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2021年08月27日
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「二宮翁夜話」巻の1
【8】尊徳先生はおっしゃった。
世の中に誠の大道はただ一筋である。
神といい、儒といい、仏という。皆同じく大道に入るべき入口の名である。
あるいは天台といい、真言といい、法華といい、禅というのも、同じく入口の小道の名である。
何の教え、何の宗旨といようなものは、たとえばここに清水(せいすい)があり、この水で藍をといて染めるのを、紺屋といい、この水で紫をといて染めるのを、 紫屋というようなものだ。
その元は一つの清水である。紫屋で私の紫の妙なる事は、天下の反物を染めるもので、紫ほど尊いものはないとほこり、紺屋ではわが藍の徳たる、広大無辺である、だから一度この瓶に入れば、物として紺でないものはないというようなものだ。
このために染められた紺屋宗の人は、自分の宗の藍よりほかに、有り難い物はないと思い、紫宗の者は、自分宗の紫ほど尊い物はないというのと同じだ。
これは皆いわゆる三界城内を、躊躇して出る事ができない者である。

そのように神儒仏を初め、心学・性学など枚挙にいとまがないが、みな大道の入口の名である。
この入口がいくつあっても至るところは、必ず一の誠の道である。
これを別々に道があると思うのは迷いである。
別々であると教えるは邪説である。
たとえば富士山に登るようなものだ。
先達によって吉田口から登るものがあり、須走口より登るものがあり、須山口より登るものがあるとっても、その登るところの絶頂に至れば一つである、このようでなければ真の大道とはいえない。しかし誠の道に導くといって、誠の道に至らないで、無益の枝道に引き入れる、これ邪教という。
誠の道に入ろうとして、邪説にだまされて枝道に入って、また自ら迷って邪路に陥いるもの世の中に少くない。
慎まなければならない。

「二宮翁夜話」巻の3
【4】尊徳先生はおっしゃった。
「世の人は富と名誉を求めて止まる事を知らないというのが、凡俗の通病である。

・・・
止まるところを知らないで、際限なく田畑を買い集める事を願うのは、大変あさましい。
たとえば山の頂上に登って、なお登ろうと欲するようなものだ。
自分が絶頂に在って、なお下を見ないで、ただ上だけを見るのは、危い。
絶頂にあって下を見る時は、皆眼下である。

・・・」
自然、ビーチ、海の画像のようです





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最終更新日  2021年08月27日 00時35分23秒


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