全8件 (8件中 1-8件目)
1
以前に少しだけ懸念していた健康診断の結果が返ってきた。何気なくポストを覗いてみると、そこには見慣れた会社からの手紙が入っていた。封筒の大きさが給与明細のそれとは明らかに異なるところを見ると、私が畏怖している健康診断の結果が返ってきてそれが私の家へ転送されたという何よりもの証拠なのだろう。開けるのが怖いのは勿論そうなのだが、しかし悪いところがあった場合には開けてみないとわからない。机の上に封筒を置いて暫く悩んだのだが、意を決して開けてみることにした。問題があるなら早期に、それに限るというごくごく自然な流れに絆された結果だと言える。いざ封筒を開けて中身を見てみると…そこには「すぐに再検査を受けてください」の文字が。あぁ、やはりもう私はぼろぼろの体なのだなと悲しくなりそうになったのだが、見ていた項目が評価のつけ方についての場所だったのでほっと胸を撫で下ろした(笑)些か神経質になっていたのかもしれない。改めて見てみたのだが、どこも問題はなく、強いて言うならば白血球の数が少しばかり多かったくらいだった。しかしこれは小学校1年生の頃から言われていることなので、特筆して気にすることでもないと判断した。心配していただけにこの結果は非常に嬉しかった。あまり思い悩んでいたわけでもないが、それでも健康ですと言われると嬉しいものだ。ただ、視力だけは毎年少しづつ悪くなっているのがやや気になった。やはり仕事柄だろうか、伊達眼鏡が本当の眼鏡になる日もそう遠くないのかもしれない。さて、本題へ。今回はあるゲームに関する素朴な疑問について考えてみた。敢えてタイトルは記載しないが、まぁすぐにわかることなので気にしないようにしよう。要するに直接的か間接的かの違いしかないのだから。そのゲームは日本ではかなり有名なものだ。最近13が発売されたタイトルと双璧を成すゲームで、ドラゴンを討伐するというような名前のゲームだ。今では確か9まで発売されていたと記憶している。あまり正確なことはわからないが。そのゲームの主旨はおおよそ悪事を重ねる魔王を討伐するというような王道ストーリーで、仲間とともにレベルを上げながら魔王のもとまで辿り着くというような構成になっている。今回のテーマはそのゲームの中で出てくるある武具についてだ。邪心の面という言葉を聞けば、おおよそかなりの人数が反応するだろう。そのゲームのシリーズで初めて出てきた呪いの装備だ。装備すれば防御力が飛躍的に上がるが、常に混乱状態に陥るというような効果だったと思う。同じようにシリーズを重ねる毎に呪いの装備は沢山出てくるが、そのような呪いの装備の一部に武器がある。武器の場合には、装備することで攻撃力の飛躍的な上昇を見込めるが、呪いの装備というだけに何かしらのデメリットがある。例えば諸刃の剣だったら、与えたダメージの半分が自分に返ってくるというような具合だ。だがここで疑問がある。これは私が長年抱えている問題でもある。それは…装備すると呪われるという概念はわかるが、道具として持っている段階で呪われてしまうのではないかということだ。例えば上述した邪心の面について考えてみるといいのだが、邪心の面は文字通り「面」であるので、装備するという行為は頭部に「つける」ことになる。これは道具として邪心の面を持っている時とは違う扱い方だ。しかし武器の場合は装備するという行為は「手に持つ」ことであって、それはちょっと眺める為に手に持つことと同じ行為を指す。故にコマンドで装備を選ばずとも、道具として所持しているだけで呪われるのではないかという疑問だ。道具として持っていることと装備することに定義的な違いはあるのだろうか?その長年の疑問に対して職場の先輩が画期的な解決策を提示してくれた。私はそれを聞いて納得したのを覚えている。その解決策とは、「装備する武器は武器として手に持っているのだが、装備していない武器は専用のケースに仕舞ってある。装備する時に初めてケースから出すので呪いを受けることになる」というものだった。なるほどわかりやすい。これなら確かに呪いを装備時に受けるということに対しても説明がつく。全ての武器や防具はケースに入っているのだと考えると辻褄が合うことにも気づいた。しかしその考え方でいくと、ひのきのぼうがケースに入っていると武器というよりは建材だと思ってしまうのは私だけだろうか?(笑)追伸くーとの仲に進展あり♪
Dec 29, 2009
コメント(0)
仕事で手痛いミスをしてしまった。いつもの私ならそんなことは絶対にしないようなミスをしてしまった。根本的な原因は何か、それを考えると、反省することしか生まれてこない。要するに注意力が散漫になっていた結果がそのようなミスに繋がったと言えるだろう。今の現場に配属されてからもう1年半経つが、これだけのミスをしたのは初めてだ。だからこそ落ち込んでしまうものだ。私はもともと打たれ強い方ではない。だから一生懸命に自分の仕事だけではなく、他の仕事も片付けてしまって現場の中での存在感をアピールしようとしていた。「きょうに任せておけば大丈夫だろう」「あぁ、今日はきょうがいるから仕事は問題なくまわるだろうな」そんな言葉を不意に聞くだけで嬉しくなってしまうような単純な性格の私だ。だからこそそういった信頼の言葉を裏切るようなミスをしてしまったことに対していつも以上に落ち込んでしまったのだ。業務的な影響はないのだが、それだけに考えることが多くなってしまうのもまた事実だ。夜勤明けで家に帰ったのだが、そのことが頭から離れなかった。何よりも今はそういうミスに対してナイーブな時期だからこそ余計に、私は落ち込んでいた。どうしてこんなに駄目なんだろうと悔しくて仕方なかった。それが昨日のこと。昨日は現場の忘年会があるということで、夜勤明けで参加することになっていた。迷惑をかけた人達とお酒の席で会うということで、複雑な気持ちでいっぱいだった。夜勤明けが10時、飲み会が19時スタートということで、少しでも寝ておかないといけないのに、あまり眠れなかったのも仕方なかった。さて飲み会に行ってはみたものの、案の定迷惑をかけてしまった人達が沢山いるせいか、お酒を飲む気もしなかったし、はしゃぐ気にもなれなかった。ミスの尻拭いをしてくれたリーダーもお酒の場ではミスのことは一端忘れて場に馴染めと言ってくれたのだが、どうにも乗り切れないところがあったのは事実だった。苦笑いしながら場になんとなくいるだけの私は一体何なんだろうと思い余計に惨めになっていた。飲み会も佳境に差しかかった頃、胸ポケットの携帯電話が振動した。話をしてくれている先輩の目を盗んで携帯電話を見てみると、メールが届いたようだった。どうせまたスパムだと思っていたら相手はくーだった。夜も早い(文法的におかしいかもしれないが)時間にメールをしてくるなんて珍しいと思いながらもメールを見てみた。「きょうさん、お仕事お疲れ様。今日は夜勤だったよね」そんなメールだった。くーからのメールを受け取るだけで若干テンションが上がってしまう私で、すぐに返信を書いて送りたかったのだが、その場が現場の飲み会の場ということで、話を合わせながらチャンスを伺ってトイレに行き返信をした。いつもよりもちょっとだけ返信が遅かったかもしれない。その後暫くするとまたくーから返信があったのだが、その内容が「きょうさんっていつも返信早いよね。だからかもしれないけど、なんかきょうさんからのメールが中々返って来ないと寂しいんだ」このメールを見てからの私はもういつも通りのテンションになっていた。最後に(笑)が入っていたから彼女なりの冗談なのかもしれないが、それでも良かった。元気のない私にはこれ以上ないほどの特効薬だった。気になっているくーだからこそミスをして落ち込んでいるなんて言えない、いつも通りの私でいないといけない。そんな状況だからこそ私とのメールを楽しみにしてくれていることに幸せを感じた。その後の私はいつも通り関西人のノリを取り戻しはしゃぐことが出来た。単純な性格だなんて感じながら(笑)くーからのメールは私を元気にしてくれる。気がつけば携帯電話をチェックするようになったのもくーからのメールを待っているという無意識の反応なのだろう。思えばいつも私はくーからのメールを待っている。そしてくーもまた私とのメールを楽しみにしてくれているらしい。これは悪い雰囲気じゃないと思いたいのだが…私の自意識過剰なのだろうか?汗
Dec 26, 2009
コメント(0)
流石12月と言ったところか忙しくて仕方ない。今日はクリスマスだということに、このブログを書く時になってようやく気づくなんて、仕事しかしていないいい証拠だと言えるだろう。クリスマスとはいっても予定なんて仕事しかないし、しかも夜勤なのでイヴの空気を味わうことなく終わっていくことになる、別に構いはしないのだが、世の中が浮き足立っていることはまた事実であって…。世俗的なイベントには興味はないが、どうにも悲しい気分になってくるのも否定出来ないところだ。忙しいということで色々な物事が忙殺されているかというとそうではなく、勿論充実もしている。それは前回のブログに書いた内容に関係してくることだ。期せずしてコメントを沢山頂いたので、反響があったのだと勝手に思っているのだが、実際のところ私自身そのことに対してどう思っているのかという点についてはまだはっきりとはしていない。だが確実に言えることは興味を持っていることは事実だということだ。ブログを書いていない数日間は、ずっと「くー」について考えていた。「くー」というのは件の彼女の仮名なのだが、限りなく本名に近い故そのような表記にさせて頂こうと思う。メールを送るとは言っても何を送っていいものかわからない。考えて考えてメールの本文を考えたとしても、その文章のどこかに隠喩されたメッセージがあるような気がして、送信することを躊躇ってしまう。こんな感覚は今までなかったものだ。仲良くなりたいと思う気持ちは当然ながらあるのだが、その為に細心の注意を払っているのも事実だ。飲み会の後で、飲み会に対する感謝のメールを送ってそれに返信が来た。内容はある意味では定型文のような、敬語を含んだ内容だった。知り合ってまだ数時間なのだからそういう内容になってしまうのは仕方ないのだが、そこでメールが途絶えてしまうのが嫌で、前回のブログをあげてからずっとどんな内容のメールを送っていいものか悩んでいた。自然に自然にと考えるが故に不自然になっている自分を自覚しながら(苦笑)意を決して送信したメールに返信がついたのはおよそ20分後のことだった。内容も当たり障りのないようなもので、大人しくて礼儀をキチンと弁えた育ちの良さを感じるものだった。会社の先輩に送るような内容であったにも関わらず何故かテンションが上がったのをよく覚えている。その後まるで試験のような気分でメールをし、結果的に遊びに行く約束のアウトラインを決定することが出来た。これだけで気分が良くなったものだった。どうしてこんなに一生懸命に考えてしまうのだろう、そのことに対して私は明確な答えを持っているわけではない。メールをするごとにちょっとづつ砕けた文章になっていくくーが凄く可愛らしかったし、もっとそういう面が見たいと思う私の気持ちをわかっているかのような構成の文章を綴るくーがとても貴重な存在に思えた。そうやってメールを交換する初日は終わった。初日が終わって気づいたのだが、趣味というか、好きなものが本当に一緒だということが判明した。家具やインテリアが好きな女の子は多いとは思っていたが、くーがまさにそれだとわかった時にはなかなかに衝撃的だった。だからそれに即した内容のメールをした時のくーの食いつきは本当に良くて、とても癒された。次の日が仕事なのに全然苦ではないと感じるほどに。そうやってちょっとづつ仲良くなってはいるのだが、不安も勿論ある。それはくーが可愛過ぎるというところだ。私は以前から何度も書いてはいるのだが、イケメンではない。それに性格だって大衆受けするものではない。だからくーが私と一緒にいて面白くないとか呆れられるということがあるのではないかというところだ。会社の先輩を交えた飲み会だからこそ社交的にならざるをえない場で、それなりに社交的に接していただけで、いざ2人で遊びに行くとなると態度も変わるのではないかと思ってしまうのだ。今までまともに付き合ったこともない私だからこそ余計にそういう心配が払拭できないでいる。悩んでも仕方ないことだとは言え、それでも考えずにはいられないのも事実だ。くーは魅力的だし、モテるという話も聞いている。だからこそ私が相手にされるのか、そんな不安は今でも消えないまま燻っている。嬉しさと期待が入り混じる中に不安が適度にある。そんな混沌とした感情だ。それでも昨日の段階でようやく一緒に遊びにいく約束は取り付けることが出来た。クリスマスや大晦日・元旦はお互いに仕事だということで、それらのイベントを避けた普通の日である1月の最初の方に一緒に出かけることになった。これが決まった時には思わずガッツポーズしたものだった(笑)今のところは…順調かな?今から夜勤なのだが、テンションが上がりきっているところをばれないように仕事を進めるのはなかなか骨が折れそうだ(笑)
Dec 24, 2009
コメント(4)
出会いというのは不思議なものだ。出会いの全てが運命だという考え方があるらしい。実際のところそうなのかどうかなんて誰にもわからないが、えてして出会いというのは運命のような感覚を持っているのもまた事実だ。私はそういう類のものを信じているわけではない。出会い…ひいては運命なんていうものは自分で考えて行動した結果について後で評価したもの。つまりは良し悪しをひと絡げにしても尚、衝撃的な内容を加味した上で判断される事象に過ぎないと思っていた。事実今でもそう思っているのかもしれない。渋谷、スクランブル交差点にて寒さが際立つ季節の折、まさかここまで気温が下がるとは思ってもみなかった。間違いなく今年一番の寒さだと言えるだろう。ちょっとだけ服を多めに着て行こうと思っていたのだが、それでも全く足りなかったと言わざるを得ないところだ。何故渋谷にいるのか、それは説明するとちょっと長くなるのだが…私は言わずとしれた独り身だ。伴侶が欲しいと思った数とお腹が減ったなと思った数がほぼイコールになるくらい、私は独りの寂しさをよくわかっているつもりだった。会社あるところに人間あり、人間あるところに男性あり、男性あるところに色恋沙汰あり。そんなごくごく自然の流れの中に私もいるということで…どこから沸いた話かはわからないが、合コンをするという話が持ち上がり、普段聞かれれば伴侶が欲しいと公言している私はいつの間にかそのメンバーに数えられていた。この時点で必然性があったのかもしれない(笑)とんとん拍子とはいかないまでも、中々にスムーズに話は進み、昨日合コンが行われることになった。参加人数は4人なのだが、その中の2名はもう伴侶を持っている人ということで、合コン自体の開催者と私を全面的にサポートする役目に徹するということだった。なので、合コン開催までにやれ好みのタイプを散々利かれる羽目になってしまった。まぁ私の好みなんてこのブログを読んで下さっている方ならばわかっていると思うので敢えて説明は割愛させてもらう。そう、アレだ。というわけで好みのリサーチも終わりメンバーも決まったということで合コンが開催されることになった。場所が渋谷なのはお洒落さを求めたわけではなく、単純に立地が宜しかったに過ぎない。まぁそういう場に開催場所の境界線なんて非常に曖昧なものだということから決定したとのことだ。舞台は整った。渋谷、スクランブル交差点にて。私は逡巡していた。正直開催してくれた方には悪くて言えないのだが、あまり乗り気ではなかった。それは単純に私が合コンのような場所には不似合いだということに起因している。私は決して人に好かれるタイプではない。いても空気が悪くなるだけだと思っていた。だからと言ってキャラクタにもないような3枚目を演じることも出来ない。殊更合コンにおいては非常に使いにくい人間だと言えるだろう。まぁそんな葛藤もありながら寒い中暫く待っていると相手の4名も集合場所に集まった。こういう時に積極的になれない私は、なんとはなしに面子を遠目で見ていたのだが…その時にふと気になる女性を見つけた。彼女は特筆するほど外見的に特徴があるわけではなかったのだが、何故か私は彼女を見て不思議な感覚に囚われた。合コン開催の場所に着き、めいめい自己紹介のようなものも終わり、いざ飲み会開始となった。私はいつもと同じように席の一番端っこでお酒を傾けていた。それでもいつもと違うことと言えば、ある一人の女性を目で追っていたことだった。何が理由でそういう感情を持ったのかわからないが、なんだろう、何故か気になる存在だった。飲み会も佳境に差しかかり、2次会の場所などを決めながら歩いている時に、いつものように列の一番後ろを歩いている彼女が私に気づいて話しかけてきた。ちらちらと目で追っていたが故の後ろめたさというのだろうか。何故だか上手く話すことが出来ず、かなり気が動転していたのをよく覚えている。真横で歩いている彼女は非常に小柄でそれでいてお洒落な都会の女の子という感じだった。1次会の時から思っていたのだが、彼女は非常に落ち着きはらっている。とても同年代の女の子とは思えないほど清楚で落ち着きのある物腰だった。あまり話さず、それでも話はちゃんと聞いている。そんな感じの子。列の後ろの方でのんびりと道玄坂の様子を見ながら歩いている私を気にしてか、彼女は微笑みながら話しかけてくれた。上手く話せたかどうか、それは今をもってあまり覚えていない。それでも、言葉を交わせたことが素直に嬉しいと思えた。何故だろうか、特に凄いことでもないはずなのに。2次会の場で、私の彼女に対するイメージは更にプラスのベクトルに向うことになった。何故なら…彼女は私の趣味と恐ろしく一致する人だったからだ。男の趣味と女の趣味が合致することはあまりないという主観的統計を見事に裏切る形になった。そのことが私が彼女に興味を持つ上で大きなファクタになったことは言うまでもない。長いようで短かった合コンは終わり、相手の女の子は帰っていった。飲み会についてのお礼のメールを全員に送ったのだが、帰ってきたのが一番早かったのも彼女だった。これこそ偶然だと言えばそれまでなのだが、何故かそれが凄く嬉しかった。久方ぶりにわくわくする展開があるかもしれない。ないかもしれないが(笑)
Dec 20, 2009
コメント(6)
コンビニに買い物に行った帰り道ふと祖父のことを思い出した。特にそう言った脈絡も無かったのだが、コンビニで買い物をして帰る途中でふと祖父のことを思い出した。もう祖父が亡くなってから十年以上経つ。どうして今頃思い出したのか、それはわからない。多分こういうものは第6感的なものなのだろう。私が不甲斐ない生き方をしているから、それを諌める為に来たのかもしれない。全く根拠をはないが。祖父は私とは違い本当に寡黙な人だった。小さい頃は静かな人だとしか思わなかったが、ちょっとくらいまともに世間が見られるくらいになる頃には祖父のことを凄く好きになっていたものだった。寡黙故に時々笑った時の顔が私は大好きだった。小さい頃はいつも一緒にお風呂に入っていたものだった。あれはいつの頃だったのか、祖父が私と一緒に湯船に浸かりながらこう言っていたのを今でも鮮明に覚えている。「きょうの成人式を早く見たいなぁ」小さい頃の私はクラスの中でも背の順番で前から数えた方が早いくらいに背が低かったし、成長が遅いというような見方をされていた。事実、中学校に上がった頃にも小学生と間違われるほど背が低かったし、声も高かった。中学校入学時点で130センチくらいだったのを覚えている。成長には早熟と大器晩成があると言うので、祖父は私が大器晩成であると見込んだのだろう。その頃には立派な20歳になっているという先見の明があったのかもしれない。だからこそ早く20歳の私を見てみたいということを言ったのかもしれない。当時の私はそこまで考えられるわけもなく、後十年すれば見られるというようなことを言った記憶がある。疑問も持たなかった。時間は今のまま永劫流れていく、そんなありえない幻想を持っていたのだろう。祖父が亡くなったのは私が15歳の時だった。仕事中に木から落ちて頭や背中を強打したことが主原因だった。事故に遭ってからはどんどん衰弱していき、入退院を繰り返すようになってしまった。必然的に家にいる頻度も低くなった。私は心配だったが、それでも祖父がいなくなるなんてありえないことだと勝手に思い込んでいた。祖父が亡くなるまでは。私は初めて人の死に対面した。その感想はと言うと…何と言うか、死人を仰々しく手厚く葬ろうとし過ぎていて内容が薄いと感じるものだった。それは今でも感じていることだ。死者を丁重に葬る為の「儀式」ばかりが先行し過ぎて、その行為自体の意味が希薄になっている。ディテールに拘るあまりに物事を大局的に見られない典型的な例だと言えるだろう。家族が忙しく通夜や葬式の準備をしていて、悲しむ暇もない様子を見ながら私はそう思っていた。祖父が亡くなるなんて思ってもみなかっただけに、そのショックはだいぶ遅れてからやってきた。実感のないものというのは遅れて自身に伝播するものだということを知った。涙を流したのは2日後だった。それからもう10年経った。私は今は地元から遠く離れた地で誰かを頼ることなく仕事を続けている。自立したと大見得を切るつもりはないが、それでもあの頃の私よりは少しは見られるものになったに違いないだろう。実家に帰って久しぶりに祖父の墓を訪れた時、なんだか長年の憑き物が落ちたように感じたのは気のせいではないはずだ。そんな祖父のことをふと思い出した出来事だった。決して騒がしくなく、でも仕事や家庭はキチンと守る。そんな祖父の凄さが今の歳になって少しだけだがわかり始めた今日この頃だった。
Dec 15, 2009
コメント(0)
炬燵を出して以来、炬燵で居眠りすることが多くなった。多分こういうことをよくする人は、自分の生活に規律がないことが多いのだろう。全てがそうだとは言わないが、私のようにだらしない生活をしている人にはこういうことはよくあるはずだ。ご飯を食べ終わった後やお風呂に入った後なんかは、炬燵の暖かさでついうとうとしてしまい、気づいた時には随分と時間が経っているなんてことは珍しいことではない。やめようやめようと思ってはいるものの、なかなか治らないのが現状だ。さて、本題へ。1年も終わりということで…今年も健康診断を受けてくることになった。病院は数多あれど、どうして健康診断というものは遠くまで連れて行かれるのだろうか?いつも疑問に思っていた。思えば去年の健康診断も結構遠くまで行かされていた。地図が読めない先輩に何度も電話をかけられて場所を尋ねられたからよく覚えている。去年の健康診断は電車で3駅ほど行った場所で行われたのだが、今回の場所はそこよりも更に遠く、電車で15駅ほど行った場所で行われるようだった。もうそうなると完全に東京だ。健康診断を受ける為にわざわざ東京まで行くなんて無駄を感じざるをえない。さて、遠路はるばると健康診断の会場に着いたのだが、今年の会場は去年とは違ってかなり盛況な様子だった。人も沢山いたし、何よりも健康診断専用の服が用意されていた点が非常に評価を上げる要因になった。だからなんだというわけではないが。色々な場所に連れて行かれてあれこれとチェックし、健康診断も佳境に差しかかろうとしていた。残す項目は問診と血液検査だった。問診と言えば、聴診器をお腹と背中に当てられるという所謂普通の病院で見られるようなスタンダードな検査だ。別に特筆すべきこともないだろうと思いながら先生の前に座り服を脱いで聴診器を当ててもらっていた。何事もなく終わろうとしていたその時、違和感は突然訪れた。聴診器を順調にお腹や胸に当てていた先生なのだが、私の左胸あたりの音を聞いていた先生の動きが突然止まった。今までは軽やかな聴診器捌きを見せていた先生の動きが左胸で完全に停止してしまったのだ。しかも何度も左胸に聴診器を当てて、確かめるように音を聞いている。挙句の果てには、聴診器を胸に当てたまま首を傾げだした。これにはかなり不安になった。病院に行くといつも思うだが、どうして悪いところがあった時その場で言葉を濁すことが多いのかと不思議に思う。確かに直球で悪い部分と病名を伝えられることに抵抗がないと言えば嘘になるが、それでも微妙なリアクションをされるよりは何倍もマシなはずだ。悪い箇所はわかっていても悪さ具合がわからないまま放置されるのは気分がいいものではない。左側と言えば心臓がある方だ。心臓…心臓!?まさか私は心臓に疾病を持っているのだろうか?だとしたら安寧とした気分ではいられない。はっきり言って欲しい気持ち半分、言われたくない気持ち半分で、どうにも落ち着かない状態になってしまった。その後続けざまに血液検査を行ったのだが、問診の時の先生のリアクションが頭から離れずに、悶々とした気持ちを払拭できなかった。結果が返ってくるのは2週間後らしい。なんだか宣告を受けるようで非常に怖い。小心者の私には厳しい2週間が始まる。。。
Dec 12, 2009
コメント(2)
風が厳しい季節になってきた。朝が辛い時期は色々と億劫になってくるものだ。朝気持ちよく起きられるかどうかでその日1日の気分はだいぶ違ってくる。スタートが良ければ全ての物事がプラスに動いているように感じられるというのもあながち間違いではないのかもしれない。そういう意味では季節の変わり目である今の時期は正直なところ辛いものだ。布団から出るのが億劫で仕方ない。ましてや仕事となると…気分が盛り上がらないのは否めないというものだ。布団と言えば…冬になると大きな掛け布団を出すと思うが、あれはどうして使い続けると一箇所に中の布団がよるのかが気になって仕方ない。布団には大抵の場合カバーをかけると思うが、カバーだけは原型を留めたままに中の布団だけが頭方向か足方向によってしまい、温かさに欠けることになってしまうことが多い。私だけだろうか?こればっかりは寝ている時の動きの問題だからどうしようもないところだ。さて、本題へ。忙しいと心が荒んでくるものだ。望んでいない忙しさなら尚の事。最近年の瀬ということで妙に忙しい日々が続いている。1日中わたわたと走り回り、気づけば1日の仕事が終わっているということもざらだ。ましてや、ミスに対して異常なまでに神経を使う現場だからこそ余計にその傾向が強い。業務量に比例してミスに対する風当たりが強くなるのは仕方ないことなのだろう。そんな日々が続いているからだろうか、少しのことで気持ちが落ち着かなくなることが多くなってきた。要するにイライラしやすくなっているのだ。それによって誰かに当たるなんてことはないのだが、どうしても穏やかな気持ちで過ごすことが難しくなってきている。だからこそ思った。忙しい今の時期だからこそ心穏やかに生きていこうと。恐らく最初は無理がたたって色々な場所で弊害が生まれるかもしれないが、イライラする時には楽しいことを思い浮かべるという非常に短絡的な思考回路でイライラを忘れてみようと思う。今までが何も対策無しに生きてき過ぎたという部分もある。そろそろメンタルの部分でも大人になる必要があるのではないかと思い至ったのだ。実際に今日も理不尽な理由で嫌な思いをすることになったのだが、それでも別のベクトルのことを思い浮かべてなんとかイライラを継続させることなく終息に向わせることが出来た。やれば意外に出来るものだ。そんなわけで12月は心穏やかに生きていこうと思う。なるべくならいつも笑顔でいたいと思うが…笑顔が似合わないと言われる私にはちょっと厳しいハードルかもしれない(苦笑)
Dec 8, 2009
コメント(2)
師走、年の瀬に向けて色々と忙しなくなってきた。仕事が忙しくなるのは丁度今くらいの時期からだろう。年末年始は何かとごたつくことが多い。私の職場はそうでもないのだが、職種に関わらず年末年始は基本的に忙しいものとされている。実際に、私は仕事と言えば仕事なのだが厳密には仕事ではないことで今は多忙を極めている。その内容というのが忘年会だ。私は今年会社の幹事を任せられているのだが、そろそろ忘年会の季節ということで場所をおさえたり料金の設定をしたりと忙しくしている。まぁ殆どは先輩の幹事の方がやってくれているのだが、それでもそのことに甘えてのらりくらりとは出来ない。私も仕事が山積しているのだ。日本人は働きすぎという言葉もあるくらいなので、忘年会…つまり年を忘れて騒ぐことにも必死になっているということなのか。なんだか本末転倒な気がしないでもないが(笑)さて、本題へ。12月に入ったということで…寒さも本格化してきた。冬の到来はもう目に見えている。そろそろ冬支度もしなければならない時期になってきたのかもしれない。というわけで、私の家でもようやく炬燵がデビューすることになった。この炬燵というのは本当に魔の道具だといつも思う。炬燵に入りながら寝転がっていると、何時の間にやら寝てしまうことなんてもう数え切れないほどある。必需品なのは否めないのだが、どうにもその扱いには困るものだ。炬燵と言えば、私の実家は掘り炬燵が当然のようにあったものだった。子どもの頃の私は、何処の家でも「炬燵=堀り炬燵」だと思い込んでいた節があった。実際に友達の家に遊びに行っても、掘り炬燵がある家の方が多かった。なので当然だと思っていた。だが、今こうして一人暮らしを始めてみると、掘り炬燵の絶対数は明らかに少ないということに気づきだした。まぁ当然ながら、掘り炬燵は家の構造の段階から計画していないと出来ないものであるというのが主たる原因なのだろう。作ろうと思って炬燵机を組み立てる感覚では出来ないのは自明だ。だからなのだろうか、掘り炬燵は炬燵界でもかなり上位の存在であるという認識を持ち始めた。社会人になってからは飲みの席が多くなり、掘り炬燵を見る機会が多くなったのだが、その度に実家を思い出してちょっとセンチになることもある(笑)にしても…掘り炬燵は本当に便利なものだと思う。何より、炬燵に入ってそのまま寝てしまうことを防止する構造であることが非常に素晴らしいところだ。今の炬燵を詳しく知らないのだが、私の家にあった炬燵は本当に炭を炬燵の中に入れるタイプのものだった。なのでうっかり足を入れて寝てしまおうものなら、火の中に足を突っ込んでしまう目に遭ったものだった。そういう刷り込みからだろうか、何故か掘り炬燵では寝ようとはしなかった私だった。恐らく今普及しているタイプのものは暖房形式のものが主流である為その心配はないだろう。やはり炬燵は良い。今も炬燵に入って暖まりながらブログを書いているのだが、手元以外は暖かい状態を保てている。これで炬燵の上に蜜柑でも置こうものならまさに日本の冬だ。そういえば雪が降るのももうすぐだ。残り少ない今年を精一杯過ごそうと感じた今日この頃だった。
Dec 6, 2009
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1