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5月4日(日) 旧暦4月7日 六曜は「仏滅」
実は4月後半に、娘が戻ってきました。
4日間だけお医者様の許可を頂いて、島まで戻る事が出来たのです。昨年3月東京へやり、闘病中にドナーが見つかり、無事骨髄移植を終えて、今回戻る事が出来たのです。
私にとっては、奇跡のような出来事でした。
完璧でない体調で、当日まで戻れるかどうかわからない状態で、自分のミッションだからと「一人旅」をして戻ってきました。
戻れる可能性は半々でしたから、あまり周りの人には言いませんでした。
でも、彼女はちゃんと戻ってきて3泊をこなし、そして東京へ帰って行きました。
医学の進歩と、支えてくれた長女夫婦と、ドクターやドナーさん達のお陰で、命を繋げることができ、4日間だけでしたけど、島に戻る事が出来ました。
言葉にすると、どう表現してよいかわからなくて、書けずにいました。あるいは、書き出すと思いが詰まって書き続けたかもしれません。
大切な4日間を過ごしました。
言葉が綴れないのですが、未来が前に開けた感じで、ほんとにすべてに感謝しかありませんでした。
この余韻が続いて、今どんな小さな事にも、幸せを感じてしまうのかもしれません。
彼女は今「寛解」に向けて治療を続けながら、彼女なりの軌跡を作っています。病気が判明した時から、その頃は治療がそこまで進んでいると知らず、自分の記録として残そうと思ったのでしょう、インスタグラムをスタートさせていました。
同じ病気を克服した人を、私たちがネットで必死に探していた頃です。
そして宮城県の元県知事「浅野史郎」さんや競泳選手の「池江璃花子」さん、他にもテレビのドキュメンタリー番組やユーチューブの中で、それぞれの型種は違えど、骨髄移植(造血幹細胞移植)を経て生還した方々を知ったのです。
幸い、娘も生還できました。
九州・沖縄地方に多く、母が同じ病で逝った時は風土病の一種と言われ不治の病でした。私の周りでも同じ病で亡くなった方が数人もおられます。
今は全国的に血液内科の1病気として、大きな病院では専門外来も出来るようになりました。ただ残念ながら、私の地元の沖縄では、まだ対応が遅い気がします。
運よく東京大学付属病院に入院出来たことから、今を迎える事が出来ました。我が家の最悪の出来事と思っていましたが、気づけば「幸運の連続」に変わっていました。今を迎える事が出来たのですから。 
<久米島空港にて>
みんなの力添えがあったにしても、よくここまで頑張ってくれました。インスタグラムもよく更新しているようですし、私も少しホッとしました。
私も必死でインスタ頑張ったんですけどね、とても追いつけません。
でも・・・・
でも、やっぱり途中で投げ出すのはダメですよね。彼女も頑張っているんですから。
娘のインスタグラムは「 gannko322
」と言います。何気ない1日を綴っていますが、生きる証を作っていってます。
私のは、私のはやっぱりちょっとやってから・・・・![]()
平凡な1日のなんと尊い事か。時々思うんです。
こんなことを思うなんて、今日のリサイクル店、暇なんですね![]()
。
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