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退院して一週間経った。家に帰って初めて近所を歩いた時のことを思うと、足腰が強くなった。25日に万歩計を手に入れた。退院した日も一度買おうと思ったのだが、歩数を稼ごうと思うようになっては意味がないと思って断念したのだが、どれくらい歩いているのか知りたくなった。体重を増やさないための食事の制限(カロリー制限、減塩食、間食なしなど)と運動は必須だが、過度に運動して疲れてしまったら意味がない。どちらかというとあまり動かないほうなのでそんな心配はないのかもしれないが。二週間、一歩も外にでないで夜昼関係なく原稿を書き続けるというようなことも前はできたが、もうそんなことはできないし、してはいけない。「疲れたら休む」というごく当たり前の、しかし、心筋梗塞になる前の僕にとっては当たり前ではないことを退院前主治医にいわれた。「メンタルストレスが一番いけない」ともいわれている。生きること自体がストレスといっていいくらいなので、ストレスがまったくかからない生活というのは実際には考えられないが、これまでの生活には大きな改善の余地がある。病院にいた時よりも眠る時間は遅くなっているが、毎日、8時間寝ている。この一週間で、長い距離を歩けるようになり、駅の階段も昇り降りができ、電車に乗ることもできるようになった。身体の調子はよくなったのに、心の方がまだ十分ついてきていなくて仕事は手につかず、ぼんやりしていることが多い。
2006年05月28日
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夜、考えごとをしていたら眠剤を飲んだのになかなか寝つけなかった。退院すれば、仕事のことも考えないわけにいかないので、ストレスがかからないわけにはいかない。ひどくイライラすることもある(こういうのは身体によくないのだが)。身体は回復しているのに、仕事はあまり手につかない。しかしやる気は待っていてもでないだろう。入院前から依頼されている仕事の続きに着手し、入院中に引き受けた雑誌原稿を書き、出版できることを考えて書きためた原稿を読み直すというようなところから、始めてみようかと考えている。来月には出版される本は危うく遺書になるところだった。まだ僕には残された仕事があったということだろう。これからは仕事を選んでいくことを余儀なくされるが、与えられた余生で世に貢献できる仕事をしていきたい。 病院にいる時、昔飼っていたアニーという名の犬の夢を見たことがあった。散歩に出たら僕の手を離れて走り去ってしまった。幸い、戻ってきたのでつないだら歩道から足を踏み外し、一瞬、首をつる状態になってしまった。僕は急いで引っぱり上げた。するとアニーがいった。「帰りたい」。夢の中でのアニーは心筋梗塞になり心筋が壊死した僕であり、引っぱり上げた僕は主治医のことだろう。 病院ではよく浴衣をきていた。ある日の夢では僕は浴衣のままバスに乗っていた。一緒にいた人がいった。「これはもう要らないね」。そういって僕が結っていた丁髷を切った。退院が決まったのはこの夢を見てほどなくのことだった。
2006年05月25日
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2006年5月24日水曜日 今日は昼に近所のスーパーに買い物に行ってみた。重いものを持てないので、自分の分を少しだけ。 手術(経皮的冠動脈ステント留置術)後は血管がもろくなっているので、心臓に負荷をかけると血管が破れることもある。そこで最初は絶対安静で絶食。水分の制限されていた。寝る向きを変えるのも一人でしてはいけなかった。そんなところから術後の経過を見ながら少しずつできることを増やしていき、最終的に11ステージの心臓リハビリをこなせば退院ということになる。およそ一ヶ月だが、当然、人や症状によって違ってくる。 僕の場合は、血管が破れるというようなことをいわれなくても、厳格に医師の指示を守り、胸が痛くないからといってかってに歩き回るというようなことは思いもしなかったが、中には指示を守らない人もある、と聞いた。 心臓リハビリはこのようなものなので、自分でできると思っても、してはいけない。この前提の上で、症状の改善に伴ってリハビリのステージを上げていく必要があるのでむずかしいものだと思った。 ある看護師さんは「自分でできることは自分でしてね」といわれた。僕としては忙しい看護師さんたちの邪魔をしたくはないので、いわれるまでもなく、自分でできることはしたいと思った。しかし、僕だったらこのようにいわれたら、本当は自分でしてはいけないこともしてしまいかねないのである。心筋梗塞を軽く見ている人であれば、リハビリのステージを無視することになるかもしれない。 心臓リハビリについては、看護師さんと若干のせめぎ合いがあったけれども、その最中にこんなことを考えた。これはもっぱら育児の場面を念頭に置いてのことだが「自分でできることは自分でしてね」といわれるよりも、「〔自分で〕できないことがあったらいってね」といわれるほうが、結果的には自立を援助することになるのではないか。僕はナースコールを可能な限り押さないでおこうと考えていたが、ある日具合が悪くなって、それでも一時間もナースコールを押さなかった時、この考えはまちがっていることを思い知った。
2006年05月24日
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19日に退院して以来、茫然としていてまだ何も手につかない。入院中に届いていた手紙やメール(入院中は携帯電話は使ってなかった)に目を通し、返事を書いたり、職場への連絡(これから仕事をどうするかという相談、常勤ではないので病休を取ることができるわけもなく復帰は不可能だろう)をしたりするだけで、日がすぎてしまった。 昼間も布団を敷いたままで疲れたら横になっている。足腰が弱っているので、外にも出かける。あの道は上り坂だった、とか、階段があるとかそんなことをあらかじめて考えてしまう。病院の廊下とは違って平坦な道はない。エレベータがない駅のことを思うと、まだまだ遠出はむずかしい、と思ってみたり、病院での心臓リハビリで階段を昇り降りしたのだから大丈夫、と思ったりする。一気にレベルを上げると疲れてしまうので、少しずつレベルを上げようと、今日は朝、距離はそんなにないのだが、図書館までの緩やかな上り坂を歩いてみた。傘をさすのも、本(図書館で借りた三冊の本)を鞄に入れて歩くのも初めてだった。 昼食は自分で作る。夕食の時に余分に作ってもらっているのもあるので、本格的に料理をするわけではない。昨日の昼は、絹莢を茹でて卵でとじてみた。だしは塩分を控えたものを使った。夕食の時にとっておいた鱧を3切れ。後ご飯(165g)。これはきちんと計る。入院していた時と違って、運動量が増えているので、夕方になるとお腹が減る。6時という夕食の時間に慣れてしまったのかもしれない。一日1600キロカロリーを目標にしているが、カロリー計算をしているわけではないので、本当のところはこれでいいのかよくわからない。自分のだけでなく夕食を作る力(体力というより気力)がまだわかない。食材があれば(買い物には行けるが、重いものを持てない)そのうちできるようになるかもしれない。入院中は娘がずっと夕食を作ってくれていた。
2006年05月23日
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先月の19日に急性心筋梗塞で倒れ入院していましたが、今日退院しました。ちょうど桜が満開、もしくは少し散り始めた頃に入院しました。初めて外を歩いたら季節はすっかり変わっていました。今回の入院で多くの人に迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません。退院しましたがまだ完治したわけではなく、前にも書きましたが、なお狭窄した個所がありますので(バイパス手術が必要になるかもしれません)、仕事への全面復帰はこの先ずっと無理かと思います。当面、自宅療養し、少しずつできることから復帰できたら、と考えています。入院中に考えていたことなど、書いていこうと思いますので、読みにきてくださるとうれしいです。
2006年05月20日
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15日に心臓カテーテル検査を受け、その結果、20日の退院が決まりました。とはいえまだ狭窄している個所が他にもあって、仕事を含めて退院後の生活をどうするか主治医と相談しなければなりません。半年後に再び検査入院をすることは決まっています。先週体調を崩して延期になっていた心臓リハビリの10ステージを今日クリアしました。退院まで後わずかですので頑張ります。
2006年05月16日
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心臓リハビリの9ステージまで進んでいます(全部で11ステージ)。階段を一階分上り下りするというものです。こんなこともずいぶんと久しぶりなので緊張してしまいました。来週、心臓カテーテルの検査をします。それによって退院の時期が決まるかと思います。頑張ります。
2006年05月09日
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心臓のリハビリを続けています。今は、全部で11であるステージの8ステージです。廊下を少し歩くことが許されています。歩き方を忘れてしまったような気がします。前のように長距離を歩くことができるのだろうか、と弱気になってしまいます。アドラーが治療より予防の方が大切だといっていることは、僕の病気にも当てはまります。前駆症状がたくさんあったのに身体の声に耳を傾けず、働きすぎたようです。どこまで元の生活に戻れるのか今は僕に未知数ですが、こうなってしまった以上、あせらず、治していくしかありません。頑張ります。いつもメッセージを読ませていただいています。ありがとう。
2006年05月04日
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30日に救急病棟から一般病棟に移りました。「ただ助かった、で終わる人もおられるのですけどね。でも、これからのことを考え、ゆっくり休んで、お若いのですから、もう一度生き治すつもりで頑張りましょう」という若い看護師さんの言葉が強く印象に残っています。 生還したいです。
2006年05月01日
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