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半年程前から翻訳の仕事をいただき、空いた時間を使って仕事している。 訳しているのはイスラム教シーア派の教則本といえる種類の書籍で、 宗教の都市ghom(義両親、夫の出身地でもある)にある国際宗教大学が 外国人留学生の通信講座用に作成する音声と動画入りのahkamのDVD4枚。 その日本人留学生向けDVDの文章の部分を数人で分担し翻訳している。 翻訳の仕事はこれが初めてだがとても興味深い。 私はネットでのサイト閲覧やメールのやりとり、それから夫と息子との必要最低限の日常会話ぐらいしか 日本語を使わないでかれこれ10年以上も過ごしていて、 自分がいかに日本語を忘れているかということがよくわかった。 最近はこちら在住の日本人の方と話しているときも日本語の単語が思い出せず 言葉に詰まってしまうときがあるというのはわかっていたが 咄嗟には思い出せないぐらいであろうと思っていた、でも、、、。 翻訳をしているといろんな意味や概念にぶつかって、 これをどんな言葉に置き換えるのが適切か、 これまで目にしてきた言葉を頭のなかで一生懸命検索する。パソコンのアイコンにあるように 懐中電灯が脳みそをぐるぐる照らすような状態になり、たしかこんな言葉があったような、、、、 とあやふやながら思いつき電子辞書とにらめっこしながら言葉を捜しあてる。 こういう作業をしていてよくわかったのは、 大学時代に読んだ書籍がいかに頭に残っているかということ。 私は近代の作品を好んで読んでいたけれど、この時代の人々はたくさん勉強していて知識があり また外国の概念を日本語に置き換えるために、大変苦労をした人々である。 私はどういうわけか学生時代から当時流行の作家の作品よりも 私よりも100年近くも古い時代の人の作品や、表現や言葉や思想に自分と近い感覚を見出していた。 読んでいてすーっと頭に入ってくるし、アーーーなるほどなあ、、、と思うことが多かった。 そしてなんというか失礼なことを書いてしまうかもしれないけれども、、、 私が学生時代の流行作家のものを読んでも、読んだ気がしなかった、 スナック菓子とかおやつにはなるけれど、主食にはならず読みごたえがなかった。 私には軽すぎる感じがした。 もうひとつ翻訳作業でわかったのはペルシャ語は、英語よりも日本語に近くて 考えながら話したり、書いたりという言語ではないか?ということ。 こういう言語で、文章があまり上手でない人のものは、とにかく何を言っているのかはっきりわからない。 目的語や補語がどこにかかっているのか、指示代名詞が何を指しているのか明確でなくて、 母国語ではない私は、イライラしてくる。夫の頭脳はまったくの理系で、私が文章の構成的な質問をしても 私が求める答えが返ってこず、益々イライラする。 そこで私たちがとった方法は、私がどうにもよく理解できない部分の文章を 夫に英語に訳してもらう、、、そして英語から日本語に私が翻訳する。 これを行うようになって、費やす時間が大幅に減少した。 私は英会話はお粗末の一言だが、英語の読解は悪くない。 大学受験のための英語の勉強で好きになって、大学の1,2年も第一外国語に英語があって そのころもよく勉強したためだ。 とても込み入った表現、あるいはお粗末な不明瞭な文章の場合、 夫の英語訳を読んだあとに、ペルシャ語の本分に戻ると 文章の構成や何を言っているのかが見えてくる。 私は書くことだけが好きだと思っていたのだが、翻訳も向いているかも、と思った。 私は常々書くこととは いろいろな言葉をまず知る必要があり、 いろいろな感情や状況を自分のものとする感受性もなければいけない、 そしてそれを自分以外の人にも伝わるように、普遍性を考慮して、表現しなければいけない と思っているが、翻訳にもまたその三つが大切であるからではないかと思う。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年11月30日

韓国と北朝鮮の関係が悪化した日か、その次の日に、とても不思議な気にかかる夢をみた。私はテレビを見ておらず二日経った後、このニュースに気がついたのだが、、、夢はいい夢だったのか悪い夢だったのかわからない。ただとても印象に深く残った。蒼い、暗い、不透明の海水が視界に広がっていた。海の中にいてみているよう、でも海の中にいるような、息苦しい感覚はない。その海がだんだん不透明な暗い蒼いままゼリー状に固まっていく。泡も海流の動きもとどめたまま固まっていく。でも完全に固いわけではなく、ゼリー状という表現がぴったりの様子。そしてゼリー状になった濃い蒼い海に、ナイフで傷跡をつけるように線が引かれていく。まずは上から下へそして左から右にそして斜めに二本。星の輝きを象ったような印が大きく浮かび上がってきた。この夢は今後の私の個人生活を暗示するのか?もっと大きな世界的なことなのか?あるいは単なる夢なのかはわからない。ただとにかく心に深く刻まれた夢の光景だった。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年11月27日

こちらは本日シーア派のイード(祝日)。空気汚染がひどいということで昨日も休みになり三連休。先週も三連休でこんなでいいのかイラン?と思うけれど、すっかりその体制に慣れきってしまって息子の学校が休みでこちらものんびりしている。おとといも空手、昨日は特別クラスがあって、師範にびっちり絞られた。本日は二の腕、背筋、腿、肩、首の後ろが痛い。テクニカルの指導をうけた最後に100回の腕立て伏せ、100回のスクワット、100回の数種腹筋が見事に効いている。来週からは私も緑帯に昇段。帯だけでなく自身の心技体も上達させたい。テヘランは日差しのある日中は長袖を着ていればちょうどいい感じだが、日が落ちると寒い。本日は冬物の上着を押入れから出した。空気汚染は確かにひどいが今に始まったわけではない。恵みの雨が降ってくれないと大量にメッカの大巡礼から帰国した人々とともに世界中の病がイランに入って、振りまかれることであろう。IMG_2457 posted by (C)maryam f dIMG_2462 posted by (C)maryam f d息子が緑帯に昇段したときの画像。二枚目は彼の従姉妹の黒帯を拝借してポーズをとっていたので撮影。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年11月25日

最近ものすごく読みたくなってひさーしぶりに坂口安吾の 文学のふるさと を読んだ。この文章は大学時代によんで心惹かれ、大好きな文章のひとつでまさに 私の心のふるさと といえるものだ。非常に短い文章なのでまだ読んだことのない人はぜひどうぞ。ネットでも検索するとすぐに読めるので。私は高校時代に臨死体験をして、、、といっても医療ミスというか医療事故によるものだったのだが、とにかく呼吸がとまり、心臓も止まった。所謂、昏睡状態とか意識不明でなく、死んだという状態のとき私ははっきり自分を意識していた。ラジオの雑音を最大音にしたような音といくら目(心の目?)を凝らしてみてもまったく光のない闇の中に自分だけがいたのを覚えている。そして、このままここに居たら自分は間違いなく死ぬと自覚して、その時私は二つのことを願った。その後どのくらい時間が経っていたのかわからないが、石で殴られ、押し付けられているような激痛(電気ショックと心臓マッサージのため)で蘇った。死というものは彼岸にあるのではなく、生と陸続きのもので、表裏一体のものである、、、というのが私が臨死を通して得た結果である。母が生前、人は生まれるときも一人、死ぬときも一人ということを言っていたが、まったくその通りでもあった。それはともかくこの臨死体験によって死というものの魅力からなかなか逃れられなくなった。臨死体験をした高校2年の終わりから、大学時代もその後も生きるということがめんどくさく、煩わしく、大学時代のある時期には人と関わることに嫌悪を感じ、買い物の際に代金を払うのでさえ苦痛だった。でもある事情があって私は死ぬわけにはいかなかった。全く私は生きる意味を見失っていたのだが、この文章は私に 生きることとは所詮そんなものなんだ ということを教えてくれた。それを、生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独 という言葉で安吾は表現している。私は現在、何の不満もなく、何の心配も、問題もない、不自由もない、ありがたい生活を送っている。それでもやっぱり私にとって、この文章は 心のふるさと であり、家族がいて、生活があり、喜びがあり、悲しみがあり、信仰があっても、やはり孤独から逃れることはできないのだと思う。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年11月18日

久々の更新。テヘランはしばらく寒さが緩んでいる。今週は4日空手に通った。金曜日から強化クラスに通うことにした。範師じきじきに教えてもらえる。範師は黒帯8段、世界タイトルももっている。私たちは一年4ヶ月目に入っていてあと2,3週間したら緑帯への昇段試験を控えている。金曜日、第一日目の強化クラスで息子が回し蹴り上段を範師にみてもらったら、範師が”来週から緑帯だ”と言ってくださった。無試験で!息子の何が良かったのか、わからないが、確かに息子の回し蹴りはとても美しく、年齢と体格の割りにはとても痛いと思っていたが、何か良いいものがあったのだろう。息子は私の先輩になった。私のほうは順調に腹筋を続け、ついに皮下脂肪はほとんどおちた。身体の側面を身体に映しお腹をひっこめても、さほど引っ込めていない状態と変わらなくなった。腹筋の効果は絶大である。これは嘘ではない。腹筋は現在かなりはっきりしている。胸の筋肉も固くなっている。そして太ももの側面は以前から固くなっていたが太ももの前が固くならなかったが、これも腹筋で固くなった。太ももの前後は回し蹴りされると側面をやられるよりももっと痛く、辛い。腹筋のやり方は家の中で足の先を少しいれて引っ掛けられるところを探す。そこに両足を引っ掛け固定させて、寝転び、膝を曲げる。両手を胸にあてて、できるだけ顔を天井に向け、背中をまっすぐに、壁のようにさせて腹筋をする。このときに腹式呼吸を心がけ、腹筋をしたらきちんと声にだして数える(息をはききる)ともっと効果的だと思う。私は朝、晩50回やっている。途中で休むこともあるし、一揆にできるときもある。余力があるときはダンベルをつかって腕の筋力と肩、胸の筋肉強化トレーニングもする。あるいは腕立て伏せを行う。かなり余分な脂肪のある方にはお勧めできない。くれぐれも腰を痛めないように。最初は辛くなったらすぐにやめるようにしてそのかわり日に4,5、6回やるといいかもしれない。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年11月13日

こちらは数日冷たい雨が続いている。おとといから暖炉に火を入れた。昨日は息子の学校の父兄会があってまさか冬物のコートはまだ、、、と思って着ていくのをやめたのだけれども...厚手のコートにブーツ、ルサリーも冬物という格好の母親を沢山見た。後ろの壁に接近している席にすわったら寒いこと寒いこと、、、。午後からの空手にはしっかりと冬の出で立ちで、、、。リュウマチの持病のある身は寒さと湿気はなんとしても防がなければならない。水曜日の本日、、、現在午後5時20分、、、これから結婚式出席の支度せねば。日本では考えられないでしょうね、、、、。結婚式が夜会のこちらは息子の学校を考えると気が重い。それにとても寒い。夜会服も着ていきたくないがそういうわけにも行かず、上にしっかりと着込もうと思っている。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年11月03日
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