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チェンマイ門から北方へ進んでぶつかったY字路を右へと進みます。この辺は緑も多いし静かでいいなー。こんなところに長期滞在してみたいもんだ。なんて感じていたら左手に、ゲストハウスが。同じことを考える旅行者が多いんでしょうね。欧米人宿泊客が多そうな感じ。そんな路地を抜けて東西に走る道路に出ました。東へ向かいましょう。英語看板密度がさらにUP。欧米人旅行者の姿が絶えず目に入るように。そして、東のお堀端の通りに出ました。ここから北上しますか。昔はこの並木のところに城壁があったんですよね。城壁もチェンマイ門と同じく、マンラーイ王のチェンマイ遷都(ランナー王国成立)の1296年に建設。お堀を掘削した残土を盛り両側を煉瓦で挟んで築いたんだそうで。1769年、ビルマ占領下を脱したチェンマイの初代カーウィラ王が城壁を再建。2代目の王治世下1818年に再び修復を受けます。が、その後20世紀初頭にはタイに編入され城壁の役割が終わったこともあり、崩れるにまかせた放置状態に。あまりの荒れ具合に、チェンマイ市が1957年から順次城壁を取り壊し、道路へと変えられてしまったのでした。なんともったいないことをとも思えますが、無残に崩れて草ボ-ボーの城壁をそのままにしておくわけにはいかず、かといって修復には取り壊しよりずっと費用がかかるでしょうから、致し方なかったんでしょうね。そんな元は城壁のあったお堀端の道路沿いを歩いていくと、コテコテの外国人旅行者向け飲食店が出現。英語が通じるから安心できるのかなぁ ^_^;)さらに進むと、復元された城壁が見えてきました。その先には、ターペー門が!時刻は、15:31。チェンマイ門から12分でした。このターペー門、1985年にチェンマイ市と芸術局により再建されたものなんだそうな。なんでも1879年に撮影された写真や古い記録を元に昔の姿を忠実に再現したんだとか。タイ語版ウィキペディアの「ターペー門」には、1965年撮影の写真が掲載されていますが、門の間の幅が今よりずっと広いのが分かります。ということは、65年当時にあった門は後世に造られたものだったんですね。それを壊してさらに昔の姿に戻したというわけか。そうそう、この門は元々チアンルアック門という名だったんです。古語で「船の町」という意味。ターペー門は、この城壁のさらに外側にあった土塁の門の名でした。のちに外側の土塁が取り壊された際に同時にターペー門も取り払われます。すると民衆は内側のチアンルアック門を代わりにターペー門と呼ぶようになったんだとか。ターペーとは「いかだの船着場」の意味。いずれにしてもこの東側地区は水運による商業で栄えていたことがわかるネーミングですよね。ごたくはこれぐらいにして(笑)、歩き疲れたので一息つきましょう。ターペー門を背に西を向くと道路の両側角にカフェが向かい合って立っています。左はタイのカフェ・チェーン、ブラック・キャニオン。右は、The Coffee Club。よし、こっちにしよっと。外の席に着席するやスタッフの男性がメニューをさっと持って来ました。気持ちいいですね~。アイスティー・ラテを注文。140バーツとはなかなか強気なお値段です ^_^;)やって来ましたよ。ターペー門を眺めながらしばしノンビリしたのでした。この後はチェンマイ名物のナイトバザールを見物しようかと。まだ早過ぎますが、とりあえず向かいますか。カフェを後にします。時刻は16:13。ターペー門を通り、東側に出ます。そのまま東へターペー通りを歩いていくと、トルッチーン(中国正月)のお供え物が通りに出ています。赤い服を着た女性が線香をあげていました。チェンマイ・ナイトバザールの通りにもうすぐ着いちゃいますが、17時頃かららしいんですよね。まだ早いぞ。どうしよう…。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:2,288バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。<参考>Wikipedia "กำแพงเมืองเชียงใหม่"muslimchiangmai.net "ประเด็นการศึกษากรณีกำแพงประตูเมืองเชียงใหม่"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/30
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ワット・ムーンサーンからウアラーイ通りに出た角に風変りな祠が立ってました。祀られているのは、牛?そういえばウアラーイとは、「シマウシ」の意味。そういう種の牛がいるわけではなく、模様のある牛ってことらしいですが。何かいわくがありそうですね。傍に建つ案内板などによると、こういうことだそうです。1558年からビルマの支配下にあったチェンマイは、1774年にトンブリー王朝の援軍を受けることでビルマの支配下を脱し、ランナー王朝の復興を果たしました。以前の王家とは別ですが。しかしビルマ支配下末期の内乱やビルマとの戦いでチェンマイの町は廃墟と化していました。仕方なく王もランパーンに住んでいたほど。時の王はとにかくチェンマイの人口を増やさなければならないと、周辺国を攻撃しては難民を呼び込んだり、強制移住させたりし始めました。チェンマイの北北西280kmほどの現ミャンマー領の町モンパン攻撃時に連行してきたタイヤイ族を住まわせたのが、このウアラーイ地区でした。18世紀末~19世紀初頭と思われます。王は移住させた民衆のうち、職人は町の発展のために中心部に、そうでない民衆は周縁部に住まわせる政策を執っていました。ここに住むことになったタイヤイ族の人々は、そう、銀細工職人集団だったのです。元々モンパンで居住していた地域の名がウアラーイ。なんでも谷間の地域で、そこの洞窟には金色に黒の模様の入った特別な牛が住んでいて、谷に下りては銀の糞を落として歩いたんだとか。住民が銀の牛糞を拾って加工したのが、この集団の銀細工の始まりなんだそうで。そして移住先のここにも故郷の地名を名付けたのでした。それで牛がウアラーイ地区の守り神となっているんですね。納得。さてウアラーイ通りを北へ歩いていきましょう。時刻は、15:05。農閑期の副収入といった程度で引き継がれてきた銀細工の技でしたが、時代の流れで会社勤めをする人が増え職人が減少。一時は50家族ほどに。そんなこともあってワット・シースパン住職が保護育成活動を始めたってことですね。現在ではまた増えてきていることでしょう。ウアラーイ地区のほぼ全ての家庭が銀細工の技術を持っていると記述しているサイトも見かけましたので。あ、銀細工を売る店がありましたよ。道の反対側にも。そうそう、このウアラーイ通りは毎土曜日に歩行者天国となり、露店が多数並ぶんだそうで。だいたい17時頃から活気が出てくるんだとか。今日は水曜日で残念です。おっ、とある店先でトグロを巻いているのは、チェンマイ名物ピリ辛ソーセージのサイウアですね。ちなみにサイウアのタイ文字綴りは ไส้อั่ว。牛は วัว でカタカナだと同じウアですが、意味は違います。サイウアには牛肉は使われず、豚肉オンリーなんですよ。6分ほどでお堀端の通りに出ました。すぐ先には、チェンマイ門が。説明書きによると、マンラーイ王のチェンマイ遷都(ランナー王国成立)の1296年に建設。関係の深かったランプーンへ向かう出口だったんだとか。その後1801年、1966-69年に修復が行われたとのこと。そんなチェンマイ門から城内に入り左手を眺めると、チェンマイ門市場と書かれた市場が目に入りました。行ってみますか。中に入ると、さすがに夕方なのでほとんど営業していませんでした。やっぱり市場は午前中に来ないとダメかぁ。早々にチェンマイ門市場を後にして、チェンマイ門前の交差点を左折。路地に入って北上します。この辺は静かなんですね。しかし英語の看板が急に増えましたよ。いかにも外国人向け観光地然としてきました。とりあえずターペー門へ向かおうと思います。この先を右に進んだほうが近そうだな。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:2,288バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。<参考>ウィキペディア「ラーンナー」つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/27
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銀細工の寺ワット・シースパンでトイレを借りてから、次なる目的地へ向かうことに。ちなみにこのワット・シースパン、太平洋戦争中は日本軍が駐屯地と捕虜収容所として使っていたのだそうです。ビルマ進攻とその後のインパール作戦に向かう兵員・物資集積地としては、ピサヌローク(メーソートへの起点)やランパーン(メーサイへの起点)のほうが重要でしたが、最短ルートとなるチェンマイ-メーホンソン-トングーの道路建設のためなどでチェンマイにも日本軍が駐屯していたんです。この道路の完成はインパール作戦開始後。そのため退却ルートとして重要な役割を負った悲劇の道路でもあります。さて、寺を出て右へと。僧侶への寄進グッズなどの売店の間を抜け、表のウアラーイ通りに出ました。左角は銀細工工房らしく家屋内からトンカンという音が聞こえてきます。道を渡り右斜めに伸びる路地へ。ワット・ムーンサーンの山門が迎えてくれます。本当はワット・シースパンでなくこちらへ来たかったんですよ。でも寺の名をしっかり覚えていなかったお陰で銀細工の様子を見れたし良かったんですけどね。ワット・ムーンサーンの入口に到着。時刻は、14:49。すぐの左手には、おお、ここにもギンギラギンな仏堂が。こちらのほうが落ち着いた華やかさが感じられて好きですね。内部には入りませんでしたが、銀装飾が素晴らしいようですよ。境内を反時計回りに歩いていきます。右奥には歴史を感じさせる仏塔が。その背後に見えるのが本堂です。ぐるっと抜けて境内の左端へ。そこには、ここに来た目的の建物が。見えますか?近くへ寄ってみましょう。日本とタイの国旗が掲げられています。このワット・ムーンサーンには戦時中、日本軍の食糧・武器備蓄庫と傷病兵のための野戦病院があったそうです。日本兵は周辺住民に日本語を教え、子供に食糧を分け与えたりもしていました。戦後、旧日本軍が終戦時に境内の池に武器を投棄して去ったという情報を得た日本政府が調査したところ、日本兵32名の痕跡(遺骨?)が見つかったのだそうです。で、この建物は旧日本軍の資料館。鍵がかかっているので、近くのあずま屋で涼んでいた若い僧侶に尋ねたところ、鍵を管理している先輩僧侶が外出中のため、開けられないとの返事。ありゃー。タイミングが悪かったか。ガッカリ。でも「ワット・ムーンサーン」「ムーンサーン寺」でネット検索をすると、内部の写真が掲載されたウェブサイトがいくつも見つかりますよ。2つの国旗の前に慰霊碑があり、基部には、 戦友よ安らかに眠れ1980日本印緬戦跡慰霊団 8名の氏名と。そして上部には、 慰 霊 戦友よ安らかに眠れ1970年2月2日吾戦友一同タイ国のこの戦跡を訪れ亡き戦友の慰霊法要を営み謹んでこの銘を納む (於チエンマイ・野戦病院跡) 32名の氏名全国戦友連合会ビルマ・タイ戦跡慰霊巡拝団と刻まれています。しっかりと手を合わせました。昨年2014年11月8日には、チェンマイ県と在チェンマイ日本領事館が後援した「第1回タイ日友好まつり」が開催され、北タイ伝統衣装と日本の着物姿のパレードがチェンマイ文化センターからワット・ムーンサーンまで練り歩いたそうです。境内にはステージが設けられ露店も出たみたいですよ。リンク先に写真が掲載されていますので、ぜひご覧ください。今後、チェンマイ県の重要な恒例行事の一つとして毎年開催していくとのこと。日タイ友好に一役買い、かつ観光振興にもなりそうな行事で嬉しいですね。来て手を合わせられただけでも良かったです。そんなワット・ムーンサーンを後にしたのでした。路地を戻ると、ウアラーイ通りとの角に祠があるではないですか。さっきは気付きませんでした。何だろ?<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:2,288バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。<参考>「チェンマイの日本軍駐屯地と周辺事情」山口雅代, ワライポーン・カンジャナカルン,ティーラット・パンヨー, 『タイ国情報』2013年9月号,日本タイ協会,2013年Tripchiangmai.com "วัดหมื่นสาร เยี่ยมชมหอศิลป์เครื่องเงิน"Hedlomnews "ไทย-ญี่ปุ่นร่วมงาน “ปอยมิตรภาพ”ครั้งที่1 ชื่นมื่น"watsrisuphan.thaiis.biz "ประวัติวัดศรีสุพรรณ"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/23
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ピン川沿いをワローロット市場へ向けて歩いていると、前に山岳民族柄の生地を纏った、赤ちゃんをおんぶした女性が。ソイ・モンなんてのもあるし、街中にも山岳民族の人が出てきているんですね。バンコクだとまずお目にかかれない(観光客向け商売は除く)ので、チェンマイにいることを最も実感した光景でした。そしてワローロット市場東側のピン川沿いソンテオ乗り場に到着。時刻は14:06。次はTuiさんに教えてもらったお寺へ行きたいんですが、またロッ・デーン(赤いソンテオ)に交渉するのが憂鬱だなー -_-;)停車中の一台のロッ・デーンの運転手と目が合ったので、思い切って尋ねてみます。えーと、ワット・ウアラーイに行けますか?「そんな寺は無いよ。ウアラーイ通りには2つの寺しかない。 ワット・シースパンとワット・ムーンサーンのどっちだ?」あれ? 寺の名前を聞き間違えたかな ^_^;)そう言えばTuiさんからワット・シースパンという名を聞いたような気もするのでそこに行くとしますか。ワット・シースパンです。「20バーツ」ほお! 断られるかボラれるかかと思ってましたよ。後ろに乗り込もうとすると、運転手さんが助手席をポンポンと叩きます。なんと。どうもありがとうございます~ ^^時刻は、14:11。特等席だー。運転手さんは、話し好きで人の良いおじさんでした。孫が3人日本へ行っていてタイレストランでコックをしているんだとか。滅多に帰って来ないけど月給5万バーツで稼いでいるんだと語ってくれました。お堀端で欧米人グループが呼び止め、なんとか山(名前忘れました ^_^;)へ行きたいと。おじさん、やおらラミネートされた英語の観光地案内を差し出してン百バーツと。さすが用意周到ですね(笑)私の拙い英語通訳の甲斐もあってか、みなさん乗車して向かうことに。おじさん良かったですね。「一緒に行く?」いえいえ、飛行機に間に合わなくなるので、と断りました。そしてウアラーイ通りから右の路地に入って、ワット・シースパン前に到着。20バーツを支払いお礼を言って下車します。いい運転手さんで良かった!時刻は、14:25。おっ、寺の看板が銀板ではないですか。そう言えばTuiさんが銀細工がどうのって言ってましたっけ。それがこの寺か。境内に入ると目の前に本堂が。こじんまりとしていますが、まさに北タイ様式。バンコクとフォルムが違います。ワット・シースパンは西暦1500年創建。今の本堂が建てられたのがいつか分かりませんが、1994年に修復され今の姿に。その頃から現住職が、ウアラーイ地区の銀細工工芸の保護育成に取り組み始め、ワット・シースパン・ランナー美術工芸集団という職人グループを組織させたんだそうで。本堂の周囲を時計回りに歩いていくと、トンカントンカンと音が聞こえてくるではないですか。境内にも銀細工の作業場があるようで、作品が陳列されています。あ、作ってますよ!バーナーで銀板を熱しながら、金づちで叩いています。扇風機完備とはいえ、暑季にはキツイでしょうね~。近くには研修センターらしき建物があって、窓から覗き込むと、お坊さんたちが銀細工の手ほどきを受けている最中でした。仏道のみならず手に職を付けられる修行もできるなんていいですね。ぐるっと回った先には、銀細工のお寺の真骨頂とも言うべき、ギンギラギンな仏堂が!外側も内部も銀銀銀。あまりにもギラギラ輝いているもんだから、逆光のもとでうまく写真が撮れないほど!この世界初という銀仏堂は、2004年から2,500万バーツの予算で着工。地元職工さんの中から腕の良い人が選抜されて装飾に当たっているんだとか。まだ完成していなくて、作業が続けられています。ただ予算のうち1,300万バーツがまだ不足しているので、寄付大募集中なんだそうですよー。このチェンマイの銀閣寺(?)、入口にこんな注意書きが。女人禁制。タイにもそういうところってあるんですね。なんでも500年前からここには神聖なものが埋葬されていて、ランナーのしきたりでは、女性が立ち入ることはそれらや女性自身の身に悪影響を与えると信じられているからだとか。サンダルを脱いで内部に入ると、手の込んだ銀装飾が荘厳さというか重厚さを醸し出していたのでありました。<旅費交通費>ソンテオ:20バーツここまでの合計:2,288バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。<参考>E-magazine Travel "วัดศรีสุพรรณ ถนนวัวลาย เชียงใหม่"ReviewChiangMai.com "วัดศรีสุพรรณ อุโบสถเงินหลังแรกของโลก!"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/20
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「ムアンマイ市場入口」との看板の立った廃墟のような建物内を抜けると、ほぉ、この市場、予想外に広いじゃないですか!いくつもの市場の集合体って感じ。市場を管理するムアンマイ市場株式会社の設立が1987年なので、比較的新しい市場のようです。名称自体が訳すと「ニュータウン市場」ですしね。ワローロット市場をはじめとしたチェンマイ市内の他の市場が小売主体なのに対し、ここムアンマイ市場は卸売がメインの市場だとのこと。勿論小売もありますが。深夜2~3時から店が開いているそうですよ。昼過ぎだから落ち着いちゃってますが、午前中の賑わいは相当なもんだろうと想像がつきます。ここは面白そうだ!ずんずん分け入ってみます。おっ、坊やも店番かな? ^^並んだカレー・ペーストの手前右端は、私の大好物、ゲーン・オムじゃないですか。売ってるのって初めて見ましたよ。買って帰りたいぐらい。人によってイサーン料理だ、いや、北タイ料理だと意見の分かれるゲーン・オムですが、最前列に並んでいるということは、少なくとも北タイでもよく食べられている料理ってことですよね。生鮮食品からお菓子類まで豊富な品物が売られていますよ。屋根付きのとある一角に足を踏み入れてみると、荷台に野菜を陳列したピックアップ・トラック数十台がズラリ!産地直送であることがダイレクトに伝わってくる上に、なかなか合理的な売り方だなーと感心しながら見て回りました。ちょっと積み過ぎ(笑)下に埋もれたの、潰れてないんでしょうか。そんな興味深いピックアップ・トラック市場ゾーンを抜けると、ムアンマイ市場は、もうほぼ終わり。市場南側に出ました。左のピン川方向へと歩きますか。道の反対側の壁伝いに歩いていると、その壁に様々な絵が描かれているのが気になりました。テーマは、アメリカ?オバマさんと・・・インラック元首相?そのままなんですね。さすが兄のタクシン元首相共々の出身地で赤シャツ派の多いチェンマイです ^_^;)ここってもしや?先にあった看板を見るとやはりそうでした。ここは、在チェンマイ・アメリカ領事館なんですね。ピン川沿いを南下します。ワローロット市場まで戻ろうかと。途中で楽器を叩く賑やかな音が聞こえてきたので目を向けると、「おひねりを入れてください」と兄ちゃん。トルッチーン(中国正月)の獅子舞ならぬ竜の舞が口を開けて待っています。し、しまった… -_-;)20バーツを口に差し入れる代わりに写真を撮らせてもらったのでした。時刻は、14:03。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:2,268バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/16
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王道な味のカオソーイ・ラムドゥアンを出て次の店に向かうことに。時刻は、12:50。店の前のチャルーンラート通り(ถ.เจริญราษฎร์)を北へと歩いていきます。左手にワット・ファーファーム(วัดฟ้าฮ่าม)というお寺が出現したんですが、門には、漕船競技練習センターWelcomeThe Chiang Mai Rowing & Canoeing Centerワット・ハーハームと。裏手のピン川で練習するんでしょうね。しかしお寺が運営しているとは面白いな。さらに歩くと、あれ、あそこかな?ワット・ファーハーム敷地のお隣に次の目的地、カオソーイ・サムージャイ(ข้าวซอยเสมอใจ)がありました!時刻は12:55。カオソーイ・ラムドゥアンから徒歩たった5分です。この店も入口でお土産用のお菓子を販売してますね。店内で若い女の子スタッフに席へ案内され着席。すかさずカオソーイ・ガイ(鶏のカオソーイ)を注文。手前だけでなく奥にもスペースがあるので、カオソーイ・ラムドゥアンよりもずっと広いですね。ここもツアー客がわんさと訪れるんだろうなー。なんて考えているうちに、さっと運んで来てくれました。この出し方、合理的だし好奇心をかき立ててくれていいですね~。ほぉ、スープの色がカオソーイ・ラムドゥアンより濃いな。しかも量がずっと多い! これだけで好印象(笑)では、いただきま~す。さっきのより見た目どおり濃厚でやや辛めなお味。しかも、八角かな? そんな系統の香辛料の味がかすかにしています。こりゃ美味しいわ!辛いといっても他と比べるとといった程度なので、誰でも大丈夫なレベルですよ。一緒に頼んだナム・ゲックフアイ(菊花ジュース)との相性が絶妙で至福のひと時を過ごせました。値段をうっかりメモるの忘れてしまったのですが、カオソーイ・ガイは35か40バーツだったはずです。食べ終え奥のトイレを借りてから店を後にします。時刻は、13:13。今回のチェンマイ・カオソーイ食べ歩きの現時点での順位付けは、1位 カオソーイ・サムージャイ2位 カオソーイ・ラムドゥアン3位 バーン・タワーイですねー。でも人によって好みが分かれそうですけど。さて、次はTuiさんのおすすめスポット、タラート・ムアンマイ(ムアンマイ市場)へ行こうと思います。店の反対側でロッ・デーン(赤いソンテオ)を捉まえて交渉するもけんもほろろに断られること2台。暗黙の了解でほぼ決まっているルートというのがどの道を走るロッ・デーンにもあるようなんですが、そんなもの居住者じゃないと分かりませんよ -_-;)ムカついてきたので、もう徒歩で向かうことに。さっき食べたカオソーイ・ラムドゥアン前を過ぎ、6,7分で交差点に出ました。右へ曲がり、ピン川に架かる橋を渡ります。クルーズ船がちょうど通過していきました。この辺りの両岸は自然が残っていていいですね。渡りきったものの、ムアンマイ市場がどの辺りなのかイマイチよく分からず行ったり来たりしてしまいました ^_^;)最終的にムアンサムット通り(ถ.เมืองสมุทร)を南下することに。両側には卸しらしき商店が建ち並んでいるので、こっちで間違いが無さそうだとの判断で…。すると左側に、「ムアンマイ市場」と大書きされた廃墟のような建物が。駐車場か荷卸しなどの作業場なんでしょうか?入口に ムアンマイ市場入口ムアンマイ市場株式会社 →とあります。ここが入口? 恐る恐る入ってみます…。時刻は、13:41。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:2,268バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/13
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これからカオソーイ食べ歩きを始めたいのです。まずは恐らくチェンマイ一の有名店である、カオソーイ・ラムドゥアンへ行きたいのですが…。どこでソンテオを拾えばいいんだー。ワローロット市場東側のピン川沿いには色とりどりのソンテオが停車中なものの、行き先が書いてなかったり、運転手もいなかったり。途方に暮れつつ行ったり来たり歩いていると、川べりに立っているおじさんから声をかけられました。「どこに行くの?」カオソーイ・ラムドゥアンへ行きたいんですが…。「これが行くよ。20バーツだ。あと10分で出発だから乗って待ってて」と赤いソンテオを指差します。なんと! 助かった~。運転手さんだったんですね ^_^;)ついでに着いたら教えてとお願いして乗り込みます。そして本当に10分で発車。時刻は12:28。ピン川沿いを南下していきます。ほぉ、チェンマイにも人力タクシーがあるのか。そしてこれが花市場かな?その先で左折してピン川の橋を渡ります。かつて泊まったホテルは右手に見えるところだったような気が。東岸へ渡ったソンテオは左折して川沿いを北上します。この道は静かでなんだか雰囲気がいいな。ぐんぐん北上していく間もiPhoneのマップで現在地を確認し続けます。たぶんそろそろじゃないかなと思ったら、右手に見えてきましたよ。そこでソンテオは停車。ありがとうございました!と運転手さんにお礼を言いつつ運賃を支払います。時刻は、12:38。たった10分だったんですね。向かいに見えるのが目指していたカオソーイ・ラムドゥアン(ข้าวซอยลำดวน)です!または2号店と区別するためか、カオソーイ・ラムドゥアン・ファーハーム(ข้าวซอยลำดวน ฟ้าฮ่าม)と呼ぶことも。ファーハームはこの辺りの地名。店全体の外観はこんな感じ。ラムドゥアンって花の名前なんですよ。店主のチューレン(ニックネーム)なんですかね?1943年開業という歴史がこの店の人気の理由なのかも。あまりの人気にバンコク店もオープンしたんですよね。ラクシー手前のウィパワディー・ランシット・ソイ58にあります。道を渡って店に入ろうとすると、日本語が目に入って思わず興ざめ(笑)ほぉ、広い店内ではないですか。つくりからして団体さんがよく来ている雰囲気。観光バスで乗り付けるんでしょうね。愛想の無い事務的な感じの男性スタッフにカオソーイ・ガイ(鶏のカオソーイ)を頼むと、すぐに運んできてビックリ。いただきまーす!おぉ、まさにこれぞカオソーイ!という、誰もがカオソーイに対してイメージするそのままの味!甘くて辛くてカオソーイの王道ですね、これは。でも、量が少ない… -_-;)2,3杯食べないと足りない分量です。この後まだ他店も寄ることを考えるとちょうどいいかもしれませんが。35バーツ也。会計を済ませて店を出ようとすると、お土産用にお菓子も作って売ってるんですね。左に並んだ炭火の焼き器が味があっていいです ^^さあ、次はここから徒歩圏内のカオソーイ・サムージャイへ!<旅費交通費>ソンテオ:20バーツここまでの合計:2,268バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/09
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武廟を出ると向かいには、月餅販売ブースが出ていて、覗き込むおばさんがちらほら。ふと左手奥の黄色い看板に目が留まりました。ん?ワローロット市場と書いてあるじゃないですか。ワローロット市場への近道なのかなと思い入っていってみると、なんと。ここがワローロット市場そのものじゃないですか!実に約20年ぶりなもので、うろ覚えなんですよ。もっと川沿いにあるのかと思ってました。お、ガラメー(กาละแม ココナッツ味のキャラメル風スイーツ)が売られているところは昔のままですね。でも以前より扱う店が減ったかな。止まったままのエスカレーターを上り2階へ。この場所は元々、ランナー王家の葬儀場と墓所だったんです。ラマ5世の側室となることで、ランナー王国のタイ編入に大きな役割を果たしたランナーのダーラーラッサミー王女がチェンマイの地に一時戻った際、王家墓所を西方のワット・スアンドークへ移設しました。そして前王の子(王女の兄弟?)で本来ならランナー王になるはずだったインタワローロットスリヤウォン公とともに資金を拠出して、この場所に市場を開いたのがワローロット市場の始まりです。1909~10年頃と思われます。その後ランナー王家経営の会社が市場を運営したのですが、1968年に火事で全焼したのをきっかけに王家は経営から手を引き株式を売却。引き継いだ会社が、チュラロンコン大学建築学部のアン・ニマンヘミン教授に建物の設計を依頼し、1972年に再オープンさせたのが現在のワローロット市場です。地上3階地下1階建てで、屋根に採光窓を施し市場内が明るくなるように工夫されているんだとか。さらにチェンマイ初のエスカレーターを備えた市場になったそうで。今では止まったままですが。左端に掲げられた大きな白黒写真は、オープン当初の市場なんでしょうね。ところで地下階があるなんて、まったく気付きませんでしたよ。1階へ戻ってぶらぶら歩きます。カノム・トーンムアン(ヨックモックのシガールみたいなお菓子)を作っています。機械に挟んで生地を円形に平べったく焼いた後、棒にくるくる巻いて仕上げるんですね。初めて見ました。東側に出ましたよ~。タイ文字で「チェンマイ人の市場 ワローロット市場」と書かれています。そうそう、ワローロット市場の別名は「ガート・ルアン」(กาดหลวง)。ガートはチェンマイの方言で「市場」の意味。ルアンは「中央」「王」の意味なので、中央市場とか王の市場とかって意味になりますね。チェンマイ市内では「ガート○○」っていう地名を本当によく見かけるんですよ。Tuiさんの奥さんに意味を尋ねてようやく理解できました ^_^;)出た目の前の道は、トルッチーン(中国正月・春節)を祝うお祭り状態。歩道橋の垂れ幕にはタイ語とともに、The 13th Chiang Mai Chinatown Festival 2015清邁唐人街第十三届(二〇一五年)春節盛會と。チェンマイって中国語ではそう書くのか。道の反対側の市場にも足を踏み入れてみます。こちら側は正確にはワローロット市場ではないんだそうで。ラムヤイ市場と花市場から成っていて、それぞれ経営母体がワローロット市場とは異なるんだとか。日々の食料品はこっちのほうが揃いそうですね。そしてその市場も抜け、ようやくピン川沿いに出ることができました。川沿いの道に多数駐車中のソンテオを見て歩いていたら、こんな看板に遭遇。例の2015年2月15日から運行を開始した路線ソンテオのことじゃないですか。この場所が1番ソンテオの停留所だと書いてあります。右の看板は7番ソンテオの停留所でした。こんな写真、私撮ってたんですね。取り敢えず撮影しておいて、後で何が書いてあるかじっくり読もうと思っていて、今の今まですっかり忘れていました(笑)この時にしっかり読んでいれば、路線ソンテオを利用して旅もまた違ったものになったかもしれないのに。まあ、また次の機会に、ですね。さて、ここに止まっているソンテオは客待ちなのか休憩中なのか。乗るにはどうしたらいいんでしょうか?慣れない土地にはホントとまどいます。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:2,248バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。<参考>ตลาดวโรรส (กาดหลวง)Wikipedia "เจ้าดารารัศมี พระราชชายา"ウィキペディア「インタワローロットスリヤウォン」つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/06
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チェンマイ市街西部にある、楽天ブログ仲間Tuiさんのお店「Cafe & Dining COTO COTO」で食事の後、お店のもう一つのこだわりであるコーヒーを注文。タイのカフェで出されるコーヒーは濃過ぎてお腹を下すことがよくあるんですが、COTO COTOさんのコーヒーは、ちょうど良い濃さ。安心して味わいながら飲みつつ、Tuiさんに今日巡る場所を相談します。実はCOTO COTOさんに来ること以外、ノープランでチェンマイまでやって来たんですよ(笑)嬉しいことにTuiさんはプランをいくつか考えておいてくださいました。その中で私が選んだのは、カオソーイ食べ歩き!さらに時間が余ったら、追加でいくつか興味深いスポットも訪ねようと。とても参考になりました。Tuiさん、ありがとうございます。夜に時間があったらまたお邪魔するかもしれませんと告げ、COTO COTOさんを後にします。時刻は、11:11。ステープ通りを反対側に渡り、バス停(?)でソンテオを待ちます。まずはワローロット市場に行こうと思います。2台に断られつつ、3台目でやっとOK。30バーツとのこと。時刻は、11:20。市内中心方面へ向けて走っていきます。そうそう、チェンマイ空港から当初乗るつもりで「無い」と言われた路線ソンテオですが、どうもやはり運行しているようだということをつい数日前に偶然ネットで見かけた情報で知りました。元々2014年8月から運行開始予定だったものが実際に運行して中止になったのか、結局直前でお流れになったのかはわかりませんが、新たに2015年2月15日から暫定的に1,2,7,9番の4路線のみで運行を開始してるようなのです。chiangmaibus.orgというサイトに、路線図や、なんと走行中ソンテオの現在地マップまで掲載されています。「経緯」などを読むと、どうやらチェンマイ大学が中心になって行政や民間も協力した試験運行のようです。様々なデータを収集して、今後の路線バスサービス本格運行に活かしていくんだとか。でも例えば1番路線を見ると、7:00~17:00の間に10便しか運行していないようなんですよね。いくら定時・路線運行・定額が売りでもこの少なさでは… -_-;)それに1番路線って当初の計画ではチェンマイ空港に寄ることになっていたんですが、通らないルートに変更になってますね。果たして定着するのかどうか…。いずれにせよ、チェンマイ市内に路線運行の公共交通機関が無いというのは観光客には不便この上ないです。ぜひ利用価値のあるかたちで本格運用させて欲しいものです。さてさて、乗車したソンテオは、お客さんの行き先に応じて空港近くやらお堀の南東方面やらに寄り道して、最後の行き先がやっと私のワローロット市場。が、ターペー通りを走っているところで、やおら端に寄せて停車。ん? ここまでってこと?下車して運転席まで行くと、「渋滞だからここまで」だと。まあいっか。運賃を渡します。時刻は、11:46。さすがこの辺りは活気がありますね!ちなみに青いソンテオにはランプーンと書いてありますよ。へぇ、そんな路線のソンテオもあるのか。ターペー通りから北へ向かう路地に入りこんでみます。たしかワローロット市場ってこっちの方向ですよね。すると、細くて小汚い川を渡った先にテント風市場が。覗いてみると、山岳民族柄のバッグやら服やらだらけ!なんだここは?入っていってみると、まあどの店も見事に同じような商品ばかり扱ってます。見た目は壮観なんですが、どの店も売れてるのかな。東側の路地に抜けたところで看板発見。ソイ・モン(ซอยม้ง)Hmong Lane(Hmong Market)と書いてあります。なるほど。モン族の市場なのか。ちなみにバンコク周辺の中部地方に多く居住するモン族(มอญ)とは別の山岳民族のモン族です。カタカナ書きだと同じになっちゃいますが。あ、布製品よりこっちのアクセサリー系のほうが良さそう。どこをどう歩いたのかよく覚えてませんが、こんなところに出ました。ちょうどトルッ・チーン(中国正月・春節)の時期のため、中国廟の前にこんな装飾がされています。真っ赤な「武廟」に入ってみますか。あれ、意外と参詣客がまばらでした。今日は大晦日。本番は翌2月19日だからでしょうかね。さて、肝心のワローロット市場はどこ~? ^_^;)<旅費交通費>ソンテオ:30バーツここまでの合計:2,248バーツ※旅は2015年2月18日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/04/02
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