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今日で1年の半分が過ぎた記録的に早い梅雨明けこの夏の暑さもまた記録ずくめかな白浜のパンダが中国に帰るのをたくさんの人たちが見送っているテレビが写す平和な日本の平和な風景これぞ世界一の涼エベレスト登頂すごい人数だなあ!最近はこんな集団で登頂するのかなネパールでいつもお世話になる旅行会社royal-treksのエベレストツアー今年5月、同行のガイドが撮影
2025/06/30
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桃太郎トマトここまで出来はまずまずであるこれからが烏との勝負色づき具合を見てカラスにやられる例年、ミカンなどのネットの袋かかぶせて防御していたが効き目がなくなったあとは少し色づいて彼らにやられる前に収穫することこちらミニトマト赤と黄の二株ずつを植えてそれぞれを二本(二枝)に育てている何故か烏はミニトマトには見向きもしないこちらは無防備で大丈夫*夕方涼しくなってから庭の松の剪定(緑摘み)
2025/06/29
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宮本輝『ひとたびはポプラに死す(3)』これで(1)~(3)を読み終えた中国・西安からパキスタン・イスラマバードまでの6,700キロ、40日間のシルクロードの旅の紀行文である(1)は、西安から敦煌までの行程について書いているこの部分はたまたま行ったことがある地だったので旅行体験の記憶が蘇り、懐かく読んだ(2)、(3)はシルクロードの敦煌以西の旅行記であり未知の土地の旅行記として読んだそれでも旅の体験や旅行中の気分・感想などは共通のものもあり、楽しく読んだ本であった*山羊の群れの夥しい鳴き声は、さしずめ集団で登園する幼稚園児の話し声のようで女の子をいじめている男の子もいれば誰かの悪口を言っている子もいる。きのうの晩ご飯の自慢をしている子もいるしロゲンカしあっている子もいるといったありさまなのだ。道中、一行が山羊の群れに出会う場面がなんどか登場する、上記は本書(3)の中にあるその場面の描写であるボクにも似たような体験がある2008年11月20日アンナプルナサウスのベースキャンプへ向かう途中でのことである途中、放牧の羊の群れに出会う二、三百頭もいるだろうか羊飼いのおじさんが羊たちを集めて家路に着くところ彼らのお通りが済むまでボクらはしばし立ち往生(当日のブログ)何の前触れもなかったボクたちが歩いていた斜面の上の方から突然、姿を現した羊の大群に驚いた同時に、連中にぶつかられたらこっちは千尋の谷底へ落されてしまうという恐怖感もいだいた何頭もがそばを通り抜けるが不思議にぶつかるということがない道のない斜面を彼らはお互いにぶつかることもなく秩序正しく道路まで下りで列を作ったもう少し正確に書けば身体はぶつかるのではなくふれあってはいるのかもしれないそれはこの羊飼いの見事な采配ゆえかほんの数分の出来事であった奴さんたちが通過するまでただその場にじっと立ち尽くしていたこの場面は目に焼き付いているただし彼らの鳴き声とか足音とかの音の記憶は全くないのは不思議だ
2025/06/28
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家の裏(北)と西にちょっとしたスペースがある草が伸び放題になっているはわかっているがなんといっても表の庭と畑を優先しているので気にはしながら裏庭には手がつかなかった昨日と今日でそこの除草と剪定などをした汗をかいた甲斐あって随分さっぱりとした西側のスペースにはひとり生えの見かけない木裏側の庭にはオミナエシの花が咲いていた見かけない木は調べてイヌビワだとわかったイヌビワ(犬枇杷)クワ科イチジク属の落葉低木ビワの実に似ていて食べられるがビワに比べ不味であることから「イヌビワ」の名がある「イヌ」は劣るという意味である(ウイキペディア)植物でイヌの名前の付くものはすべて劣っているものらしい(例)イヌザンショウ、イヌツゲイヌマキ、イヌガヤ、イヌザクラオミナエシオミナエシは6~9月が開花期我家のオミナエシはもともと南側の庭にあったものそれが数年前から北側の裏庭に引っ越しをしたのだ移植した覚えはないのに不思議だ
2025/06/27
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思い出という財産 現在85歳のボクは100歳まで生きられれば、あと15年の余生があることになる。しかし100歳はさすがに欲張り過ぎで、90歳までなら可能性があるかもしれない。それならあと5年、残された時間がある。過去と未来の時間を比率でいえば94対6である。 ボクの人生の94%に当たる85年間にはたくさんの思い出が詰まっている。これは言ってみればボクの貴重な財産であると考えている。その思い出の出番が最近増えている気がする。 3カ月ほど前には知人との会話がきっかけで、50年前の初めての海外旅行のことを思い出して小文にまとめ、当ブログの記事にした(※)。 いままた宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す(1,2,3)」を読んで似たような体験をしている。この本は作者が、鳩摩羅什という人物の足跡を訪ねる目的で、中国・西安からパキスタン・イスラマバードまでの6,700キロ、40日間のシルクロードの旅の紀行文である。 その1は、西安から敦煌までの行程について書いているのだが、自分の旅行体験の記憶が蘇り、登場する地名を目にするだけでもう懐かしさがこみあげてくる。1冊目を読み終えるとすぐに、当時のアルバムを引っ張り出した。ボクがこの方面に出かけたのは1998年10月と11月の2度で、27年前のことになる。「うわー、私こんなに若い、あなたはあまり今と変わらないわね」などとカミさんは勝手なことをのたまう。「あれ、この緑と白のジャージー、このころから着てたんだ、色もあせずに27年もよくもってるなあ」とボク。 こんなたわいもない会話から始まって、2200年も地中で眠り続けた後に発掘された兵馬俑のスケールの壮大さ、ゴビ砂漠の中をどこまでも続く一直線の道路を延々と走ったバス旅、砂漠の中のオアシスのポプラ並木、井上靖の小説で読んだ敦煌の莫高窟、といった具合に懐かしさのオンパレードである。 読書中に、蘭州? 天水? 聞き覚えがある。たしかここにも行ったはずだぞ、でも何をしに行ったんだろう? そんな疑問も、写真を見て〈ああ、ここだったのか〉と思いだすことも多い。記憶というものは、物忘れや思い違いが多く、そのくらいあいまいなものである。 当時、神戸の中華料理店を通じて、孫さんという中国人青年と知り合った。彼は神戸大学の留学生であった。敦煌で我々を出迎えてくれたのはなんと彼のお父さんで、藝術館館長という肩書だった。我々を莫高窟と楡林窟に案内してくれた。その孫さんとは中華料理店がなくなったのを機に交流が途絶えてしまい、いささかでも彼の応援になればと買った、莫高窟の壁画、思惟菩薩を模写した彼の作品が居間の壁に残っている。 このように思い出というものは次から次へと芋づるのように広がり、際限がない。これぞまさに思い出という財産の出番なのだ。そして日常のひとときに刺激を与え楽しませてくれる。ただ、想い出というのは当人に価値があっても他人から見れば、それは結構ですね、という程度のことでしかないだろう。 それでよい、それでもよい、ボクの残りの人生、〈出来る時にする、行ける時に行く〉という従来の自分の生き方を続けるだけだ。思い出は勝手について来る。(2025年6月)*エッセイ「初めての海外旅行」はこちら(→☆)
2025/06/26
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毎月第四水曜日はエッセイサークルの日いとこの駐車場に車をおいて会場に向かう途中の寺院の掲示板にあった言葉雨の日のあじさいがきれいなように雨の日は雨の日のよさがあります雨を嫌う人は多いでもこの言葉通り、雨の日の良さもある雨降ってんのに歩きに行くのなにが楽しいんだろ?傘させばいいじゃん過去に家人と何度も交わした会話努力の人は希望を語り怠惰な人は不満を語る「努力の人」に少し違和感がある出来れば別の言葉に置き換えたいでも適当な言葉が見つからないそれはともかく不満ばかり言う人のそばには出来るだけ近寄りたくない
2025/06/25
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昨夜、孫のナツキが仕事を終えた後高松から車でやってきた眉毛とまつ毛のケアが目的2~3カ月に一回の定例行事だボクに言わせれば、何もそんなこと時間と費用をかけてやらなくてもと思うのだが、そこは価値観の違いだ途中のSAでボクの好物の大福を買ってきてくれたがこれが嬉しい讃岐和三盆、純生入り大福「きなころ」という以前からリクガメをゴロと名付けて飼っているが、最近メダカの飼育も始めたのだという京都での眉毛のケアを終えた後あらかじめ調べておいた松井山手の店で、金魚の水槽に入れる水草や流木を買ったほかにも必要なものを、あらかじめスマホで調べておいた店に立ち寄り買い求めるのは最近の若者の得意とするところ来月四日には友人と奥入瀬渓流へ出かけるとのことたまたまボクたちが北海道へ出かけるのと同じ伊丹空港なので、うまくいけば会えるかもしれない出発時間がわかれば教えてと言って自分のフライトの予定をメモして先ほど高松へ帰った日頃は老夫婦二人の生活こういう来訪者は大歓迎だ!
2025/06/24
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家の近くの休耕田にガマ(蒲)がやってきて数年になる今年も10日ほど前から花が咲いて季節感を提供してくれている花は二段作りで、上段に黄色い雄花下段に緑褐色の雌花が咲くこの後、下の雌花穂は茶色く太くなりフランクフルトソーセージのようになる雄花は自然に消滅するガマにはガマ・ヒメガマ・コガマの3種類がある雌花と雄花の間にすき間ができるのはヒメガマヒメガマとコガマは葉の幅がせまい上の写真は葉の幅が1センチくらいと細いので多分コガマでしょう
2025/06/23
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読売や朝日のオンラインニュースで標題の報道があった(→☆)歴史に疎いボクは「日本二十六聖人画」についての詳しい事情は知らないしかし長崎で磔になったキリシタンのことというくらいの知識はある臆病者のボクにはとてもこのように命を懸けて信心を貫き通すことは出来ないでもこの聖人の絵には対面してみたい展示は9月15日までという出かけて行って実物にお目にかかるそれくらいのことは実行する価値がありそうだと思っている*展示は9月15日まで日、火、木、土曜日の午前10時~正午、午後3時~午後6時入場無料。問い合わせは教区本部事務局(06・6941・9700)
2025/06/22
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年に一度の自治会のクリーンデー役員を退いたいまは参加する側ゴミ出しをする場所が私有地をお借りしているので、近所の方とそのあたり一帯の除草をさせてもらった終了後は自宅の垣根の剪定をした道路幅がせまいので垣根が伸びると通行の車に迷惑が掛かります掃除や除草は成果が目に見えるのでやりがいがあります。
2025/06/21
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我家の貸し駐車場の一部にクズなど雑草が繁茂している年に何度か草刈りをしていたがこれが大変なので、昨年、業者に防草のシートを張ってもらったこれである程度の効果は出ているがシートの周辺からはしつこく草が伸びてくるのである昨日、ホームセンターで除草剤を買った種類が多く値段もまちまちであり商品の選択に迷ったので売り場にいた店員に質問したしかし、いまひとつ納得のいく説明が得られないのである仕方なく、希釈などしなくて済む散布型のものを買って現地に撒いた今日、時間があったので除草剤の選び方を調べてみたまるでやることが逆だな、と苦笑しながら除草剤の種類と用途のあらましを理解することができたまた次回の散布時に役立てればいいやと自分を納得させている
2025/06/20
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6/1の御手洗伝統的建造物保存地区散策中芭蕉の句碑がある満舟寺を訪ねた南潮山満舟寺(なんちょうざんまんしゅうじ)外周の巨大な石垣は、豊臣秀吉が四国攻略の際に加藤清正に築造させた城跡だという伝承があり、呉市の文化財に指定されています。(呉市のサイト)芭蕉百回忌に建てられた「誰彼塚(たそがれづか)」(写真右)(碑文)海久礼亭鴨能声本のか耳白しうみくれてかものこえほのかにしろしこの句は、貞享元(1684)年 芭蕉の『野ざらし紀行』の中にある。彼は桑名(三重県)から海を渡って郷里に近い熱田(名古屋市)で弟子の桐葉・東藤・工山等に迎えられた。「この海に草鞋すてん」とまで感激し満足の意を表した。暮色ようやく濃くなりかけた頃であろうか、海の面に聞こえてくる鴨の声を「ほのかに白し」と叙して、師走の海の静寂を表現している。五・五・四・三の新風の第一歩として有名である。松尾芭蕉の百回忌に当たる1793 (寛政5) 年芭蕉を偲んで各地で建碑運動が盛んになりこの「誰彼塚」 (翁塚) もその一つであるこれらは一般に「芭蕉塚」と呼ばれている今回、そんなことを知ったまた、瀬戸内の島のひとつ・大崎下島がそれほど俳諧が盛んな土地であったということもよくわかった地理的には愛媛に近く松山の影響らしい*参考ー御手洗の歩き方(→☆)
2025/06/19
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ニンニクの花ジャンボニンニクを収穫した後茎の部分を畑の隅に放置しておいたらこんなきれいな花が咲きましたニンニクの花を見るのは初めてですいつもはニンニクの芽の段階で収穫しているのですが今年は横着してそのまま放置しましたそれでも収穫時には茎を切り取って捨てたのですが結果は花が咲いた切り取った茎に花が咲くとは精力が強いことの証明ですねニンニクの花はネギの花とそっくりネギの花は色が白いですが‥‥‥
2025/06/18
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キツネのエフデ(狐の絵筆)普通のキノコのように傘の部分がない見かけたのは今年の5月19日大和葛城山の山上付近名前の由来は、先端が赤い絵の具の付いた筆のようになっていることからだというなぜキツネなのかはわからない念のため、これは毒はないけれど悪臭がひどくて食べられないという*5/19地元の楽歩会で葛城山のつつじを見るために出かけた時のこと見事なツツジを観賞してロープウエイに向かう途中、同行の一人が「あの赤い花は何?木から花びらが落ちたのかな」「というので見ると、クマザサの間に点々と赤い花びらのようなものが見える写真を撮る間もなかったので赤い花びら状のものを一個拾って(実際には引き抜いて)ロープウエイに向かった乗り場で同行のみなさんに追いついて持ってきたものを写真に撮ったのがこれGoogleLensで調べると候補の中でキツネのエフデが最も近い帰宅後、もう一度確認しようとしたがどうしても出てこない、何度やってもダメ「キツネのなんとか」だったまでは覚えているがあとが思い出せないまるでキツネにつままれたような気分である知りたいと思えば一層知りたくなるのが人情「野の花探訪」というサイトにこの写真を貼り付けて質問をしたところ即座にキツネのエフデとの回答をもらえたこれでようやく一件落着となった次第世の中には変わった植物があるものである
2025/06/17
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地元の楽歩会、6月例会参加者15名、9日の下見と合わせて延べ28名であったコース:地下鉄鶴見緑地線・門真南駅→三島神社(薫蓋樟)→一休さん生母の墓→花博記念公園「鶴見緑地」→地下鉄鶴見緑地線・鶴見緑地駅(7km)梅雨に入っているので雨のことばかり心配していたが、おかげで雨は大丈夫ところがすごい暑さ、おまけに湿度が高くこれには閉口した風呂で汗を流してビールと夕食の後パタンキューとひと眠りいま目が覚めてこの記事を書いているコースはまったく下見と同じのため説明省略上の写真はコースを完歩して鶴見緑地公園の緑陰で憩う参加者下見時の記事→☆
2025/06/16
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長寿会の六月例会に出席参加者は33名午前中は会員二人の話・90歳女性の戦時中の小学校の思い出・地元の美しい自然と暮らし、昔と今お二人とも地元で生まれ育った方でその体験談を語っていただいた話しの後、関連した思い出ばなしが会員から次々に語られて懐かしく楽しいひと時を過ごすことが出来た午後からは隣町のコーラスグループが懐かしい歌を十九曲、次々に披露一曲ずつに簡単な時代背景などの話が面白く語られ、全員で合唱したその後、来月の地元の保育園児との交流で輪投げ大会を予定しているので練習を兼ねて輪投げで遊んだ企画する側の役員もだが、会を楽しみに身体は不自由でも子供たちの送迎で参加してくれる会員さんたちで例会が継続しているのは素晴らしい!
2025/06/15
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寂地峡(じゃくちきょう)五竜の滝山口県岩国市錦町宇佐訪問日:2025年5月31日寂地峡五竜の滝は、山口県岩国市を流れる錦川支流の宇佐川周辺の峡谷寂地峡に懸かる5つの滝の総称で日本の滝百選に選ばれている下流から上流に向かって順に以下の通り竜尾の滝、落差15mの段瀑登竜の滝、落差8mの段瀑白竜の滝、落差10mの斜瀑竜門の滝、落差14mの段瀑竜頭の滝、落差14mの直瀑駐車場および案内所宇佐川源流の碑錦帯橋が昭和の時代に洪水で流失した際「宇佐川」の源流である寂地峡周辺から木を切り出し錦帯橋の用材として使用されたその後、平成になって再度、架け替えが行われその旧用材を岩国市より提供されたそのあたりの経過を説明している寂地峡の説明五龍の滝の見取り図図中央のBコース(紫)沿いに、右から左へと上流に向かって登りながら五つの滝を訪ね左側のAコース(茶)から宇佐八幡へと下りたこの図を見て、川沿いに歩けばよいのかと思ったが、実際に歩いてみるとほぼ垂直に階段や坂道を登っていくのだった駐車場を出発、最下流の竜尾の滝へ向かう延齢の水、こういうのがあれば迷わずに飲むことにしている最下段(下流)の竜尾の滝ここまでくると静寂そのもの滝の音以外は何も聞こえない同上、ゆったりとした滝壷登竜の滝、このあたり滝が上下につながってどこからどこまでが一つの滝なのかわからないこの写真でも龍が登っているように見える登竜の滝、滝壷の水色が美しい白竜の滝(下から三番目)竜門の滝、下から四段目、残るはあと一つ最後の竜頭の滝へ竜頭の滝、ずいぶん上って来たなあ!垂直に切り立った崖ここまでの五つの滝をまとめて五龍の滝竜頭の滝、滝壷滝壷から流れる水一段上がって滝壷を見おろすなるほど、滝がこれだけ縦につながっていれば一つ一つの滝をどうこういうよりまとめて五龍の滝というのがぴったりくるたいがいたくさんの滝を見てきたがこのような滝は初めてお目にかかったBコースを登りきったところで左右のA、Cコースに分かれるボクたちは左側のAコースを宇佐八幡宮へと下りた木馬トンネル同、説明滝はどこへ行っても信仰の対象になっている簡単に行ける場所ばかりではないのに誰かが引き継いで花を生けたり水を供えたりしているのを見ると頭が下がる思いである宇佐八幡宮大杉の説明近くの杉の木を見上げる*車で15分ほどの所にある宇佐の大滝(落差28m)を訪ねたご覧の通り、茂った木が邪魔して落口しか見えない、残念!
2025/06/14
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朝日新聞・毎週金曜日の夕刊に「まあいいか」という大竹しのぶのエッセイが連載中毎回欠かさずに読んでいる本日の話題は友人とバリ島へ旅行初日の宿が気に入らなかったので即座に宿を変更して楽しい旅をしたという内容であった気に入らなかったことは客室の広さが聞いていたのと違う友人は蚊に襲われて眠れなかった朝食の量が少なく味も良くないなどの複数の理由だった即座に宿を変えるという決断に敬意を表したいところである*このエッセイを読んで、旅行中に蚊に襲われたボクの二つの記憶がなまなましくよみがえったひとつは四国遍路の際の体験である高知県の民宿(遍路宿)だった遍路のごちそうである暑い風呂と夕食時のビールを飲んで眠りについた目が覚めると何匹もの蚊の来襲であるこれはひどい、いつでもどこでも眠れるのが特技のボクではあるがこの時ばかりはさすがに眠れなかったホテルならすぐにフロントに電話をするところであるが、ここは民宿すでに眠っているであろう家人を起こすのも忍びない蚊取り線香ぐらいは置いてないのかと探すが見当たらないそれでも何とか眠りについた朝、もう一度探すと蚊取りのベープがテレビの下に見つかったがあとの祭り似たような経験がもう一度あるそれはスリランカのホテルでのことこの時はカミさんと一緒だったやはり、夜中に蚊の来襲である遍路の時のように大群ではないしかし、プーンというあの声で二人とも寝られないシーツを頭からかぶったりして苦労したことが昨日のことのように思いだされる同じような経験はまだほかにもあるかもしれないエッセイを読んでこの二つに経験が即座に鮮明によみがえったのだった
2025/06/13
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ニワウルシ(庭漆)ニガキ科の落葉高木別名、シンジュ(神樹)撮影:2025年6月9日ウルシ(ウルシ科)とは全くの別種でウルシのようにかぶれる心配はないという見かけた場所は大阪中央環状線門真ジャンクション下の歩道橋すこし離れた場所からは上の写真のようにで赤い花が咲いているように見えた近づいてみると赤いのは花ではなく実であった※WEBサイトで調べた限りではニワウルシであるが、花の時期が6月というのが疑問で花が6月なら実はもっと後になるはず花木に詳しい方がおられたら教えていただきたい
2025/06/12
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まずはアジサイなんといっても梅雨にはこの花ヤマアジサイシチダンカこの写真は5/29撮影今年は梅雨を待たずに終わってしまったおなじみのドクダミ生命力が強くどこにでも生えるので困るでも十文字の純白の花は美しいクロホウズキ、ナス科の一年草クロホウズキと言っても黒いのは実で花はご覧の通り紫色ナス科というだけあって葉はナスに似ているサラサウツギこの花も雨に濡れたところがとても風情があって美しいシチダンカ同様、梅雨を待たずにほとんど散ってしまった
2025/06/11
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JR/西条駅前大通りの両側の歩道に八カ所、カラーマンホールが設置されていたこんな幸運はめったにないことだおかげで労せずして八カ所分を見ることが出来た一度にこんなにまとめてみると絵柄の意味を想像して楽しむゆとりなどなくいきなり市のサイトを見て確認した結果的にはボクの知識ではほとんど推定することなどできなかったので結果は同じことである1974年、4町の合併で東広島市が誕生2005年、平成の大合併で市域が拡大という大まかな事情がわかった1974年、西条、高屋、八本松、志和の4町合併によって東広島市が誕生した中央十字方向はペンと鉛筆で学園都市をイメージ周囲は市の木である松と市の花ツツジをデザイン上記のノンカラー版東広島市は1974年の市政以来、2005年に黒瀬町などを合併して現在にいたっているこの蓋は合併前の黒瀬町のマンホール蓋を元に市章の変更などで対応したデザイン桜は黒瀬町の町の花・町の木周囲には山と太陽が描かれ、山間に桜が咲き乱れている様子を表現している同じく合併を期に、特産品のビワに旧安芸津町の町の花、ジャガイモを加えてデザインした安芸津町のビワは歴史が古く、1905年長崎から苗木を持ち帰ったのが始まりジャガイモは高級ブランドで全国的に知られる旧河内町の町の花・ツツジと沼田川の清流に棲む金口鮎をモチーフにしたデザイン河内町の天然遡上の金口鮎は鮎の最高級品大内原地区農業集落排水マンホールの蓋旧河内町の花・ツツジと清流を飛ぶホタル豊かな実りを象徴する稲穂をデザインしたもの中央の旧福富町の町章を東広島市の市章に変更して、旧福富町のデザインを引き継いだ主体は沼田川水系造賀川にある落差6メートルのわにぶちの滝と福富町の町花シャクナゲ上記と同じく中央の町章を市章に変更した豊栄(とよさか)町はオオサンショウウオの生息地町の木アカマツと蝶の花ミツバツツジをデザイン豊栄町の豊かな自然を表している東広島市の空気弁蓋全てツツジだけのデザイン志和堀地区農業集落排水マンホール蓋東広島市の木・松と清流を飛び交うホタルをモチーフに農業集落排水事業により美しい自然と住みよい環境造りを目指してデザインされた2011年市民から公募した最優秀作品酒蔵なまこ壁とレンガ造りの煙突その背景の飛行機は広島空港臨空都市を表現東広島市の市章東広島(ひがしひろしま)の2つの「ひ」を鳥の飛体で表現している*今回のドライブで東広島市の存在を初めて知った西条は西条市だと勝手に思い込んでいたそしてこのマンホールの絵柄のいわれを知るにつけ、当地にはアユやホタルサンショウウオが生息する豊かな自然が残っていることを知った生息するまだまだ自然豊かな
2025/06/10
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鶴見緑地公園の風車の丘関西は今日から梅雨入り地元の楽歩会は本日が6月例会の下見花博記念公園「鶴見緑地」の季節の花を訪ねた、参加者は12名コース:地下鉄鶴見緑地線・門真南駅→三島神社(薫蓋樟)→一休さん生母の墓→花博記念公園「鶴見緑地」→地下鉄鶴見緑地線・鶴見緑地駅(7km)三島神社の薫蓋樟(クンガイクス)高さ約30m、少なくとも1000年以上の樹齢を持っていると言われるもので国の天然記念物に指定されている目通り周囲12.5m、ただただ圧倒される過去にも何度か訪れているがいつ見ても圧倒される三島神社の薫蓋樟の近くにある一休さん生母の墓案内担当の高〇さんが詳しく説明してくれた花博記念公園「咲くやこの花館」そして最後が花博記念公園「鶴見緑地」今年は花博から35周年になる「咲くやこの花館」の温室も見たかったが月曜日は休館である、残念!標高39mの鶴見新山高木のため見にくかったがジャカランダの花も見ることが出来た花博のマスコット、花ずきんちゃんこれも懐かしいゴールの地下鉄・鶴見緑地駅この駅前の風景の記憶だけはなぜか比較的はっきりと残っていた
2025/06/09
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御手洗伝統的建造物保存地区( 広島県呉市豊町御手洗)軒下の花ですこちらにも同上、町内のみなさんが申し合わせて実施されている模様涼感があってホッとします花って、植えても生けても不思議な魅力があります日常生活と切り離せないですね
2025/06/08
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この村の風が好きだといふやうに何度も巡る初燕なり(厚木市)北村 純一ツバメが飛び交う姿はいつ見ても軽快そのものこの句はその情景を眼前に浮かばせるに十分である「この村の風が好き」という言葉と結び付けたところがまた素晴らしいと、ただただ感心している筍を茹でる時のみ出番あり賑やかなりし頃の大鍋(松山市)矢野 絹代我家にも似たようなことがある上の句を拝借して筍を茹でる時のみ出番あり鍋を下ろせとノッポのわれに(ダジャレ歌壇)ビッグジョン四月の孟宗のタケノコ五月のハチク、六月のマダケと自然の恵みのタケノコを十二分に堪能させてもらっている流しの上の戸棚から大なべを下ろすのはいつもボクの役目
2025/06/07
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昨日の新聞の一面トップ「出生数 初の70万人割れ」という大きな見出しが目にとまった出生数減少の記事は・統計がある1899年以降で過去最少となる・68万人台になるのは推計より15年も早い・婚姻数、離婚数とも前年より増加している・死亡者数は160万5298人で過去最多である記事は、出生数の減少の速度が予測よりかなり速い速度で進行していると指摘している言い換えれば見通しが甘かったということだ死亡者数は過去最多というのも微妙だ我々のような高齢者人口が多いのだから当然と言っていいのだろうところで人口が減ることはそんなにマイナス面ばかりなのだろうか逆によいことだってあるはずだ統計によると日本の人口は終戦時は7,200万人明治維新当時は3,330万人江戸幕府成立時で1,227万人いっそのこと江戸時代とは言わないが現在の約四分の一だった明治維新の頃の人口に戻るような発想はないのだろうかタワマンもリニア新幹線も要らなくなる乱開発された自然も元の姿に戻るだろう豊かな自然が蘇って急がない社会が復活する人が住むところは何カ所かに限定されてそこだけは科学技術の粋を尽くした超便利な未来都市になっているまるでユートピアだでも心配事もないわけではない人口の減少は、国の弱体化につながりどこかの国に侵略されてしまうかもしれない余命の少ない一老人は人口問題解決にはなんの役にも立ちそうもない暇にあかせてこんなバカげたことを考えることぐらいは許されるだろう
2025/06/06
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カミさんが我が家の畑の土手下でシジミを採った、天然モノであるこう書くとまるでツクシかワラビを採ったのと同じ言い方になる自然の恵みを手に入れたという点ではツクシを採るのもシジミを採るのも同じことかもしれない思いがけないことで、カミさんは随分と嬉しかったようだなかなか粒の大きい立派なシジミだこれは早速、夕食の味噌汁になった身はとろりとして美味しかった
2025/06/05
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水曜日のグラウンドゴルフは足元の状態が悪く中止になった午前中、畑仕事をして午後から交野山往復本日の交野山、いつも変わらぬ風景平日のため登山者はポツリぽつり適当な涼風があって快適今日の花はササユリとウツギ交野山登山道の途中にササユリウツギの花が足元を真っ白にウツギの花野外活動センターで知り合いの四人組ウオーカーにお会いしました。
2025/06/04
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5/31~6/1の二日間のドライブJR・西条駅前の七つの酒蔵巡りは独特の雰囲気の中、優雅な時間を過ごしたJR・西条駅の夜景スマホのカメラは実際より明るく写す酒蔵通りの標識七つある酒蔵の配置図白壁の蔵や赤レンガの煙突が印象的時間もゆっくり流れている我々のような見学者が散策している訪ねたのは土曜日の午後であったが混雑するほどの訪問者ではなかった西条瓦(赤瓦)の説明ドライブの途中、当地域では赤瓦の屋根の民家を数多く見かけた東広島で使われているこの赤い瓦は“凍てに強い”として有名な島根の石州瓦で日本三大瓦の1つと言われているそれぞれの酒蔵では限定の商品などをたくさん並べている試飲はすべて有料となっている平常はめったに買わない高い酒を奮発して買ってしまった最近はさすがに酒量も減って量より質を楽しむようになった人生を振り返れば、世の中に酒があって良かったそしてボク自身も酒が飲める体質でよかったそんなことを考えながらの酒蔵散歩であった郵便ポストも街並みに合わせてデザイン酒蔵のまちのデザインマンホールなまこ壁の酒蔵に囲まれてレンガ造りの煙突がそびえ立っている*日本酒に関する俳句以下、上記写真の句と説明ですがお酒や俳句に興味がなければパスしてくださいネ酒飲みに語らんかかる滝の花(松尾芭蕉)奈良吉野の龍門の滝を訪ねた折の一句。この絶景を酒飲みへの土産話とすればさぞ喜ばれるだろうとの感嘆が込められています。さらに同時に詠んだ句も「龍門の花や上戸の土産にせん」と、これまた酒がらみ。芭蕉の酒仙ぶりが伺えます。朝額は酒盛知らぬ盛り裁(松尾芭蕉)この句は貞享5年(1688年)芭蕉45歳の時、『更科紀行』の出発に際して詠まれたものです。多くの門人が集まり、別れを惜しんで酒盛りをしているが、朝顔はそんなことに関係なく今を盛りと咲いているわけです。酒宴は夜でしょうしね。草のタや日暮れてくれし菊の酒(松尾芭蕉)菊の花びらを浮かべた酒を飲み、長寿を祝う重陽の節句。隠遁生活の自分には無縁のことと高をくくっていた芭蕉ですが、夕刻に門人·川井乙州が祝いの酒を手に駆けつけます。思いもしなかった祝いと酒。さぞ嬉しかったことでしょう。酒のめばいとど寝られぬ夜の雪(松尾芭蕉)世俗を離れて暮らす芭蕉ほどの聖人であっても、雪が美しい夜はそれを肴に一献傾ける友が欲しくなるもの。しかし、雪の夜に訪ねてくれる人もなし。最高の友である酒を一人飲んでみたものの、帰って人恋しくなってしまったのだとか。十五から酒をのみ出てけふの月(宝林其角)松尾芭蕉の弟子で、酒豪としても知られた宝井其角。十五歳の時にはすでに酒をたしなんでいたそうです。この句は早熟な自身と中秋の名月をかけたもの。「十五夜」と呼ばれる中秋の名月には様々な呼び方があり「けふの月」とも言います。酒をたべてゐる山は結れてるる(種田山頭火)造り酒屋の息子で大変な酒好きであった種田山頭火ですが、放蕩者の父と自身の酒癖が災いし家業を廃業するはめに。晚年は修行僧姿で西日本を旅する日々。僅かな持ち合わせで酒を買い、まさに「酒を食べる」境遇だったのでしょう。ほろほろ酔うて太の葉ふる(種田山頭火)「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」と酔う過程を表した山頭火。「ほろほろ」と酔う様と木の葉が舞う音をかけた、「酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語った、彼らしい一句です。婆々どのが酒吞に行く月夜战(小林一茶)わざわざ外にお酒を飲みに行くのには、縁遠いようなお婆さんでも、つい飲みに出歩くほどの見事な月夜。月の持つ不思議な力には、お婆さんでも逆らえない?杉の葉のぴんと戦(そよ)ぐや新酒樽(小林一茶)造り酒屋の軒先で見かける杉玉。杉の葉を束ねて丸めて作り、毎年新酒の時期に交換します。本来、杉玉は酒蔵が酒の神様への感謝のために掲げるものですが、酒好きの一茶にすれば真新しい杉玉は、新酒ができたという合図だったのでしょう。盃に散れや糺のとぶほたる(小林一茶)納涼の名所として知られた京都・下鴨神社境内にある「紀(ただす)の森」。無数のホタルが飛び交い、盃に蛍火が移る様子はさぞかし美しかったことでしょう。これを書いた今夜はじっくりと日本酒を味わうことにしよう!
2025/06/03
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明日は雨の予報になっているので本日はタマネギとニンニクを収穫したこちらはゴーヤ昨年のこぼれ種からこんなに発芽した我家は四株もあれば十分誰かさんではないが、売るほどある
2025/06/02
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ドライブ二日目は広島沖の大崎下島にある御手洗伝統的建造物保存地区を見学昨日は滝を訪ねるハイキング本日は観光でゆったりとした行動マークの左側四つの島が橋で呉市とつながっている時代をタイムスリップしたような雰囲気が残る地区である*今回の二日間のドライブは娘夫婦による父の日、母の日のプレゼントだというので有難く甘えることにしたまた東広島市はムコドノが幼稚園から小学校卒業までを過ごした土地でもあり、本人も懐かしい幼時を振り返って思い出話などを聞かせてくれた
2025/06/01
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