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歩世亜さんComments
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目が覚めた5時ころには天気予報通り小雨が降っていたが、朝食を食べるころにはもう止んでいて、予定通り行動することにした。午前中は車でしか行けない所をスポット毎に訪ね歩き、昼頃にホテルに引き上げて、午後からは徒歩で街に出て、適当なところで昼食をとり、あとはと徒歩向けのモデルコースを参考にしてのんびりと街歩きである。幸いなことに、今日の気温は23℃くらいという涼しい日になるという予報である。
今日の一番目は、妻も私も「五百羅漢」と決めていたのだが、常用のナビではうまくルートが見つからず、もう一つのナビでなんとか10分ほどで行けるという近い道を見つけた。ホテルは「鍋倉城跡」のある山の麓にあって、そこから城山の斜面を抜ける細道である。この道を利用して五百羅漢と「鍋倉城跡」の2か所を目指すのである。9時少し前にホテルを出て裏山の道に入って登って行くと倒木が道を塞いでいる。動かしてみても私に力ではピクリともしない。どこに連絡してよいのか見当がつかないので、ホテルのフロントに電話して状況を伝え、しかるべきところに連絡を頼んだ。
五百羅漢へ行くことは諦めて、次のスポット「卯子酉 (うねとり)
神社」へ向かった。駐車場は広く公衆トイレもある小さな神社である、参道は民家に隣接していて、団体の観光客などではだいぶ迷惑をかけるだろうなと思えるほどである(観光客は私たち二人だけだったが)。縁結びの神様で、赤い布に願い事を書いて祀るのだそうである。
次は、田んぼの中に小さな社、「荒神神社」である。田んぼの中のほんとうに小さい茅葺屋根の神社で、「日本の原風景、また遠野を代表する風景」と形容されている。遠く西の方では権力者たちが壮大な神殿を建て一族の栄華(と権力の維持)を祈願したことを思えば、貧しい農民の祈りがこの小さな社を通じてなされる切なさ、愛おしさに打たれる。



荒神神社に「六角牛 (ろっこうし)
神社」の案内があったのでそこに向かった。ホテルを出てからここまでときどきパラパラと降り出すのだが、なぜか目指すスポットに着くと雨がやんで観光は順調に進む。道は六角牛山の方に向かい、道々雨が降っていたが、細い山道で六角牛神社についたときにはもう降っていない。信仰心を持たない私にも、もしかしたらそれぞれの神社の加護ではないかと思えるほどの塩梅である。
卯子酉神社や荒神神社と違い、六角牛神社の境内は広く、立派な社務所もあったが人はいないようであった。ここに着いて気づいたのだが、遠野の神社仏閣の周囲の木々は長寿の大きな木が多いのだった。車で走りながら見ていても、民家のまわりの木々も道端に固まった数本の樹木もみんな大きく立派なのだった。家々は建替えられていてもそのような部分はずっと残されているような雰囲気がある。だいたい、とても小さな神社が「遠野遺産」としてたくさん残されていることが貴重だ(私の生まれ育った農村にもいくつか小さな祠があったが今はもうない)。
伝説の六角牛山を祀る神社を見た後は、もう一つの山、石上山を祀る「石上神社」である。少し距離があるが、これで正午ごろにはホテルに戻れるという算段だ。道を荒神神社まで戻り、それを過ぎて小さな山を越えたあたりからまた雨が降り出した。その雨は次第に強くなり、土砂降りになった。車の運転を始めて以来こんな土砂降りは初めてと思えるほどの降りで、前方も後方も見通しが効かなくなった。すべてのライトはもちろん、ハザードランプも点灯してそろそろと走っていたが、5、6m先も見えなくなったので道路わきに空き地に止めて様子見をした。
少し待てば弱まるだろうとは思ったが、この豪雨ではどこか道路まで水が上がって通行不能になる恐れがある、遠野は盆地のうえに地理不案内でどこが危険(安全)なのか全く見当がつかない。じっと待っているのも安全とは言えない、ということに気づいた。少しばかり雨脚が弱まったような気がしたので、計画を変更して、ホテルに戻って様子を見ることにした。
雨は少しずつ弱まってきてもうすぐホテルというあたりですっかり上がってしまった。正午までには40分ほどあるものの私はすっかりやる気が失せていてホテルに戻りたかったが、妻は「折角なのにもったいないね」と主張するのである。そこで再び計画を変更して石上神社に向かった(運転させている者とさせられている者の身分差が厳しい)。
道は朝一番に行った卯子酉神社横を通るのだが、少し神社を過ぎたところに「五百羅漢」への立派な案内看板が立っていた。この道を利用して明日朝一番に行こうと妻と話して、石上神社に急ぐ。西に向かう道は次第に人家がまばらな道に入って行き、ナビが「目的地に到着しました」というのだが、案内看板もなければそれらしきものも見えない。杉林の斜面を見上げていた妻が「何か見えるよ」というので、けもの道のような斜面の細道を濡れた草をかき分けながら登ってみると石上神社の境内に出た。参道は私たちが着いた道の反対側に伸びていて、裏参道は少し遠回りで車の道まで続いていた。裏参道を戻り、カメラを持ってもう一度斜面を登った(妻は車の中)。こうして、五百羅漢には行けなかったが、何とか午前中の計画は終わった。気がつけば、神社ばかりを見て歩いたのである。


ホテルでベッドにひっくり返って大休憩、まったくの高齢老人の旅である。雨はすっかり上がり、青空をのぞかせ始めている空がホテルの窓から見える。午後1時半ごろホテルを出た。ホテルからまっすぐ遠野駅まで伸びる道の二つ目の信号の左手に大きな蕎麦屋があってそこで昼食をとった。
蕎麦屋の道向かいに白壁の蔵造りの建物が並んでいる。「蔵の道」と名付けられた通り(車は通れない)を抜けて行くと、すぐに遠野駅に出る。途中に神社があるはずだったが見つけられなかった。駅前には大きな観光案内所があり、それも白壁づくりなのだった。おまけに火の見やぐらまで再現してある。
そこから北の方をぐるっと大回りして、来内川という小さな橋に架かる「柳玄寺橋」 (『遠野物語拾遺』第137話)
と「新橋」 (同、第229話)
を見に行く。柳玄寺橋は木造の小さな橋で、西詰のお寺が柳玄寺である。新橋は、今ではどこにでもあるような橋で、その近くの木造の橋の方に目が引かれた。
その辺りで、もう見たいものが見つからなくなったので、どこかでコーヒーでも飲もうとさっきの蔵の道まで戻って探したが、店があっても閉まっていたりして見つけられないままホテルに戻ってロビーでコーヒーを飲んだ(少し飲んで残りは部屋でゆっくり飲んだ)。その後は、疲れてもいないのに大休憩という昼寝タイムになった。




今日の7時予約の夕食を30分遅らせてもらうことになっているので、少し多くの夕景を撮れそうである。私は6時10分ごろにホテルを出て街を歩き回り、妻は7時10分ごろに出てレストランへの道の途上で落ち合うことにした。夕景の写真はそれなりに取ることができた。とくに橋を自転車で渡る中学生を影絵のように撮ることができたこと、寺の山門越しの夕空を撮れたことは私にとっては上出来だった。






それなりに写真が撮れて満足したのだが、それ以上に満足したのは夕食だった。高齢なので量は少なめにとお願いしていたイタリアン(と私は思ったがフレンチかもしれない)のフルコースがどれもおいしくて夢中になって食べた。妻が娘に送る料理の写真を撮るように命じられているのだが、カメラより先に出てきた料理に手が出てしまう。オーナーシェフが選んでくれたシャルドネの白もおいしくて、こちらは飲みすぎないようにセーブするのが大変だった。
昨日の夕食は、家庭料理と銘打った和食でこれも素晴らしくおいしかった。とくに珍しい食材ではないもののどれも新鮮で優しく料理されている感じがするものばかりだった。主夫としてはぜひとも真似をしたい料理ばかりだったが、その到達地点は絶望的に遠く思えるのだった。
昨日の店も今日の店も小さな店だったが、客は私たちだけだった。予約した私たち(だけ)のために準備してくれていたのかという思いが、ホテルまでの帰り道でじわっときた。
それにしても遠野は観光地だと思っていたのだが、観光客が少ない。これまで観光スポットで出会ったのは、遠野ふるさと村の高校生の団体(私たちと入れ替わりだったので、実質的には広大な施設に私たち二人だけ)と山口集落の水車小屋に車で来た夫婦らしい二人連れだけだった。夏の暑い時期、しかも梅雨時に観光旅行する愚か者は少ないということかもしれないが、遠野物語などに観光気分を誘発される世代は私たちぐらいで終わっているのかもしれない。ましてや、いまやどこの観光地にもあふれかえっている外国人にはさすがに遠野物語がどうのということはないだろう。静かな旅になって私たちにはとてもいいのだが、遠野のことが少しばかり心配になるのだった。いつかまた来てみたい、またおいしい夕食を食べたいと心秘かに考え、妻に打診する時期のことまで考える日となった。
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