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《送料無料》鈴木祥子/Shoko Suzuki Best Collection(CD)鈴木祥子さんって言っても知らない人のほうが多いかもしれませんが…。これは確か、はじめに兄がよく聞いてて、私もだんだんと聴くようになった人です。彼女の歌は、一言でいえば、大人の歌って感じです。まあ、よく分かりませんが…(^^;彼女の歌は、等身大の生き様を詩や歌に託したようなところもあり、恋の歌も、ただ単に甘い恋ではなく、苦い想い、傷ついた恋、痛みを感じる恋、孤独感などを感じさせる恋、というイメージがあります。そして、この『ときめきは涙に負けない』まず、タイトルがいい。胸のときめきは、燃えるような恋だけにあるのではなく、日常の中のちょっとしたことにもある、ということを、この歌では言っているように思います。聴くほどに味わいが出てくる曲というのがありますが、この曲はまさにそう。はじめは、正直、そんなにピンときませんでした。でも、じわじわとこの曲の良さが感じられてきて、今は大好きな曲です。ついこの間も、家でかけていたら、この曲はいいねえ…と、妻がぽつりと言いました。 前は、広末涼子とかかけまくって、思い出したくないのに、フレーズが口をついて出て困ると苦情を言われていたのに…(^^;著作権があるのでしょうが(^^;、ちょっと拾い出してみると…「寝転んで 雲の形似てるもの 見つけて遊んでた人知れずに こんなふうに変わってゆくものに なれないかな」「泣かないで 私の思い出たちときめきが 涙に負けないから」「青空に 小さな雲がひとつ追う風は 誰にも見えないから」「ひとりきり いつかは消えてくからこんなにも 心が熱くなれる」彼女の曲は、この曲の他にも、いい曲はいっぱいいっぱいあります。でも、この曲は、妙に好きで、何でだろうと思っていたら、この曲が発売された時の、私の状況にもよるのかなと思い当たりました。ちょうど、この曲が出たときは、大学時代でしたですから、かなり前の曲です。大学の時は、私はバスケット部にいました。そのなかに、ちょっと気になる女の子がいました。気になるといっても、好きというのとは、ちょっと違って、何ていうのか、自分と同じものを持っているという感じ。恋とは違うような気がするけど、何だか、惹かれるものがある。そんな感じ。おとなしくて、どこかちょっとだけ寂しい感じがあって、どっちかというと、かわいらしいという感じ。そんなに外交的ではなく、でも心は、純粋で真っ直ぐなものを持っているような感じ。あ…、私は、純粋ではないですが…(^^;;ある時、ふと何かの時に、その子が、鈴木祥子さんが好きだということを、言って、で、私も好きだったので、マイナーな歌手なのに珍しいねえ、みたいなことになって、そこに共通点を見つけて何となくしあわせでした。そして、この『ときめきは涙に負けない』がシングルで発売された時も、私は聴いていました。しばらくして、何かの折に、この子が、この曲を聴いて泣きました、と言いました。正直、そのときは、泣くほどの曲かなあと思ったのですが、それから聴くうちに、じわじわと胸に染み込んでくるような感じで、よりこの曲が好きになっていきました。ちょっとそんなことを思い出しました。しっとりとした曲なのですが、さびの部分が、広がりのある曲で、聴いていると、せつなさをかもし出してくれます。 タイトルといい、曲といい、埋もれた名曲にふさわしい楽曲だと思います。
November 30, 2006
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何であんなに一生懸命になって書き続けてくれたの?あなたは聞いた別に一生懸命とか必死になってたつもりはないけどって僕は言ったそれは確かにそうだった理屈ではなくただ何となくよく分からないけど心揺さぶられるもの心が突き動かされるものがあったからまるで流れゆく雲のようにごくごく自然に何の躊躇もなく何も考えることなくそれが当たり前と感じて動けたように僕は思うでも 今はその理由が分かる突き動かされていたものは衝動でもなく神の声でもなく見てほしかったからでもなくただ湧いてくる想いにそのまま従ってただけだから一生懸命とか必死ではなくただ自分の心が喜んでいたからそうしていただけだと思うおそらくそれが僕のなかにある本心からの想いだったから今は心からそう思うひとりきりではない心の中には呼びかければいつもあなたがいてくれる時に見失うこともあるけれどいつもあなたを感じていたいどこへ流れていこうがいつもあなたがここにいてくれるのなら何も怖くないすべてをゆだねていたいこの世界をあなたとともに歩んでいく
November 29, 2006
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お風呂上りの2歳の葵(あおい)。見たら、ちょこん、と律儀に正座してました。手も膝のうえにのせて、妙にかしこまってます。何だか笑えて、思わず、撮ってしまいました。普段着は、以前書いたように、まだ、お決まりの2枚しか着ません。苺の模様と、ミキハウスとロゴの入ったもの。何のこだわりがあるのか、とにかく、その2枚以外は、ダメです。昨日は、6歳のともえと、妻が、他の服を着せようと、必死だったようです。ふたりで、この服かわいいねえとか、さんざんおだてて、何とか着せたようです。この写真のお風呂上りの時も、決まった下着しか着ないようで、私が、他の下着を差し出しても、ぐいっと手で払いのけました。「これかわいいね~~」って言って、「ほら、着てごらん」って言っても、またぐいっと払いのけます。ダメだこりゃ、って思いました。だから、お風呂上がっても、しばらく裸のまんまです。そのうち、妻がちょっと怒り出して、それでも他の服を着ないので、葵は、わ~~わ~~素っ裸のまま、泣き出しました。まあ、いつものパターンと言えば、いつものパターン。無理に現状を変えようとしても、できないようです。クリア道的にいえば、ありのままを認めるってことでしょうか(^^;;これでいいと。別に変えようとしなくてもいいのかもしれません。このまま成長して、服が小さくて着れないようになってまでも、まさか着ようとするとも思えないし、まあ、そのうち、いろんな服を着ていってくれるでしょう。気長に待つしかないようです。
November 28, 2006
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実家で、食事した時の光景。2歳の葵は、ハンバーグにくらいついています。どう見られているかなんて気にすることなく、とにかくくらいついています。色気も何もありません…って、色気なんていう年頃ではないですが…。
November 27, 2006
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あなたの変わらぬ想いは太陽のようにあたたかく月のように穏やかに星のように瞬いて今ここを照らしていてくれるたとえ雲で隠れていても闇で覆われていてもいつもまっすぐに今ここを照らしてくれている あなたの想いをこれっぽっちもくみとらずに僕は子どもみたいにいつも駄々をこねてたりすねてみたり違う違うと言ってみたりひとりよがりであったり胸が苦しいと嘆いたりさまざまな痛みと苦しみとせつなさをあなたにあたえてきたあなたの本当の想いは何も変わらないしはじめからずっとそこにあったというのにそしていつもまっすぐに見つめていてくれた分かっているつもりでも何も分かってはいなかったあなたの想いはどんなときでも僕の心の奥底で息づいているそれは迷いがない僕の本心あなたの優しげな揺るぎない表情ただ一緒にいると心が満たされていく不安が消えていく僕はあなたに触れたいいつもあなたを感じていたいいつかあなたとひとつになる本当の自分自身に出会うために※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※『いつもそばに』の、いっしーさんのコメントにヒントを経て、今回、「あなた(の想い)」=「本心」と置き換えて、クリア動的散文詩(?)かどうかは知りませんが(^^;即興で書いてみました。いつかあなた(=本心)に近づきたいいつかあなたとひとつになりたいいつかあなたと出会える日が来るときを楽しみに。そういう願いを込めました。
November 26, 2006
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『願いが叶う心の筋トレ』(みさきよしの)11月25日は、みさきよしのさんの「願いが叶う 心の筋トレ」ワークセミナーに参加してきました。大阪駅は、ここで何度も書いたように、ほんとよく分かりません。何度も行っているのに、歩いているうちに、訳が分からなくなってしまい、一時ふらふらとしていました(^^;;クリア道の講演会自体が初めてなので、ちょっと緊張しながらの出席になりました。セミナーは、みさきよしのさんの話とワークが中心のセミナーでした。クリア道については、みさきよしのさんの本を読んだり、CDなどを聞いていた程度で、しっかり実践できていたわけではないのですが、ワークセミナーに出て、もうこれは実践しかないと確信しました。みさきよしのさんのお話は、本当に深くて、すうっと心に入ってくるものがあり、クリア道はすごいと感じました。ナビゲーターの三蔵一行さんが、ワークをすすめていってくださいました。「今ここにいる」という感覚が、このワークのなかで、つかめました。今まで、このことが、できているのかできてないのか、はっきりと分からなかったので、これが、「今ここにいる」ことなのかと感じました。また、感情や湧いてきた想いを、否定したり、価値判断したりすることなく、ただ見つめる。これが、全くと言っていいほどできていなかったと改めて感じました。ふたり一組でのワークも、何をするんだろうかと緊張しました。一番初めに組ませていただいたのは、いっしーさんでした。初めは何を言ったらいいのかよく分からず、途中言葉につまると、えっと…とノートに目を落として言葉を探したり、混乱して、心の言葉ではなく、頭でこねくり回した言葉を話していたりしました。頭で考えた言葉をただ言ってたりして、心の言葉に全然なってないことに気がつきました。自分の思いと言葉と行動を一致させていく。これが、全然できていませんでした。やすさんとワークをさせていただいた時は、今、こうして会話をしていることに意識を向けながらも、会場全体を感じている、全体が見えているというお話に、びっくりしました。「今ここにいる」とは、集中したり没頭したりすることとも違うのだなと、気付きをいただきました。そんなこんなで、ワークを中心としたセミナーは、あっという間に終わり、もう5時間たったの?という感じでした。その後の懇親会も参加させていただいて、そこでもまた、心に響くお話が聞けました。かわらヅチさんの本心からの想いは、迷いが一切ないというお言葉に、感銘を受けました。「どうしたら、本心の想いが分かるんですか?」と、思わず言ってしまったら、「実践してください!!」ということでした…。そうです、自分でつかむしかないんですね。頭で分かるものではないわけです。と、いうことで、クリア道、ひとつずつ、できることから実践していきます。みさきよしのさんはじめ、講師の方々、参加された方々、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
November 25, 2006
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昨日の11月25日は、みさきよしのさんの心の筋トレワークセミナーに、参加してきました。お会いできたみなさま本当にありがとうございます。非常に得るものがあり、今ここにいるという状態がつかめたと思いました。あとは実践あるのみです。また、今日の夜か明日に書きます…(^^;;とりあえず、無理やり更新ということで・・・。
November 24, 2006
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★「そうじ力」ありがとう空間★「そうじ力」に目覚めつつある今日この頃。しかし、職場の現状をみると、道は険しいものだと、時に暗澹たる気持ちになります(笑)それでも、ここ4,5日は、続けていることがあります。感謝の磁場「ありがとう空間」づくりです。必要なのは、ぞうきん一枚とありがとうの言葉。朝来たときと、夜帰るときに、机の上を何もない状態にして、深呼吸して、机の上をタテヨコに丁寧に拭いて、最後に周囲をぐるりと拭きます。これを2回か3回するだけ。所要時間は、机の上がきれいな状態であれば、1分間。机がものでいっぱいでも、これをするとなると、嫌でも片づけないといけないので、いいかなと感じています。気持ちがいいです。続けてみます。机のまわりを見ると・・・時に嫌になりますが(笑)でも、机の上がきれいなだけでも、朝来た時に気持ちがいい。周囲は見ないようにしています…。まずは、できることから実践し、少しずつ広げていきます。★クリア道★みさきよしのさんのクリア道、やっぱり実践あるのみと最近感じます。今日の夕方、感情が湧き出てきたときに、言葉にするのを意識して辞めてみました。いままでは、つらいなあとか、苦しいなあとか、せつないなあとか、なんでこうなってしまうの?とか、どうしたらいいのか?とか、とにかく湧いてきた感情に、言葉ですぐにレッテルをはっていました。今日は、感情が湧いてきても、心の中で、言葉にしないようにしました。そのなかで感じたことは、今まで、いかに自分の感情をすぐに、言葉に置き換えていたかということ。そのまま、感じる。そのままゆっくり呼吸してただ、感じてみる。しばらくすると、す~っと感情が離れていくような感じがあり、胸がすうっとする感覚がありました。また湧いてきたら、何も言葉にせずに感じる。じっとしている。何もしない。呼吸に意識をおいてみる。とにかく、言葉にしない。す~っと感情がとれて、心が楽になる感覚。うまく言えませんが、そんな感覚を感じました。感情を言葉にすると、結局その感情を感じてないことに気がつきました。だから、繰り返しまた、その感情がやってくるのかなと思いました。少しだけ今日、感情を感じきると離れるという感覚がわかったような気がしました。机を淡々と拭いていることは、あれこれ考えることがなく、今目の前のことを一生懸命することになり、心の浄化にもなっているような気がします。また、感情を追って、言葉にして思考するということをやめる、「今ここ」のクリア道に、通じるものがあるような気がします。日々、そうじ力とクリア道、実践していきたいと思います。
November 23, 2006
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きのうは、11月22日でしたが、数理的に見れば、興味深いものがあります。けんたま様が、11月22日について非常に鋭い考察をされています。「11」と、「22」という数字は、ユダヤ密教のカバラ(カッバーラ)においても、特別の数(マスター数)だとされています。本来であれば、「11」は「1+1」=「2」となり、「22」は「2+2」=「4」となる数ですが、「11」と「22」は、そうしません。数の持つ意味が特殊なのだといいます。インターネットよりみると、●「11」…天と地の結合や生命の誕生など、新しい何かが生まれ出ることを意味する。●「22」…この世を支配するすべての空間と時間を意味する。特別の数なので、このまま「11」と「22」を変換することなく、用います。ですから、11月22日は、数字を合計すると、●「11」+「22」=「33」「33」という数字が導かれますが、この「11」「22」「33」という数字は、ユダヤ密教「カバラ(カッバーラ)」の奥義「生命の樹」に関わっていることが分かります。「11」と「22」は、「生命の樹」に関わっているからこそ、特別な意味を持つ数字といえるのかもしれません。「11」とは、セフィロト(球)の数になり、「22」とは、パス(小径)の本数になります。そして、そのセフィロトとパスの合計数が「11+22」=「33」つまりは、「33」が、「生命の樹」の数だとも言えるのでしょう。★イエス・キリストと「33」また「33」とは、イエス・キリストが十字架で死を迎えて、3日後に復活を果たした年齢です。そして、そのイエス・キリストの架かった十字架は、当然「木」でできており、「生命の樹」の象徴でもあります。●「十字架」=「生命の樹」「33」=「生命の樹」=「イエス・キリストの十字架」=「イエス・キリストの死と復活の年齢」となり、繋がってきます。また「33」=「3+3」=「6」となり、「6」は、「7」(=「神の数理」)のひとつ前。よって、「6」=「人間の数理・この世の数理」であることが、飛鳥昭雄氏・三神たける氏によって指摘されています。ですから、人間(=6)・イエス・キリストが、33歳で、死と復活を経たことは、まさに33年間(=3+3=6=この世の数理)生きることによって、この世の数理(6)を体現したことになるといいます。そして、「6」といえば、「六芒星」であり、ダビデの星とも称され、イエス・キリストは、ダビデの直系の子孫です。けんたま様が、「33」は、「燦燦(さんさん)」であり、太陽の「sun sun」でもあり、燦燦と輝く「光」であると、実に鋭い指摘をされています。「光」とは、聖書でいえば「イエス・キリスト」その人であり、日本でいえば「天照大神」だということになります。飛鳥昭雄氏・三神たける氏によれば、天照大神の正体は、イエス・キリストであり、それは同時に「光」でもあり、繋がってきます。●「33」=「燦燦(さんさん)」=「sun sun」=「光」=「イエス・キリスト」=「天照大神」●「33」=「生命の樹」=「イエス・キリストの十字架」「33」は、イエス・キリストの死と復活であり、それは、「終わり」であり「始まり」を意味します。「33」=「生命の樹」であれば、「生命の樹」とは、聖書でいえば人類の祖アダムとエバが住んでいた人類最初の楽園「エデンの園」に生えていた木です。この生命の樹は、『聖書』によれば、今なお、守られていると言われています。そして、人類が、最後の時に、たどり着く場所だと言われています。すなわち、「生命の樹」も、人類の歴史において、最初と最後に関わっているものだと言えます。最初と最後。死と復活。終わりと始まり。「33」という数理は、そういう意味も内包しているような気がします。また、「33」=「3+3」とみれば、生命の樹の象徴図形が、3本柱から成りますから、生命の樹が2本あるとも見れます。ふたつの生命の樹の合わせ鏡。日本の門松は、3本の竹からなり、まさに生命の樹の三本柱を象徴しています。しかも一対から成りますから、門松を両脇に配置する構造であり、それは「33」という数字に象徴的に表わされているのかもしれません。そして、「33」とは、先ほど見たように、「3+3」=「6」となり、六芒星に繋がります。六芒星とは、「△(3)」+「▽(3)」の合わさったものであり、そう見れば、「33」というのは、「六芒星」とも、関わりが深い数字でしょう。陰と陽の合一でもあり、死と復活、終わりと始まり、などにも繋がってきます。 ★観音菩薩と「33」また、「33」の数理に深く関わっているのが、観音菩薩です。これについても、けんたま様が指摘をされています。「観音菩薩」とは、「三十三応身」や「三十三観音」、そして「三十三霊場」や「三十三間堂」があります。観音菩薩とは、一体何者なのか…。日本や中国では、女性の姿で描かれることが多いようですが、本来は男神だといいます。観音菩薩の正体…。これもまた、興味深いものがります。
November 22, 2006
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あなたはいつもいてくれる何をおいても側にいてくれるなのにそのことを何も分らずわがままで自分勝手で子供みたいに自分の欲求を押し付けていたそれが叶わないとひとりよがりに苦しんでいたあなたはもっともっと苦しんでいたというのにもっともっとたくさんの涙を流してくれているというのに自分の至らなさ理解力のなさわかってあげられない鈍感さ時に悔しくなるあたたはいつもいつも大きな大きな愛で包み込んでいてくれるあなたは大丈夫…大丈夫と言ってくれるあなたを想うといろいろな感情が湧いてきて涙が溢れる至らなさ未熟さ苦しめていること困らせていることどうしたらいいのか今はよく分らないけど湧いてくる感情を見つめていく逃げないで感じていく何度も同じ過ちを繰り返したくない澄んだ心でいつも側にいるあなたを見つめていきたい
November 21, 2006
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あなたを想うともうそれだけで心がいっぱいになるせつなくなる寂しくなるあなたといるともうそれだけで心がうれしくなる喜んでいる幸せになる心が震えるようなこと締め付けられるようなこときゅんとなるようなこと今まで眠っていた感情が目覚めていくように僕の中のまだ知らなかった部分がごく自然に反応していく湧き上がってくる引き出されていくそのことに自分自身驚くあなたはまだ眠っていたまだ隠されていた自分自身が気付いていなかった僕の心の中の片隅に光を灯してくれた僕もあなたの中にまだ見ぬあなたのもっているあなたらしさを少しでも引き出すことができたならうれしく思う夜のささやき星のまたたき静寂の空間今ここにいることすべてが闇に包まれた空間もやがては朝日に照らされる僕の中にある闇とあなたの中にある光僕の中にある光とあなたの中にある闇お互いの光と闇があるからこそお互いの見えなかった部分が照らし出される光と闇はどちらも必要だった闇は消す必要もなかったありのままを認めてあげればいい僕とあなたの中にある醜い部分や嫌な部分もすべて抱きしめてあげればいいそのままで完全だから何も心配はいらないそのままでいいありのままでいい取り繕わなくてもいい変わらなくてもいいそれがあなた自身の輝きなのだから僕はあなたのなかにある光と闇を見つめているすべてが必要だからどんなことがあっても離れることはないどんなことがあっても揺るがない確信できた喜び忘れないこれからもその想いは変わらない変わるはずなどない理由はないし理由などいらない自分自身が誰よりも一番よく知っているからこの光と闇のなかふたつの糸は絡み合いながら途切れることなくこれからもずっと続いていく
November 20, 2006
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きのうの夜は、娘と一緒に添い寝してたら、そのまま寝てしまいました。いつものパターンといえば、いつものパターンです…。と、いうことで、一言だけ。きのうの朝は、家のトイレ掃除をしました。そして、車の掃除。そしたら、娘2人も、私もする~っていって、せまいトイレに3人でいました。車の掃除も、雑巾もって、手伝ってくれました。「そうじするとね、すっきりして気持ちいいでしょう?」「そうじするとね、しあわせになれるんだよ」とか、まあ適当にいいながらも、やっていました。できることからしていく。実践していく。今は、とにかく、一歩ずつできることから、と思っています。家のトイレ掃除は、休みの日の朝はするってことにしました。仕事ある日は、妻にお願いねってことで・・・。職場は毎日続けています。私が、「そうじだね、そうじ」ってしきりに言うので、妻は、「大雪でも降るんじゃない?」って言われました。先々週は、家のトイレ掃除をしたら、「大雨が降るんじゃない?」って言われましたが…(^^;
November 19, 2006
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『3日で運がよくなる「そうじ力」』(舛田光洋)これ、下記の『夢をかなえる「そうじ力」』の文庫版かと、勝手に思ってたんですが、文庫書き下ろしなんですね。『夢をかなえる「そうじ力」』ってことで、買ってしまいました。そして、『3日で運がよくなる「そうじ力」』の横においてあったのが、コレ『スッキリ・簡単「お掃除」の法則』(土田俊子)いやあ、うまい並べ方。お掃除に関心ある人を、一点でも多く買わそうという、本屋さんのうまい陳列の仕方に、ほいほいとはまって2冊買ってしまいました。『スッキリ簡単「お掃除」の法則』は、磨き方とか、掃除の仕方なども具体的に載っていて、これはいいかなと思いました。トイレは、本など見て、まだまだ磨くところがあるなあと感じました。貯水タンクの中とか、一度徹底的に磨いてみようかと思います。トイレひとつとっても、まだまだする場所はあります~。そうじは奥が深い・・・。職場にいったら、便器と便器の周りの床を、せっけん洗剤を少し使って掃除して、便器のふちを手で拭いています。あとは、床と便器を雑巾で拭きます。だいたいこれで、ほかに目立った汚れとかなければ、終了です。普段から、ある程度きれいにしておいたら、朝のトイレ掃除は5分以内で終わります。最後に、お香をたいておきます。そして神棚の榊の水を代えて、今日一日を迎えられたことを感謝する。あとは机の上を、ありがとうの言葉と感謝の気持ちで拭いて、「ありがとう空間」をつくります。職場を帰るときにも、このありがとう空間をつくっておけたら、朝は、机の上に何もないから、朝のありがとう空間がすぐにできて、いいスタートがきれるような気がします。感謝の磁場「ありがとう空間」のつくり方はこちらだから、できるだけ、できない日があってもいいやってくらいで、義務感にならずに、「ありがとう空間」づくりを、朝晩していこうと思います。当たり前の習慣として、このことができていけば、いいなあと思います。「そうじ力」実践、できるところからしていきますよ~。
November 18, 2006
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ツキを呼ぶ「トイレ掃除」「そうじ力」のすばらしさに目覚めつつある今日この頃ですが、そうじに対しての意識が薄れないように、モチベーションアップのために、常に読書用のカバンに、舛田さんの「そうじ力」の本を入れています。繰り返し読んでいます。今、読んでいるのは、下記の本です。ちょっとずつ読んでいます。『「そうじ力」であなたが輝く!』(舛田光洋)このトイレ掃除の本は、小林正観さんなども寄稿されていてなかなかいいと感じて、買いました。ますますトイレ掃除、続けようと思いました。トイレの神様、うすさま明王さまの絵がステッカー状になって付いていて、早速職場のトイレにはりました。トイレの神様であり、清めの神様、出産の神様、財運の神様といわれているそうです。トイレを磨く時、「オン・クロダノウ・ウンジャク・ソワカ うすさま明王様いつもありがとうございます」と唱えるといいそうです。小林正観さんの本にも、載っていました。これも唱えつつ、やってみようかなと思います。『マンダラ思考で夢は必ずかなう!』ヒックルさまのブログで紹介されてて、うずうずして、読みたいって思っていた本です。自慢じゃないですが、今まで手帳を一年間まともに使い続けたことがないという実績を持っています。と、いうか、1カ月まともに続いてないかな・・・。要は、全然使えたことがない、ということです…(^^;このマンダラ手帳してみようかな、と妻に言ったら、「そんなのやめてよ・・・もったいない」と即言われました(^^;今までの実績から言えば、これは、もう当たり前のことで、何も言えないわけです。はい。でも、今度こそっていう気もしてて・・・こっそり買おうかなとも思っています。これは、本屋で、衝動的に買ってしまった本。『オーラ・ヒーリング』オーラとは何か?オーラをどう高めるか?オーラをどう利用するか?…………あなたの健康、幸運、愛――人生の全ての局面に影響を与え続けるオーラの総合解説書にして、オーラパターンを調節する現実的なテクニックを誰にでも使えるように解き明かした画期的な本。オーラについては、整体師Sさまのブログで詳しく紹介されています。いつもありがとうございます。そのこともあり、興味が出てきて、この本、高いけど逡巡したのですが、気がついたら、意識が遠のいて、いつのまにかレジ前に持っていってました。だからやむなく、買っちゃいました…(^^;そして、偶然かシンクロか、知り合いの方がたまたまもっていた下記の本を、同じ日に借りることができました。『チャクラ・ヒーリング』オーラとチャクラ、しっかりと勉強してみたいと思っていたので、まずはこれらの本を読んでみます。
November 17, 2006
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今日は写真だけの更新です~。
November 16, 2006
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『夢をかなえる「そうじ力」』「そうじ力」実践編なるカテゴリを作ってみました。ひとつは、ここで書くことで、自分自身への刺激にもなり、半強制的にやらざるを得ない状況にもっていけるのではないかと思ったこと。と、いって、いやいや義務感でやるのではないです。「そうじ力」まだ、ようやく実践し始めたばかりですが、何となく、そうじをして、心が浄化されていくのが分るので、気持ちがいいです。自分自身心地がいいので、できることから実践していきます。ここに書くことで、刺激と同時に、励みにもなると思うので、やっていこうと思います。「そうじ力」を加速していきたいなと思います。あと、「クリア道」を加速していきたい。このふたつが、今、意識して取組んでいきたい自分のテーマかなと感じています。「そうじ力」実践のひとつに、朝晩していこうというのが、「感謝の磁場」をつくるということ。必要なのは、「ぞうきん」と「ありがとう」という言葉だけ。まずは、机の上がきれいになっていることが条件。この時点で、今までの私なら、完全にアウトです。しかし、昨日の夜はがんばって、職場の机の上から、ものを一掃しました。周囲にばらまけた・・・いやいや、周囲に無理やりおいたと言えなくもないですが、ともかく、机の上に何もない状態にしました。いやあ、すっきりです。この状態を見ただけでもやはり気持ちいい。この状態にして、腹式呼吸をします。まず息を細く長く吐いて、吐ききったら、鼻から息をゆっくりと吸い込みます。これを3回くらい繰り返します。これだけで穏やかな気持ちになります。そして、手前から上に拭きあげて、雑巾を半分ヨコにずらして、今度はそこから下に拭きます。これを繰り返します。(1)続けて、ヨコに拭いていきます。これも同様、ずらして前の部分と重なるように丁寧に拭いていきます。そしてヨコが終わったら、テーブルの周りを拭いて完成。図で分かりやすく書けば、以下のようになります。「そうじ力」の本の図を、書き写してみました。拭いていく時に、周りの感謝する人を思い浮かべて、ありがとうと口に出してもいいし、心で唱えてもいいから、感謝していきます。これは、まだやり始めたところですが、けっこういいなと感じています。心が落ち着きますし、穏やかになれる感じです。感謝の気持ちが自然と出てくるような感じです。続けてみようと思います。妻は、家で、毎日しているということで、「いいよ~」と言ってます。身近に感謝する人って、あげてみると、どんどん出てきて、意外に多いよと言っていました。と、いうことで、私はこれから朝会社に行った時と、会社から帰るときに、「感謝の磁場」をつくって、「ありがとう空間」作り、やっていきます。あ、そうそう、手を通じてレイキの愛も、そこにプラスしていきます~。
November 15, 2006
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心の波が ざわざわと乱れて哀しみや苦しみが 岸辺へ打ち寄せるつかの間の喜びは あっけなく波にさらわれて手の届かないところへ 消えてゆく残ったものは 水底にある 砂のような苦い味次々に打ち寄せる波は 数知れずそのなかに さまざまな…本当に限りない 幾多の想いが この岸辺へ打ち寄せる打ち寄せるものがたとえ 哀しみや苦しみだけで あったとしても遠く波間に 目をやれば天上から降りかかる 光を浴びて無数の光が 波間を踊っているこの岸辺から 喜びや幸せを求めて人は 人生の航海へと 旅立つはじめは 周りの波と うまく溶け込めずにひたすら ひとりよがりの航海後悔ばかりで 神の意思とは 程遠くたどり着くべき場所は どことも知れない荒れ狂う波とともに いっそ 海の藻屑と果てたなら周りの波に飲み込まれてひとつになることが できるだろうかすべてが更改されて 新しく生まれ変わることができるだろうかまだ 始まったばかりの航海はこれからも さまざまな 気づきと試練を与えてくれるに違いない真実に寄り添っては 離れながらも打ち寄せる波となって 繰り返し繰り返し 押し寄せてくる光と闇の波間を くぐりぬけて僕たちの旅路は 続いていく※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※1997年に書いて、1999年に加筆訂正とあります。だいぶ前に書いた散文ですが、今読み返してみて、青いな・・・と(笑)しかしあれから成長しているのかと言われれば、どうなんだろう、という気もしないでもなくて、まあ、今も青いのですが・・・。そういえば、その人のカラーというのがあるみたいで、私の場合は、色の性質など見ていると、青の人っていう気がしています。青い光がその人のところに来ていると言われたこともあるので…。ブログもだからってわけではないのですが、ずっと夏でもこの寒い青ですし・・・(笑)そろそろイメージチェンジもしなくてはと思うのですが。と、どうでもいいことを書きました。今回の散文は、ここに書くときに、ふと、「航海」をパソコンで入力した時に、航海=コウカイ=後悔=更改であると、気がついて、この「後悔」と「更改」を、今、強引に組み込みました(笑)ちょっとした言葉遊びを入れてみました。妻に、えらい長いタイトルだなあと言われてしまい、自分でも何でこんなタイトルをつけたのか、よくわかりませんが…(^^;;真実とは、つかもうとすると波のように、ぐっと近くなると思ったら、あっという間にするりと離れていってしまうことがある…。そういうことを込めたのだと思います。って、そのままじゃん!(笑)って言われそうですね。一時期長いタイトルに凝っていたことがあって、その流れでもあったと思います。
November 14, 2006
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「そうじモード」に突入でも書いたように、今は「そうじ」を意識しています。職場の状態が、あまりに整理整頓できていなかったので、これでは、あかん、ということで、できることからやっています。今までだったら、後でいいや、ってなってたことを、その場で気づいたときにできるだけ処理していくようにしています。気づいたことは、即実践していく。床が細かい土とかで汚れているなと思ったら、ほうきとちりとり持ってきて処理する。食器なども、いつまでも洗った後に入れるプラスチックの入れ物に置いておかない。食べたらすぐ洗う。ゴミはこまめに捨てる。書類もきたものは、すばやく処理する。いらない書類は、処分する。机の上に書類とか重ねてて、探すのに苦労してたのですが、それも解消していこうと思います。今まで当たり前のことがいかにできていなかったかということを痛感しています。これから、職場の机の上を朝と帰りに拭くようにしようと思います。「そうじ力」の本に書かれていたのですが、拭き方があって、机の上ひとつ拭くのにも、丁寧に、その時に、感謝の言葉を思い浮かべたり、言ったり、また感謝する人を思い浮かべて感謝しながら拭くというもの。当たり前のことを、当たり前にきちんとしていく。環境を整理することで、心もすっきりしてくるのがわかるので、今の自分のテーマ「そうじ」を、楽しみつつ続けたいと思います。そして自分のありのままの心を見つめていく「クリア道」もコツコツ実践していこうと思います。
November 13, 2006
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▲葵:真剣になると口がとんがって怒ったような顔になるんだけど、何か?上の娘のともえが、今週、ようやく補助なし自転車を乗れるようになったということで、「お父ちゃんに見てほしい」とはりきっていたそうです。で、今日、見てあげました。先々週くらいだったか、全然乗れなくて、後ろから支えてやってたのですが、これは、乗るのに時間がかかるだろうなと感じていました。でもふらふらしながらも、乗れるようになっていたので、成長したなあとびっくりしました。「やればできるんだよ」と言ったら「うん」と言ってました。そして、「それは何にでも言えるんだよ」と。そう、やればできる。やろうと思えばできる。これは自分自身に向けての言葉でもありました。娘に言ってながら、自分に向けて言っている言葉って、けっこうあるんですよね(^^;;2歳の葵は、言葉になってきました。おもしろいです。「だいじょうぶ~?」とか「あいたた…」とか言うようになり、いやなことは「いやぁ~」と意思表示もはっきりしています。いまだ、服は気にいった2枚しか着ないそうで、かなり頑固です。今日の朝も、そのお気に入りの服がぬれているから、他のを着せようとしても「いやあ~~」と泣いていました。結局着ずに、もうひとつのお気に入りの服を着ていました。いつまで続くのでしょうか…。
November 12, 2006
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きのうの11月11日は、何か特別な日であったとか。数理の面からけんたまさまが、興味深い考察をされています。11-11の記事はこちら11-11で、「ダブル観音開き」であるといいます。11の数理とは、けんたまさまの数理解読を引用させていただければ、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「1月11日は、鏡開き・蔵開きの日。それ故に11数理は、観音数理。蔵の扉は、左右に開く形態で、これを「観音開き」という。1と1が並ぶ様は、まさに観音開きの様。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー扉が開く、何かが始まる、そういう象徴が読み取れます。みなさんは、11月11日、何かが新たに始まった感覚があるでしょうか。さらに、こじつけというか、お遊び的に見てみると、これもけんたま様にご指摘いただいたと思いますが、「1111」とは、「皿」という漢字とも繋がっていると思われます。「皿」という漢字は、4本の縦棒、すなわち、4本の「1」の集まりだと見ることもできます。そして、コトタマからみれば、「皿」=「サラ」です。この「サラ」という言葉は、「更(サラ)」となり、「あらためる」「新しい」という意味もあります。「まっサラ」「サラ地」ということから見ても、そのような意味があることが分かります。「1111」=「1+1+1+1」=「4」となります。「4」は、「し」であり、「ひふみよ」の「よ」「し」=「死(し)」であり、「よ」=「蘇りのよ」であり、4は、死して蘇る数理。「皿」=「サラ」=「更」の「改める」「新しくする」という意味に繋がります。そして、さらに、お遊び的に見るならば、以前にも触れたことがありますが、「皿」=「沙羅」となります。この「沙羅」というのが、意外なことに、「新羅」という国の古名だといいます。●「皿」=「サラ」=「沙羅」=「新羅」!!「新羅」とは、4世紀中ごろ朝鮮の南東部におこり、935年に、高麗に滅ぼされるまで、存続した国。三韓のひとつで、朝鮮半島南部に、百済、高句麗とともに、あった国です。そして、新羅という国で、ひとつ注目に値することは、この国から日本へ流入していった集団がいます。それが、日本でも謎の渡来民族として実体がなかなか明らかにならない氏族…。「秦氏」!!です。非常に大雑把にいえば、「新羅」とは「秦氏」が作り上げた国だということになります。もっとも、新羅にいたころは、かれらは「秦人」と呼ばれていました。新羅という国を、音に返すと興味深いことが見えてきます。濁音は清音に返すというのがあります。●「新羅」=「しらぎ」=「しらき」=「白木」!!「白」には、「真っ白」とか、清純なイメージがあります。一方、新羅という国の古名は、「沙羅」「沙羅」で思い起こすのが、「沙羅双樹」です。新羅という国は、沙羅双樹とも実は繋がりがあります。名は体を表わすというように、そこには重要な要素が込められている場合があります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●【沙羅】=木の名。りゅうのうこう科の常緑樹。高さ30メートルにも達し、花は小さく淡黄色で、芳香がある。葉は大型で、長楕円形。インドの原産。●【沙羅双樹】=二本ずつ対になってはえている沙羅の木。釈迦がその下で入滅したとき、四方のこの木が、釈迦の上をおおい、白色に変じてかれたという。その他いろいろな伝説がある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー沙羅双樹は、「四方の木が、釈迦の上をおおい、白色に変じてかれた」といいます。と、いうことは、「沙羅双樹」=「白木」と繋がりますし、「四方の木」とあることから、「4本の木」となり、これを象徴的に表わすと、木は「1」であるとすれば、「1111」となり、「皿」という漢字にも繋がってくるような気もします。「皿」=「サラ」=「沙羅」であり、新羅の古名です。そして、もっといえば、「沙羅双樹」とは、西アジアから伝播した「生命の樹」の象徴に他なりません。●「沙羅双樹」=「生命の樹」!!「生命の樹」とは、エデンの園に生えているという木であり、今もケルビムと、きらめく剣の炎によって守られているといいます。白木の「白」とは、聖書的に見れば、ずばり、「白」=「イエス・キリストの象徴」です。なぜそんなことが言えるのかといえば、聖書に、イエス・キリストが白く輝いた、白く発光したということが記されているからです。となると、「白木」=「イエス・キリストの木」となり、これは、「イエス・キリストの架かった十字架の木」だということになります。●「白木」=「イエス・キリストの木」=「イエス・キリストの十字架」このイエス・キリストの十字架は、実は「生命の樹」を象徴しています。よくキリスト教の画に、イエス・キリストが生命の樹に架かっている絵が見られることからも、「十字架」=「生命の樹」であることがわかります。「沙羅双樹」=「生命の樹」=「イエス・キリストの十字架」と繋がってきます。秦氏の作り上げた国「新羅」は、「沙羅」と言ったことから、「沙羅双樹」ひいては、「生命の樹」=「十字架」を象徴することになり、それは、「新羅」=「しらぎ」=「しらき」=「白木」からも、偶然か導かれます。「白木」=「イエス・キリストの十字架」だからです。「生命の樹」の思想が受け継がれた国、それが「新羅」なのかもしれません。「皿」=「沙羅」=「沙羅双樹」=「生命の樹」ですが、「皿」という漢字、よく見れば、4本の縦棒から成っていると同時に、3つの空間があります。これを、三本の柱とみれば、三本の柱がくっついた形であると見ることもできます。となると、これは「生命の樹」の象徴図形だということになります。生命の樹の象徴図形は、「三本柱」から成り、「皿」=「生命の樹」だと言えるのかもしれません。やはり繋がっています。●「皿」=「生命の樹」!!そして、「塩」「盤」といった漢字に「皿」が使われていることは、非常に興味深いものがあります。これらの漢字破字法からみても、いろいろ見えてくるような気がします。秦氏の正体は、飛鳥昭雄氏・三神たける氏の指摘によれば、イエス・キリスト直系の12使徒を中心に組まれた「エルサレム教団」に属し、ユダヤ人原始キリスト教徒であることがわかっています。「新羅」という国は、生命の樹、イエス・キリストの教えが受け継がれていると見ることができます。「1111」から「皿」、さらに「更」、「沙羅」となり、「新羅」、「白木」「生命の樹」「イエス・キリストの十字架」へと妄想は広がり、まとまりがつかなくなりました・・・(^^;;いずれにしても、11月11日という日は、ダブル観音開きで、また新たな扉が開かれるというのでしょうか。あるいは「1+1+1+1」=「4」であり、死と蘇り、何かが心の中で生まれ変わったということでしょうか。また、1111→皿=生命の樹であり、生命の樹とは「永遠」の象徴。永遠なる何かを確信する日だということでしょうか。みなさんにとっては、11月11日、どんな日になりましたか?
November 11, 2006
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「来」の漢字破字法(その1)はこちら「来」の漢字破字法(その2)はこちら「来」の漢字破字法(その3)はこちら「来」の漢字破字法(その4)はこちら間隔があいてしまいましたが…。「未来」という言葉。漢字には、ユダヤ密教のカバラ(カッバーラ)が込められており、言ってみれば「聖書」の思想が込められています。ですから、「聖書」から漢字をみると、繋がってくるものがあります。「未来」の「未」は、「未」の漢字破字法に書きましたが、「イエス・キリスト」と「生命の樹」を象徴する漢字だと思われます。そして「来」も、今まで見てきたように、「イエス・キリスト」や「生命の樹」の象徴が見てとれます。これは、なかなか興味深いことだと感じます。そして、「来」という漢字には、これから来るべき未来が、象徴的に込められているのだとしたら、ひとつ興味深いことが見てとれます。「来」は、「来る」とも、「来た」とも言いますが、「来た」とした場合、音に返すとある漢字が浮かび上がってきます。●「来た」=「キタ」=「北」!?これは、こじ付けでしかないと見られると思いますが、来るべき未来においては、「北」という方角が、重要になってくるということが、もしかしたら込められているのかもしれません。なぜなら、「北」というのは、聖書の預言において、ちゃんと示されているからです。「聖書外典」ですが、「エズラ書」にこうあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「しかし彼らは、多くの異邦の民を離れて、人がまだだれも住んだことのない他の地方に行こうと決心した。彼らはそれまで住んでいた地方では守ることのできなかった掟を、そこで守りたかったのである。彼らはユーフラテス川の狭い支流を通って入っていった。その時、いと高き方は彼らにしるしを行い、彼らが渡るまで、川をせき止められた。その地方をすぎる道のりは長く、一年半に及んだ。その地方はアルザルと呼ばれている」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー世界史の最大の謎のひとつに、失われたイスラエル10支族の謎があります。彼らは、ある時期を境に、いつのまにか、姿を消してしまいます。彼らの本隊は、北へ向かったようです。 飛鳥昭雄氏、三神たける氏の一連の著作によれば、彼らの別働隊は、途中から本隊と分かれて、ユーラシア大陸を東へ東へ移動していったといいます。東の果てには…。そう…。極東の地・日本があります!すなわち、アカデミズムは完全に無視していますが、イスラエル10支族の末裔は、日本に来ている可能性が高いということになります。なぜなら、日本の神道とはよくよくみれば、古代イスラエルにルーツがあることは明白であり、そういったことからもすべて繋がってくるからです。話を戻します。失われたイスラエル10支族の本隊は、北へ向かったといいます。しかし、北には、アルザルなる地はありません。果たしてアルザルなる地は、どこにあるのか…。ひとつ言えるのは、北の果てだということです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「『イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上がられた主は生きておられる』と言うようになる」(旧約聖書「エレミヤ書」第16章15節)「『見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める。』」(旧約聖書「エレミヤ書」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー聖書でいう終末の時代に、イスラエルの12支族は集合すると預言されています。「北の国」と「地の果て」に、イスラエルの12支族は、いるということになります。「地の果て」とは、どこなのか…?預言者イザヤが、「地の果て」のことを、「東の島々」と称しているといいます。となると…?そうです。これは、どこを指すかといえば、ほぼ間違いないようですが、「日本」ということになります。一方「北の国」は、失われた10支族の本隊がいる場所です。それがどこにあるのかは、ともかく、「北」が重要になってきます。終末の時に、「北」というのは、ひとつのキーワードになってくるようです。「来た」=「北」来るべき「未来」に、「北」が関わっていることは、聖書からみても、間違いないことと思われます。「未来」、すなわち、聖書でいう終末において、「北」から、失われたイスラエル10支族の本隊は、還ってくるというのでしょうか…。偶然にしてはおもしろい符合だと感じます。以上、長々と「来」の漢字破字法を見てきましたが、ここで区切りとしたいと思います。ふたたび、終わりの近い「天照大神の謎」シリーズに戻りたいと思いますが、ずっと滞っています…。何とかこちらも、区切りをつけたいと思いますが、気長にいきたいと思います(^^;;
November 10, 2006
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リンクさせていただいているlabolaboさまの記事で紹介されてたももちん心の旅さまの記事を、少し前に読ませていただきました。とてもすばらしいと感じました。まだご存じない方は、ももちん心の旅さまのブログをぜひ読んでみてください。「ごめんなさい」と「愛しています」を繰り返し言うことで、現象の好転がみられるというもの。私自身この話を読んで、次の日くらいに、自分自身、これまでにないような絶望的だと感じる出来事に遭遇しました。すべてが終わったと感じました。(他の人から見たらオーバーなことかもしれませんが…(^^;;)しかし、自分にとっては、ただただ、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けて、愕然として、胸が押しつぶされそうな感覚が続いて、苦しくて、その夜は、一睡もできませんでした。どこでも寝れて、すぐに眠りに落ちて、不眠という苦しみを全く知らない自分にとっては、寝れないということが、こんなにも苦しいことなのかと知りました。胸が痛い、胸が苦しいとは、こういうことかと初めて実感できました。息ができない、呼吸が苦しい。こんな感覚は初めてでした。どうすればいいのか、分からなくて混乱して、ただただ震えていました。自分のエゴ、自分の未熟さのために、人を傷つけるようなことをしてしまった…。自分はこれから、どうしていけばいいのか、どう償っていけばいいのか・・・。自分の弱さ、情けなさがつくづく嫌になりました。そのときに、ももちん心の旅さまの記事を思い出しました。この記事をほんの少し前に見ていたことも、偶然ではないのかもしれないと、ふとその時思いました。今は、もうこの言葉しかないと思いました。どうあがいても、寝れないので、とにかく、今は、この言葉を唱え続けよう。絶望的な気持ちのまま「ごめんなさい。愛しています」と、自分に向かって、傷つけた人に向かって、布団に入ってからも、唱えていました。結局その夜は一睡もできず、思い出してはこの言葉を唱えて、早朝、日が昇る前に会社に行きました。絶望感は、消えませんでしたが、とにかく、朝も会社で、気がついてはこの言葉を、声に出したり、心の中で唱えていました。そして・・・結局、自分としてはもうダメだと覚悟したことが、その日の朝、一挙に好転しました。絶望から希望への反転でした。大丈夫だということが分かりました。はじめから許されていたということが分かりました。何も変わっていなかったことが分かりました。涙が溢れてきました。救われた…と心の底から感謝しました。「ごめんなさい。愛しています」の言葉のせいではないかもしれません。でもあの時自分は、この言葉しかすがるものがなくて、唱えていて、結果的には、救われた。だから、あの夜、この言葉があったから、救われたのかもしれないと感じました。あの言葉がなかったら、あの夜の絶望感に堪えられたかどうか、分かりません。そう考えれば、やっぱりこの言葉に救われました。ももちん心の旅さま、labolaboさま、承諾を得ずに掲載してしまいすみません。また、ほんとにありがとうございます。心から感謝します。みさきよしのさまも、「ごめんなさい。愛しています」のことについて、すばらしいことを書かれていました。いつもありがとうございます。ブログでもこの記事が、広がっているようですね。「ごめんなさい。愛しています」の言葉。そして「ありがとうございます」という言葉。自分自身を救ってくれた言葉。これからも、どんどん使っていこうと思います。
November 9, 2006
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『「そうじ力」で自分磨き!!』上記の本は、前も掲載しましたが、今読んでいる途中です。一連の「そうじ力」の本は、私にとって、たぶん今後の自分を変えていってくれる本になると思います。この人の本を読むことで、そうじの大切さを感じて、少しずつですが、できることから、そうじに取組んでいます。先週の土曜日は、一人で店にいたので、一日お客様のあいまをみては掃除でした。以前のコメントに藤森緑さんが書いてくださったように、自分にとって、「そうじモード」に突入したようです。と、いうか、今まで、あまりに掃除をおろそかにしてきただけなんですが(^^;;ともかく、できるところから、ということで、意識が変化してきたことは確かです。そして意識が変化すると、今までは見て見ぬふりをしていたところも、めんどくさがらずに、その場で動いて処理していけるようになります。いつも店前を掃除するちりとりが、よくみるともうかなり汚れて、中は土がこびりついていて、それを洗いました。あと、掃除機も中を掃除して、外側をふきました。ゴミ箱も底にいっぱいゴミがたまっていて、一度水洗いしてきれいさっぱり。掃除用具とか、案外汚れてて、それが当たり前って思っていたのですが、そうじゃなくて、こういうものこそ大切に、普段からきれいにしておかなくては、と思いました。水まわりも大切だと思いました。会社の台所の排水の部分も、取り出したらいっぱいたまっているし、ぬるぬるしてるし、それを全部とって掃除しました。こんなの普段からするの当たり前なのでしょうが、こまめにしないと、と思いました。必要ないもの、長い間使ってないものは、どんどん捨てていく。すると、自分に必要なもの、必要でないものが分かってくるので、心もすっきりとしてくるのがわかります。そうじすることが、気持ちいい、楽しいと感じるようになってきました。空間が、何となく違うのが分かります。それが、また心地いいので、また少しずつでもやっていこうとなる。いい循環ができてきたように思います。そして、このようにブログに書くことで、口先だけではすまされず、そうじをすると宣言することにもなり、いい意味で自分自身への刺激にもなります。こいつは、ほんまに掃除しているのかいなと、家や店まで、押しかけてこないでくださいね。まだまだ、できてませんから・・・(^^;;そして、もうひとつ、最近の興味は、体を癒すこと。体を癒すといってもいろいろあるのですが、少し前に、ある方が、自分の手をもんだり、ツボを押したりしてくれた時に、飛び上がるほど痛くって、かなりコリとか疲れがたまっているのが分かりました。それで、人間の体に興味が出てきて、自分もこのように、自分だけでなく人の体もほぐしたりしてあげたいなあという思いが出てきて、ちょっとずつ勉強していこうかなと思います。最近、整体とか、ツボの本とか、リンパマッサージの本とかどんどん買っていて、たまっていく一方なのですが(^^;;、読みつつ実践していこうと思います。『Matty式足ツボ10分解毒マッサージ』この本は、読みかけたところですが、写真がふんだんにもりこまれていて、分かりやすいなあと思って本屋で購入しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一日たったの10分でOKだから、毎日続けてほしいなかなか自分の足裏を見る機会はないかと思いますが、足の裏には手相と同じように、人生の歴史が映し出されているものです。苦労が重なっている人、頑張りすぎている人の足裏には、疲労が溜まっています。ぜひ、その今までの苦労や疲れをほぐし、取り払ってあげてください。そして、どんな大人でもなることができる、産まれたての赤ちゃんの足裏を目指してください。「足ツボ」は難しくありません。いつでもどこでも簡単にできるので、毎日10分続けてください。今日からの健康維持は、あなた自身でできるのです。(本文より引用)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー少しずつ、実践していこうと思います。足ツボにしろ、マッサージにしろ、レイキと併用していけば、より効力がアップするかなとも思いますし、これから、こういう方面も勉強していきます。身の回りの「そうじ」できれいにして、自分の体内も、ツボやマッサージで「解毒」して、そうじしていく。「そうじモード」どんどんはまっていこうと思います。
November 8, 2006
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▲葵:ちょっと画像くらいですが。手抜きの更新が続いていますが・・・。昨日は、結局全然寝てなくって(^^;;、眠くてしょうがないので、今日はもう寝ます~~。おやすみなさい。
November 7, 2006
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君のその少し小さめの手にはじめて触れたときやわらかい感触あたたかい感触せつない気持ち広がるぬくもり君のすべてが愛おしくなったこのままずっと時がとまってほしいと願ったなぜかそれですべてが癒される不思議なぬくもり君の中に広がる宇宙を感じた永遠を感じたあの時しばらく あなたが手を握ったまましばらくじっとしていたうつむいていた瞳からそのままぽろぽろと丸い透明な涙がやさしい雨のように手に優しく降りかかったいろんな感情が混じりあった涙だったんだろう僕にはそのすべてを理解できなくて手を握っているしかできなかった愛おしさは募るばかりでそのくせ抱きしめることもできずにじっとしているしかなかったただ大丈夫…大丈夫…と心の中で思っているだけだった君のあの時の透明な涙は 忘れない忘れられない…僕の心の中にあるすべてのわだかまりすべての迷いを優しく洗い流してくれたようだからこれからも手をしっかりと握っていたいどんなことがあってもその手を離さないでいたいあの時のことを思い出すたびに何度でもそう心に誓う君の手のぬくもりの永遠これからも感じていく
November 6, 2006
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楽天の記事が一日50件というのは、聞きましたが、これする人はいるんですかね(^^;;それと、昨日気がついたのですが、カテゴリが50件までできると。これは、確かに10件では、少ないと思っていたので、これから、増やしていこうかなと思います。今までのを、分けるのが大変そうですが…(^^;;
November 5, 2006
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『永遠。』村山由佳(文庫版)『永遠。』村山由佳(単行本)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー内山理名初主演映画「卒業」のサイド・ストーリー。小説と映画の出会いによって、かつてないコラボレーションが実現。スクリーンでは語られなかった人々の胸のうちを、こまやかに綴る「もうひとつの物語」。 (楽天ブックスより転載)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今、最も注目を浴びている作家、村山由佳さんが、映画『卒業』を何度も見て、映画の余白を埋めるようにして書き上げたのが、本書『永遠。』です。映画『卒業』は、まぎれもなく傑作であり、これほど余韻のある作品は、そうそうありません。個人的には、今まで見た邦画のベスト5には絶対に入る作品であり、マイナーのまたマイナーな作品であり、埋もれてしまった傑作です。そして何より、この映画を見て、内山理名という女優にぞっこんになった作品でもあり、非常に愛着の深い作品です。映画『卒業』(映画『卒業』HPからの画像)映画『卒業』については、こちらに書きましたが、ともかく、この作品は、登場人物の背景とかが、ほとんど語られず、ある意味非常に説明不足の映画です。文庫の解説にもあったように、非常にストイックな映画であり、イライラする人は、イライラすると思います。しかし情感たっぷりで、語られないけれども、登場人物の溢れる思いが痛いほど感じられる、そんな映画です。誰が何と言おうと、この作品は傑作です!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー監督のメッセージ---Message from Director この映画は、「愛情の循環」に関する物語でもあります。誰かが誰かを愛し、その愛情がまた他の誰かへの愛情となり、やがてまた元へ還ってくる。日本人は愛情を言葉にするのが苦手です。しかし、言葉にしないことで、その愛情をより深くすることもあると思うのです。そして言葉にしてしまうことで失われてしまう愛情も。この映画を観た方々が、それぞれの「卒業」に思いを致し、新たな始まりへ向かって歩き出してくれるような、そんな作品になってくれることを祈っています。(映画『卒業』HPより転載)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして、映画から生み出された小説『永遠。』この小説は、映画の余白をものの見事に埋めた作品であり、作者の想像力の凄さをまざまざと見せつけられました。わずか文庫版で106ページの物語であり、あとがきと解説あわせると、物語の半分近くの分量を占めるという、ある意味すごい文庫なのですが、それでもこの短い物語はすばらしい。もちろん、小説だけでも充分に読み応えはあるのですが、映画と組み合わさると、絶妙のコラボレーションを形成します。普通は、映画の小説版って感じで、そのままなぞったようなノベライズが多いですが、これは全く違います。映画を見て、インスピレーションを受けた作者が、生み出した物語。しかも、映画では登場しない、主人公・吉田弥生の母親の吉田葉月の存在感が実に鮮やか。さらに驚くべきことに映画では、存在すらない全く架空の人物、吉田弥生の幼なじみ・徹也を主人公に据えるという大胆不敵な設定。しかし、これが見事に功を奏しています。村山さんの想像力は、すごい。恥ずかしながら、村山さんの小説、これしか読んだことないのですが、この人の作品を、これから読んでいきたいと思いました。(映画『卒業』HPからの画像)映画では、雨と赤い傘が、実に効果的に使われていて、鮮やかな記憶となって残ります。小説のタイトル『永遠。』は、映画で、内山理名が何度か相手役の堤真一にいう言葉。特にラストシーンはすばらしいの一言。これほど余韻に満ちた素敵なラストシーンはそうそうありません。「永遠だよ・・・」小説でも、「永遠」という言葉は、効果的に使われています。母親の葉月から、娘の弥生への言葉。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「離れていたってね、弥生。血のつながりは永遠だよ」「ううん、血のつながりだけじゃない。想いは、永遠なの。一度誰かとのあいだに芽生えたつながりは、ずーっと消えずに続いていく。たとえ、かたちを変えて、いつか思い出の奥にしまわれてしまったとしても、かつてその人と心をやり取りしたっていう記憶だけは、永遠に残るのよ。そうーーちょうど、海の底に沈んだ宝石みたいにね」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまた、さえない中年男・真山悟を演じた堤真一は、夏川結衣演じる恋人との待ち合わせにいつも遅れてくるのですが、映画の初めあたり、デートの待ち合わせに遅れてくる場面があります。その時恋人のセリフが「大丈夫だよ」静かに微笑むその表情と、小さい声だけどしっかりと相手を思いやる言葉が実にいいのです。あとがきで村山さんが書いていますが、最後のあたりで、もう一度、この恋人が言う「大丈夫だよ」が、これまたものすごくいいのです。最初の「大丈夫だよ」があったからこそ、後半の「大丈夫だよ」が生きてくる。この場面は泣きそうになるくらいいい場面です。漫画『卒業』くりた陸(在庫なし)▲残念ながら楽天では在庫なしだそうですが、この漫画も映画とのコラボレーションで生まれており、これもなかなか良い出来です。『永遠。』の解説では、小説→映画の順が良いと書いていましたが、個人的には、映画→小説→映画という順に見てほしい。映画をまず見て、次に、映画では分からなかった背景が小説を読んでくっきりとします。さらに、もう1回映画を見て、その映画の完成度、深みをじっくりと味わう、という順がベストだと思います。映画『卒業』HPはこちらから出来れば、あまり予備知識なしで見てほしい映画。まっさらな状態で、この映画のすばらしさを味わってほしいと思います。そして、『永遠。』もぜひ味わってほしい作品です。
November 3, 2006
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『夢をかなえる「そうじ力」』【予約】『 しあわせを引き寄せる10秒!そうじ力』『「そうじ力」で自分磨き!!』昨日はトイレ掃除のこと書きましたが、ひとつ書き忘れておりました。先日家のトイレを1時間くらいかけて掃除したあと、「いやあ、すっきりするねえ」と妻に言ったら、「雨でも降るんじゃない」と笑いながら言われました。ガビーンって感じでしたねえ・・・。外は快晴だというのに…。そして昨日は会社のトイレ掃除。毎日、一応はしているのですが、家と同じように、便器のそこに手を突っ込んでぐりぐりしてみると、やっぱりにゅるにゅるしていう部分がけっこうあります。そのにゅるにゅるしたのをこすって、そのぬめりがなくなるまでするんです。ここは、トイレブラシは入らない部分なので、手を入れるしかない。そうすると、出てくる出てくる。はがれた茶色っぽいかけらがぼろぼろ浮かんできました。うわあって思いながら、けっこう汚れはあるものだなあと思いました。あと、会社のトイレは、床に排水溝もあるのですが、そこも取り出して、ぬめりとかとってやる。ここを何ヶ月も放置すると、もうすごいぬめりと臭いで、以前かなり難儀したので、時々しています。そして、最近は、風水の本に、お香を炊くといいと書いてあったので、掃除したあとにお香を炊くようにしています。お香も一本はもったいないので、それを半分にして使っているというせこさ(^^;;。最近そういえば、「せこい」って言葉使わないですねえ。死語かな。まあいいのですが。それと、前から思っていたのですが、トイレブラシがはねてきていたので、トイレブラシを新調しました。やっぱり掃除するには、掃除用具もきちっとしてないと、ということで。そんなんで見てたら、色を統一するのに、せっかくだからということで、コーナーポットも買い換えました。そして、ペーパーホルダーのカバーも色が合わなくなるしということで、思ったより高かったのですが、これも思い切って変えました。と、言うことで、気がついたら予想以上の出費になりましたが、まあいいです。なので、今日からは、より新たな気持ちで、トイレ掃除もできますよ~~。運気もどんどん上がってきそうな感じですよ。それと、きのうは、会社の机の引き出しを、ほんと久しぶりに整理しました。これが、わけ分らないくらい、いっぱいで、見ていくと使ってないものがいっぱい。とにかく長い間つかってないのは、もうまだ使えるものでも、捨てていきました。結局、7割くらいは、捨てたのではないでしょうか。いかに、余分なものが多かったかということです。まだまだ、きりがないくらい、する場所はあるので、ひとつひとつ、できるとこから、やっていこうと思います。心も何だかすっきりしてきて、迷いがなくなるっていうのが、分かる気がしてきました。掃除は、心の掃除、心の浄化であり、結局は自分磨きなのかもしれないと、実感しつつある今日この頃です。やるところがあまりにありすぎて、これから掃除の楽しみをたくさん感じさせてくれそうです(^^;;『「そうじ力」であなたが輝く!』▲次はこれを読みます。これも何回も読んでいますが、順々にこの方の著書を読んでいると、掃除の大切さがわかるので、この方の著書は、常に少しずつ読んでいる状態にしていこうかなと思います。『成功を加速する「そうじ力」』
November 2, 2006
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『夢をかなえる「そうじ力」』この本、何度読んだことか…。これで5、6回目でしょうか。しかし全然自慢になりません。妻にこれ、5、6回は読んだよ!と言ったら、それ読んでいる間に、そうじしてよ!、と言われました。「う~ん・・・」と言うしかありませんでした。そうです。実践が伴わないと、全く意味がないのです。できるところからしていく。先日の休みの日は、家のトイレを久しぶりに(^^;;、徹底的に掃除しました。便器の底にこびりついた汚れが見えていて前から気になっていたのですが、これが、全然取れない。それで、プラスチックのものでがりがりしたり、手でしたり、案外手のほうがポロポロととれたりして、便器に手を突っ込んで1時間くらいしていました。便器の底、水が流れていくところの見えない奥の部分が、けっこう汚れてて、にゅるにゅるなところがあったり、こびりついたものがあったり、とにかく手を突っ込んでいました。次の日右手が以上に痛いので何だろうと思ってたら、このトイレ掃除のせいだとあとで気がつきました。あと手もすりむいていました。でもやっぱり気持ちいいものがあります。店とか駅とかトイレの便器とか汚い場合は、手でごしごししてきれいにできるようになりました。前は、抵抗あったのですが、案外やってみると、気持ちよくって、水を流しながら手でごしごしすると、ちょっとした汚れならすぐとれます。妻は、そんなことできない・・・と言ってましたが。ということで、この方の著書は、折に触れて読み返しては、また掃除するぞ~~と心に誓うわけです。しかし、また以前の状態に戻っている気がする・・・(^^;;11月、12月は決意も新たに掃除月間としたいと思います。普段からこまめにするのが一番だと痛感しています。ということで、できるとこから実践していきます。この方の新著がでたようなので、早速買おうと思います。『「そうじ力」で自分磨き!!』
November 1, 2006
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