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ちょっと買い物する事があったので立川のグランディオ覗いた。なにやらたくさんの女子高生と、キャピっとした女性があるものに群がっていた。よーく見るとチョコ。ジーと見ていたらなんと6,000円なんて値段のものもあった。僕は甘いものが苦手なので、正直チョコには興味ないのだけど貰うという行為は結構好きなので「いいなあ・・」ちょっとため息。まあ、それにしてもあそこの空間はなんか、男が入れない聖域のようなものを感じてしまった。なんかみんな目が輝いているような感じがして「恋する女」はみーんな俺のものだ!よこしま君〔知っている人は知っている漫画のキャラクター〕の気持ちになってしまった。何のこっちゃ・・よこしま君ってほんとはいい男なのにミカミさんにいっつも叩かれてるんです〔ヒント〕今日は久しぶりにクラプトン。クラプトンがブルースを演奏しているアルバムでは74・75年のライブもの。ジャケットが気に入っているのもあるけど、復帰したばかりのクラプトンの音なんで荒削りだけどその適当さが気に入っている。全部で6曲しか収録されていないけど、フレディキング、チャールズ・ブラウン、ロバート・ジョンソンの曲が取り上げており、極上のライブとなっている。 最近のクラプトンのライブアルバムも悪くないけど、個人的にはこの頃の麻薬ぬけで、でふらふらしながらも何がおこるかわからない「ドキ!」とする演奏が好きだ。何度聴いても「HAVE YOU EVER LOVED A WOMAN」のクラプトンのフレーズは「ドキリ!」とさせてくれる。
2004.01.31
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たけしのテレビタックル「アツキヨ」さんの話をやっていた。耳が聞こえなくて話が出来るだけでも凄いのにどうして歌が歌えるのか?相手の話す言葉を音読でわかるという。何もかもがわたしにとってはびっくりする事だった。音程をはずして当たり前なのに、ちゃんとメロディが伝わってくる。「キセキ」まさに奇跡を感じた。音楽にとってもっとも大事な部分聴覚が失われていても、歌える。並の努力ではなかったと思う。人間は素晴らしい。今日はフジコ・ヘミングウェイも出ていた。リストの「ためいき」演奏者によってピアノの音って変わるんだという当たり前の事当たり前の事に気がついて又何かをもらった感じがした。復活にもう少しかかりそうなので、返事はもう少し待ってね。我が家は娘と私が不調。息子は復活。それでも、今日も音楽を聴いていた。まるで飯を食べるみたいに。
2004.01.30
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山岸凉子の書く短編集の漫画は怖い。さりげない日常の中に突然皮膚感覚的に忍び寄る、見えないものの不安、影のような存在として肉体にぴたりと張り付いてくる恐怖感が読後、まとわりついてくる。高橋留美子も恐怖に関する漫画を書かせたらうまいんだけど、山岸凉子の場合はユングの描いたような深層心理にまで行ってしまうような所があって一歩ぬきんでている気がする。具現化する形として鬼の存在を人間の心の底に潜む狂気として表現し、起承転結を伴ったストーリー作りは凡庸な怪奇ホラー小説家では描き出せそうもない世界を細やかなタッチの線で絵にしてくれている。例えば「鬼来迎」「時じく香りの木の実」「夜叉御前」「天鳥船」「八百比丘尼」みーんな怖い。この怖さは「アラベスク」「日出処の天使」と言った長編では見られないストーリー性の質の高さが生んだ並みの漫画家では書けない凄みを持っている。お薦めが「鬼来迎」衰弱死させようとした鬼父母の最近の事件と酷似していて、何度読んでもいやーな恐怖が皮膚感覚としてべっとりまとわりついてくるる。唯物論者だと告白しておいて自分自身でその対極におこるような話を読み又日記として書くのも矛盾していると、重々承知しているのだが、読んだが最後見えない真っ暗な空洞、もしくは空間に投げ出されてしまったような怖いもの見たさの衝動に勝てず又一冊、又一冊と買い求めてしまう。聞いた事がないのでわからないけど、男性ファンも多いのではないかと思う。妹が漫画を書き続けている〔プロではない〕と言う影響もあって僕は女性漫画を読み始めたのだけど、山岸凉子の書く短編漫画は誰とも似ていない。倉田江美の描く恐怖とも又違う。強いて言えば宮沢賢治の描く恐怖と似ている世界がある。最近〔まだ読んでいない〕バレェ漫画を復活させたと言う話が何処からともなく伝わってきて嬉しい限りだ。
2004.01.28
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酒で言えば水を入れない氷だけの物、単なる岩・・・ロックって言う言葉は音楽の世界では死語になっている感じもするけど、今日ちょっとだけ考える事があって僕の原点と言えるロックを考えてみた。「ロックを聴く奴は不良だ」誰が言ったかしらねえが、親父がいつも怒る時は決まってそんな言葉だった。懐かしいぜ。今で言うと「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ聴く奴は不良」と言うことになるのだろうか。今思うと結構親父も不良の意味もわからず言っていたような気がする。確かに近所迷惑な音を出していた。これは認める。あの大音響が親父にとってのたった一つ明確に言える不良の定義とすれば、今でも僕は不良という事になってしまう。今思えば笑ってしまうのだけど、なんとか、社会に適応して生きているのに現在進行形で不良?まあ、親父って何処もそんなものなのかな?我が家の親父は尺八を吹いている。武田流の大師範と言う免許も持っている。音楽は嫌いなはずはない。だけどあの大音響には我慢ならなかったらしい。僕がはっきりロックと言える音楽に触れたのが、やはりレッド・ツェッペリンと言うことになってしまう。勿論ブルースなんて言葉も知らず、4人のメンバーがブルースを意識して創ったアルバムだと言うことも全く知らなかった。御多分にもれず僕もセカンドアルバムを聴いてファーストを知ったという多くの人が通った道を歩んでいる。このアルバムはとにかく今聴いてもまったく色褪せない。ある意味で僕にとってのロックアルバムで最良の演奏をしている。むかーしの話ではあるけど、ロックなんて一度も聴いたことのない女にこのアルバムを車のカーステレオで聴かせたことがある。感想は「凄くイイネ!」だった。何故か?思うにリズムが非常にわかりやすく、且つ又メロディアスだと言うこともあった気がする。ブルースって音楽を聴いたことがなくてもリズムそのものが乗り易いので「イイネ!」といった気がする。その女とは恋愛関係になる一歩手前で終わってしまったけど〔どーでもいいか〕その時一緒に車で聴いた共有体験は今でも僕の脳に確かな感触として残っている。 とにかくこのアルバムは飽きない。今でこそ、それらの曲を作った人達がチェスのウィリー・ディクソンであり、ハウリン・ウルフでありオーティス・ラツシュであると言う事はわかるけど、当時オンタイムでツェッペリンを聴いた時「ああ!これがロックだと思うだけで、ブルースをアレンジしている」とはしみじみと思わなかった。とにかく「カッコイイ」音だった。それだけで熱狂した。もしあの時、ツェッペリンのファーストを聴くことがなかったらおそらく僕はロックの凄みも楽しさも知る事もなく、当時一番流行していた日本のフォークに走っていた気がする。今でこそフォークもよく聴くけど当時古井戸とかのフォーク聴く奴「軟弱」と思っていたから、まあ、その点はだいぶ大人になったと言うか、妥協したと言うか、好きになったと言うか、言い分はどうにでも出来るのだけど。まあ、とにかく僕はツェッペリンのファーストを聴いた瞬間、「これが、不良の音?」とは、どうしても思えなかったわけだ。「岩」のようにどっかりと根の生えた音。まあ、ブルースが根底にあったからこそ「破壊」を感じなかったんだと今ははっきり言えるのだけど当時は、その「破壊」の持つ意味もよくわからなかったので親父にいいかえせなかった悔しさだけが記憶に残っている。まあ、そんなわけで今日は久しぶりにこの音を楽しむ事にする。とにかく何処から切って聴いても素晴らしい演奏だと思う。
2004.01.27
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「真夏の夜のジャズ」見たって事、影響していると思うのだけど思い出したようにジャズを聴き始めた。今日聴いたのが1959年、パリでアート・ブレイキーがそうそうたるメンバーを集めて演奏したジャムセッション。パド・パウエル〔p〕リー・モーガン〔ts〕ジミー・メリット〔b〕ウェイン・ショーター〔ts〕パルネ・ウィラン〔as〕1曲目の「ダンス・オブ・ザ・インフィデルス」から素晴らしく早い演奏を繰り広げてくれる。ラストの「ア・ナイト・イン・チェニジア」まで一気に聴く。感じた事がアート・ブレイキーのバランス感覚の素晴らしさ。この人、ジャズをよーく知っている人だなとつくづく思った。一人、一人で何十枚のアルバムを出している人たちばかりのメンバーなのに、何かアート・ブレイキーのドラムに合わせて各々のパートをみんな独りよがりにならず演奏している。アート・ブレイキーって技巧で語られる事はあんましないと思うけど、改めて凄いドラマーだと思った。これだけのメンバーがいて、みんなをまとめているんだから。ライブの臨場感もひしひしと伝わってくるアルバム。他に賛否両論あろうが、マイケル・ブレッカー、ライアン・カイザー、エリック・アレキサンダー、ジョシア・レッドマンと言ったオンタイムで活躍している人達の音も聴く。若くて粋のいい演奏が続く。あ!マクブライド忘れていた。最近のアルバムは録音がよくなったという事もあるが、どの人の演奏も聴かせてくれる。凄くオーソドックスだけどライアン・カイザー結構好きなのよ。技巧はウィントンの方が凄いけど最近のウィントンつまんないので、やっぱ僕はライアンだな。ウィントンで思い出したけど、アート・ブレイキーとやっている時のマルサリスは面白かった。ジャズって面白さ、楽しさがないとダメダな。ウィントンが面白かったのはウィントンの力ではなくアート・ブレイキーの力だったんだなと思う。今日はアート・ブレイキーの夜でした。
2004.01.26
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僕がはじめてマヘリア・ジャクソンと言うゴスペル歌手を知ったのは18歳の時、高野悦子「20歳の原点」を読んだ時だった。悦子が落ち込んでいた時マヘリア・ジャクソンを当時あった京都のシアンクレアール〔だったと思う〕で聴いてスピリッツに打たれその事を日記に書いていて、それが僕の心に残って聴きだしたのがそもそもの始まりである。真夏の夜のジャズと言う映画はジャズファンにとってあまりに有名な映画である。ここには語り尽くせないくらいの人が登場している。映画のトリを飾る人がマヘリア・ジャクソン。ここでゴスペル界の女王マヘリア・ジャクソンは「シャウト・オール・オーバー」「ディドゥント・イット・レイン」そして「主の祈り」を歌っている。当時マヘリアは腰を振ったりダイナミックなこぶしを効かせる歌唱方法で教会から顰蹙をかったと言う話しがあるが、時代と言うものは面白いものだ。今のゴスペルは腰を振るどころか、全身を使って踊っているもんね。「白い巨塔」でヘイリーが「アメージング・グレース」歌っている。日本でも最近は中島みかが歌っている。どの「アメージング・グレース」も歌の持つパワーが素晴らしいせいもあるがとにかく心に沁みる。勿論マヘリアも歌っている。僕はマヘリアで一番好きな歌が「ムーブ・オン・アップ・ア・リトル・ハイヤー」だ。この曲を聴く度僕は元気が出る。
2004.01.25
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昨日の宿題提出の疲れからか、今だユカはぐうぐう眠っている。娘から宿題の手伝いを頼まれてやってるのだけど国語の論文〔ゴーストライター〕を書く。ほんとはやっちゃいけないのは重々承知。書かないと高校卒業出来ない。クライシス。馬鹿娘メ!今読んでいるのが現代文2、第一学習社。学校の先生にばれたらやばいだろうな。とりあえず書かなければいけないのが中村雄二郎〔哲学者〕「コモンセンスとは何か」についてと井伏鱒二の「黒い雨」たった今「コモンセンスとは何か」について与えられた課題を書き終えた。なんか作家になった気分。気持ちいいぜよ。僕は全くこの人知らなかったんだけど楽天で調べたら結構日本の哲学者として有名な人だったんだね。ちゃんと読んで見ようかなという気持ちになった。さて次が井伏鱒二の「黒い雨」これは広島の原爆を書いた有名な小説なんで知っている人の方が多いと思うけど、恥ずかしながらこの本を読んだのも初めて。僕は井伏鱒二に関しては釣りに関する随筆しか読んだことがなかったもので、筆の持つ力にぐいぐい引き込まれていった。釣りが好きなだけの人じゃなかったんだね。そしてもう一つ頼まれたのが森鴎外の「舞姫」こちらはパス。文体が古い日本語を使っているので読むのに疲れてしまって挫折。森茉莉のほうが僕の性にあっている。美しい文体で美の世界を想像してくれるのでファンなのである。話しがそれたな。脱線大好きじゃ。森茉莉のファンの人がいたら是非話をしたいな。他に長塚京三、辻仁成、金子光晴、中桐雅夫、幸田文、村上春樹、夏目漱石と言った興味のある人の名前がづらづら載っている。でもまあ、学校の教科書なんで、点数のための勉強になっちゃって楽しく読めないんだろう。ほんとはたのしい筈なんだけどね。朝なのでNHKの「てるてる家族」見たり、リトルフィートのライブ「ウェイティング・フォー・コロンブス」聴きながらだらだらモードで28年ぶりに見る教科書とにらめっこ。リッチーヘイワードと言う人のドラミングはなかなかときめくよ。リトル・フィート、ライブかっこいいじゃんか。
2004.01.24
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3巻、STEP36「OH DADDY BLUES」泣けた!泣けた!初めて読んだ瞬間涙が溢れてしょうがなかった。話はこうである。中国の大型家電メーカーの総帥、孫鋭氏が日本で初芝電気と合同企業開発調印式で日本にやってきた時昔お世話になった錦丸食堂に島耕作と一緒行ってその店で夕食を食べるシーンである。その店のポリシーは「めし代のない人でもタダでお腹いっぱい食べさせてあげます。その代わり食後30分間皿洗いをして下さい」孫鋭はカツ丼を食べた後1,800円を払わず皿洗いをする。2代目の息子が何かを感じて親父を呼ぶ。そして二人は遭遇。店主は孫鋭に聞く「お前は何をしているんだ」「ええちょっと中国で電気関係の仕事をちょっと・・・」僕は義理人情物語に弱い。二人が遭遇した瞬間に涙がぶあっと溢れてしまった。作者、弘兼憲氏は大好きな漫画家である。涙腺を心得ているからだ。タイトルが「OH DADDY BLUES」おう!わかっているじゃないか。そうなんだよ。BLUESはソウル。この話もソウルを感じさせる話なんである。孫鋭は金持ちである。しかし1800円を払わず皿洗いをした。ここにこのストーリーの真髄があった。まあこの3巻、STEP36でなくてもこの漫画は面白い。漫画で「涙?」大袈裟に聞こえるかも知れないけど、僕はこういう話に弱い。世話になった人の事を忘れず高級懐石の接待を断って錦丸食堂に行った孫鋭に感じてしまったのである。この島耕作はサラリーマンの生き様について、本音でぶつかっている。何よりも甘いばっかのストーリーになっていない。喜怒哀楽がイッパイ詰まった漫画である。今回は特に喜に僕は「いいはなしだなあ」と感じうるうるしてしまった。
2004.01.22
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日記が書かれていないときは仕事が忙しいか飲んだくれているかである。うう!頭いてぇ。さて今日は絶対的名盤をご紹介する。絶対的、唯一無比、歴史的名盤である。黙って買うべし。16ビートのブルースが聴ける。ロックファンだったら絶対満足するアルバムである。タイトルは「100%、コットン」復刻版である。「ブルースってこんなに楽しいの!ファンキーなの!」「そうだよ」確信して言えるアルバムである。僕は日記を始めてこんなにアルバムを誉めたのはジョン・リー・フッカーしかいない。それ程素晴らしいアルバムである。ジェイムス・コットンは極限のブルースハープを吹いている。ギタリストはマット・マーフィ。悪いわけがあろう筈がない。ブルースを聴いてみたい人はとにかくこのアルバムを聴いて欲しい。1曲目の「BOOGIE THING」これでのけぞらない人はブルースがあわない人だとあきらめた方がいい。誉める時は徹底的に誉める。このアルバムは税別2500円だけど何百回も聴くので宝物になる。間違いない!
2004.01.21
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アチャ、やっちゃった。17の日記消しちまったぞい。 昨日の夜から降り積もった雪を脇で見ながらアニーを朝の散歩に連れて行った。昨日アニーをシャンプーしたばかりだったので、あまり歩かせたくなかったのだけど、本人は知ってか知らずかいつものコースを息を「はーはー」言わせながら嬉しそうに歩いていた。まず今日の朝の日課である。家に帰ってパソコンに向かうとユカがソファに寝転がっていた。窓を全開にして朝の太陽の光を入れる。「んんー、娘はピクリとも動かない。こいつはジョジョの奇妙な冒険のエンブレスか!偉そうじゃ!」久しぶりにリトル・フィートの「ディキシー・チキン」聴く。ジャケット面白いでしょ。なんかへんてこりんな音楽やりそうだけど、これがなかなかまったりとしてしつこくなく飽きる事無く何度でも聴けてしまう。ローウェル・ジョージが所属していたリトル・フィートは、70年代から80年代にかけてもっとも人気のあるカリフォルニア南部のルーツ・ロック・バンドのひとつであり、サザンの桑田氏も彼等の音楽に影響を受けた事をはっきり表明している。ちょっと大袈裟か。とにかくしゃれたバンドである。ブルース・ロックやカントリー・ロック、乗りの良いブギ・ロックを気持ちよくやっていて3: ロール・アム・イージー などを聴くとギター1本でブルースをローウェル・ジョージがやってくれていてこれが渋い。ちなみに僕はこの手の音はどちらかというと敬遠してきた方。ストレートなロックと言うより、ちょっと通ぶった人達が好きそうな考えられた音作りをしていたから。よく言えば頭のいい人達が好きそうな音、悪く言えば乗りズライ。勿論偏見。ただ歳とともにこの人達の目指してきた音にはまったのも事実。ローウェル・ジョージがいた頃に限定されちゃうけどね。この手のアルバムってレンタルにあるのかな。あったら、なかなか。ラスト10: ラファエット・レイルロード はインスト。特別な演奏しているわけじやないけど、ここに中期サザン・オールスターズの匂いがしてくるよ。
2004.01.18
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夜の9:00。アニーのママのピアノレッスンが終わる。「ただいまぁ!」家に帰ってきた、ママの声がする。すると今までボケた顔して寝ていたアニーがムクリと起き上がって「ウウ!ワン」コール。「しょうがないね、じゃあみんなと一緒にいようね」重たくなったアニーを抱きかえるようにママが応接間のソファに連れて行くとアニーの尻尾のふりが、オッソロしく早くなる。台所でなんかやってると「食べ物くれー、ワン」パパが見かねてこっそりキスの頭の骨を上げた。おいしいそうに舌なめずりしながら「グヴ、グウ」声立ててむしゃぶりつくアニー。しかし悲劇は予想もしないところからおこる。翌日パパが「ただいま!」と玄関の扉を開ける。ママが一言。「今日アニーは何も食べていないの」「どうしたの?」パパが聞く。実の娘より心配そうなパパの声。ちょっとドスのきいたママの声。「昨日パパなんかあげたでしょ」「うん、あげたよ、キスの頭」「・・・バカモノ!大変だったんだから、アニーがアニーのおうちに下痢しちゃって」「・・・そうか、原因は俺か」・・・しばらく沈黙。この時二人は離婚を考える。意見の不一致。その日のアニーは何も食べていないから、パパの夕食をじーと見つめている。時々舌出して「はーはー」ちょっと危ない奴。離婚を考えた二人をよそにアニーは今日もじーじーと嬉しそうに散歩に行った。最近風呂に入れていないのでアニーは少し臭い。「明日はアニーを風呂に入れてレディに磨きをかけなくっちゃ」そんなこと考えながら反省していても懲りずに今日もこそっとサンマの頭をあげる馬鹿パパなのであった。
2004.01.16
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ブルースの世界にあってはメジャーなのだけど、一般の音楽の世界にあって全くマイナーなブルースマン。ブラインド・ウィリー・ジョンソンの音を聴いたのはほんとに最近である。何故か?録音が1926~1927年のアルバムだったからである。直感的に録音が悪い。イコール聴くに耐えない。変な偏見があったからである。あるときライクーダーがこの人の事を絶賛していた。でも何故か学究肌のライクーダーのスライドに対してうまいんだけど、感情の起伏が少ない感じがして本気になって聴こうとしていなかったのも事実である。それがこの男の音を聴くのが遅れてた理由でもある。CDで始めてブラインド・ウィリー・ジョンソンの声と生ギター聴いた瞬間びっくりした。この声は悪魔が神に祈りを捧げている音だと思った。だみ声、しかも吠えるようなだみ声。アルバムを7回聴いた時、「ああ、これがブルースか!」心底思えた。目が見えないと言うことがハンデではなく、目が見えないからこそ歌えた音と声だと思った。音楽は全てキリストと神を歌ったもの。要するにゴスペルだ。しかし音は間違いなくブルースそのものである。まあ、垣根なぞどうでもいい。この歌を聴いた後思い出したのが、ハウリン・ウルフ。「なるほどこのブルースの親分もブルースのルーツを辿って行くうちにこの男に出会えたんだな」そう心から思えた。二人のの類似点はとにかく声にあった。ハウリンのルーツはこの男だと思った。勝手に思う。間違いない。スライドギターをナイフで弾いたと言う伝説〔弦が切れちゃうじゃないか〕があり、それだけでも凄いと思うけど、とにかくこの男、ジャケットに写っているような、やわな雰囲気の男じゃない。エルモア・ジェイムスやロバート・ジョンソンともまた違うスライドギター。信仰を失う事無くゴスペルを歌い続けた男としてアルバム解説にはのっているけど聴いた限りでは悪魔が神にキスを捧げたような音である。サン・ハウスも歌った「ジョン・ザ・リヴェレイター」を聴いてもやっぱり悪魔が神に祈りを捧げているとしか思えない。しかし何処からとも無くやってきた妻アンジェリーンのヴォーカルがほっとする。対照的なほど澄んだ声で美しいからだ。クラプトンも「イッッ・ノーバディズ・フォルト・バット・マイン」に打ちのめされたそうだが僕は「ゴッド・ムーヴス・オン・ザ・ウォーター」が気に入っている。ルーツオブブルース。戦前のテキサスブルースの凄みは音質では無く深みにあった。ブルースの原始には今のブルースにない泥沼に浸かったような黒人の霊歌を感じる。黒人の音が僕にとって「何故本物と感じるのか」この点については後の機会に書こうと思うけど、原始のブルースは僕を綿畑に連れて行ってくれる。
2004.01.15
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レンタル屋に行って必ず置いてないと言えるのがブルースアルバムである。一部の大都市にあるレンタル屋に行かない限り、まずない。今日取り上げたアルバムは一部の人から「まるで成金みたい!」と酷評されたアルバムである。でもレンタル屋には必ずと言って置いてある。理由は簡単。クラプトンが出ているからである。ブルースアルバムは売れない。一時ロバート・クレイが気を吐いたが、ホーーーントに世の中のヒットチャートに皆無と言っていいほど出てこない。売る事が目的のレンタル屋に文句言ったって始まらないのだけど「これでいいのか!」そう叫びたくなる。CDを買えば全ては丸くおさまるのだろうけど今日決して安くはない買い物を5~6枚買うのなら問題もなかろうけど100枚単位で買おうと思うとやはり勇気がいる。そう思って図書館で一時リクエストしまくった事があったけど、売れ線のアルバムは購入してくれるけど、マイナー物は「へん!」てなもんだ。ようはリクエストしてもなかなか手に入らない。リクエストすると容易に手に入る図書館が小石川にあるけど、さすがに家からは遠い場所になっちゃって通いつめるわけには行かない。うん、なんか愚痴と言うか文句みたいになっちゃったので軌道修正するのだけど、レンタル屋に置いてあるブルースアルバムはせいぜいブルース・ブラザーズかマディ・ウォーターズ。まあ例外のあるレンタル屋もあろうが実情は何処も似たりよったりだろう。まあ、これがブルースに耳を触れる事もなく無名の孤島のような音楽の存在になってしまう理由の一つであるけど「ブルース&ソウル・コレクターズ」のような本があるわけなのだからファンはいっぱいいるはずなのだ。まあ僕はヒットチャートの音楽が悪いとは決して言わないし、それなりに楽しい音楽はいっぱいあるので否定はせず肯定的なほうなのだけど、○○がくぼう???が洋画系のランクトップを取っている状況は???なのだ。ちなみに僕は、○○がくぼう聴いたことがあるけど、どう考えても凄いとは思わなかった。まあ、凄いと思う音楽は今必要としていないの音なのかも知れない。売れる音楽が凄いという事なのだろう。答えは歴史が教えてくれると思うけど、きっと時代が聴いた後余韻とかざわめきを残すような音を必要としていないのだろう。60年代にそういう音が多かったとはいわないけど、そう感じる音が多いのも事実だ。僕は音楽に対してはこだわりを持って聴こうと言う派ではないと思っているけど、余韻とかざわめきのない健康優良児的な音は積極的に聴く気になれない。これは唯一のこだわりだ。はは!こだわってるなぁ。何たる自己矛盾!学校教育でかかる音楽がストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」取り上げる時代が来るのか・・はは・・・こねぇだろうな。音楽って環境による所が大きいと思っている。まず親からの影響。そして学校。僕は小学校まで紅白歌合戦の歌しか聴いたことがなかった。ブルースがレンタル屋に置いてないのは、こだわりを持った社長、もしくはフランチャイズのオーナーがやっていないからなのだからか・・この点はまだCD販売している店の方がこだわりがあるな。今日は「ライディング・ウィズ・ザ・キング」聴いていたのでその事を書こうと思っていたのだけど、違う話になっちゃった。このアルバムのラストで演奏している曲。「カム・レイン&カム・シャイン」それ以外の曲は全てレベル以上だけど特に驚きもなかった。このラストの曲聴いた時ブルースじゃないけど、いいな!と思った。
2004.01.13
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茅ヶ崎のおだか丸で鯛ではなくて、何故かキス釣りに化けた。釣果はキス38匹、トラギス22匹、ホウボウ1匹。とにかく今日は寒かった。数はまずまずと言った所か。 年に1回行く恒例のキス釣り。20センチオーバーの良型が結構揃った。塩焼き、刺身、味噌汁にして食した所。明日はフライか。いずれにしてもキス釣りが始まると僕は春の訪れを感じる。まあ、まだちと早いか。小さい割りに引くよ。
2004.01.12
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しまった。寝坊しちまったぞい。朝4:00起きる予定が気がつけば6:30。鯛釣りは明日に順延しよう。明日もだめなら狼少年じゃ。 加古隆の「SCENE」昨日図書館で借りてきた。実はこの人の音楽きちんと聴いたことがなかった。聴いてみて「あんぐり」いいのだ。ひじょーに。有名な曲に映像の世紀でバックに流れていた「パリは燃えているか」聴き進むに従ってあのシーンがドンドンフラッシュバックのように蘇ってくる。寒気がするほどの感動とはこういう事を言うのだろうか。このアルバムの「SCENE」前書きで加古隆自ら書いている言葉がある。「具体的な映像を見る前に、可能な限り想像する、敢えて言うなら音楽的に想像するということです。そんなところから楽器や曲の雰囲気も見えてくるのです」この言葉に触れた瞬間、ランボーの詩、言葉を色で表現しようとした詩を思い出した。「想像」は人間として生まれてきて、類まれなる、他の動物にはないすぐれた武器の一つではないかと思っている。見る事と聴く事、二つの行為が混ざり合わさって見た事もなかった場面を「想像」する。独裁者にも、ヒーローにも犯罪者にも「想像」することでなれてしまう。輪廻転生を僕自身は見た事も体験した事もないので信ずる事は出来ないが「想像」の世界ではいとも簡単に出来てしまう。楽しいことも悲しい事も一瞬にして「想像」出来てしまう。「想像」することによって人間は輪廻転生を見ることが出来る。・・・なーんてな事考えながら「大河の一滴」を聴いている。三国連太郎の演技が光ったあの作品だ。最近では「白い巨塔」この番組でも音楽が実に効果的に流れている。加古隆のピアノは技巧ではない。一音一音が非常に考え尽くされていてメロディをはっきり伴って進行してゆく。そして何よりも深く感じるのが「時間」の流れを感じさせると言う事。これは他の音楽ではなかなかお目にかかれない。ある面クラッシックの名曲「モルダゥ」に近いものがある。空と海と空気。変わらぬ流れに対して変わりゆくものの無常を感じさせるはかなさと生まれゆく生命の、力強さを感じさせる音楽である。
2004.01.11
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リクエストがあったかどうかとは別として今日はこのアルバムについて書きます。ブルースを聴く上でシカゴブルースは知らなくてもマディは知っている人は多いと思います。ローリング・ストーンズの「ラブ・ユー・ライブ」で「マニッシュ・ボーイズ」を聴いてマディを知った人も多いと思います。こぶしを振り上げて絶叫に近いシャウトをする男臭さプンプン発散させているブルースの親分です。ほんと親分って雰囲気がとっても似合います。「ファーザーズ&サンズ」は1969年の作品です。マディの息子とも言える人達、ポールバターフィールド、マイケル・ブルーム・フィールド、1曲ではあるけどバディマイルスらが集まって制作したアルバムです。ブルースが好きな要因の一つとして仲間意識の絆のようなものを強く感じるという点があります。このアルバムを聴く度その事がよくわかります。特にバターフィールドのアンプリファイドで吹くハープの気迫の凄さは圧巻で、何度聴いても痺れてしまいます。このアルバムでも「ガット・マイ・モジョ・ワーキング」やってます。とにかく乗れます。「ロング・ディスタンス・コール」も好きな演奏の一つです。マディの声は決してうまいとは思えないのだけど、気迫が声に乗り移りギターとハープの音と絡まっていい味出してます。ミックスされた良さと言うのでしょうか、ブルースってアア!こういう乗りもあるんだなと感じさせてくれる曲が続きます。一般的な言葉でホワイトブルースという言い方があるのですがこのアルバムは成功しているアルバムだと確信出来ます。他に「ウッド・ストックアルバム」「ロンドンセッションズ」もお奨めです。ロリーギャラガーのギターも圧巻です。
2004.01.10
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今日は家に帰ったのがちょっと遅かったのでちょこっとだけ書きます。3連休の中でやっぱ今日が一番楽しいかも。マディ・ウォーターズ「1971年、ビンテージライブ」ウォークマンで聴いていた。一度聴いたら絶対忘れられないシャウト。「ガット・マイ・モジョ・ワーキング」ハープの音に気持ちよくなってしまった。この曲は何度聴いても心が弾む。ブルースの名曲です。まちがいない。
2004.01.09
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チャップリンの作品の中で最も物悲しく、老道化師の壮絶なるプライドと愛とは何かを徹底的に突き詰めた渾身の映画である。見終わった後で「人生は素晴らしい!」と言いきれる映画である。とにかく「エターニア」の音楽は素晴らしい。これは「道」で流れた音楽と同じくらい印象的な音楽である。「ジェルソミーナ!」・・・ア、思わず叫んじゃった。この映画も「愛」について描いた作品だったな。とにかくどちらの映画も音楽を聴くだけで僕はこの映画が忘れられなくなる。ライムライトは第一次大戦前、ロンドンでの物語である。カルヴェロ(チャールズ・チャップリン)はミュージック・ホールの道化師で、かつてはイギリス最大の芸風を謳われたが、中年をすぎた今はすっかり落ちぶれてしまっている。ある日、彼が酔ってアパートに帰ってみると、美しい女が自殺を企てて意識不明になって倒れていた。カルヴェロは大急ぎで医者を呼び彼女を手当てしたので幸い息を吹きかえした。彼はその女がすっかり回復するまで自室におくことにした。女はテリー(クレア・ブルーム)というバレエの踊り子で、自分の芸術に見限りをつけてしまったのだ。彼女はもう踊ることも歩くことも出来ないといい、生きる希望を全く失っていた。カルヴェロは彼女を励まし、生きるために闘わなければいけないと諭す。・・・まあ物語は、そこから始まるのだけどカルヴェロとテリーは「愛」について考えラストの大舞台でカルヴェロの死を持って終わる。いま僕は「白い巨塔」を見ながらこれを書いている。昨日の夕刊読売に山崎豊子女史自ら書いた話が掲載されていた。この物語も後半壮絶なドラマになってゆく。「アウシュビッツ」を見るのは始めてである。いずれにしても「命」について「真実」を見つめた壮絶なドラマである。山崎女史は医者の話の裏側を描いた事によって医師会から相当糾弾されたそうだ。しかし「誤診」によって苦しむ子供のメッセージ、わかりやすく言えば「負けないで!」その言葉に励まされてこの小説を描ききったそうである。話は完全にそれたが、ライムライトも「命」について描いた映画であった。僕はSFもアドベンチャーも喜劇も好きだど「命」について描いた映画はどっしりとした重みを持って心に残り続ける。
2004.01.08
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娘が突然チャップリンを見たいと言ったので年末借りてきてチャップリンの映画を見た。今は亡くなってしまった友人がチャップリンが好きでベーターでかなりの数の映画を見たのだけど、今又見直すのは何十年ぶりになるかも知れない。覚えているところや覚えていないところいろいろあるけど、「独裁者」は印象的な映画だった。チャップリンが二役をこなし、しゃべりが出る映画なので今見ても違和感はあまりない。チャップリンの映画には必ず喜怒哀楽があった。僕は楽が好きなのだけど、この映画はチャップリンの怒が凝縮されていると思う。。この映画の圧巻はやっぱりラストの言葉。今日その言葉をそのまま載せます。ここにグローバリゼーションで地球を考えた場合の一つの答えがあると思っています。特にこの言葉「兵士諸君 犠牲になるな。独裁者の奴隷になるな!彼等は諸君を欺き犠牲を強いて家畜の様に追い回している!」今のイラク問題を象徴している言葉だと思います。ただ現実はこの言葉どおりになっていない。そこに私を含めて人間の愚かさを感じずにはいられない。「独裁者」申し訳ない 私は皇帝になりたくない支配はしたくないできれば援助したい ユダヤ人も黒人も白人も人類はお互いに助け合うべきである他人の幸福を念願として お互いに憎しみあったりしてはならない世界には全人類を養う富がある人生は自由で楽しいはずであるのに貧欲が人類を毒し 憎悪をもたらし 悲劇と流血を招いたスピードも意思を通じさせず 機械は貧富の差を作り知識をえて人類は懐疑的になった思想だけがあって感情がなく人間性が失われた知識より思いやりが必要である思いやりがないと暴力だけが残る航空機とラジオは我々を接近させ人類の良心に呼びかけて 世界をひとつにする力がある私の声は全世界に伝わり 失意の人々にも届いているこれらの人々は罪なくして苦しんでいる人々よ 失望してはならない貧欲はやがて姿を消し恐怖もやがて消え去り独裁者は死に絶える大衆は再び権力を取り戻し自由は決して失われぬ!兵士諸君 犠牲になるな独裁者の奴隷になるな!彼等は諸君を欺き犠牲を強いて家畜の様に追い回している!彼等は人間ではない! 心も頭も機械に等しい!諸君は機械ではない!人間だ!心に愛を抱いてる愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ!独裁を排し 自由の為に戦え!"神の王国は人間の中にある"すべての人間の中に! 諸君の中に!諸君は幸福を生み出す力を持っている人生は美しく 自由であり すばらしいものだ!諸君の力を民主主義の為に集結しよう!よき世界の為に戦おう!青年に希望を与え 老人に保障を与えよう独裁者も同じ約束をしただが彼らは約束を守らない!彼らの野心を満し 大衆を奴隷にした!戦おう 約束を果す為に!世界に自由をもたらし 国境を取除き 貧欲と憎悪を追放しよう!良心の為に戦おう 文化の進歩が全人類を幸福に導くように兵士諸君 民主主義の為に団結しよう!ハンナ 聞こえるかい元気をお出しご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いてる明るい光がさし始めた新しい世界が開けてきた人類は貧欲と憎悪と暴力を克服したのだ人間の魂は翼を与えられていた やっと飛び始めた虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって輝かしい未来が君にも私にもやって来る 我々すべてに!ハンナ 元気をお出し!「人生は美しく 自由であり すばらしいものだ!」この言葉に触れるたびに、僕は元気が出る。
2004.01.07
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すっかり正月気分がぬけてしもた。ギャオーン。数字に追われる毎日がやってきた。金貰うって事、やっぱ、あもうないなあ。まあ、サラリーマンだからとりあえず倒産しない限り、給料は振り込まれるので精神的なダメージは少ないのだが、クレームって何度受け賜わっても、ドッキドッキ。「怒りも喉元過ぎるまで、怒るまい、にこやかに冷静に、感情的にならずに対処」って具合に・・でも、そう簡単にはいかないなあ。怒られりゃ頭くるし「こいつ後でのろってやるぞ!」殺したろって気分になるし、いいこたあねえなあ。ははははは、なかなかマザーテレサにゃなれねえな。やっぱ人間だもの、頭にくることもあるさ。相田みつをの真似ですよ。・・て言うわけで面倒な事がおきた場合はクレイジー・キャツの「スーだら節」歌う事にした。いい歌ですね。ふざけているようで結構真面目にサラリーマンの気持ち捉えていて、僕はこの歌好きなんですよ。「わかっちゃいるけどやめらんねえ」そうなのよ。理屈じゃないのね。植木等、良くぞ歌ってくれた。昨日は社長のテープメッセージ。「人の話はよく聞け」出来ると思い込んでいる奴、成功体験の多い奴ほど人の話を聞かない。そりゃそうだ。僕もどっちかと言うと意固地な方。勝ちパターンを変えたことが少ない部類。「人の話をよく聞こう」成功に導いてくれるなら。利益を生み出せす方向に導いてくれるならね。まあ、今年は結構景気回復基調なので、いい年になると思う。でも、ボーナス上がんなくっちゃね。しゃて仕事の事はこの辺でうっちゃっておこう。今日は小柳ユキの「バディ」とブラッド・メルドゥ「ラーゴ」アルバムを聴いた。どっちもなかなかのアルバム・・だと思う。・・・だと思うのはもっといいアルバムもあったね!と言う含みもあります。そして図書館で借りたあだち充の「H2」を読み耽っていた。この人の漫画って科白とコマとコマとの行間に漂う雰囲気作るのが上手な漫画家なんですね。読んだ事のない人は漫画喫茶で読むことオススメ。なんかとってもいい気持ちになれますよ。ウン。漫画は最高の娯楽の一つ。歳は関係ねえ。僕はいまだにマガジンを読んでいる。「はじめの一歩」楽しみ、楽しみ。うふふ。
2004.01.06
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・・と言う訳で取り立てて変わったことはなかった。どういうわけか、こういうのんびり出来る日に限って仕事が立てこんでしまう。久しぶりの満員電車。ウォークマンでローリング・ストーンズを久しぶりに聴いた。ベストなのでヒットのオンパレード。お気に入りが「ミス・ユー」ここでハーピストのシュガー・ブルーと言う人がミックの歌とからみあっていい味出している。93年に「アブソルートリー・ブルー」というブルースアルバムを出しているのだけどアマゾンにも何故か置いていない。ハープのジミヘンという称号をもらっていると言うので是非聴いて見たい。ハーブの音が入っていると僕は大概の曲にほれ込んでしまう。ハープってR&B、ロックにはとてもよく合うと思う。
2004.01.05
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長い休みも今日で終わり。後ろ髪引かれるけど、しっかり遊んできた。場所は平塚の庄三郎丸。前々から一度はやってみたかったライトタックルでの鯛五目釣り。針はウィリーを使うのだけど、重りがとにかく軽い。通常なら60号を使うところを30号の重りでやってしまう所が妙味。昨日、キャスティングで購入した負荷20号程度の竿を使いひたすらしゃくりながら釣るアクティブなやり方なのである。今回初めて竿の長さも1.25メートルと短めの竿でのトライ。アオリイカも出来る兼用竿である。やってみてわかったのだけど、道具が軽いと言うことは一日中竿を振り回しても疲れないと言うことである。このライトタックルはシマノのテレビ番組で児島玲子が度々紹介しているのでご存知の方もいるかも知れない。今日はシマダイも釣れたのたけど小さいから放流した。これは船長さんの指示。私の隣で1.2キロのイシダイが上がったのが今日の最大の大物。私の結果はご覧の通り。カワハギ釣りでないのに何故か2枚も釣れてしまった。丸アジとごま鯖は多数。今ひたすら、じいじいが捌いている。ごま鯖はアニーのご馳走。海釣りも行きだすと結構はまる。昨日午前1:00酔った女と男の集団が道路輪を占拠してしばらく眠れなかったけど、なんとか起き出す事も出来た。好きな事やっているせいか。ふふふ。明日から仕事だぜい。また始まるなあ。今日は自分に言おう。「元気があれば何でも出来る。仕事も始まったら、元気なので何とかなるだろう」あ、あ、揺れている。
2004.01.04
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私の所にきていただいた方の日記にビル・エバンスの事が書かれてあった。「ワルツ・フォー・デビー」は我が家のトイレに不埒にもかかっている程、お気に入りのアルバムなのである。今こうして「マイ・フーリッシュ・ハート」を聴きはじめているのだけど、なんだろう。この静かでいて、それでいてピアノ、ベース、ドラムのエモーショナルな事。これだけメロディアスなだけに飽きがきそうなもんだけど、退屈する事もなく聴けてしまう。物凄く難しい事をやっている演奏って感じがしないだけに、不思議。ライブでやっている事がよくわかるコップの擦れ合う音。本来ならこういう雑音がないほうがいいはずなんだけど、この音がなんともいい感じを出している。ジャズはライブで聴けって事なんだろうか。多分そうなんだろう。1961年6月に録音されたこのアルバムはジャズの本をめくると必ず、そう必ず出てくるアルバムである。私はこのアルバムをLPで購入した時、演奏者の事よりジャケットで買った不埒なファンなのである。ビル・エバンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンっていう人達がやっていたと言うことは後で知った。初めてこのアルバムを聴いた時、「あっそう」ってな感じで特に驚く事もなく何回か聴いたけど、レコードの棚でひっそりと熟成されていた。このアルバムを再び聴き始めたのはマイルス・ディヴィスの「マイルストーンズ」を購入してからだと記憶している。「マイルストーンズ」も正直あまりにもわかりやすいメロデイなので飽きる雰囲気を持っている。ところがこれまたビルがやると不思議と飽きないのだ。おそらく演奏者の資質によるものだとわかったのはだいぶ経ってからだ。この曲はベースのラファロも実に自分の世界に入った演奏をしている。そしてその世界が結構過激なのだ。ラファロの魅力について書く人は多いと思うけど私はラファエロが過激に演奏している音が好きだ。最近マルグリュー・ミラーのピアノが結構気に入っていて聴くことが多いのだけどビルと聴き比べてみるとやっぱりはっきりと違いがわかる。私は弾き手じゃないので詳しい事はわからないけどビルの演奏は左手にかかるメロデイラインを非常に重要視している感じがする。そしてマルグリューもやっぱり影響受けてるフレーズを時々左手で連発するんだな。まあ、これは本人と喋ったわけじゃないからよくわからないんだけど。ビル・エバンスはとにかくむっちゃくっちゃいろんなアルバムを出している。そのためたくさんのアルバムを聴くことになった。だけど聴くアルバムは不思議と限られているんだな。「ポートレイト・イン・ジャズ」「エクスプロレイションズ」この3枚をどうしても聴いてしまう。ピアノの持つ魅力を教えてくれたのがビル・エバンス。ジャズってわかりやすいんだなと教えてくれたのもビル・エバンス。肩肘張ることもなくゆったりとした気分で聴く楽しさを教えてくれたのもビル・エバンス。久しぶりにゆったりとした朝を迎えました。さてちょっと「駅伝」みるか。
2004.01.03
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「ザ・スカイ・イズ・クライング」タイトルでまず、どんな演奏しているんだろう、どんな歌い方をしているんだろうとい気にさせてくれる。この曲はクラプトンが、スティービー・レイ・ボーンがカバーしていると言った方が最近は有名かも知れない。 豪快なスライドギターと力強いシャウト。ミシシッピーで生まれ45歳にしてシカゴで逝去したブルースマン。どんな本を読んでも「エルモアの存在が無かったらロックの歴史は変わっていたかも知れない」そう書かしめたブルースマン。過去の日記でも書いたけど憂歌団の勘太郎がこの人から受けた影響についてNHKで紹介していた。スライド奏法について実際に演奏してくれた。私はその時の印象が深く刻まれている。そして近藤房之助が選ぶブルースの巨人でもその素晴らしさについて書きこんでいる。ジミー・ヘンドリックスは「最も強い影響を受けた人物」としてエルモア挙げている。おそらく強烈なギタリストは強烈なギタリストを呼ぶと言う本能的な音の絆を感じたのかも知れない。スティーヴィー・レイ・ヴォーンはサウンドまでそっくりコピーしたザ・スカイ・イズ・クライング」をカヴァーしている。最も彼の場合はエルモアだけではないんだけど・・・とにかくそっくりやっている所がにたっとしてしまう。ヴァン・ヘイレンとジェフ・ベックとトム・ウェイツがカバーした「アイス・クリーム・マン」も、基をただせばエルモアの作品だ。フリート・ウッド・マック〔初期〕がカバーした「シェイク・ユア・マネィ」の弾むようなリズム。これもエルモア無しには出来なかった。この曲は何度聴いても乗れる。重いけどもたれる事が無いリズム。オールマン・ブラザーズの音を聴くといかに彼等がエルモアの影響を受けたか一発でわかってしまう。またエルモアはロバート・ジョンソン、ハウリン・ウルフ、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、ハウンド・ドッグ・ティラーといったブルースマンたちと行動を共にした経験ももっている。 当時は情報も少なくお互いを認め合った仲間同士と言う絆が深かったのではなかろうか。そしてブルースに特に共通するのがジャズと同じようにセッションが多いという事。推測の域を出ないのだけどブルースはアドリブを飲み込む奥の深さを持っていただけにいろんな人物とのセッションが可能になったのではないかと思う。私はエルモアのボトルネックギターを聴く度あっという間に時間が過ぎていく至福を感じる事が出来る。エルモアはボトルネックが一般的には有名だけど電気を通したギターも実はとってもかっこいい。「ワン・ウェイ・アウト」を聴くと実にモダンでしゃれたギターを弾いている。最後に「ダスト・マイ・ブルーム」言わずと知れた〔知らないか、汗〕ロバート・ジョンソンの曲だ。この曲は断然私はエルモアの方が好きだ。これぞボトルのひずみをよく出している。とにかくこれらの音を近所迷惑になるくらい、ぶっとい音で聴くことをお薦めする。
2004.01.02
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元旦はとても素晴らしい天気でした。我が家族はまずお雑煮を食べてから、富士山に行ってきました。河口湖に行く高速道路の途中から全身雪を被った富士山が見えてくる瞬間、それは感動的でした。私は何十回も富士山に行っているのですがその度に顔が変わっていて飽きることがありません。一言で言えば富士山はただ、ただ美しい。写真だけでは絶対に味わう事の出来ない素晴らしさです。北斎ではないですが、福生から見える富士、湘南海岸から見える富士、東京湾から見える富士、いずれも感動的なのですが近くで見る富士山は迫力もさることながら、一瞬息を呑むくらい美しいのです。山中湖に通じる浅間神社は、人人人でした。ここでおみくじとやり、交通安全祈願のお守りを購入し、縁起担ぎの酒を飲みちょっとふらふらしながら神社の周りを徘徊しました。その時の写真がこれです。見た目以上にぶっとい桧なんです。 帰り談合坂に立ち寄り名物のアイスクリームを食べたのですがここは質、量とも満足できるものでした。渋滞もなくすーいすーい。のんびりとしたドライブを楽しむことが出来ました。さあて、今年も始まりました。どんな楽しいことが出来るのか、どんな楽しいことが待っているのかわくわくです。楽天で知り合った方、これから知り合うであろう、未知の方、今年もよろしくお願い申しあげます。
2004.01.01
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