「愛想とお客様への迎合は絶対やらない」というぐらいだから、従業員もお客が入ってきても、作業場から軽く顔を下げる程度で、包丁の手を止めることはない。無愛想な店といってよい。 この無愛想さもNさんの商人哲学と職人としての腕、そして商品への絶対的な自信、またそのことをお客は百も承知なのである。 「店はお客の空間ですけん。店側がそれを侵してはいけんと思とります。お客は今晩の肉料理の献立ば想定して来店されるわけですけん、尋ねられないかぎりこちらが勧めることはしない。勧めると、どぎゃんしてもこちらの都合ば押しつける形になりますたいね。最高の品質のものをいかに安い価格で並べらるるかが、肉屋として私達ができるお客へのサービスと思うとります」 店舗は古いが、徹底した清掃で売り場は輝いている。加工品や缶・瓶売り場の売台をなぞっても埃一つ指に付着しない。 作業場はさらに見事、壮観である。最近の精肉店は機械化が進み、一見小工場と見間違うほどである。しかし当店には機械の類はなく、すべて手作業。忙しいときは5~6人が捌き台に立ち、淡々と肉塊をカットしていく。それでいて作業所は実に綺麗で清潔なのである。それというのも各人の作業のプロセスの中に俎板、包丁等の掃除が組み込まれているので、何時の時点でもピカピカなのである。 なぜ機械を使わないのか。それは・・・・・・・。続く
2014.01.07
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商人なら「ありがとうございます」と、人に頭を下げることは、簡単であろう。 しかし、お客の方から「ありがとうございます」と商人が頭を下げて貰うことは難しい。それなりのことを商人が成さなければならないからである。 小さくとも頑張る店に共通する要件の第三は、この人の喜ぶことを考え実行し、お客様から「ありがとう」と感謝される店を目指していることである。そこには裏を返せば、パパママストアなりに人様に貢献していることをやっているという強い自負、プライドがあるということになる。 ある郡部で、強いとされるお店を、専門雑誌社の依頼で取材した時のこと。 「愛想いっていい加減な物を売ったらお客を騙したことと同じ。商人の恥です」と、4代続いているこの肉屋の主人は言う。 こうした一見頑固とも思える言葉の裏には、自分の提供する商品・技術・サービスへのこだわりがあり、そのことをお客も十分知っているという自負が伺える。 不遜に見える言動の際どさはあるものの、それは代々培ってきたお客から感謝され信頼されてきた「実績」の裏打ちが、消費者と共有されてこと。 このお店のこと。少し振り返りたくなった・・・・・・。 この商店街とT温泉通りの交差する一角にある当店は、90年余の業歴を持つ肉の専門店として、この大きくもないT市で評判の繁盛店である。続く
2014.01.06
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第二には・・・・・・・・・この認識を前提として、小さくとも頑張る中小店では、いわゆる「売る人、買う人」の関係、つまり住民との関係を商人と消費者、商店主と買物客といった対立構図からの脱却に努めている、ということ。人は他人との関わりと地域との結びつきの中で生きている。 そのことを常に意識に乗せ、商人自ら積極的に求めていく。この基本姿勢が欠ければ、孤立し情報も遮断され、小さい店はたちまちその存立基盤を危うくするということを彼らは本能的、あるいは経験的に知っている。だから販促やイベントを単に売上を稼ぐとか、即効性ある集客手段としてだけではなく、地域住民との心の通い会える機会として捉え、自らも地域十味のひとりとして、その中に溶け込んでいる、といった感じなのである。 また目先の損得ではなく、先を見ての行き届いた個別対応型のサービスに徹している。こうしたことが際立っている。 「自分だけ良し」の姿勢ではなく、むしろ積極的に他人の利益(地域住民)も計っている。それも大方、前者の先出しなのだ。自分のことだけしか考えない商店にはお客は来ないし、お客の得になることを成すお店には人が集まる。このあたり前の原理で動くのが、正しい商いである。続く
2014.01.05
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当然のこと。 元来、地域社会を構成する住民の利便性を求めるニーズがあり、 その利便性の提供という形で、商店は必然的に生成されたもの。 しかしその利便性を、「便利あるいは手軽る」を 定義にしたコンビニが出て、とって変わることになる。 ならば、なくてもよいのではといった声も専門家から聞こえる。 私は、その考えには同情論からではなく、 機能論から断固、組できないのである。 アナログの時計の中身,大中小の歯車をイメージして欲しい。 大には大の、中には中の、小には小なりの機能と使命がある。 それぞれの規模においてそれぞれの機能と使命を果たすなら、 小といえども存立できる。いなしょうがなくては、 時計という全体(社会)が成り立たない、 という当初は仮説に過ぎなかった、この考えを実証するため 旅を続けてきた筆者には、この意見にはとうてい賛成できない。 地方郡部にも小さくとも頑張り、 堂々と生き抜いているお店を数多く見ているからである。 彼らに共通しているものがある。それは第一に 1-地域住民に支えられてこそ存在が許されること。 2-商人自らもその地域の一構成員であり、 住民の一人として日常生活の中で商売を抜きにした 結びつき、義理、しがらみ、縁といった 極く素朴な人間的なつながりの中で生きていること、 この2つへの思い入れが強いことである。 第二には・・・・・・・・・
2014.01.04
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ちなみに、うちの自治会は、30数年前までは、 歩いて20分内に、JAの支所があった。ここで簡単なものは買えた。それがなくなった。そのすぐ近くに酒屋があった。 地元のニーズに応えて雑貨なども品揃えして今のコンビニの役割を果たしていた。 2店とも消えた。 一番近い これで、一番近いお店は、年寄りの足で...歩いて片道1時間余。 平均年齢75歳を超える老人集落は、まさに買い物難民のである近くて便利なコンビニがやっと出来たが それでも片道40分。ということで、 私が住む薩摩川内市では、 3年前から、こうした限界集落だけの行政が民間業者に委託する形で、 週一、月曜日し、巡回移動販売車を実施し始めた。これは民間では採算が合わず、やり手がいない。だれもやらないからということだ。なぜやり手がいないのか。だれもやらないのか?ビジネスモデルがないからである。作れないからである。ここにビジネスモデルの意義と一種の凄みがある。コンビニ店だけではない。 高齢化という新しい大潮流を、消費者の方から見るならば、 巨大なマーケットとビジネスチャンスが、 私たち商人を待ちかまえているのである。それが理解できないのは、 1に、変化を悲劇に見る悪癖、2に、何事も自分の立場からしか見ない悪弊、 3に、効率化、合理化、省力化思想に染まり手間暇を惜しむ悪癖。この3点である。 私は、この3癖を改めることができるのは、 小さな企業、小さな企業、地域に張り付いている土着店だと、 昔から提唱してきた。ジジババの思いを理解できるのは、ジジババである。 商店主の高齢化は、消費者の高齢化に、まさにジャストミートしている。そして、その事例は、奄美には昔からあり、今もあるのだ大和村の株式会社鬼木商店、そして宇検村、他にも。 後継者がいないとするなら、これをどうしようと、地域と行政が協議し、 地域に継いでもらう。株主は行政と地域集落の各世帯。 経営者も従業員も、地元住民。 昔から今で言う限界集落だらけだった奄美の歴史が生んだ知恵に着眼,活かせば、 買物難民地域を解消できるビジネス・フォーマットの作成は可能である、私はと思う。
2014.01.03
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カクヤスのビジネスモデル。 これは強い。これはいいと、 コンビニはまずセブン-イレブンが、懸賞を始め、そして、いけると見て自らの定義の書き換えを行ったのだ。 理由は!なぜ? なんということはない。カクヤスのビジネスモデル自体、40年ぐらい前の既存の酒屋、米屋などの強み、生存ビジネスモデル、そのものであったのだ。 それがよみがえってきたもの。いや蘇らせ、磨き上げたもの。ちなみに、こうしたありかたを私は「定義書き換え」と名づけている。 カクヤスの佐藤順一さんは曰く。~事業目的は『いつでも』『どこへでも』『どれだけでも』~ なんと単純、なんと素朴、なんと具体的。 そもそも自分大店の目的、定義でもいい。役割でもいい。掲げている企業が、どれだけあるのだろう。 蘇りの背景は、大きく2つある。まず、かって存在していたという事実。 これは説明はいるまい。 次に、時流の後押しだ。その時流の中身を言うと 1には、消費者の高齢化だ。2に、商店側の高齢化と合理化で、ご用聞きや宅配をやる店がほとんどない、3には、通信サイトの存在だ。宅配業務をやるとなるとその商圏エリアは狭くなる。カクヤモデルですら、無料地域は半径1.2粁である。これをカバーするのが、通信サイトによる無制限商圏というわけだ。 とりわけ、時流の後押しというニーズは大きい。 対して、それを充足するものとしてのライバルは皆無に近い。 ちなみに、私が住む薩摩川内市では、 続く
2014.01.02
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簡単に言えば、時流変化に対する、対応のギャップであり、いつの時代にも大なり、小なりみられることだが、コンビニ業界にとっては、そもそも若者層をターゲットにし支持されて発展した経過からも、若者の減少により中高年層へメインターゲットを行させるといったことは、想像以上に難しいことと推察される。 その折のおびただしい不採算店の閉店は、ドメインの移行であり、そしてドミナントの移行という経営戦略の一環としてなされたものを正規軍とし、そうした経営戦略なしに、応急処置として行われたものこの両者は、まったく別のものである。そのことを取り違えていては、とんでもない間違いを犯すことになる。 たとえば、彼らがその頃から力を入れ始めたポイントカードなど、私から見たら、値引き販売をしないという、コンビニの定義を崩す、そして不振対策としてもまったく方向違いの手であり、なにを考えているのか、と、当時のコラムに書いたのは上の理由である。 そのほかにも、すでに数年前から様々な試みがなされている。たとえばローソンの生鮮食品導入など。(品揃え的にはお粗末だが) またメーカーも「ヘルシア」に代表されるように中高年対象のアイテムを開発している。 だが本来の「便宜性」という観点から、それらは、もうひとつインパクトが弱い。小手先という感じがいなめない、というのが私のレフリーである。 今、ヒットしているワンカップの珈琲でも、いかにも単発的であり、戦略に対応する戦術がみえてこないのである。 だがセブンイレブンが始めた(全店ではないが)、「御用聞き」、「宅配」。これぞ、コンビニの「近くて便利」という自らの定義に則した戦略的の一環であり、我が意を得た思いで、感激し、今、この原稿を書いているのである。 実は、この宅配には、ビジネスモデルがある。酒屋のカクヤスである。 多くの酒屋が、コンビニか、酒のデスカンターへ転じ、そのどちらにも転じなかった既存酒屋は、これまた専門店化を目指したところと、消えさる運命にあるお店と二つに分けられる。 そこへ、このカクヤスのビジネスモデルが現れた。続く
2014.01.01
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