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2009年09月19日
報徳訓&天命十訓
テーマ:
報徳記&二宮翁夜話(503)
カテゴリ:
報徳記&二宮翁夜話
報徳訓
父母の根元は天地の令命にあり
身体の根元は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
父母の富貴は祖先の勤功にあり
吾身の富貴は父母の積善にあり
子孫の富貴は自己の勤労にあり
身命の長養は衣食住の三つにあり
衣食住の三つは田畑山林にあり
田畑山林は人民の勤耕にあり
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の艱難にあり
年年歳歳報徳を忘るべからず
「天命十訓」
天命当時富貴なり。富貴なれば富貴なる処すなわち天性自然なり。天性自然の富貴に随って、天を頂き、身を慎み、礼法を犯さず、分度を守りて、驕奢弊風に流れず、又は衣服飲食、居住に至るまで、万端手軽にいたし、貧賤を恵むこれを道という。この富貴の道は須臾(しばらく)も離るべからず。はなるゝ時は富貴の道にあらず、富貴の道を勤めずして、富貴の所行に怠れば、果して富貴の道に背く、富貴の道にそむけば、富貴を守る事能わず、富貴を守ることあたわずして、後悔せざるものは邑里(いうり)に鮮(すくな)し。
又曰、素富貴、行富貴、君子無入而不自得焉。(又曰く、富貴に素して、富貴に行う、君子入るとして自得せざる無し。)
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命当時貧賤なり。貧賤なれば貧賤なる処すなわち天性自然なり。天性自然の貧賤に随って、富貴を尊敬し、身分を謙(へりくだ)り、春秋昼夜、朝夕、夜半に至るまで、家業を励むこれを道という。この貧賤の道はしばらくも離るべからず。はなるゝ時は貧賤の道にあらず、貧賤の道を勤めずして、貧賤の勤労に怠れば、果して貧賤の道に背く、貧賤の道にそむけば、貧賤の憂を免がれず、貧賤の憂を免がれずして、後悔いたさゞるもの邑里にすくなし。
又曰く、貧賤に素して、貧賤に行う、君子入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命当時患難なり。患難なれば患難なる処、すなわち天性自然なり。天性自然の患難に随って、天を恐れ屈身いたし、言語を慎み、寒暖風雨、雪霜を厭わず、又は理非善悪の差別無く、終日終夜、勤苦いたす、これを道という。この患難の道はしばらくも離るべからず。はなるゝ時は患難の道にあらず、患難の道を勤めずして、患難の勤苦に怠れば、果して患難の道に背く、患難の道にそむけば、患難の憂を免れず、患難の憂を免れずして、後悔せざるものは邑里にすくなし。
又曰く、患難に素して、患難に行う、君子入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命今朝(こんちょう)は快晴なり。快晴なれば快晴なる処すなわち天性自然なり。天性自然の快晴に随って、農事をなすこれを道という。この農事をなすの道は、しばらくも離るべからず。離るゝ時は今日(こんにち)の道にあらず、今日の道を勤めずして農事に怠れば、果してその実法(みのり)減ず、その実法減ずる時は困窮に及ぶ、困窮におよんで後悔せざるものは邑里にすくなし。
又曰く、快晴に素して、快晴に行う、邑人入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命今朝は雨降(あめふり)なり。雨降なれば雨降なる処すなわち天性自然なり。天性自然の雨降に随って、簑笠(みのかさ)を着用致すこれを道という。この簑笠を着用いたす道は、しばらくも離るべからず。はなるゝ時は今日の道にあらず、今日の道にあらずして、簑笠を着用いたさざれば、果して雨降の道にあらず、雨降のみちにあらずして、濡るゝときは難渋(なんじゅう)に及ぶ、難渋におよんで後悔せざるものは邑里にすくなし。
又曰く、雨降に素して、雨降に行う、邑人入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命藤曲邑(ふぢまがりむら)高257石4斗7升5合、家数(やかず)68軒の邑方(むらかた)に生るゝ処すなわち天性自然なり。天性自然の邑高(むらだか)257石4斗7升5合に随って、家数68軒、大小貧富はこれ有るべく候得ども、各々その分限をもって相営むこれを道という。この邑高257石4斗7升5合にて相営むの道は須臾も離るべからず。はなるゝ時は藤曲邑の道にあらず、藤曲邑の道にあらずして、藤曲邑の道をなさざれば、果して藤曲邑の道に背く、藤曲邑の道にそむけば、終(つい)に藤曲邑に住居する事あたわず、その生れ得たる邑里に住居する事あたわずして後悔せざるものは藤曲邑にすくなし。
又曰く、藤曲邑の道に素して、藤曲邑に行う、人々入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命当時田畑山林を買受け申すなり、買受くれば買受けたる処すなわち天性自然なり。天性自然の買受けたる天の冥加、大高(おおだか)に随って、早春より普請再発、肥灰(こやしはい)持運び、鋤掻(すきかき)耕し等の手配り、夏は蒔仕付(まきしつけ)、草取、水廻り、秋は刈取、干返し、扱纏(こきまと)い、冬はお年貢諸役高掛り等、真先(まっさき)に相納め、小前(こまえ)の手本にも相成る儀、常々心掛け、第一父母に孝養をいたし、妻子眷属を養い、なお又お田地買受けたる天の冥加をわきまえ、貧者売人(うりびと)その外困窮難渋を余荷(よない)、憐みを加うこれを道という。この買受けたる大高の道は、しばらくも離るべからず。離るゝ時は買受けたる道にあらず、買受けたる道をなさずして、本業に怠れば、田畑麁作(そさく)に罷り成り、田畑麁作に罷り成り候えば、その実法すくなく困窮に及ぶ、つまり救助も出来兼ね、果して買受けたる道に背く、買受けたる大高の道にそむけば、ついに自然と売渡すようにも成り行く、売渡して後悔せざるものは邑里にすくなし。
又曰く、買時に素して、買時に行う、買主入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命当時、田畑山林を売渡し申すなり、売渡せば売渡したる処すなわち天性自然なり。天性自然の売渡す様に成行き、天の御罰を恐れ、身分を謙(へりくだ)り、衣服飲食、居住、音信(いんしん)、贈答に至るまで、節倹を尽し、第一早春より、売残りお田地普請再発、肥灰持運び、すきかき耕し等の手配り、夏は蒔仕付、草取水廻り、秋は刈取、乾(ほし)かえし、扱纏(こきまと)い、冬はお年貢諸役高掛り等相納め候儀は申すまでもこれ無く、あるいは木こり、萱刈(かやかり)、あるいは縄ない、筵織(むしろお)り、あるいは俵菰(こも)、あるいは沓草鞋(くつわらじ)、草履(ぞうり)はきもの等の手業(てわざ)まで、日夜朝夕相励み、父母を養い、妻子を育(はぐく)む、若し行届かざる時は万事を抛(なげう)って孝道に基き、小児初め、二男三男等に至るまで、親類懇意を頼み、又は賃日雇(ちんひよう)等にも差出し、その外如何様(いかよう)とも心苦艱難屈伸致し、御田地受戻し、親先祖より伝え受けたる家株を全ういたす、是を道という、この売渡し残り小高の道は、須臾も離るべからず。離るゝ時は売渡し小高の道にあらず、小高の道を勤めずして、小高の勤労に怠れば、果して小高の道に背く、小高の道にそむけば、ついに自然と暮し方行届かず、御田地受戻しかね暮し方行届かず、滅亡に及んで後悔せざるものは邑里にすくなし。
又曰く、売時に素して、売時に行う、売主入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
天命藤曲邑、御百姓一家相続の根元は、村高257石4斗7升5合、家数68軒、この平均高3石7斗8升7合4勺4才は、大小貧富の発生する所、これすなわち天性自然なり。天性自然の平均度を過ぐる者を名付けて大といい、富という、足らざる者を名付けて小といい、貧といふ、譬えば尺なれば寸、升なれば合、人なれば背骨、天地なれば中央とかや、一村のただ中なり、又聖教なれば中庸、物体なれば中品中性(ちゅうぼんちゅうしょう)の如来に当る、その尊き所以を観通いたし、右平均高3石7斗8升7合4勺4才の御田地作り立ち分限を守り、相経営する時は、大にあらず、小にあらず、又富にもあらず、貧にもあらず、得失損益の峠に生まれ、一村の要(かなめ)となる、これを道という、この平均高3石7斗8升7合4勺4才、御田地作り立て、相経営の道は須臾も離るべからず。離るゝ時は分度根元の道にあらず、根元の道にあらずして、根元の道を守らざれば、果して根元の道に背く、根元の道にそむけば、ついにその生れ得たる一村のただ中に住居する事あたわず、その生まれ得たる天性自然のただなかに住居する事あたわずして、後悔せざるものは藤曲邑にすくなし。
又曰く、家主に素して、家主に行う、家主入るとして自得せざる無し。
聖語に曰く、天命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。
曇らねば、誰(た)が見てもよし不二(ふじ)の山生れ、姿でいく世経るとも。
又曰、中庸其至矣、民鮮能久。(又曰く、中庸はそれ至れるかな、民よく久しきものすくなし。)
きのふ今日、あすと浮世の丸木はし、よく踏みしめてわたれ旅人。
又曰、道不行也、我知之矣、知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣、賢者過之、不肖者不及也。(又曰く、道の行われざるや、我これを知れり、知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。道の明らかならざるや、我これを知れり、賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。)
世の中は、すて網代木の丈くらべ、それこれともに、ながし短かし。
又曰、君子之中庸也、君子而時中、小人之中庸也、小人而無忌憚。
(又曰く、君子の中庸や、君子にして時に中す、小人の中庸や、小人にして忌憚無し。)
種まけば、すずめ烏がほりちらし、おそれ気もなく高声ぞうき。
紀友則の歌に、久かたの、ひかりのどけき、はるの日に、しづ心なく、はなの散るらむ。
山辺赤人の歌に、田子のうらに、うち出てみれば、白妙の、ふじのたかねに、雪は降りつつ。
柿本人麿の歌に、ほのぼのと、あかしのうらの、あさぎりに、しまかくれゆく、ふねおしぞおもふ。
聖語曰、過則勿憚改。(聖語に曰く、過てば則ち改むるに憚ることなかれ。)
日日々々に、積もる心のちりあくた、洗ひ流して、我をたづねむ。
又曰、温故、知新。(又曰く、故きを温ねて、新しきを知る。)
故道(ふるみち)に、積る木の葉をかきわけて、天照神の足あとを見む。
又曰く、湯之盤銘曰、苟日新、日々新、又日新。(又曰く、湯の盤の銘に曰く、まことに日に新たにして、日々に新たに、又日に新たなり。)
いにしへのしろきを思ひ洗濯の、かへすがえすも、返す返すも。
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最終更新日 2009年09月19日 02時44分22秒
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