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木昌1777さんComments
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夢を見た。しだいに不愉快になり、憤りのような感情が湧きあがって、そして目が覚めた。
こんな夢だ。瀬戸内寂聴さんの写真の横に若い男性(
たぶん、SEALDsの奥田さん
)の写真が並んでいる。
お二人は対談したらしいのだ。そこで、その内容を知ろうと探し始める(おそらくネットで)のだが、何も見つからない。
安保法案のことや闘いのことだろうと予想はつくが、何も見つからない。また、二人の写真の場面から始まって、情報検索、何も見つからない、そんなふうに同じ夢を繰り返す。
何度かの繰り返しの後に、「いったい俺は何をしてるんだ」と目覚めて(夢の中で)、それからどんどん腹が立ってきて、何か声を上げた瞬間に目覚めた(今度は、ほんとうに)。
目覚めて、考えた。この夢には少なくとも二つの問題がある。
反自公政権という立場からは、お二人の言動はたいへん注目されている。とりわけSNSで取り上げられることがきわめて多い。それはそれでたいへん素晴らしいことだと思うし、私もまたお二人を尊敬している。
ただ、私は自分の中にヒーローを作ってはいけないとずっと考えてきた。だから、どこか心弱くなって、お二人のことを頼りにしているのではないかと夢の中で心配したのだと思う。 ヒーローを待望するようになると、人は自分でものを考えなくなる。泣くにせよ、笑うにせよ、闘うにせよ、逃げるにせよ、自分の精神だけを頼りにしたいのだ。
自らの精神の活動を閉ざしてしまうのは、自分の力だけで考えることを放棄するためだ。私をつまらない場所に閉じ込めるのは、他ならない私自身の心と肉体なのだ。
ぼくたちを閉じこめている格子は
鉄でもなければ、木でもなく
なまの筋肉で出来ている、
この動く格子のなかから
ぼくはどうしても逃れることができない。 鮎川信夫「夜の終わり」より [1]
もう一つ気になったのは、なぜ何度もお二人の対談内容を探し出そうとしたのかということである。あの執拗さは、どうも単なる知的興味だけとは思えない。何かに役立つと思っていたに違いない。
たとえば、それをブログネタにしようと考えたというなら最悪である。自発的な行動、行為、経験の後にブログを書くのであって、ブログのために何かの行為が求められるのは私にとっては本末転倒である。ブログを書くために何かをやるくらいなら、ブログなんてやらない。
いずれにせよ、そんな夢を見る自分に腹を立てているのである。
寝覚めの悪い1日が始まり、それでも夕べともなれば金デモに出かけるのである(気晴らしに、ということではない、けっして)。



集会@錦町公園。(2015/9/4 18:39、40、43、43)
お盆を過ぎれば、どんどん日が短くなる。家を出て錦町公園に向かうあいだにすっかり陽が落ちてしまった。
ここ数日は暑さがぶり返したが、すっかり晴れ上がるわけではない。ときどき小雨が降ったりするので、蒸し蒸しという暑さだ。長袖から半袖の上衣に替えていたのだが、公園に着く頃にはけっこう汗まみれになった。
フリー・トーク。(2015/9/4 18:45、49、54)
集会は、川内原発2号機の燃料装填の話題から始まった。福島原発事故の月命日の11日に始めるということで、福島事故の反省どころか、事故被害へのいかなるシンパシーも持ち合わせていないことがうかがえる話である。
そのあと、女川原発再稼働反対を目指すシンポジウムの企画の告知もあった。詳細チラシは来週早々に完成するということだ。
自然エネルギーへの変換を目指して始められた市民による太陽光発電事業「きらきら発電」が着工して、9月6日に開所式が開かれるという報告があった。
また、「脱原発仙台市民会議」が仙台市の防災計画課に申し入れていた懇談会が、9月9日13:00から市役所・市民の部屋で開かれるという案内があった。仙台市の防災計画や日本の原子力規制政策について懇談形式で話し合いが行なわれる。
さらに、女川から福島の現状視察に行かれて、復興にほど遠い福島の現状についての報告もあった
千葉県市川市から親の介護のためにときどき帰仙するつど金デモに参加される方の挨拶もあった。自分の母親、妻の母親と介護が続く私にとっても「デモと介護」は主要なテーマである。
最後に、30日に開かれた「2015年夏Hot語りのカフェ」とその後の街宣活動への参加の報告があった
。

定禅寺通りを行く。(2015/9/4 17:06、14)


一番町に入って。(2015/9/4 19:18、19、19)
民主党政権時代は2030年には原発ゼロにするとしていたので、脱原発運動は条件闘争的な要素もないではなかった。しかし、自公政権になってから、原発を
基盤
エネルギーに据えるという政策によって、脱原発は反自公政権そのものでなければならなくなった。
その間、白井聡さんの『永続敗戦論』
や矢部宏治さんの『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』
[3] などの著書に典型的に現われたように、自公政権打倒を超えて、アメリカ合州国政府と向き合うことが避けられないことを多くの国民は知ることになった。
原発による日本国土の荒廃のみならず、戦争法案という日本国民の命を賭ける政策に対峙せざるを得ない私たちは、当面は自公政権に抗っていくしかないが、いずれは、日本の政治システムの背後にべったりと張り付いているアメリカ支配に向き合わざるを得ない。
先に詩を引用した鮎川信夫は、先の戦争に行き、生き残った詩人である。
新しい
戦争危機の時代にあって、その詩集最後には奇しくも「アメリカ」と題する詩が収められている。
それは一九四二年の秋であった
「御機嫌よう!
僕らはもう会うこともないだろう
生きているにしても 倒れているにしても
僕らの行手は暗いのだ」
そして銑を担ったおたがいの姿を嘲けりながら
ひとりずつ夜の街から消えていった
胸に造花の老人たちが
死地に赴く僕たちに
惜しみない賞讃の言葉をおくった
予感はあらしをおびていた
あらしは冷気をふくんでいた
冷気は死の滴り……
死の滴りは生命の小さな灯をひとつずつ消してゆく
Mよ 君は暗い約束に従い
重たい軍靴と薬品の匂いを残し
この世から姿を消してしまったのだ
………
今でも僕は橋の上にたつと
行方の知れぬ風の寒さに身ぶるいするのだ
「星のきまっている者はふりむかぬ」
Mよ いまは一心に風に堪え 抵抗をみつめて
歩いて行こう 荒涼とした世界の果へ…… 鮎川信夫「アメリカ」より [4]
コーラーのお二人。(2015/9/4 19:18、21)




一番丁。 (2015/9/4 19:27、29、30、32)
脱原発犬、チョモランマさん。(2015/9/4 19:16、29)
55人のデモに、今日も脱原発犬としてチョモさんが加わっている。まったりと集会の時間を過ごし、飼い主さんと挨拶をし、デモの間は泰然とキャリーカーに座っている。


青葉通り。(2015/9/4 19:36、38、38)
夏休みが終わったせいか、今日の街には人が少なかったような気がする。雨さえ降らなければ、当面はデモにはいい季節が続く。
[1] 『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社、1965年) p. 86。
[2] 白井聡「永続敗戦論――戦後日本の核心」(太田出版、2013年)。
[3] 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)。
[4] 『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社、1965年)pp. 240-243。
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