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「図書館の魔女(4)」高田大介 講談社文庫「キリヒトにはマツリカの脳髄の中に、取るに足りない断片を引き寄せて一つの物語に組み立てていく強力な磁力の力の中心とでも言ったものがあるように思える。マツリカの頭の中に吹き寄せられた知識の断片は、その強力な磁場の中で整序され、それぞれ所を得て配列され、有機的に組織づけられてさらに巨大な知恵に織り上げられてゆく。 それはまさしく図書館の似姿だった。マツリカの中に図書館がある。いやマツリカこそがひとつの図書館なのだ。」最終巻は、全4巻の中で最大長編なのだが、大どんでん返しもなく、これまでの展開を粛々と畳んで行くのに過ぎないように、私には感じられた。確かに幾つか明らかになったことはあるけれども、なくても物語全体には大きな影響はない。1番描きたかったことは、既に描き切れていたからである。それが、冒頭抜き書きしたキリヒトのマツリカに対する評価である。一見すると、ここで描かれているマツリカは現代のAIのようでもある。でもそれは「人間の姿をしたAI」ではない。「AIの能力を持った人間」として描かれる。それは同時に、言語学者としての著者が「現代の図書館を最大限活用したならば、貴方もマツリカになれるよ」というメッセージなのだろう。そのためには、人間としてのマツリカを、そしてそれを補佐する「高い塔=一ノ谷の図書館」のスタッフたちの人間性を描かなければならなかった。そのための物語だったのだろうけど、私が編集者ならば枚数を半分にしろと言ったと思う。エンタメとしてのスピード感がなかったからである。綿密に作り上げられた世界観を持った上橋菜穂子のデビュー作「精霊の木」は、編集者により3/4に削られた。更には、ファンタジーとしては世界観が未だ不十分。現代図書館の知識を十二分に応用したいという気持ちはわかるが、産業革命が未だ達成されていないのに、冒頭抜き書きにあるように、キリヒトが19世紀に確立した「磁力理論」に精通しているという設定はなんなの?とは思う。一事が万事。方々に出てくる難しい言葉は、「検索」すれば出てくるので、私は驚かない。著者が図書館の中の「(知識を)その強力な磁場の中で整序され、それぞれ所を得て配列され、有機的に組織づけられてさらに巨大な」物語を作ったのはわかるにしても、それをパラレルワールドとして成立させるだけの説得性が、未だこれほどの長編の中に感じられない。全く違う歴史過程で作られた世界ならば、そこまでは言わないけれども、この世界はあまりにも私たちの世界と似過ぎているので、大変気になるのである。‥‥厳しいことを書いてしまったが、冒頭抜き書した著者の「メッセージ」には、大いに共感する。主人公を、「言葉を発することはできないけれども、豊かな言葉を持ち」「その言葉を武器にして世界と渡り合う」「10代の少女」に設定し、それを補佐する者も、「10代の少年」に設定したのも、大きなメッセージを持っていて共感する。あえて言えば、「究極の問い」は、こうだったのかもしれない。図書館の中の「言葉」によって未来をつくることはできるのか。とりあえず、この物語の中では出来た。そこは良かったと思う。
2022年02月26日
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「図書館の魔女(3)」高田大介 講談社文庫2022年2月x日、プーチンとウクライナ大統領と日本の◯◯は三者会談を行なっていた。今や世界の火薬庫と化したウクライナ危機を回避するためである。憲法9条を擁し、かつて世界中の平和の権威を持っていた日本は、とんでもない提案をした。それは、ロシア、ウクライナ、西側諸国全てに利益が上がる、三方両得とも言える提案であった。とまぁ、「図書館の魔女(3)」はこんな粗筋である。プーチンが「ニザマ帝」、ウクライナが「アルデイッシュ」であるのはわりとうまく嵌ったと我ながら思うが、流石に日本が「高い塔」のメンバーたちというのはあり得ない(←自国なのに、このように断言できることがちょっと悲しい)。でも、現実の戦争も小説内の戦争も、人・物の消失、物流の停滞からくる狂乱物価、そして将来への禍根しか残さない。なんとか避けてほしい。現代に「図書館の魔女」がありましからば。ここまではおそらく起承転結の「転結」直前、だと思えるので、改めて作品世界の設定について感想を述べたい。舞台は、産業革命も未だ起きていない、西洋と中東、中国を一緒にしたような「世界」。活版印刷は始まったばかりののようだから、図書館に集められる本は文字通り当時の知識の集積場である。その割には、医学や心理学等の知識は近代・現代に近づいている。条約が国の行動を縛る世界というのは、もはや現代国家の姿と言ってもいいかもしれない。キリスト教こそ出てこないが、ソロモン伝説や菩薩信仰、麒麟伝説などは存在する。「海峡地域」は、中心地たる「一ノ谷」を挟んで、現代グローバル世界のような一大貿易商圏をつくっている。その一ノ谷が、図書館の魔女たるマツリカの先代・タイキの代に、手紙(交渉)のみで「遂に起こらなかった第三次同盟市戦争」を実現させた。その権威が、軍事力よりも、産業価値よりも「一ノ谷」という国の存立基盤になっている、という奇跡のような「世界」である。図書館の魔女は、いわば電気やAIのない時代に、世界のシンクタンク兼国連事務総長を兼ねている。いまのところ、作者はウクライナ危機に役立つように世界平和に資する物語を作ろうとしてはいないと思う。それよりも描きたいのはひとえに「図書館の可能性」だろう。「図書館にいったい何ができるのか」ひいては「(ソロモンや文殊菩薩のような)知恵をどのように集めたら、世界をもっとよくしていけるのか」もう、そのためだけの小説だろう。反対に言えば、未来を作るためには、「いま・ここ」だけを見ていてはダメで、古今東西に通じなければいけないよ、というメッセージである。それを10代の若者マツリカとキリヒト、そして20代の大人の女性ハルカゼとキリンに託したのである。
2022年02月21日
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「図書館の魔女(2)」高田大介 講談社文庫上下巻の上巻後半にあたる本巻、少し安心した。蘊蓄話で終始するかと思いきや、巻末で思いっきりエンタメに振ったのである。ひとつの「会話」から、鮮やかな「展開」が描かれ、畳み掛けるように「危機」が訪れ、それを思いもかけない方法で「回避」する。当然、世の事象を見事に分析することができるのが「高い塔」スタッフなのだから、前半部分で細かく張り巡らされた伏線は、多くは回収される。さて、ここまで読んできても未だ私は、この作品が何を描きたいと思っているのか測りかねている。「いや、普通にわかるでしょ?図書館の魔女が実現する世界の平和しょ」と言われるのを承知で言う。もしそうなのだとすれば、今のところ、権謀術数でしか平和は訪れない、となる。そもそも、この世界は著者の思うようにつくっているのだから、将棋の棋譜を完璧にすることは容易くはないが可能だろう。著者の描きたいのは「世界の平和とは何か」ではない、と今のところ思う。後半に期待したい。
2022年02月19日
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「作りたい女 食べたい女(1-2巻)」ゆざきさかおみ KADOKAWA最初は単なる性役割分担批判のマンガだと思っていた。たくさんご飯を作りたい野本さんが登場する。料理が好きで、SNSで料理欄も設けている。でも「良いお母さん」「良い妻」になるために作っているわけじゃない。「自分のために好きでやってるもんを、全部男のために回収されるの辛い」と感じる野本さんであった。その彼女に、住んでるマンションの隣に月に7-8万もの食費を使わないと食欲が収まらない「食べたい女」がいることが判明する。2人の利害は一致して、「作り、豪快に食べてくれる」生活が始まる。女性同士だけど、美味しく食べてくれる、いろんな思いやりを示してくれる、そんな相手がいる、これがこんなにも嬉しいと野本さんは気がつく。2巻目で、それが「恋心」に発展するのである。まさか、この作品がBLならぬGL(ガールズラブ)の作品とは思わなかった。未だ2巻。未だ野本さんの片思いで、GLは成立していない。果たしてどこまで行くのか。注目したい。「このマンガがすごい」オンナ編第2位。
2022年02月18日
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『海が走るエンドロール』 たらちねジョン(秋田書店) マンガ好き800人が選んだ「このマンガがすごい2022」において、「オンナ編第一位」になった本書を読んでみた。夫と死別した68歳女性が、美大映像科に途中入学して映画を作り始める物語。まだ一巻しか出ていない。私は「このマンガ」や「マンガ大賞」の上位に入った作品はチェックしている。そういう意味では小説と違って流行を追っている。マンガは時間的にそれが可能だからしているので、必ずしも賞をとった作品が総て素晴らしいとは思ってはいない。画は構成から光線の使い方からとても映像的で、若い作家なのに申し分はない。還暦すぎて再出発は、流行りに乗ったのがもしれないし、切実なテーマが立ち上がるのかもしれない。まだ始まったばかりでなんとも言えない。この賞は、ある程度玄人読みする人が選んでいるだけあって、期待値で賞を取らせたのかもしれない。(自分は)「映画を観る側」ではなく「作る側」なのかと気がつく主人公。そういう気持ちは、私はとっても共感する。私のレビューなんて、いつも大抵は「作る側の立場」で書かれている。気がついている人もいるとは思いますが‥‥。まだ始まったばかり。ホントに評価すべきなのは「これから」である。
2022年02月18日
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「ダンダダン」(1)-(3)龍幸伸 ジャンプコミックス「このマンガがすごい」オトコ編第4位。3巻まで一気読み。学園ラブコメ兼、オカルト兼、霊力取り込み変身モノ兼、超能力バトル兼、SF兼‥‥。編集者の作品紹介を借りれば、「怪異とバトルと恋が暴走中」!!基調はラブコメなんだろか?オカルトなんだろか?それを保証する作者の画力は、驚く他はない。冨樫義博と藤田和日郎と吾峠呼世晴を足して三で割ったような、詰め込み方と描き込みとPOPさとスピードを持っている。あとはテキトーに恋と友情と勝利と「」付き努力とセクシー場面が描かれる。「楽しいマンガを見せたい」という気持ちはヒシヒシと感じるものの、弱点は、最終的には何を描きたいのか、全然見えてこないこと。むしろ、ダリのようなシュルリアリスムな世界を狙っているのだと言われた方がスッキリするけど。そんな難しいことは全く考えていないっぽい。むしろ、若い人からは「そんな難しく考えなくて、良いんじゃね?楽しければ、良いんじゃね?」と言われそうだ。‥‥マンガって、むかしからそんなモンだろ?うーむ、上手く言えないけど、そんな作者は直ぐに飽きられると思うんだ。
2022年02月18日
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「図書館の魔女(1)」高田大介 講談社文庫「図書館こそ世界なんだよ」という図書館の魔女こと10代の少女マツリカと、その司書兼通訳兼秘書たる3人の若者が世界と対峙する、というお話なのかな。始まったばかりなのでよくわからない。この作品を多くの人はファンタジーという。私がファンタジーに求める条件は2つ。物語の始めから既に世界は作り込まれ、出来上がっていること。究極の問いが発せられ、作者が作った世界内だからこそ、鮮やかな解決で終わること。細かな描写は、かなりこなれていて存在感がある。食べ物や地下水道など。でもそれらは、中世から近代にかけたヨーロッパの文献から拾ってきたもののように感じられ、世界を作ったという感じかまだしない。お約束の「架空の地図」が提示されているが、「風の谷のナウシカ」や「守り人シリーズ」を想起するような地政で、まだ「おゝ」というような作り込みを感じられない。むしろ、ナウシカの「火の7日間戦争」が起きる前の世界のような気さえする。だとしたら興奮する(王蟲を作り出した知恵が図書館から発したのだとしたら‥‥)のだが、その段階まで至るにはこの時代から少なくとも数百年は必要なので関係はない。究極の問いは未だ発せられていない。よく考えたら、上下巻の未だ上の半分を読んだだけなのだ。もう少し読んでいこうと思う。
2022年02月12日
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「泣くな研修医」中山祐次郎 幻冬舎文庫私の父親の膵癌の大手術。とても大きな手術の担当医を務めてくれた先生は、たとえ研修医だったとはいえ決して忘れることはない(名前は忘れた。そもそも普通の若手医師だった)。淡々とした術式の説明をしたエライお医者さんの顔は思い出さないけど、病室に毎日顔を出してくれる若い先生の方を覚えるのが人情というものだ。手術の後に、若い先生は取り出した癌の塊を「希望するなら見せてあげる」と言った。行った部屋のなんと雑然としていたことか。奥の方に黒いソファーを置いてあるのを私は見逃さなかった。術後の1週間は私も父親の病室に泊まり込んだ(布団を借りてベッド傍に敷いた)。夜の8時ごろ少し顔を覗かせて、次の日朝7時ごろ顔を覗かせていた担当医。先生は無精髭を生やして、絶対あの部屋で寝泊まりしているんだと思った。「新・神様のカルテ」で知ったし、この本でも書いているのだが、そんな過労死レベルの長時間労働の研修医の給料が手取り20万円ほどだというのは、その当時は知らなかった。‥‥というのは、患者家族の側から見た研修医の姿。研修医の側から見ると、全く違った景色が見える。専門用語と俗称(スラング)が飛び交う、小さなミスが生命の分かれ道になる緊張感あふれる世界である。どんな仕事でも、はたからは全くわからない専門性と技術の習得が新人の最大の仕事であり試練である。数秒ごとに刻々と変わってゆく現象の意味を、何万という知識の中から瞬時に選び取り最善の処置をしてゆく。人間とはなんと高度な行為を重ねてゆくのだろうか。著書は現役医師。しかも解説者によるとかなり志の高いお医者様だったようだ。とてもわかりやすくエンタメ性の高い小説。天野隆治くんの成長を定期的に小説で覗いていこうと思う。
2022年02月12日
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「新・水滸後伝(下)」田中芳樹 講談社文庫田中版「水滸後伝」の後編である。よくもまぁ2巻にまとめたなぁと思えるほどの怒涛の展開ではある。上巻では、「水滸伝」生き残りの32傑が次第と再結集し、李俊や楽和、童威、童猛たちが(現在の)上海東海にある架空の島国・金ゴウ島の主になるまでを描いた。下巻では、遂に李俊が金ゴウ島隣の王国・暹羅(せんら)本島の王様になってしまう。妖術入り乱れてさまざまな戦いの後、32傑は武松を除いて一堂に集まり、新しい義兄弟4名、他に義を結んだ者4名、義兄弟たちの息子4名が集まって物語が終わる。清代の陳忱(ちんしん)が原作を書いたのは、ひたすら悔しかったからだろう、と腹落ちした。水滸伝108星の好漢たちの終わりがアレでよかったのか?弱きを扶け強きを挫く。それが発展して宋軍をも打ち負かす梁山泊になったのに、天命に支配された宋江の命令とは言え、あっという間に宋王朝に「帰順」し、主要星76人を失ってしまった。あの魯智深が、林冲が、秦明が、李逵が、九紋龍史進が、こんな終わり方で良かったのか!!本来なら彼らは理想の国を作りたかった筈だ。歴史は変えられない?そんなことはない。私に任せなさい。ようわからんが、海の東の彼方には幾つか王国があるらしい。台湾とか琉球とか、そんな名前使わんかったらいいんやろ?中華思想かも知れへんが、そこなら梁山泊残党でも充分支配できるやろ。彼らの夢はそこで叶えたらいいねん(←何故かだんだん関西弁に)。と、陳忱は思ったに違いない。その証拠に、今度は仲間は増えこそすれ、1人たりとも減らなかった。水滸伝で心残りだった、宋王朝への「礼」は燕青が叶え、憎き宦官や童貫などの宋軍の「腐った輩」は、きっちり落し前をつけ、案外いい人たちの聞煥章、何故かピンピンしている王進、扈成たちが重要な味方になってしまう。なんでもあり。パラレルワールド!ともかくハッピーエンド!田中芳樹は、ホントは「後伝」をひたすら編集者に読ませることで、講談社に普及版を刊行させたかっただけらしい。それがいつの間にか自分で描くことになった、と後書きでボヤいている。もっとも、楽しそうに描いているので、それはそれでいいのかも。扈成が言う。「この国はまだまだ豊かになれるよ。宋、高麗(韓国)、占城(ベトナム)、日本、天竺(インド)‥‥これらの国々のちょうど真ん中にあるから、貿易の中心地になれる。漁場も豊かだし、島の奥地は黄金が産出するし、森には香木がぎっしり生えている」()内は私の注。(198p)こういう書き方は、田中芳樹の分析なのだろうけど、実際台湾や琉球が、戦争に巻き込まれなかったら、豊かな独立国になっていたと私は思うのである。因みに、暹羅国の南側にいっとき李陵たちと敵対する三つの小さな島(と言っても五千人の軍隊を出す人口はあるのだが)がある。その一つが釣魚島という。ゲ、これは尖閣諸島の日本名魚釣島のことじゃないか!やはり清代から中国は魚釣島を占拠していたのか?と思ってはいけない。先ず位置関係が全く違う。しかもホントの魚釣島は数千人が生活できる島ではない。多くて数十人でいっぱいになる島なのである。清代に島の実態を全く知らなかったことが、これでかえって証明できるだろう。結局三島は李俊の王国と平和友好条約を結んでいる。
2022年02月12日
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「明日へつながる5つの物語」あさのあつこ 角川文庫紐解いたのは、「岡山藩物語」が収録してあると聞いたから。岡山市が自治体PR誌としてつくった6篇の短編集なのだが、未取得だった。此処には2篇載っている。古代がテーマのあと4篇が不掲載だったのは残念だったけど、これも読み応えあった。この短編集全部、時代や地域の周辺で頑張っている者たちに焦点を当てている。池田綱政なんて、名君で父親の池田光政と比べると知られていないし、地元では名臣・津田永忠こそ知られているけど全国的には無名である。ましてや、国宝・閑谷学校のあの見事な石の壁を築いた石工なんて、誰も知らない。後楽園の造営、備前平野の広大な沖新田の干拓を支えた高い技術の基に、大阪で孤児になった藤吉の頑張りがあった事も読んだあとなら信じられる。幸島稲荷神社のひょうたん石は全く知らなかった。今度行ってみよう。あとの数篇も、企業や自治体とのコラボ企画である。あさのあつこは、私は長編作家として位置付けていた。有名になった「バッテリー」にしても、天才投手の物語として描けば1-2巻で終わる内容だ。それが全7巻になったのは、ひとつ一つの気持ちを丁寧に汲み取っていった結果であるし、あさのあつこさんはそういう書き方しか出来ないのだと思っていた。本巻も、出来事よりも、主人公たちの気持ちを描いている。それでもスパッと終わらせて、後味が良い作品ばかりだった。いっとき、あさのあつこコンプリートを目指して、あまりもの「多作」ぶりに諦めたことがあった。また少し読み始めようかな、と思わせた文庫オリジナルであった。
2022年01月30日
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「おでんくん あなたの夢はなんですかの巻」リリー・フランキー 小学館単に、リリー・フランキーが「東京タワー」を刊行する前の著書を探しただけだった。描いた時期は、おそらく御母堂死去の直後。狙ったわけじゃない。狙ったかのように、当時の彼の夢がそのまま描かれていた。英語の題名は「The Adventure of Oden-kun」(おでんくんの冒険)。別に海外展開を狙っていたわけじゃないだろう。非英語圏の映画作品に英語の題名が付くのを真似たのだろう。絵も文章もリリーなので、映画大好き青年としては監督になった気分でつくったに違いない。映像も構成も、とても映画的だった。なんでも知ってるつもりでもほんとは知らないことが、たくさんあるんだよ。最初の絵は、東京タワーとその下の道沿いにあるおでん屋さん。「世界のふしぎ、いろんなきせき、もしかしたらそれはみんな、おでんたちのしわざかもしれないのです」そういう〈天の声〉があって、東京タワーは、やがてグニャグニャしておでんくん世界に入ってゆきます。おでんくん、と言いながら何故か餅巾着の姿をしているおでんくんは、仲間たちと力を合わせて、お客さんのお母さんの「ガンノスケ」を退治してしまいます。「きせき」は起きました。最後におでんくんはおでん村に帰ってゆきます。おでんくんの夢、それは「東京タワー」という小説に書いているので、そちらをご覧下さい。こんな、はたから見ると極めて自分の心情を描いた絵本が、何故か受けたらしい。たくさんのシリーズが出来たそうです。「あきらめないことそれが夢をかなえるたったひとつのほうほうなのじゃ」だいこん先生はそう言っていました。まるで、リリーさんの半生のようでもあり、いい加減なリリーさんの性格のようでもあります。でんでーん。
2022年01月29日
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し「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー 新潮文庫主人公の〈ボク〉が東京に出るまで、ほぼ毎日読んで2週間かかった。読み通すことが出来ない本は他に幾つもあるのだけど、どうしてこんなに読むのが遅いのかよくわからなかった。〈ボク〉と僕は、ほぼ同世代だ。僕にとっては異次元の世界と、同次元の世界が、交差しながら進む「1人語り」に、僕は幼少時を追体験してお腹いっぱいな気分になっていたのかもしれない。どんなに平凡な人生でも、ついつい誰かにむかし語りを始めれば、それは途轍もなく面白い物語になることがある。筑豊から出てきた少年が、東京で紆余曲折して、オカンの最期を見届ける。少年期がとてつもなく面白い。要は語りようなのだろう。「小学生になって、ボクは突然、活発な子供になった」1人汽車、学芸会の仕切り、イタズラ、柔道場通い、白いままの夏休み宿題、麻生何某の選挙ポスター掲示板の柱のバット転用等々、ひとつひとつのエピソードを膨らませば、一冊の本になりそうなことも、数文字で済ませて、怒涛の如く少年時代が過ぎてゆく。そういうひとつひとつが、僕と全然違う。〈ボク〉の初レコードは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だったという。僕のそれは南沙織の「色づく街」であったこともつい思い出してしまう。そうそう、500円のレコードだった。親子には簡単になれるけど、家族は違うと感じてしまう〈ボク〉とは違って、僕は当たり前のように親子も家族も満喫していた。そのこと自体にショックを受けて、なかなか前に進めない。東京に出てきてからの〈ボク〉は、一般的に自堕落な80年代の若者を過ごし、一般的に独り立ちをして、一般的にオカンを東京に呼び寄せる。本人は次第と一般的ではなくなってゆくのだけど、仕事と恋の描写は見事に省略される。何故かスラスラ読めてしまう。本屋大賞コンプリートのために読み始めた本。読み終わった今ならば、僕も母親と父親の最期までの長い物語を書けそうな気がする。読んだ直後のほんの1時間の間ぐらいの走馬灯の勘違い。脳内再生は、どうしてもリリー・フランキーにはならない。どうしてもオダギリ・ジョーになってしまった。しかも朝ドラ出演中の60年代のジョーになってしまう。脳内再生はどうしてもオカンは樹木希林になってしまう。内田也哉子さんはあまり再生されない。リリー・フランキー自体は作家よりも前に凄い役者なのだ、という僕の刷り込みがある。2013年の「そして、父になる」の優しい父ちゃんと「凶悪」のサイコパスの振り幅の凄さ。その源泉を、この作品から読み取ることができる。そうか、どちらもちゃんと見てきたものだから演じることが出来たんだ。ひとつどうでもいいこと。この文庫本は、2010年の初版のまま、岡山の本屋の棚の一番下に並んでいた。つまり、11年間売れることもなく、返品されることもなく、居続けた。新潮文庫「7月のヨンダ?」チラシが挟まっていた。凄いことだ。これが本屋大賞受賞作としての、実力と運命なのだろうか。ごめんね、そしてありがとう。そうだね、僕も逝ってしまった人にそんな言葉しか浮かばない。
2022年01月28日
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「クリスマスを探偵と」伊坂幸太郎 河出書房新社大学一年生の伊坂幸太郎は「サンタを信じられなくなった大人」だった。でも、伊坂幸太郎は最初から伊坂幸太郎だった。彼はそんな彼に向けてサンタのプレゼントを書く。リアルの中のウソ、ウソという名の奇跡。だってクリスマスだから。そんな想いは回り回って彼に絵本というプレゼントとして返ってくる。世界的な画家の絵とともに。絵本だからもう一度眺める見出しのページをめくるとドイツ・ローテンブルクの切妻屋根の街並みひとつ一つの灯りがグリュック(幸せ)に包まれてるこじつけだけど、見方を変えるとだけど、サンタのいる街に見えてくる。
2022年01月25日
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「書痴まんが」山田英生・編 ちくま文庫ごめんなさい。本の中身は、ほとんど読んでいません。表紙についてのみ、語らせていただきます♪表紙は諸星大二郎「栞と紙魚子シリーズ」の紙魚子さんが、古本屋の店番をしているイラスト(初出・2010大阪古書研究会の合同古書目録「萬巻24号」に描き下ろし)の「部分」です。最近の大阪の天神さんの古本まつりのフライヤーとしても使われているらしい。背後の背表紙を見ていただきたい。判読できるものだけでも「生首の正しい飼い方」「自殺のススメ」「古本探検」「不思議昆虫図鑑」「珍妙昆虫図鑑」「陳氏菜経」「邪馬台国は火星にあった」「古墳の呪的紋様」「殺伐詩集」「地獄の三時のオチャ」「サイボーグベビーの逆襲」「異聞馬頭教」「根暗なミカン」「魔王瑠死滅の生涯」そして、紙魚子さんが読んでいるのが「怪人猫マント」。どうです?いずれも、「あってもよさそうな本」と思いませんか。ブクログで検索したらいずれも、「この世に無い本」でした。「古本探検」などは「関西古本探検」はあったんだけど、この書名は一応ありません。ホントは原画は、もっといろんな背表紙を載せているんですよ。右上に隠れている「室井恭蘭全集」(1-7巻)などは、室井恭蘭で検索したら、信濃の地方図書館で見つけたという情報まであるのですが、良く調べると、とんでもないことになっています。右下に隠れている「虹色の逃走」などは、このアンソロジーに載っている諸星大二郎「殺人者の蔵書印」で詳細に語られています。是非お読みください。「殺伐詩集」「陳氏菜経」などは、紙魚子さんの他の短編で出てきます。背表紙だけで、いろんな妄想がムクムクと湧いてきます。「根暗なミカン」には、背表紙に可愛いイラストまで付いています。根暗だけど、かなり凶暴そうです。当然、ときは正月なのでしょう。美味しいミカンほど幸せだった時はまた短くて、ちょっと腐ったミカンと一緒にされるとオミクロン株と見紛う様なスピードで影響されてしまう。その危機を脱した根暗なミカンの運命や如何に‥‥という内容なのかもしれません。「サイボーグベビーの逆襲」たるや、ボス・ベイビーならぬサイボーグベビーですか!もうはちゃめちゃで楽しそうです。「邪馬台国は火星にあった」全然不思議じゃない。「邪馬台国比定地」で検索してみてください。もう無数にありますから。みんなオラが村にとか思っている様です。エジプトもあります。それなら、タイムパラドックスやら使って火星にあってもおかしくない。「古墳の呪的紋様」これはね、考古学を少し齧ったモンならば「装飾古墳」のことだな、とピンときます。でも「装飾古墳の世界をさぐる」(大塚初重・祥伝社)ぐらいの普及本がせいぜいのところで、アレを最初から「呪的紋様」だとするのは諸星大二郎ぐらいなモノです。大塚初重先生の書物を紐解くと「朝鮮半島から幾何学紋様は来たのだろう」とか、「星とか太陽とか鏡を意味しているのだろう」とか、つまらないことしか書いていません。まあ、諸星先生の解釈は名作「暗黒神話」をお読みください。今回の本屋アンソロジー。前回は古い短編が主でしたが、今回は2010年代の短編も相当採用されています。未だ読んでないけど、面白そうです。
2022年01月19日
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「楠勝平コレクション」山岸涼子・編 ちくま文庫昭和マンガのアンソロジーを刊行し続けてきたちくま文庫が、満を持して個人コレクションを立ち上げ「楠勝平」を最初にとりあげた。当然の選択だろう。【内容紹介】1960年代後半から70年代初めの騒然とした時代、実験作が覇を競った『ガロ』。その片隅で、人の世のはかなさ、江戸庶民の哀歓をみずみずしく描き、迫り来る死をも凝視して逝った幻の作家。同時代にその息吹にふれ、市井の人々へのあたたかな眼差しに魅了されてきた作家が編む、珠玉の文庫オリジナル・傑作選集。【収録作品】「おせん」「茎」「梶又衛門」「鬼の恋」 他 著者について楠 勝平(くすのき・しょうへい) 1944年、東京に生まれる。中学の頃より心臓弁膜症を患う。15歳のとき貸本マンガ「必殺奥義」でデビュー。白土三平、水木しげるらが常連の短編誌『忍法秘話』に作品を発表する一方で、同人グループによる短編誌『破―ブレイク』を刊行。その後、白土三平の赤目プロでアシスタントのかたわら、『ガロ』を中心に『COM』や青年劇画誌に佳作を発表したが、病が悪化。1974年、30歳で逝去。 「山岸涼子と読む」と副題を付けているが、山岸涼子のソレは5頁の解説に過ぎない。それっぽっちの文章では語りきれない「観たことのない世界」が、作品集の中にはある。最初に出会ったのは、青林堂のマンガ傑作集の一巻を古本で買ったものだった(「おせん」)。その頃好きだった山本周五郎の作風に似てはいた。が、明らかにそれとは一線を画す何かがあるとは思っていた。今回30年ぶりに読むと、当時はあまりにも展開が速すぎて汲みきれなかった「おせん」の悲しみも、「ゴセの流れ」のジンの残酷さも、その他多くのことが、今なら想像できる。山本周五郎作品はテレビドラマにできるが、楠勝平作品の多くはテレビドラマにはできない。「どうして主人公はあんなに豹変するの」「救いが全くない」「話が飛躍し過ぎている」等の苦情が来るのが必至だからである。場面転換の鋭さ、下町景色の再現度の高さ、隠しきれない叙情、なによりも自らの死を意識している者だけが描ける世界を描いて、おそらく唯一無二の作品群だと思う。今までの単行本は3冊のみ。いずれも限定発行か絶版。この普及版の発行が、楠勝平再評価の決定打とならんことを祈りたい。楠さん、貴方の生命削った作品群はどのような目に遭おうとも決して埋もれるべきものではないのだから。多分、「梶又衛門」「鬼の恋」は単行本初収録。
2022年01月11日
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「フーガはユーガ」伊坂幸太郎 実業之日本社文庫「僕の喋る話には記憶違いや脚色だけじゃなくて、わざと嘘をついている部分もあるので、真に受けないほうがいいですよ」伊坂幸太郎はエンタメ作家である。ちょっとトボけて、ちょっと優しく、それでいて不思議な主人公が出てくるのが特徴である。リアルな現実を描きこみながら、一つの嘘を紛らわすことでしか、真実を描けないことがある。歴史家には出来ない。小説家にしか出来ない。それがエンタメの役割だろう。いっときはブンガク者になろうとした時期があったような気がする。伏線回収を行わず、ディストピア作家になろうとした時期があったような気がする。でも最近は吹っ切れて、読者が望む小説家になろうとしてるかのようだ。曰く。魅力的なキャラ。伏線回収。アクション。勧善懲悪。笑って泣ける小説。でも寅さんじゃないけど、笑って泣ける話ほど難しいものはない。「嘘をついているー」もそうだけど、前半から新幹線にしろ、ボウリングにしろ、ワタボコリにしろ、そして章立てに使われた熊のぬいぐるみにしろ、伏線アリアリ。お陰で半分予想がついた、と同時に1/4はビックリした。そして1/4は途轍もなく寂しくなった。閑話休題。フーガとユーガは双子の兄弟。同時にひとつだけ「現実離れした能力」を持つ、そして「辛い現実」を生き抜いてきたバディである。そんな2人の2010年代の物語。正月の一気読みでした。
2022年01月10日
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「ノースライト」横山秀夫 新潮文庫去年5月に横山秀夫の著作を20年ぶりに再読した時に、最近描けていないのはネタ元が尽きたからだという意味のことを書いた。全く失礼なことを書いた。横山秀夫は新たなステージに登った。久しぶりの新作がやっと文庫化した。勇躍して紐解くと、その新しいテーマ、その瑞々しさ、隅々まで絞り込んだ表現、それなのに変わらないスタンスに驚愕した。誤解を恐れず言えば、女流作家には描けない、ぶざまにも美しい「男の矜持」が、全篇にわたって描かれていた。建築を設計し建てることは、小説を書くことに似ている。青瀬の〈Y邸〉は、横山秀夫にとっては、辿り着いた最高傑作に似ているのだろう。かつて横山秀夫は、新聞記者時代に培ったサツ回りの経験を膨らませて10数年を突っ走った。今回それを総て捨てている。捨ててどうしたかというと、おそらく子供時代から培ってきた「感性」を、この作品に注ぎ込んだ。じぶんの原点は何かを問い直し、それに沿って一から創り上げた。まるで、青瀬が〈あなた自身が住みたい家を建ててください〉という言葉に救われたように、まるで、岡嶋が〈足りないものを埋めること、埋めても埋めても足りないものを、ただひたすら埋めること〉という言葉で救われたようにおそらく横山秀夫が描きたかったものは「巧い、暗い、恐い、そして美しい」ナニカなんだったのだと思う。上質のミステリとして巧く緊密で硬質な文体は暗く時折見せる心理描写は恐くそしてすべてが美しいずっと積読状態だった「日本美の再発見」(ブルーノ・タウト)は、今年は紐解こうと決心した。kinya3898さんのレビューで文庫化を知った。
2022年01月06日
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「縄文里山づくり 御所野遺跡の縄文体験」御所野縄文博物館編 新泉社82ページに「御所野縄文里山カレンダー」が載っている。春夏秋冬の生活サイクルを図化したもので、考古学の読本にはよく掲載される。しかし、今まで見た中で、1番豊かな情報が載っていた。理由がある。縄文御所野遺跡は岩手県二戸郡一戸町にあり、7.7haの台地から丘陵まで含め、博物館を構えた縄文公園になっている。青森県三内丸山よりも規模は小さいけれども、非常に密度の濃い情報発信をしていて、とても感心した。御所野縄文里山カレンダーは、御所野遺跡がこれまで果たしてきた「実験考古学」の成果である。木を育て、住居をつくり、縄をつくり、薪を用意し、土器を作成し、木の実を採り、トチノキの実や栗の実を加工し、ウルシを使い、カゴを編んでゆく。その中で、「あ、こんな工夫をしていたんだ」という私の初めて聴く「発見」が、山のように記されていた。例えば、雪深い東北では、深く掘り込んだ土付き屋根の竪穴式住居になる。それは知っている。しかし、雪解け時に屋根土が窪みになって、そこから腐ってゆくのを防ぐために、春先に土屋根の叩き締めが必要だということは、初めて知った。例えば、トチノキの実やクリの実は、そのままではすぐ食べれなくなるので、採取すると直ぐに粉状に加工しなくてはならない。それらは、村の総出の労働力が要ったろう。その他、村総出の労働力は意外に多いということに初めて気がついた。一般的に、稲作文化が人々の階層化を進ませたと教科書は言う。しかし、一万年もの間、縄文時代に人々は協力しながら村を運営した。リーダーはいたにしても、何故、階層化が進み、国が出来、戦争が始まらなかったのか?私は新たな疑問が湧いてきた。実の粉では、財産の余力など作れなかったからか?それだけなのか?一千年余の弥生時代の間に始まったと言われる「戦争」が、実は最大の戦争(倭国大乱)が「話し合い」で終わったのは、縄文時代の教えがあったからなのではないか?古墳時代、大陸から悪しき思想が、その教えさえも侵食したのではないか?‥‥などと、私はいろいろと妄想した。以下純粋マイメモ。・木を伐採すると、新たに出る萌芽を利用して、縄文人は自分たちに必要な木を選んで育てた。・縄文時代は建築資材としてクリにこだわっていたが、古墳時代以降はヤチダナ、コナラ、サクラになってゆき、やがて90%コナラになる。・クリが石斧での伐採に適していた。春では直径20センチは5-6分で切れた。・直径5mの竪穴式を建てる場合には、直径20センチ、長さ15メートルの木が30本ほど必要。・伐採木は直ぐに樹皮をはぐ。虫が入り、なかから腐食するから。伐採は新陳代謝を繰り返す春から夏がいい。伐採後はそのまま乾燥させるか、捩れや割れを防ぐために水につけて陰干しする。・土屋根の腐食を防ぐために、冬は雪下ろし、春は叩き締めをする。堰板は下を焼いて腐食を防ぐ。・ひとつの竪穴住居にひと束100メートルの縄が14束必要だった。・縄は鳥浜貝塚や忍路土場遺跡からも出土するシナノキを使った。樹齢20-25年を使う。・木から樹皮を剥がしたあとに、外皮から内皮を剥がす。1-2か月水(流水でなく澱んだ水)につける。そのあと内皮を剥ぎ取り、岩盤の上で清流で水洗い、滑りが取れたら繊維を細かく割いて、3-5日乾かします。・薪はカラマツとクリ、コナラ。順に燃焼が高い。しかし、長時間保つのはその反対。灰を確保するには、春から秋にかけてコナラを燃やすのがいい。弾けないということでも、基本的にコナラが薪の材として優秀。・トチノキの実が8割で圧倒的。次にクリ、そしてオニぐるみが少し。・トチノキの実は、収穫したらそのまま広げて乾燥。そのあと、外側の硬い皮を剥くために一度茹でる。柔らかくなった皮を剥き、剥いた実に灰をまぶし、水を入れて一晩そのまま。黄色の上澄みを捨て、また水を、入れる。ニー三日繰り返し、灰を洗い流す。実を弱火で焦げないよう程度にゆっくりかき混ぜる。出てきたアクを捨てながら、溶けてペースト状になるまで煮る。最後に袋に入れて水を搾る。1週間広げて乾燥。粉にして保存。・スズタケを竹のように加工してカゴを編む。・サルナシの枝でカゴを編む。
2021年12月30日
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「ルックバック」藤本タツキ 集英社ジャンプコミックス「このマンガがすごい2022男性部門」第一位。たった一巻。セリフ最低必要最小限。コレを一位に推す若者たちについていけなくなっている自分に愕然とする。きわめて真っ当な「友情・努力・勝利」。石ノ森も50年前に試みた絵巻物語。でも、若者たちにとっては、初めて見る世界。それをイジる権利は、私にはおそらく髪の毛一本ぶんもない。だいたいのストーリー自分の才能に絶対の自信を持つ小学四年生の藤野と、引きこもりの京本。(←2人合わせれば藤本になる)田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、結びつけたのは漫画を描くことへのひたむきな思いだった。藤野には斬新なストーリーセンスがあり、京本には圧倒的な画力があった。それぞれが才能を認めて嫉妬し、そして2人で高め合う季節と、別れて道を進む季節。そんな時、現代世界の「あの事件」に似た悲劇が起きる。
2021年12月19日
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「新・水滸後伝(上)」田中芳樹 講談社文庫田中芳樹に「新・水滸伝」という著作は無い。何故本編をすっ飛ばかして「後伝」から始めたのかは、おそらく(下)まで行けばハッキリさっぱり分かると思う。それは兎も角、北方謙三の「岳飛伝」が終わって水滸伝ロスに陥っている私としては、楽しい読書だった。全数十巻ではなく、たった2巻で済みそうだし。ご丁寧にも目次の後に「水滸伝百八星一覧表」があり、108人全員表記してくれていて、そのうち本編あとも生き残った33人に⚫︎がついている。(原作本編では、呉用や史進、扈三娘さえ既に亡くなっていたのか!←すみません、北方水滸伝を知らないと何のことやら分からないと思います)その次に「新・水滸後伝の世界」と題して北宋時代の地図があるのであるが、杭州の東の海の辺りに暹羅本島という台湾を小さくしたような島が浮いている。私は北方謙三「水滸伝シリーズ」を愛読していたので、読本を通して北方水滸伝には出てこないこの島を舞台に李俊たちが大暴れする展開を知っている。ちょっとドキドキする。「楊令伝」や「岳飛伝」の辺りで亡くなっていった傑物たちが、性格は違えども、また生き生きと喋って活躍してくれるのは、なんとなく嬉しい。童貫が卑劣漢で、聞煥章が良い奴だと言うのも、原作はそうだったんだなぁ、と新鮮である(←北方水滸伝未読の方々すみません)。パラレルワールドでまた彼らが生き返った気がする。田中芳樹は、こんなひねくれた読者を想定しているわけでは無い。「梁山泊が恋しいよ杜さん(杜興)。全く、宋頭領(宋江)は何でまた、あんなに帰順(宋王朝に従うこと)したがったんだろうな。俺たちみんな、朝廷づとめなんてまっぴらだからこそ、梁山泊に集まったんじゃないか」「俺も不思議だがね、楊君(楊林)、宋頭領の帰順欲求には、みんな不満を持っていたけど、あの人に背かなかったじゃないかね」「考えてみりゃ、そのほうが不思議だな」「ま、天界で定められたことだ。しかたないさ」(73p)()内は、私の注。原作本編において、宋江が帰順したことで、梁山泊英傑が使い回され、次々と戦死し、騙し討ちで宋江などは毒殺された。それによって梁山泊は殆ど壊滅状態になったことを田中芳樹が皮肉っている所である。原作水滸伝は、天命思想によって動いていたので、読者含めてみんなが不満に思う愚者宋江の命令(運命)には、逆らえなかったのである。おそらく、水滸後伝は、それらの不満を払拭するような話になっているのかもしれない。因みに、北方水滸伝の宋江は、そこまで愚者では無い。上巻までの私のみたところは、そういう本編水滸伝批判と、水滸伝本来の荒唐無稽さにリスペクトする話を狙っているのかもしれない。
2021年12月16日
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「いのちの停車場」南杏子 幻冬舎文庫 紐解いたのは映画を観て、ラストにどうしても納得いかなかったからです。原作を読んで確かめてみたかった。ラストまでは大変素晴らしい作品でした。吉永小百合は少し年寄りすぎる気はしたけど、それさえ目をつむれば、広瀬すずも松坂桃李も西田敏行も田中泯も、それぞれの患者もたいへんな熱演でした。観客は年寄り層を中心に大勢詰めかけロングランになった。もしかしたら、私の思い違いかもしれないとさえ思った。 以下ラストについてのみ書きます。ネタバレです。 主人公咲和子(吉永小百合)の父親(田中泯)は神経性の異痛症になり、治療不能、死ぬような痛みに襲われるようになる。願うのは、「積極的な安楽死」。まともすぎる医師である咲和子は当初は当然断る。それは殺人であり、法に触れるという意識もある。でも、父親の冷静な度重なる懇願と、金沢に帰ってずっと終末医療に携わってきた咲和子に、心変わりが訪れ、父親の願いを(点滴の投与という形で)受け入れることにするのです。 映画では、訪問介護専門のまほろば診療所の所長(西田敏行)にだけは真実を話すけど、情熱を持って続けてきた診療所も辞め、父親と2人になるところで終わるのである。 私はこのラストはダメだと思った。 いくら診療所を辞めても、ことが公になれば、必ず「元まほろば診療所医師」ということで、せっかく軌道に乗ってきた診療所に大きな迷惑をかける。そんなこともわからない咲和子さんなのか?私は納得できない。 原作の方は、いろんな面でそのリスクに免責を与えていました。 ひとつは、所長含めて同僚にもしっかり説明していた。安楽死場面に(第三者の見届けという理由で)2人も同僚を呼んでいる。 ひとつは、1962年に出た高等裁判所の特別に安楽死を是認しうる6つの要件を紹介し、咲和子さんがそれを全てクリアする様に段取りをつけたことである。 ひとつは、父親がさあこれから点滴投与を行う直前に死亡するというハプニングが起こる。よって、おそらく咲和子さんは殺人罪が問題になるようなことはないだろう。 しかし、それでも咲和子さんは警察に連絡をするということで、小説は幕を閉じる。「積極的な安楽死」を、是非とも認めるべきだ、論議の一石を投じるべきだ、という作者の強い想いがそういうラスト描写になったと思う。 映画は、あまりにもラフ過ぎた。成島出監督という好きな監督なのだけど、尺の関係か、裁判所判例も一切出てこない。私はやはり映画は、お勧めできる作品になっていないと思う。 小説は、それでも警察に連絡する時点で、診療所に迷惑をかけると思う。それでいいのか?と思う。 理論的には、「積極的な安楽死」について、実は私はなんとも言えない。私は、過去3度も、臨終場面で「消極的な安楽死(延命治療をしないことで死亡すること・合法)」を直ぐには選ばなかったことで、後々まで後悔している。未だに、私は良くなかったという想いだけはあるけど、どの時点で、何をするのが1番Bestだったのか分からないでいる。 思えば、私の最初の選択から13年経つけど、昨日のように後悔の念が起きる。 安楽死問題、とても難しい課題である。
2021年12月14日
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「白い記憶」あすなひろし なんてことだ。 この作家を知らなかった。週刊少年チャンピオンに時々載っていた、ちょっと気取ったマンガがあることは知っていた。その時は、私が読むのには、少し幼すぎたのだ。まるで、少年マンガの萩尾望都だ。青年の哀しみを、シリアス、SF、時代もの、コメディ、とあらゆる切り口で描き、枠線こそはきちんと囲んでいるが、その中の一本の線は触れると血が滴るほどに厳しい。 ストーリーは、ページ数もあって、あまりにも早急に結論を描きすぎるが、必ず深い余韻をもたらす。こんなの、もし現代にマンガで描こうとしたら、この画力ならば、編集者が数巻の長編にしなかったら読者が許さないだろう。ところが、全て20p程の短編なのである。 少年がわかる話ではないのに、この頃は少年マンガ誌しかなかったから仕方なかったのか?あまりにも早く産まれすぎたのか? 大人になって、「あすなひろし訃報」を知ったのは何時だったか。皆んなが惜しんでいたので、私はてっきり30歳ぐらいで夭折したのかと思っていた。wikiで調べると、1941年広島生まれ、1959年デビュー、83年「白い記憶」のあとは寡作になり、2001年肺がんで死去とある。享年60歳。超ベテランだったのだ。絵の線の鋭さは、私が少年漫画界最高峰と認識している坂口尚に匹敵する。描いている背景は、60年代から70年代のリアルな街の風景なので、もうなんか、絵画を見ている気分になる。 朝日ソノラマでたくさん出ていたのは記憶していたけど、今やそれらは全て絶版である。今回、Kindleのキャンペーンでグダグダ物色していたら、たまたま本書が今だけの安売りをしていたので、マンガはあまりダウンロードしたくないけど、クリックした。そしたら、この衝撃である。数日後、あと4冊ほどクリックした。暫くは、時々扱いたいと思う。
2021年12月10日
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「中野のお父さん」北村薫 文藝春秋 おや、北村薫さんいつの間に蘊蓄エッセイはやめて、またもや日常推理を描きだしたんだ?と思って紐解いた。まさしく小説、しかも探偵役は還暦定年間近の国語教師。文学の蘊蓄はハンパない。娘は出版編集者。これって、お父さんのモデルは北村薫本人じゃないか? 気楽に読める短編が8篇。 でも、一作目「風の風車」が「おやおや」と思う(←多分私だけ)。 完全ネタバレになるけど、あと7篇あるので許してください。(というわけで気になる人はここ以降読まないように!) 出版編集者の美希が、新人文学賞の候補に残った人に連絡したら「応募していませんよ」の返事。調べたら、2年前に同じ題名で応募して落ちたと思ったのですっかり諦めていたとのこと。だとしたら、何故今ごろ落ちたはずの作品が2年たって、しかも新人賞最有力候補として出てきているのか? この謎を、美希のお父さんは少し話を聞いただけで簡単に解いてしまう。状況証拠を詰めれば、確かにそうなるわな、と読者も納得する。私の問題にしたいのは、その内容だ。 2年前の投稿はプロットだけの推理小説だった。舞台は娘の職場(大学事務局)にした。2年後、娘がそれにディテールを足して、お父さんの名前で再投稿したというわけだ。 ここでハッと気がつくのは、北村薫、デビュー当時は覆面作家だったことだ。昔から話題だったのは、女子高生の会話や心理が生々しくて、絶対正体は若い女性だよね、とみんな思っていたということである。本も2冊出た段階でやっと性別と年齢が明かされてみんなビックリした。高校の国語教師だという。「まぁ先生なら正体伏せても仕方ないかな」とみんな思ったという顛末。しかし、デビュー当時、本当に北村薫は「1人だけで」書いていたのか?という疑問が、ここを読んでむくむくと湧いてきた。 「風の風車」のように、全体的ではなくても、最初の頃は娘か女子生徒かに相当の助けを借りた可能性は高いのではないか?「◯◯ちゃん、悪いんだけど、今度の作品の詳しいプロットを書いたんだけど、これに肉付けしてくれないかな」 ‥‥‥‥いや、ないか。最初の2冊はそれで誤魔化せるかもしれないけど、そのあと延々と北村薫は「若い女性を主人公にして」作品を作り続けた。ちょっと誤魔化しきれないだろう。それに、連載冒頭に、そんな重要なネタバレ素材は使わないだろう。でも、一つ言えるのは、北村薫の登場人物として「女性編集者」の出てくる確率は、物凄い高いのである。今でも徹底的に「取材」しているのではないだろうか? 本書には、編集者あるある体験が満載だ。 曰く。 ・撮り直しが効かない写真にNGが入る。それをどのようにすり抜けるか。 ・挿絵の一部分だけ向きが変わっている謎。 ・雑誌を作っていると、定期購読してくださる方々の存在が、本当にありがたい。お一人お一人、手を握って御礼申し上げたくなる。と美希は呟いている。←女性編集者が本当にしてくれるならば、定期購読したい雑誌はあるぞ。いや、本気で。 楽しかった。
2021年12月08日
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「デューン 砂の惑星(上)」フランク・ハーバート 酒井昭伸訳 ハヤカワ文庫 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画(Part1)を観て、どうしても読みたくなって買い求めた。思った通りだった。私の生涯ベストの一つである「指輪物語」に追いつかの如くの「ファンタジー」だったのである。 私がファンタジーに求めるものは二つ。物語の最初から、既に「世界」は完璧に出来上がっていていなくてはならない、というのが一つ。もう一つは、物語の奥の奥に、必ず答えの決まらない「問いかけ」が用意されていること。そしてラストに、ファンタジーだからこそ許される答えを僅かに提示すること。まだ3部作の最初を読んだだけだけど、一つ目は見事にクリアした。 時は、地球の西暦で教えられる。標準年10191年。0を一つ間違えているわけではない。これも、映画では冒頭に出てくるけれども、原作では「後世」に作られた本の一節で初めて知らされるのに過ぎない。遠い未来の話は、殆ど遠い過去の話とイコールだ。 「汝、人心(ひとごころ)を持つがごとき機械を造るなかれ」『オレンジ・カトリック(OC)聖典』より ‥‥つまり人間社会はAIの洗礼を既に受けて、新しい段階に入っているらしい(著作の頃はまだAI概念は不確かだったけど)。 砂の惑星は、「香料」を産出するがために、あらゆる争いのもとになっている。冥王サウロンの「ひとつの指輪」の如き存在なのかもしれない。 主人公ポールは、やがて砂の惑星の民から救世主と呼ばれる。物語の冒頭から、それは決定しているかの如く描かれる。ある時は、「クウィサッツ・ハデラック」と言われ、もう一方の情報では「ムアディップ」と呼ばれる。一方では彼は、アトレイデイス公爵の跡継ぎとして砂の惑星アラキスに降り立ったポール・アトレイデイスなのである。重要な公爵暗殺劇も、物語の冒頭から「後世の」「ムアディップ伝」の中で語られているから、映画で筋書きがわかっていた私以上に、本書読者には驚きが無い展開である。私にとっては、映画ストーリー以上に最初に展開を種明かしをしている物語の構造に、驚きを禁じえなかった。おそらくこの「構造」こそが、「砂の惑星」の魅力なのだろうと、今は思う。 102世紀の世界ではあるが、魅力的な機械が散見する。トンボのような羽ばたき機は砂上に飛ぶのだとすれば確かに合理的であるし、身体中の水分を殆ど外に出さない循環型スーツも、あり得るテクノロジーである。そして、砂の惑星の主とも言える砂蟲の圧倒的な存在感。ここから宮崎駿が王蟲を創造するのは遠くはなかっただろう。 映画は2部作と思いきや、殆どこの3部作のうちの上巻のみで終わった。とすれば、映画も3部作なのか?そんな情報はどこにもないし、次が作られる保証さえなかったはずだ。本作のヒット如何に関わらず、どうやらPart2の制作は決定したようだ。とりあえず、それだけが「見える未来」である。 (得るに時あり、失うに時あり、保つに時あり、棄るに時あり) 『OC聖典』に含まれる、〈伝道の書〉からの引用だ。 (愛しむに時あり、悪むに時あり、戦うに時あり、和らぐに時あり) (462pのレディ・ジェシカの呟きである)
2021年12月02日
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「カムイ伝第二部(犬戯けの章)」21-22巻 小学館ゴールデンコミックスとしては、22巻として話の途中で終わる。 望月藩は、領主のかかっている病を生類殺生の罰とした。それが「お犬さま」騒動に発展する。次の将軍綱吉の時代に江戸で起きた騒動が、その十数年前にここ、日置領の隣のいち地方で起きる。そのために領主の早死にを招き、望月藩を「実質」支配下におき結果的に佐渡守の野望は近づくという展開である。単行本段階では、特筆すべき大きな進展はない。 酒井忠清と佐渡守の野望は、どうなるのか? 竜之進、正助、カムイをはじめとする登場人物たちの運命には、一切決着はついていない。 おそらく、この時期マネージャーの白土三平の弟が病死をして、画の岡本鉄二も病にかかったのか、続かなくなったのかもしれない。もしかしたら、マネージャーの仕事は、作品構成にも影響を与えていたのかもしれない。全ては藪の中である。 この後、数年後に刊行された「カムイ伝全集」において、白土三平はコミックス未収録の回と結末らしきものを足して無理矢理終わらせたみたいだ。それが第二部の終わりと言われているが、構想としては、完全なぶつ切りだろう。途中止めと考えてもいいようだ。続きは絶対ムリと私は確信していた。2009年の「カムイ外伝 再会イコナ」は、絵もストーリーもぼろぼろだった。未完のままで、作品全体を評価するしかないのである。 最後まで読んで、私の感じるのは、以下(1)から(3)の3つだ。 一般的に第二部は失敗作と言われる。第一部のような、革命書としての勢いがない。テーマは家族小説のようになって縮小した等々。そうではない。赤目プロのトラブルにより、綻びは大きかったが、第一部に匹敵する、壮大なテーマがあり、大きな構造があり、神話伝説・女星シリーズを経て勝ち取った白土三平の成熟があった。確かに作品の完成度は高くない。けれども、白土三平が12年近くもかけて描いた意図は正確に汲み取って、我々の財産にするべき内容だと、私は思うのである。 (1)最初の構想こそは、白土三平による「弱い者から見た革命物語」だったのかもしれない。いや、「革命」という概念を持っていたかは相当怪しい。北海道に逃れて、そこでカムイがアイヌ蜂起に合流したとしても、それは「負けた戦」だったからである。しかし、第一部の終わりごろから、それは無理に思えてきた。戦後当初言われてきた、労働者による革命社会は、どうも簡単に実現しそうにはない。そこで、舞台を北海道にする構想を全て諦めて、アイヌ由来のカムイを、人類史の神話伝説と絡めてカムイ(神)とする物語を構想し直した。一種のユートピアをつくってゆく方向に持ってゆこうとしたのではないか。本来の第三部は、そういう物語だったのではないか?第二部の中に、ユートピアは幾つかその萌芽がえがかれる。無宿溜(スラム)、苔丸や竹間沢が主導する影衆、島原の乱、正助が主導する黒鍬衆等々。それは一種の労働組合、生産組合、そして政治結社である。それらが有機的に結びついた時に、江戸封建制度の中にあっても、「風」としての「カムイ」を仲立ちにして、もしかしたらユートピアは出現するかもしれない。その時、白狼カムイをはじめとする自然は、唯一人間社会と共存するのかもしれない。しかし、それは遂に描かれることはなかった。 (2)一部の評者が言うように、第二部では白土三平の教育論、ジェンダー論が頭をもたげる。白土三平の主張は一般的なそれとは一線を画していることに注目したい。源之介や鞘香や加代や一太郎、音弥または将軍家綱の運命は、貧困、裕福な家庭関係なく、子供の成長には何が必要なのかを示しているだろう。基本的には彼らには「夢」が必要なのである。それだけが人間をして動物から区別させる基準だから、と白土三平は考えていたのかもしれない。しかし、そういうテーマ「だけ」になってしまったという評価には、私は大いに異を唱えたい。また、その「夢」は、「自由」に対する大人を含む「人間」の闘いと結びついて、大きなテーマに合流する構想だったのかもしれない。 (3)現代こそ、マンガで壮大な大河物語は成立するようになった。しかし、1960年代にそれが可能だと思った漫画家は1人もいなかった。白土三平と手塚治虫をのぞいては。その「忍者武芸帖」に引き続いて白土三平というパイオニアが描き始めた大河物語は、約35年かけて、起承転結の起承までしか辿り着いていない。しかも文芸ではない、エンタメとして存在していたし、完成したとすれば人類に対する大きな貢献となっただろう。未完ではあるが、私のみるところ、「カムイ伝」に匹敵する大河物語はまだ存在していない。 (99年6月〜12月連載)
2021年11月30日
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「カムイ伝第二部(歯ッ欠けの章)19-21巻」 ここでは、第二部冒頭で元日置城を追われた猿山の下っ端・歯っ欠けの城への帰還、並びに猿山順位一位になるまでの顛末が描かれる。 猿の階級社会は、もちろん人間社会にそのまま当てはまるものではない。しかし、白土三平は、少なくない情熱を持って、かつて体格も風格も力さえ無い歯っ欠けが、運と経験と蓄えた知恵と敏捷さを持って、幾たびかの生命の危機を乗り越え命を長らえ、人間社会の贈り物(ラッパと鍵手)で、猿山の頂点に君臨する様を見るだろう。次の章では、しかしその英雄も死んでゆく。 それはほとんど「神話」の世界である。集団から追われた者が、いくつかの試練を乗り越えて「英雄」として帰還する。「人間」の周辺にある「自然」において、白土三平はお金が介在しないでも、神話は成立することを証明する。それは、やはりカムイ伝の一つのテーマだろうと思う。また、それはまだ描かれない人間社会における「英雄物語」(この括りそのものが第一部にはなかった。神話伝説シリーズを経て白土三平が獲得したものだろう)の前振りを(それはカムイが担う予定だったのかもしれない)示すものだったのだろう。 これは最早、70年代の若者が期待した「階級闘争」の物語ではない。白土三平は、最初から「革命」を描くつもりはなかったのかもしれない。封建制度の確立・完成が始まった17世紀後半を時代に選んだ時点で、それは明らかだったのではないか?もし描けば、それは「革命の失敗」を描かざるを得なかったからだ。実際に第一部は、そういう流れになった。ホントは「周辺の者」「弱い立場の者」に寄り添った、理想的世界を描きたかっただけなのではないか? また、正助の息子一太郎が、忍びの世界の悪しき掟の歯車になっていたのを、いつの間にか抜け人カムイが「抜け」させていた。甥と叔父貴で、既に信頼関係と師弟関係はできている。一太郎はこうやって、カムイの全ての技を受け継ぐような流れになっている。ここで思い起こすのは「影丸伝」や「サスケ」の構造である。心なしか、一太郎の面影は若い頃のカムイにソックリだ。白土三平の父親、岡本唐貴は息子に自分と同じ名前(岡本登)をつけた。それは、白土三平にかなりの影響を与えたと思う。本当は甥に、やがてカムイと名乗らせるつもりだったのではないか?そうやって、人は死んでも、想いだけは繋げて行く。 白土三平の理想の世界は、 創業者が亡くなっても、 想いはつながれて行く 結社の世界だったのではないか? しかし、おそらく三男の弟が死んだ時に、 何故だか知らないが、 白土三平はその夢を諦めたのではないか? まるで、妄想だし、事実もないけど、 白土三平研究者は、そこら辺を是非追及してほしいと思う。 それとは別に、佐渡の守の野望の一端は、日置山にある鉱山の採掘権を一手に引き取ることが明らかになった。膨大な金の蓄積は、その後の「野望」のために使われる予定だったのかもしれない。その中で、島抜けの日陰人、湯宿の主・喜太郎の数奇な運命も描かれる。が、これは第二部の物語の彩りでしかない。 (97年3月〜9月に連載)
2021年11月29日
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「カムイ伝第二部17-19巻(丹波崩しの章)」 白土三平(本名・岡本登)が、誤嚥性肺炎のため10月8日に亡くなった。89歳。また、『カムイ伝 第二部』の画を担当した弟の岡本鉄ニも4日後の12日、間質性肺炎のため亡くなった。白土三平の業績は、此処で一言では語れない。とても残念ではあるが、人はいつかは死ぬものである。ただ、何を遺したのかは、きちんと語られなければならない。 未完に終わった「カムイ伝」は、まだ正統には語られていない。特に第二部は、甚だ不十分である。それで、過去、浅学菲才を顧みず第二部を章ごとに評してきた。それを無理矢理終わらせたい。 最後の三章について述べてゆきたい。先ずは「丹波崩し」の章(17巻〜19巻)。 ここから、暫く舞台が江戸から日置領に移る。つくづく「カムイ伝」とは、日置領が本当の舞台だったのだ。江戸時代全体を描かなければならないので、時には江戸がずっと描かれるが、やはり白土三平の描きたかったのは、一地方の、名もなき「人民」だったのである。 冒頭、笹一角(草加竜之進)はアヤメと一緒になる為に、日置領に帰り全てを打ち明ける。 「武士が百姓から寄生する姿を見極めたから、武士を捨てた」ことを改めて告白する。この後しばらくして竜の進は医者になるために長崎に向かうのであるが、文武両道の知識人という立場で歴史に関わってゆくのだろう。彼の第一部の志は少しも変わっていない、こともここで明らかになった。 (竜之進とアヤメと苔丸) 竜之進は、正助とカムイの要請で、日置の非人部落のキギスと相談して「皮の工業製品」の商品化、流通の中立(なかだち)をした。ここでも、第一部から壮大な伏線が回収されつつある。「歴史の流れは遅いようで、時にはとてつもなく早く走ることもある」という白土三平の思想の一端が明かされる。ここでも白土三平は、日本における近代ギルド(職業別組合制度)の成立を、少し時を進めて動かしているが、現代日本でもひとつの地域やお店で「先進的な取り組み」は、必ず行われているのだから、当たり前の描写でもあるのだ。 そして「あの」望月佐渡守が行方不明だった鞘香を連れてきた。薬漬けにして‥‥。ここで初めて明らかになるのであるが、二部始めに行方不明になった、錦丹波の娘・鞘香と百姓娘・加代は、佐渡の守によって、一方は岡場所に売られ、一方は大奥の腰元候補に育てられていたのである。それでも、女性は自ら闘って自らの運命を切り開こうとする。そこには、武士も百姓も関係ない。2部を通して、子供たちの成長並びに女性の生き方の選択が、人々の縁の中で描かれているのも、大きな特徴であろう。 錦丹波は武士を捨てざるを得ない状況になり、加代と鞘香は再会するものの、加代は鞘香を助ける為に大奥へ、鞘香は運命の悪戯で岡場所の首領になるようだ。竜之進とアヤメは長崎に渡り、第一部から百姓の庄屋だった竹間沢が、なんと佐渡の守のもとでの日置領代官になる。そろそろ物語は終盤に近づいている気がする。 酒井忠清と佐渡の守の「野望」は、基本的には将軍職の「実質的な乗っ取り」にあることは、この長い物語で明らかになっているが、この段階ではその方法までは明らかになっていない。しかし、丹波崩しの目的は、単に日置一万石の領主になることではないことが、佐渡の守から言われる。それは果たして何か?それは次の章で明らかになるのだろう。 なお、この書評において再三、弟の岡本鉄二の死亡が第二部ぶつ切りの原因だと書いていたが、病気はあったかもしれないが、鉄二は今年まで存命だった。ここでお詫びと訂正をしたい。第二部終了の決定的な契機は、三男の弟の急逝だったのかもしれない。 (1996年1月より97年2月まで連載)
2021年11月28日
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「メランコリア」とその他の詩 池澤夏樹 書肆山田 古代、詩は謳われるものだった。 必ず長詩であり 物語だった。 「日本文学全集」の編集を終えて 池澤夏樹にまた詩の季節がやってきた。 このように始まる。 メランコリア 1 失踪 ある日、アンナがいなくなった 愛が失われたからではなく 何かが彼女を迎えにきたから 私はアンナを探した 何日もこの大都会を歩いて探しつづけ 遂に彼女の新しい家を見つけた しかし、私がそこに行った前の日に アンナはそこを出ていた 手掛かりはあった 後を追えと言わんばかりのメモが‥‥ 「次の新月の晩 ラトヴィアのリガのグランド・ホテルのコーヒーハウス」 私は待った 私は行った そこにまたもや本人ではなく 手掛かりだけを見いだした‥‥ 「今年の夏至の日 赤道が横切る首都 大統領官邸の前」 行ってみると、アンナの残り香が漂っていた そういうゲームが始まった いつもドアのところに出てゆく姿がちらりと見える 走っていって外を見ても 街路には誰もいない ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そうやって12の詩(物語)が謳われる まるで「エレニの旅」のように 人生と世界と歴史が交差する 私はこの本を 全面再開した県立図書館の 新書コーナーの棚で見つけた 未だ誰も紐解いていない歌が 何処からか聞こえてきた
2021年11月22日
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「僕の姉ちゃん」益田ミリ 幻冬舎文庫 「これは、僕と、僕の姉による つかの間の、ふたり暮らしの記録です。」 そのようにナレーションがあって、僕(杉野遥)と、僕の姉(黒木華)による連続ドラマ全10話を、アマプラで観た。 面白い。それで、つい買ってしまった。 マンガだけで読んだ方には悪いけど、私の脳内は、既に姉ちゃんは黒木華で、「僕」のまともなツッコミを平然と受けてやがておもむろに語り始める黒木華のドヤ顔が再生されている。もはや黒木華はちょっと気弱な新人サラリーマン弟を「フッ」と弄る、恋遍歴が少しだけあるアラサー女史にしか見えない。マンガだと行間の姉ちゃんの思考はかなりの想像力が必要なのだけど、黒木華の圧倒的な演技力のお陰で、無表情な顔の裏側で、頭が高速回転しているのがありありと見える。 1巻目はソファーと台所机しか出てこないけど、私などは2人の住む家は東京郊外の一軒家、両親は長期海外旅途中で、庭の風景も知っている。なんか得した気分。 まるで、マンガをお勧めしているのか、ドラマをお勧めしているのか、不明な文章ではあるが、吉田善子脚本・監督は、原作の台詞をほとんどそのまま採用しており、ドラマをしみじみ反芻するにはピッタリの本です。‥‥やはり、ドラマを勧めているのかもしれない。
2021年11月17日
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「ポーの一族 秘密の花園2」萩尾望都 小学館フラワーコミックス 実は、ついこの前知ったのであるが、「一度だけの大泉の話」の3人の主要登場人物の1人、増山法恵氏が6月に亡くなっていた。公になったのは10月7日である。彼女の死亡と、本書の内容との関係はないが、この作品に関して、私は知りたい一つの「秘密(謎)」がある。 話は1889年に移る。Amazon紹介文より。 エドガーは目覚めたアランを連れてアーサーの館を離れ、アーサーはますます病重く死を迎えようとしていた。そんなおり父と再婚相手との娘・セスが現れアーサーの看病をすることに・・・? アーサーの過去、パトリシアとの秘めた初恋の行方、そして目覚めたアラン。全てが絡み合い運命が1つの結末をつむぐ。 「秘密の花園」の章、完結巻。 前巻の感想で、明らかにしないといけない謎は3つあると書いた。以下は完全偏見に満ちた私的解釈です。 (1)メリッサの幽霊?が囁いた「ひとつだけお願い」の意味はなんだったのか? →エドガーは明確に言わなかった。それでも、エドガーがわざわざ後見人にアーサーを推薦したという事は、そういう事なのだろう。そもそも、メリッサ(アーサーの死んだ母親)の存在をエドガーは、一切不思議に思っていない。幽霊という存在も、ポーの一族の亜流なのかもしれない。 (2)アーサー卿は何故、誰によってポーの一族の仲間になるのか? →私は、エドガーがアーサー卿を仲間にしたのだとしたら、精神的な主従関係が出来てしまいおかしいと思っていた。ポーの村の村長(!)クロエまで呼んで準備したとは思わなかった。 (3)語られていない時代を埋めるという理由以外に、この時になって新しい物語を作り始めたのは何故か? →去年の12月に前巻を読んだ時には、単に「直ぐにポーの一族を終わらせたくない」という理由だと勘繰っていた。「大泉の話」を読んだ後に思うのは、「秘密の花園」全体が、「大泉の話」を執筆し、刊行し、その反響の中で描かれたということである。もちろん、萩尾望都は、描き始める前に、全ての構想と台詞を決めていた筈だ。萩尾望都の性格上、大泉とこの作品がリンクしないと思う方がおかしい。全体の問題意識は、10月15日に記されたという萩尾望都の「前書き(表紙見返しにあり)」がそれだと思う。 「‥‥アーサーが望んでいた愛は夢のように現れては消えていく。彼は人間として生きたいのか、エルフになりたいのか。己の罪、己の贖罪を告白し、アーサーは子供時代の無垢な花園に帰っていきます‥‥」 私は、アーサーの運命が、「大泉の3人」の運命のように思えてならない。萩尾望都は、どの時点で増山氏の訃報を知ったのか、私は知りたい。というのは、この全2巻、構想はこの上ないほどにしっかりしていて、緻密で凄いのだけど、人物の線が時々不安定に感じられる。「大泉」の反響の中で、萩尾望都の精神的負担があったとも思えるし、訃報に接していたならば、また違った動揺があったとも思える。15日段階では、おそらく城マネージャーから確実に知らされていたはずだから、この「前書き」はそういう意味でも重要だとだと思うのです。まあ、私の妄想ですが‥‥。 ミーハー的には、2000年段階でアーサー卿も、ファルカも、ブランカも未だ消滅していないのが確認された。オービンさえ出てきた。彼が一生をかけて書いた「はるかなる一族」という本は、ポーの一族を脅かすほどの影響を持っていないことも確認できた(そもそも100歳のオービンは、目の前にアーサー卿がいるのに気がついていない)。 次はとうとう「本題」に移るのだろうか? 今までで最速のレビュー(名目上の発行日の11月15日記入)になった。
2021年11月14日
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「豆腐百珍 百番勝負」花福こざる イースト・プレス お、面白い。 個人的にツボ。何故ならば、この約5年間、豆腐はほぼ毎日半丁づつ食べてきたから(何故か?スーパーの特売品・毎週3パック86円を買っているから)。健康に良いし。でも流石に同じ食べ方では飽きる(めんつゆかけて七味振るだけ)。クラシル見れば試せるけど、めんどくさい。それでモチベーションあげるために選んでみた(←電子書籍半額セール)。 お、面白い。 天明2年(1782年)発行。田沼意次の時代。天明の大飢饉が始まった頃。当時としては大ベスセラー。わかる気がする。作らなくても、読んでいるだけで楽しい。江戸庶民の生活も垣間見れる。おそらく作ったら、もっと楽しい。全てが美味しいわけじゃなく、明らかに不味いものから、微妙ーなものから、う、美味い!!!と思わず唸るものから、「こ、これは!」と突然「美味しんぼ」の山岡が(全く説明もなく)登場するものから、様々な豆腐百珍が描かれている。 お、美味しい。 電子書籍なので、作ってみたいと思ったものは、ブックマークして持ち歩いている。ブックマークは1/10ぐらい。ほんの少し目先を変えたものがあまりにも多い(高野秀行によると、それこそが日本式の特徴らしい。つまり日本文化の大道‥‥本質よりも目先)し、不味そうなものも多いので‥‥。いつもは20秒でパッと作るんだけど、ちょっと丁寧に水切りして、田楽味噌を作って塗ったり、賽の目に切って炒り豆腐をやったりして‥‥。美味しいです。続巻、本来マンガはメモリ食うので出来るだけ避けているんだけど、「買います!」
2021年11月10日
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「オジいサン」京極夏彦 中央公論社 72歳、独り身、子供なし、現在は無職、公団住宅に住む年金暮らしの益子徳一の心のうちを、ほぼ徳一の呟きだけで作られた一冊である。京極夏彦にとっては稀覯作なのではないか?一章目の題目は「七十二年六箇月と一日 午前五時四十七分〜六時三十五分」という体(てい)で付けられており、ご丁寧にも見開きの毎頁左下には5時47分を示したアナログ時計の絵と共に「七十二年六箇月と一日」と記されている。 ‥‥そうなのだ。益子徳一はアナログ人間で、2009年現在、地デジのせいで、田中電気の先代から買ったテレビが「見えなくなる」ことにどうしてもガッテンがいかない。いや、頑固な老人なわけではなく、得心がいかないことに従いたくないだけなのだと徳一は思っているのだが、どうもそれが「頑固だ」という事を理解していない老人なのである。徳一は几帳面な男だ。目が覚めたとき几帳面にも枕のカバー代わりの手拭いを替えたのはいつか、想いを馳せてしまう。ついでに加齢臭について呟き‥‥。そもそも何故そんなことを枕元で考え始めたかというと、自分が「オジいサン」と呼ばれた日がいつか、つい考え始めたからである。想いは次々と代わり、一分以内にはおそらく二つ以上のことをつらつら考えていたはずだ。 ‥‥いや、認知症というわけではない。その証拠に一つひとつ記憶を辿っていけば、ほら思い出した。四日前の水曜日だ。そこまで思い出したのが六時五分。目が覚めてから十八分。 ‥‥長い。一分が長い。一時間が長い。それなのに一日は短い。すぐに陽が暮れる。一年はあっという間に過ぎ去ってしまうというのに、四日前の出来事がまるで何年も前のことのようである。昔のことはよく思い出せるのに。近くが霞み、遠くが明瞭なのだ。 ‥‥やはり益子徳一、認知症一歩手前か‥‥ という感じで、一冊延々と綴ったのが本書である。これを書いた時、京極夏彦46歳。まるで自分の体験を書いているかのようではあるが、これは紛う事なき「創作」なのである。いつものように装丁の組版も京極夏彦が担当し、フォントの大きさから、ページの最終行にどの文句がくるかまで、綿密に「計算」して文章を作っている。それに乗って、私も若いのにまんまと自らが老人になったような気分になって‥‥、いやその割にはあまりにも既視感ありありではないか。徳一と私と似たようなところが次々と出てくる‥‥、いやいや、未だ私は地デジの何たるかは知っていたぞ、いやあれはもう十二年前だから当たり前か、そうではなくて、ホラ、スマホをプラスチックケースの箱だという徳一を諭すことができるし、カセットテープは燃やせるゴミだということも検索して直ぐにわかったぞ、まぁ時代が12年もあとなんだからそんなに威張れないか‥‥、いや‥‥、いやいや、いかん、私も枕元で既に一時間近くこんなことを書いてるぞ‥‥
2021年11月02日
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「怪獣8号」(〜4巻)松本直也 集英社ジャンプコミックス 映画「シン・ウルトラマン」や「大怪獣のあとしまつ」にタイアップした企画であるのは間違いないのだけど、それ以上にオリジナル性ある新しい怪獣漫画。最新巻(4巻)まで一気読み。 松本直也さんは、ぽっと出の新人だと思っていたが、ウィキで調べると2005年デビューの16年選手だった。前回は魔界もので、魔界世界視点の人間(女子高生)との交流を描いていたようだ。 本書は巻末に制作協力として「背景美術 小岩井治(おさプロ)」「仕上げ 桜二朗」「銃器デザイン マントヒヒ・ビンタ」という「プロ集団」の参加がクレジットされていた。これは最初から「ヒットさせるのが前提」「映像化が前提」の「コンテンツ売り」の作品だと私は推測する。(←編集者の仕事はコンテンツ売りだと今年学習した) だからといって必ずしもヒットするのかはわからないのが、本音でマンガ読みをする読者がウヨウヨいるこの世界のシビアな所なのだけど、コレは成功していると思う。ジャンプ編集者頑張りましたね。 4巻まで出て、リアルな現代技術世界を描きながら、ファンタジーな世界観を構築している。原作者はクレジットされていないので、これは松本直也さんの世界観なのだろう。 強い怪獣の「何か」が中年男に取り憑いて、怪獣討伐隊に参加するという「デビルマン」オマージュのストーリーから、何故取り憑いたのか、何故怪獣が襲撃する世界になっているのか、何故突然強力な怪獣が次々と現れるようになったのか、人間はこの世界にどのように対応してきたのか、してゆくのか、という「謎への問いかけ」を、この4巻までに出し尽くしたと思う。あとはこの謎の解答編を展開するまでだ。絵はプロ集団がバックアップして、まるで映画を観ているよう。キャラクターがアニメ寄りだけど、これは仕方ない。 4巻目で、隠しに隠していた、主人公が実は怪獣8号だったという設定。怪獣10号の討伐と引き換えに、それが防衛隊に知られてしまう。当然主人公だから、このまま殺されるわけないとは思うが、これからはステージが変わるだろう。「ウルトラマン」になるか「デビルマン」になるか、愉しみ。
2021年11月01日
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「ミステリという勿れ」(3-8巻)田村由美 小学館フラワーコミックス この数年続きが気になって仕方なかった本シリーズをやっとまとめて読めた。前回、ホームズにおけるモリアーティ的なガロさんの陰謀で、広島の旧家の遺産相続争い(?)に引っ張られた整(ととのう)くんの活躍から(3巻〜)8巻まで一気読み。 ドラマとかでもそうです。証拠を出してみろとか言うのは、たいてい犯人です。無実の人はそんなこと言わないと、僕は常々思っています。(3巻) 僕は常々思っているんですけど、そういう古い掟とかルールは、別に天から降ってきたわけじゃ‥‥‥‥人がつくったものは、人が変えていいんだと思います。だって、人は間違うから。(3巻) 僕は常々思っていて、ドラマなんかの爆弾犯はどうして、予告どおり、表示どおりの時間に爆発させるんだろうって、表示よりちょっと前に爆発する様に仕込んでおけば、大勢を巻き添えにできるだろうに‥‥「できるだろうに」ってことはないけども。(4巻) 広島編の広島弁はかなりの「本格」です。映画「虎狼の血」でさえ使わないような‥‥てっきり作者は広島出身かと思いきや、4巻のおまけで、声優の佐々木望監修と書いていた。何故か感心した。 5巻冒頭で指導教授の天逹先生が映画「ビリーブ 未来への大逆転」を大プッシュしていた。筋と全く関係ないが、嬉しかった。その先生が「人に会い、人を知りなさい。今のうち。」「ただし、犯罪が絡むようなら逃げてくださいよ」という素晴らしいアドバイスを整くんにしていた。もしかして、ここでこのシリーズのテーマが出たんじゃない? 6巻は、よもやよもやのまるまるガロ編。今まで疑問だったところのピースが埋まり、また、新しいピースが付け加えられた。大長編の予感! 僕、常々考えているんですけど、どうして自動車だけ、事故が仕方ないと思われているんでしょう。(7巻) 6巻で、大長編が始まると予想したのだけど、7巻は、また別物語でした。でも整君の過去が少しわかって嬉しい。天逹先生の正体、もしかして6巻の謎のカウンセラーかと疑っていたんですが、その気配なし。7巻は純粋に天逹ゼミの「別企画」なのか? それで8巻でとうとう大長編が始まるかと思いきや、またもや大鬼蓮美術館編の中篇。でもここでライカさんの秘密が明かされる。そして遂にガロさんが整くんに近づいた。 これは「絶対テレビドラマに向いている」と言ったのは、もはや遠い過去の、1巻目の感想の時。「僕は常々思っているんですけど」という台詞は絶対流行る。何でここまで遅くなったのかは知らないけど、来年の1月にドラマ化が決まった。主人公整くんには菅田将暉というピッタリの実力派が決まっている。 ここで時間切れ。 9巻以降はドラマが始まってから読みます。 おまけ 僕 いつも思うんですけど、血液が水より濃ゆいのは当たり前で、そのまますぎて、もっと他に水じゃなくて何かたとえるものがなかったんだろうかって‥‥(3巻) 僕は常々思っているんですが、もし家にいて家事と子育てすることが、本当に簡単で楽なことだったら、もっと男性がやりたがると思う。でも実際はそうじゃない。ということは、男性にとってしたくない、できないことなんです。(3巻)
2021年10月28日
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「ヴィラ・マグノリアの殺人」若竹七海 光文社文庫 若竹七海の葉崎市シリーズ第一弾。ジャンルとしては「コージーミステリ」というものらしい。でもこれホントにコージーなの?喫茶店や古書店を舞台に、悩みを抱えた客の謎を、店主のお婆ちゃんや若い女性が解いていくものではなかったの? 作者本人がカッパノベルズの初版でコージーミステリを説明しているらしい(「解説」より)。 ‥‥小さな町を舞台とし、主として誰が犯人かという謎をメインにした、暴力行為の比較的少ない、後味の良いミステリ‥‥これが「コージー」らしい。更にこの作品を説明して「重苦しい情念の世界も、鬼面人を驚かす類の大トリックもありません」と断ったうえで「舞台は海沿いの閑静な住宅地」で、「それぞれ一癖ありそうな住民たちが、ご近所に降って湧いた謎の死体に右往左往する、犯人さがしのミステリ」と説いている。 この定義は若竹七海さんの視点で語っているので、眉唾です。殺人死体は2体登場するし、決して後味の良い感動作でもない。ラストエピソードまで読むと、なかなか「黒い情念」もある。しかも私はこのトリックに辿り着けなかった。もっとも、ほとんどのミステリでは辿り着けないんだけど‥‥。因みに「深夜の散歩」をして午前三時まで読みきれなかったからと言って、ラストの種明かしを先に読むようなことは私はしません。 それでも、 10軒の住宅の住民の、特に女性から発せられる辛辣な言葉の数々 双子の麻矢と亜矢が無邪気に悪意を持って2人交互に喋りながら重要証言をする、見事な仕掛け 刑事の聴き取り、レストランで住人同士の会話、密かに行われる密謀、共犯者?アリバイ?被害者の正体?そして意外な犯人‥‥ やはり徹夜してでも一気に読むべきだった。 諦めて睡眠は取ったのだけど、 時々仕事に支障をきたしてしまった。 葉村晶シリーズにちょくちょく出てくる作家・角田港大が重要な役割を持って登場していた。更には葉村らしき人物がたった1行だけ登場する(台詞も作品への影響もなし)。よってレビュー界隈ではその話題で持ちきりという、まぁありがちなサービスもある。 10月初めの台風の日から始まる3日間を中心にしたミステリ。決して季節を狙ったわけではありません。年間10冊は若竹七海を読もうシリーズの7冊目。
2021年10月27日
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「愛憎の檻 獄医立花登手控え(3)」藤沢周平 文春文庫 藤沢周平は海外ミステリのファンということで知られている。獄医者という、犯罪者を取り締まる側にも被害者にもならぬ、人間として接せざるを得ない立場に主人公を置くという秀逸な設定は、海外ミステリから題材を採ったのではないかと当たりをつけていろいろ検索した。見つけ切らなかった(最近の「プリズン・ドクター」という海外ドラマはある)。70年代までのミステリで、そういう小説が有ればぜひぜひ教えてもらいたい。 違う設定で考えると、日本の時代小説にはお手本がある。山本周五郎「赤ひげ」である。底辺にいる市井の人々と、修行中の医者との組み合わせである。ただし、立花登には赤ひげはいない。ほとんど仁術は行わない。立花登は、弱い者の立場に立つ普通の医者であり、たまたま柔術の達人なので、危ない橋を自ら渡るのである。 お陰で、本書には6篇もの短編があるが、全てあっという間に解決している。文春文庫版の表紙にはそのうちの一編「片割れ」の一場面が描かれているので少し紹介すると‥‥。 登の獄医の非番の日、叔父夫婦が出かけているので羽根を伸ばしていると、急患がやってくる。見るからに人相の悪い男の刀傷の手当だった。その後、登は牢獄で破傷風の男の手当てをする。見ると同じような刀傷で日にちも一致しているし、男の片割れは今は逃走中だという。だとすると、人相を見た登と従姉妹のおちえの身が危ない。登はあの手この手を使い、男の片割れを割り出す。襲ってきた片割れと登は対決をするのだが、思いもかけない事実が‥‥。 表紙の右側にいる娘がおちえである。いっときは不良娘とつるんだり、叔母に習って登を呼び捨てにしたり、どうしようもない小娘だと登も思っていたのだが、1巻目で危機一髪を救って以降かなりしおらしくなる。表紙のように登の指示に従って湯桶や焼酎を持ってくるなど、前は考えられなかった。未だに登は小娘と思っているが、ふと大人の(美人の)顔を見せたりする。この辺りがエンタメ藤沢周平の上手いところ。 犯罪者にはそれぞれの人生があり、藤沢周平は行間にそれらを埋め込む。蓋し、何度読んでも退屈しないのは其の為である。
2021年10月18日
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「夜のピクニック」恩田睦 新潮文庫 「本屋大賞受賞作は全て読むことにしている。受賞作を私は流行小説の窓としている」(「かがみの孤城」)などと宣言したものだから、ちょっと急いで過去の未読作品を読むことを、来年「流浪の月」文庫化までの課題としたいと思う。殆ど映画化されているので読んだ気になっていたんだよね。今のところ読む気のない一作(※)を除いては、あと5作残っている。 ※誰とは言わないけど、一人だけ受賞者の中に嫌いな作家がいるだけの話。映画は公開時に観ている。 「夜のピクニック」は2005年、第二回本屋大賞受賞作にして恩田睦受賞一作目。06年に映画化されて、当時高校生の多部未華子が主演した。終始怒った顔をしながら、ラスト場面でとても可愛い笑顔で締めたのが印象的だった(印象的な台詞を吐いた戸田忍役の郭智博くんは今どうしているのだろう)。 進学校の北高は、毎年全生徒一昼夜を歩く80キロの鍛錬歩行祭をする。三年生最後の歩行祭の数人の男女の一部始終を描いた小説である。映画は残念なものに終わったが、小説は傑作だったと思う。やはり読んでみなければわからない。 暫く読んで「恩田睦さん、絶対何処かで一昼夜歩いてみてるな」と思った。関係者の取材だけではわからない、歩いてみた者しかわからない「実感」に満ちていたからである。ところが調べると、彼女の母校の年中行事だったらしい。実際は70キロと少し短いけど、恩田睦は3回も実体験している。 私もある年中行事で、約30数年間、一日で20-30キロ歩く体験(最高は40キロ)を続けてきた。少し彼女たちの気持ちもわかる。準備のための煩わしさや実行委員たちは彼女たちの倍の運動量が要ることも理解している。だからこそ、それに乗っかってただ歩くことが、どんなに貴重な経験なのかも少しだけ知っている。 みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。 あとで振り返ると、一瞬なのに、その時はこんなにも長い。1メートル歩くだけでも泣きたくなるのに、あんなに長い距離の移動が全部繋がっていて、同じ一分一秒の連続だったということが信じられない。 それはひょっとするとこの1日だけではないのかもしれない。 濃密であっという間だったこの一年や、ついこのあいだ入ったばかりのような気がする高校生活や、もしかして、この先の一生だって、そんなそんな「信じられない」ことの繰り返しなのかもしれない。 「つまんねえ風景だな」 融は、そう呟いた。 「だな」 忍も同意する。 何もない田んぼに、屋敷林に囲まれた住宅が点在するだけ。田んぼの中を横断するように、送電線の鉄塔が点々と連なっている。確かに風光明媚とは言いがたい。 「でもさ、もう一生のうちで、二度とこの場所に座って、このアングルからこの景色を眺めることなんてないんだぜ」 忍は例によって淡々と言った。 「んだな。足挫いてここに座ってることもないだろうし」 不良生徒がたむろする怒涛の高校生活を描いた小説よりも、進学校の生徒の青春を描いたこの小説が、先ずは本屋大賞に選ばれたことを私は喜ぶ。
2021年10月16日
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「祝祭と予感」恩田睦 幻冬舎 祝 祭 と 予 感 「祝予」と「祭感」と 読む人もいるかもしれない。 「祝」「祭」「予」「感」と 読む人もいるかもしれない。 記譜のほうを音楽に寄せるんだ 音楽を譲るな 記譜のほうに譲させるんだ(186p) 袈 裟 と 鞦 韆 より 音楽は自由だ。 それを描く小説も自由だ。 だから ほとんど旋律の描写だけで描いた 「蜜蜂と遠雷」の外伝は 全く旋律の描写のない小説に 終始した。 物足りないだろうか。 私は 充分豊かな時間を貰った。 電子書籍で遂に200円を切った ので 読ませてもらった。 ありがとうございます♪
2021年10月14日
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「詩歌川百景(1)」吉田秋生 小学館フラワーズコミックス 思った以上に充実した一冊だった。 特別なドラマは起きない。河鹿(カジカ)鳴く川が名物の架空の小さな温泉街の日常を描いたマンガである。そこで育った子供たちは独り立ちの秋(とき)を迎えている。その1年間をゆっくり描いている。「海街ダイアリー」と地続きの世界。いつか是枝監督が描いてもいい(描くべき)世界だと思う。 吉田秋生はデビュー時から少女マンガに大人の身体を持ち込んだ(「カリフォルニア物語(1979)」)。当時美大に在学していたから身体のデッサンはしっかりしているが、おそらく理由はそれだけではない。吉田秋生は周りが子供であることを許さない環境で「健全に」育ったのだろうと、私はいま推測している。例えばこの作品の登場人物のような。温泉街の子供たちの親は「わけあり」が多い。流れ着いて家族を作ったり、出戻ったり、置いて行ったり‥‥。 「きれいなだけじゃすまないことも、ここに住んでみてわかったわ それでも雪はきれい いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもないわ」 大学受験をせずに、あずまやで働くことを選んだ小川妙はそう呟いた。 一回それぞれの登場人物の家系図を作ってみないと、何が何だかわからなくなるけど、それは次巻ということで。
2021年10月12日
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「プラチナエンド」全十四巻 大葉つぐみ・作 小畑健・絵 集英社コミックス 「デスノート」で、人を自由に殺せる究極のノートを、犯罪者撲滅で世界平和を実現させる考えを持った独裁者に持たせたらどうなるかを実験したのが前作だった。今回はその反対を目指した。 死神ではなく、天使を登場させて、欲望薄い死にたがりの若者に、神になる能力を与えた。人を惚れさせてコントロールできる赤い矢、人を殺せる白い矢、一瞬で世界を飛び回れる翼。 誰が神になるのか、前半は神候補達の「バトル」を描いたけど、後半はそもそものテーマが出てくる。人間は結局はこの絶望的な世界で生きていていいのか?という問いかけである。 「自殺は人間にしかできない死に方だ」 「いや、人間にしかできない1番不幸な死に方だ」 このような問答がずっと続く漫画である。 今回は、正面から哲学的な問いをテーマにしてしまったので、詰将棋のようなデスノートとは違って、かなり粗が目立った気がする。(書けばネタバレになるので分かる人には分かる書き方で言えば)「指パッチン」はないでしょ。別の言葉で言えば、荒唐無稽になった。でも、デスノートを描いた以上、別の視点から「生きる意味」は描く必要があったのだろうと受け止めた。コレは大葉つぐみの誠実さだろう。 ストーリーの大葉つぐみは、一応哲学的な答えを出しているかのようではあるけれども、そもそも、そういう神様は「まだ現実には実在していない」のだから、この結論が「正しい」かどうかの検証は不可能である‥‥若い人たちには、そこのところを間違えないでもらいたいと切に望む。 まあ、面白かった。 天使は自分のことを「匹」ではなく「羽」で数えて欲しいらしい。‥‥「体」じゃないんだ! 神候補はなんと「体」で数えられていた。‥‥「柱」じゃないんだ。 星に願う時「世界が平和になりますように」 という有名サイボーグ漫画のパロディがあったり、 デスノートで出てきたさくらテレビが活躍していたり、 それなりに作者も楽しんでいるようです。 2016年第一巻発行、2021年十四巻完結。大葉つぐみ先生、次は妖怪でしょうか?
2021年10月11日
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「総理の夫」原田マハ 実業之日本社文庫 いま色々と話題が被っているので、紐解いてみました。映画のキャスティングは絶妙でしたね。中谷美紀は暫く振りの日本、暫く振りの主演作。天然の夫(田中圭)に、美貌と知性を持つ少数政党の党首にして初めての女性総理大臣、正に当て書きをしたかの如く、ピッタリでした。当然公開は自民党総裁選がありそうな今を狙っていたはずです。 話題を呼ぶこと間違いなし。企画段階からハラグロい原久郎(民心党党首)並みのプロデューサーの狡猾さが光る‥‥。いや、文庫の「企画」も大したモンです。まさかの安倍昭恵元ファーストレディに「解説」を書かせるとは!2016年12月文庫刊行だから、モリカケ、さくら疑惑の直前です。絶妙なタイミングです。(そこで書かれている事実「自分が会いたい時に人に会う」等、重要な証言も書いてしまっています。だからアレコレやってしまったんだな、と納得です) あ、いや、物語の中身については諸処の方面に支障があるので詳しい言及を控えさせて頂きます。という言い方は、政界はともかく書評の世界では通用しないか‥‥。 凛子氏の繰り出す政策の数々、特に消費税の複数税率での増税について反対するものではありませんが、私は幾つか異論がある(これ以上書くと諸処に支障があるので‥‥)。 また、働き方改革も若干異論がある。 そして、おそらくわざとやっているとは思いますが、安全保障政策については一言も触れられていないこと、等この小説の限界は指摘しておかなければなりません。 また、ラストのエピソードのドタバタについても、あんなにクドクドやらなくても良かったと思う。あんなことは、ニュージーランドの首相が数年前に果たしているし。コレも10年前の小説の限界か。 でも、こういう首相ならば、基本的に歓迎です。早くこういう日本になって欲しい。 一つ言うと、相馬凛子総理大臣は第111代なので、あと11代総理が変わらないと誕生しません。残念ですね。
2021年10月06日
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「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん」高野文子作・絵 福音館書店 高野文子初めての絵本執筆、ということだけで手に取った。この時点(2014年)で、「黄色い本」以来12年間本を出していなかった。それから同年にもマンガ本を刊行したが、またそれ以降沈黙している。ともかく寡作なのだ。今も沈黙しているけれども、未だに存在感はずっとマンガ界ではハンパない。 さて、絵本である。 基本線は筆だ。 今回も、過去の表現を捨てている。 3歳くらいの男の子の 寝る前の不安 おねしょ、手と足の冷え、怖い夢 しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん にお願いしたら まかせろ まかせろ おれに まかせろ とっても頼もしい答えでした きちんと守ってくれました 「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん いつも いろいろ ありがとう」 男の子には毎晩 寝る前に 読んであげたいですね
2021年10月05日
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「風雪の檻 獄医立花登手控え(2)」藤沢周平 講談社文庫 (1)で止めようと思ったのだけど、ブリが付いてやめれなくなった。若いイケメン獄医と不良娘あがりの美人の従姉妹との進展も気になり、本巻はまるまる五つの短編を通して獄医の柔術仲間・新谷弥助の転落を後一歩で止めるという顛末も描かれていた。次第とシリーズモノらしき仕掛けも増えてくる。 文庫うしろにある年譜を見ると、1978年「小説現代」に連載を始めた頃、藤沢周平は月に2つも3つも短編を書いていて「隠し剣」や「用心棒日月抄」シリーズを次々と産み出していた。80年6月に(1)を刊行、81年3月にこの(2)を刊行している。脂の乗り切った頃の作品である。 それぞれに哀しい女が出てくる。 悪人を避けて何度も転居を繰り返す女。 ホントは隣の牢にいるのに、男の中では清いままの女。 (1)で入牢していたおしんが、少し元気になっていた。 登もいったんは騙される「化粧する女」。 夫を冤罪で嵌められているのに、色男に騙される妻。 藤沢周平の筆は凡ゆるタイプの女を描くが、その「真相」を突き止めるのは、「コイツホントに女の心のヒダはわかっているのか」と疑問を抱くような若い獄医である。 主人公だし、イケメンだし、基本は正義感溢れる人情篤いいい男なので、こういう評価はほとんどないとは思うのだが、立花登は基本「むっつりスケベ」である。それはラストのページに現れている。立花登の行為は、むかしは許されていただろう。現代果たして許されるのだろうか?少し気になる。
2021年10月04日
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「スティーブ・ジョブズ」全6巻 ヤマザキマリ (原作)ウォルター・アイザックソン 講談社 ローマ時代の風呂設計士から21世紀のカリスマ経営者に、なぜ連載漫画が移ったのか?それは読めばわかる。 似たもの同士だったからである。 全6巻いっき読み。 世間に合わせたくない。 自分に自信がある。 嫌なことはしたくない。自分の子供と認めたくなかったら裁判も辞さない(のちに父娘は和解している)。 社会人になっても、菜食主義者は身体が臭くならないと信じて風呂に入らなかった。 生涯お金の心配をしたことがない、お金の心配など拒否した。 がん治療も最初手術を拒否して凡ゆる自然療法を試そうとした。 会社の社員はずっと振り回された。しかしだからこそ、創造的な仕事をした。 プレゼンテーションでアップルの差別化を上手く果たした。 賢いけど、自我を通す人。 それがヤマザキマリだと思う。 そもそも私は普通こんな自伝(評伝)は読まない。経営者の自伝なんて、礼賛一辺倒が普通だ。けれども、かなりきちんとした自伝(評伝)だった。ヤマザキマリが惚れただけある。 アップルの最初の思いつきが聖書からではなく、りんご農園から帰る途中の思い付き、「元気がよくて楽しそうで、コンピュータの語感も柔らかくなるし、自然回帰というカウンターカルチャーの意味も持つし、電話帳の初めに載る」という理由からということで、かなり感心した。また、ピクサー創設に完全に深く関わっていたことを知り、ピクサーファンとしては驚きだった(←もしかしたら、常識?)。iPhone創出エピソードは、もっと劇的に描くかと思いきや、普通の商品と同等だったので、それもびっくり。それよりもiMacの方が力が入っていた。アップル社がこれで起死回生のV字回復をしたのだから、当然なのかもしれない。 文字情報だけだったら、興味深く読めなかったのかもしれない。よくわからない商品の具体的イメージがわかないから。しかし、マンガだとよくわかったし、ヤマザキマリは、ホントにきちんと調べて、人物たちの年齢による変貌もほとんどそっくりに描いた。画家としてのしっかりしたデッサン力の賜物だろうと思う。
2021年10月01日
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「子供はわかってあげない」田島列島 講談社 映画を観て紐解いた(ちなみに作品は上白石萌歌の現時点の代表作品になり得る)。 映画の作風から想像して、前回読んだ「水は海に向かって流れる」と同じような、いい具合に削ったセリフと画で構成された、言いたいことをすっかり飲み込んだ漫画だとばかり思っていた。 2014年発行。この6年間に作者はセリフを削りに削ることを覚えたようだ。映画(沖田修一監督)はむしろ、「水は海にー」の映画パイロット版をつくったのかもしれない(次は「水は海にー」か!?)。原作の方はかなり饒舌だった。むしろギャグテイストが濃い。映画だから、「教祖、教団のお金持ち逃げ事件」「明とお爺さんの和解」を省略したり、その他ラスト3回分のエピソードは半分ぐらいに圧縮していた。その代わり、アニメ「魔法左官少女バッファローKOTEKO」のエピソードは思いっきり広げていて流石の映画だと思った。脚本家・ふじきみつ彦は覚えておこう。 閑話休題、漫画に話題を戻す。全2巻一気読み。 ギャグ漫画にありがちな、「笑って泣かせる」作品にしていない。かなりクールで、練られたネームだ。下の編集者の紹介文が、当時のマンガ編集部の興奮をよく表している。 内容紹介 (上巻)水泳×書道×アニオタ×新興宗教×超能力×父探し×夏休み=青春(?)。モーニング誌上で思わぬ超大好評を博した甘酸っぱすぎる新感覚ボーイミーツガール。センシティブでモラトリアム、マイペースな超新星・田島列島の初単行本。出会ったばかりの二人はお互いのことをまだ何も知らない。ああ、夏休み。 (下巻)あの時キミと出会わなかったら、こんなに素敵な夏にはならなかった。サクタさんともじくんのひと夏の青春お気楽サイキック宗教法人ハードボイルドボーイミーツガール、後半戦。イノセントでストレンジ、モーニング超期待の新星、田島列島の初単行本作品です。 (あとがき) 下巻において、作者は4ページのマンガのあとがきを描いていた。私と同じように「なんらかの理由をつけないとホントにやりたいことに手をつけることができない」病にかかっていると、私は観た。「趣味で長編を描いてみようと思い立った」と自分に言い聞かせ、「これは趣味なんだ、これは趣味なんだ」と、2ヶ月間引きこもってネーム全20話を書いたようだ。連載が決まっても、下絵を描くほどに下手になってゆく病にかかったようだ。もう、ほんとに彼女を同類相憐れむように観る私がいた。でも結局彼女は傑作を完成させて、映画化までされた。私は、「俺はいったい何やってんだ」と「ひとり自分を苛む」病にかかったのはいうまでもない。
2021年09月30日
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「アンブレイカブル」柳広司 角川書店 表題の意味は複雑だ。unbreakableは一般的には「壊せない」を意味する。しかし用法としては「壊すのが困難な(困難だが不可能ではない)」という使い方をするらしい。更に著者は最終行、ある人物の呟きを借りて「敗れざる者」と表現している。これは沢木孝太郎のルポの題名にもなったが「才能に恵まれながらも栄光をつかむことのできなかった」者たちという意味で使われたらしい。 だとしたら、小林多喜二や鶴彬、戦時下の「改造」や「中央公論社」の編集者たち、その他特高警察によって逮捕され、拷問や劣悪な環境で死んでいった千数百名の(三木清含む)「アカ」たちを、著者はそのように「顕彰」したかったのだろう。今更ながら。 小林多喜二を主人公にした小説は多数ある。特高による犠牲者の物語もよく聞く。しかし、川柳作家・鶴彬や特高による冤罪・横浜事件、哲学者・三木清に焦点が当てられた小説は初めて読んだ。四つの物語を通して出てくる、特高の「クロサキ」という人物を黒子として今回描いたのは、昭和の戦中の暗黒時代そのものだったと思う。副題をつけたならば、もっとわかりやすかった。「それだとあからさまです」と言って編集者が反対したのかもしれない。例えば‥‥「治安維持法物語」。うん、やっぱりダサい、止めた方がいい。 著者は前著「大平洋食堂」で近代日本社会主義の勃興期と大逆事件(1910年)前夜を描いた。本書で、そこから一挙に20年だけとんで、そして1945年までの15年間の最悪の時代を描いた。こう書くと、なんと短い間なのか。まるまる人の一生の半分の期間ではないか?日本の自由と民主主義は、そんなにも急速に悪化したというわけだ。 著者の問題意識は明らかだ。著者は岩波書店「図書9月号」に「アンブレイカブル」を引き合いに出してこう書いている。 ‥‥治安維持法の最大の問題点は、本法が変革を禁じる「国体」の概念が曖昧だったことだといわれる。曖昧な法律用語に現実が抵触しないようどうするのか、具体的な方策は現場の裁量に丸投げされた。「適当に処置せよ」というわけだ。上から「テキトーにショチせよ」と言われた現場はたまらない。何をどこまで取り締まるべきか?上の顔色を必要以上に窺う者が必ず出てきて、彼らはほぼ100%やり過ぎる。最近では佐川宣寿元理財局長がそうだ。(8p)‥‥ 過去のことじゃない。今この瞬間にも、この国のそこかしこで起きている事態だ。 治安維持法に唯一反対していた代議士・山宣が右翼に刺殺されたのも、当夜「たまたま」特高が山本宣治を尾行していなかったからだ。クロサキは殺したのは特高の指示ではないという。労働者の谷は嘯く。「現場の連中が勝手に忖度してやりすぎた。よくあることだべ」(54p) 「京大はじまって以来の秀才」三木清が治安維持法で捕まり、獄中死する運命を知りながら、クロサキは「どうせアカの連中だ。わざと殺したんじゃなけりゃ、どこからも文句は出ない。いつものことだ」とつぶやく。(261p) 三木清は終戦後1ヶ月以上経過した昭和20年9月26日、豊多摩刑務所拘置所内の劣悪な環境の中で死んでいるのを発見された。 2021年9月26日読了
2021年09月29日
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「名探偵は密航中」若竹七海 光文社カッパノベルズ 光文社文庫ではなく、カッパノベルズ版(2000年発行)について述べます。というのは、ここで書いておかないと編集者がせっかく寄せてくれた後ろ扉のステキな本書紹介文が、絶版になった万巻の書物の下に隠れて無くなってしまうだろうと思われるから。 この物語の主舞台になる日本郵船所属の客船・箱根丸は1921年(大正10年)、三菱長崎造船所で建造された。 船室は1等、2等、3等に分かれ、図書室や社交室、子供遊戯室まで用意されていた。また、熱帯地方を航海中には〈清鮮なる海水を湛えた一大遊泳槽を設け(「日本郵船渡欧案内」より)〉暑さに参った船客を癒したようだ。 オムニバス小説という形式で、箱根丸の魅力を存分に引き出した若竹七海。読者もページを開いて、昭和初期の欧州航路の船旅に乗り出してください。 カッパノベルズは、このように一見内容と関係ない文章がよく載るで好きです。私と趣味が合う(笑)。この1ヶ月半の船旅の最中に、詐欺、殺人、脱走、密航等々の非日常が、クローズドミステリとして描かれます。形式も、コージーからホラー、本格まで様々。登場人物は錯綜しているので、何度も読み返すことも可能。作者はかなり楽しんで書いている風です。旅はホント楽しい。非日常で、「発見」がそこら彼処にあるから。 でも感想を一言で言うと、 一度はしてみたい豪華客船の旅! ぐらい。 若竹七海年間10冊は読もうシリーズの6冊目。一応季節は昭和5年7月12日から8月31日(横浜→ロンドン)となっています。 まるきり内容とは関係ない話(^^;) 2000年発行の初版本を県立図書館で借りたのだけど、後ろにカード入れが残っていた。この時期に未だカード検索をやっていたのか?と、図書館沿革を調べてみたら、「平成11(1999年)年4月ホームページを立ち上げ蔵書検索システムを立ち上げ」とあった。おそらくこの時期は、カード検索と電子検索の併用の時期だったのだろう。カード検索の時代は昭和かと思っていたが、こんな最近なのだとびっくりした。あのカード検索専用の家具は、今はいったい何処に行ったのだろう。
2021年09月26日
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「ペンギンハイウェイ」森見登美彦 角川文庫電子版 ぼくはあまり頭はよくなかったけれども、小さいころからマイペースだった。だからこの作品中の小学四年生〈ぼく〉には少なからず共感をした。 ぼくの妹は最近になって「◯ちゃんはいつも気がついたら何処かへんな処に行ってしまって落ち着きがなかった」とのたまった。だから「◯ちゃんは隠れアスペルガーよ」と言った。そうじゃない。ぼくは「世界的な発見」をしている最中だったんだ。 ぼくはある日、人はみんな死ぬ、ってことに気がついた。隣のヒゲのおっちゃんがある日死んで小さな葬式があったので気がついたのである。ちょうど〈ぼく〉のように、そのことに気が付いたのは小学四年生の頃だったと思う。 〈ぼく〉のように、ノートに詳しくつけて「研究」することはしなかった。毎日うじうじ悩み、時々こわくなった。 〈ぼく〉は普通に突き詰めれば世界的な発見(不思議な異次元的な裂け目のこと)をたんたんと「研究」する。あたりまえかもしんない。その頃は「世界的な発見」はそこらかしこにあった。 〈ペンギン・ハイウェイ〉も〈世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる〉ってことも、〈お姉さんの顔がなぜ完璧に出来ているのか、なぜお姉さんのおっぱいが気になって仕方ないのか〉も、全て「世界的な発見」だ。きっとそうだ。ぼくもほんとうは「発見」していたのかもしれない。でも〈ぼく〉のように素早くノートにとる技術を持たなかったから、もう忘れているのかも。
2021年09月25日
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「銀河鉄道の夜」宮沢賢治原作 ますむらひろし・画 扶桑社文庫 ますむらひろしの「イーハトーブ乱入記」を読んで紐解いた。そこで出されたいくつかの問い「ケンタウル祭で川に流される烏瓜」「天気輪の柱とは何か」「三角標とは何か」「プリオシン海岸」「ボス」「ハレルヤではなくハルレヤと歌われたこと」「幻想第四次とはどんな世界なのか」「どこまでも行ける切符とはどんな切符だったのか」「プレシオスの鎖とは」等々‥‥を、確かめたかった。 ご存知のように「銀河鉄道の夜」は有名なわりには、不思議な言葉が散りばめられている。多くは明らかにはなったけど、原作自体が改稿中の未完成作品であり、まだ謎も多い賢治の代表作です。このマンガが発表された当時は解説する辞書などはなかったし、解明されていないことは多かった。マンガで画にする時には、これらの解釈を避けては通れない。このマンガで初めて画になったことはあまりにも多いのです。 迷ったけど、発表順に読んだ。つまり、第三次改稿の「ブルカニロ博士編」を読む前に第四次改稿を読んだ。第四次が約100頁、第三次が約200頁だから、情報量は倍化している。 ケンタウル祭で精霊流しのように流される烏瓜は、上だけ丸く掘られてそこに灯りを入れる仕組みに描かれていた(船の形ではない)。そうすると、烏瓜の灯りは星のように川を流れる。ますむらひろしさんは「ー乱入記」において、星座表と見比べながら原作の日付を8月15日、つまりお盆の日と結論つけている(ちなみに今年の旧暦の8月15日は9月21日でした)。やはり、妹としこのために書かれた物語だということが、そのことでもわかる。 第四次稿において「あの謎めいた天気輪の柱が、いつの間にか三角標の形に変化する」場面、実はますむらひろしさんはこの時(83年)に三角標の形をハッキリ意識していなかったので、灯台のような天気輪に木造の旗がつくような描写になっていた。第三次稿(85年)はまた違う表現になっていたが、今度は数頁に分けてジョパンニが銀河鉄道に乗る重要な場面を三角標を使いながら描いていた。ただ問題は第四次改稿には、その詳細な描写はないのだ。 銀河鉄道なのに、「がらんとした桔梗色の空」には星々はない。まるでアメリカの峡谷のようなプリオシン海岸を含む川の中に無数の星々がある。此処では明確に川が「天の川」になっている。これが「幻想四次元世界」のひとつの姿だった。川の周りでは、鳥を捕る人もいれば、トウモロコシもできるし、林檎さえできる。イーハトーブがそもそも幻想四次元世界なのかもしれない。 川では発掘調査もしていた。120万年前の地層から出てきた「ボス」という牛の先祖が、恐竜のように大きい。その形は「ブルカニロ博士篇」で初めて明らかにされる。 賢治はまるでキリスト教徒のように、銀河鉄道に乗った人々の様子を描き出す。けれども、賢治がキリスト教を信仰したわけではないのは、ジョバンニと沈没船に乗っていた家庭教師との論争を聴けばよく判る。賢治は正式にキリスト教と論争をするつもりはなかったから、彼らの歌を「ハルレヤ」と改変したのだろうか。 セロの声をした山高帽子を被った男の人が「おまえは、あのプレシオスの鎖を解かねばならない」とジョバンニにいう時、ますむらひろしさんはその先に北斗七星を見せた。これは一般にはない解釈である。ある人は旧約ヨブ紀の「プレアデスの鎖」のことで、それは「人間の手によっては解くことのできないものの象徴であるとされている」という人もいる。どちらにせよ、「北斗七星」が「解」そのものではないことは明らかである。 「どこまでも行ける切符」に書かれた「いちめんの黒い唐草模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもの」も、やはり画になった。ますむらひろしさんは、まるでサンスクリット語崩しのような文字を描いている。 謎はこれだけではない。 それは、現在描き続けられている完成すれば600頁のオールカラーの大作「銀河鉄道の夜 四次稿編」にあるのだろう。いつかは読まねばならない。いい値段はするし、マンガは図書館には置かないようだから、買わなくてはいけない。いつかは決心せねば。マンガの画のわかりにくい説明をつらつらと書いてしまった、私の拙い書評を最後までお読みくださってありがとうございました。 2021年9月21日 88回目の賢治忌に記入
2021年09月23日
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「ふところ手帖」子母澤寛 中公文庫 1961年9月発行。その一年後に不朽の名作「座頭市物語」(三隅研次監督)が公開される。本書は、その原作となったと聞き紐解いた。申し訳ないが、本書のたった10頁の短編「座頭市物語」の感想のみを書く。 天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目(めくら)の子分がいた。何処からか流れ込んで来て盃をもらった男だが、もういい年配で、でっぷりとした大きな男、それが頭を剃って、柄の長い長脇差をさして歩いているところは、どう見ても盲目などとは思えなかった。(120p) ‥‥書き出しである。 映画を観たばかりだから、びっくりした。こんな掌編だったこともそうだけど、切り口としては「史実」として書いていること、物語のエッセンスは映画のストーリーそのままになっていて、主な登場人物はそのまま名前が援用されていた。性格も姿かたちも原作のままである。その一方で、映画と大きく違う部分は、(1)座頭市は助五郎一家にたまたま流れ着いたのではなく、最初から子分になっている(2)おたねは座頭市を好きになるのではなく、最初から妻だった(3)座頭市と平手造酒との友情は一切無く、原作では平田深喜となっていた。(4)あくまでも、助五郎の自伝から採った史実として描いている。反対に言えば、それぐらいしか違う所がない。 この原作を読み、あの座頭市第1作目を観て、やがて26作も作られるシリーズものになることを知っていて、座頭市を演じた勝新太郎が座頭市そのままに太く短く生きたことを知っている身としては、私は「ある感慨」を抱かざるを得ない。 ‥‥あゝこうやって伝説は出来ていくんだな。 元は居合抜きが凄い盲目のヤクザの話だった(それさえも事実かどうかはわからない)。安政年間の助五郎の自伝から約100年後に、子母澤寛という語り部が小さな悪役ヒーローとして作り替える。それを読んだ監督がかっこいい流れ者の悪役伝説をつくる。それを体現する圧倒的な役者が出現し、ありとあらゆる物語が増幅する。そうして、長いこと語り継がれる物語が出来上がる。 もしかしたら、スサノオ伝説は、このように出来上がったのかもしれない。 ‥‥それっきり、市とおたねは元より、おやじの滝蔵も、飯岡から姿を消してしまった。 その後の消息は確(しか)と知る由もないが、一説に足利在に住み百姓として静かな天寿を全うしたとも言うし、何でも遠く岩代の安積山麓猪苗代湖の近くの小高い丘の辺りに住んだともいう。おたねは、湖に映る明月の夜を、座頭の妻として悲しんだかどうか。(129p) ‥‥最終頁、最終行の描写である。おたねは若い身体を座頭の妻として過ごしても後悔することはないと、明月の夜に宣言したことを受けての最終行になっている。伝説の男の終わり方としては、一つの典型ではある。もう一つの(座頭市として暴れ回る)可能性はワザと書かれていないが、子母澤寛自身がそこまで化けるエピソードとは期待していなかったせいだろう。映画で万里昌代演じたおたねが、しあわせになって欲しいと、60年後の今になっては思う。
2021年09月22日
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