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ヨハネとイエス・キリストの御生誕の続きです。もう一回だけ続きます。またまた、ちょっと長いです。今後は、短い引用にしたいと思います…(^^;今回は洗礼者ヨハネの誕生について。イエス・キリストの母親マリアと同じく、ヨハネの母親エリザベトは聖霊によって身ごもります。この時点で、聖書を本物と認めるか認めないか、のひとつの試金石がここにあるといってもいいのかもしれません。通常、人間の頭で考えれば、いわゆる処女懐妊というのは、ありえないわけです。だから、ここはフィクションであるとみる方も多いのかもしれません。しかし、誤解を恐れずにいえば、聖書は神の御言葉です。宗教的にとられるかもしれません。神がいると仮定すれば、やはりこの出来事は事実であるといえるでしょう。人間ではできなくても、神であればそういったことは、もちろんできるはずです。…と、そんなの暴論だと言われるかもしれませんね…。神を持ち出せば、何でもありではないかと…。このあたりは、あまり触れないほうがいいのかもしれません。そして、神が人間をつくったなどというと、これまた、現代の常識である「進化論」から真っ向対立することになります。しかし、結論から言えば、進化論は残念ながら、真実ではなく、あくまで仮説です。いまだに進化の過程を表わす証拠が何ひとつ発見されていないといってもよく、進化論はありえない説である以上、この先、そのような証拠が出てくるとは考えられません。久保有政氏や飛鳥昭雄氏が指摘しているように、進化論はもはや崩壊しているといってもいいでしょう。『オーパーツと天地創造の科学』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【内容情報】(「BOOK」データベースより)恐竜を象った土偶や古生代の貝とともに化石化したハンマー…。その時代にあるはずのない謎の工芸品オーパーツ。アカデミズムが存在を無視しつづける一方で、アトランティス文明や異星人の関与が指摘されるなか、ついに、すべてを説明する学説が登場した!!根拠のない年代測定や矛盾だらけの進化論を超克するため、最前線のサイエンティストたちが提唱する「天地創造の科学」とは何か。21世紀の科学ルネッサンスが今、始まる。 【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 進化論を否定するミッシングリンクとオーパーツ第2章 世界的ノアの大洪水と地球環境の大激変第3章 オーパーツの正体第4章 天地創造の科学第5章 年代測定法の虚構第6章 創造論科学者とサムシング・グレート第7章 生命体に刻まれた創造の証第8章 天地創造の科学が語る人類史 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ほぼ、この本で、進化論は残念ながら、崩壊していることがはっきりと証明されています。この宇宙は、サムシング・グレートでも何でもいいのですが、神によって創造されているということになります。聖書で言えば、絶対神ヤハウェであり、その絶対神が、人間に受肉したイエス・キリストだということになるのでしょう。もうひとつだけ。聖書の試金石といえば、間違いなくイエス・キリストの十字架での死と復活でしょう。これまた、人間の常識で考えれば、死んだ人間が復活するなどということはありえないわけです。だから、そこにはトリックがあるはずだと。たとえば、十字架に架かったのはイエスの弟であり、本物のイエスは逃れた…。そういった説も何かの本で読んだことがあります。しかし、果たしてそうなのか…。これも誤解を恐れずに結論を言えば、やはり事実であるということになるでしょう…。このあたりは、難しいものがありますが、いずれ時が来れば、事実かどうであるかははっきりとするでしょう。長々とすみません。洗礼者ヨハネの誕生場面です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 そこで、マリアは言った。 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、 我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。 それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、 敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、 生涯、主の御前に清く正しく。 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。 (新約聖書「ルカによる福音書」第1章39節~80節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 次回、イエス・キリストの御生誕場面を紹介して、区切りをつけます。
January 31, 2007
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見つめあった瞬間君の顔が泣き笑いのようになって涙がぽろぽろと溢れてく…君の手のやわらかな感触時の間を縫うようにつながっている感触このぬくもりがいつまでも続くといいさすったりなでたりしてくれる君の手が愛おしい石鹸の匂いがこの精妙な空間をかすかにふわりと広がって溶けていくふいに君の瞳から涙が ぽたぽたと 落ちてくるたくさん たくさん 落ちてくる君の手のぬくもりと涙の感触は相反するようでいて心に湧きあがるいくつもの想いの結晶となってひとしずく ひとしずく胸に響いていてくるあたたかくて少し冷たくて胸に響いてくるせつなくなる止めなくていい我慢しなくていいそう思う涙はやがて浄化の雨となって大地に染みこみ晴れやかな君の素顔にまた出会えるような気がするから永遠にも等しいくらいのほんのわずかな時間時が凝縮したかのように心の奥底で渦巻く想いは濃密に過ぎてゆく永遠とは一瞬の中にあるものだと感じたいったいどこから この想いはくるのだろうそれは分からないけれど枯れてしまうことはない絶対に…とか永遠に…なんて嘘だと思ってたけどそんな言葉もあるんだなと思ったこんこんと湧き出る泉のように尽きることなく溢れてくるもの君の中からも尽きない泉のようにたくさんの涙が溢れてくるいつもいままでたくさんほんとうにたくさん…涙を流してくれているそのことが不思議で奇跡でありがたいと思うただ今はこれからもずっと君への想いを惜しみなく 素直にそそいでいくいつかみんなが…周りの人大切な人すべてのひとが光に包まれていくためにこの現実を見つめて想いを限りなくそそいでいく※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※『君の手のぬくもりの永遠』とモチーフは似てますね…。と、いうことで、タイトルも似せました…(^^;;思いつくまま書いたので、まとまりがなくなりました…。また手直しするかもしれません。最近涙が湧いてくることが多くて、それは別に苦しいとかだけでなく、うれしい気持ちであったり、しあわせな気持ちであったり、いろいろですが、涙が湧いてきたときは、そのままただ流して味わうようにしています。何でだろう…。この涙はどこからきているのだろう…。とか考えずに、ただそのまま見つめています。そうすると、心がすっとする。涙は、浄化の作用があるということも、自分自身実感しています。そんなことも思いながら書き付けてみました。
January 30, 2007
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引っ越して3週間たちましたが、日曜日がセミナーや仕事で埋まってしまい、先日の日曜日ようやく本の整理にかかりだしました。それまでは家の整理とか、私はほとんどせず、妻や娘(?)がしてくれて、助かっています。本は、まだまだ多くて、処分していこうと思っています。以前ほど執着がなくなってきて、できるだけすっきりとしたいなと思っています。アマゾンで、売れるそうなものは、登録して、それ以外はブックオフへ、というパターンです。アマゾンは、売値が1円とかっていうのがけっこうあって、それでは、出してもほとんど意味がないので、ブックオフにまわしています。この2日間で登録したら、売れるものはすぐ売れて、10冊ほど買っていただきました。封筒につめるのも、すべて妻にしてもらって、私は宛名を印刷するくらいです…。ほんとに感謝です。と、いうことで、本の整理、段階的にどんどんしていきます。
January 29, 2007
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ヨハネとそれに続く、イエス・キリストの誕生場面。ちょっと長いですが(^^;;自分のために…。あと1,2回かかりそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時がくれば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 (新約聖書「ルカによる福音書」第1章第5節~38節)新共同訳ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
January 28, 2007
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前も少し掲載していたことがあったのですが、聖書の御言葉を掲載していこうと思います。昨年の冒頭に、今年は聖書をもっと読んでいくといって、ほとんど読めていなかったので、今年は、触れていきたいなと思います。私自身、キリスト教には属していませんし、洗礼も受けていません。しかし、いろいろみるなかでやはり「聖書」が基準であり、真理を内包していると感じるので、聖書に触れていきたいと思います。日本という国は、言霊幸う国と言われますが、まさに聖書も言霊であり、預言書です。そして、日本の歴史をみていくと、その根底には聖書の思想が脈々と息づいています。失われたイスラエル10支族は、旧約の民。彼らは、歴史から忽然と消えています。飛鳥昭雄氏によれば、本隊は北へ向かい、今もある場所にいます。誰も住んだことのない場所に今もいます…。やがて来るべき時のために…。一方の別働隊は、東へ東へ向かい、最終的に間違いなく、この極東の地・日本へ来ています。それが物部氏や天皇家であるということでしょう。そして、イエス・キリストの生きていた時代、彼から教えを直接受けた12使徒を中心に組まれた「エルサレム教団」彼らは、原始キリスト教であり、彼らもイエス・キリストの十字架での死の後、しばらくして、歴史から消え去っています。どこへ消え去ったのか…?ユダヤ人原始キリスト教徒の彼らもまた、日本へ来ています。飛鳥昭雄氏・三神たける氏に指摘されていますが、彼らが、最大の渡来人といわれる「秦氏」です。彼らは、言ってみれば「新約の民」つまり、日本には、旧約の民と新約の民が、集っていると言うことになります。すなわち、「旧約聖書」と「新約聖書」の思想が、根底には流れていると。日本のほんとうの姿については、今後もまた、飛鳥昭雄氏・三神たける氏の著書を中心に紹介していければと思いますが、この場は「聖書の御言葉」ピックアップして、自分自身が、勉強する意味で、掲載していこうかと思います。よく引き合いに出されますが、日本が言霊の国であるというのと、以下の聖書の御言葉は、通じるものがあるように思います。聖書は、象徴で満ちていますが、これが西欧諸国の人々には、なかなか理解できない部分があるようです。だから、象徴も直接的に受け取ってしまい、それが天使には羽根があるといった誤解も生んでいます。天使の背中に羽根があるというのは、象徴場面であり、実際ではありません。実際の天使は指摘されているように、羽根はなく肉体をもっています。話がそれました。日本人は、象徴を読み解くのに長けた民族であり、飛鳥昭雄氏が指摘しているように、ある意味日本人が、聖書を読み解くのに長けているといえるのでしょう。それは、日本人が、聖書と深く関わりのある民族だからこそでしょう。日本の神話と聖書にも通じるものが多々ありますし、そのあたり、非常に興味深いものを感じます。長々となりました。次回からは、聖書の御言葉だけで、時間のないときなどに(^^;;掲載していこうかなと思います。はい…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。 (新共同訳) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
January 27, 2007
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入るつもりのない本屋に立ち寄って、目的なく本を眺めていると、欲しい本に出会える事があります。今日は、この本でした。「言霊でしか解けない」聖書著書の飛鳥昭雄という人は、最先端科学をもってして、時に破天荒なほどの論理で、現状の科学や常識に大鉈を振るう人であり、一般人から見ると、もはや常識を逸したトンデモ説であると、とられる方も多いのかもしれません。しかし、一連の著書を読むと、軸はぶれずに、一貫して謎の本質に迫っています。UFOといったオカルト的話題から、宇宙論、歴史、古史古伝に及ぶまで、とにかくこの世のあらゆる謎に対しての造詣の深さには、ただ驚きます。そしてジグソーパズルのピースを埋めて出来上がっていく壮大な絵のように、全体像が見えてくる。圧巻です。本書の帯にはこうあります。「日本は言霊の幸う国。言霊とは、言葉が実現する、つまり予言のこと。イスラエルの失われた10部族が古代日本にユダヤの神秘主義カッバーラと神権を持ち込んで隠している。だから、聖書の謎は日本で解けるようにできている!!」聖書とは、言霊(予言)の固まりです。言葉を実現させる巨大な霊の力が、人間の始めから終わりまで計画を立て、実行していることが、見えていますか!?人は肉のみならず霊肉一体で命を得ていることを自覚できていますか!?」日本という国と、聖書は、一見結びつきませんが、日本は聖書と無関係ではなく、むしろ聖書の思想が根底にあります。三位一体とよく言われますが、実際は、三位三体であり、御父、御子、聖霊はそれぞれ独立した神となり、そのことは、日本の記紀神話の冒頭に、三神が独立してあらわれていることから、明確につながります。ここまで堂々と、日本の神話に組み込まれているということは驚きであり、日本において、聖書の思想が組み込まれていることの証拠にもなります。また、神道最高神の「天照大神」の正体が、ユダヤの王「イエス・キリスト」です。このことは、一連の「天照大神の謎」シリーズで紹介しました。そして、もうひとつ重要な鍵となるのが、ユダヤ密教の「カバラ(カッバーラ)」このカバラを駆使しているからこそ、日本という国のほんとうの姿を覆い隠すことができたのであり、分かる人には分かるようになっているということなのでしょう。この視点をもって、日本のさまざまな文化風習をみていけば、いたるところに仕掛けが施されているのが分かります。本書の鍵は、聖書の中でも最も難解とされている、「ヨハネの黙示録」この謎が「カバラ(カッバーラ)」の視点から完全解明されています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー聖書にあらかじめ書かれたように、世界が動いていく。実際、欧米の世界の指導者は、聖書をよりどころにして、地球の支配と管理を決定している。このことは、ようやく日本人に理解されるようになった。しかし、人間の日常の営みの裏に巨大な霊の世界が控えていることを日本人は忘れてしまっている。天界で起きた現象が、この世の現実に移写して、地球の人類の行方が決まっていく。この時々の人類の選択は、天界=限りない段階を備えた霊の世界に逆向きに影響を返していく。悪とも善とも働く巨大な霊が、それぞれの計画の実現を目指して、私たち一人ひとりの魂に働きかけてくる。今地球は、世界最終戦争=ハルマゲドンに向かって大きく舵を切っている。その理由は?日本は選択の基準をどこに置いていますか?そして、あなたは?その答えは、当然ながら聖書にみんな書いてあります。ただ、その読み方がわからなかった。それを教えるのが本書『言霊でしか解けない聖書』です。 プロローグ ヨハネ黙示録は改竄の魔の手さえ寄せつけなかった!第1章 「七つの星と七つの金の燭台」の謎!!―それは、人が神となる神人共に歩む道のこと!第2章 「4つの生き物」の謎!!―それは天界のグランドクロスつまり特殊な星座の位置のこと!第3章 「七つの封印の巻物」の謎!!―それはアダム追放からの6000年間と、その後の1000年で起こる激動の未来のこと!第4章 「七つのラッパ」の謎!!―それはハルマゲドンの勃発のことである!第5章 「七つの災いの鉢」の謎!!―それは神の怒りの杯が次々と地上に注がれることである!エピローグ ヨハネは来るべき「二者択一の時」の道しるべを示していた! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー伊勢神宮に秘められた恐るべき謎については、下記の本が参考になります。伊勢神宮とイエス・キリストの関わりが驚愕すべき形で示されています。失われたキリストの聖十字架「心御柱」の謎
January 26, 2007
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▲葵:妻が6歳のともえを幼稚園に迎えにいってしまい、取り残されて、うぇ~~んと泣いて、しょぼんとして、すねている顔なんだけど、何か?今日の夜は帰ったら、寝ているはずの葵が、玄関先にバタバタっときました。まだ起きてたの~~、と言って、葵を見たら、目をパチパチしています。そして、近づくと、何だこのおっさんは、という感じで、バタバタと向こうへ走っていきます。「うん…?」とようやく、おかしいと気づく私。靴を脱いで家にあがり、葵に近づくと、顔をそらします。妻のところに泣きそうになっていきます。ガビーン。忘れられた・・・。どっかの危ないおっさんが来たと思われたのでしょうか…。平日は顔をあわせることがなく、日曜日もここ2回ほど、外出してて、まともに顔を合わせていません…。6歳のともえも、一時期そういうことがあったので、まあ、また思い出してくれるだろうとは思いますが。★ここ最近、お客さまに対して、クリア道を意識しつつ、対応しています。完全にはできてませんし、意識が離れている時もありますが、なるべく意識するようにしています。先日は、あるお客さまのところへいって、一時間くらい話を聞いていました。そのお客さん70代の方なのですが、とにかく、次から次へと話を繰り出してこられる方で、いつも圧倒されます。途切れないです。息つく暇もないくらい、お話されます。もう年とったらねえ、あきませんわ~~と言っておられますが、なんのなんの。ものすごく元気です。こんなにしゃべれたらいいなあと思います。このお客さま、店のある商品を、ほんとうに愛用してくださっていて、これして、本当にいい、いいって、いつも言ってくださって、聞いていてとてもうれしくなります。話はそれてそれて、いろいろと家のこととか、年金のこと、途切れません。その間にこちらも、お聞きしたいことを、合い間みて、聞きつつ、かれこれ1時間くらい話していました。というか、ひたすら話されるのを、聞いていました。以前であれば、もう切り上げたいとか、次の配達があるのに、とか、こっちの都合ばかりを考えたでしょうが、その時は、時間にも余裕があったのもあったでしょうが、ひたすら相手の気持ちを感じるように意識して、相づちをうっていました。そうすると、こちらも、心地よく時間を気にすることなく、聞くことができました。そして、結局最後には、こっちは特にすすめたわけではなく、けっこう高額の商品なのですが、「迷ってたけど、せっかく来てくれたし、いいものだから買わせてもらいます」って言ってくださいました。どうですか?って確認するくらいで、売ろうという気は、あまりなかったのですが、そう言ってくださって、うれしかったです。売ろうとすると、売れない。これは以前から感じていました。売ろうとするよりもまずは、お客さんの気持ちに、寄り添う。そこからなのかなと思いました。「今ここにいること」を意識して、仕事も取り組んでいきたいなと思います。
January 25, 2007
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きのうのクリア道実践日記「今の自分が好き」では、車で涙がでたことを書きましたが、今日もまた、配達中、車で泣いていました…(^^;仕事ちゃんとしろよって感じですが…。きのうは、苦しさや痛みを伴う涙でしたが、今日は、浄化の涙。ひとつまた、抜けることができたような気がします。結局、自分の中から、湧いてくる想いが、醜く感じて自分を裁く。そんなこと思うのは良くないと感じ、その想いを、なんとか封じ込めよう、何とか消したいと思って、苦しんでいました。自分のなかの価値観で、自分自身を否定している。苦しいのは、人のせいでも環境のせいでもなく、まさに自分自身が作り出しているものなのだと気がつきました。ある人が、そのままでいい、揉み消す必要はない、と言ってくれました。自分は自分でいい。他のものにはなれないし、背伸びをする必要もない。今の自分をそのまま認める。どんな(醜いと思われる)想いが湧いてこようとも、そのまま何も判断せずに、見つめてみる。ただ見つめる。そうするとその想いを、すうっと流してやることができたような気がします。自分は(良くない)想いを消そう消そうって思ってたけど、消すことなんかないんだって。その想いは、ただ見つめていればいいのかなと。そういう自分も、まるごと否定することなく見つめていく。そう心から思えたら、楽になりました。そのままで、まずはいいんだと。自分が無理をしてきたんだなあとしみじみ思い、先の涙になりました。自分は自分でいい、我慢しなくていいんだよって。そういってくれているような気がして、涙がどんどんこぼれました。最近時々こういうことがあるのですが、ああ、自分は泣けるんだ、と他人事のように思いつつ、また自分の中に戻って、その時の感情を味わう。流れるままに。そのまま、抑えることもなく。そうしていると、心はすごく楽になっていくのが分かりました。そこから、ふっと先の囚われを、自分から離して見れたような、そんな感じがしました。自分の中ではそのことを、必要以上に大きく見ていたことも何となく見えてきました。この想いに蓋をしていたら、苦しみは、またどこかから湧き出てきたと思います。苦しいと感じることは、今までだったら、感じないようにとか、抑えたりしてきました。でも、逃げることなく、そのまま見つめていれば、いいのかなと思いました。どんな想いも、まずはそのまま判断することなく、見つめていく。どんな想いも、自分から出てきたものだから、まずは認めてあげる。自分を好きになるということ。頭ではなく、実感として、今回のことを通じて感じることができたように思います。自覚を持って、見続けていきたいと思います。
January 24, 2007
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SMILE de MILEさまの日記に元気をいただきました。ありがとうございます。ほんとうの自分、感じていきたいと思いました。今日の帰りは、車でなぜか泣いた。だいたいの理由はわかっている。でもなぜなんだろう。顔がゆがむ。涙がでてくる。でも、そのままにしておく。何も止めない。抑えようとしない。そのままにしておく。ゆっくりと息を吐く。息を吸う。全体を感じる。運転していることを意識する。そのまま。なぜ涙がでるのか、その感情を探ろうとするが、やめる。そのまま感じる。感情の波がおさまってくる。すこし、胸のつかえがとれたような感じ。感情を出すまいとしてきた自分。今は湧き出てくるもの、抑えないようにしたい。昨日の出来事に、今日は一日囚われてしまった。そのことに執着してしまう。言葉に張り付いてしまう。昨日のことへ、意識が引っ張られてしまう。ずっと張り付いてしまっている自分がいる。今ここにいない。引きずっている。呼吸を意識してみる。うまくできない。胸がチクチクする。ふうっと息を吐く。胸が痛い。もがいている。体がもがいている。張り付いた想いが身体を駆け巡っている。思考が巡っている。囚われている。体がしんどいと悲鳴をあげている。自分の価値観で自分を裁いている。よけいに苦しくなる。ひとりで抱え込んでしまうのはなかなか苦しいと思った。夜、人にメールでその気持ちを言う。いつのまにか、胸の痛みがちょっとましになっている。不思議。ありがとう。悲しみも半分こって、みさきよしのさんが言っておられた。確かに、苦しい気持ちが半分になった感じ。胸の痛み。見つめていく。繰り返しやってきてもいい。消えないかもしれない。それも見つめていく。それが自分。どんな自分でもいい。どんな想いが湧いてきてもいい。否定しなくてもいい。裁かなくてもいい。今の自分を全部好きでいたい。そこからはじめよう。今はそのまま見つめていく。
January 23, 2007
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▲そばは大好きで、口にいっぱいいれているんだけど、何か?▲どうだあ。まいったかあ。(って言ってるかはしりませんが(^^;)フォークさばき(?)もいっちょ前なんだけど、何か?▲よっしゃああああ! 気合で、食べるぞおおお。って感じだけど、何か?▲うおりゃああああああ!どうだあああ!食べたぞおお!!って感じで、陶酔感に浸っており、目はどっかいっちゃってて、威勢よく食べてるんだけど…(^^;、何か?
January 22, 2007
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頭上から降りそそぐ想いあなたの想いがじんじんと響いてくるどんな場所にいてもそれは変わらない電波は届かないところがあるのに人間のセンサーは障害が一切ないどんな精密機械よりも速くて一瞬で届いてしまう人間の能力を超える機械はおそらくできないだろうこの肉体に感謝するいつか肉体を脱ぎ去る時がくるまで大切に大切にしていきたいあなたの想いをただありのままハートで受け止めていく僕もただ溢れるままの想いを頭で加工することなくそのまま届けていきたい
January 21, 2007
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毎度のことながら、時間のないときの、娘の写真ってことで…。前も、ボタンを神妙に、とめている写真があったような気がしたので、2、ということで…。今日は、京都へ、仕事関係の講演会に行ってきました~。お客さんには喜んでいただけて、よかったです。朝のちょっとの時間、カフェで、読書できたのも、よかったです。私にとっては至福の時間です。と、いうことで、いい加減ですが、とりあえず、アップします~。
January 20, 2007
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▲ほっぺがぷくぷく、口が怒ったようになって、真剣に書いているんだけど、何か?2歳の葵は、とにかく、よくこけます。この前も、階段で、どん・どん・ごろ・ごろ~っと4回くらい衝撃があって、うぇ~~~んと、泣き声がしたら、葵が下で倒れていました。また、家の中を走っていて、平坦なところで、ずって~~ん、という感じで、頭から見事に倒れて、勢いで足が跳ね上がったような、元気な倒れ方をしていました。おもしろいです。って本人は痛いでしょうが…。幸い怪我とか、たいしたことないので、いいものの、気をつけてあげないとと思います。
January 19, 2007
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本の紹介だけです~。100万部以上売れている、『病気にならない生き方』の第2弾。薬に頼らずに、自分の体は自分で守る。そのための必読書だと思います。その鍵を握るのが、ミラクルエンザイム、すなわち、酵素だといいます。一度、講演を聞きにいきましたが、ユーモアたっぷりで、70歳を越えているとは思えないほど、若々しい方でした。まだ、この第2弾、読んでいませんが、読んで、実践に役立てていきたいと思います。『病気にならない生き方2(実践編)』病気にならない生き方ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2005年9月号掲載 全米ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医が教える「太く、長く、生きる方法」の数々。著者は膨大な臨床結果から、「食歴」と「生活習慣」こそが健康状態を決める最大の要因であることをつきとめた。この本を読めば日々のわずかな努力で、病気にならずに天寿をまっとうすることができる!(工) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー医学が進歩しているのに、病人が増えるのはなぜだろう?全米ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医が教える太く、長く、生きる方法。 【目次】第1章 常識を信じていると危ない!(四十年間、私が死亡診断書を書かなかった理由/元気な百歳になる方法 ほか)第2章 太く長く生きるための食べ方(あなたはあなたが何を食べているかで決まる/新谷食事健康法でガンが再発しない理由 ほか)第3章 この習慣が健康な体をつくる(病気の大半は遺伝よりも習慣に原因がある/習慣は遺伝子を書き換える ほか)第4章 「命のシナリオ」に耳を傾ける(命には寿命をまっとうできる仕組みがある/臓器別医学は医者をダメにする ほか) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
January 18, 2007
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ぎゅっ ぎゅっ…と台所からこぎみよいリズムが滲み出す家族の喜ぶ顔を想い一粒一粒に 心を込めて握った お母さんのおにぎりはただただ おいしくて体の細胞が ひとつ ひとつどくん…どくん…と脈打ち出すように生命力が 湧き上がってくる公園ではしゃぐ 子どもたちの声鮮やかな緑のもと 子どもたちは 元気に走り回っているあどけない笑顔を浮かべた幼子はようやく両足が 地に着いて よちよちと歩いているお母さんが 少し目を離した隙にあっという間に 道端に ぽてん…と転んで一瞬の空白のあと わっ…と泣き出した駆け寄って膝小僧を懸命にさすってやるお母さんの暖かい手痛いの痛いの 飛んでいけ幼子の目じりから純粋で透明な涙が ぶわっ…と あふれ出す光に透かせば きらきらと輝いている涙が悲しいのか悔しいのかうれしいのかすべすべした頬を 伝っていくお母さんは ただ何も言わずにすべてを包み込む大きな手で しっかりと体全体で 抱きしめてやる幼子は大海原に抱かれて母のお腹の記憶へ還っていく 至福の時お母さんの手には どんな秘密があるのかなあ…どんなお医者さんよりも元気づけてくれて 早く癒してくれる不思議な 不思議な 魔法の手いつの時代も その大切さが 母から娘へと 伝わっていくといいね
January 17, 2007
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昨日は、常に呼吸に意識を向けるようにしてみました。通常であれば、あたふたとして、あれこれ考えてしまうようなことも、ただ呼吸に意識を置いているだけで、非常に心がどっしりとすわってくるのを感じました。今この現実をただありのまま見れるというような。これは車の中でもどこでも、ちょっと意識すればできることなので、続けていこうと思います。夜は少し椅子に座って、ただ呼吸を感じてみました。しばらくするとものすごく心が落ち着いてきました。胸に手を当てました。あることを思い浮かべました。自分はこのことについてどうありたいの…?とただ呼吸を感じる。そのまま。頭では考えない。そのまま。問いかける。浮かび上がってくる想い。そうか…。うん、そうだよね…。揺るぎない想い。定まった想い。自分の中の覚悟。ほんとにそれでいいの…?もう一度問いかけます。答えは、それでいい。それが自分の心の深いところからの答え。そう感じました。いままであった不安とか恐れ。ざわざわしたもの。全くなくなりました。これでいいと心から思えました。ただ呼吸を感じる。それだけで、思考がぐっと減るのが分かります。何かが湧いてきても、そのまま見つめていればいい。今は、そこから、はじめてみようと思います。
January 16, 2007
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昨日は、クリア道大阪一般コースへ行ったことを、ほんの一言書きました。大阪駅は、相変わらず、よたよたしながら行きましたが、初めての一般コース参加ということで、緊張しつつ出席しました。今回は担当のかわらヅチさんはじめ、1回目ということもあり、みさきよしのさんや、三蔵一行さん、やすさん、いっしーさんもこられて、総勢22名での開催でした。はじめに、コース担当のかわらヅチさんが、図を使って、こころの仕組みを、非常に分かりやすく説明してくださりました。そのあと、意識の移動や、今ここにいるワーク、その後にそれぞれの感想などをシェアしながらの、あっという間の3時間でした。今ここにいる感覚をみなで体感した時は、何ともいえない心地よい状態になりました。途中気がついたら、体が揺れているのに気がついたり、ガクッと体が前に倒れかけて、意識がまた戻ったりしながらも、非常に深いリラックス状態が続きました。心がどっしりと落ち着いた感じで、揺らぎがない状態、まるで、ピンと張った静かな水面のような感じでした。その時の状態は、何も思考していない状態、判断していない状態でした。ただそのままゆったりとした状態。そして、今の体感を順にシェアしてくださいという段になり、自分の番が近づくにつれて、何をしゃべろうかと頭の中でぐるぐるしてきて、心臓が飛び出しそうに、ドン・ドン・ドンと打つのが大きく聞えました。今まで深いところにあった意識が、あがってきて、頭であれこれ考えている状態だなあと感じながら、その心臓の鼓動を聞きながら、順番を待っていました。先に緊張した時は、抑えようとかする必要は全くないと、かわらヅチさんがおっしゃっていたので、そのことを思い出して、そのまま見つめていようという意識と、でもあれこれ考えてしまう思考がせめぎあっているような状態でした。昔から、人前でしゃべるのが、ものすごく苦手という意識があって、自意識過剰な面があるのですが、そのあたりも、ただそのまま見つめていけたらと思いました。これから、日々の実践を、積み重ねていきたいと思います。お話を聞いて、自分の動作がいかに習慣に基づいているかということを、改めて感じました。そのことを示してくれるかのように、帰り際、駅から、実家に妻と子どもを迎えにいって、そこから、自宅に帰るときに、いつもの「習慣」でいました。1月7日に引越ししているにも関わらず、いつもの「習慣」で、前住んでいた家の方向へ向かって、そのまま行きそうになってしまいました。妻もはじめは気づかずに、何の違和感もなかったようですが、途中で気づいて、「え…?こっちは、前の家だよ!!」と言われ、私はようやく「ハッ!!」と気がついて、方向転換しました。だいぶ時間をロスしてしまいました。もろに「習慣」に従っており、頭でほかのことを考えていました・・・(^^;はじめは意識しないと、すぐ習慣や、思考にいってしまうなと感じました。また、日々いかにそういうことが、多いかと、感じました。日々、できるだけ、ひとつひとつの動作を見つめて、丁寧に動いてみようと思います。また、いい悪いなど、できるだけ判断しないで、ありのまま見つめていきたいと思います。担当のかわらヅチさんはじめ、みさきよしのさん、三蔵一行さん、やすさん、いっしーさん、初めてお会いできた、ごろ~ちゃん☆、参加されたみなさま、ありがとうございました。クリア道まだまだこれからですが、みなさま今後ともご指導よろしくお願いします。どう自分が変わっていくのか、みなが変わっていくのか、楽しみです。
January 15, 2007
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きのうは、クリア道大阪一般コース受講してきました。クリア道のセミナーは、11月に、願いが叶う心の筋トレワークセミナーを受けて以来、2回目です。緊張していたのか、帰りには肩がかなり張っていて、夜も眠くて、娘と添い寝したら、そのまま寝てしまいました。と、いうことで、また感想についてはアップしたいと思います。知識うんぬんではなく、とにかく実践して、自分で体感していくだけだと改めて感じましたので、今ここにいる状態で、自分を見つめ続けていくことを、実践していきます。
January 14, 2007
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前回、佳川奈未さんの『ミラクルハッピーなみちゃんの奇跡コロコロ円滑現象やって来る!超シンクロbook』(う~ん、長いタイトルだ…)を紹介しましたが、「シンクロニシティ」について、書かれた本をいくつか紹介してみます。『超シンクロbook』■迷ったときは運命を信じなさい ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー世界35カ国、2000万人の読者が支持するチョプラからの贈り物!シンクロディスティニが、今、あなたを導く。すべてを宇宙にゆだね、毎日を小さな奇跡で満たすためのシンプルなメソッド。 【目次】第1部 無限の可能性ほんとうの自分がいる「場」自然のなかのシンクロニシティ自然のなかに在る魂個人的な意思・宇宙的な意思偶然の一致の役割あなた自身の「原型」を知る第2部 運命を拓く瞑想とマントラ第一の原理―あなたは宇宙のさざなみである第二の原理―関係の鏡で自分を見つける第三の原理―心の対話術をマスターする ほかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■シンクロニシティ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー突如として訪れた啓示が、あなたの人生を変える。物質世界と精神世界の結び目=シンクロニシティ。この“奇妙なる偶然”で人生の意味を知る、自分を見つける。 【目次】第1章 「意味ある偶然」の不思議第2章 シンクロニシティの象徴するもの第3章 シンクロニシティの予言するもの第4章 自らのルーツとパラレル・ライフ第5章 芸術と人生を接ぐシンクロニシティ第6章 危機を知らせるシンクロニシティ第7章 運命と導きを司るシンクロニシティ第8章 人生に変容をもたらすシンクロニシティ第9章 あなた自身が書く“運命の本”第10章 究極の謎を解く鍵、それがシンクロニシティ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■あなたの願いが必ずかなう法則ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー初公開!実例をまじえて紹介する驚異の自己実現プログラム。 【目次】第1章 誰にでもある三つのこころを使え第2章 思い通りの道を歩む力の秘密第3章 願望成就を成し遂げるための「こころのハウツー」を知る第4章 「三つのこころ」を使って日々の生活を変える第5章 「三つのこころ」とシンクロニシティ。これであなたの願望は必ずかなう第6章 自己実現の完成と「三つのこころ」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■やっぱりこれで運がよくなった!(浅見帆帆子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー多くの女性に支持されたベストセラー「わかった!運が良くなるコツ」。その著者、浅見帆帆子のファン待望の最新刊。著者の体験談も満載の、より幅広い層に向けてお贈りする執筆活動の集大成としての注目作です!幸運な人たちは知っている、目に見えない世界のルール。 【目次】序章 あなたのまわりにもある!「見えない世界」からの情報第1章 シンクロニシティ―自分の外側に来る情報第2章 直感―自分の内側に来る情報第3章 シンクロや直感を敏感に感じる方法第4章 占い―運のいい人の占いのとらえ方第5章 運命は決まっているのか最終章 私たちは地球という星に遊びに来ている ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 彼女なりの体験をもとに、シンクロニシティについての深い考察が展開されていて、興味深く読みました。一連の作品の集大成的な内容にもなっていて、読み応えがあります。Kenta@屋久島さんのシンクロ日記をみて、また自分のシンクロ体験も書きたくなってきました。意識すれば日常のいたるところに、シンクロってあるのだなあと感じます。そのちょっとしたシンクロに気づくことによって、より人生が豊かになるような気がしますし、また新たな流れが、向こうからやってきてくれるような気がします。流れに乗っている時は、確かにシンクロが連鎖していると感じますし、そのあたり、自分なりに意識して、観察していきたいと思います。
January 13, 2007
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今日は、本の紹介。今日読みましたが、佳川奈未さんの本。この方の本は、サクサク読めて、心が前向き、元気になるのがわかるので、あるとついつい買ってしまいます。「シンクロニシティ」については、興味があり、関連の本をいろいろ読んだり、一時期ブログでもカテゴリを作って、自身の体験を、書いていました。最近めっきり、ご無沙汰していますが、また、ちょこちょこ書いていければとは思っています。シンクロニシティについては、お気に入りさせていただいてますKenta@屋久島さんが、すばらしいシンクロ日記のブログを書かれています。『ミラクルハッピーなみちゃんの奇跡コロコロ円滑現象やって来る!超シンクロbook』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【目次】1 うれしい奇跡の運命を日常にくれるシンクロの法則を解明する!(意味ある偶然の一致“シンクロニシティ”ってなに!?―運命を教えてくれるそれは、あなたのためだけの宇宙からの宝物シンクロはこんな人に起こりやすい!―あなたを助けるべき必要のあるときには、シンクロは最大限に起こる ほか)2 信じられないことが現実に起こる不思議なパワーを観察する!―実際のエピソードでシンクロ検証(憧れの映画の甘美な夢が、素敵な現実を惹き寄せた感動の話―うきうき本気でときめいた思いはそれを現実に起こしだす!ふとした思いつきの行動が、その後を大きく変えることがある―なんとなく浮かぶ些細なこともすべて意味のあること!それに乗るか乗らないかが運命をわけるカギ ほか)3 幸運の人生は「自分の内面」が基盤となっている真実を把握する!(シンクロはあなたに最適な形で啓示をプレゼントしてくれる―だからあなたは、それを見逃したり無視したりすることがない特定のある数字や連続する数字は、そのことの行方を知っている―宇宙は精密だからこそ数字を介していろんなことを伝えて来る ほか)4 シンクロでハッピーフロー“幸運の流れ”な現実を自ら創造する!(自分の内側を『シンクロマッチ』させる方法/自分の環境を『シンクロヒート』させる方法 ほか) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー このなかで、数字についてのシンクロが載っていました。「宇宙は精密だからこそ数字を介していろんなことを伝えて来る」のだそうです。車のナンバーのぞろ目や、デジタル時計のぞろ目、ふと見た車の音楽の分数のぞろ目(2:22)など、ちょこちょこみることがあります。興味深かったので、その部分、引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●『1』の持つ意味すべての始まり/新しいスタート/いまからのことに目を向けなさい/気持ちを切り替えてスタートする/心機一転/GOサイン●『2』の持つ意味極端なこと/割り切る/両極端/自然の摂理/明暗がはっきりする/明確なビジョン●『3』の持つ意味再スタート/うまくいく/そのことは通る/想像力を働かせる/明るく前向きにいってOK/再会/約束を果たす●『4』の持つ意味自分の基礎/基礎が大切/そのことの根本/すごい存在になる/世に出る/自分を確立させる/時代をつくる/自分の時代が来る●『5』の持つ意味安定と不安定のはざま/静かに様子を見るのも大切/胸をなでおろす/結局落ち着くところに落ち着く/現状を見ると答えが分かる/フラット/観察する/やっと半ば●『6』の持つ意味先祖のご加護/まちがいなく守られている/神仏とのご縁/不思議なことがある/安心していい/結局、安泰/信心深さ●『7』の持つ意味宇宙と繋がっている/神秘の働き/自然現象/宇宙のサポートがある/宇宙のリズム/すべてはよろこばしく円滑にいく/スピリチュアル/エネルギー●『8』の持つ意味発展・繁栄/ますますの飛躍/行く末楽しみ/おおいにいいこと/やる気と勇気/前進するパワー/蘇る/復活と再生●『9』の持つ意味神とのつながり/究極に良いもの/神聖なるもの/尊き存在/愛と光/いと高き自己/何よりもすばらしい/自己の拡大/みんなの注目や賞賛をえる/滅ばない者/勝者の王冠が与えられる●『0』の持つ意味すべての浄化/いったん白紙にするのもよし/無になることの大切さ/誕生前/無限の尊厳/ピュア/何も考えなくていい/休息ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー佳川奈未さんのブログはこちら2007年は、宇宙数『9』の年だそうです。(2007=2+0+0+7=9ということかな…?)「9」とは、究極の『9』であるから、「自分の中で最も関心の高いことや 気持ちが惹かれる方向にエネルギーをかけると 賭けた分それなりの成果が早い段階で出てくるのです!」と述べられています。この記事全文をご覧になりたい方は、下記からご覧ください。究極のもの目指したいものです。2007年を幸運にする秘訣(全文)はこちらから☆
January 12, 2007
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今一番したいこと…。寝ること(^^;;何度か意識が遠のきました…。眠いの我慢して、無理に何か書こうとか思ってましたが、よくよく自分のしたいことを今、感じてみたら、眠いから、素直に寝ようかなと。って、いいながら、書いていますが・・・。あれ?ちょっと眠いのがなくなったような気がします。でも、寝ます(^^;。ほんとに寝たいのかな。今、何がしたいの・・・?やっぱり寝ること…です。今日は、配達先のお客さまのところで、よく笑いました。こんな笑うことってないんじゃない?みたいなことを言われましたが、確かに、考えてみたら、そうかもって感じました。やっぱりよく笑うっていいことだなあと。そんなことを感じました。と、いうことで、おやすみなさいっ!
January 11, 2007
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時間ないときの娘の写真・・・。▲ズボンの片方に、両足をいれてしまって、う~~んと唸ることが多いんだけど何か?▲うんしょ。うんしょ。▲よいしょおおお。できたぞ~。▲わははははは。出来たぞ~。どうだあ!って感じなんだけど、何か?
January 10, 2007
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▲また、口をとんがらかして、真剣にぬっているんだけど、何か?▲一生懸命描いているのに、何撮ってんのよって顔だけど、何か?あ、鼻の下に、お髭みたいにちょこん、とついているのは、椅子から落ちて血が出てしまった後のかさぶたなのよ。もう痛くないのよ。▲ちょっと、余裕すら感じる筆さばき?なんだけど、何か?今日は、引っ越してから、上の娘・ともえが、新しい幼稚園に行きました。3月末までなので、もうあとわずかですが、張り切って行ってたようです。2歳の葵は、相変わらず、見ているだけで笑える存在で、時々「おとぉちゃぁん!」と呼びかけてくれるようになりました。姉妹は、性格も違うようで、葵は、けっこう動じないタイプ。「ダメだよ~」が最近の口ぐせで、上の娘を泣かすことも、よくあるらしいです。おもちゃの取り合いもよくしてて、一度手にすると、絶対に離しません。かたくななまでに必死にもってます。最後に「わあああん」と泣くのは、上の娘です。けっこう頑固です。「誰に似たの…?」と妻は言って、私のほうをじっと見ます…。「え?僕かい?あはは…」とごまかす私。葵は、上の娘と違って、どこでもいつのまにか寝ています。「誰に似たの…?」とまた、私のほうを見ます…。「いや、だからあ…。僕のせいにしないでよ…。」と動揺する私。自慢ではないですが、私もよくパソコンの前とか、こたつとか、いつでもどこでも寝れます…。場所を選びません…あ、似てるかな…(^^;しかも葵と私は同じO型。う~ん、やっぱり似ているのかなあ…。まあ、どっちでも、いいや。
January 9, 2007
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自分の心の囚われ、執着を感じた一日でした。あることに囚われてしまって、胸が重たくなる。ざわざわする。苦しくなる。夜、呼吸に意識を集中してみる。深呼吸する。エネルギー(想い)が頭からはいってくる。いろいろな想いが湧いてくる。ただそのままにしてみる。感じる。胸がざわざわする。ぐぐっとしめつけられるような感じにもなる。落ち着かない。呼吸がうまく出来てないのに気がつく。もう一度呼吸に意識を持っていく。それでも、ざわざわ、もわもわする。何を感じているのだろう。心の浅い部分での心の執着、囚われだろうか。胸に手を当ててみる。想いが渦巻く。そのまま、そのまま。呼吸がまたスムーズにできてない。また大きく息を吐いてみる。吸ってみる。湧いてくる。見つめる。浅い部分で見つめているような気がする。心の浅い部分でざわめいている細波。囚われ、執着。その囚われをもっている自分を、暗に責めている自分がいる。自分で、自分を裁いている。苦しくなる。呼吸に意識をもっていく。ただ呼吸に意識を合わせる。そのまま感じる。見つめる。ほんとうの心。ほんとうの心って何だろう。分からなくなる。分からなくていい。そのことを含めて見つめていく。前から変わらずそこにある光でも見えない。ざわざわする雲間を取り払ったあとにようやく差し込むようにほんとうの光を見つめたい。ほんとうの心を見つめたい。
January 8, 2007
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今日は、引越しでした。といっても、距離的には、車で15分くらいの場所なので、そんなに離れていないのですが、荷物の多さに改めてびっくりしました…。特に自分の本は、あまりに多くて、整理しながらも、途方にくれてしまい、逃避行動をするかのように、読みふけってたりして、ますます進まず(^^;、結局自分ひとりではできずに、妻に詰めるのを手伝ってもらう始末…。しかも、まだ執着で手放せない本が多いことを感じました。でも、ダンボールから開けたら、もっと処分していくつもりです。今日は、朝からちらほら雪が舞いはじめたと思ったら、どんどん吹雪いてきました。荷物を積み出す頃には、凍えるような寒さで、引越し屋のお兄さんたちも、手をすり合わせて寒そうにしていました。昼からは幸い日も出てきて、新しい引越し先の部屋は、光がさし込み暖かいほどでした。お兄さんたちは、本を詰め込んだ段ボール箱を2箱重ねて、「うおお!」と気合を入れて、2階へ上がっていました。本を詰めたダンポールって、1箱でも、ものすごく重いのに、2箱一気に。すごいパワーです。私だったら腰を抜かしているでしょう…。若いなあ…と、みんなで感心していました。引越しといっても、結局私は、本を少しだけ整理した程度で、あとは何もしてないといってもよく…(^^;、特に妻には、本当にお疲れさま、ありがとうございます、と感謝の気持ちで一杯です。また、妻の両親、うちの両親にも、多くの尽力をもらって、本当に言葉では言い尽くせない感謝の気持ちです。本当にみなの力添えあっての今であると感じます。心も一新して、新しいスタート。ゼロからのスタート。今ここから。心も常に、ゼロの状態で、瞬間瞬間、新鮮な気持ちでいきたいと思いました。今年の目標をいろいろ書き出してみました。継続していきたいこと、新たにしていきたいこと、勉強していきたいこと、けっこういろいろでてきます。でも、それらを全部しようと思うのではなく、本当にしたいことを問いかけながら、途中で違うと感じたら無理に続けなくてもいいと思ってます。その中でも、自分の中心にしたいのが、何度か書いてる「クリア道」と「そうじ力」心の浄化、周りの環境の浄化をしつつ、「シンプルに、奥深く」が自分の中で、今何となく浮かんだテーマ。引越しを機会に、よりシンプルに。本も、物も、環境も、もっと削ぎ落として。そして、自分の内面を深く深く見つめていく。今ここから、ゼロからのスタートです。
January 7, 2007
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本を整理していて、目につき、この本もまた読み返しました。今までも折に触れて何度か読んでいます。心の深い部分で共感できて、読むたびに元気が出てきます。ぶれている軸を修正してくれる、そんな感じがします。直観の大切さに気づかせてくれます。『あるがままに生きる』(足立幸子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【目次】地球の波動がどんどんあがってきた個にして全波動をあげる三つの条件…その一、あらゆるこだわりを取り除く 能力は結果波動をあげる三つの条件…その二、行動に移す波動をあげる三つの条件…その三、深い部分の自分(神我・真我・本当の自分)が望んでいることをやるあなたが本当にやりたいことを見つけるにはすべての現象はあなたが出している波動に同調して来る直観の時代〔愛〕と〔愛情〕はまったく別物〔ほか〕 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこだわりや執着をもたない、枠をはずしていく、そして、本当の自分が望んでいることをするといったことは、まさにクリア道と同じだと感じます。本当の自分の求めているものとは?あるがままの自分とは?読み返すたびに、心が軽くなり、また新鮮な気持ちに戻れる自分がいます。何度も読み返したい本というのは、本質をついているので、時代に関係なく、全く色褪せることなく、そのときそのときの心に響く感動をもらえるような気がします。ただ、頭で分かっても、知識として理解しても実践が伴わなければ、全く意味がありません。「今ここ」を見つめていく。今年は、今ここの実践の年です。とにかく、見つめ実践していくことを続けます。
January 6, 2007
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ミステリ作家の島田荘司の涙流れるままに(上) 涙流れるままに(下)というタイトルを拝借しましたが、この作品大好きです。吉敷シリーズの集大成的作品となっていて、まさにタイトルのように、読後感は涙のあとのすがすがしさを味わうことができます。今回は、その話ではなくて・・・。ここ何日か、涙がじわりと出てきたり、あふれてきたりしています。車を運転しながら、出てきたり、今日は、店にいるときに出てきてしまって、ちょうどお客さんが来たときだったので、涙目で出てしまい、たぶん変に思われただろうなと思います。何故かは自分でも分かっています。原因は分かってはいますが、この涙がいったいどういう感情からくる涙なのか、と考えると、よく分らないところもあるのですが、感情の出るままにまかせています。その時によって、いろいろな感情、想いが湧き起こっていますが、そのまま出しています。うれしい。しあわせ。悲しい。もどかしい。せつない。どうにもならないこと。言葉にすれば、いろいろ形容できそうな気もしますし、それらの感情がまじりあっていると感じますが、今は、あえて名づけることなく、そのまま感じています。今までだったら、我慢してただろうし、涙なんか絶対に自分ひとりでも出すまいとしてたはずです。と、いうか、自分自身、感情自体を押し殺してきた部分があって、感情を出したらよくないという価値観がありました。だから、感情として自分の中に湧き上がってきても、それを感じる前に、封印するか、消し去ろうとしていました。けれど、押し殺した感情は、体にたまっていくのかもしれないと思いました。結局巡り巡って、また同じ感情を感じるような出来事を誘発するのかもしれないと思いました。再び同じ感情を体験する機会がやってきても、感じようとしませんから、消しているつもりが、抑え込んでいるだけで、消えてはいないのかもしれない。今は消そうとはしません。これも自分の中から出てきたもの。そのまま感じようと、意識をもっていきます。しばらくそのまま感じていると、抜けていくような、涙とともに流れていくような、ちょっと心がすっきりするのが分かります。だから、今はこのままでいいと思いました。これも自分。否定も肯定もそのときはしないでいい。判断しなくていい。そのまま感じよう。思い通りにならないことを、思い通りにしようということが、苦しさを生み出していると、昨日紹介した津留晃一さんの本にありました。これも全くその通りだなと感じました。思い通りにしようとする想い。その想いに対して、自分は何て自分勝手なんだ、ダメな自分なんだと、自分を裁くのではなく、そういう自分も、やっぱり自分でしかなく、こういう自分がいるんだと、少し自分を離して見つめてみる。そうすると、しばらくして、ちょっと楽になるのがわかります。こだわりが取れるのが、何となく分かります。そういう自分も、そのまま感じる。どんな自分が湧き出てきても、それをまるごと感じる。しばらくすると、はりついていた想いが、ちょっと取れたような感じがすることがあります。あきらかに心はすっきりとしています。その繰り返し。そしてだんだんと、「今ここ」に戻ることができる。今ここの自分を、ありのまま感じる。ある程度感じて、ふっと楽になってくると、意識が「今ここ」に、また集約されていくのを感じます。エネルギー(想い)が「今ここ」に落ち着いてくる感じ。今ここがすべて。ここからなんだ、と。そこから、再びスタートしていく。涙は、抑えるのではなく、出るときは自然に出したらいい。どんな自分が出てきても、逃げることなく感じていく。このことを学んだような気がします。今ここを見つめて、もっと深くにある、ほんとうの自分を感じたい。見つめていきます。
January 5, 2007
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1月7日に引越しということで、相変わらず、人事みたいに書いていますが(^^;、今日すでに家のパソコンが仕えない状態なので、ここ数日、コメントのお返事や更新が滞るかもしれませんが、ご了承ください。今会社のパソコンから書いています。お正月、本の整理をしていました。しかし、自分の本がこんなにあるとは思わず、もう見ただけで嫌になりました(笑)整理していく中で、またこの本は読みたいとか、また必要になるだろうとか、この小説はまだ読んでないから、老後の楽しみにとっておこうとか、結局何だかんだ理由をつけて、全体の一割を、ブックオフに出せたかなという感じ。。。もしかしたら一割もいってないかもしれません。自分の執着をよくよく感じました。まだ、何かを外に求めている自分がいるのかなと感じました。その後、津留晃一さんという方の本を読んでいたら、こんなにたくさんの本は必要ないかなと、また思いました。もう、いったん知識とか情報は、自分の中から、外してもいいのかもしれないという想いも湧き出てきます。引越し先に本を運んで、そこでまた、ふるいにかけようと思います。身軽な方がいいような気が今はしています。結局は、外より内に答えは詰まっていると感じます。先に出た「津留晃一」さんという方。知っている人も多いと思います。だいぶ前に買った本で、『多くの人が、この本で変わった。津留晃一コンセプトノート』(津留晃一さんの本はこちら)を読み返していたら、これって、本質的には「クリア道」と全く同じことを言っているのではないかと、今回感じました。何年か前に、残念ながら亡くなられたということなのですが、津留晃一の世界というHPもあり、ここに掲載されている「津留晃一のメッセージ」に書かれたことをまとめたのが、先の『多くの人が、この本で変わった~』になるようです。興味ある方は、上記のHPよりメッセージを読んでみてください。『多くの人が、~』より少しだけ引用させていただきますと、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「今、ここが自分にとって最高の場所と真に思えたとき、次なるステージが、あなたの前に現れてくることになります。」「『今が完全である』この言葉を信じたとしても、あなたが失うものは何もありません」「まずあなた自身、今あるがままをそのまま抱きとめ、今そのままを心から愛し大切にしてください。大切なことは。どの瞬間も、ただ自分のままであり続けること。それがブッダの言ったに入るということです。」「今、輝くためにあなたは存在しています。あなたがするべきことは。あなたの命を、生き生きと発揮させることです。」「あなたの前にいる人は、どんな人もその本質においてそのものです。大いなる光が、ただ意識の進化を手助けするためにのみ、姿を変えて現れます。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー結局は、未来の心配でも、過去を見つめるのでもなく、ただ、この今瞬間瞬間を、見つめていく。「今この瞬間」が何よりも大切というのは、頭では、よくよく分っているつもりなのですが、結局、未来や過去とみつめていることが、いかに多いかということを、今回改めて感じました。どんな自分が出てこようと、自分をありのまま見つめていく。湧いてきたものを見つめていく。今この瞬間に、エネルギー(想い)を注ぐ。そのために、みさきよしのさんの『心の筋トレ~』の呼吸に意識を向けるというワークが、必要になってくると感じます。やっぱりクリア道だと。自分の中で、何かが吹っ切れた部分が、昨日あたりからあるような気がしています。よく分りませんが、意識を常に今ここに、が腑に落ちた感があります。今ここから離れてもいい。また戻ってくる。その繰り返し。メールを見て、なぜか知らないけど、涙がじわっと出てくる。それもいい。見つめる。味わう。流す。それで、何となく、不安とかが数日前に比べて、ぐっと減ったのを実感しています。今をただ、ありのまま体験していくだけ。クリア道(といっても、実践できているか自信がまだないといえばないのですが・・・)日々「今ここ」に意識を向けて、実践していきます。
January 4, 2007
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お正月ということで、以前、3回にわたって書いてみた「お屠蘇の真意」を、縮小して、文章一部修正して、再掲載してみます。日本と古代イスラエルの関係が、お正月の風習には如実に現れているといっていいと思います。以下、「お屠蘇の真意」より抜粋。日本のお正月は、イスラエルの新年を祝う「過ぎ越しの祭り」とそっくりである、ということは見ていくほどに分かってきます。小麦粉で作った酵母を入れない「マッツア」とは、日本の「餅」とおなじであること。「苦菜」とは、「春の七草」と非常に似ていること。年末の大掃除や、年越しは徹夜で祝うことも共通しています。●イスラエルの「過ぎ越しの祭り」=日本の「お正月」そして、日本のお正月のなかで、ひとつ気になる風習があります。それは、元旦の朝、お雑煮を食べる前、一番最初に飲む飲み物。そう・・・「お屠蘇」です!一番最初に飲むということは、一番大切な風習でもある可能性があります。では、この「お屠蘇」とは、どういう由来があるのか。「お屠蘇」について、インターネットから、見ていきたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー元旦の朝は、家長が新年の挨拶をした後、お屠蘇を神にささげ「一人これを飲めば一家疾なく、一家でこれを飲めば一里なし」と唱えて、年少のものから順順に東を向いて、高蒔繪三つ組のお盆で飲んでいくのが習慣でした。http://www.gld.mmtr.or.jp/~sumiyosi/dentou(toso).htmーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでは、お屠蘇の中身とは、一体どういうものなのか…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーお屠蘇の中身は何だろう?といいますと、6つの生薬からできています。(最近は大黄をぬいて5つの場合もあります)防風・桔梗・白朮・山椒・肉桂・大黄です。防風・桔梗=風邪薬として使われます。白朮・山椒=消化機能を高めます。肉桂=身体を温める作用があります。大黄=排便作用と消化機能の促進として使われます。以上のようにお屠蘇は、風邪を防ぎ、消化機能を整え、身体を温める作用かあり、正月という寒い季節にかかりやすい病気を防ぐものと言えます。また、大晦日に井戸の中につるしておく風習もあったようですが、これは井戸の浄化が、目的とされていたようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーお屠蘇の起源についても引き続き見てみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーお屠蘇の起源はと言いますと、漢の武帝の時代、華佗(かだ)と言う名医が発明したもので、日本に伝わったのは嵯峨天皇の弘仁二年(811年)でした。最初は宮中で飲まれていたのですがいつしか広まっていったそうです。名前の由来は「病気をもたらす(邪)を屠り、生命力、抵抗力(正気)を蘇えさせる」ところからきている様です。まさに年頭にあたって、病気の予防と、その年の健康を願う行事なのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれで、意味的には納得ですが、しかし、日本のお正月と古代イスラエルの「過ぎ越しの祭り」との関係から、「お屠蘇」という風習を見れば、そこにはまた違った意味合いが隠されている可能性があります。そもそも、「お屠蘇」の「屠」という漢字は、本来、動物や人を殺す意味合いで使われます。お正月の一番初めに飲むものとしては、この漢字だけを見ると、あまり縁起がいいとはいえません。なぜ、このような漢字が使われているのか…。「屠」は、訓読みすると「屠(ほふ)る」と言いますが、「屠る」で思い浮かべるのは、古代イスラエルの風習です。古代イスラエルの人々は、羊や牛を屠り、神に捧げる風習がありました!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。 (旧約聖書「レビ記」第1章1節~2節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここから、●「屠」=「羊や牛を主に捧げる」という意味が読み取れます。そして、問題は、次の「お屠蘇」の「蘇」です。「蘇」という漢字は、文字通り「蘇り」です。普通一般に言われる「お屠蘇」の意味は、「病気をもたらす(邪)を屠り、生命力、抵抗力(正気)を蘇えさせる」で、十分に納得できます。しかし、「お屠蘇」の意味を、そのまま文字通りとれば、●「お屠蘇」=「(殺して)屠る・蘇る」となります。「殺されて蘇る・・・」とはいったい、何が殺されて蘇るのか…。日本のお正月が、イスラエルの「過ぎ越しの祭り」に由来することを思えば、「何か(誰か)」は、明白です!「蘇」の漢字破字法については、「蘇民将来」と「過ぎ越しの祭り」 第七幕「ΙΧΘΥΣ(イクスース)」 に書いたのですが、抜粋しますと以下のようになります。●「蘇」=「草冠」+「魚」+「ノ」+「木」「魚」とは、「イエス・キリスト」を象徴すると同時に、キリスト教信仰のシンボルともなりました。「魚」が「イエス・キリスト」の象徴ならば「魚」+「ノ」+「木」で、「イエス・キリストの木」と導かれます。ここで「イエス・キリストの木」と聞いて思い起こすのが、イエスキリストの架かった「十字架の木」です。●「魚ノ木」=「イエスキリストの木」=「イエス・キリストの十字架」!そうなってくると、今度は「艸(草冠)」という字が、クローズアップされてきます。なぜなら、イエスは十字架刑に架けられた時、「茨の冠」をかぶれされたからです。よって、「艸」(くさかんむり)=「茨(いばら)の冠」!!★全部を繋げると…「蘇」は…★「蘇」=「艸」(くさかんむり)+「魚」+「ノ」+「木」 =「茨の冠」+「イエスキリスト」+「ノ」+「木」 =「茨の冠をかぶったイエス・キリストが架かった十字架の木」!!もっと言えば、「蘇」とは、「イエスキリストの十字架での死と、復活」でしょう。漢字には、古代ヘブライ密教の「カバラ」が、秘められているので、漢字と聖書は繋がります。なぜなら聖書にも「カバラ」が駆使されているからです。そして、漢字と聖書が関係してくるとすれば、「蘇」の象徴するところは、今見たように、明白です。●「蘇」=「イエス・キリストの蘇り」!!そして、「お屠蘇」の「屠」。「屠る」とは、文字通り「殺される」意味です。ということは、「お屠蘇」とは、「イエス・キリスト」が、「屠られ(殺され)」「蘇る」ということを示している可能性があります。そもそも、羊や牛を屠るということは、聖書からいえば、「イエスキリスト」、すなわち、「神の子羊」が、死んで、全人類の罪を背負ってくれたことの象徴になります。イエスキリストの死によって、人類の罪は許され、人類は生きることができている。で、あれば、「お屠蘇」とは、まさに、そのことを意味していることになります。元旦、最初に飲むということは、一番重要なことであり、そこに、イエスキリストの死と復活が象徴的に込められているということは、誤解を恐れずにいえば、日本人は、イエスキリストとは無関係ではない!ということになってしまいます。そもそも、「天岩戸開き神話」に見るように、イエス・キリスト=天照大神であれば、そのことも荒唐無稽な話ではなくなってきます。日本人は、知らず知らずのうちに、元旦の朝、お屠蘇を飲むことで、イエスキリストの死により、人類の罪が許され、今生かしていただいていることを感謝し、イエスキリストの死と復活を、祝福しているのかもしれません…。★最後に「三」という数字★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー当時は、生薬を家々で調合して三角袋に入れ、大晦日に井戸に吊しておき、元旦に若水に浸したあと、お酒に入れたそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「三角袋」にというのが気になります。さらに、「三」という数字が、まだ、出てきます。こちらの方が重要と思われます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「その時、使用される器は朱塗りまたは白銀や錫などのお銚子と朱塗りの三段重ねの盃です。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「三段重ねの盃」の「三」日本の風習などをみると、何気なく、「三」が込められています。なぜ「三角袋」であり、「三段重ねの盃」でなければならないのか。結論からいえば、「三神」を拝する形式が、日本にはもともとあるから、ということだと思われます。結婚式などで、行われる「三々九度」の儀式も、しきりに「三」が出てきます。「万歳三唱」など、まさに「三神」との関わりが考えられます。「三神」とは、日本の「古事記」の冒頭に記されている「造化三神」の「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」であり、同時に、「聖書」でいう「絶対三神」の「御父」「御子」「聖霊」ということになります。日本の「造化三神」と、聖書の「絶対三神」は、本質は同じ神のことになります。なぜなら、聖書の思想と、日本の神道の根幹は、同じ思想を持つ集団によって作り上げられているからです。日本という国は、知らず知らずのうちに、「造化三神」=「絶対三神」を拝する風習が、いたるところに見られます。お正月の「門松」も、三本の柱から成り、ヘブライ密教の奥義でもある「生命の樹」の象徴であることも指摘されています。日本という国と「三」という数字、非常に興味深いものがあります。長くなりましたが、最後にまとめてみます。●お屠蘇=イエスキリストの死と復活を祝福する●お屠蘇を「三段重ねの盃」で飲むということは、「絶対三神(=造化三神)」に対して、祝福している。
January 3, 2007
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先日、この佐々木丸美さんの本を、本屋で見つけたときは、「うおお!!」と、内心で叫び声をあげてしまいました。佐々木丸美さん…まさに伝説の作家というにふさわしい方で、1975年に『雪の断章』でデビューしてから、約10年間に17作品を上梓し、その後プッツリと沈黙。そして、インターネットで、昨年だったか彼女の訃報を知りました。2005年12月に亡くなったということです。「え・・・」と呆然としてしてしまいました。これで彼女の作品は、永遠にもう新しいものを味わう機会は逸してしまったと、非常に残念な気持ちになりました。彼女との出会いは…確か古本屋です。もうそのころすでに絶版で、本屋にはなく、たまたま古本屋で『雪の断章』の文庫を手に取ったのがきっかけです。そして、読んでみて、この独特の世界に引き込まれました。そして、それ以来、古本屋で彼女の文庫を見つけてはそろえていきました。『雪の断章』は、斎藤由貴主演で、映画化もされています。こちらは、鑑賞しましたが、正直別の作品という感じで、原作の方が断然良いと感じました。この『雪の断章』は、『忘れな草』『花嫁人形』と三部作になっていて、このなかでの複雑な人間関係が、理解するのがけっこう大変な記憶がありました。主人公の少女飛鳥の一人称で語られる『雪の断章』は、やはりそのなかでも一番記憶に残る作品です。と…今回楽天ブックスで検索してみたら、この『雪の断章』が復刻されていました!『雪の断章』(佐々木丸)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●第1巻 雪の断章 あらすじ 養い先の家で惨い仕打ちを受け家を飛び出した孤児の飛鳥は、青年・祐也に助けられ彼の元で育てられる。育ての親である祐也への愛を、飛鳥はひそかに募らせていく。そしてある日、殺人事件が発生したことから飛鳥と祐也の運命は大きく動き出す??。情感溢れる筆致で少女の想いをみずみずしく描き 、北海道を中心に一大ブームを巻き起こした珠玉の名作。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーおお、これはすごいと感動しました。さらに、コレクション第一巻となっており、よくよく見ると、彼女の全作品が復刻されると!これは、ほんとにうれしいことです。●佐々木丸美コレクション収録予定作品一覧(5巻以降の刊行順は仮です) 第1巻:雪の断章 第2巻:忘れな草 第3巻:花嫁人形 第4巻:風花の里 第5巻:橡家(つるばみけ)の伝説 第6巻:榛家(はしばみけ)の伝説 第7巻:罪・万華鏡 第8巻:罪灯 第9巻:恋愛今昔物語 第10巻:新恋愛今昔物語 第11巻:恋愛風土記(コミック/わたなべまさこ画) 第12巻:ながれ星 第13巻:舞姫 第14巻:影の姉妹 第15巻:沙霧秘話 第16巻:崖の館 第17巻:水に描かれた館 第18巻:夢館いやあ、ほんと楽しみです。そして、『崖の館』こちらは、涼子という少女の一人称の視点で綴られる作品。『水に描かれた館』『夢館』と続く館もの三部作の第一弾となっています。創元推理文庫で、この三部作が復刻されるということで、楽しみです。三部作のなかでは、個人的には『水に描かれた館』が一番印象に残っています。超常現象と現実を見事に融合させた展開、涼子の甘くせつないまでの恋心に胸打たれ、そして前編を覆う美しい情緒的な文体、神々しささえ感じる独特の世界観などに、度肝を抜かれた作品でした。『崖の館』は、立派な館もので、今でこそ当たり前になりましたが、この当時にしては、ほんとすごいことやっています。通常の館ものの殺人事件とは、もう全然違った肌触りの作品であり、彼女独特の世界観がすでに構築されています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー財産家のおばが住まう崖の館を訪れた高校生の涼子といとこたち。ここで二年前、おばの愛娘・千波は命を落とした。着いた当日から、絵の消失、密室間の人間移動など、館では奇怪な事件が続発する。家族同然の人たちの中に犯人が?千波の死も同じ人間がもたらしたのか?雪に閉ざされた館で各々推理をめぐらせるが、ついに悪意の手は新たな犠牲者に伸びる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー佐々木丸美さん。まさに伝説の作家で、もう未読の作品は、読めないかなと思っていただけに、今回の復刻は、自分にとって本当にうれしい出来事です。この復刻によって、彼女の作品により多くの人が触れてほしいなと思います。
January 2, 2007
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遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!きのうは午前中は、本の整理…というか整理になってなくて、ただ、床に本を重ねていっただけという感じで、余計にぐちゃぐちゃになってしまったのですが・・・。見てると、また読みたいなって本がけっこうあって、なかなか思いきれないのも多いですね。引越しまでに、全体の3割くらいは売るか処分するかしてしまいたいなと思うのですが、どうなるかなあ…。今日も本の整理していきます。きのう、昼からは、御上神社へ初詣。いっぱいの人でした。三上山のふもとに鎮座する気場の良い神社で、ここ何年かはずっとここに詣でています。きのうの夜は、娘と添い寝してそのまま寝てしまいまして、夜の9時半~朝の9時くらいまで、約11時間半寝まくりました。こんなに寝たの、久しぶりです。寝正月にならないように、今日からリフレッシュしていきます!今年もどうぞよろしくお願いします。
January 1, 2007
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