趣味の漢詩と日本文学
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【本文】昔大和の国葛城の郡にすむ男女ありけり。この女かほ容貌いときよらなり。としごろおもひかはしてすむに、この女いとわろくなりにければ、思ひわづらひて、かぎりなくおもひながら妻をまうけてけり。【訳】昔、大和の国の葛城の郡に暮らす男女がいたとさ。この女は、顔立ちも姿もとても清楚で美しかった。長年相思相愛で暮らしていたが、この女の経済状態が悪化してしまったので、思い悩んで、この上なく愛しいとは思いながらも男は別に妻をもうけてしまったとさ。【本文】このいまのめは富みたる女になむありける。ことにおもはねど、行けばいみじういたはり、身の装束もいときよらにせさせけり。かくにぎははしきところにならひて、きたれば、この女いとわろげにてゐて、かくほかに歩けどさらに妬げにもみえずなどあれば、いとあはれとおもひけり。心ちにはかぎりなく妬く心憂しとおもふを忍ぶるになむありける。留まりなむと思ふ夜も、なを「往ね」といひければ、わがかく歩きするを妬まで、異業するにやあらむ、さるわざせずばうらむることもありなんなど、心のうちにおもひけり。【訳】この新しい妻は裕福な女だったとさ。格別に愛していたわけではないが、男が訪ねて行くととてもよくねぎらい、男の着る衣装もとてもこざっぱりと着せたとさ。こうして男が裕福な生活に慣れて、たまに先妻のところに訪ねて来ると、先妻は非常に経済的に困窮したようすでがまんしており、こうして男がよその女のところをほっつき歩いても、いっこうに嫉妬しているそぶりも見せずにいるので、とてもいじらしいと思ったとさ。心中では、このうえなくねたましく辛いと思うのを我慢しているのであった。男が、今夜は家にとどまろうと思う夜も、先妻が「お出かけなさい」と言ったので、男は、自分がこんなふうによその女のところに出歩くのを焼き餅も焼かずに、先妻は浮気しているのであろうか、そうでもなければ自分を恨むこともあるだろうなどと、心の中で思ったとさ。【本文】さていでていくとみえて、前栽の中に隱れて男や來るとみれば、端にいでゐて、月のいといみじうおもしろきに、頭かい梳りなどしてをり。夜更くるまで寢ず、いといたううちなげきてながめければ、人待つなめりとみるに、使ふ人のまへなりけるにいひける、風吹けばおきつしらなみたつた山よはにや君がひとり越ゆらむとよみければ、わがうへをおもふなりけりとおもふに、いとかなしうなりぬ。この今のめの家は立田山こえて行くみちになむありける。【訳】そうして、出かけると見せかけて、庭先の植え込みのなかに隠れて、愛人の男が来るかしら、と思って見ていたところ、屋敷の部屋の端に出て腰をおろして、月がとても美しく見えるころに、頭髪に櫛を入れてかきなでなどして身なりを整えていた。夜遅くなるまで寝ず、とても深いため息などをついてぼんやり遠くを眺めていたので、浮気相手の男を待っているようだと思って見ていたところ、使用人で前にひかえていた者に向かって次のような和歌を詠んだとさ。風が吹けば海の沖の白波が立って危険ですが、足元が暗くて危険な立田山の山道を夜中に愛するあの人は独りで越えるているのだろうか。と胸中の思いを和歌に作ったので、先妻は私の身の上を心配しているんだなあと思うにつけても、非常に愛しくなった。新しい妻の家は竜田山を越えて行く途中にあったとさ。【本文】かくて、なほ見をりければ、この女うち泣きて臥して、金椀(かなまり)に水をいれて胸になむ据へたりける。「あやし、いかにするにかあらむ」とて、なほみる。さればこの水熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。又水を入る。みるにいとかなしくて走りいでて、「いかなる心ちし給へば、かくはしたまふぞ」といひてかき抱きてなむ寢にける。かくてほかへもさらに行かでつとゐにけり。【訳】こうして、さらにようすを見ていると、この先妻が、泣きながら横になって、金属の容器に水を入れて胸のところに置いたとさ。「ふしぎだ。どうするのだろう」と思ってなおも様子を見ていた。そうしたら、この水が熱湯にぐらぐらと沸騰したので、先妻は湯を捨てた。また水を入れた。この様子を見ていたら非常に愛しくなって、男は植え込みから走り出て、「どんなお気持ちがして、こんなことをなさるのか」と言って、先妻の体をかき寄せて抱いて寝たとさ。こうして、よそへもまったく行かずにずっとこの先妻の家にいたとさ。【本文】かくて月日おほく経ておもひけるやう、「つれなき顏なれど、女のおもふこといといみじきことなりけるを、かく行かぬを、いかに思ふらむ」と思ひいでて、ありし女のがりいきたりけり。久しく行かざりければ、つゝましくてたてりけり。さてかいまめば、我にはよくてみえしかど、いとあやしき様なる衣をきて、大櫛を面櫛にさしかけてをりて、手づから飯盛りをりけり。いといみじとおもひて、来にけるままに、いかずなりにけり。この男は王なりけり。【訳】こうして月日が多く流れて思ったことには、「表面上はそしらぬ顔であるが、女の胸中は非常に激しいものがあるのに、こうしてずっと訪問しないのを、どんなふうに新しい妻は思っているだろうか」と思い出して、例の女の元に行ったとさ。長いこと訪ねなかったので、遠慮して外に立っていた。そうして、垣根のすきまからのぞき見たところ、自分の前ではいい格好をして見せていたが、とてもみずぼらしいようすの着物を着て、大きな櫛を額の髪に突き刺していて、自分の手でご飯をよそっていたとさ。非常にだらしがないと男は思って、引き返してきたまま、二度と新しい妻のところへは行かなくなってしまったとさ。この男は親王の子だったとさ。
October 30, 2011
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