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2021年10月04日
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甲野善紀×内田樹 身体を通して時代を読む

その1 身体を通して実感

その2 巨人軍・桑田選手

その3 エピソード1

身体を通して時代を読む (木星叢書) | 甲野 善紀, 内田 樹 |本 | 通販 | Amazon

p.238
甲野 人間というのは三次元空間に生きていながら入力してくるナマの情報というのは全部二次元です。
例えば視覚も目を通して初めて入ってくる情報が写る網膜も二次元の面です。手で触るにしても、例えば、いま触れている本が3センチくらいの厚さということは見なくてもわかるけれど、基本的に指が接触しているのは面です。本の厚みが2センチか3センチかは、その触れているところではわからなくて、その2か所で離れているところを指の離れ具合を経験に照らし合わせて判断しています。
つまり人間は三次元空間に生きているけれども、入力の情報は二次元、それを頭の中で組み立てて認識するので、時にギャップが生まれるのです。
 人間の言語的な説明も二次元です。人間は基本的に意識して考えているときは、Aの時にB、Bの時にCという二つの関係のものを取り扱うことができない。つまり二つの物事を関連づけることで論理は成り立っている。
現実に起きていることは三次元なのに、言葉で整理するとどうしても二次元になる。
二次元的な論理の世界では、あちらを立てればこちらが立たずです。でも現実の動きはピアノを両手でひいたり、F1のドライバーはハンドルを握り、ギアチェンジのレバーも操作し、アクセルやブレーキも踏む、というように両手両足をフルに使って操作できる。
そういうことをさまざまな分野においてできる人物を、術が使える人ではないかと思います。

 それをどういうふうにできるようにするかが、武術の稽古法です。科学的トレーニングの一番の問題点は、科学的に論理的に処理するから、あちらを立てればこちらが立たずということ以外の状況がありえない。逆にいえば、論理では術の術たる世界には決して入れない。科学的な状況がつまらないことになってしまうのは、妙術というのはありえない状況だということにどんどんなっていくからです。つまりコンピュータは0と1の二進法で行われているのと同じで二つの関係しか処理できないので、科学的研究には、根本的な問題があるということに気づいたのです。

p.253
甲野 人間の行うさまざまな技芸で、技の妙といわれるものは、現在のような科学的解明を受け付けないと思うのです。その理由は人間というのは、二つの事柄を意識的には取り扱えないし記述できないからです。記述できないのだから、その方法で技の妙というものが説明できるわけがない。現在の科学的な方法では説明不可能なことがあることを、理系も人文系も含めた学問全体で一度はっきりとさせるべきだと思います。

💛「人間は三次元空間に生きていながら、入力してくるのは二次元情報」というのは面白い。
「人間の言語的な説明も二次元。人間が意識的に考えるとき、Aの時にB、Bの時にCという二つの関係のものを取り扱うことができない。二つの物事を関連づけることで論理は成り立つ。現実っは三次元なのに、言葉で整理しようとするとどうしても二次元になる。」
 なるほど禅も感覚で入力できず、言語的説明ができない現実の三次元の世界を直覚しようとしたものかもしれない。西田幾太郎の「絶対矛盾的自己同一」の「西田哲学」もまた二元的な言語で現実の世界を記述しようとする試みといえなくもない。しかし結局のところ人間の感覚機能、言語機能では捕捉できないということを知ったうえで「技の妙」を直覚する。それはまた信仰にも通じているのかもしれない。

『「西田哲学」演習』黒崎宏著

「Bが個物であるためには、両者を包む一般的なもの(一般者)がなくてはならぬ。Aが個物であるためには、Bと対立せねばならぬ。(Bが個物であるためには、Aと対立せねばならぬ。)(両者が)対立するには、(両者を)対立せしめる一般的なもの(一般者)がなくてはならぬ。一般的限定(一般者の働き)には個物的限定(個物の働き)がなくてはならず、個物的限定(個物の働き)には一般的限定(一般者の働き)がなくてはならぬ。個物と個物というものが成り立つには、何か一般的なもの(一般者M)の媒介によるのである。」( )内は黒崎氏の補足
「一面において<昨日の私>と<今日の私>は、同じではない。心身ともに異なっているからである。しかし他面において両者は、「黒崎宏」という一個の固有名で指示される。その意味で両者は同一なのである。……同じではないが同じ存在なのである。その意味で両者は矛盾的存在なのである。……このように、一つのものを多面的に捉えて、一つに表すのが、西田哲学の特徴なのである。」





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最終更新日  2021年10月04日 05時13分06秒


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