1

【本文】亭子の帝、鳥飼の院におはしましにけり。【注】・鳥飼の院=大阪府三島にあった離宮。【訳】宇多天皇が、鳥飼の院におでかけになったとさ。【本文】例のごと御遊びあり。「このわたりのうかれめどもあまた参りて候なかに、声おもしろくよしあるものは侍りや」と問はせ給に、うかれめばらの申すやう、「大江の玉淵(大江音人男)がむすめといふものなむ、めづらしうまゐりて侍る」と申しければ、みさせ給に、樣かたちもきよげなりければ、あはれがりたまうて、上にめしあげ給ふ。【注】・うかれめ=遊女。うたいめ。貴人の屋敷などで歌舞などを演じた芸能人。・大江の玉淵=大江音人(おとんど)の子。従四位下、丹波の守をつとめた。【訳】いつものように詩歌管絃の遊びをなさった。「この付近の歌いめたちが、大勢参上しております中に、声が美しく由緒ある者がいますか」とお問いになったところ、歌いめたちが申しあげるには、「大江の玉淵の娘という者が、珍しく参上しております」と申し上げたので、ごらんになったところ、姿かたちも上品でこざっぱりとして美しかったので、称賛なさって、御前にお召し上げになった。【本文】「そもそもまことか」など問はせ給に、鳥飼といふ題を皆人々によませ給けり。【訳】「そもそも、おまえが大江の玉淵の娘というのは本当か」などとご質問になり、「鳥飼」という題で列席の人々に和歌をお作らせになった。【本文】仰せたまふやう、「玉淵はいとらうありて、歌などよくよみき。この鳥飼といふ題をよくつかうまつりたらむにしたがひて、実の子かとはおもほさむ」とおほせたまひけり。【訳】お言葉を下さることには「玉淵は非常に気が利いて、歌なども上手に作った。この鳥飼という題を上手に詠んだら、そのときは玉淵の実の子とお思いになろう」とお言葉を下さった。【本文】うけたまはりてすなはち、あさみどり かひある春に あひぬれば霞ならねど たちのぼりけりとよむ時に、帝ののしりあはれがり給て、御しほたれ給ふ。【注】・「あさみどりかひある」に「とりかひ」を詠みこんである。・かひ=「甲斐」と「かひ(植物の芽)」の掛詞。・たちのぼり=霞が「たちのぼり」と「立ち上がって御殿にのぼる」の掛詞。【訳】仰せをうけたまわって、さっそく、うす緑の植物の芽がある春に出会うように、甲斐ある良い御代に会ったので、霞ではないが、この身も帝の御前に立ちのぼることができたなあ。と詠んだときに、帝がしきりに感動なさって、感涙におむせびになった。【本文】人々もよくゑひたるほどにて、醉ひ泣きいとになくす。【訳】列席の人々も十分酒に酔っていたこともあって、酔い泣きなさることこのうえなかった。【本文】帝、御袿一襲・袴たまふ。【訳】帝はウチキ一枚と袴を玉淵の娘にお与えになった。【本文】ありとある上達部・みこたち・四位五位、「これに物ぬぎてとらせざらむ物は座より立ちね」との給ければ、かたはしより上下みなかづけたれば、かづきあまりて、二間ばかりつみてぞ置きたりける。【訳】列席のありとあらゆる大貴族・親王・皇女・四位五位の者たちが、「この玉淵の娘に着物を脱いで与えない者はこの座から立ち去ってしまえ。」とおっしゃったので、片っ端から身分の高い者も低い者もみんな、玉淵の娘の肩に着物を掛けたので、掛け余って、二間ほどの高さに積んで置いておいたとさ。【本文】かくて帰り給ふとて、南院の七郎君(是忠親王七男源清平か)といふ人ありけり、それなむ、このうかれめのすむあたりに家つくりてすむ、ときこしめして、それになむの給ひあづけける。【訳】こうして、宴が終わってお帰りになるというので、南院の七郎君という人がいたが、その人が、この玉淵の娘が住む近所に家を構えて住んでいる、とお聞きになって、その南院の七郎君におっしゃって着物を預けたとさ。【本文】「かれが申さむこと院に奏せよ。院よりたまはせん物も、かの七郎君がり遣はさむ。すべてかれにわびしきめなみせそ」と仰せたまうければ、常になむとぶらひかへりみける。【訳】「玉淵の娘が申しあげるようなことを、帝に奏上せよ。帝からお与えになるような物も、例の南院の七郎君のところへつかわそう」とのお言葉を頂いたので、常に玉淵の娘を見舞い世話をしたとさ。
June 5, 2011
閲覧総数 41095
2

【本文】廿六日。なほ、かみのたちにてあるじし、ののしりて郎等までにものかづけたり。【注】●なほ 依然として。前日にひきつづき、ということ。●かみのたち 国守の官舎。●あるじ 饗応。接待すること。●ののしり 従来「ののしる」は「大声でさわぐ」という意味でとらえられてきたが、小松英雄は『古典再入門』において、「ああだこうだ言う」という新見を出した。●郎等 おともの者。家来。●かづけ 「かづく」は、慰労のために目下のものに衣類や反物のたぐいを与える。【訳】二十六日。この日も依然として国守の官舎で後任の国守が接待し、「長い間お疲れさまでした」とか「まあ、お飲みなさい」とか「ご馳走を召し上がれ」などと、いろいろなことを言って家来にまで慰労の品々をとらせた。【本文】からうたこゑあげていひけり。やまとうた、あるじも、まらうとも、ことひとも、いひあへりけり。からうたは、これにえかかず。やまとうた、あるじのかみのよめりける。 みやこいでてきみにあはんとこしものをこしかひもなくわかれぬるかなとなんありければ、かへるさきのかみのよめりける。 しろたへのなみぢをとほくゆきかひてわれににべきはたれならなくにことひとのもありけれど、さかしきもなかるべし。とかくいひて、さきのかみ、いまのも、もろともにおりて、いまのあるじも、さきのも、てとりかはして、ゑひごとに、こころよげなることしていでいりにけり。【注】●からうた 漢詩。●いひ いふ」には、詩歌を口ずさむ意がある。●まらうと 客人。●ことひと 主人・客人以外の人。●これにえかかず。 「え…ず」で、不可能を表す。従来「仮名文字しか女性は書けないので漢詩文を書くことが出来ない」とか「漢詩のことはよくわからないので書けない」などといったような解釈がなされているが、そうではあるまい。そう考えてしまうとあとの二十七日の記事に「からうたども、ときににつかはしき、いふ」とあるように、漢詩の内容を理解して評価している記事があることや、正月十七日の記事に「さをはうがつ、なみのうへの月を。ふねはおそふ、海のうちのそらを」などと唐の賈島の漢詩が書いてあることと矛盾する。ここでは、「あまりたいした作品も無いのでここに書き留めることはできない」という意味であろう。●しろたへのなみぢ 海路の旅が危険であったことが効果的に表現されている。●さかしき 「さかし」は、気が利いているようす。●もろともに 一緒に行動するようす。●おりて 座敷から地面におり立って。●ゑひごと 酔いにまかせて言う言葉。●こころよげなること 上機嫌な言葉。 【訳】漢詩を声をあげて朗詠した。また、和歌を、主人も、客人も、ほかの人も、詠み合った。漢詩はこれといった作品も無いのでここに書くわけにいかない。和歌を、送別の宴の主催である国守が詠んだ。 都を出発してあなたに会おうとやってきたのに、遥遥やってきた甲斐もなくもう別れてしまうのだなあ。と詠んだところ、その返歌として、帰京する前任の国守が詠んだ歌。 しろたえの布のように真っ白い波の立つ危険な波路を遠く行き来して私に似た目に遭うはずのものは他の誰でもないあなたなであり、私のことをよく理解できるのはあなたなのに。主人と客人以外の人の作品もあったけれども、気が利いた作品はないようである。あれやこれやと和歌を詠み合って、前任の国守も、現任の国守も、一緒に座敷から降りて、現任の国守も前任の国守も、手をとり合って、酔いに任せて昂揚して発する言葉に、調子のいい言葉を言って挨拶を交わして別れ、前任の国守は退出し、現任の国守は官舎へと入ってしまった。
March 23, 2009
閲覧総数 17312
3

【本文】昔大和の国葛城の郡にすむ男女ありけり。この女かほ容貌いときよらなり。としごろおもひかはしてすむに、この女いとわろくなりにければ、思ひわづらひて、かぎりなくおもひながら妻をまうけてけり。【訳】昔、大和の国の葛城の郡に暮らす男女がいたとさ。この女は、顔立ちも姿もとても清楚で美しかった。長年相思相愛で暮らしていたが、この女の経済状態が悪化してしまったので、思い悩んで、この上なく愛しいとは思いながらも男は別に妻をもうけてしまったとさ。【本文】このいまのめは富みたる女になむありける。ことにおもはねど、行けばいみじういたはり、身の装束もいときよらにせさせけり。かくにぎははしきところにならひて、きたれば、この女いとわろげにてゐて、かくほかに歩けどさらに妬げにもみえずなどあれば、いとあはれとおもひけり。心ちにはかぎりなく妬く心憂しとおもふを忍ぶるになむありける。留まりなむと思ふ夜も、なを「往ね」といひければ、わがかく歩きするを妬まで、異業するにやあらむ、さるわざせずばうらむることもありなんなど、心のうちにおもひけり。【訳】この新しい妻は裕福な女だったとさ。格別に愛していたわけではないが、男が訪ねて行くととてもよくねぎらい、男の着る衣装もとてもこざっぱりと着せたとさ。こうして男が裕福な生活に慣れて、たまに先妻のところに訪ねて来ると、先妻は非常に経済的に困窮したようすでがまんしており、こうして男がよその女のところをほっつき歩いても、いっこうに嫉妬しているそぶりも見せずにいるので、とてもいじらしいと思ったとさ。心中では、このうえなくねたましく辛いと思うのを我慢しているのであった。男が、今夜は家にとどまろうと思う夜も、先妻が「お出かけなさい」と言ったので、男は、自分がこんなふうによその女のところに出歩くのを焼き餅も焼かずに、先妻は浮気しているのであろうか、そうでもなければ自分を恨むこともあるだろうなどと、心の中で思ったとさ。【本文】さていでていくとみえて、前栽の中に隱れて男や來るとみれば、端にいでゐて、月のいといみじうおもしろきに、頭かい梳りなどしてをり。夜更くるまで寢ず、いといたううちなげきてながめければ、人待つなめりとみるに、使ふ人のまへなりけるにいひける、風吹けばおきつしらなみたつた山よはにや君がひとり越ゆらむとよみければ、わがうへをおもふなりけりとおもふに、いとかなしうなりぬ。この今のめの家は立田山こえて行くみちになむありける。【訳】そうして、出かけると見せかけて、庭先の植え込みのなかに隠れて、愛人の男が来るかしら、と思って見ていたところ、屋敷の部屋の端に出て腰をおろして、月がとても美しく見えるころに、頭髪に櫛を入れてかきなでなどして身なりを整えていた。夜遅くなるまで寝ず、とても深いため息などをついてぼんやり遠くを眺めていたので、浮気相手の男を待っているようだと思って見ていたところ、使用人で前にひかえていた者に向かって次のような和歌を詠んだとさ。風が吹けば海の沖の白波が立って危険ですが、足元が暗くて危険な立田山の山道を夜中に愛するあの人は独りで越えるているのだろうか。と胸中の思いを和歌に作ったので、先妻は私の身の上を心配しているんだなあと思うにつけても、非常に愛しくなった。新しい妻の家は竜田山を越えて行く途中にあったとさ。【本文】かくて、なほ見をりければ、この女うち泣きて臥して、金椀(かなまり)に水をいれて胸になむ据へたりける。「あやし、いかにするにかあらむ」とて、なほみる。さればこの水熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。又水を入る。みるにいとかなしくて走りいでて、「いかなる心ちし給へば、かくはしたまふぞ」といひてかき抱きてなむ寢にける。かくてほかへもさらに行かでつとゐにけり。【訳】こうして、さらにようすを見ていると、この先妻が、泣きながら横になって、金属の容器に水を入れて胸のところに置いたとさ。「ふしぎだ。どうするのだろう」と思ってなおも様子を見ていた。そうしたら、この水が熱湯にぐらぐらと沸騰したので、先妻は湯を捨てた。また水を入れた。この様子を見ていたら非常に愛しくなって、男は植え込みから走り出て、「どんなお気持ちがして、こんなことをなさるのか」と言って、先妻の体をかき寄せて抱いて寝たとさ。こうして、よそへもまったく行かずにずっとこの先妻の家にいたとさ。【本文】かくて月日おほく経ておもひけるやう、「つれなき顏なれど、女のおもふこといといみじきことなりけるを、かく行かぬを、いかに思ふらむ」と思ひいでて、ありし女のがりいきたりけり。久しく行かざりければ、つゝましくてたてりけり。さてかいまめば、我にはよくてみえしかど、いとあやしき様なる衣をきて、大櫛を面櫛にさしかけてをりて、手づから飯盛りをりけり。いといみじとおもひて、来にけるままに、いかずなりにけり。この男は王なりけり。【訳】こうして月日が多く流れて思ったことには、「表面上はそしらぬ顔であるが、女の胸中は非常に激しいものがあるのに、こうしてずっと訪問しないのを、どんなふうに新しい妻は思っているだろうか」と思い出して、例の女の元に行ったとさ。長いこと訪ねなかったので、遠慮して外に立っていた。そうして、垣根のすきまからのぞき見たところ、自分の前ではいい格好をして見せていたが、とてもみずぼらしいようすの着物を着て、大きな櫛を額の髪に突き刺していて、自分の手でご飯をよそっていたとさ。非常にだらしがないと男は思って、引き返してきたまま、二度と新しい妻のところへは行かなくなってしまったとさ。この男は親王の子だったとさ。
October 30, 2011
閲覧総数 26042
4

【本文】九日のつとめて、おほみなとより、なはのとまりをおはんとて、こぎいでけり。【訳】九日の早朝に、大湊から奈半の港を目指して行こうというので、船を漕ぎ出した。【本文】これかれ、たがひに、「くにのさかひのうちは」とて、みおくりにくるひと、あまたがなかに、ふぢはらのときざね・たちばなのすゑひら・はせべのゆきまさらなん、みたちよりいでたうびしひより、ここかしこにおひくる。【注】●あまた 数多い。●みたち 御館。国府の官庁。国守の官舎。●たうび 「たうぶ」は、「たまふ」の転じたもの。「お…になる」と尊敬の意を添える。【訳】この人もあの人も、互いに「国の境の内部におられるうちは、お見送り申しあげよう」というので、見送りにくる人が大勢いるなかに、藤原のときざね・橘のすえひら・長谷部のゆきまさらが、御官舎からご出発になった日から、ここあそこに追って来る。【本文】このひとびとぞ、こころざしあるひとなりける。【訳】この三人の人々が、ほんとうに誠意のある人なのだなあ。【本文】このひとびとのふかきこころざしは、このうみにもおとらざるべし。【注】●ざるべし 「ざる」は打消の助動詞「ず」の連体形。「べし」は、推量の助動詞で、確実性の高い推量を表す。【訳】この人々の深いまごころは、この海の深さにも劣らないにちがいない。【本文】これより、いまはこぎはなれてゆく。「これをみおくらん」とて、そこのひとびとも、おひきける。【訳】ここから、今まさに土佐の国のエリア内を離れて行く。「これを見送ろう」というので、その土地の人々も、あとを追ってきた。【本文】かくてこぎゆくまにまに、うみのほとりにとまれるひともとほくなり、ふねのひともみえずなりぬ。【注】●まにまに 「…するにしたがって」「…するにつれて」。●とまれるひと 「る」は完了の助動詞「り」の連体形で存続用法。●みえずなりぬ 「ぬ」は完了の助動詞。【訳】こうして、漕ぎすすむにつれて、海のほとりに立ち止まって見送っている人々の姿も遠くなり、浜のほうからは船に乗っている人の姿も見えなくなってしまった。【本文】きしにもいふことあるべし。ふねにもおもふことあれど、かひなし。かかれど、このうたをひとりごとにしてやみぬ。 おもひやる こころはうみを わたれども ふみしなければ しらずやあるらん。【注】●ふみしなければ 「ふみ」には「文(手紙)」と「踏み」を言い掛ける。すなわち、「手紙を送る手段もないので」と「踏みしなければ(波の上を踏んで岸まで行ってこの気持ちを伝えるわけにもいかないので)ということ。【訳】岸にいる人々においても、きっと何かこちらのことについて言っているであろう。船に乗っている人々においても、心中おもうことがあるが、もはや姿が見えないほど遠く離れてしまったので、いまさらどうしようもない。けれども、この歌を一人で口ずさんであきらめた。土佐の国の誠意ある人々のことをあれこれ考える私のその気持ちは海をわたるけれども、手紙がないから相手はその気持ちを知らずにいるだろうか。【本文】かくて宇多のまつばらをゆきすぐ。そのまつのかずいくそばく、いくちとせへたりとしらず。もとごとに、なみうちよせ、えだごとに、つるぞとびかよふ。「おもしろし」とみるに、たへずして、ふなびとのよめるうた。 みわたせば まつのうれごとに すむつるは ちよのどちとぞおもふべらなるとや。このうたは、ところをみるに、えまさらず。【訳】こうして、宇多の松原の沖を通過する。その松の本数はどれくらい、樹齢は何千年経過しているのかもわからない。幹ごとに波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛びかよっている。「すばらしいと思って見ていたら、感動にたえきれなくなって、船の人が詠んだ歌、 見渡したところ、松の梢ごとに巣くう鶴は 松を千年つきあう友だと思っているようだ、とか。この歌の出来は、実際のこの土地を見るに、まさっていない、景色のほうが断然すぐれている。【本文】かくあるをみつつ、こぎゆくまにまに、やまもうみもみなくれ、よふけて、にしひんがしもみえずして、てけのこと、かぢとりのこころにまかせつ。をのこもならはぬは、いともこころぼそし。まして、をんなは、ふなぞこにかしらをつきあてて、ねをのみぞなく。【訳】このような光景を見ながら、漕ぎ進んでいくにしたがって、山も海の景色もみな暮れ、夜がふけて、西も東も見えなくなり、気象条件の判断は船頭に一任した。男性も船旅に慣れていない者は、たいへん不安がった。まして、女性は船の床に突っ伏して頭を押し当てて声をあげて泣く。【本文】かくおもへば、ふなこ・かぢとりは、ふなうたうたひて、なにともおもへらず。そのうたふうたは「はるののにぞそねをばなく。わがすすきに、てきるきるつんだるなを、おややまぼるらん、しうとめやくふらん。かへらや。よんべのうなゐもがな。ぜにこはん。そらごとをして、おきのりわざをして、ぜにももてこず、おのれだにこず。」これならずおほかれども、かかず。これらをひとのわらふをききて、うみはあるれども、こころはすこしなぎぬ。かくゆきくらして、とまりにいたりて、おきなびとひとり、たうめひとり、あるがなかに、ここちあしみして、ものもものしたばで、ひそまりぬ。【訳】こんなふうに不安に思っていたら、船の乗組員や船頭のほうは、のんきに舟歌を歌って、なんとも思っていない。その歌う舟歌は、「春の野原で声をあげて泣く。わたしがススキで手を切りながら摘んだ菜を、あの人の親がむさぼり食うのだろうか、しゅうとめが食うのだろうか。実家にかえりたい。ゆうべの子供がこないかなあ、いたら代金を請求しよう。うそをついて、ツケで買い物しておきながら、金も持ってこないし、顔すら見せない」。この歌だけではなく、ほかにもいろいろ歌っていたが、いちいちここには書かない。これらの歌を同乗者たちが笑うのをきいて、海は荒れるが、胸中の不安はすこし穏やかになった。こんなふうに航海して、その日を暮らし、港に着いて、同船の老人が一人と、老女が一人、一行のなかで、船酔いで気持ちわるがって、ものも召し上がらず、さっさと寝静まってしまった。
April 10, 2009
閲覧総数 6080
5

【本文】七日になりぬ。おなじみなとにあり。【訳】もう正月七日になってしまった。依然としておなじ港すなわち大湊にいる。【本文】けふは、あをむまをおもへど、かひなし。ただ、なみのしろきのみぞみゆる。【注】●あをうま 陰暦正月七日の儀式で、宮中の庭に引き出された青毛(青みがかった黒い毛)の馬を、みかどが御覧になったあとで、宴を行った。青馬を見るとその年の邪気が除かれるという中国の故事にもとづく。のちには白馬を用いるようになった。【訳】今日は、京ではあおうまの節会だなあと思うけれども、そんなこと考えてもしかたがない。ただ、白い馬ではなく波が白いのだけが見える。【本文】かかるあひだに、ひとのいへの、いけとなあるところより、こひはなくて、ふなよりはじめて、かはのもうみのもことものども、ながびつにになひて、つづけておこせたり。わかなぞけふをばしらせたる。うたあり。そのうた。 あさぢふの のべにしあれば みづもなき いけにつみつる わかななりけり いとをかしかし。【訳】こんなことを考えながら過ごしていたところ、他人の家で、池という名がついている所から、池につきものの鯉は無くて、鮒をはじめ川の産物も、海の産物も、あるいはそれ以外の産物を、長櫃にいれて、かついで、つづけざまによこした。その中に入っていた若菜が、今日が七日だということを知らせた。それを見て歌を思いついた。その歌一面にチガヤが生い茂っているような野原であるから、水もない池で摘んだ若菜なのだなあ。【本文】このいけといふは、ところのななり。よきひとの、をとこにつきて、くだりてすみけるなり。【訳】この池というのは、土地の名である。身分も教養もある人が、男に付きしたがって、下ってきて住みついたのでる。【本文】このながびつのものは、みなひと、わらはまでにくれたれば、あきみちて、ふなこどもは、はらつづみをうちて、うみをさへおどろかして、なみたてつべし。【訳】この長櫃の品物は、その場のみんな、子供にまでやったので、じゅうぶん満足して、船の漕ぎ手たちは、ごちそうに腹鼓をうって、海をさへびっくりさせて、海が波を立ててしまいそうだ。【本文】かくて、このあひだに、ことおほかり。けふ、わりごもたせてきたるひと、そのななどぞや。いま、おもひいでん。【訳】こうしている間に、いろんなことがあった。今日、弁当箱を伴に持たせてやってきた人がいたが、その名はなんだったかしら。【本文】このひと、うたよまんとおもふこころありて、なりけり。とかくいひいひて、「なみのたつなること」と、うるへいひて、よめるうた。 ゆくさきに たつしらなみの こゑよりも おくれてなかむ われやまさらんとぞよめる。いと、おほごゑなるべし。【訳】このひとが訪ねてきたのは、歌を詠もうとおもう魂胆があってやってきたのだなあ。あれやこれやと、とかく色々しゃべって、「波が立つようですなあ」と、愚痴をこぼして、詠んだ歌。 あなたがたの行く先に立つ白波の、その音よりも、あとに残されて泣く私の泣き声がまさるだろうか。と詠んだ。きっとこの人の泣き声はさぞ大声なのにちがいない。【本文】もてきたるものよりは、うたはいかがあらん。このうたを、これかれあはれがれども、ひとりもかへしせず。しつべきひともまじれれど、これをのみいたがり、ものをのみくひて、よふけぬ。このうたぬし、「まだ、まからず」といひて、たちぬ。あるひとのこの、わらはなる、ひそかにいふ。「まろ、このうたのかへしせん」といふ。おどろきて、「いとをかしきことかな。よみてんやは。よみつべくは、はやいへかし」といふ。【訳】持参した品物にくらべて、歌の出来栄えはどんなものであろうか。この歌を、この人もあの人も称賛するが、一人も返歌をしない。返歌を詠むことができる人も混じっていたけれども、持参したものばかりを絶賛し、頂きものを飲食しているいちに、すっかり夜が更けてしまった。この和歌の詠み手が「まだ、帰るわけではありませんよ。」といって立ち上がった。ある人の子で、まだ子供であるのが、こっそり言った。「ぼくが、この歌の返歌をしよう」と。びっくいして、「非常に愉快だなあ。本当に詠めるのかい。詠めるのなら、はやく言ってごらん」と言った。【本文】「席をたちぬるひとをまちてよまん」とて、もとめけるを、よふけぬとやありけん。やがて、いにけり。「そもそもいかがよんだる」と、いぶかしがりてとふ。このわらは、さすがに、はぢていはず。しひてとへば、いへるうた。 ゆくひとも とまるもそでの なみだがは みぎはのみこそ ぬれまさりけれとなんよめる。かくはいふものか。うつくしければにやあらん。いとおもはずなり。「わらはごとにては、なにかはせん。おむな・おきな、ておしつべし。あしくもあれ、いかにもあれ、たよりあらば、やらん」とておかれぬめり。【訳】「席を立ってしまった人が戻るのを待って詠もう」というので、探したが、夜が更けてしまたからであろうか、そのまま立ち去ってしまった。「そもそも、どんなふうに詠んだの」と、不審に思って尋ねた。この子供、そうはいってもやはり、恥ずかしがって言わない。無理やり尋ねたところ、しぶしぶ口に出した歌。 去りゆく人も留まる人も、別れの辛さに袖が涙川につかったようにぬれる、その川の水ぎわばかりがどんどん濡れていくなあ。と詠んだ。小さい子が、こんなふうに大人顔負けに和歌を詠むものだろうか。幼いからであろうか、とても以外であった。「子供の詠んだ歌というのではしょうがない。年配の女性でも男性でも署名してしまいなさい。子供が詠んだ歌を大人が詠んだことにしてしまうことが、相手に悪かろうが、どうだろうが、そんなことはどうでもいい。ついでがあったら、この和歌を送ってやろう」というので、とって置かれたようだ。
April 3, 2009
閲覧総数 12903
6

【本文】五日、けふ辛くして和泉の灘より小津のとまりをおふ。松原めもはるばるなり。【訳】二月五日。今日ようやく和泉灘から小津港に向かう。新芽がふくらみはじめた松原の松も遥か遠くに見えた。【本文】かれこれ苦しければ詠めるうた、「ゆけどなほ行きやられぬはいもがうむをつの浦なるきしの松原」。かくいひつづくる程に「船疾くこげ、日のよきに」と催せば、楫取、船子どもにいはく「御船より仰せたぶなり。あさぎたの出で来ぬさきに綱手はやひけ」といふ。【訳】あれやこれや苦痛なことばかりなので、作った歌。「進んでもそれでもなお通過できないのは愛する女性がつむぐ糸のように長々とつづく小津の浦にある岸辺の松原だなあ」こんなふうに言いつづけるうちに、「船をはやく漕げ、天気がいいのだから」とせき立てたところ、船頭が手下たちに向かって言うには「御船からご命令をいただいたぞ。朝吹く北風が吹き起こらないうちに船の引き綱を引っ張れ」と言った。【本文】この詞の歌のやうなるは楫取のおのづからの詞なり。楫取はうつたへに、われ歌のやうなる事いふとにもあらず。聞く人の「あやしく歌めきてもいひつるかな」とて書き出せれば、げに三十文字あまりなりけり。【訳】この詞の歌みたいなものは船頭自身の言葉である。船頭は、ことさらに自分から歌のような事を言ったわけではない。聞いた者が「ふしぎなことに短歌めいて口にしたなあ」と言って「みふねより……」と紙に書き出したところ、ほんとうに三十一文字だった。【本文】今日浪なたちそと、人々ひねもすに祈るしるしありて風浪たたず。今し鴎むれ居てあそぶ所あり。京のちかづくよろこびのあまりにある童のよめる歌、「いのりくる風間と思ふをあやなくに鴎さへだになみと見ゆらむ」といひて行く間に、石津といふ所の松原おもしろくて濱邊遠し。【訳】今日は「波よ立つな」と人々が終日祈った効験があって風波が立たない。今ちょうどカモメが群がり集まって遊泳している場所がある。京が近づく喜びのあまりに、ある少年が作った歌。「祈りつづけてきた風の止んだ短い合間だと思うけれども、いままで波が立ってばかりいたので理屈に合わないことにカモメの群れあそぶ白い列を波だと思ってしまうのだろうか」。【本文】又住吉のわたりを漕ぎ行く。ある人の詠める歌、「今見てぞ身をば知りぬる住のえの松よりさきにわれは經にけり」。【訳】また住吉の浦あたりを漕ぎ進む。その時にある人が作った歌、「いま目の前にしてはじめてわかった。住之江の松よも私は年を経てしまったよ。(松の前方を通り過ぎたよ)」。【本文】ここにむかしつ人の母、一日片時も忘れねばよめる、「住の江に船さしよせよわすれ草しるしありやとつみて行くべく」となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、戀しき心ちしばしやすめて又も戀ふる力にせむとなるべし。【訳】この時に、昔ひとの母親だった人が、死んだ子を一日片時も忘れることがないので、作った歌、「住之江の浦に船を漕ぎ寄せておくれ、身に帯びると恋しい人を忘れることができるという忘れ草の効き目がほんとうにあるかどうかを実際に摘んで行って確かめることができるように」と作った。ことさらに忘れようというのではなくて、恋しい思いをしばらくやすめて、さらに恋うる助力にしようというつもりであろう。【本文】かくいひて眺めつづくるあひだに、ゆくりなく風吹きて、こげどもこげども、しりへしぞきにしぞきてほとほとしくうちはめつべし。【訳】こんなふうに言って眺め続けるうちに、急に風が吹き起こって、漕いでも漕いでも、後方へ後退し、あやうく転覆しそうだった。【本文】楫取のいはく「この住吉の明神は例の神ぞかし。ほしきものぞおはすらむ」とは今めくものか。【訳】船頭がいうには、「この住吉の明神は例の神様だよ、欲しいものがおありなのだろう。」とは、当世風であることよ。【本文】さて「幣をたてまつり給へ」といふにしたがひてぬさたいまつる。かくたいまつれども、もはら風やまで、いや吹きにいや立ちに風浪の危ふければ、楫取又いはく「幣には御心のいかねば御船も行かぬなり。猶うれしと思ひたぶべき物たいまつりたべ」といふ。【訳】そして「ぬさをさしあげなさい」というのでその言葉にしたがってぬさをさしあげた。こうして、さしあげたけれども、いっこうに風が吹き止まないで、ますます風吹きますます波だって危険だったので、船頭が、また言うには、「ぬさではご満足いかないので、お船も進まないのである。もっと嬉しいとお思いなさる適当なものを差し上げなさいませ。」と言った。【本文】又いふに従ひて「いかがはせむ」とて「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつる」とて海にうちはめつれば、いとくちをし。されば、うちつけに海は鏡のごとなりぬれば、或人のよめるうた、「ちはやぶる神のこころのあるる海に鏡を入れてかつ見つるかな」。【訳】また、言葉通りに「どうしようか、何を差し上げようか」と言い、「眼玉だって二つきりだが、たった一つしかない鏡を差し上げよう。」と言って、海に投げ入れたので、ひじょうに残念だ。すると、急に海は鏡の面のように平らかになってしまったので、ある人が作った歌、「荒々しい神様の心のように、荒れる海に鏡を投入してちょっと神様の心のうちを垣間見たことだなあ。」【本文】いたく住の江の忘草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら鏡に神の心をこそは見つれ。楫取の心は神の御心なりけり。【訳】それほど住之江の忘れ草、岸の姫松などという神様ではないようだ。はっきりと目の当たりに神様の心を確認した。船頭の心は、そのまま神の御心なのだなあ。
January 2, 2010
閲覧総数 3910
7

【本文】昔、大納言のむすめいとうつくしうてもちたまふたりけるを、帝にたてまつらむとてかしづきたまひけるを、殿にちかうつかうまつりける内舎人にてありける人、いかでかみけむ、このむすめをみてけり。【訳】昔、ある大納言がとてもかわいらしい娘を一人持っていらっしゃったが、帝にさしあげようとおもって、大事に育てていらっしゃったが、寝殿のおそばにお仕え申し上げていた内舎人だった人が、どういう機会に見たのだろうか、この娘を見てしまったとさ。【本文】顏容貌のいとうつくしげなるをみて、よろづのことおぼえず、心にかかりて、夜昼いとわびしく、やまひになりておぼえければ、「せちにきこえさすべき事なむある」といひわたりければ、「あやし。なにごとぞ。」といひていでたりけるを、さる心まうけして、ゆくりもなくかき抱きて馬にのせて、陸奥国へ、よるともいはずひるともいはず逃げて往にけり。【訳】顔立ちの非常にかわいらしいようすを見て、上の空になって、この娘のことだけがいつも気にかかって、娘と付き合えないことが夜も昼もとてもつらく、病気になったと感じられたので、「どうしてもお耳に入れたいことがございます」と言い続けたので、「不思議なことをいいますね。いったいなにごとですか。」と言って部屋から出たところ、前からの計画どおりに、即座に抱き上げて馬に乗せて、陸奥の国へと、夜となく昼となく女を連れて逃げていたとさ。【本文】安積の郡安積山といふ所に庵をつくりてこの女を据へて、里にいでつつ物などは求めてきつつ食はせて、とし月を経てありへけり。【訳】安積郡の安積山という所に粗末な家を構えて、この女を住ませて、男は人里に出かけては食糧などは買い求めてきては女に食わせて、何年も過ごして夫婦となったとさ。【本文】この男往ぬれば、ただ一人物もくはで山中にゐたれば、かぎりなくわびしかりけり。【訳】この男が家を去ると、女はたったひとりで、物も食わずに山の中の家で過ごしていたので、このうえなく心細かったとさ。【本文】かかるほどにはらみにけり。この男、物求めにいでにけるままに、三四日こざりければ、まちわびて、たちいでて山の井にいきて、影をみれば、わがありしかたちにもあらず、あやしきやうになりにけり。【訳】こうして山中で男と暮らすうちに、妊娠してしまったとさ。この男が、食い物などを買い求めに出かけたまま、三・四日もどってこなかったので、女は待ちわびて、家から外へ出て山の井まで行って、水に映った自分の姿をみると、自身のかつてあった姿ともちがい、見苦しい姿になってしまっていたとさ。【本文】鏡もなければ、顏のなりたらむやうもしらでありけるに、俄にみれば、いと恐しげなりけるを、いとはづかしとおもひけり。さてよみたりける、あさかやまかげさへみゆる山の井のあさくは人を思ふものかはとよみて木にかきつけて、庵にきて死にけり。【訳】山中の一軒家では鏡も無いので、自分の顔がどうなったかも知らずにいたが、急に見ると、とても恐ろしそうなようすであるのを、とてもきまりが悪く感じたとさ。そうして作った歌、安積山の自分の醜くなった姿が冴えてくっきりと見える山の井のように、あなたへの愛情が浅いわけではございませんが、こんなにみすぼらしくなってまで生きていとうはございません。と作って木に書き付けて、家にもどって死んだとさ。【本文】男、物などもとめてもてきて、しにてふせりければ、いとあさましと思けり。山の井なりける歌をみてかへりきて、これをおもひ死に傍にふせりて死にけり。世のふるごとになむありける。【訳】男が、食い物などを買い求めてもどってくると、女が死んで横たわっていたので、とても驚きあきれたことだと思った。男は、山の井のところにあった女の歌を見て、家にもどってきて、女を恋したって死んで、女の遺体のそばに横たわって死んだとさ。これは、昔実際にあったという言い伝えだとさ。
July 26, 2012
閲覧総数 38161
8

【本文】下野の国に男女すみわたりけり。【注】・Aわたる=Aしつづける。【訳】むかし、下野の国に男女がずっと一緒に暮らしていたとさ。【本文】としごろすみけるほどに、男、妻まうけて心かはりはてて、この家にありける物どもを、今の妻のがりかきはらひもて運び行く。【注】・としごろ=長い間。長年。【訳】長年一緒に暮らしているうちに、夫が新しい妻をこしらえて、すっかり心変わりして、この元の妻の家にあった家財道具を、今の妻の元へ一切合切運んで行った。【本文】心憂しとおもへど、なほまかせてみけり。【訳】元の妻は「つらいわ」と思ったが、それでもやはり夫のなすがままにまかせて見ていたとさ。【本文】ちりばかりのものも残さずみな持て往ぬ。【訳】塵ほどの家財も残さず全部持って行ってしまった。【本文】ただのこりたるものは、馬ぶねのみなむありける。【訳】ただ残っているものといえば、飼い葉桶だけであったとさ。【本文】それを、この男の従者、真楫といひける童を使ひけるして、このふねをさへとりにおこせたり。【訳】ところが、この夫の家来が、真楫という少年を使いとして、この飼い葉桶までもとりによこしたとさ。【本文】この童に女のいひける、「きむぢも今はここに見えじかし」などいひければ、「などてかさぶらはざらむ。主おはせずともさぶらひなむ」などいひ、立てり。【訳】この少年に元の妻が向かって「おまえも、もうこの家には顔を見せないのだろうよ」などと言ったところ、真楫が「どうして伺わないということがございましょう。ご主人さまがおいでにならなくても、きっとお伺いいたしましょう」などと言って立っていた。【本文】女、「ぬしに消息きこえむは申てむや。文はよに見給はじ。ただ、言葉にて申せよ」といひければ、「いとよく申てむ」といひければ、かくいひける、「『ふねも往ぬ まかぢもみえじ 今日よりは うき世の中を いかでわたらむ』と申せ」といひければ、男にいひければ、物かきふるひ去にし男なむ、しかながら運びかへして、もとの如くあからめもせで添ひゐにける。【注】・よに……じ=決して……ないだろう。・ふね 「馬ぶね」と「船」の両義をもたせる。・まかぢ 召使いの少年の名に船の「かじ」を言い掛けた。「かぢ」「わたる」は「ふね」の縁語。・あからめもせで 脇目もふらずに。つまり、よその女には目もくれず、この元の妻ひとすじに愛する、ということであろう。【訳】元の妻が真楫に向かって「旦那様に伝言したとしたら、申し上げてくれるか。手紙で書いても決してお読みにはならないだろう。ただ言葉で申し上げよ」と言ったところ、真楫が「しかとよく申し上げましょう」と言ったので、こんなふうに言った、「『船もどこかに行ってしまった、楫も見あたらない(うまぶねもよそへ行ってしまった 真楫も姿を見せないでしょう)今日からはつらいこの世をどうやって過ごしていこうかしら。』と申し上げよ」と言ったので、その伝言を真楫がご主人様に言ったところ、家財道具をなにもかも持って行ってしまった夫が、そっくり元通りに運び返して、かつてのように、仲むつまじく浮気心もおこさずに寄り添って暮らしたとさ。
April 2, 2013
閲覧総数 63276
9

【本文】大和の国に男女ありけり。【訳】大和の国に男と女とがいたとさ。【本文】年月かぎりなく思ひてすみけるを、いかがしけむ、女をえてけり。【訳】長年互いにこのうえなく愛して暮らしていたが、どうしたのであろうか、別に女をつくったとさ。【本文】なほもあらず、この家に率てきて、壁を隔てて住みて、わが方にはさらによりこず、いと憂しとおもへど、さらに言ひも妬まず。【訳】それだけではなく、新しい女をこの家に連れて来て、壁を隔てて住んで、わたしのほうへは、いっこうに寄りつかない。元の妻は非常につらいと思ったが、けっしてねたましい気持ちを口にしなかった。【本文】秋の夜の長きに、目をさましてきけば、鹿なむ鳴きける。【訳】秋の夜の長いときに、目を覚まして聞くと、シカが鳴いていた。【本文】物もいはで聞きけり。【訳】だまってじっと聞き入っていたとさ。【本文】壁をへだてたる男、「聞き給ふや、西にこそ」といひければ、「なにごと」といらへければ、「この鹿のなくは聞きたうぶや」といひければ、「さ聞き侍り」といらへけり。【訳】壁を隔てている夫が、「あの鳴き声をお聞きになりますか、西にシカがいますよ」といったところ、「なにごとですか」と返事をしたので、「このシカの鳴き声が聞こえますか」と言ったところ、「たしかにそのようにシカが鳴くように聞こえます」と返事したとさ。【本文】男、「さて、それをばいかが聞きたまふ」といひければ、女ふといらへけり。 我もしか なきてぞ人に恋ひられし 今こそよそに 声をのみきけとよみたりければ、かぎりなくめでて、この今の女をば送りて、もとの如なむ住みわたりける。【注】・しか 「このように」という意とシカの意を言い掛けた。【訳】夫が、「ところで、あのシカの声をどのようにお聞きになりますか」と言ったところ、元の妻がさっと返答したとさ。わたしもシカと同じように鳴いてあなたから恋い慕われたものですよ、今でこそよそにあなたの声だけを聞くような寂しい境遇となってしまいましたが。と歌を作ったので、夫は元の妻が作ったこの歌をこのうえなく称賛して、新しい妻を送り返して、もとのように初めの妻とずっと暮らしたとさ。
April 8, 2013
閲覧総数 25126
10

【本文】十六日、けふのようさりつかた京へのぼるついでに見れば、山崎の小櫃の繪もまがりのおほちの形もかはらざりけり。「賣る人の心をぞ知らぬ」とぞいふなる。【訳】二月十六日。今日の夜になるころ、京へのぼるときに、見ると、山崎の小櫃の絵も、曲の大釣り針の模型も昔と変わりがなかった。【本文】かくて京へ行くに島坂にて人あるじしたり。必ずしもあるまじきわざなり。立ちてゆきし時よりはくる時ぞ人はとかくありける。これにもかへりごとす。【訳】ところで、京へ行く折に、島坂である人が我々一行をもてなした。必ずしもやるとは限らない行為である。出発してゆく時よりは、もどってくる時のほうが、他人はこんなふうに見返り目当てに接待するものなのだなあ。この者にもやはり返礼をした。【本文】よるになして京にはいらむと思へば、急ぎしもせぬ程に月いでぬ。桂川月あかきにぞわたる。人々のいはく「この川飛鳥川にあらねば、淵瀬更にかはらざりけり」といひてある人のよめる歌、「ひさかたの月におひたるかつら川そこなる影もかはらざりけり」。【訳】夜まで時間をつぶしてから京に入ろうと思うので、急ぎもせずくつろいでいるうちに月が出た。桂川を月の明るいときに渡った。人々が言うことには、「この川は飛鳥川ではないから、淵も瀬も全く変わりがないなあ」と言って、ある人が作った歌。「空の月に生えている桂と同じ名の桂川、水面に映った月の光も昔とまったく変わらないなあ」。【本文】又ある人のいへる、「あまぐものはるかなりつる桂川そでをひててもわたりぬるかな」。又ある人よめる、「桂川わがこころにもかよはねどおなじふかさはながるべらなり」。みやこのうれしきあまりに歌もあまりぞおほかる。【訳】また、ある人が作った歌、「空の雲のように土佐の国から遥かへだたっていた京の桂川を懐かしさに涙で袖をびっしょりぬらして渡ったなあ」。また、ある人が作った歌、「桂川は私の心とつながっているわけではないが、帰京の万感の思いと同じぐらい深く流れるようだ」。【本文】夜更けてくれば所々も見えず。京に入り立ちてうれし。家にいたりて門に入るに、月あかければいとよくありさま見ゆ。【訳】夜が更けてからやってきたので、昼間なら目にはいるはずの寺院など各所も見えない。京に入って自分の足で土地を踏んで帰京の実感が湧いて嬉しい。家に到着して門を入ったところ、月が明るいので非常によくありさまが見える。【本文】聞きしよりもましていふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も荒れたるなりけり。中垣こそあれ、ひとつ家のやうなればのぞみて預れるなり。さるはたよりごとに物も絶えず得させたり。こよひかかることと聲高にものもいはせず、いとはつらく見ゆれど志をばせむとす。【訳】聞いていた以上に、言葉に言い尽くせないほどひどく破損していた。家屋に加えて預けておいた人の心も荒れてしまったのだなあ。隣家との間には中垣があるが、一軒の家みたいなものだからというので、むこうが申し出て預かっっていたのだ。それにもかかわらず、折あるごとに、預かり賃がわりに贈り物も絶えずやっておいたのに。「今夜帰って来てみたらこんなことになっていたなんて」と家の者たちが大声で隣家に聞こえるように不平を言うのを制した。隣人の管理のいい加減な態度は非常に薄情に思われ、こんな荒れた我が家を見るのはとてもつらいけれども、いちおう謝礼はしようと思う。【本文】さて池めいてくぼまり水づける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに千年や過ぎにけむ、かた枝はなくなりにけり。いま生ひたるぞまじれる。大かたの皆あれにたれば、「あはれ」とぞ人々いふ。【訳】ところで、池のようにくぼんで水に漬かっているところがある。確か、そばには松もあった。五年か六年留守にしているあいだに千年も経過してしまったのだろうか?千年の樹齢を保つといわれる松の大半が無くなってしまっていた。最近生えたらしい若い木が混じっている。屋敷の大部分がみんな荒れてしまったので、「あーあ、こんなことってあるかしら」と人々が言った。【本文】思ひ出でぬ事なく思ひ戀しきがうちに、この家にて生れし女子のもろともに歸らねばいかがはかなしき。船人も皆こたかりてののしる。かかるうちに猶かなしきに堪へずして密に心知れる人といへりけるうた、「うまれしもかへらぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ」とぞいへる。【訳】こうして久しぶりに我が家に立つと、思い出さない事もなく、なかでも恋しいことは、この家で生まれて土佐へ連れて行った女の子が、土佐から一緒に戻ってこなかったので、どんなに悲しいことか。船で一緒に帰ってきた人たちも、みんな家の荒れようを見て腹を立てて不平を言っている。そうこうするうちに、やはり悲しみにこらえきれずに、こっそり心の通じ合っている人と作った歌、「生まれた娘も土佐で死んでこの家に帰ってこないのに、我が家に帰って来たら子の帰りを待つという小松が生えているのを見るのが悲しい」。【本文】猶あかずやあらむ、またかくなむ、「見し人の松のちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや」。わすれがたくくちをしきことおほかれどえつくさず。とまれかくまれ疾くやりてむ。【訳】それでもまだ気がおさまらなかったのであろうか、また、こんなふうに作った。「面倒を見た隣人が、松が本来の樹齢千年を保つようにきちんと管理をしていたら、松が枯れることもなく永遠の悲しい別れをしただろうか、いや、せずにすんだものを(面倒を見た者が松が千年もの樹齢を保って長生きするのと同じように長生きできるように死んだあの子の面倒をしっかりみていたら、遠い土佐での悲しい死別をせずにすんだものを)」。京を旅立ってから帰ってくるまでのあいだに、忘れようにも忘れられない残念なことが沢山あったが、残らずここに書き尽くすことはできない。まあ、とにかく、この色々あったいやなことを一刻も早く忘れてしまおう。
March 21, 2010
閲覧総数 4035
11

【本文】九日、心もとなさに明けぬから船をひきつつのぼれども川の水なければゐざりにのみゐざる。この間に和田の泊りのあかれのところといふ所あり。よねいをなどこへばおこなひつ。【訳】二月九日、京に着く待ち遠しさに、夜があけぬうちから、船を曳きつつ川をさかのぼるけれども、川の水量がじゅうぶん無いので、のろのろと進む。ところで、和田の船着き場の川の枝分かれという土地がある。物乞いが米や魚などを乞うので、施した。【本文】かくて船ひきのぼるに渚の院といふ所を見つつ行く。その院むかしを思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる岡には松の木どもあり。中の庭には梅の花さけり。ここに人々のいはく「これむかし名高く聞えたる所なり。故惟喬のみこのおほん供に故在原の業平の中将の「世の中に絶えて櫻のさかざらは春のこころはのどけからまし」といふ歌よめる所なりけり。【訳】こうして船を曳き川をさかのぼる時に渚の院という所を見ながら進んだ。その院は、むかしを想像しながら見ると、興味ぶかい所である。後方の丘には松の木がいくつもある。中の庭には梅の花が咲いている。ここで人々が言うには、「これは昔有名だった所だ。故惟喬親王の御供で故在原業平の中将が「世の中に絶えて桜のさかざらは春のこころはのどけからまし」といふ歌を作った所だなあ。【本文】今興ある人所に似たる歌よめり、「千代へたる松にはあれどいにしへの声の寒さはかはらざりけり」。【訳】今、風流を解する人が場所にふさわしい歌を作った。「千年も年を経ている松ではあるが、むかしながらの松風の音の寒々しさは変わらないのだなあ」。【本文】又ある人のよめる「君恋ひて世をふる宿のうめの花むかしの香にぞなほにほひける」といひつつぞ都のちかづくを悦びつつのぼる。【訳】また、ある人が作った歌、「惟喬親王を恋しく思いながら年を経る院の梅の花が、むかしと同様の良い香に依然として匂っているなあ」などと言いながら、都が近づくのを喜びながら川をさかのぼる。【本文】かくのぼる人々のなかに京よりくだりし時に、皆人子どもなかりき。いたれりし国にてぞ子生める者どもありあへる。みな人船のとまる所に子を抱きつつおりのりす。【訳】こうして川をのぼる人々のなかに、京から下った時には、みんな子供が無かった。赴任いていた国で子を産んだ者たちが寄り集まっている。みんな船が停泊する所で子供を抱っこして船を乗り降りする。【本文】これを見て昔の子の母かなしきに堪へずして、「なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくてくるが悲しさ」といひてぞ泣きける。父もこれを聞きていかがあらむ。かうやうの事ども歌もこのむとてあるにもあらざるべし。もろこしもここも思ふことに堪へぬ時のわざとか。こよひ宇土野といふ所にとまる。【注】宇土野 いまの高槻市鵜殿か。【訳】このようすを見て、むかし生きていた子どもの母親が、悲しみにこらえきれずに、「都を出発するときには子が無かった者も、子のある状態で帰るその他人の子を、わたしには子があったのに、無い状態で帰ってくるのが、なんとも悲しい」と言って泣いた。その亡き子の父もこの歌を聞いてどんな気持ちであろう。このような悲しい歌を作ることも、嘆くことも、ただ歌を作るのが好きだからといって作るわけでもないであろう。中国でも日本でも、感情を抑えきれなくなってするここだとか。今夜は、宇土野という所に泊る。
February 21, 2010
閲覧総数 10002
12

【本文】帝、おりゐ給ひて、またのとしのあき、御ぐしおろし給ひて、ところどころ山ぶみし給ひて、おこなひたまひけり。【注】・帝=ここでは、宇多上皇。・御ぐしおろし=かしらおろし=頭髪をそって出家すること。・山ぶみ=山歩き。山には寺や神社がある。【訳】帝が退位なさって、翌年の秋、頭を剃って出家なさって、あちこち山歩きなさって、仏道修行なさった。【本文】備前の掾(ぜう)にて、橘良利(たちばなのよしとし)といひける人、内におはしましける時、殿上にさぶらひける、御ぐしおろしたまひければ、やがて御ともにかしらおろしてけり。【注】・掾(じょう)=地方の三等官。【訳】備前の国の三等官で、橘良利と言った人が、帝が宮中にいらっしゃった時分、殿上人としてお仕えしていたのだが、帝が頭を剃って出家なさると、すぐにご一緒に頭を剃って出家なさった。【本文】人にもしられたまはで、ありき給ひける御ともに、これなむおくれたてまつらでさぶらひける。【訳】人にも知られなさらぬように、各地の山を歩きなさるお供として、このかたが遅れ申し上ることなく、ぴったりと付き添っておそばにお仕えした。【本文】「かかる御ありきしたまふ、いとあしきことなり。」とて、うちより「少将、中将、これかれ、さぶらへ。」とて、たてまつれたまひけれど、たがひつつありきたまふ。 【訳】「こんなふうに出歩きなさるのは、大変よくないことです。」というので、宮中から「ボディーガードとして少将や中将など、あの者もこの者も、帝を警護せよ。」といって、差し向け申しあげなされたが、相変わらずおかまいなしに山歩きなさった。【本文】和泉のくににいたりたまうて、日根といふところにおはします夜あり。【訳】あるとき、和泉の国にお出ましになって、日根というところにおいでになった夜のことです。【本文】いとこころぼそう、かすかにておはします事を思ひつつ、いとかなしかりけり。【訳】帝がとても心細く、さびしそうにしておられるのを、橘良利をはじめ従者たちは、どうしたものかと考えながら、とても悲しくせつなかった。【本文】さて、「日根といふことを、うたによめ。」とおほせ事ありければ、この良利大徳(だいとく)、 ふるさとの たびねのゆめに 見えつるは うらみやすらむ 又ととはねば とありけるに、みな人泣きて、えよまずなりにけり。その名をなん、寛蓮大徳といひて、のちまでさぶらひける。【注】・「たびね(旅寝)」という文字列の中に、地名の「ひね(日根)」が詠み込まれている。【訳】ところで、「日根という地名を、和歌に作れ」と、帝よりご命令があったので、この良利大徳が、「故郷が旅寝の夢に見えたのは、私を恨んでいるのであろうか、出家して二度と帰らない決心をしているわけだから」と詠んだところ、その場にいた者すべて泣きだして、あとの人は和歌を詠めなくなってしまった。良仁は、出家してのち、その名を寛蓮大徳といって、帝がお亡くなりになったのちまで、長生きして帝の後世を弔ったとさ。
September 25, 2010
閲覧総数 28522
13

第八十二段【本文】むかし、惟喬の親王と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬といふ所に、宮ありけり。年ごとの桜の花ざかりには、その宮へなむおはしましける。その時、右の馬の頭なりける人を、常に率ておはしましけり。時世経て久しくなりにければ、その人の名忘れにけり。狩はねむごろにもせで、酒を飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。今狩する交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りて、かざしにさして、上・中・下、みな歌よみけり。馬の頭なりける人のよめる、 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからましとなむよみたりける。また人の歌、 散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべきとて、その木のもとは立ちて帰るに、日暮れになりぬ。御供なる人、酒を持たせて、野より出で来たり。御供なる人、酒を持たせて、野より出で来たり。この酒を飲みてむとて、よき所を求め行くに、天の河といふ所にいたりぬ。親王に、馬の頭、大御酒まゐる。親王ののたまひける、「交野を狩りて、天の河のほとりにいたるを題にて、歌よみて、盃はさせ」とのたまうければ、かの馬の頭、よみて奉りける、狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に われは来にけり 親王、歌をかへすがへす誦じたまうて、返しえしたまはず。紀の有常、御供に仕うまつれり。それが返し、 一年に ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ帰りて、宮に入らせ給ひぬ。夜ふくるまで酒飲み、物語して、あるじの親王、酔ひて入りたまひなむとす。十一日の月も隠れなむとすれば、かの馬の頭のよめる、 飽かなくに まだきも月の隠るるか 山の端逃げて 入れずもあらなむ親王にかはり奉りて、紀の有常、 おしなべて 峰も平らに なりななむ 山の端なくは 月も入らじを【注】〇惟喬の親王=文徳天皇の第一皇子。小野の宮、または水無瀬の宮と称した。在原の業平は親王を擁立して帝位につけようとしたが、母方が紀氏であったために藤原氏に妨げられて果たさず、親王は出家して不遇の一生を終わった。(八四四~八九七年)。〇申す=申し上げる。「いふ」の謙譲語。〇おはします=いらっしゃる。「あり」の尊敬語。『伊勢物語』においては、「いまそかり」よりも敬意が高い。〇山崎=京都府乙訓郡大山崎町。「乙訓」は、よみかたが一定しないらしく、小西甚一『土佐日記評解』(有精堂)では「おとしろ」、『旺文社古語辞典』では「おとくに」と読んでいる。京都盆地と大阪平野をつなぐ地点。淀川の右岸で北に天王山、川を隔てて男山をひかえ、関門としての要地。古くから京都から西国への河港として開け、中世には油座があって栄えた。司馬遼太郎著『国盗り物語』に詳しい。〇水無瀬=摂津の国の北東部、山城の国との境近く、淀川沿いの地。大阪府三島郡島本町広瀬の地。平安初期から狩猟地として知られ、鎌倉初期には後鳥羽上皇の離宮があった。〇おはします=いらっしゃる。「行く」の尊敬語。〇右の馬の頭なりける人=右馬寮の長官。在原業平の官称。〇率る=ひきつれる。伴う。〇時世=年月。〇ねむごろにもせで=熱心にもしないで。〇やまと歌=和歌。〇かかる=熱中する。没頭する。『角川必携古語辞典』によれば、「やまと歌」は和歌のことだが、特にやまと歌」という場合は、「唐歌(=漢詩)」に対していう。男性たちの宴においては、漢詩を作ることが一般であった。そのような時代に、和歌によって心を慰めた人々が、「伊勢物語」に描かれているのである、という。〇交野=河内の国交野郡内(今の大阪府枚方市・交野市付近)の台地。山城の国との国境に近い、淀川の東岸一帯で、平安時代以降、皇室の狩猟の地であった。〇渚の家=渚の院。河内の国、交野にあった離宮と考えられている。〇その院=渚の屋敷。〇ことにおもしろし=格別美しい。〇木のもとにおりゐて=馬からおりて腰をおろして。『伊勢物語』九段「その沢のほとりの木の陰におりゐて、乾飯食ひけり」。〇かざし=草木の枝葉や花を折って髪や冠にさしたもの。〇上・中・下=身分の高い人も、中ほどの人も、低い人も。〇たえて~なし=まったく~ない。〇~せば~まし=もし~だったら~だろうに。いわゆる反実仮想の表現。〇また人の歌=別の人の作った歌。〇いとど=ますます。いっそう。〇めでたし=すばらしい。〇憂き世=つらい世の中。この世。〇久し=永遠だ。〇出で来=現れる。〇飲みてむ=飲んでしまおう。「て」は強意の助動詞「つ」の未然形、「む」は、意志の助動詞。〇天の河=河内の国交野郡の禁野の別名。〇大御酒=天皇など貴人のお飲みになるお酒。〇まゐる=差し上げる。お勧めする。〇のたまふ=おっしゃる。「いふ」の尊敬語。〇いたる=行き着く。〇さす=盃に酒を入れて勧める。〇狩り暮らす=狩猟で一日を暮らす。〇たなばたつめ=織女星。初秋の頃、牽牛星とともに天の川あたりに現れる星。〇かへすがへす=繰り返し。〇誦ず=節をつけて唱える。口ずさむ。〇紀の有常=平安時代初期の貴族。名虎の子で、仁明・文徳・清和の三代の天皇に仕え、晩年は従四位下、周防権の守であった。妹静子が文徳天皇の更衣として惟喬の親王・恬子親王を産んだが、藤原良房の妹明子の産んだ惟仁親王が清和天皇として即位したため不遇であった。(?~八八七年)。〇来ます=いらっしゃる。おいでになる。「く」の尊敬語。〇宮=渚の院。〇物語=話。〇飽かなくに=満足していないのに。〇まだきも=時至らないのに早くも。〇山の端=山の稜線。山が空に接する部分。〇おしなべて=すべて一様に。【訳】むかし、惟喬の親王と申しあげた親王がいらっしゃった。山崎の向こうの、水無瀬という所に、離宮があった。毎年の桜の花ざかりには、その離宮へおでましになった。その時、右馬頭だった人を、常に引き連れてお出かけになった。年月がたってだいぶ長くなってしまったので、その人の名は忘れてしまった。狩は熱心にもしないで、酒を飲みながら、和歌に夢中になったのだった。今狩をしている交野の川べりの屋敷、その離宮の桜が格別にみごとだ。その木のそばに馬からおりて腰を下ろして、枝を折って、髪に挿して、身分が高いものも・中ほどのものも・低いものも、みな歌を作った。右馬頭だった人が作った歌、 この世の中に全く桜がなかったならば、春の心はもっとのどかなものだったろうに。と作ったのだった。別の人の作った歌、 散るからこそいっそう桜はすばらしいのだ。つらいこの世に一体なにが永遠のものがあろうか、いや、何もない。といって、その木のそばから立ちあがって帰ると、日暮れになってしまった。御供である人が、酒をお持ちになって、野から現れた。御供である人が、酒をお持ちになって、野から現れた。「この酒を飲んでしまおう。」といって、適当な場所を探して行くと、天の河という所に行き着いた。惟喬親王に、右馬頭が、お酒を勧めた。親王がおっしゃったことには、「交野で狩りをして、天の河のほとりにたどり着いたということを題として、歌を作ってから、盃に酒を注げ」とおっしゃったので、例の右馬頭が、作って差し上げた歌、狩りをして一日を暮らし、疲れたので織女に一夜の宿を借りよう。それにしてもこんなに遠く天の河原にまで私はやって来てしまったなあ。 親王、歌をかへすがへす誦じたまうて、返しえしたまはず。紀の有常が、御供としてお仕えしていた。その者の作った返歌、一年に一回だけいらっしゃる殿方を待っているので宿を貸す人もいないだろうと思います。帰って、離宮にお入りになった。夜が更けるまで酒を飲み、話をして、主人の惟喬親王が、酔ひて入りたまひなむとす。十一日の月も今にも隠れてしまいそうなので、例の右馬頭が作った歌、まだじゅうぶん満足するまで眺めていないのに、早くも月が隠れてしまうのか。山の端が遠くへ逃げて月を入れないでほしいなあ。惟喬親王に代ってさしあげて、紀の有常が作った歌、どの峰も、みな一様に平らになってしまってほしい。山の端がなかったら、月も山のむこうに入らないだろうに。
June 10, 2017
閲覧総数 13518
14

【本文】同じ帝、狩いとかしこく好みたまひけり。【訳】同じ天皇が、狩りを大変お好きだったとさ。【本文】陸奧国、磐手の郡よりたてまつれる御鷹、よになくかしこかりければ、になうおぼして、御手鷹にしたまひけり。名を磐手となむつけたまへりける。【注】・磐手の郡=岩手県を流れる北上川上流一帯。・よになく=世の中に比べるものがないほど。・になう=二つと無く。たぐいなく。【訳】むつの国の、磐手の郡から献上したタカが、この世にまたとないほど素晴らしかったので、こよなくお思いになって、ご愛用のタカになさったとさ。【本文】それをかの道に心ありて、預り仕り給ひける大納言にあづけたまへりける。夜昼これをあづかりて、とりかひ給ほどに、いかゞしたまひけむ、そらしたまひてけり。【訳】そのタカを、鷹狩りの方面に精通していて、タカのお世話を担当申し上げなさっていた大納言にお預けになったとさ。夜も昼もタカを預かって、飼育なさっているうちに、どうしたのであろうか、あやまって逃がしてしまったとさ。【本文】心肝をまどはしてもとむれども、さらにえ見出ず。山々に人をやりつつもとめさすれど、さらになし。自らもふかき山にいりて、まどひありきたまへどかひもなし。【注】・心肝をまどはして=気持ちを動揺させあわてさせて。・まどひありき=途方に暮れて方々を歩き回り。【訳】天皇の大事なタカを逃がした大納言は、慌てふためいて探しまわったが、一向に見つけ出すことができない。山々に部下たちを行かせては探し求めさせたが、まったくいない。自身も深い山中に入って、あちらこちらと探し歩きなさったが、その甲斐もなかった。【本文】このことを奏せでしばしもあるべけれど、二三日にあげず御覧ぜぬ日なし。いかがせむとて、内裏にまゐりて、御鷹の失せたるよしを奏したまふ時に、帝物も宣はせず。きこしめしつけぬにやあらむとて、又奏したまふに、面をのみまもらせ給うて物も宣はず。【訳】このことを天皇に申し上げないで、しばらくはいたいのだが、天皇はしょっちゅうお気に入りのタカを御覧になる。やむをえないと思って、宮中に参上して、タカがいなくなった旨を申し上げなさったときに、天皇は何もおっしゃらなかった。お聞こえにならなかったのだろうかと、ふたたび申し上げたところ、大納言の顔ばかりをじっと御覧になって、何もおっしゃらない。【本文】たいだいしとおぼしたるなりけりと、われにもあらぬ心ちしてかしこまりていますかりて、「この御鷹の、求むるに侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などか仰せ言もたまはぬ」と奏したまふに、帝、いはでおもふぞいふにまされると宣ひけり。【注】・「いはでおもふぞいふにまされる」=「いはでおもふ」に「口に出さずに思い慕う」と「磐手のことを思い慕う」の意を掛ける。『古今和歌六帖』五「心には下行く水のわきかへりいはでおもふぞいふにまされる」。【訳】「けしからんことだ」とお思いになっているのだなあと、気が気でない心境で、恐縮していらっしゃって、「このタカが、探しても、どこにもおりませぬことを、いかがいたしましょう。どうしてお言葉をくださらないのですか。」と申し上げたところ、天皇が、「口に出さずに心のなかで思うほうが、口に出していうよりも気持ちがまさっている」とおっしゃったとさ。【本文】かくのみ宣はせて、異事も宣はざりけり。御心にいといふかひなく惜しくおぼさるゝになむありける。これをなむ、世中の人、本をばとかくつけける。もとはかくのみなむありける。【訳】これだけおっしゃって、ほかのことは何もおっしゃらなかったとさ。ご心中ではとても言ってもしかたがないと残念にお思いになっていたとさ。これを世間の人が、短歌の上の句のように五・七・五をあれこれ考えて付けたんだとさ。本来は、「いはでおもふぞいふにまされる」という七・七の十四音だけだったんだとさ。
July 23, 2012
閲覧総数 39440
15

【本文】亭子(ていじ)の帝、石山につねに詣で給ひけり。【訳】宇多天皇さまは、石山寺にしょっちゅう参詣なさっていた。【注】「亭子の帝」=宇多天皇(八六七年~九三一年)。譲位後に亭子院という邸宅にお住まいになったのでい う。第一段に既出。「石山」=石山寺。近江の国(今の滋賀県)大津の瀬田川の西岸の地にある真言宗の寺。上代から信仰が厚 い。近江八景により月の名所として知られる。紫式部が『源氏物語』を執筆したという源氏の間がある。「つねに」=しじゅう。よく。「詣づ」=参詣する。【本文】国の司、「民疲れ国ほろびぬべし」となむわぶるときこしめして、「異くにぐにも御庄(みさう)などにおほせて」とのたまへりければ、もて運びて御まうけをつかうまつりて、まうでたまひけり。【訳】近江の国の国司が、「(こんなに頻繁に帝がおいでになっては)住民が困窮し国が滅びてしまう」とつらさを訴えているとお聞きになって、「他の国にも荘園などに命じて物資を拠出させよ」とおっしゃったので、近江まで運送して、ご準備をいたしまして、参詣なさった。【注】「国の司」=国司。律令制の地方官。守(カミ)・介(スケ)・掾(ジョウ)・目(サカン)などの四等官とその部下の史生(シジョウ)とで構成されて、地方行政をつかさどった。国司は中央貴族に比べ官位は低かったが、生活には裕福なものが多かった。「異くにぐに(異国々)」=日本の中の他国。「御庄」=ミソウ。貴人の所有する荘園。【本文】近江の守、いかにきこしめしたるにかあらむと歎き恐れて、又無下にさてすぐし奉りてむやとて、帰らせ給ふ打出(うちで)の浜に、世の常ならずめでたきかり屋どもをつくりて、菊のはなのおもしろきをうゑて、御まうけつかうまつれりけり。【訳】近江の国守が、帝はどのようにしてお聞きおよびになったのであろうかと慨嘆恐縮して、またむやみにそのまま自らは何も接待せずに放置申し上げることができようかと思って、参詣を終えて都へお帰りになる途中にお通りになる打出の浜で、なみなみならぬ立派な仮設のお屋敷などを建設して、菊の花でみごとに咲いたのを植えて、ご接待もうしあげた。【注】「いかに」=どのように。「きこしめす」=「聞く」の尊敬語。お聞きになる。「無下に」=むやみに。「すぐす」=ほうっておく。「打出の浜」=今の滋賀県の琵琶湖岸。ウチイデノハマともいう。「めでたし」=立派だ。みごとだ。「おもしろし」=美しい。風情がある。「まうけ」=準備。また、ごちそうの支度。「つかうまつる」=「なす」「おこなふ」の謙譲語。「~もうしあげる」。【本文】国の守もおぢ恐れて、ほかにかくれをりて、ただ黒主をなむすゑ置きたりける。【訳】国守も恐縮して、よそに身を隠していて、ただ黒主を留守に残しておいた。【注】「おぢおそる」=びくびくしてこわがる。先に不満を述べたことが帝の耳に入ったことを知ったため、どんなおしかりがあるかびくびくして恐縮している。「黒主」=六歌仙の一人。平安時代前期の歌人。醍醐天皇の大嘗会の近江の国の風俗歌などで知られ、その名は『古今和歌集』の序文にも見える。【本文】おはしまし過ぐるほどに、殿上人、「黒主はなどてさてはさぶらふぞ」ととひけり。【訳】お通りかかりになったときに、殿上人が、「黒主よ、おまえは、どうして、そこにそんなふうにしてひかえているのか」と質問した。【注】「おはしまし過ぐ」=やってこられて通り過ぎる。「殿上人」=四位・五位で清涼殿の殿上の間に昇殿することを許された者。六位でも蔵人は天皇の秘書のような役目を果たす必要上、昇殿を許された。「などて~ぞ」=「どうして~か」。『源氏物語』≪夕顔≫「などてかくはかなき宿りは取りつるぞ」。「さぶらふ」=貴人のそばにお控え申し上げる。【本文】院も御車おさへさせ給ひて「なにしにここにはあるぞ」ととはせたまひければ、人々とひけるに、申しける、【訳】宇多天皇も、お乗りになっていた牛車を停車させなさって、「どうしてここにいるのか」と側近をに命じて黒主に質問させたので、人々が質問したので、黒主が申し上げた歌、【注】「おさふ」=動かないようにする。「なにしに」=どんなわけで。【本文】さざらなみまもなく岸を洗ふめり渚清くば君とまれとかとよめりければ、これにめでたまうてなむとまりて、人々に物給ひける。【訳】さざなみは片時も休む間もなくひっきりなしに岸を洗っているように見えます。もしもこの波打ち際が清らかで美しいとお目にとまりなさいましたら帝にご宿泊なさいませとかいうことでございました。という和歌を作ったので、この歌に感動なさってご宿泊なさって、おまけに人々に結構なものをお与えになったとさ。【注】「さざらなみ」=さざれなみ。細かく立つ波。さざなみ。波が立つようすから、「間もなく」の枕詞。また「波」に対して「岸」「洗ふ」「渚」は縁語。「めり」=現実の状況を実際に観察し、たしかにそうだと判断しながらも断定を避け、傍観的に「~のように見える」とやわらかく推定する助動詞。
September 10, 2016
閲覧総数 13599
16

【本文】泉の大将、故左のおほいどのにまうでたまへりけり。【注】・泉の大将=藤原定国。高藤の息子。大納言・右大将をつとめた。(八六七年~九〇六年)・故左のおほいどの=藤原時平。【訳】泉の大将が故左大臣のお屋敷に参上なさったとさ。【本文】ほかにて酒などまゐり、酔ひて、夜いたく更けてゆくりもなく物したまへり。【注】・まゐる=「飲む」の尊敬語。・ゆくりなし=突然。・物す=動詞「来」の代用。【訳】余所で酒などお飲みになり、酔って、夜ひじょうに遅くに突然いらっしゃった。【本文】おとどおどろき給て、「いづくに物したまへる便りにかあらむ」などきこえ給て、御格子あげさはぐに、壬生忠岑御供にあり。【訳】左大臣さまがびっくりなさって、「どこにいらっしゃったついでであろうか?」などと申し上げなさって、家の者たちが出迎えの準備に格子をつりあげて忙しく立ち働いていると、壬生忠岑がお供のなかにいた。【本文】御階のもとに、まつともしながらひざまづきて、御消息申す。「かささぎの渡せるはしの霜の上を夜半にふみわけことさらにこそとなむ宣ふ」と申す。【注】・かささぎの渡せるはしの=大伴家持の「かささぎの渡せる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける」(天の河にカササギが架け渡している橋に降りている霜が白いのを見るにつけても、夜が更けてしまったなあ)をふまえる。【訳】階段の下に、松明をともしたままひざまずいて、訪問をお告げ申し上げた。「カササギが渡しているはしの霜のうえを、夜中に踏み分けてわざわざ尋ねて参りましたよ、とおっしゃっておられます」と申し上げた。【本文】あるじの大臣いとあはれにおかしとおぼして、その夜、夜一夜大御酒まゐり、あそび給て、大将も物かづき、忠岑も禄たまはりなどしけり。【注】・夜一夜=夜通し。・大御酒=臣下を相手に飲む酒。・あそぶ=歌舞音曲を楽しむ。【訳】主人である大臣も、非常に風流で味わい深いとお思いになって、その夜、夜通し臣下を相手にお酒を召し上がりなさって、大将も衣類を褒美にいただき、忠岑も褒美の品をいただいたりなどしたとさ。【本文】この忠岑がむすめありとききて、ある人なむ「得む」といひけるを、「いとよきことなり」といひけり。【訳】この忠岑のむすめがいると聞いて、ある人が「妻にしよう」といったのを、「たいへん結構なことだ」といったとさ。【本文】男のもとより「かのたのめたまひしこと、このごろのほどにとなむおもふ」といへりける返り事に、「わがやどの ひとむらすすき うら若み むすび時には まだしかりけり」となむよみたりける。まことに又いと小きむすめになむありける。【注】・たのめたまひしこと=娘を妻しようという申し入れに対して「いとよきことなり」(たいへん結構なことだ)と約束したこと。・ひとむらすすき=一人むすめのたとえ。・うら若み=「うらわかし」(新鮮でみずみずしい)と「うら」(心)が「わかし」(幼い)の掛詞であろう。・まことに又=この「又」は、あるいは元「まだ」とあったものか。【訳】男のところから、「例の当てにさせなさったこと、近いうちにと思います」と言った、その返事に、「我が家にある一群のススキは、若くてみずみずしく、生長していないので、結ぶには十分な長さがないように、また、心が幼いので、夫婦の契りを結ぶにはまだ早いと思います」と歌を作ったとさ。本当にまだ幼いむすめだったとさ。
April 7, 2011
閲覧総数 29206
17

【本文】廿六日。まことにやあらむ。海賊追ふといへば、夜はばかりより船をいだして漕ぎくる。【訳】正月二十六日。本当であろうか、「海賊が追ってくる」というので、夜中ぐらいから船を出して漕いで来た。【本文】道にたむけする所あり。楫取してぬさたいまつらするに、幣のひんがしへちれば楫取の申し奉ることは、「この幣のちるかたにみふね速にこがしめ給へ」と申してたてまつる。【訳】船路の途中、海神への手向けをする場所があった。船頭にぬさを奉納させたところ、ぬさが東方へ散ったので船頭が申し上げたことには、「このぬさの散った方角へ船をすみやかに漕がせてくださいませ」と申し上げた。【本文】これを聞きてある女の童のよめる、「わたつみのちぶりの神にたむけするぬさのおひ風やまずふかなむ」とぞ詠める。【訳】これを聞いて、ある少女が詠んだ歌、「海の奥底の海神さまに手向けをするぬさが東へ散ったように東へ向かう追い風よ、やむこと無く吹いておくれ」と詠んだ。【本文】このあひだに風のよければ楫取いたくほこりて、船に帆あげなど喜ぶ。その音を聞きてわらはもおきなもいつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。【訳】ところで、風向きが良いので、船頭が調子にのって、「船に帆をあげろ」などと嬉しそうである。その音を聞いて、子供も老人も胸中早く帰京したいと思っていたからであろうか、とても喜んだ。【本文】このなかに淡路のたうめといふ人のよめる歌、「追風の吹きぬる時はゆくふねの帆手うちてこそうれしかりけれ」とぞ。ていけのことにつけていのる。【訳】この船旅の客のなかにいた淡路島の老女という人が詠んだ歌、「追い風がとうとう吹いた時は進む船の帆布を張って、手をたたいて喜ぶほど嬉しかった」と詠んだ。天気のことにかこつけて祈った。
October 8, 2009
閲覧総数 1033
18

【本文】監(げむ)の命婦(みやうぶ)のもとに、中務(なかつかさ)の宮おはしましかよひけるを、「方(かた)のふたがれば、こよひはえなむまうでぬ。」とのたまへりければ、その御かへりことに、 あふことの かたはさのみぞ ふたがらむ ひとよめぐりの 君となれれば とありければ、方ふたがりけれど、おはしましてなむ、おほとのごもりにける。【注】・監=近衛府の将監。女性を呼ぶときに親兄弟の官職を付けて呼んだ。・命婦=宮中や後宮の女官。平安時代以後は中級の女官をさす。・中務の宮=醍醐天皇の皇子、式明親王。中務卿。907……966年。・かたふたがり=陰陽道で外出のとき、天一神(なかがみ)がいる方角を忌むこと。どうしても、その方角に行くには、前夜に一旦他の方角へ立ち寄って方違えをしたのち、翌日そこから目的地へ向かう。・かへりこと=返事。・おほとのごもる=おやすみになる。「寝(ぬ)」の尊敬語。【訳】近衛府の将監の命婦のもとに、中務の宮がいらっしゃってお通いになっていたが、「かたふたがりのため、今夜は参上できない」とおっしゃったところ、そのご返事に、「私に会いにくる方向はさぞふさがっているのでしょう一晩ずつあちこちめぐって泊まりあるく天一神のように浮気な人におなりになっているので」と詠んでよこしたので、方ふたがりだったが、命婦の所においでになって、共にお休みになったとさ。【本文】かくて又、ひさしく音もし給はざりけるに、「嵯峨の院に狩すとてなむ、ひさしく消息(せうそこ)などもものせざりける。いかにおぼつかなくおもひつらむ。」など、のたまへりける御返に、 おほさはの いけの水くき たえぬとも なにかうからむ さがのつらさは 御返しこれにやおとりけむ。人わすれにけり。【注】・嵯峨の院=嵯峨は京都市右京区嵯峨。平安時代には遊猟の地として知られた。嵯峨天皇の離宮が造営されて以後、貴族が別荘を多く建てた。古来、花・紅葉・秋草・虫の名所で、大覚寺・清涼寺などの名刹も多い。・水くき=筆跡。手紙。【訳】こんな一件があってのち、また、長い間お便りもなさらなかったが、「嵯峨の院で狩りをするというので、忙しくて長いことお手紙なども差し上げなかった。どんなに待ち遠しく思っていたことだろうか」など、手紙でおっしゃったそのご返事に、大沢の池の水くきならぬあなたからの水くき(手紙)がたとえ来なくなったとしても、どうして男の性(さが)の冷淡さを辛く感じたりしましょうか、あなたの薄情なのは思い知らされているので、いまさら辛くなど感じませんよ、と詠んだ。この歌に対する親王のお返事は内容が劣っていたのだろうか、この話を語った人も忘れてしまったとさ。
October 3, 2010
閲覧総数 1663
19

【本文】右京の大夫宗于の君の家には、前栽をなんいたう好みてつくりける。女郎花・菊などあり。この男のもと(「もの」?)へ行きたりける間をうかがひて、月いと明かりけるに、女房集まりて、群れてこの前栽を見歩きて、いと高き札に歌をかきつけて、その花の中に立てける、きてみれば 昔の人は すだきけり 花のゆゑある 宿にぞ有りける【注】・「前栽」=庭先の植え込み。・「女郎花・菊」=オミナエシとキク。いずれも秋の花。オミナエシは萩・桔梗・尾花・撫子・葛・藤袴と並ぶ秋の七草の一。・「すだく」=集まる。・「宿」=屋敷の中庭。庭先。【訳】右京の大夫宗于様の家には、前栽をとても情緒たっぷりに配置していた。女郎花・菊などが植えてあった。この男がどこかよそに行っていたすきをうかがって、月が非常に明るかったときに、女房たちが集まって、集団でこの前栽を見て歩きて、とても高い立て札に歌をかきつけて、その花の中に立てた、その立札の歌やってきてみると、昔なじみの人たちが、多くあつまっていたことよ。花が風情たっぷりに咲いている屋敷の中庭だったわ。【本文】かかりければ、男誰ともしらざりけれど、来てとりもやすると書き立てたりける、我がやどの 花は植ゑにし心あれば まもる人のみ すだくばかりぞと書き付けたりける、さて、もし取る人もやあるとうかがはせけるに、一夜二夜来ざりければ、たゆみてまもらざりける間にぞとりてける。口惜しくえ知らでやみにけんかし。【注】・「AもやB」=AがBだと困る。・「まもる」=見張る。・「たゆむ」=怠る。油断する。・「え~で」=~できないで。・「やむ」=そのままになってしまう。【訳】こんなふうだったので、男は相手が誰だともわからなかったが、またやってきて花を摘み取ったりすると困ると立札に書いて立てておいた、その歌、私の家の中庭の花は、植えた際に気持ちがこもっているから、見張り番だけが警戒して集まるだけだと書き付けておいた。そうして、万一とる人がいたら困ると思って、使用人に様子をうかがわせたところ、一晩か二晩は来なかったので、油断して監視しなかったすきに取ってしまった。無念にも犯人が誰か知ることもできずじまいになってしまったのだろうよ。【本文】又、この男、仁和の御門召してけり。「御室に植ゑさせ給はんに、おもしろき菊たてまつれ」と仰せ給ひける。うけ給りてまかでければ、又めしかへして、そのたてまつらん菊に名付けて参らずば、納め給はじ」と仰せられければ、かしこまりてまかでて、菊など調じて奉りける。時雨ふる 時ぞ折りける 菊の花 うつろふからに 色のまさればとて奉れり。悪しも良しもえ知らず。【注】・「仁和の御門」=宇多法王。第五十九代の天皇。亭子院のみかど。菅原道真を重用し、藤原氏の台頭を抑え、政治刷新に努め、寛平の治と評価された。『古今集』以下の勅撰集に十七首入集。初段に既出。・「召す」=お呼び寄せになる。・「御室」=仁和寺。宇多法王の居所。京都市右京区御室にある、真言宗御室派の本山。仁和四年(八八八)宇多天皇の建立。・「かしこまる」=命令を慎んで承る。【訳】また、この男を、宇多法皇がお呼び寄せになった。「仁和寺の御室に植えさせるつもりなので、風情ある菊を献上せよ。」とお命じになった。承知して退出いたしたところ、再度およびもどしになって、「そのほうの献上の菊に名を付けて参上しないなら、帝はお納にならないだろう。」とおっしゃったので、承知して退出して、菊などを調達して献上した。時雨がふる時に折ったことだ菊の花は 色が変色するにつれて色が濃くなるのでと歌を作って添えて献上した。歌の評価の悪い・良いも理解することができなかった。【本文】又、この男の許に、国経の大納言のもとより、いささかなる事の給ひて、御文をぞ給へりける。御返事きこゆとて、おもしろき菊につけたりければ、いかが見給ひけん、かかる歌をよみ給ひける、( )この部分 和歌が欠落とて有ける、この男驚きて、とかくおもはば、程経へんに、かの御使ひの思ふ事もあらんとて、ただとくぞ、ふと走り書きて奉れりける。花衣 君がきをらば 浅茅生に まじれる菊の 香にまさりなん【注】・「国経の大納言」=藤原長良の長男。二条の后の兄。六段に既出。・「おもしろし」=美しい。風情がある。・「花衣」=華麗な衣。・「浅茅生」=丈の低いチガヤが生い茂ってるところ。・「ほどふ」=時間がたつ。【訳】また、この男のところに、大納言藤原国経のところから、ちょっとしたことをコメントなさって、お手紙をくださった。お返事を申し上げるにあたって、美しい菊の花に手紙を添えておいたところ、どんなふうにご覧になったのだろうか、このような和歌をおつくりになった。( )とお書きになっていた。この男がびっくりして、歌を作るのにあれこれ考えていたら、時間が経過してしまうだろうし、大納言さまからの使者もどう思うかしれないと思って、ただ早く返事をしようと、さらさらと走り書きをして献上した、その歌、美しい衣をおめしになっている大納言さまが拙宅へ来られて手ずから折りとりなさるのなら、浅茅の生えている粗末なうちの庭に混じって咲いている菊の香に比べて、きっとまさった良い香りがするでしょう。【本文】この男、音には聞きならして、まだ物など言ひつかぬ所有りけり。いかでと思ふ心ありければ、常にその家の前をわたる。【訳】この男が、うわさには常々聞いてはいたが、まだ恋心を打ち明けていない女性がいた。なんとかして言い寄ろうと思う気持ちがあったので、常にその女の家の前を通る。【本文】されど、言ひつく便りもなきを、灯などいとあかかりける夜、門の前よりわたるに、女どもなど立てり。【訳】けれども、言いよる機会もなかったが、灯火などがとても明るかった夜に、門の前から通ってよりわたるに、女たちなども立っていた。【本文】かかれば、馬よりおりて物などいひたりけり。いらへなどしければ、いと嬉しくて立とまりにけり。【訳】こういう状況だったので、馬からおりて話しかけたのだった。相手の女も返事などしたので、とても嬉しくて立ちどまった。【本文】女ども、「誰ぞ」とて供なる人にとはせければ、「その人なり」とぞいはせける。かかれば、女ども「音にのみ聞渡るを、いざおなじくは庭の月みん」とぞいひける。【訳】女たちが、「どなたですか」といって、お供の人に質問させたところ、「だれそれである」と供の者にいわせた。こういうわけで、女たちが「うわさにだけはずっと聞いていましたが、さあ、どうせ同じことなら庭の月を観賞しましょう」と言った。【本文】男、よき事とて、「いとうれしきおほせ事なり」とて諸共にいりにけり。【注】・「おほせ事」=お言葉。・「諸共に」=そろって。一緒に。【訳】男は、好都合だと思って、「非常にうれしいお言葉です」と言って、一緒に門のうちに入ってしまった。【本文】さてこの男、簀子によびのぼせて、女どもは簀のうへに集まりて、いとあやしく音にのみききわたりつるを、かくよそにても物をいふ事ども、女も男もかたみにいひかはして、をかしく物がたりしけるに、女も心つけていふ事有りけり。【注】・「簀子」=廂の外に細い板を横に並べ、間を少しずつ透かして打ち付け、雨露がたまらぬように作った縁。縁側。・「かたみに」=互いに。・「いひかはす」=話し合う。・「心つく」=ある考えや気持ちを持つようになる。【訳】そうして、この男を、簀子に招き上げて、女たちは簀の上に集まって、とても不思議なことにうわさにだけ聞きつづけていたのに、こうやって物を間に隔ててでも、話ができたことを、女も男も互いに喜びあって、楽しく会話を交わしたので、女のほうも男に好意を寄せて話した。【本文】男もあやしく嬉しく、かくいひつきぬる事と思ひつつ語らひをりける間に、「乗れる馬の放れて、いぬらん方しらず」といへば、「さればなの、ただかくれよ」といひて追ひ返してけり。【注】・「いひつく」=言って近づく。言い寄る。【訳】男も不思議な気持ちで嬉しく、こんなふうに言い寄ったことだと思いながら親しく会話しているうちに、「乗っていた馬が離れて行ってしまい、どこへ行ってしまったかわかりません」と供の者が言ったので、「それがどうした、どこへでも姿を隠すがよい」と言って追い返してしまった。【本文】それを女どもみて、「何事ぞ」と問ふ。「いさなに事にもあらず。馬なんおぢて放れにけり」と男答ふれば、「いな、これは夜ふくるまで来ねば、家刀自のつくり事したなむめり。あなむくつけな。はかなきあだごとをさへかう言はん家刀自もたらん物はなににかはすべき」と心憂がりさざめきて皆かくれにけり。【注】・「いさ」=いや、なに。ええと。・「おづ」=恐れる。こわがる。・「家刀自」=一家の主婦。イエトウジ・イエトジ・イエノトジなどとよむ。・「むくつけ」=恐ろしい。・「心憂がる」=不快に感じる。【訳】それを女たちが見ていて、「何があったの」と質問した。「さあ、たいしたこともない。馬がこわがって逃げてしまった」と男が答えたところ、「いいえ、これは夜がおそくなるまであなたが来なかったので、奥様ががでっちあげたように思われる。本当にいやだわ。ちょっとしたたわいもないことをまで、こんなふうに。言うような夫人を持っているようなかたは、どうしようもないわ」と、不快に思ってざわめいて、皆姿を隠してしまった。【本文】「あなわびしや。死なんや。もはらさには侍らずなん」といへど絶えてきかず。はては物言ひつかん人もなくなりにけり。居わづらひてぞ逃げにける。さてそのつとめて、時雨のふりければ、男、 さ夜中に うき名取川わたるらん 濡れにし袖に 時雨さへふるかへし、女、 時雨のみ ふるやなればぞ 濡れにけん 立隠れたる ことや悔しきといひたりければ、喜びてまた物などいひやりけれど、いらへもせず。言ふかひなくて、いはでやみにけり。【注】・「わびし」=困った。つらい。・「もはら」=下に打消しの表現がくると、「まったく~ない」「けっして~ない」。・「絶えて」=下に打消しの表現がくると、「まったく~ない」「けっして~ない」。・「つとめて」=あることがあった翌朝。・「うき名」=つらい評判。汚名。・「名取川」=宮城県名取市を流れる川。『古今集』六二八番「陸奥にありといふなる名取川なき名取りては苦しかりけり」。和歌では「名取る」の意と掛詞になることが多い。「川」に対してあとの「わたる」は縁語。・「濡れ」に対し「袖」は縁語。・「時雨」=秋から冬にかけて、降ったりやんだりする小雨。涙を落して泣くことをもいう。「ふる」は、「時雨」に対して縁語。・「時雨のみふるや」=「降る」と「古家」は掛詞。【訳】男が、「ああつらいなあ。死んでしまおうか。けっして、そんなことはありません」と言ったけれども、女たちは全く聞き入れない。しまいには、話しかける人もいなくなってしまった。いたたまれなくなって、退散してしまった。そうして、その翌朝、時雨が降ったので、男が、 ゆうべ夜中に憂き名を取る名取川を渡ったのだろうか、つらい思いをして涙に濡れた私の袖に冷たい時雨まで降りかかることよ。その歌に対する女からの返事の歌、時雨ばかり降りそそぐ古家だから雨漏りで濡れてしまったのだろうか、それともあなたの奥様のやきもちがいやで私が家に入って隠れてしまったことが悔しくて涙にぬれたのだろうか。と歌を作って手紙に書いて送ったところ、男は喜んで再び歌など作って手紙に書いて送ったけれども、今度は返事もなかった。しかたがなくて、その後は相手に何も言わずじまいになってしまった。【本文】又、この同じ男、忍びて知れる人有けり。久しくはあはぬ事などいひてやれりければ、「ここにもさなん。迎へに人をおこせよ」といひければ、いとをかしき友達をぞ率て行きたりける。友達、「送りはしつ。今かへりなむ」といへりければ、男「こよひばかりは、など、とまれ」といひければ、「あなむくつけ。こはなに事」をいふ物から、かかる歌をなんよみける。 難波潟 おきてもゆかん 葦田鶴の 声ふりたてて いきてとどめよといへば、男 難波江の 潮満つまでに 鳴くたづを 又いかなれば 過ぎて行くらんといひけれど、「あなそら事や、露だにも置かざめる物を」といへど、又いかが思ひけん、その夜とまりにけり。さていかが語らひけん。【注】・「忍ぶ」=人目を避けて事を行う。特に、秘密のうちに恋愛関係を結ぶ。・「知る」=つきあいがある。特に、恋愛関係にある。・「ここ」=この身。私。・「をかし」=容姿や態度などが魅力的だ。・「むくつけ」=気味がわるく、いやだ。・「難波潟」=摂津の国の海岸。古くから港として開けていた。港内にアシが生い茂り、澪標(=水路指導標)が立てられていた。和歌では「何は」と掛詞に用いることがある。・「葦田鶴」(あしたづ)=アシの生えている水辺にいるツル。・「ふりたつ」=大きな声を出す。・「そら事」=うそ。いつわり。【訳】又、この同じ男が、人目を避けて交際していた女がいた。長い間会わないことなどを手紙に書いて送ったところ、「私の方も、そう思っております。迎えに人をよこてください」と言ってきたので、男は非常に風流な友達を連れて行った。友達が、「送り終えたよ。もう私は帰ろう」といったので、男が「今夜ぐらいは一緒にいてくれ。どうしてすぐ帰るなんていうのだ。泊まっていけ」と言ったところ、「ああいやだ。これはいったいどういうことだ」と言って、こんな歌を作った。 難波潟に君を置き去りにして行こう。難波江のアシのあたりで群れいるツルのように声をあげて、引き留められるものなら去私がるのを引き留めてみなさい。と言ったので、男が 難波江の海岸に潮が満ちるほど泣いて涙に袖がぬれている私を、君は、また、どういうわけで無情にも そしらぬふりで帰っていくのだろう。となんとか引き留める気持ちを歌に作ったけれども、友達は「ああうそっぱちだなあ、露ほどの涙も目に浮かべていないように見えたのに」といったが、また、友人のほうも、どう思ったのだろうか、その夜は泊まったのだった。そうして、どんなことを話したのだろうか。【本文】又、この同じ男、親近江なる人に忍びてすみけり。親、けしきを見てせちにまもり、日暮るれば門をさしてうかがひければ、女物思ひ侘びてのみあり。【注】・「親近江なる人」=親が近江の守の任にある女性。・「すむ」=男性が結婚して、女性のもとに通う。・「けしき」=視覚でとらえたようす。・「せちに」=ひたすら。・「まもる」=見張る。『伊勢物語』五段に「その通ひ路に夜ごとに人をすゑてまもらせければ、行けども、えあはで帰りにけり」。・「さす」=閉ざす。・「うかがふ」=ようすを探る。・「物思ひ侘ぶ」=物思いに悩む。【訳】また、この同じ男が、親が近江の守である女性のところに人目を避けて通っていた。親が、娘のところに男が通ってきているのを目撃して厳重に見張った。日が暮れると門を閉ざして様子を探っていたので、女は物思いに悩んでばかりいた。【本文】男もあふ夜もなくて、からうして、「築地をこえてなむ来つる」といはせけるに、伝へ人のもとに寄りて物いひけるけしきを親みて、いみじくののしりければ、「いな、けしき取りつればあふべくもあらず。早う帰られね」といひいだしけり。【注】・「からうして」=やっと。ようやく。・「築地」=柱を立て、板を芯として泥で塗り固め、屋根を河原で葺いた垣。土塀。・「伝へ人」=伝言をつたえる召使。・「物いふ」=言葉を話す。・「いみじく」=たいそう。・「ののしる」=声高に悪く言う。口汚く言う。『大和物語』六十三段「親聞きつけて、ののしりて、会はせざりければ」。・「早う帰られね」=早く、お帰りなさいませ。・「いひいだす」=室内から外にいる人にことばをかける。【訳】男も女と逢う夜もなくて、やっと、「築地をこえてやってきたよ」と召使に言わせたところ、伝言をする召使のそばに近寄って話しかけているようすを親がみて、ひどく口汚く言ったので、「いいえ、わたしたちの様子に気づいたので、逢うことはできません。早くお帰りなさいませ」と部屋から外にいる男に伝言した。【本文】男、「いで、大かたはなどかうしもはいふべき。ただ入りなんよ」とぞいひたりける。「行先をも、なほわれを露思はば、この度ばかりは帰りね」と親に怖ぢて切にいひいだしたりける、「いとかういふ物を。よし、此度ばかり帰りなん」とて、かくいひいれける、 みるめなみ 立ちや帰らん あふみぢは 何の浦なる うらと恨みて(返し) 関山の 嵐の声の あらければ 君にあふみは 名のみ成けり。 かかれば、男いらへをだにせずなりにけり。なに事にも物たかき人にもあらず。親のかくにくげにいふをめざましきに、女は親につつみければ、さてやみにけり。【注】・「いで」=否定や反発の気持ちで発する語。いや。・「大かた」=改めて言い出すときに用いて、そもそも。いったい。およそ。・「行先」=将来。・「なほ」=まだ。・「怖づ」=恐れる。こわがる。・「みるめなみ」=「見る目」と海藻の「みるめ」を言いかけた。・「あふみぢ」=「会ふ身」と「近江路」を言いかけた。・「関山」=逢坂山(滋賀県大津市)。大化二年(六四六)に逢坂の関が設けられた。東海道・東山道から京都への入り口であったが、延暦十四年(七九五)に廃止。和歌では「逢ふ」と掛詞に用いることが多い。・「いらへ」=返事。をだにせずなりにけり。なに事にも物たかき人にもあらず。親のかく・「にくげに」=憎らしい。不愉快だ。・「めざましき」=気に食わない。・「つつむ」=隠す。【訳】男が、「いや、いったいなぜこんなことを言うのか。なにがなんでも入るよ」と言った。女が「将来も、まだ私を少しでも愛しているのならば、今度ばかりはお帰りください」と親に恐れてひたすら帰ってくれるように部屋の外に言って伝えた。「まあここまで言うのなら、わかった、今度ばかりは帰ろう」といって、こんなふうに歌を作って女の部屋に言い入れた。 逢える見込みがないので立ち帰ろうかしら、逢う身という名の近江路とは名前ばかりで、ここは近江の何の浦なのかしらと恨みを残して(男の歌に対する返し) 逢う坂の関がある関山から吹くの嵐のように親の怒りの声が荒々しいので、君に逢う身という名の近江の守の娘だというが名前ばかりだなあ。 こんなふうだったので、男は返事をさえしなくなってしまった。なに事にも物たかき人にもあらず。親がこんなふうに憎らしそうに言うのが気に入らないので、女は親に隠していたので、そのまま交際が途絶えてしまった。【本文】又、この男志賀に詣でにけり。逢坂の走井に、女どもあまた乗れる車をおろし立てたり。男馬より下りてとばかり立てりければ、車の人、人来ぬとうてみてかけさせてゆく。男、かの車の人に、「いづちおはしますぞ」ととふ。「志賀へまうで給ふ」とこたへければ、男、車よりすこし立ちおくれゆく。逢坂の関こえて、浜へゆき下るるほどに、車よりかかる事をいひおこせたる、 あふさかは名にたのまれぬ関水のながれて音にきく人を見て 男、あやしと思ひて、さすがにをかしかりければ、 名をたのみ我もかよはん相坂を越ゆれば君にあふみなりけりといひやる。【注】・「志賀」=近江の国の瀬田川河口付近から琵琶湖西岸の中間ほどまでの地。西部は山城の国と接する。今の滋賀県滋賀郡および大津市の北部。ここでは大津にあった志賀寺。天智天皇の勅願寺で、のちに崇福寺といったが、平安時代末期に荒廃した。・「逢坂」=滋賀県大津市にある山。・「走井」=勢いよく水の湧き出る泉。また、流水を井戸水のように用いることのできる場所。・「おろし立つ」=牛車のナガエをシジにかけてとめておく。・「とばかり」=少しの間。・「人来ぬとうてみて」=岩波書店の日本古典文学大系の注に「うて」は「こそ」の誤写かとするが、あるいは「人来ぬとうとみて」とすべきか。・「かけさせて」=車に牛を取り付けさせて。・「逢坂の関」=近江の国(滋賀県)大津市内にその跡と称えられているものがあって、そこに人丸神社、関の清水などがある。もとは近江と山城(京都府)との境にあって、京都から東国に往復する者の必ず通ったところである、これに美濃の不破の関、伊勢(三重県)の鈴鹿の関を併せて三関と称せられ、関所としては、最も有名であった。歌枕としても知られ、これを題材とした和歌は数限りもなく残っている(浅尾芳之助『百人一首の新解釈』「これやこの」注)。・「いひおこす」=言ってよこす。・「関水」=滋賀県逢坂の関付近にあった清水。・「音にきく」=うわさに聞く。評判に聞く。・「あやしと思ひて、・「さすがに」=そうはいうものの、やはり。・「をかし」=言葉のやり取りが優れている。・「相坂を越ゆ」=山城の国から、逢坂の関を越えて近江の国に行く。また、男女が契りを結ぶこと。・「あふみ」=「逢ふ身」と「近江」の掛詞。【訳】又、この男が志賀寺に参詣した。逢坂の関の清水の所に、女どもが大勢乗っていた牛車をおろし立たせていた。男が馬から下りて、少しの間立っていたところ、牛車の女が、他人が来てしまうと嫌がって、車に牛を取り付けさせてうてみてかけさせてゆく。男が、その牛車の女に、「どちらへいらっしゃるのか」と質問した。「志賀寺へ参詣なさいます」と答えたところ、男が、車よりすこし遅れがちについてゆく。逢坂の関を越えて、湖畔にくだってゆくうちに、牛車からこんな事を和歌に作ってよこしたその歌、「逢ふ坂」という名はあてになりませんね。関の清水のように勢いよく流れる、浮気っぽいと評判に聞くあなたを見て。 男は、いきなりそんなことを言われて、不躾だと思って、そうはいうものの、やはり和歌の技巧がすぐれていると感じたので、 「逢坂」の「逢ふ」という名をあてにして私もここへ通ってこよう。逢坂の関を越えると近江だからあなたに逢ふ身になれると信じて。と和歌に作って言ってやった。【本文】女、「まめやかにはいづち行くぞ」ととはせける。男、「志賀へなん詣づ」「さらば諸共に。我もさなん」といひて行く。うれしき事なりとて、かの寺に男の局、女のもおなじ心に住して、物語などかたみにおなじやうに思ひなして、言ひぞ語らひける。男の詣でたりける所より方塞がりけり。されば明日までもえあるまじければ、方違ふべき所へいにけり。「いのち惜しき事もただ行くさきのためなり」などいひて、されば女どもも、「なほあるよりは、いかがせん、京にてだにもとぶらへよ」といひて、百敷わたりに宮仕へしける物どもなれば、曹司をも教へ、人々の名をもいひけり。男、うちつけながら、いとたつ事をもがりければ、かかる事をぞいひたりける。 立ちて行く ゆくへもしらぬ(平瀬本「ゆくへもしらず」) かくのみぞ 旅の空には とふべかりけるかくいひければ、 かくのみし ゆくへまどはば 我玉は たぐへやらまし 旅の空にはとぞ有ける。又かへさむとしけるに、この男の許より、ものども、「方塞がれるに、夜明けぬべし」なんどいひければ、え立ちどまらで、この男は人のもとにいにけり。【注】「まめやかには」=実際には。「諸共に」=いっしょに。「我もさなん」=私も、ものもうでに行こう。「局」=広間を屏風などで仕切った部屋。「かたみに」=互いに。「言ひ語らふ」=うちとけて語り合う。「方塞がり」=陰陽道で、行こうとする方角に天一神(ナカガミ)がいて、行くことができないこと。「方違へ」=陰陽道で、外出のときに天一神・太白神(ヒトヒメグリ)などのいる凶とされる方角を避けること。前夜、吉方(エホウ)の家などに一泊し、一度、方角を変えてから目的地へ行く。客を迎えた家では、もてなしをするのが通例。いのち惜しき事もただ行くさきのためなり」などいひて、されば女どもも、「なほあるよりは、いかがせん、京にてだにもとぶらへよ」といひて、「百敷」=宮廷。皇居。「宮仕へ」=宮中に仕えること。「曹司」=宮中や貴族の邸内に設けられた官人・女官などの個人用の部屋。「うちつけながら」=偶然の出会いだったけれども。「もがる」=いやがる。【訳】女が、「実際には、どちらへ行くのですか」と召使に質問させた。男は、「志賀寺へもの詣でに参ります」と答えたので、女は「それではご一緒に。私も志賀寺へもの詣でにまいります」と言って一緒に滋賀へ行く。うれしい事だと思って、目的の寺で、男の部屋、女の部屋も、心を合わせて屏風で仕切って用意し、世間話などして意気投合して、お互いにうちとけて話し合った。男が参拝していた所から次の目的地が方塞がりの方角にあたってしまった。そういうわけで、明日までここにいるわけにいかなかったので、方違えできる知人の所へ行ってしまった。男は「いのちが惜しくて方違えすることも、ひとえに将来あなたと楽しく過ごすためだ」などと言って立ち去る、そういうわけで、女どもも、「やはり、こうしてここにずっといるよりは、方違えすべきです。しかたがありません、せめて京でだけでも再びお尋ねください」と言って、皇居あたりにお仕えしていた連中なので、割り当てられた個室をも男に教え、人々の名をも告げた。男も、偶然の出会いだったけれども、方違えに出発することを非常にしぶったので、次のような内容の歌を女にいった。ここを出発して行くその先の将来のことはわかりませんので、こんなふうに旅の途中ではお互い訪問するべきだなあ。こんなふうに言ったところ、女が、こんなふうに、あなたが旅の途中でお迷いになるのなら、私の霊魂は、道中のあなたに添わせて一緒に行かせたいものです。と言ってよこした。又、男が返歌をしようとしたが、この男の所から、召使どもが、「方塞がりになっているのに、夜が明けてしまいそうだ」などと言ったので、立ちどまることもできずに、この男は知人の所に行ってしまった。【本文】さて朝に、車にあはむとて、はしに網引かせなどしければ、あひしれる人、瀬田の方に逍遥せんとてよびければ、そちぞ此男はいにける。その程にこの女内裏へぞまゐりにけるに、さて友達どもに、志賀にてをかしかりつる事なぞどいひいひける。それを、この男の、物などいひけるがいひやみにけるぞ、そが中にをりける。さてききてぞ、「たれとかいひつる、その男をば」といひければ、此又ある女のいひける、「いでかれはさこそあれ」といひて、「世になくあさましき事をつくりいでて」といひちらしければ、「いで、案内しらで過ぎぬべかりける。さらば、いとうき事にこそ有りけれ。もし人来ともゆめ文などとりいるな」とこの女にをしへてけり。それをば知らで、この男、かの瀬田のかたにて逍遥して帰りきて、かの内裏わたりに教へける程に、ありつるやうなど、この男いひやりたりけり。【注】「さて」=そして。「瀬田」=今の滋賀県大津市瀬田。琵琶湖南端の瀬田川への流出口に位置する。古くからの交通の要地。「逍遥」=行楽。遊覧。気の向くままにあちこち歩き回ること。「をかし」=風変りだ。「物いふ」=親しく言葉を交わす。男女が情を通わせる。「いで」=いやもう。「世になし」=世にまたとない。「あさまし」=おどろきあきれる。「案内」=事情。「うし」=つらい。「ゆめ~な」=決して~するな。【訳】そして、翌朝に、志賀寺から牛車で出てくる女に逢おうと思って、湖のへりで漁師に網を引かせなどして時間をつぶしていたところ、知り合いが、瀬田の方に遊山に行こうと呼んだので、そちらに此の男は行ってしまった。そうしているうちに、この女は宮中へ参上し、そして友達どもに、志賀であった風変りな出来事なぞをあれこれ話した。ところが、この男の、かつて言い寄ったりしていた女で、交際が途絶えていた女が、その中にいた。そうして、女友達の報告を聞いて、「誰といったっけ、その男は」といったので、此のもう一人の女が、「いやもう、あの人は、そういういい加減なことを言うのよ」と言って、「とんでもない、おどろきあきれるような口から出まかせを言ったりして」と、散々言ったので、「本当に、どんな男だかもわからずじまいで過ぎてしまうところだった。そんな男と付き合ったらつらい目に遭うところだった。たとえあの男がやってきても、手紙など受け取るな」と、この女に教えてしまった。そのことを知らずに、この男が、例の瀬田の方面で遊山して帰ってきて、例の内裏あたりと女が教えたところに、その後の消息などを、この男が召使に報告させた。【本文】されば、「まだ里になん、志賀へとて詣で給ひしままに参り給はず」といひて、専ら文も取り入れずなりにけり。使ひ、さ言ひて帰りきたれば、この男あやしがりて、ゆゑをし聞き得ねば、しきりにに三日やりけれど、遂にその文とらずなりにければ、かの志賀に出で詣でたりし中に、友達たりけるが、物のゆゑ知りたりけるをぞ呼びにやりて、物のあるやうありし次第など諸共にみける人なりければ、「げにあやしく人々やいひたらん」などぞいひける。男、庭の前栽を見て、かかるくちずさみをぞしける。 たすくべき 草木ならねど 哀れとぞ 物思ふ時の目にはみえけるとぞいひける。 【注】「里」=実家。「専ら~ず」=まったく~ない。「ありし次第」=今までのいきさつ。「諸共に」=いっしょに。「げに」=本当に。「あやしく」=不可解にも。「前栽」=庭先の植え込み。「くちずさみ」=心に浮かんだ詩歌を小声で口に出す。【訳】そうしたところ、女の同室の者が、「まだ実家のほうにいるのでしょう。志賀へともの詣でにお出かけになったまままだお帰りになっていません」と言って、全然手紙も受け取らずじまいになってしまった。使者として行った召使が、そんなことを言って戻ってきたので、男が不思議に思って、理由を聞き出すことができなかったので、ひんぱんに二三日使者に手紙を持たせてやったけれども、とうとうその手紙をうけとらずじまいだったので、例の志賀に参詣した連中のうち、友人だった男で、もののわかった人物を呼びにやって、その人は当時の女との出会いや男との関係など今までのいきさつを一緒に見て事情に通じていた人だったので、「本当に、不可解にもそんなふうに人々が言っているのだろうか」などと言った。男は、庭の植え込みを見て、こんな歌を小声でくちずさんだ。私への誤解から救ってくれる草木ではないけれども、気持ちが沈んでいる時の目にはしみじみ見ていやされるなあ、と口ずさんだ。【本文】かかれば、この友達の男、「げにことわりなりや」といらへをりけるほどに、日暮れて月いとおもしろかりけるに、この男、「いざ西の京に、時とものいふ所に、物かたらはせん」といひければ、「よるなら」といひてこのありける男二人、二条の大路より西の京さして往にけり。かの志賀の事のみ恋しくおぼえければ、かの女の初めによみたりける歌を、ふりあげつつ恋歌にうたひけり。さいだちて車來けり。やうやう近く、すざかの間に来て、この車にゆきつき、なほうたひければ、「たれぞ、この歌を盗みて歌ふは」とぞいひおこせたりける。されば、男いとあやしきやうに覚えて、「かくとめてよぶ給ふ人やおはしますとてなん、道の大路に乗りてうたふ」などいひやりたりければ、「いな、いとなれたりける人ありければ、憂き事もこれなりや。しばし」と言ひおこせたり。【注】「かかれば」=こういうわけで。「げに」=なるほど。「ことわりなり」=もっともだ。「いらふ」=返事をする。「おもしろし」=美しい。「いざ」=どれ。さあ。「西の京」=平安京のうち、朱雀大路から西の地域。「ものいふ」=意中を打ち明ける。「かたらふ」=説得して同意させる。「ありける」=例の。さっきの。「二条の大路」=京の東西の大通りで、北から二番目のもの。「さす」=目的地を目指す。目的の方向へ向かう。「志賀の事」=一緒に志賀寺に参詣したときの出来事。「すざか」=朱雀大路。平安京の中央を南北に通じる大路。大内裏の朱雀門から九条の羅城門までで、幅は二十八丈(約八十余メートル)あったという。これを境に東を左京、西を右京と称した。「なほ」=依然として。それでもやはり。「いひおこす」=言ってくる。「あやし」=不思議だ。「おはします」=いらっしゃる。「大路」=大通り。「なる」=親しくなる。【訳】こういうわけで、この友達の男が、「なるほどもっともなことだなあ」と返事をしているうちに、日が暮れて月がとても美しかったので、この男が、「どれ、西の京の、時として私が意中を打ち明ける気心の知れた女に、口ききをさせてあげよう」と言ったところ、「夜なら都合がつきます」と言ってきたので、この先ほどの男二人は、二条の大路を通って西の京を目指して行った。男は例の志賀寺での出来事ばかり恋しく思われたので、例の女が最初に作ってよこした歌を、声を張り上げながら恋歌として歌った。前方から牛車がやってきた。しだいに近づいて、朱雀大路のなかに進んで、この車と接近した、依然として歌っていたところ、「どなた、私の作った歌を盗んで歌っているのは」と言ってよこした。それで、男が非常に不思議な偶然もあるものだと思って、「こんなふうにあなたのように声をかけて車をお呼び止めになる人がいらっしゃるかと思って、道の大路に馬に乗りながら歌っていました」などと言ってやったところ、「いいえ、もうたくさん。あなたと非常に親しかった知人がいたので、いりいろ聞いています。つらい事もこうしてありましたし。しばらくはお付き合いしたくありません」と言ってよこした。【本文】そのかみ男思ひけるに、世に憂き心ちして、「もし然か」と問ひければ、「さぞかし」と女こたへけり。「さらばかた時車とどめん」といひおこせたりければ、「耳とくに聞かむ」とて、車をとどめたれば、男馬よりおりて車の許によりて、「いづちおはしますぞ」「里へなんまかる」と答ふ。男、文とらせぬ事よりはじめていみじう恨みけり。深く憂きやうにいひければ、をさをさ答へもせで、いとつれなくこたへつついひ、「ただひたおもむきにあるべきかな。万の憂き事人いふとも、かうやは」と思ひて、車のもとを立ちしりぞきたり。この車かけいでんとしければ、男思ひけるやう、わきてもあやなし。なほ言ひとどめて、物のあるやうもいひ、誰、かう憂き事は聞こえしなどもいはんと思ひて、この供なる男して、「いと身も心憂く、御心もうらめしかりつれば、身投げてんとてまかりつるに、ただ一こときこゆべき事なん侍る。さてもこの身、異かはへすみ見でなん、帰りまうできぬる」とて、 身のうさを いとひすてにと 出でつれど 涙の川は 渡るともなしといひければ、【注】そのかみ=そのとき。「かた時」=ほんのしばらくの間。「耳とし」=よく聞こえる状態。馬のひづめの音や車輪の音でよく聞こえない状態を避けようとしたのであろう。「許(もと)」=かたわら。そば。「まかる」=行く。「をさをさ~で」=あまり~しないで。「つれなし」=冷淡だ。「ひたおもむきなり」=いちずだ。「かく」=牛を牛車につなぐ。「わきて」=特に。「あやなし」=道理に合わない。「言ひとどむ」=言ってとめる。「異」=ほかの。別の。「いとふ」=いやだと思う。「涙の川」=多く流れる涙を川にたとえた語。【訳】そのとき男が胸中に思ったとことには、このうえなくつらい気がして、「ひょっとすると私が不誠実だとでも聞いたのか」と質問したところ、「その通りですわ」と女が答えた。「それでは、ちょっと車をとめてください」といってよこしたので、「よく聞きましょう」といって、車をとめたので、男が馬からおりて車のそばによって、「どちらへいらっしゃるのか」と聞いたら、女が「実家へ参ります」と答えた。男が、手紙を受け取らない事からはじめて、ひどく恨みごとを述べた。深く傷ついたように言ったところ、女はろくに返答もしないで、とても冷淡に答えながら、男のほうは、「まったく、いちずに、向こうの言い分ばかり信じるのだなあ。さまざまな悪口を他人が言っても、こんなふうに一方的に鵜呑みにするものだろうか」と思って、車のそばを立ちのいた。この女の車が牛をかけて再出発しようとしたので、男が思ったことには、とんでもない誤解だ。さらに話かけて車を引き留めて、こちらの詳しい事情も知らせ、いったい誰が、こんなひどい事をあなたのお耳にいれたのかなどと、言おうと思って、この同行していた男に、「非常に自分としてもつらく、私のいうことを信じてくださらないあなたの御心うらめしかったので、身投げしてしまおうと思って参りましたが、ただ一言申し上げる事がございます。それにしても、この身を、別の川に入ってみずに、帰って参りましたことが後悔されます」といって、 わが身のつらさを嫌い、身を捨てにと家を出たけれども、あなたに誤解されたことでとめどなく流れる涙の川は渡ることもできないのでした。と歌を詠んだところ、【本文】女、 まことにて 渡る瀬ならば 涙川 流れて早き 身とをたのまむといひおこせて、「よしなほ立ち寄れ、物一言いひてなむ」といひければ、男、車のもとに立よりて物などいひつるほどに、やうやう暁にもなれば、女、「今はいなん。ゆめ此たびにたたり、人にかくな。すべて忘れじ。現となおもひそ」といひてかへるに、かくいへりける。 秋のよの 夢ははかなく ありといへば 春にかへりて まさしからなんなどいひけるほどに、夜明うなりければ、女、「今ははやう往ね」と切にいへど、夢にも立ちしりぞかず、女の入らん家を見むとて、男いかざりければ、女、家を見せじと切に思ひて、男かかる事をぞいひける。 ことならば あかしはててよ 衣手に ふれる涙の 色も見すべくかく返しける、女、 衣手に ふらん涙の色見んと あかさば我も あらはれぬかなといひけるほどに、いと明うなれば、童一人をとどめて、「車の入らん所みてこ」とて男は帰りにけり。童、車のいる家は見てけり。さていかがなりにけん。【注】「渡る瀬ならば」=「渡る瀬なくば」の誤写とされる。「いぬ」=立ち去る。「ゆめ此たびにたたり」=この部分、誤脱あるとされる。「人にかくな」=「人にかくなのたまひそ」などの略。「すべて忘れじ」=あるいは「すべて忘れし」(「し」を過去の助動詞「き」の連体止めにとって)、「わたしはあなたについて知人から聞かされた悪いうわさを全部わすれました」の意とするべきか。「現」=現実。「な~そ」=~しないでほしい。「まさし」=ほんとう。「切なり」=強い。さしせまっているようす。「夢にも~ず」=ちっとも~ない。「ことならば」=同じことならば。それならいっそ。「涙の色」=血のまじった涙の色。非常につらく悲しい時に流す涙には血がまじると考えられていた。「あらはる」=姿が見える。人に知られる。「童」=召使の少年。「いかが」=どのように。【訳】女が、 本当に渡れる浅瀬がないほど涙をお流しになったのならば、あなたの誠意をあてにしましょう。と詠んで寄越して、「わかりました。ではもう一度おそばに立ち寄りなさい。言いたいことがあるなら一言どうぞ」といったので、男が、女の車のそばに立ち寄って話しかけるうちに、しだいに明け方近くなったので、女が、「今はもう私は帰ります。決して此たび私と出会って言葉を交わしたことは、他人にお話になりませんように。わたしは全部忘れません。あなたは今日のことは現実だとはお思いにならないでほしい。」といって帰るときに、男はこんなふうに歌を詠んだ。 秋の夜の夢ははかないと世間では言うので季節が春にもどったらあなたの言葉が現実になってほしいものだ。などと歌を詠むうちに、夜が明るくなったので、女が、「今はとりあえず早く立ち去ってください」と懸命にいったが、決して男は立ち去らずに、女が入っていく家を見てやろうと思って、男がどこへも行かなかったので、女は、家を見せまいと真剣に思っていると、男がこんな事を歌に詠んでいってきた。 同じことならば一緒に夜をあかしてしまってほしい。わたしの着衣の袖に降っている涙の色も見せたいから。こんなふうに男は返歌をした、それに対し再び女が、 着物の袖に降ったというあなたの涙の色を見ようとして夜を一緒にあかしたら、私の姿も人に見られてしまいますわ。と歌を詠み合ううちに、とても明るくなってきたので、召使の少年一人をあとに残して、「車が入る屋敷を見届けて帰ってこい」といって男は帰ってしまった。召使の少年は、車が入る家は見て確認した。そうして、その後この男女はどうなったのだろうか。【本文】又、女、男、いと忍びて知れる人あり。人目しげき所なれば、からうして又も明けぬさきにぞ帰りける。いとまだ夜深く暗かりければ、かかぐりいでんとおもへども、入るかたもなく、出るにも難ければ、門の前に渡したる橋の上にたてり。供なる人して言ひ入れける、 夜には出て 渡りぞわぶる 涙川 淵と流れて 深くみゆれば女も寝で起きたりければ、 さ夜中に をくれてわぶる 涙こそ 君があたりの 淵となるらめとぞ有りける。大路に人歩きければ、え立てらで出て往にけり。【注】「忍びて知れる人」=こっそりと知り合って交際している人。「人目しげき所なれば」=人目が多い場所なので。『伊勢物語』六十九段「されど、人目しげければ、えあはず」。「からうして」=ようやく。やっとのことで。『日仏辞書』に「Carǒchite」とあり第四音節は清音。「明けぬさきにぞ帰りける」=平安時代の結婚生活においては、まだ暗い「暁」が、女の家に通ってきた男が、女と別れて帰らなければならない時とされていた。「夜深く」=夜明けまでずいぶんまがある時刻。「かかぐりいでん」=手探りして出よう。「供なる人」=召使。「渡りわぶ」=わたりかねる。「涙川」=物思いするときに涙があふれ流れるようすを川にたとえた語。「さ夜中」=夜中。真夜中。「さ」は、接頭語。「をくれてわぶる涙」=男が去ってあとに取り残されてつらい思いをして流す涙。「とぞ有りける」=~と短歌に作ってあった。「大路」=大通り。平安京で南北に通じるものをさす場合が多い。「え立てらで」=ずっと立っているわけにもいかずに。「ら」は、存続の助動詞「り」の未然形。「で」は、打消しの接続助詞。【訳】また、女と男で、とても人目を気にしてこっそり交際している人がいた。人通りが多い場所なので、やっと人目がとぎれたタイミングを見計らって、またもや、夜が明けぬ先に帰っていった。まだ夜明けまでずいぶん時間がある時分で暗かったので、手探りで女の屋敷を出て行こうとおもったけれども、暗すぎてもとの女の屋敷に入る手立てもなく、屋敷を出るにも困難だったので、門の前に架け渡してある橋の上にたっていた。それから供に連れていた召使に、女の部屋に言い入れさせた歌、 夜暗い時に出て渡りかねています。あなたとの別れがつらくて流した涙の川が淵となって流れて深くみえるので。女も寝ずに起きていたので、すぐに返しの歌を作って寄越した 真夜中にあなたが去ってあとに残されてつらい思いをしている私が流す涙が、あなたがいまいるあたりの深い淵となっているのでしょう。つらいのは私の方なのです。と歌に作ってあった。大通りに人が多く歩きだしたので、ぐずぐずしては目立ってしまうのでその場に立っているわけにもいかずに、橋を渡り切って女の住む屋敷から出て去って行ってしまった。【本文】又、この同じ男、はかなき物のたよりにて、雲ゐよりもなほ張るかにてみる人ぞありける。さは、はるかに見けれど、物いはすべきたより・よすがありければ、いかで物いひよらむとおもへば、はじめて言ひ渡る程に、ほど経にければ、「いかで、人づてならず、かかる水茎の跡ならでもきこえてしがな」と、男せめて言ひわたりけれど、「いかがはすべき。げによそにてもいはん事をや聞かまし」と思ひける程に、女の親、さがなき朽女、さすがにいとよう物の気色みて、いとことがましき物なりければ、かかる文通はしける気色ありと見て、はては文をだにえ通はさず、責めまもりつついひければ、この男「せめてあはむ」といひけるにわびて、この女思ひける友達に、「我なんかかる思ひをする。われはせきある人なり。さなんあるとだにきかで、せむれば、いとかたし。ただかういふ人をしる人にてやみねといふ事ばかりを、いかでたばからむとてなん」とぞいひける。【注】「はかなき物のたよりにて」=ちょっとしたことがきっかけで。「雲ゐよりもなほ遥かにてみる人」=身分がひどくかけはなれて高貴な女性。高嶺の花。「さは、はるかに見けれど」=そんなふうに、遠くから指をくわえて見ていたが。「物いはすべきたより・よすがありければ」=お声をかけてくださりそうな機会があったので。「す」は、尊敬の助動詞。「いかで物いひよらむ」=どうにかして恋を打ち明けて近づこう。「言ひ渡る程に」=熱い思いを手紙でアピールしつづけるうちに。「ほど経にければ」=月日が経過したので。「人づてならず」=間に仲介者をはさまず。『小倉百人一首』藤原道雅「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」。「水茎の跡」=手紙。「きこえてしがな」=自分の口から申し上げたいなあ。「てしが」は、自分の願望をあらわす終助詞。「な」は、詠嘆の終助詞。「せめて」=しつこく。強引に。「言ひわたる」=言いつづける。「いかがはすべき」=どうしたらよかろう。「げに」=ほんとうに。「よそにてもいはん事をや聞かまし」=直接顔を見なくても男の言う話を聞いてみようかしら。「女の親」=この女の母親。「さがなき朽女」=性格の悪い、くされ女。「さすがに」=はじめは気づかなかったのであろうが、やはり。「いとよう物の気色みて」=じゅうぶんに女のようすを察して。「いとことがましき物なりければ」=とても口うるさい連中だったので。「かかる文」=恋文。「はては」=挙句の果てには。「文をだにえ通はさず」=じかに逢うどころか手紙のやりとりさえできないようにさせ。「責めまもりつついひければ」=どこのどういう男と付き合っているのか質問責めにして、付き合えないように見張って、身分違いの男と付き合わないように言い聞かせたので。「せめてあはむ」=ぜひ直接逢おう。「わびて」=困って。「思ひける友達」=親友。「せきある」=見張りがいて自由がきかない。「いとかたし」=とても苦しんでいる。「かういふ人をしる人にてやみね」=こんなに身分の高い知りあいがいるという事だけで満足し、それ以上の仲になるのを求めるのは諦めなさい。「いかでたばからむとてなん」=どうやって説得して諦めさせようかと思ってあなたに相談するのです。【訳】また、この同じ男が、ちょっとしたことがきっかけで、雲の浮かぶ空よりももっと遥か遠くから心ひかれて見る身分がひどくかけはなれて高貴な女がいた。そんなふうに、遠くから指をくわえて見ていたが、お声をかけてくださりそうな機会があったので、どうにかして恋を打ち明けて近づこうとおもって、熱い思いを手紙でアピールしつづけるうちに、月日が経過したので、「なんとかして、あいだに人を介さずに、こんな手紙ではなく、じかに話がしたいものだなあ」と、男が、しつこく言いつづけたので、「どうすればいいのかしら。ほんとうに、わたしも、直接顔を合わせるのではなくても、お話を聞こうかしら」と思っていたところ、女の親で、性格の悪い腐れ女が、最初のうちは気づかなかったが、やはり、十分に女のようすを察して、とても口うるさい連中だったので、女が男と恋文をやりとりしているらしい気配を察して、挙句の果てには手紙さえやりとりできなくさせ、どこのどういう男と付き合っているのか質問責めにして、付き合えないように見張って、身分違いの男と付き合わないように言い聞かせたので、女はこの男が「ぜひ逢おう」といってきたことに困って、この女が信頼している友達に、「わたしはこんなつらい思いをしています。私は厳重に見張られている自由のない身です。そんな状況にいるのだということさえ聞く耳もたず、なぜじかに逢えないのだと男が責めるので、とても苦しい。ただ自分にはこんなに身分の高い知りあいがいるという事だけで満足し、それ以上の仲になるのを求めるのは諦めなさい。という事だけを、どうやって諦めるように言いくるめようかと思ってあなたに相談するのです」と言った。【本文】されば、この友達、「などかいとうらめしく、今まで我にはいはざりける。人気色とらぬさきに、ようたばかりてまし」などいひて、「月のおもしろきを見んとて端のかたにいでて、我ことをもそれに紛れて簀子のほどに呼び寄せて、物いへ」などたばかりて、かの男のもとに、「いと忍びてこの簀子のもとに立ちよれ。おぼろけになおもひそ」などいへりければ、男何時しか待ち暮らして立ちよりにけり。かの友達、「わがごとくに」などいへりければ、それがうれしき事など、女も男もをかしきやうに思ひていひ語らひけるに、かの母の朽女、さがなき物宵まどひしてねにけるこそあれ、夜ふくるすなはち目をさまして起き上りて、「あなさがな、なぞかく今まで寝られぬ。もしあるやうある」といひて起き走りいで來ければ、男ふと簀子のしたになめりいりにけり。のぞきてみる。人もなければ、「おいや」などいひてぞ奥へ入りにける。【注】「されば」=そこで。「などか」=どうして。「人気色とらぬさきに」=ほかの人が察しないうちに。「ようたばかりてまし」=きっとうまくやってあげたのに。「て」は、強意の助動詞「つ」の未然形。「まし」は、反実仮想の助動詞。ここは、この前に「さ聞きたらば」(そんなふうに事情を聞いていたら)のような表現が省略されているのであろう。「月のおもしろき」=美しい月。「の」は同格の格助詞。「端のかた」=部屋のはしっこ。いわゆる端近の状態。「いと忍びて」=人に覚られぬように用心して。「おぼろけになおもひそ」=並々のことだとお考えなさいますな。「何時しか」=早く日が暮れないかと待ちかねて。「待ち暮らして立ちよりにけり」=待って、その日の夕暮を迎えて女の家に立ち寄った。「わがごとくに」=わたしの言うとおりにやりなさい。「かの母の朽女、さがなき物」=女の母親にあたる性格の悪い腐れ女で、口やかましい女。「宵まどひ」=夜の早いうちから眠くなること。「すなはち」=~したとたんに。~するとすぐに。「もしあるやうある」=ひょっとすると何か不吉なことがあるのかしら。「なめりいりにけり」=身をすべらせるようにしてもぐりこんでしまった。「おいや」=「をいや」。ああ。まあ。【訳】そこで、この友達は、「どうして今まで私に言わなかったの。とてもみずくさいわね。事情を知ってたら、ほかの人にけどられないうちに、うまく処理してあげたのに」などといって、「美しい月を見ようといって、部屋の端のほうにいて、自分のこともそれに紛れて簀子のところに呼び寄せて、話しなさい」などと計略を立てて、例の男のところに、「じゅうぶんに人目を避けて、うちの屋敷の簀子のところに立ちよりなさい。こうやって機会を作ってあげるのは並大抵の努力とはお考えになるな」などといったので、男は「早く日が暮れないかなあ」と待って夕暮れを迎えて、やっと女の住む屋敷に立ち寄った。例の友達が、「私が言ったとおりに(演じるのですよ)」などと言っておいたので、女はこうして逢えたことのうれしい事など、女も男も相手を風流な人だなあと思って、打ち解けて語り合っていたところ、例の女の母で性格の悪いくされ女で、口のわるい女が、夜の早いうちから眠くなって寝たのならともかく、夜が更けたかとおもうとただちに目をさまして起き上がって、「まあ、なんてこと。どうしてこんなに遅くまで寝られないのかしら。ひょっとすると、何か不吉なことがあるのかしら」と言って起き上がって走って現れたので、男はサッと簀子の下に滑り込んで身を隠してしまった。母親が女の部屋をのぞいてみた。誰もいないので、「ああ、気のせいかしら」などと言って奥へひっこんでしまった。【本文】そのままに男出きてぞ物いひける。「よし、これを見よ。かかればなんいふ。誰も命あらば」などいひ契るほどに、又この朽女、「あやしうも入り来ぬかな」といひければ、なほこの女、「又いきなん。今は帰りね」といへば、男くちをしう思ひて、 玉さかに 君と調ぶる 琴の音に あひてもあはぬ 恋をする哉 此事ばかりいとをかしきやうにおもひて、「早うかへりしといへや」などたゆたふほどに、朽女は密かに覗きて見をれば、「どこなりし盗人のかたゐぞ、さればよるやうありと言へるぞかし」とて縛りければ、沓をはきもあへず男は逃げにけり。女も息もせでうつぶしにけり。それよりこの女さらに事のつてをだにえすまじう、物いはせけるたよりもたえて、よせずなりにければ、いふかひなくて、(中絶)【注】「いひ契る」=口に出して夫婦の約束をする。「あやしうも入り来ぬかな」=不思議なことに娘を訪ねてこないなあ。「今は帰りね」=もうお帰りなさい。「くちをしう」=残念に。「くちをしく」のウ音便。「玉さかに」=めったに会えないものに会う。「君と調ぶる琴の音」=「琴瑟相和す」という言葉をふまえるか。「たゆたふ」=ためらう。「密かに」=こっそり。「どこなりし盗人のかたゐぞ」=どこに隠れていたぬすっと野郎め。「さればよるやうありと言へるぞかし」=だから夜中になんか変だといったのだ。「沓をはきもあへず」=靴をはく余裕もなく。「さらに事のつてをだにえすまじう」=まったく、伝言さえできなくなり。「よせずなりにければ」=近寄せなくなってしまったので。「いふかひなくて」=しかたがなくて。【訳】そのまますぐ男が簀子のしたから現れて女と話をした。「まあ、この縁の下のクモの巣や土で汚れた格好をみてごらんなさい。こんなふうだから、言うのでしょう。誰でも身分違いの恋は命があったらもうけものだと。」などと言って、口に出して夫婦の約束をするところに、ふたたび、この母親のくされ女が、「変ねえ。誰も入って来ないなあ」と言いながらやってきたので、やはりこの女が、「また母がきちゃうわ。もう今は帰ってください」というので、男は残念に思って、作った歌、 めったに会えないあなたに会って、あなたと一緒に演奏する琴の音に、思わぬ邪魔がはいって、あってもあった気がしないような、心満たされない恋をするものだなあ。 このことだけを、とても風流な出来事だとおもって、「もうとっくに帰ってしまったと母親には言いなさい」などと指示してぐずぐずしているうちに、くされ女は、こっそり覗いて見ていたので、「どこに隠れていた盗びと野郎め、だから夜中に不吉な感じがすると言ったのだ」と言って女を縛りあげたので、クツをはく余裕もなく男は逃げてしまった。女も息もしないでつっぷしてしまった。それから、この女は、まったく、伝言さえできなくなり、手紙をやり取りする手立ても失い、男を近寄せなくなってしまったので、男もしかたがなくて、(中絶) をはり
October 10, 2016
閲覧総数 3698
20

【本文】十七日、くもれるくもなくなりて、あかつきつくよいとおもしろければ、ふねをいだしてこぎゆく。【訳】正月十七日。空にどんよりとくもっていた雲が無くなって、夜明け前の月がひじょうにすばらしいので、船を出して沖へ漕いで行く。【本文】このあひだに、くものうへもうみのそこもおなじごとくになむありける。【訳】こうやって沖へ出ると空も海面も同じような色だなあ。【本文】むべもむかしのをのこは「さをはうがつなみのうへのつきを。ふねはおそふうみのうちのそらを」とはいひけん。【訳】なるほど昔の男は「棹は波の上に映る月を突き刺し、船は海に映った空の上に覆い被さる」とは、よくいったものだ。【本文】ききざされにきけるなり。【訳】この漢詩は聞きかじりに聞いたものだ。【本文】また、あるひとのよめるうた、「みなそこの つきのうへより こぐふねの さをにさはるは かつらなるらし」。【訳】また、ある人が詠んだ歌。水底の月のうえを通って漕ぎ進む船の棹さきにゴツゴツと触れるものは中国の古い伝説にいう月の中に生えているという桂の木らしい。【本文】これをききて、あるひとのまたよめる、「かげみれば なみのそこなる ひさかたの そらこぎわたる われぞさびしき」。【訳】この歌を聞いて、ある人が再び詠んだ歌。月の光を見ると、波の底にある空を漕いで渡る月と同様に私が一人ぼっちでさびしいことだ。【本文】かくいふあひだに、よやうやくあけゆくに、かぢとりら「くろきくもにはかにいできぬ。かぜもふきぬべし。みふねかへしてむ」といひて、ふねかへる。【訳】こんなことを言い合っているうちに、夜もしだいに明けていくので、船頭らが「黒い雲が急に出てきてしまった。そのうちきっと風も吹くにちがいない。海が荒れないうちに船を岸へ引き返してしまおう。」と言って、船が引き返した。【本文】このあひだに雨ふりぬ。いとわびし。【訳】こうやって、港へ帰るうちに雨が降り出してしまった。とても辛い。
June 13, 2009
閲覧総数 4592
21

【本文】つかふ人あつまりて泣きけれどいふかひもなし。「いと心うき身なれば死なむと思ふにもしなれず。かくだになりて行ひをだにせむ。かしがましく、かくな人々いひさはぎそ」となむいひける。【訳】武蔵の守の娘が尼になってしまわれたので、使用人たちは集まって泣いたけれども、いまさら何を言ってもしかたがない。「大変つらい身のうえなので、死のうと思ったが、死ぬことも出来なかった。せめて、このように尼にでもなって、来世の極楽往生を願って修行だけでもしよう。あまりやかましく、私がこんなふうに尼になったこと言って騒ぎなさるな」と言ったとさ。【本文】かかりけるやうは、平中そのあひけるつとめて、人をこせむとおもひけるに、司のかみ、俄に物へいますとて、よりいまして、よりふしたりけるをおひ起こして、「いままでねたりける」とて、逍遥しに、とほき所へ率ていまして、酒のみののしりて、さらにかへしたまはず。【訳】こんなことになった事情は、平中が、武蔵の守の娘と契りを結んだ翌朝、使者を女の所に行かせようと考えていたところ、役所の長官が、急にどこかへ行かれるというので、お立ち寄りになって、平中が物に寄りかかって臥していたのを、たたき起こして、「こんなに遅くまで寝ているやつがあるか」といって、ぶらぶらと散策しに、遠い所へ連れてお行きになって、酒をのんであれこれ話しこんで、平中をいっこうにお帰しにならなかった。【本文】からうして帰るままに、亭子の帝の御ともに大井に率ておはしましぬ。そこに又二夜さぶらふに、いみじう酔ひにけり。夜ふけてかへりたまふに、この女のがり行かむとするに、方塞りければ、おほ方みなたがふ方へ、院の人々類していにけり。【訳】やっとのことで帰るやいなや、宇多天皇のお供として平中を大井に一緒に連れて行かれた。そこでまた二晩おそばでお仕えしたところ、ひどく酒に酔ってしまったとさ。夜がふけてお帰りになるので、この女の所に行こうとしたところ、陰陽道の不吉な方角を避ける方塞りに該当してしまったので、ほとんど全員、不吉な方角とは違う方角へ、院の人々がまとまって行ったとさ。【本文】この女いかにおぼつかなくあやしとおもふらむと、恋しきに、今日だに日もとく暮れなん、いきて有樣も身づからいはむ、かつ文もやらんと、酔ひさめておもひけるに、人なむきてうち叩く。「誰ぞ」と問へば、なほ「尉の君に物きこえむ」といふ。さしのぞきてみればこの家の女なり。胸つぶれて「こち来」といひて文をとりてみれば、いとかうばしき紙に切れたる髪をすこしかいわがねてつつみたり。いとあやしくおぼえて、書いたることをみれば、あまのがは そらなるものと ききしかど わがめの前の 涙なりけりとかきたり。【訳】この武蔵の守の娘が、どんなに待ち遠しく、また、訪ねないことを不審に思っているだろうかと、恋しかったが、せめて今日だけでも日も早く暮れてほしい、女の所に行って、今までのいきさつを自分で説明しよう、また、手紙も送ろうと、酔いも醒めて考えていたところ、人がやってきて門をたたいた。「誰だ?」と問うと、「左兵衛の尉さまに申し上げることがございます」という。すきまから覗いてみたところ、武蔵の守の娘の家の女だった。胸がつぶれそうな思いで「こちらへ来い」といって、女の届にきた手紙を取って見てみると、とても香りのよい紙に切れた紙を少し掻きたばねて包んであった。非常に不思議に思われて、書いてある文字を見たところ、天の河は、空にあるものだと聞いていたが、なんとその正体は、こんなに身近な、わたくしの目の前の、沢山流れる涙だったのだなあ(尼になるなんて、空にある天の河のように、自分には無関係の遠い世界のことだと思ってきましたが、あなたの冷たい仕打ちに、河になるほど涙をながし、とうとう尼になりました)と書いてあった。【本文】尼になりたるなるべしと見るに目もくれぬ。心もまどはして、この使にとへば、「はやう御ぐしおろしたまうてき。かかれば御達も昨日今日いみじく泣きまどひたまふ。げすの心ちにもいとむねいたくなむ。さばかりに侍し御ぐしを」といひてなく時に、男の心ちいといみじ。【訳】武蔵の守の娘は、尼になってしまったのにちがいない、と手紙の和歌を見るにつけても、目の前も真っ暗になってしまった。心もうろたえて、この使者に問いただしたところ、「なんと髪を剃って尼になってしまわれた。こんなことになってしまったので、お仕えしていた女房たちも昨日も今日もひどく泣いて動揺しておられる。わたくしめのような身分の低い者の心にも、非常に胸が痛みます。あんなにも長くて美しい髪でございましたのに」と言って泣いたときに、平中の心境も非常に悲痛であった。【本文】なでうかかるすきありきをして、かくわびしきめをみるらむとおもへどもかひなし。なくなく返事かく。よをわぶる 涙ながれて 早くとも あまの川には さやはなるべき「いとあさましきに、さらに物もきこえず。身づからたゞいま参りて」となむいひたりける。かくてすなはち来にけり。そのかみ塗籠にいりにけり。ことのあるやう、さはりを、つかふ人々にいひて泣くことかぎりなし。「物をだにきこえむ。御声だにしたまへ」といひけれど、さらにいらへをだにせず。かかる障りをばしらで、なほただいとをしさにいふとやおもひけむとて、男はよにいみじきことにしける。【訳】どうして、このような風流な方々の散策をして、こんなつらいめに遭うのだろうと思ったが、その甲斐もない。泣く泣く返事を書いた。男女の仲をつらく思う涙が流れて、たとえその流れが早くなっても、そんなに簡単に天の河になったりするものだろうか(簡単に尼になってほしくなかったよ)「自分でも非常にあきれたことに、まったく連絡も申し上げませんでした。わたくし自身いますぐ参上して事情を説明します」と使者を通じて言ったとさ。こうして、即座に女の所に平中がやってきたとさ。その折り、尼は納戸に入ってしまったとさ。平中は、ことのいきさつ、支障を、使用人の女房たちに言って泣くこと、このうえない。「せめてお話だけでも申し上げよう。お声だけでも聞かせてください」と言ったが、まったく返答さえなさらない。このような支障があったことを知らずに、やはり、ただ恋しい未練だけで言うのだと尼君は思っているのだろうかと言って、平中はひどく辛く感じたとさ。
February 15, 2011
閲覧総数 47381
22

第百十四段【本文】むかし、仁和の帝、芹河に行幸したまひける時、今はさること似げなく思ひけれど、もとづきにけることなれば、大鷹の鷹飼にてさぶらはせたまひける、摺狩衣の袂に書きつけける。 翁さび 人なとがめそ 狩衣 今日ばかりとぞ 鶴も鳴くなるおほやけの御けしきあしかりけり。おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞き負ひけりとや。【注】〇仁和の帝=光孝天皇。笠原英彦著『歴代天皇総覧』(中公新書)によれば、仁明天皇の第三皇子。母は藤原総継のむすめ沢子。八三〇~八八七年(在位八八四~八八七年)。〇芹河に行幸したまひける時=『三代実録』によれば、光孝天皇の芹河行幸は仁和二年(八八六)十二月十四日のこと。この翌年の仁和三年に病没された。「芹河」は、山城の国紀伊郡鳥羽(京都市伏見区下鳥羽)の鳥羽離宮の南を流れていた川。〇さること=そのようなこと。〇似げなし=似合わない。ふさわしくない。〇もとづく=頼りとなるべきものに到達する。〇大鷹の鷹飼=冬に大鷹(雌の鷹)を使った鷹狩に従事すること。また、その役目の人。官職では、蔵人所に属する。〇摺狩衣=草木の汁で、様々な模様を染め出した狩衣。〇翁さぶ=老人らしく振る舞う。〇な‥‥そ=どうか~してくれるな。禁止の意を表す。〇とがむ=非難する。そしる。〇おほやけ=天皇。〇けしき=人の様子。〇聞き負ふ=自分のこととして聞く。わが身のことと受け取る。【訳】むかし、仁和の帝が、芹河にお出ましになった時、男が、高齢の今では狩りのお供をするというようなことは不適当だと思ったけれども、狩りに慣れて頼りになるというので、冬の大鷹狩りのお供として同行させた。その男が、草木染で模様を染め出した狩衣の袂に書きつけた歌。 わたしが年寄りじみていることを、みなさん非難なさいますな。この狩衣をご覧あれ。今日は狩りだ、弱ったなあ、おれの命も今日限りかなあと鶴も鳴くようですよ。わたしもなにぶん高齢なので、この狩衣を着てこうして鷹狩のお供をするのも今日が最後だと思っております。こう詠んだところ、天皇のご機嫌が悪かった。男は自分の年齢のことを考えて作ったのだったけれども、お若くなかった天皇は、聞いてご自身の高齢を指摘されたのだとお受け取りになったとかいうことだ。
April 23, 2017
閲覧総数 1727
23

【本文】七日、けふは川尻に船入り立ちて漕ぎのぼるに、川の水ひて惱みわづらふ。船ののぼることいと難し。【訳】二月七日。今日は川尻に船が進入し漕ぎのぼったが、川の水量が減って行きなやんだ。船がさかのぼるのが非常に困難だった。【本文】かかる間に船君の病者もとよりこちごちしき人にて、かうやうの事更に知らざりけり。【訳】そうこうしている間に、船の御主人の病人は、もともと無骨な人なので、こんな事情を全く知らなかった。【本文】かかれども淡路のたうめの歌にめでて、みやこぼこりにもやあらむ、からくしてあやしき歌ひねり出せり。そのうたは、「きときては川のほりえの水をあさみ船も我が身もなづむけふかな」。これは病をすればよめるなるべし。【注】「きとき」は、遙々やって来る意の動詞「きとく」の連用形。【訳】こんな具合だったが、淡路の国の老女の歌に感心して、都自慢のつもりでもあろうか、やっとの思いでへんてこりんな歌を作り出した。その歌は、「ここまで遙々やってきたものの、川をさかのぼる人工の水路の水が浅いので、船も我が身も悩む今日だなあ。」これは、船酔いの病気をするから、こんなふうに詠んだのにちがいない。【本文】ひとうたにことの飽かねば今ひとつ、「とくと思ふ船なやますは我がために水のこころのあさきなりけり(るべしイ)」。この歌は、みやこ近くなりぬるよろこびに堪へずして言へるなるべし。【訳】一つだけの和歌では自分の気持ちを十分に表せなかったので、もう一つ詠んだ歌、「早くと都に着けばいいのになあと思う船を行きなやませるのは、私にたいする川の水の心が浅いのだなあ。」この歌は、きっと都が近くなった喜びを抑えきれずに表現したのであろう。【本文】淡路の御の歌におとれり。ねたき、いはざらましものをとくやしがるうちによるになりて寢にけり。【訳】淡路の老女の歌にくらべて劣っている。いまいましい、言わなければいいのに・・・と残念がるうちに、夜になって寝てしまった。
January 24, 2010
閲覧総数 6305
24

【本文】故源大納言、宰相におはしける時、京極の宮すどころ、亭子の院の御賀つかうまつりたまふとて、「かかる事をなむせんとおもふ。ささげもの、ひとえだせさせてたまへ。」と、きこえたまひければ、鬚籠(ひげこ)をあまたせさせたまうて、としこにいろいろにそめさせ給ひけり。【注】・故源大納言=源清蔭。陽成天皇の皇子。884…950年。彼が宰相(=参議)だったのは925…939年。・京極の御息所=尚侍藤原褒子。藤原時平の娘。宇多天皇の退位後にお仕えし親王を三人生んだ。・鬚籠=編み残したさきがヒゲのように出ている竹細工のかご。・としこ=俊子。大江玉淵の娘で、藤原千兼の妻。千兼と清蔭は義兄弟。【訳】いまは亡き源大納言さまが、参議でいらっしゃった時、京極の御息所さまが、宇多上皇の六十歳のお祝いをして差し上げるというので、「こんなことをしようと思います。プレゼントを容れる籠に造花の枝をつけるので、作らせてください。」と申し上げたので、ヒゲコを沢山つくらせなさって、俊子に命じて色とりどりに染めさせなさった。【本文】しきもののおり物ども、いろいろに染め、縒り、組み、なにかとみなあづけてせさせたまひけり。【訳】ヒゲコに敷く織物を、色々に染め、縒り、組み、なにかにつけ、俊子に任せて用意させなさった。【本文】そのものどもを、九月つごもりに、みないそぎはててけり。【訳】その品々を、九月末日に、残らず急いで完成させた。【本文】さて、その十月ついたちの日、この物、いそぎ給ひける人のもとにおこせたりける、(*) ちぢのいろに いそぎしあきは すぎにけり いまはしぐれに なにをそめまし その物急ぎ給うける時は、まもなく、此よりも彼よりも云ひかはし給うけるを、それより後は、その事とやなかりけむ、消息せうそこもいはで、十二月の晦日になりにければ、 かたかげの船にや乘りし白浪の騷ぐ時のみ思ひ出づる君 かたかげの ふねにやのりし しらなみの さはぐときのみ おもひいづるきみ となむいへりけるを、そのかへしをもせで、年越えにけり。【訳】そうして、その十月一日に、この用意した品物を、急いでおられた人の所に届けさせた、(俊子がその品物に添えて詠んだ歌) 色とりどりに急いで木々の葉を染めた秋は過ぎてしまった。いまは冬の十月を迎えて染めるものも無いので、時雨れによって何を染めたらよいのかしら。 その品物を急遽必要となさていた時には、ひっきりなしに、当方からもあちらからも連絡を取り合っておられたのに、それ以後は、そんな事も忘れてしまったのだろうか、手紙のやりとりも無く、十二月の末になってしまったので、俊子が、 片帆を掛けた小舟にでも乗っているのでしょうか、白波が騒々しい時だけ私を思い出すあなた。と詠んで贈ったが、源清蔭は、その返事もしないうちに、その年も越えてしまった。【本文】さて、きさらぎばかりに、やなぎのしなひ、ものよりけにながきなむ、この家にありけるを折りてあをやぎの いとうちはへて のどかなる はるびしもこそ おもひいでけれ とてなむ、遣り給へりければ、いと二なく愛でて、後までなむ語りける。【訳】そうして、翌年の二月ごろに、柳の枝で枝垂れて、ひときわ長いのが、この家にあったのを折りとって、それに源宰相が 糸のように細長い青柳の枝が長々と伸びた、のどがな春の昼間になって、やっと大役を果たしてた安堵感から、あなたのことを思い出しましたよ。と詠んだ歌を書いた手紙を結びつけて、お送りになったところ、俊子は、このうえなく称賛して、後々までこの出来事を語ったとさ。
September 26, 2010
閲覧総数 3901
25

【本文】かくて世にも労ある物におぼえ、つかうまつる帝かぎりなくおぼされてあるほどに、この帝うせ給ひぬ。【訳】こうして、世間でも気の利いた男だと評判し、お仕え申し上げる帝もこの少将をこのうえなく目をおかけになっていたところが、この帝がお亡くなりになってしまったとさ。【本文】御葬の夜、御供にみな人つかうまつりける中に、その夜よりこの良少將うせにけり。ともだち・妻も「いかならむ」とて、しばしはこゝかしこ求むれども、音耳にもきこえず。【訳】ご葬儀の夜、おともに皆ご参列もうしていた中で、その夜から、この良岑少将が姿を消してしまったとさ。友人や妻も「どうしたのだろう」といって、行方不明になってからしばらくは、あちらこちら探したが、うわさも耳にはいらなかった。【本文】「法師にやなりにけむ、身をや投げてけむ。法師になりたらば、さてあるともきこえなむ、身をなげたるなるべし」とおもふに、世中にもいみじうあはれがり、妻子どもはさらにもいはず、夜晝精進潔齋して、世間の仏神に願をたてまどへど音にもきこえず。【訳】「法師になってしまったのだろうか?投身自殺してしまったのだろうか?もし法師になっているのなら、たぶん、そうしているとうわさが耳にはいるだろう。うわさがきこえてこないのは、きっと投身自殺してしまったのにちがいない」と思うので、世間の人々も大変気の毒がり、妻子たちは言うまでもなく昼夜精進潔斎して、あらゆる神仏に「どうか少将が生きておりますように。生きているなら所在がわかりますように」と願を掛けなさったが、うわさにも聞こえてこない。【本文】妻は三人なむありけるを、「よろしくおもひけるには、なを世に經じとなむ思」と二人にはいひけり。【訳】少将には妻が三人いたが、「つくづく考えたことには、やはりこのまま俗世間にはいるまいと思う」と、二人の妻には告げたとさ。【本文】かぎりなく思て子どもなどある妻には、塵ばかりもさるけしきもみせざりけり。このことをかけてもいはば、女もいみじとおもふべし、我もえかくなるまじき心ちしければ、よりだに來で、にはかになむ失せにける。【訳】このうえなく愛して、子供などももうけていた妻に対しては、ちっともそんなそぶりも見せなかったとさ。この本心を、もし少しでも口にしたら、女もとても辛く悲しいと思うにちがいない。自分も出家する心が揺らいでしまう気がしたので、子のいる妻の所には近寄りもしないで、突然姿を消してしまったのだとさ。【本文】ともかくもなれ、「かくなむおもふ」ともいはざりけることのいみじきことを思ひつゝ泣きいられて、初瀬の御寺にこの妻まうでにけり。【訳】夫がどうなるにせよ、この妻は少将が「こんなふうに考えている」とも自分に告げてくれなかったことが、とても悲しくつらいことだと思いながら、自然と泣かずにいられない状態におなりになって、長谷寺にこの妻が参詣したとさ。【本文】この少將は法師になりて、蓑ひとつをうちきて、世間世界を行ひありきて、初瀬の御寺に行ふほどになむありける。【訳】この少将は、法師になって、蓑ひとつを身につけ、日本中を修行して歩き回って、ちょうど長谷寺で修行している時分であった。【本文】ある局ちかう居て行へば、この女、導師にいふやう、「この人かくなりにたるを、生きて世にある物ならば、今一度あひみせたまへ。身をなげ死にたる物ならば、その道成し給へ。さてなむ死にたるとも、この人のあらむやうを夢にてもうつゝにても聞き見せたまへ」といひて、わが裝束、上下・帶・太刀までみな誦經しにけり。身づからも申しもやらず泣きけり。【訳】本堂の、衝立で仕切られた、とある一角に近いところで少将が修行していたところ、この女が、導師にむかって言うことには、「この人(夫)がこんなふう(行方不明)になっているが、もし生きてこの世にいるものなら、もう一度お引き合わせください。もし投身自殺したものなら、成仏させてください。そうして、たとえ死んでいるとしても、この人が現在あの世でどうしているか、その様子を、夢の中ででも現実にでも聞かせたり見せたりしてください。」といって、自分(少将)の装束・上下・帯・太刀にいたるまで、全部供えて導師に経文を唱えさせていた。そうして自身(妻)も経文を唱えることもうまできないほど泣いたとさ。【本文】はじめは何人の詣でたるならむと聞きゐたるに、わが上をかく申つゝ、わが裝束などをかく誦經にするをみるに、心も肝もなく悲しきこと物に似ず。【訳】はじめのうちは、どんなひとが参詣しているのだろうと、聞いていたところ、自分の身の上をこのように導師に申し上げながら、私の装束などをこんなふうに供えて経文を唱えるのを見ると、どうしようもなく悲しいことといったら、似る物もないほどだった。【本文】走りやいでなましと千度思けれど、おもひかへしかへし居て夜一夜なきあかしけり。【訳】いっそ、私はここにいるぞと妻の前に走って出てしまおうか、やめようかと何度も考えたが、考え直し考え直しして、とうとう一晩泣き明かしてしまったとさ。【本文】わが妻子どもの、なを申す聲どももきこゆ。いみじき心ちしけり。【訳】自分の妻子たちの、昨晩から引き続き経文を唱える声などが聞こえた。とてもつらい気がしたとさ。【本文】されど念じて泣きあかして朝にみれば、蓑も何も涙のかゝりたるところは、血の涙にてなむありける。「【訳】けれども、逢いたい気持をぐっと我慢して、泣き明かして翌朝に見てみたら、蓑も何もかも、涙がかかった所は、血の涙で赤く染まっていたとさ。【本文】いみじうなれば、血の涙といふものはあるものになんありける」とぞいひける。「その折なむ走りもいでぬべき心ちせし」とぞ後にいひける。【訳】大変な心痛だったので、血の涙というものは本当に存在するものだったのだなあ」と言ったとさ。「よっぽど、その折りに、妻子の前に走り出てしまいそうな気がした」と、少将がのちに語ったとさ。
February 6, 2011
閲覧総数 14913
26

【本文】良峰の宗貞の少将、物へ行くみちに、五条わたりに、五条わたりにて雨いたう降りければ、荒れたる門に立ち隠れてみいるれば、五間ばかりなる桧皮屋(ひはだや)のしもに土屋倉(つちやぐら)などあれど、ことに人などにもみえず。【訳】良峰の宗貞の少将が、あるところへ行く途中で、五条わたりに、五条大路付近で雨がひどく降ったので、荒れている門のそばに立って隠れて門内をのぞきこんだところ、五間ほどのヒノキの皮で屋根を葺いた家の端に土蔵などがあるが、そこならとくに人などにも見つからない。【注】「五条」=今の京都市のほぼ中央を東西に走る通りに面した一帯。一番北にある一条大路から数えて、五番目の大路。「桧皮屋」=ヒノキの皮で屋根を葺いた家。「土屋倉」=土蔵。【本文】歩みいりてみれば、階(はし)の間(ま)に梅いとをかしう咲きたり。鴬も鳴く。【訳】歩いて入っいって見たところ、階段の間に梅の花がとても情緒たっぷりに咲いていた。ウグイスも鳴いている。【注】「階の間」=寝殿の正面の階段の上を覆うための差し出した庇の柱と柱の間の軒近く。「をかし」=風情がある。【本文】人ありともみえぬ御簾(みす)のうちより、薄色の衣濃き衣うへにきて、たけだちいとよきほどなる人の、髪、たけばかりならんと見ゆるが、よもぎ生ひて荒れたるやどをうぐひすの人来となくや誰とかまたんとひとりごつ。【訳】人がいるとも思われないスダレの内側から、薄紫色の着物と濃い紅色の着物とを上に着て、身長がほどよい人で、髪が身長と同じほどの長さであろうと見える女性が、ヨモギが生えて荒れている家をウグイスが「人がくるよ」といって鳴くのを誰だとおもって待とうか。と独り言を言った。【注】「薄色」=薄紫色。「濃き」=濃い紅色。「たけだち」=身長。「よきほどなる人」=一人前の背丈の人。『竹取物語』「よきほどなる人になりぬれば」。「人来(ひとく)」=人がむこうからやってくる。「ぴ-ちく、ぱーちく」と鳥の鳴き声の擬声語。。【本文】少将、きたれどもいひしなれねば鴬の君に告げよとをしへてぞなくと声をかしくしていへば、【訳】少将が作った歌、やってはきたものの、女性に言い寄ること慣れていたいので、ウグイスがあなたに思いを告げなさいと教えて鳴くことだ。と優美な声で歌を吟じたところ、【注】「をかし」=優美だ。「いふ」=歌を吟ずる。【本文】女驚きて、人もなしと思ひつるに、物しきさまをみえぬることとおもひて物もいはずなりぬ。【訳】女が、びっくりして、ほかに人もいないと思っていたのに、みっともない様子を見せてしまったことだと思って、だまりこくってしまった。【注】「物し」=不愉快だ。気に入らない。「見ゆ」=相手に見せる。【本文】男、縁にのぼりて居ぬ。「などか物のたまはぬ。雨のわりなく侍りつれば、やむまでかくてなむ」といへば、【訳】少将が、縁側にのぼって腰をおろした。「どうして口をおききにならないのか。雨がやたらに降ってきましたので、やむまでこうやって雨宿りしたい」と言ったところ、【注】「ゐる」=座る。「わりなし」=むやみだ。やたらだ。【本文】「大路よりはもりまさりてなむ、ここは中々」といらへけり。【訳】「大路よりも、ひどく雨漏りがしますから、ここはかえって濡れてしまいますよ」と女が返事をした。【注】「中々」=あべこべに。かえって。「いらふ」=返答する。【本文】時は、正月十日のほどなりけり。簾のうちより茵さしいでたり。【訳】時は、旧暦一月十日ごろのことだった。簾のなかから筵のうえに敷く四角い敷物を差し出した。【注】「茵」=筵のうえに敷く四角い敷物。【本文】引き寄せて居ぬ。簾もへりは蝙蝠(かはほり)にくはれてところどころなし。【訳】少将はそのシトネを引き寄せて座った。スダレも縁はコウモリにかじられてところどころなくなって破損している。【注】「蝙蝠」=コウモリ。「くふ」=かじる。【本文】内のしつらひ見いるれば、昔おぼえて畳などよかりけれど、口惜しくなりにけり。【訳】部屋の内部の装飾をのぞきこんだところ、古風な感じがして畳などは立派なものだったが、いかんせん経年の劣化によって残念な状態になってしまっていた。【注】「しつらひ」=設備。装飾。調度類をそろえ、室内を飾ること。「昔おぼゆ」=古風に感じられる。『徒然草』十段「うちある調度もむかしおぼえてやすらかなるこそ」。【本文】日もやうやうくれぬれば、やをらすべりいりてこの人を奥にもいれず。【訳】日もしだいに暮れたので、少将は静かに女のいる部屋へ入って、女を奥にも入らせない。【注】「やをら」=そっと。しずかに。「すべりいる」=すべるようにして、そっと中へはいる。【本文】女くやしと思へど制すべきやうもなくて、いふかひなし。雨は夜一夜ふりあかして、またのつとめてぞすこし空はれたる。【訳】女は少将にまんまと部屋に入り込まれて残念だと思うが、止めようもなくて、こはやしかたがない。雨は一晩中降りあかして、次の日の早朝、少し空も晴れた。【注】「くやし」=残念だ。後悔される。「制す」=とめる。「いふかひなし」=言ってもしかたがない。「またのつとめて」=「またの日のつとめて」=翌日の早朝。【本文】男は女のいらむとするを「ただかくて」とていれず。【訳】少将は女が屋敷の奥へひっこもうとするのを「ただこうして私のそばにいてください」と言って、奥へ入れなかった。【注】「いる」=入る。屋敷の奥座敷に引っ込む。【本文】日も高うなればこの女の親、少将に饗応(あるじ)すべきかたのなかりければ、小舎人童ばかりとどめたりけるに、堅い塩さかなにして酒をのませて、少将には、ひろき庭に生いたる菜を摘みて、蒸し物といふものにして丁わんにもりて、はしには梅の花さかりなるを折りて、その花弁(はなびら)にいとをかしげなる女の手にて書けり。君がため衣の裾をぬらしつつ春の野にいでてつめる若菜ぞ【訳】日も高くなったので、この女の親が、貧しくて少将にごちそうする方法がなかったので、少将は使用人のうち召使の少年だけを引き留めておいたが、その子には堅い塩をさかなとして、安藤運動具少将には、広い庭に生えている菜を摘んで、蒸し物という料理にして、茶碗に盛り付けて、端には梅で花の盛りを迎えている枝を折り添えて、その花弁に、非常に魅力的な平仮名で書いてある。あなたさまのために、着物のすそを濡らしながら、春の野原に出向いて摘んだ若菜でございます。【注】「あるじ」=客を招いてもてなすこと。ごちそう。「かた」=方法。手段。「小舎人童」=近衛の中将・少将が召し使う少年。「堅い塩」=カタシオ。「きたし」ともいう。未精製の固まっている塩。「女の手」=ひらがな。【本文】男これをみるに、いとあはれに覚えてひきよせて食ふ。【訳】少将はこの歌を見ると、とてもしみじみと誠意が感じられて、用意された膳を引き寄せて食べた。【注】「あはれなり」=しみじみとしているようす。「覚ゆ」=思われる。感じられる。【本文】女わりなう恥かしとおもひて臥したり。【訳】女はやたらに恥ずかしいと思って寝ていた。【注】「わりなし」=むやみに。やたらに。「臥す」=横になる。【本文】少将起きて、小舎人童を走らせて、すなはち車にてまめなるものさまざまにもてきたり。迎へに人あれば、「いま又もまゐり来む」とて出でぬ。【訳】少将は起きて、小舎人童を走らせて、すぐに牛車で、実用的なものを色々と持ってきた。少将の屋敷から迎えに使者がやってきたので、「ちかいうちにまたきましょう」と言ってこの女の家を出た。【注】「すなはち」=すぐに。「まめなり」=実用的だ。【本文】それより後たえず身づからもとぶらひけり。よろづの物食へども、なほ五条にてありし物はめづらしうめでたかりきとおもひいでける。【訳】それ以後、たえず自身でも訪問した。色々な物を食べても、それでもやはり五条で膳にあった物は目新しくすばらしい食事だったと思いだした。【注】「とぶらふ」=訪問する。「よろづの」=さまざまな。「めでたし」=すばらしい。 【本文】年月を経て、つかうまつりし君に、少将後れたてまつりて、かはらむ世を見じとおもひて、法師になりにけり。【訳】何年か過ぎて、お仕え申し上げていた君主に、少将があとに残され申し上げて、天皇が代替わりする御代は見まい、自分がお仕えする帝はお一人だけだと思って、法師になってしまった。【注】「年月を経て」=長い年月がたって。「つかうまつる」=お仕えする。「君」=主君。天皇。帝。具体的には深草の帝こと仁明天皇(八一〇~八五〇年)。第百六十八段に見える。「後る」=死におくれる。あとに残される。【本文】もとの人のもとに袈裟あらひにやるとて、霜雪のふるやのもとにひとりねのうつぶしぞめのあさのけさなりとなむありける。【訳】もとの妻のところに袈裟を洗濯に出すというので作った歌、霜や雪の漏り降る古びた家の屋根の下で一人で寝る、そのさびしくうつぶせになって寝て迎えた今朝でございます。この五倍子で染めた麻の袈裟を洗濯してくださいな。と手紙に書いてあった。【注】「ふるや」=霜雪が降るのフルと古い家屋というフルヤの「ふる」の掛詞。「うつぶしぞめ」=うつぶせになって寝る最初の夜の意と、フシ(五倍子)染めの掛詞。「あさのけさ」=麻製の袈裟と一人でうつむいて寝た翌朝の今朝という意の掛詞。「うつぶしぞめ」=ヌルデから採取したフシで薄墨色に染める方法。
September 12, 2016
閲覧総数 13414
27

第八十七段むかし、男、津の国、莵原の郡、蘆屋の里に、しるよしして、行きて住みけり。むかしの歌に、蘆の屋の 灘の塩焼き いとまなみ 黄楊の小櫛も ささず来にけりとよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ、蘆屋の灘とはいひける。この男、なま宮仕へしければ、それを頼りにて、衛府の佐ども集まり来にけり。この男の兄も衛府の督なりけり。その家の前の海のほとりに遊びありきて、「いざ、この山の上にありといふ布引の滝、見にのぼらむ」と言ひて、のぼりて見るに、その滝、ものよりことなり。長さ二十丈、広さ五丈ばかりなる石のおもて、白絹に岩をつつめらむやうになむありける。さる滝の上に、藁座の大きさして、さしいでたる石あり。その石の上に走りかかりたる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府の督、まづよむ、わが世をば 今日か明日かと 待つかひの 涙の滝と いづれ高けむあるじ、次によむ、ぬき乱る 人こそあるらし 白玉の まなくも散るか 袖のせばきにとよめりければ、かたへの人、笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。帰り来る道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前来るに、日暮れぬ。宿りの方を見やれば、海人の漁火多く見ゆるに、かのあるじの男、よむ、晴るる夜の 星か河辺の蛍かも わが住む方の 海人のたく火かとよみて、家に帰り来ぬ。その夜、南の風吹きて、浪いと高し。つとめて、その家の女の子どもいでて、浮き海松の波に寄せられたるひろひて、家のうちに持て来ぬ。女方より、その海松を高坏にもりて、柏に書けり。わたつうみの かざしにさすと いはふ藻も 君がためには をしまざりけりゐなか人の歌にては、あまれりや、たらずや。【注】〇津の国=摂津の国の古名。今の大阪府と兵庫県の一部。〇莵原の郡=『万葉集』巻九の一八〇一、一八〇九番歌の菟原処女の伝説で知られる。〇蘆屋の里=今の兵庫県芦屋市。〇しるよしして=領地として所有して。領有して。〇蘆の屋=芦屋。歌中などで音数の関係から「の」がはいったもの。〇塩焼き=海水を煮詰めて塩をつくる仕事。また、その従事者。 〇いとまなみ=ひまがないので。〇黄楊の小櫛=ツゲは、高さ三メートルくらいに達する常緑樹。材質が堅いので、櫛・版木・印判・将棋の駒などに加工する。も ささず来にけり〇なま宮仕へ=形ばかりで仕事があまりない宮仕え。〇衛府の佐ども=六衛府の次官。近衛府では「中将」「少将」、衛門府・兵衛府では「佐」という。「ども」は、「たち」よりも敬意の度合いが低い。〇衛府の督=六衛府の長官。近衛府では「大将」、衛門府・兵衛府では「督」という。〇布引の滝=神戸市、六甲山地の南側を流れる生田川にある滝。上流に雄滝、下流に雌滝がある。歌枕。〇もの=ふつうのもの。〇長さ二十丈=六十メートル。一丈は約三メートル。〇おもて=表面。〇白絹=に岩を〇つつめらむやうになむありける=包んであるようであった。「らむ」の「ら」は、存続の助動詞「り」の未然形。「む」は、婉曲の助動詞。〇さる=そのような。〇藁座=円座。ワラなどで渦巻き状に編んだ丸い敷物。板の間などに座るときに用いる。〇さしいづ=突き出る。〇走りかかりたる水=勢いよく飛び出し落下してぶつかっている水。〇小柑子=小ぶりのコウジミカン。〇そこなる人=その場にいる人。〇かの衛府の督=例の衛府の督。貞観六年に左兵衛の督に任ぜられた在原行平。〇わが世=自分がときめく時期。〇かひ=合間。〇いづれ高けむ=どちらが高いだろうか。〇あるじ=滝見の主催者。〇ぬき乱る=貫いてとめてある緒を抜き取って玉を散乱させる。〇白玉=真珠。〇まなくも散るか=ひっきりなしに散ることだなあ。〇袖のせばきに=袖が狭いのに。〇かたへの人=そばにいる人。仲間。〇めでてやみにけり=感動してそれっきり歌を作らなかった。〇宮内卿もちよし=宮内卿は宮内省の長官。正四位下に相当する。「もちよし」は、未詳。〇宿り=宿泊所。〇見やる=視線を向ける。〇海人の漁火=漁夫が、魚をおびき寄せるために、船の上で夜たく火。〇晴るる夜の星か河辺の蛍かもわが住む方の海人のたく火か=かの『鉄道唱歌 増訂版』(野ばら社)《山陽・九州編・二一》に「海にいでたる廻廊の板を浮べてさす汐にうつる燈籠の火の影は星か蛍か漁火か」と見える。〇つとめて=その翌朝。〇浮き海松=根が切れて水に漂っているミル。〇家のうちに持て来ぬ=家のなかに持ってきた。『竹取物語』「手にうち入れて家へ持ちて来ぬ」。〇女方=女のほう。〇高坏=食べ物を盛る足のついた小さな器。〇柏=広くて厚い葉。〇わたつうみ=海の神。〇かざし=髪の毛や冠にさした花や枝。〇ゐなか人=都を離れた地方の人。〇あまる=じょうずだ。うまい。〇たらず=不満だ。【訳】むかし、男が、摂津の国、莵原の郡、蘆屋の里に、所有している土地があった関係で、京から行って暮らしていた。古歌に、蘆屋の里の沖の海水を煮詰めて塩を作る仕事は、ひまがないので、ツゲの木でつくった小さな櫛もささずにやって来てしまったなあ。と作ったのは、この里を詠みこんだのだ。ここを蘆屋の灘といった。この男は、ほんの形ばかりの宮仕えをしていたので、それを縁故として、衛府の佐どもが集まってやって来た。この男の兄も衛府の督であった。その家の前の海辺を見物してまわって、「さあ、この山の上にあるという布引の滝を、見にのぼろう」と言って、のぼって見たところ、その滝、ものよりことなり。長さ六十メートル、広さ十五メートルぐらいの石の表面は、白絹で岩をつつんであるようであった。そんな滝の上に、藁でつくった円座ぐらいの大きさで、水から突き出ている石がある。その石の上に勢いよく流れて落下してそそぎかかっている水は、小さなコウジミカンか、栗の大きさで落ちかかる。その場にいる人全員に滝の歌を作らせた。かの衛府の督、まづよむ、私の栄える時期はいつだろうか、今日か明日かと待つ合間の、不遇で流す涙が川となり、その涙河の滝と、この布引の滝とでは、どちらが高いだろうか。主催者の男が、次に作った歌、玉を貫いてとめていた緒を抜き取って散乱させた人がいるらしい。真珠がひっきりなしに散らばるなあ、うけとめようとする袖が狭いのに。それと同じように私の涙の玉もひっきりなしに落ちて袖で受け止めきれない。と作ったところ、そばにいる人が、滑稽に思われることだったのだろうか、この歌に感心して、歌会はそれでおしまいになってしまった。帰路の道のりが遠くて、亡くなった宮内卿もちよしの家の前にやって来たところ、日が暮れてしまった。宿泊先のほうへ視線を向けたところ、漁師が船でたく漁火が多く見えたので、例の主催者の男が作った歌、晴れた夜の星だろうか、あるいは河辺に飛びかう蛍の光かなあ、それとも私が住んでいる方の漁師が船でたく漁火か。と歌を作って、家に帰って来た。その夜、南の風吹きて、浪いと高し。つとめて、その家の女の子どもが浜に出かけて、浮き海松で波により浜に打ち寄せられているのを拾って、家のなかに持って来た。女の側から、その海藻を脚付きの小さな器に盛って、添えた広葉樹の葉に書いてあった歌。海の神様が髪飾りに挿すと神聖なものとして大切に守る藻もあなた様のためには惜しまずにこれほど沢山恵んでくださったのだなあ。田舎者が作った歌としては、上手だろうか、それとも下手くそだろうか。
May 21, 2017
閲覧総数 4791
28

【本文】越前権守(ごんのかみ)兼盛、兵衛の君といふ人にすみけるを、としごろはなれて又いきけり。さてよみける、ゆふさればみちもみえねどふるさとはもと来し駒にまかせてぞ行く【注】・越前権守兼盛=平兼盛。天暦四(950)年に越前権守となった。平安中期の歌人で三十六歌仙の一人。《百人一首》の「しのぶれど色にでにけり……」の歌で知られる。・兵衛の君=参議藤原兼茂(かねもち)のむすめ。【訳】越前権守兼盛が、兵衛の君という人の所に通って夫婦として生活していたが、何年か離れて暮らし、のちに再び兵衛の君の所へ行ったとさ。そうしてその折りに作った歌、夕方になると道も暗くて見えないけれども、かつて暮らした家は、道を憶えているであろう以前乗って来た馬の進むにまかせて行く。【本文】女、かへし、こまにこそまかせたりけれはかなくも心の来ると思ひけるかな【訳】兵衛の君の返事の歌、あなたは私の所にくるかどうかを馬なんかにまかせていたのねえ、そんないい加減な人だと知らずに、愚かにも私の心が、あなたは私を深く愛しているからこそ来るもんだと思っていたわ。
December 14, 2010
閲覧総数 888
29

【本文】これも同じみこにおなじ男、ながきよをあかしのうらにやくしほの煙は空にたちやのぼらぬ【注】・同じみこ=宇多天皇の皇女、孚子内親王。・おなじ男=源嘉種。・あかし=「明かし」と「明石」の掛詞。・うら=「浦」と女に会えずに独りで夜を明かす「うら(み)」を掛ける。・やく=恋の思いに身を「焼く」と塩を「焼く」の両意をもたせる。【訳】これも同じ皇女に同じ男が作った歌、あなたを恋しく思いながら長い夜を泣き明かし、明石の浦で塩を焼く煙のように、私の恋の炎は空に立ちのぼらないことがあろうか。(あなたも空に立ちのぼった煙を見て私の情熱がわかったでしょう)【本文】かくてしのびつつあひたまひけるほどに、院に八月十五夜せられけるに、「参りたまへ」とありければまゐり給に、院にてはあふまじければ、「せめて今宵はな参り給ひそ」と留めけり。されど召なりければ、えとどまらでいそぎまゐり給ひければ、嘉種、竹取のよよになきつつとどめけむ君は君にとこよひしもゆく【注】・な参り給ひそ=「な……そ」は禁止表現。・えとどまらで=「え……(否定)」で不可能表現。・よよ=鳴き声を表す「ヨヨ」と「夜夜」を掛ける。また、「よ」は「竹の節と節の間」の意があり、竹の縁語。・君=「かぐや姫」と「あなた(桂の皇女)」。・君=月に桂の木があるという中国古代伝説から、「あなた(桂の皇女)」つまり「桂」自体が月の意になる。また「君」は、天皇の意をも持たせてある。また、竹の別名に「此君(このきみ)」があるので、竹の縁語。【訳】こうしてこっそりデートを重ねていたが、宇多院において八月十五夜の月見の宴をなさったさいに、「こちらへ参上さない。」と連絡があったので、参上なさったが、院では女とデートするわけにもいかなかったので、男は皇女に「けっして今晩は参上なさってはいけません」と連絡して皇女が来るのをとめたとさ。けれども、天皇のお呼びなので、思いとどまることができないで、皇女が急いで参上なさったさいに、嘉種が作った歌、竹取の翁が、毎夜のようにワアワアと泣きながら月に帰るのを引き留めたという姫君は、月にと今夜なにがなんでも行くのですね。(私がいくらあなたを引き留めても、あなたは宇多天皇にお会いに出かけなさるのですね)
January 2, 2011
閲覧総数 3664
30

【本文】さて、とかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり。さて、宮仕へしありく程に、装束きよげにし、むつかしきことなどもなくてありければ、いときよげに顔容貌もなりにけり。【訳】ところで、あちこちと女は転々として、ある人が立派な場所にお屋敷を建てていた。そうして、女はこのお屋敷にずっとお仕えし続けるうちに、衣装もこざっぱりと上品にし、見苦しいことなどもない状態になったので、容姿も非常に上品で美しくなったのだった。【本文】かかれど、かの津の国をかた時も忘れず、いとあはれと思ひやりけり。たより人に文つけてやりければ、「さいふ人も聞こえず」などいとはかなくいひつつ来けり。わが睦まじう知れる人もなかりければ、心ともえやらず、いとおぼつかなく、いかがあらむとのみ思ひやりけり。【訳】女のほうは、このような具合だったが、例の摂津の国を片時も忘れず、とてもしみじみと夫の身の上を思っていた。都合で摂津へ行く人に手紙を託して送ったところ、「そういうかたがいるとはうわさも聞こえませんでした。」などと、非常に空しいことを言いながら戻ってきた。自分が親しく知っている人もいなかったので、自分から、知人を行かせて夫の所在を探させることもできず、非常に気がかりで、どうしているだろうかとばかり、夫の身を思いやっていた。【本文】かかる程に、この宮仕へするところの北の方亡せたまうて、これかれある人を召し使ひたまひなどする中に、この人をおもふたまひけり。おもひつきて妻になりにけり。【訳】こうしているうちに、このお仕えするお屋敷の奥様が亡くなられて、屋敷のご主人様が、この人やらあの人やらいる人を召し使いなさりなどする中に、この女を好きになられたとさ。女もご主人様に心を寄せて妻になってしまったとさ。【本文】思ふこともなくめでたげにてゐたるに、ただ人知れずおもふこと一つなむありける。いかにしてあらむ、悪しうてやあらむ、よくてやあらむ、わが在り所もえ知らざらむ、人を遣りてたづねさせむとすれど、うたて、我おとこききて、うたてあるさまにもこそあれと念じつつありわたるに、なほ、いとあはれにおぼゆれば、男にいひけるやう、「津の国といふ所のいとをかしかなるに、いかで難波に祓しがてらまからむ」といひければ、「いとよきこと、われも諸共に」といひければ、「そこにはな物し給ひそ。をのれ一人まからむ」といひて、いでたちて往にけり。【訳】何不自由なくすばらしい暮らしをしていたが、ただ人知れず心を悩ませることがたった一つあったとさ。(それは前の夫のことで)どうしているだろうか、困難な状況だろうか、良い暮らしをしているだろうか、私がいる場所も知ることができないだろう、人を行かせて探させようと思うが、(その男とどんな関係だろうと思われるのも)不愉快だし、私の今の夫が聞いて、(自分以外にほかに夫がいたのかとバレて夫婦仲が)不愉快な事態になっても困ると(前の夫を探すのを)ぐっとこらえて我慢しつづけていたが、それでもやはり、前夫のことが非常にいとしく思われたので、今の夫に言ったことには、「摂津の国という所の、非常に風情のあるという名所に、なんとかして、神に祈って厄災をはらいきよめる行事をしがてらお参りしよう」と言ったところ、「それはとても良いことだ、わたしも一緒に」と今の夫が言ったので、「あなたは、お出かけなさいますな。わたし一人で参りましょう。」と言って、身支度して、行ってしまったとさ。【本文】難波に祓して、帰りなむとする時に、「このわたりにみるべきことなむある」とて「いますこし、とやれ、かくやれ」といひつつ、この車をやらせつつ家のありしわたりをみるに、屋もなし、人もなし。「何方へいにけむ」とかなしう思ひけり。かかる心ばへにて、ふりはへきたれど、わが睦まじき従者もなし、尋ねさすべき方もなし、いとあはれなれば、車を立ててながむるに、供の人は、「日も暮れぬべし」とて、「御車うながしてむ」といふに、「しばし」といふほどに、蘆になひたる男のかたゐのやうなる姿なる、この車のまへよりいきけり。【訳】難波ではらい清めを行って、いまにも帰ろうとするときに、「この辺で見ておかなければならないことがある」と言って、「もうしばらく、あっちへやれ、こっちへやれ」と言いながら、自分の牛車を行かせながら、昔住んでいた家があったあたりを見るが、家屋も無く、人もいない。「どこへ行ってしまったのだろう」と悲しく思った。このような心持ちで、あてどなくやってきたけれども、私の親しい供の者もいない、探させる手だてもない。とても感慨ぶかかったので、牛車をとめて、眺めていたところ、供の者は「もうじききっと日も暮れてしまうだろう」と言って、「御車を出発させましょう」というので、「しばらく待て」というときに、アシを担いでいる男で、乞食のような姿をしている男が、この牛車の前を通って行った。【本文】これが顏をみるに、その人といふべくもあらず、いみじきさまなれど、わがおとこに似たり。これをみて、よくみまほしさに、「この蘆もちたるをのこ呼ばせよ、かのあし買はむ」といはせける。さりければ、ようなき物買ひたまふとはおもひけれど、主ののたまふことなれば、よびて買はす。「車のもと近くになひよせさせよ。みむ」といひて、この男の顏をよくみるに、それなりけり。【訳】この男の顔を見ると、(探していた)その人だと言うこともできないほど、ひどく変わり果てたようすであるけれども、自分の前の夫に似ている。これを見て、もっとよく見たいので、「このアシを持っている男を(目下の家来に)呼ばせなさい。あのアシを買おう。」と身近にいる者に言わせた。そういう事情だったので、側近の家来は、奥様は役に立たない物をお買いになるなあとは思ったけれども、主人のおっしゃることなので、目下の家来に男を呼ばせて買わせた。「車のそば近くにアシを担いで寄せさせなさい。品物を見よう」と言って、この男の顔をよく見たところ、やぱり前の夫だったなあ。【本文】「いとあはれに、かかる物商ひて世に経る人いかならむ」といひて泣きければ、ともの人は、なほ、おほかたの世をあはれがるとなむおもひける。かくて「このあしの男に物など食はせよ。物いとおほく蘆の値にとらせよ」といひければ、「すずろなるものに、なにか多く賜(た)ばむ」など、ある人々いひければ、しひてもえ言ひにくくて、いかで物をとらせむと思ふあひだに、【訳】「とてもしみじみとしたようすで、女が、このような物を商売して世の中を生きていく人はどんな暮らしなのだろう」と言って泣いたので、供の者は、ただ、身分あるかたは、やはり一般的に世間のさまざまなことをしみじみと感じるものだと思った。こうして、奥様が「このアシ売りの男に食事を与えなさい。品物をとてもたくさんアシの代金として与えなさい。」と言ったところ、「行きずりの者に、どうして多くお与えになるのだろう」などと、その場にいる人々が言ったので、無理にでもとは言いにくくて、なんとかして品物を前の夫に与えようと考えているあいだに、【本文】下簾のはざまのあきたるより、この男まもれば、わが妻に似たり。あやしさに心をとどめてみるに、顏も声もそれなりけりとおもふに、思ひあはせて、わがさまのいといらなくなりにたるをおもひけるに、いとはしたなくて、蘆もうちすてて逃げにけり。【訳】すだれの下のすきまの空いている所から、この男がじっと見たところ、自分の妻に似ていた。不思議さに、気をつけて見たところ顔も声もやっぱり妻だなあと思って、いろいろ考え合わせて、自分のありさまが、非常に没落した状態になってしまっているのを考えたときに、いたたまれなくなって、アシもほったらかして、逃げてしまったとさ。【本文】「しばし」といはせけれど、人の家に逃げいりて、竈のしりへにかがまりてをりける。この車より「なをこの男たづねて率て来」といひければ、供の人手を分ちてもとめさはぎけり。人「そこなる家になむ侍ける」といへば、この男に「かくおほせごとありて召すなり。なにのうちひかせ給べきにもあらず。ものをこそはたまはせむとすれ。幼き物なり」といふ時に、硯を乞ひて文をかく。それに、 君なくて あしかりけりと おもふにも いとど難波の 浦ぞすみうきとかきて封じて、「これを御くるまにたてまつれ」といひければ、あやしとおもひてもてきてたてまつる。あけてみるに、かなしきこと物に似ず、よゝとぞなきける。さて返しはいかゞしたりけむしらず。車に着たりける衣脱ぎて包みて文などかきぐしてやりける。さてなむ歸りける。後にはいかゞなりにけむしらず。 あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにか難波の 浦もすみうき【訳】「ちょっと待て」と女が家来に言わせたけれども、前の夫は他人の家に逃げ込んで、かまどのうしろにしゃがみこんでじっとしていた。この車から「それでもやはり、この男を探して連れて来なさい」と言ったので、供の者たちが手分けして探して(あっちにはいない、こっちにもいないと)さわいだとさ。ある人が、「そこにある家にいました」と言うので、この男に「このようにお言いつけがあって呼び寄せるのだ。なにも牛車の前を横切ったバツにお前を無礼だという理由で牛車でおひきになるつもりではない。品物をお与えになろうとしたのだ。愚かなやつだなあ。」と言った時に、男が硯を貸してくれといって手紙を書いた。その手紙に あなたがいなくて、妻がいない生活は不自由で具合がわるいことだ、と思うにつけても、ますます難波の浦が、住みづらくなったことだ。(水辺のアシを刈ってしまったので、難波の海岸は水が澄みにくくなってしまったことだ)と書いて封をして、「これを御くるまの中にいらっしゃるかたに差し上げよ」と言ったので、(乞食のようなみすぼらしい身分の低い男が手紙を書くなんて)フシギだと思って、車のところへ持ってきて手紙を差し上げた。女が開封して見てみたところ、かなしきことといったら似る物もないほどで、オイオイと声を上げて泣いた。ところで、この男の歌への返歌はどうしたのであろうか、わからない。車の中で着ていた衣を脱いで、包んで手紙などを書いて添えて男に送った。そうして京に帰ったとさ。その後はどうなったのであろうか、わからない。生活が悪くなるのを避けよう、と言って人が別れたのであろうに、どうして難波の浦が住みづらいことがあろうか。(アシを刈るのはやめようと言って人が解散して帰っていったのであろうに、どうして難波の浦が澄みづらいことがあろうか。)
August 29, 2011
閲覧総数 32099
31

第八十三段【本文】 むかし、水無瀬に通ひ給ひし惟喬の親王、例の狩りしにおはします供に、馬の頭なる翁仕うまつれり。日ごろ経て、宮に帰りたまうけり。御おくりして、とくいなむと思ふに、大御酒たまひ、禄たまはむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、枕とて 草ひきむすぶ こともせじ 秋の夜とだに 頼まれなくにとよみける。時は弥生のつごもりなりけり。親王、おほとのごもらで明かし給うてけり。かくしつつまうで仕うまつりけるを、思ひのほかに、御髪おろしたまうてけり。睦月に、をがみ奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡の山のふもとなれば、雪いと高し。しひて御室にまうでてをがみ奉るに、つれづれといとものがなしくて、おはしましければ、やや久しくさぶらひて、いにしへのことなど思ひ出で聞こえけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、おほやけごとどもありければ、えさぶらはで、夕暮れに帰るとて、忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとはとてなむ、泣く泣く来にける。【注】〇水無瀬=大阪府三島郡本町広瀬。後鳥羽院の離宮があった所。に通ひ給ひし〇惟喬の親王=文徳天皇の第一皇子。小野の宮、または水無瀬の宮と称した。藤原氏に皇位継承を妨害され、不遇のうちに一生を終えた。(八四四~八九七年)〇例の=いつものように。〇おはします=「行く」の尊敬語。〇供=従者。〇馬の頭=馬寮の長官。従五位上相当官。なる翁=〇仕うまつる=お仕えする。〇日ごろ経て=数日間たって。〇宮=親王のお住まい。〇御おくり=お見送り。〇とくいなむ=早く立ち去ろう。〇大御酒=神や天皇皇族などに差し上げる酒。〇禄=祝儀。〇つかはす=「行かす」の尊敬語。〇心もとながる=イライラする。待ち遠しがる。じれったいとおもう。〇枕とて草ひきむすぶ=いわゆる草枕。古くは、旅先で草を結んで枕とし、夜露に濡れて仮寝した。〇頼まれなくに=あてにできないのに。〇時=時節。〇弥生のつごもり=春の終わり。〇おほとのごもる=「寝」の尊敬語。おやすみになる。お眠りになる。〇明かす=眠らずに朝を迎える。〇思ひのほかに=予想に反して。意外なことに。〇御髪おろす=高貴な人が髪を剃って仏門に入る。〇睦月=陰暦一月。〇をがむ=高貴な方にお目にかかる。〇小野=山城の国愛宕郡の地名。比叡山の西側のふもと一帯。惟喬親王の出家後の住居で知られる。〇しひて=無理に。あえて。〇御室=出家が住む庵。〇つれづれと=しみじみと寂しく。やるせない気持ちで。〇ものがなし=なんとなく悲しいうら悲しい。〇やや久しく=だいぶ長時間。〇さぶらふ=「つかふ」「をり」の謙譲語。おそばでお仕えする。〇聞こゆ=「いふ」の謙譲語。申し上げる。さてもさぶらひ〇てしがな=終助詞「てしが」に詠嘆の終助詞「な」のついたもの。~たいものだなあ。〇おほやけごと=朝廷の行事や儀式。〇えさぶらはで=お仕えすることもできないで。〇思ひきや=想像しただろうか、いや、想像もしなかった。「や」は反語の係助詞。〇踏みわく=歩くのに困難な場所へ分け入る。【訳】むかし、水無瀬に通ひ給ひし惟喬の親王が、いつものように狩りをしにお出かけになるお供に、馬の頭の老人がおそばでお仕え申し上げた。何日も経って、お屋敷にお帰りなさった。お見送りして、さっさとおいとまをいただいて立ち去ろうと思ふのに、お酒をお与えになり、ご褒美をお与えになろうとして、帰らせなかった。この馬の頭は、家に帰りたいのでいらいらして、枕にするために草をひっぱって結ぶこともするまい。いまは秋の夜とさえあてにはできないので。という歌を作った。時節は陰暦三月の月末であった。親王は、おやすみにならず夜をお明かしになってしまった。このようにしながらお仕えしていたが、意外なことに、頭髪をお剃りになって出家なさってしまった。陰暦一月に、御目にかかろうと思って、小野にうかがったところ、比叡山のふもとなので、雪がとても高く積もっている。わざわざ御庵室にうかがってお目にかかったところ、つれづれといとものがなしくて、おはしましけるれば、だいぶ長い時間おそばにお仕えして、昔のことなど思い出しては申し上げた。そのまま親王のおそばにお仕えしていたいと思ったが、朝廷の儀式などがあったので、おそばにお仕えすることもできずに、夕暮れに帰るというので、現実を忘れて、これは夢ではないのかと思います。想像したでしょうか、こんなに深い雪の山道を分け入ってあなた様にお目にかかろうとは。という歌を作って、泣く泣く都に帰って来たのだった。
June 10, 2017
閲覧総数 6827
32

【本文】太政大臣の北の方うせたまひて、御はての月になりて、御わざのことなどいそがせ給ころ、月のおもしろかりけるに、はしにいでゐたまて、物のいとあはれにおぼされければ、かくれにし月はめぐりていでくれどかげにも人はみえずぞありける【注】・太政大臣=藤原忠平。藤原基経の第四子。摂政・関白・太政大臣を務めた。(880……949年)。・はて=四十九日が終わる日。または、一周忌。・わざ=法事。【訳】太政大臣藤原忠平さまの奥方さまが、お亡くなりになって、服喪期間の終わりの月になって、御法要のことなどを御準備なさっていたころ、月が美しかった晩に、座敷の端に出てお座りになって、亡き人のことなどが非常にしみじみと感じられたので、かくれてしまった月は、再びめぐって空に出てくるけれども、幻影にも私の愛するあの人は姿を見せないなあ。
February 5, 2011
閲覧総数 10769
33

【本文】廿二日にいづみのくにまでと、たひらかに願たつ。【注】●いづみのくに 和泉の国。土佐の国から和泉の国までは、外洋で航行が容易でないことと海賊に襲われる危険がある。●たひらかに 「たひらかなり」には「A平らなようす。B穏やか。安らか。C無事でつつがないようす。」といった意味があるが、ここではその複合的な意味で使われているのであろう。つまり、「海面が波立たず平らでありますようにと神仏に祈願する」、「心を落ち着けて神仏に祈願する」「平穏無事であいますように」と三つの意味をこめた表現。【訳】二十二日に、和泉の国までと、なんとか途中で荒波などが立つこともなく無事に着けますようにと心静かに神仏に祈願した。【本文】ふぢはらのときざね、ふなぢなれど、むまのはなむけす。【注】●ふじはらのときざね 未詳ではあるが、藤原氏という貴族の姓であり、国守の任を終えた「ある人」のために「かみなかしも」が「ゑひあき」るほど十分な酒食を提供して送別会を主催すほどの経済力があり、作者は彼に対し特に敬語は用いていないところから、「ある人」に世話になった親しい部下という設定であろう。●ふなぢ 船旅。●むまのはなむけ もともとは、見送る者が旅立つ者の乗る馬の鼻先を出発する方向に向けてやって旅の安全無事を祈るおまじないだったらしいが、『土佐日記』より成立の古い『新撰字鏡』の「餞」の項に「酒食送人也〈馬乃鼻牟介〉」(酒食もて人を送るなり。馬の鼻むけ)とあるから、すでに送別会の意味で使われていたことがわかる。【訳】藤原のときざねが、馬には乗らない船旅だが、馬のはなむけ(送別会)をした。【本文】かみ・なか・しも、ゑひあきて、いとあやしく、しほうみのほとりにてあざれあへり。【注】●かみ・なか・しも 身分の上流・中流・下流。●ゑひあく 十分満足するまで酔う。●あやしく ここの「あやし」には「不思議だ」と「けしからん」という二つの意味をもたせてある。都の貴族たちばかりの宴席では節度を守るので、酒にやたらに酔ってふざけるなどということはないから、それに比べて送別会の主賓をよそに、ここぞとばかり「ゑひあき」、酒をのみまくる田舎者たちへの侮蔑のまなざしが、「けしからん」という表現につながる。●あざれあへり ここの「あざる」には「魚が腐る」と「ふざける」という二つの意味をもたせてある。海のそばでも、打ち上げられた魚などはすぐに鳥や野良猫などによって食われてしまうのが常で、港では実際には魚が腐るなどという光景は滅多にないと思われるのに、このように表現されているのは、虚構としての掛詞による言葉遊びか、そうでないとすれば、「魚が腐る」という認識は、普通視覚よりも異臭にもとづく嗅覚によって判断されるものであるから、あるいは「魚が腐ったような異臭を放っている」という言い方で、遠回しに、送別の宴で酔っぱらった者が海のそばまで行ってヘドを吐いているという暗示かもしれない。【訳】〔その送別の宴では〕身分の高い者も中くらいの者も低い者も、みんないやというほど酔っぱらって、とてもけしからんことに、海のそばでふざけ合っていた。(とても不思議なことだが、保存料である塩のたっぷり含まれている海水のそばで魚が腐っている)。
March 22, 2009
閲覧総数 793
34

【本文】平中、にくからずおもふ若き女を、妻のもとに率てきて置きたりけり。【注】・平中=平定文(貞文とも書く)。桓武天皇の皇子仲野親王の曾孫。宇多・醍醐天皇に仕え、官は左兵衛佐に至った。和歌に長じ、容貌すぐれ、好色の浮き名を流した。・にくからず=相手を愛しいと思う。感じがよい。【訳】平中が、いとしいと思う若い女性を、妻の家に連れて行って住ませていたとさ。【本文】にくげなることどもをいひて、妻つゐにをいいだしけり。この妻にしたがふにやありけむ、らうたしとおもひながらえとゞめず。【訳】憎らしいようなことをあれこれ言って、妻はとうとう若い女を追い出したとさ。平中は、この妻に頭があがらなかったのだろうか、若い女を可愛いと思いながらも、妻が追い出すのを引き留められなかった。【本文】いちはやくいひければ、近くだにえよらで、四尺の屏風によりかかりて立てりていひける。「世中のかくおもひのほかにあること、世界にものしたまふとも、忘れで消息したまへ。己もさなむおもふ」といひけり。この女、つつみにものなど包みて、車とりにやりて待つほどなり。いとあはれと思ひけり。【訳】妻が早く追い出すように激しく言ったので、若い女に近寄りさえせずに、四尺の屏風によりかかって立ち物越しに次のように言ったとさ。「世の中がままならずこんな意外な展開になってしまったが、ここを出て余所でお暮らしになっても、私を忘れずに連絡を下さい。わたしも、連絡するつもりです」と言ったとさ。それは、この若い女が、つつみに身の周りの引っ越し荷物などを包んで、召使いに車をとりに行かせて車の到着を待っている間のできごとだったとさ。【本文】さて女いにけり。とばかりありてをこせたりける、わすらるなわすれやしぬるはるがすみ今朝たちながら契りつること【注】・「たち」=「霞が立ち」と「屏風によりかかりて立ち」を言い掛けた。【訳】そうして、女が出ていってしまったとさ。それからしばらくして、若い女が平中のもとへ寄越した歌、「決してお忘れになりませんように……。それとも、薄情なあなたは、もう、忘れてしまったでしょうか、春霞が今朝立っていたように、屏風によりかかって立ったまま今朝あなたが私に約束したことを」。
December 21, 2010
閲覧総数 10691
35

【本文】深草の帝とまうしける御時、良少将といふ人いみじき時にてありけり。【訳】時の帝を深草の帝と申し上げた御代に、良少将という人がいて帝の信任が非常に厚い時だったとさ。【注】「深草の帝」=仁明天皇(八一〇~八五〇、在位は八三三~八五〇)。嵯峨天皇の第一皇子。諱は正良(まさら)。母は橘の清友のむすめ嘉智子(かちこ)。八三三年、淳和天皇の譲位により即位。八五〇年三月、病を得て出家するも、数日後に崩御なされ、今の京都市伏見区深草東伊達町の深草の陵(みささぎ)に葬られた。「良少将」=僧正遍昭。俗名は良峯宗貞(八一五~八九〇)。承和十三年(八四六)に左近衛少将、嘉祥二年(八四九)に蔵人頭に任じ、帝の崩御せられたときに出家した。六歌仙の一。【本文】いと色好みになむありける。【訳】非常に多情なひとであったとさ。【注】「色好み」=粋人。多情な人。【本文】しのびて時々あひける女、おなじ内裏にありけり。【訳】人目を忍んで時々密会していた女が、同じ宮中にいたとさ。【注】「内裏」=宮中。【本文】「こよひかならずあはむ」とちぎりたりける夜ありけり。【訳】「今夜きっと逢おう」と約束しておいた晩があったとさ。【注】「こよひ」=今晩。「あふ」=男女が知り合う。結婚する。「ちぎる」=約束する。【本文】女いたう化粧して待つに音もせず。【訳】女が非常に念入りに化粧して男の来訪を待っていたが音沙汰もない。【注】「いたう」=非常に。「化粧す」=顔を装い飾る。「音す」=おとずれ。たより。音沙汰。【本文】目をさまして、「夜やふけぬらん」と思ふほどに、時申す音のしければ、きくに、「丑三つ」と申しけるを聞きて、男のもとにふといひやりける、【訳】待ちくたびれてうとうとしていたが、目を覚まして、「もう夜が更けただろうか」と思っていると、時報を知らせる声がしたので、聞いていると、「丑三つ」と言ったのを聞いて、【注】「時申す音」=宮中で宿直の者が時刻を知らせる音。【本文】人心うしみつ今は頼まじよといひやりたりけるにおどろきて【訳】愛する人の心を信じて来訪をあてにしていたが、あなたを信じたばかりに「憂し」という目を見たた。すでに「丑三つ」時になった今となってはもうあなたが来るのは当てにしません。と五七五の上の句を作って贈ったのに【注】「うしみつ」=午前三時。「丑三つ」と「憂し、見つ」の掛詞。『筆のすさび』に「うしみつ今は頼まれず」という言い方が見える。【本文】夢にみゆやとねぞ過ぎにけるとぞつけてやりける。【訳】「夢の中であなたの姿が見えるかと寝過ごすうちに、うっかり約束の時間を忘れて子の刻が過ぎてしまった」と七七の下の句を付けて贈った。【注】「ねぞすぎ」=「寝ぞ過ぎ」と「子ぞ過ぎ」の掛詞。【本文】しばしとおもひてうちやすみけるほどに、寝過ぎにたるになむありける。【訳】約束の時刻まで少しの間と思って、ちょっと休息していたあいだに、寝過ぎてしまったのだったとさ。【注】「しばし」=少しの間。【本文】かくて世にも労あるものにおぼえ、つかうまつる帝かぎりなくおぼされてあるほどに、この帝うせ給ひぬ。【訳】このようにして世間でも和歌に熟練している者だと思われ、お仕えしている天皇もこのうえなくお思いになっていたところ、この天皇が御隠れになった。【注】「労」=熟練すること。経験を積むこと。【本文】御葬の夜、御供にみな人つかうまつりける中に、その夜よりこの良少将うせにけり。【訳】ご葬儀の晩に、お供として関係者全員参列いたしました中で、その晩から良少将は姿を消してしまった。【注】「うす」=姿を消す。【本文】ともだち、妻も、「いかならむ」とて、しばしはここかしこ求むれども、音耳にもきこえず。【訳】友人や妻も、「どうしたのだろう」と思って、少しの間、あちこち探したけれども、うわさすら耳にはいってこない。【注】「音」=うわさ。【本文】「法師にやなりにけむ。身をや投げてむ。法師になりたらば、さてあるともきこえなむ。身を投げたるべし。」とおもふに、世の中にもいみじうあはれがり、妻子どもはさらにもいはず、夜昼精進潔斎して、世間の仏神に願をたてまどへど、音にもきこえず。【訳】「法師になってしまったのだろうか。あるいは身を投げてしまったのだろうか。もし法師になっているのなら、どこそこでそうしているといううわさでも、きっと耳にはいるだろう。そういう話もないところをみると、きっと身を投げてしまったのにちがいない。」と思うにつけても、世間でもひどく同情し、妻子はいうまでもなく、夜も昼も精進潔斎して、世の中にありとあらゆる神仏にどうか無事に生きておりますようにと盛んに願をかけるが、いっこうに噂すら聞こえてこない。【注】「法師」=出家。仏法によく通じ、人の師となる者。「身を投ぐ」=投身自殺する。「あはれがる」=かわいそうに思う。気の毒がる。「さらにもいはず」=もちろん。今さら言うまでもない。「夜昼」=夜も昼も。いつも。「精進潔斎」=心身のけがれを清める。寺に参る際に「精進」、神社に詣でる際に「潔斎」。「まどふ」=動詞の連用形について「盛んに~する」「はなはだしく~する」。【本文】妻は三人なむありけるを、よろしくおもひけるには、「なほ世に経じとなむ思ふ」と二人にはいひけり。【訳】良少将に妻は三人いたが、そこそこ愛していた妻に対しては、「唯一の主君と思ってお仕え申し上げていた帝がなくなった以上、やはり世間には交わりを持つまいと思う」と二人に言っていた。【注】「よろしく」=ほどほどによく。【本文】かぎりなく思ひて子どもなどある妻には、塵ばかりもさるけしきもみせざりけり。【訳】このうえなく大切に思って子どもなどももうけた妻に対しては、これっぽっちもそのような出家の意志があるようなそぶりも見せなかった。【注】「かぎりなく」=このうえなく。「塵」=わずかなこと。ほんのすこし。「さるけしき」=そのようなそぶり。【本文】このことをかけてもいはば、女もいみじとおもふべし。【訳】このことを心にかけて口に出せば、女も非常に未練に感じるにちがいない。【注】「このこと」=出家する気でいること。「かけて」=心にかけて。【本文】我もえかくなるまじき心ちしければ、よりだに来で、にはかになむ失せにける。【訳】愛する妻子に会って決意を話したら自分も決心を実行できそうにない気持ちがしたので、妻子のいる屋敷には寄りつきさえしないで、突然姿を消してしまった。【注】「え~まじき」=「~できそうにない」。「にはかに」=急に。だしぬけに。【本文】ともかくもなれ、「かくなむおもふ」ともいはざりけることのいみじきことを思ひつつ泣きいられて、初瀬の御寺にこの妻まうでにけり。【訳】いずれにせよ、「こんなふうに自分は考えている」とも言わないで失踪したことの、あまりにひどい夫の仕打ちを思いながら、ひたすらお泣きになって、この妻は初瀬寺に参詣したとさ。【注】「泣きいる」=ひたすら泣く。「初瀬」=大和の長谷寺。天武天皇の御代の創建。本尊は観音。【本文】この少将は法師になりて、蓑ひとつをうちきて、世間世界を行ひありきて、初瀬の御寺に行ふほどになむありける。【訳】この少将は法師になって、蓑ひとつを羽織って、各地を仏道修行しながら歩き回って、長谷寺にたどり着き修行している最中であった。【注】「蓑」=雨を防ぐ上着。カヤ・スゲ・ワラなどを編んで作る。「行ふ」=勤行する。仏道修行する。【本文】ある局ちかう居て行へば、この女、導師にいふやう、「この人かくなりにたるを、生きて世にある物ならば、今一度あひみせたまへ。身をなげ死にたる物ならば、その道成し給へ。さてなむ死にたるとも、この人のあらむやうを夢にてもうつつにても聞き見せたまへ」といひて、わが装束、上下、帯、太刀までみな誦経にしけり。【訳】ある部屋の近くに座って修行していたところ、この女が、その座の首席の僧に言うことには「うちのこの主人はこのように行方不明になってしまっているが、もしこの世に生きているのなら、もう一度お引き合わせください。もし身投げして死んでいるなら、成仏させてやってください。そうして、たとえ死んでいるとしても、この夫があの世でどのように過ごしているかその様子を、夢の中でも、現実にでもいいから、お聞かせあるいはお見せください。」と言って、私の装束、すなわち上下、帯、太刀にいたるまで、全部読経の料とした。【注】「局」=参拝者のために寺の宿所を衝立などで仕切った部屋。「導師」=法会や供養のときの中心となる首席の僧。「装束」=正装するとき身に着ける衣冠・服装。「誦経」=読経をしてくれた僧への謝礼として贈る品物。布施。【本文】身づからも申しもやらず泣きけり。【訳】自分自身も、最後まで仏さまに願い事を申し上げられないようなありさまで、泣き崩れた。【注】「申しもやらず」=最後まで願いを申し上げることもできずに。悲嘆で言葉にならないさま。【本文】はじめは何人の詣でたるならむと聞きゐたるに、わが上をかく申しつつ、わが装束などをかく誦経にするをみるに、心も肝もなく悲しきこと物にも似ず。【訳】最初は、どんな人が参詣しているのだろうかと耳をすましていると、自分の身の上をこれこれこういう事情でと申し上げながら、自分の衣装などをこんなふうに読経の報酬に布施として与えるのを見るにつけても、出家を決意したときのしっかりした心もなくなり、悲しいことたとえようもない。【注】「詣づ」=参詣する。神社や寺院などにお参りする。「わが上」=少将自身の身の上。「心も肝もなく」=気力もなく。しっかりした心もなく。『源氏物語』≪桐壺≫に「参りては、いとど心苦しう、こころぎもも尽くるやうになむ」という表現がみえる。「物にも似ず」=たとえようがない。他に比べるものがない。このうえない。【本文】走りやいでなましと千度思ひけれど、おもひかへしおもひかへし居て夜一夜なきあかしけり。【訳】走って出ていこうかしらどうしようかしらと何度も思ったが、ずっと繰り返し思い返して一晩中泣き明かした。【注】「や~まし」=「~しようかしら」。「居て」=「ずっと~して」。「夜一夜」=一晩中。【本文】わが妻子どもの、なほ申す声どももきこゆ。【訳】自分の妻子たちが、さらに「どうか所在がわかりますように」と神仏に祈る声などが聞こえる。【注】「申す」=神仏に願いごとを申し上げる。【本文】いみじき心ちしけり。【訳】ひどく複雑な気持ちがした。【注】「いみじき心ち」=名乗りでようか出まいかという葛藤。【本文】されど念じて泣きあかして朝にみれば、蓑も何も涙のかかりたるところは、血の涙にてなんありける」とぞいひける。【訳】けれども、ぐっとこらえて泣き明かして翌朝になって見たところ、蓑も何もかも自分の涙がかかったところは、血の涙にそまっていた。」と言った。【注】「されど」=そうではあるが。しかし。「念じて」=がまんして。「血の涙」=非常に悲しい思いをしたときに流す血のまじった涙。【本文】「その折なむ走りもいでぬべき心ちせし」とぞ後にいひける。【訳】「あの時はさすがに私も家族の前に走り出てしまいそうな衝動がした」と後になって語った。【注】「ぬべし」=「今にも~しそう」の意。【本文】かかれど猶えきかず。【訳】こんなふうに身内などが懸命に探したが彼の定かな消息は依然として聞こえてこなかった。【注】「猶」=依然として。【本文】御はてになりぬ。【訳】帝の崩御後、一周忌を迎えた。【注】「御はて」=服喪期間の終わり。一周忌。【本文】御服ぬぎに、よろづの殿上人河原にいでたるに、童の異様なるなむ、柏にかきたる文をもてきたる。【訳】喪の明けた日に、多くの殿上人が賀茂の河原に出ていたところ、風変わりな少年が、カシワの葉に書いてある手紙をもってきた。【注】「服ぬぎ」=喪が明けて、喪服からふつうの着物に着替えること。「殿上人」=四位・五位で清涼殿の殿上の間に昇殿を許された者。【本文】とりてみれば、みな人は花の衣になりぬなり苔の袂よかはきだにせよ。とありければ、この良少将の手にみなしつ。【訳】手に取って手紙を開いて見たところ、世間の人はみな、喪服を着かえて華やかな着物になってしまったそうだ。涙にぬれたわが墨染めの衣よ、せめて乾いてくれ。と書いてあったので、この行方不明となっている良峰の少将の筆跡だと見て判断した。【注】「花の衣」=華やかな衣服。「苔の袂」=僧や隠者の粗末な衣服。この歌は『古今集』巻十六≪哀傷歌≫に収める。「手」=筆跡。【本文】「いづら」といひて、もてこし人を世界にもとむれどなし。【訳】「どこへいった」と言って、持参した者を辺りで探し求めたがいない。【注】「いづら」=どこ。【本文】法師になりたるべしとは、これにてなむ人知りにける。【訳】法師になっているのにちがいないとは、このことで人は知った。【注】「法師」=僧。出家。仏法によく通じ、人の師となる者。【本文】されど、いづこにかあらむといふこと、さらにえ知らず。【訳】そうはいっても、どこにいるのだろうかということが、まったくわからない。【注】「されど」=そうではあるが。しかし。「さらに~ず」=「まったく~ない」。「え~ず」=「~できない」。【本文】かくて世の中にありけりといふことをきこしめして、五条の后の宮より、内舎人を御使にて山山たづねさせ給ひけり。【訳】このようにしてこの世で生きていたということをお聞きになって、五条の后の宮から、雑用係を使者としてあちこちの山を探させなさった。【注】「あり」=生きている。生存する。「きこしめす」=お聞きになる。耳にしなさる。「聞く」の尊敬語。「五条の后の宮」=藤原順子(八〇九~八七一年)。冬嗣の娘で仁明天皇の皇后となった。「内舎人」=よみは「うどねり・うちとねり・うちのとねり」。中務省に属する職。帯刀して宮中を警備したり、宿直や雑役に従事したりする。また、東宮職や主殿寮の雑役を担当した職員を指すこともある。「たづぬ」=所在のわからないものを探し求める。【本文】「ここにあり」と聞きてたづぬれば又失せぬ。えあはず。【訳】「ここにいる」といううわさを聞いて訪問したところ、また姿を消してしまった。そして対面することができなかった。【注】「失す」=行方不明になる。姿を消す。【本文】からうして、隠れたるところにゆくりもなく往にけり。えかくれあへであひにけり。【訳】やっとのことで、少将の隠棲している場所に突然おじゃました。これには少将も逃げ隠れすることもできずに、宮の使者と対面した。【注】「からうして」=ようやく。やっとのことで。「ゆくりもなく」=不意に。突然。「あへで」=「~するひまがない」「どうしても~することができない」。【本文】宮より御使ひになんまゐりきつるとて、「おほせごとに『かう帝もおはしまさず、睦ましく思し召しし人をかたみとおもふべきに、かく世に失せ隠れたまひにたれば、いとなむかなしき。【訳】宮からご使者として参上したというので、「宮様のお言葉に『このように帝もいらっしゃらず、親しくお思いになっていた人を思い出のよすがと考えるはずなのに、こんなふうに世間から姿をくらましなさってしまったので、とても悲しい思いです。【注】「おほせごと」=おっしゃったお言葉。「おはします」=生きておいでになる。「あり」の尊敬語。「睦まし」=親しい。「かたみ」=亡き人を思い出すきっかけ。【本文】などか山林に行ひたまふとも、ここにだに消息ものたまはぬ。【訳】たとえ山林で仏道修行なさるとしても、どうしてせめて私のところにだけでもご連絡なさらないのですか。【注】「などか~のたまはぬ」=反語表現。どうして[現況を]おっしゃらないのか、いや、おっしゃってくださればいいのに。「消息」=連絡。たより。伝言。手紙の場合も、口頭の場合もある。【本文】御里とありしところにも、音もしたまはざれば、いとあはれになむなきわぶる。【訳】ご自宅であった場所にも、なんの音沙汰もなさらないので、とてもしみじみと悲しく泣いてつらい思いをしていました。【注】「里」=自宅。実家。【本文】いかなる御心にてかうは物したまふらむときこえよ』とてなむおほせつけられつる。【訳】どんなお考えで、こんなふうに世間と断絶なさっているのだろうかと、心配していたと申し上げよ』とことづけるようお命じになった。【注】「御心」=お考え。おつもり。「きこゆ」=申し上げる。「おほせつく」=伝言するようお命じになる。【本文】ここかしこ尋ねたてまつりてなむまゐりきつる」といふ。【訳】あちこちと探し申し上げて、やっとここまで参上しました」と言った。【注】「ここかしこ」=あちらこちら。「尋ぬ」=探し当てる。「たてまつる」=謙譲の補助動詞。「まゐりく」=目上の人のところに到着する。【本文】少将大徳うちなきて、「おほせごとかしこまりて承りぬ。【訳】いまや高僧となった少将はちょっと泣いて、「后の宮様のおっしゃっることは恐縮して伺いました。【注】「大徳」=ダイトコ。高徳の僧。「かしこまる」=恐れ入る。「承る」=「聞く」の謙譲語。うかがう。お聞きする。【本文】帝かくれたまうて、かしこき御蔭にならひて、おはしまさぬ世にしばしあり経べき心ちもし侍らざりしかば、かかる山の末にこもり侍りて、死なむを期にてとおもひ給ふるを、まだなむかくあやしきことは、生き廻らひ侍る。【訳】仁明天皇が崩御なさって、もったいないご恩にあずかって、帝のいらっしゃらない朝廷で、ちょっとの間でも日を過ごす気もしなかったものですから、このような山のはずれに隠れまして、死ぬ時を修行の終る時だと考えておりましたが、まだ、このように不都合なことには、生きながらえています。【注】「かくる」=亡くなる。貴人の死を遠回しにいう語。「かしこき御蔭」=もったいない恩恵。『源氏物語』≪桐壺≫に「かしこき御蔭をば頼みきこえながら」と見える。「おはします」=いらっしゃる。ご存命である。「世」=朝廷。帝が国を治める期間。「あり経」=生きて年月を過ごす。生きながらえる。「あやしき」=不都合な。よくない。けしからん。【本文】いとも畏く問はせ給へること。童の侍ることはさらにわすれ侍る時も侍らず。」とてかぎりなき雲ゐのよそに別るとも人を心におくらざらめやはとなむ申しつると啓したまへ」といひける。【訳】非常にありがたくも使者をおよこしになりお訪ねくださったことです。子供がいますことは決して忘れる時はございません。」と言って、このうえなく遠い宮中とこの山と別々に別れへだたっていても愛する人のことを心の中では後に残すだろうか、いや心のなかではいつも一緒に寄り添っている。と申しておりましたと后の宮様にお伝えください。」と言った。【注】「雲ゐ」=宮中。「おくらざらめやは」=歌意通じがたい。異本および『古今和歌集』には「おくらさんやは」の形で引く。「啓す」=皇后・皇太子・院などに申し上げる。 【本文】この大徳の顔容貌姿をみるに、悲しきこと物にも似ず。その人にもあらず、蔭のごとくになりて、ただ蓑をのみなむきたりける。少将にてありし時のさまのいと清げなりしをおもひいでて、涙もとどまらざりけり。【訳】この高徳の僧の姿かたちを見ると、悲しいことこのうえない。別人のように変わり果て、影法師のようになって、ただ蓑だけを着ていた。帝のおぼえめでたく少将を務めていたころの面影が非常に上品で美しかったのを思い出して、涙もとまらなかった。【注】「顔容貌姿」=顔立ちと姿。「かたちありさま」という場合が多い。「物に似ず」=他に比べるものがない。たとえようがない。この上ない。 「清げなり」=こざっぱりとして美しい。【本文】悲しとても、片時人のゐるべくもあらぬ山の奥なりければ、泣く泣く「さらば」といひて帰りきて、この大徳たづねいでてありつるよしを上のくだり啓せさせけり。【訳】悲しいとはいっても、わずかの間も常人がいることができそうにない山の奥だったので、泣く泣く「それではこれで失礼いたします」と言って宮中に帰ってきて、この高僧を探し当てて先刻の少将のありさまを、上記の一件を報告させた。【注】「片時」=ついちょっと。わずかの間。もと一時(いっとき・約二時間)の半分の一時間を指し、短い時間をいう。「さらば」=それじゃあ。さようなら。人と別れる時の言葉。「さらばいとま申さん」などの略。「たづねいづ」=捜し出す。『源氏物語』≪桐壺≫「亡き人のすみかたづねいでたりけむ、しるしのかんざしならましかば」。「ありつる」=さっきの。例の。「上(かみ)のくだり」=上記。すでに書き記してあることをいう語。【本文】后の宮もいといたう泣きたまふ。さぶらふ人々もいらなくなむ泣きあはれがりける。宮の御かへりも人々の消息も、いひつけて又遣りければ、ありし所にも又なくなりにけり。【訳】きさいの宮もとてもひどくお泣きになった。その場にお仕えしていた人々もはなはだしく泣き気の毒がった。宮のおつくりになった返歌も、縁ある方々の近況も、ことづけて再び使者を行かせたところ、少将が先日いた場所には、またいなくなってしまっていた。【注】「さぶらふ」=おそばでお仕えする。「いらなく」=はなはだしく。激しく。「かへり」=返事。また、返歌。「消息」=伝言。便り。連絡。手紙の場合も、口頭の場合もある。「いひつく」=たのむ。ことづける。「遣る」=人を先方に行かせる。「ありし」=いた。以前の。【本文】小野の小町といふ人、正月に清水にまうでにけり。行ひなどして聞くに、あやしう尊き法師のこゑにて読経し陀羅尼よむ。この小野の小町あやしがりて、つれなき様にて人を遣りて見せければ、「蓑一つを着たる法師の、腰に火打笥など結ひつけたるなむ、隅にゐたる」といひけり。【訳】小野の小町といふ人が、正月に清水寺に参詣した。仏道修行などして聞いていると、常ならず尊い法師の声で経を読みあげ陀羅尼を口ずさんでいる。この小野の小町が不思議に思って、なにげないふりで人を行かせて様子を見させたところ、「蓑一つを着ている法師で、腰に火打笥などを結びつけたている法師が、隅で座っている」とい言った。【注】「小野の小町」=六歌仙の一人。九世紀後半(八五〇年ごろ)の人。小野貞樹・僧正遍昭・在原業平・安倍清行・文屋康秀らと歌の贈答をした。「清水」=清水寺。京都市東山区六条大路の東方の東山の山すそにある。本尊は観世音菩薩。舞台づくりの建物として知られる。「読経」=経文を見ながら声を上げて経を読むこと。「陀羅尼」=梵語の経文の一部を漢文訳せずに梵語のまま表音的に漢字をあてたもの。一語一語に無限の意味があり、これを唱えると、災いを除き、功徳を得るとされる。「つれなし」=無関心だ。「火打笥」=発火の用具である火打石と火打ち金を入れた容器。【本文】かくてなほきくに、声いと尊くめでたうきこゆれば、ただなる人にはよにあらじ、もし少将大徳にやあらむとおもひにけり。「いかがいふ」とて「この御寺になむ侍る。いと寒きに御衣一つ貸し給へ」とて、いはのうへに旅寝をすればいと寒し苔の衣をわれにかさなむといひやりたりけるかへりことに、【訳】こうして、さらに聞いていたところ、声がとても尊くすばらしく聞こえたので、まさか尋常な者ではあるまい、ひょっとすると良少将大徳ではないだろうかと思い当たった。「どう反応するか」と思って「この御寺でおる者でございます。とても寒いので御着物を一つお貸しください」といって、岩の上で旅寝をするので非常に寒いです。僧衣を私に貸してほしいと和歌を作って少将に言い送ったその返事に、【注】「ただなる人」=凡人。普通の人。「よも~じ」=「まさか~ないだろう」「よもや~ないだろう」。「もし」=もしかしたら。ひょっとしたら。疑問・推量表現に用いる。「旅寝」=自分の家でない場所で寝ること。「苔の衣」=僧や隠者の粗末な衣服。「なむ」=「~してほしい」。他に対する願望の意を表す。「かへりこと」=返事。レオン・パジェスの『日仏辞書』に「Cayericoto」とあり、「こ」は清音。【本文】よをそむく苔の衣はただ一重かさねばつらしいざ二人ねむといひたるに、さらに中将なりけりとおもひて、ただにも語らひし中なれば、あひて物いはむと思ひていきければ、かい消つやうに失せにけり。【訳】俗世間をそむいて出家した僧衣はただ一着です。これを貸さないとなるとそれも心苦しい。やむをえません、さあそれでは、二人で一着を分かち合って眠ろう。と返歌をよこしたので、いちだんと、あのお方はやっぱり良中将だなあと確信して、直接言葉を交わした仲だから、対面して口をきこうと思って、経典を読み上げる声のしていたほうへいったところ、すっかり消滅するように、あとかたもなく姿が消えてしまった。【注】「よをそむく」=俗世間から退く。また、出家する。「つらし」=心苦しい。この「つらし」を「薄情だ」と解する人もいるが、ここでは自身の貸さないという行為を指すので貸してやらないのも「心苦しい」という意に解するべきであろう。「さらに」=いちだんと。「ただにも語らひし中なれば」=普通に言葉を交わした仲だから。【本文】一寺求めさすれど、さらににげて失せにけり。かくて失せにける大徳なむ僧正までなりて、花山といふ御寺にすみたまひける。【訳】寺中捜させたが、完全に逃げて姿を消してしまった。こうして姿を消してしまった少将大徳は、のちには僧綱の最高位である僧正にまでなって、花山寺といふお寺に御住みになった。【注】「一寺」=寺じゅう。寺全体。「さらに」=すっかり。「僧正」=僧綱の一で、僧官の最高位。大僧正・正僧正・権僧正の三階級がある。「花山」=京都府東山区の元慶寺。良峰宗貞(遍昭)が創建したので彼は花山僧正と呼ばれた。のちに花山院が出家した場所としても知られる。【本文】俗にいますかりける時の子どもありけり。太郎は左近将監にて殿上してありける。かく世にいますかりときく時だにとて、母もやりければ、いきたりければ、「法師の子は法師なるぞよき」とて、これも法師になしてけり。【訳】俗世間にいらっしゃった時分の子がいた。その長男は左近将監として殿上人になっていた。父親はこのように僧になって無事に世に生きていらっしゃると聞いた時だけでも、せめて一目だけでも息子を父に会わせてやりたいと思って、母親も会いに行かせたので、長男が少将大徳のもとへ会いに行ったところ、「法師の子は法師になるのがよい」とおっしゃって、息子も法師にしてしまった。【注】「いますかり」=「あり」の尊敬語。いらっしゃる。「太郎」=長男。「左近将監」=左近衛府(宮中の警備や行幸の際の警護にあたる役所。庁舎は上棟門と陽明門との間にあり、日華門の内に詰所があった。長官は大将。)の判官(第三等官)。「殿上」=殿上の間に昇殿をゆるされること。『黒本本節用集』「殿上人 テンジヤウビト ≪公家、詳らかに月卿雲客の注に見ゆ≫」旧注に「四位なり」。(岩波新日本古典文学大系『庭訓往来』七十二ページ脚注)【本文】かくてなむ、折りつればたぶさにけがるたてながら三世の仏に花たてまつるといふも、僧正の御歌になむありける。【訳】このようにして、折ってしまうと手首に汚れがつくので、地上に立って生えているまま前世・現世・来世の三世の仏に花を差し上げる。という作品も、僧正遍昭のお作りになった歌だとさ。【注】「三世」=前世・現世・来世。過去・現在・未来。「花たてまつる」=花を仏さまにお供えする。『源氏物語』≪若紫≫にも「すだれ少し上げて、花たてまつるめり」と見える。【本文】この子をおしなしたうびける大徳は、心にもあらでなりたりければ、親にも似ず、京にも通ひてなむしありきける。【訳】この、長男を無理やり僧になさった大徳は、いやいやながら僧になったので、親の少将大徳とは似ても似つかず、京にも行き来して女性の家にもあちこち歩き回った。【注】「おしなす」=「しいて~する」。「たうぶ」=「たまふ」。「心にもあらで」=気がすすまない状態で。いやいやながら。「親にも似ず」=親に似ざるを不肖という。「しありく」=何かして歩き回る。【本文】この大徳の親族なりける人のむすめの、内にたてまつらむとてかしづきけるを、みそかにかたらひけり。親聞きつけて、男をも女をもすげなくいみじういひて、この大徳をよせずなりければ、山に坊してゐて、言の通ひもえせざりけり。【訳】この大徳の親戚だった人のむすめで、内裏に差し出し入内させようと思って大事に育てていた娘に対し、長男の大徳はこっそりと人目をぬすんで口説いてものにしてしまった。娘の親が聞きつけて、大徳をも娘をも容赦なく罵倒して、この大徳を屋敷に近づけなくしてしまったところ、山に僧坊を構えてじっと修行していて、文通もできなかった。【注】「親族」=親類。身寄り。「内にたてまつる」=入内させる。「かしづく」=大事に育てる。「みそかに」=人目を避けてこっそり。「かたらふ」=夫婦の契りをむすぶ。男女の仲になる。「すげなく」=容赦なく。思いやりがなく。「坊」=僧坊。僧の住む所。「言の通ひ」=言葉や手紙のやりとり。【本文】いと久しうありて、この騒がれし女の兄どもなどなむ、人のわざしに山に登りたりける。この大徳の住む所にきて、物語などしてうちやすみたりけるに、衣のくびにかきつけける。しら雲のやどるみねにぞおくれぬるおもひのほかにある世なりけりと書きたりけるを、この兄の兵衛の尉はえ知らで京へいぬ。妹みつけてあはれとやおもひけむ。これは僧都になりて、京極の僧都といひてなむいますかりける。【訳】だいぶん歳月がたってから、この騒がれた女の兄たちが、人の法事を行いに山に登った。この大徳の住む所にきて、雑談などしてちょっと休息していたところ、衣服の襟にかきつけた歌。私はあなたの顔を拝見できずに白雲がとどまるこの高い峰に取り残された。生きているのも不本意な男女の仲だなあ。と書いてあったのを、この兄の兵衛の尉は気づかずに京へ立ち去った。妹が大徳の和歌を見つけて、ああお気の毒なことと思ったのだろうか。この長男はのちに僧都になって、京極の僧都と世間の人から呼ばれていらっしゃったとさ。【注】「わざ」=仏事。「物語」=雑談。「うちやすむ」=ちょっと寝る。ちょっと休憩する。「くび」=襟。「みねにぞおくれぬる」=山の高い峰に一人置き去りにされたという意とあなたのお顔を見ることもできずに死に遅れた、の意をかける。「兵衛の尉」=兵衛府(内裏の警護、行幸・行啓の御供などをつかさどる役所)の三等官。「京極」=平安京の東西両端をそれぞれ南北に通る大路。「僧都」=僧綱の一つで僧正につぐ僧官。もと大僧都・少僧都各一名であったが、のちに大僧都・権僧都・少僧都・権少僧都の四階級となった。
August 31, 2016
閲覧総数 47054
36

第百二十三段【本文】むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやう飽き方にや思ひけむ、かかる歌をよみけり。 年を経て 住み来し里を いでていなば いとど深草 野とやなりなむ 女、返し、 野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ 狩にだにやは 君は来ざらむとよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。【注】〇やうやう=しだいに。だんだん。〇飽き方=いやけがさしてきた。〇かかる=こんな。このようなこういう。二十三段に「男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて」。〇里=都に対して辺地の村。在所。いなか。『古今和歌集』九七一番「深草の里に住み侍りて、京までまうで来とて」。〇いとど=ますます。〇深草野=深く草が茂った野と、地名の深草の掛詞。『角川必携古語辞典』の「ふかくさ」の条に、京都市伏見区深草町。歌などでは、草が深く尾生い茂った所とし、また『伊勢物語』の本段の短歌の唱和以後、鶉と結びつけることが多いという。〇返し=贈られた歌に対する返事の歌。〇鳴き=「泣き」の意ももたせる。〇狩に=「仮に」の意ももたせる。〇だに=せめて~だけでも。〇やは=「や」も「は」も係助詞。ふつう反語表現ととらえられているが、「やは~ぬ」の場合に準じて勧誘・希望の意を表していると考えることも可能。その場合は「せめて狩り(仮)にだけでも私に会いに来てくれたらいいのに」の意。〇めでて=感動して。【訳】むかし、男がいたとさ。深草に一緒に住んでいた女を、しだいにいやけがさしてきたのだろうか、こんな歌を作った。 何年にもわたって住んできたこの土地を私が出ていったしまったら、そうでなくても深い草の野という地名の在所なのに、ますます草深い野となってしまうだろうか。 女が、男から贈られた歌に対して作った返事の歌、 もしも草が深い野となったら私は鶉となって鳴いておりましょう。そうしたらせめて狩にだけでもあなたは来てくださらないでしょうか、いいえ、きっときてくださるでしょう。と作ったその歌に感動し、男は出て行こうと思う心がなくなってしまったとさ。
April 16, 2017
閲覧総数 11711
37

第八十六段【本文】 むかし、いと若き男、若き女をあひ言へりけり。おのおの親ありければ、つつみて言ひさしてやみにけり。年ごろ経て、女のもとに、なほ心ざし果たさむとや思ひけむ、男、歌をよみてやれりけり。 今までに 忘れぬ人は 世にもあらじ おのがさまざま 年の経ぬればとて、やみにけり。男も女も、あひ離れぬ宮仕へになむいでにける。【注】〇あひ言ふ=互いに憎からず思う。『伊勢物語』四十二段「むかし、男、色好みと知る知る、女をあひ言へりけり」。〇つつむ=隠す。〇言ひさす=話を途中でやめる。〇やみにけり=それっきりになってしまった。〇年ごろ経=長年過ごす。『伊勢物語』二十三段「さて、年ごろ経るほどに、女、親なく頼りなくなるままに」。〇なほ=やはり。〇心ざし=相手に寄せる愛情。〇世にもあらじ=けっしているまい。「世に」は、下に打消しの表現を伴って「少しも。決して」の意。『万葉集』三〇八四番「世にも忘れじ妹が姿は」。〇おのがさまざま=ひとそれぞれに。【訳】むかし、非常に若い男が、若き女と互いに相手を憎からず思っていた。それぞれ親がいたので、二人の関係を隠して告白するのを中断してそのままになってしまった。それから何年も経って、女の所に、やはり本来の愛情を貫こうと思ったのだろうか。男が、次のような歌を作って送った。 今までに私のことを忘れていない人は決していないだろう。お互いおれぞれ別々の生き方をして長年経過してしまったのだから。と歌に書いてやって、それっきりになってしまった。男も女も、お互い離れていない所に宮仕えに出かけていたのであった。
June 10, 2017
閲覧総数 2390
38

【本文】中興の近江の介がむすめ、物のけにわづらひて、上ざうだいとくを験者にしけるほどに、人とかくいひけり。【注】・中興の近江の介=右大弁平季長の子、平中興。平安中期の人。近江の国の国府の次官を務めた。(生年不祥……930年没)。・上ざうだいとく=浄蔵大徳。諌議太夫殿中監、三善清行(きよつら)の子。比叡山で密教を学び、不動明王の眷族である護法童子を自在にあやつったり、死の直後の父を祈祷で蘇生させたり、平将門の乱を調伏したりして、霊験あらたかだったという伝説が残っている。・験者=祈祷師。【訳】近江の介、中興の娘が、モノノケに苦しんで、浄蔵大徳を験者にしとところ、人々があれこれとうわさしたとさ。【本文】猶しもはたあらざりけり。しのびてあり経て、人の物いひなどもうたてあり、なほ世に経じとおもひ言ひて失せにけり。鞍馬といふところにこもりていみじう行ひをり。【注】・鞍馬=京都市左京区。毘沙門天を本尊として祭る天台宗の鞍馬寺があり、修験道の霊地としても知られる。【訳】やはり、また、二人の関係は普通ではなかった。人目をしのんだまま関係を続けて、人のうわさなども、不快であった。やはり、俗世間では過ごすまいと考えを告げて姿を消してしまったとさ。それから浄蔵大徳は鞍馬というところにこもって修行していたとさ。【本文】さすがにいとこひしうおぼえけり。京を思ひやりつつ、よろづのこといとあはれにおぼえて行ひけり。なくなくうちふして、かたはらをみければ文なむみえける。なぞの文ぞとおもひてとりてみれば、このわが思ふ人の文なり。書けることは、すみぞめのくらまのやまにいる人はたどるたどるもかへり来(き)ななむと書けり。【訳】それでもやはり、中興の娘のことが恋しく思われたとさ。京にいる娘のことを想像しながら、さまざまなことを非常にしみじみと感じながら修行していたとさ。泣く泣く臥して、わきを見ると、手紙が目にはいった。なんの手紙だろうと思って、手にとって見てみたところ、この、いつも自分が思っている娘の手紙であった。その手紙に書いてあったことは、墨染めのように暗い鞍馬の山に入っていった人は、足元も暗くてよく見えないでしょうが、それでも入っていった道をたどって引き返しながら京の私の所へやって来てほしい。と書いてあったとさ。【本文】いとあやしく誰してをこせつらんとおもひをり。もて来(く)べきたよりもおぼえず、いとあやしかりければ、またひとりまどひ来にけり。かくて又山にいりにけり。さてをこせたりける。からくして おもひわするる 恋しさを うたてなきつる 鴬の声【訳】非常に不思議で、中興の娘は誰を使いにして手紙をよこしたのだろうか、と浄蔵は考えていた。こんな山奥に持ってくることができる手段も考えつかず、非常に不思議だったので、再び独りで心を乱して京に来てしまったとさ。こうして、また山に入ってしまったとさ。そうして、中興の娘の所に手紙をよこしたとさ。やっとのことで、忘れた恋しい思いを、いやなことに、また鳴いて恋しさを思い出させるウグイスの声だよ。【本文】かへし、さても君 わすれけりかし 鴬の なく折のみや おもひいづべきとなむいへりける。【訳】それに対する娘の返歌、それにしてもあなたは、忘れてしまっていたのですねえ、ウグイスが鳴く時にだけ、思い出すものでしょうか。【本文】又、上ざうだいとく、わがために つらき人をば おきながら 何の罪なき 世をやうらみむともいひけり。この女はになくかしづきて、皇子達上達部よばひたまへど、帝にたてまつらむとてあはせざりけれど、このこといできにければ親も見ずなりにけり。【注】・「おき」(沖)に対して「うら」(浦)は縁語。【訳】再び浄蔵大徳が、わたくしにとって、冷たい人を、海の沖のように遠くはなれた京に置きながら、沖から浦を見るように、どうして罪のない世間を恨んだりできましょうか。とも作って贈ったとさ。この女は、親がこのうえなく大事に養育して、皇子や上達部たちが求婚なさったが、天皇に妃として差し上げようと親が考えて、結婚させなかったけれども、この浄蔵大徳との一件が起きてから、親も面倒を見なくなってしまったとさ。
February 16, 2011
閲覧総数 11597
39

【本文】同じ太政大臣、左の大臣の御母の菅原の君かくれたまひにけるとき、御服はてたまひにけるころ、亭子の帝なむ、うちに御消息きこえ給て、いろゆるされたまひける。【注】・同じ太政大臣=藤原忠平。・左の大臣=藤原実頼。忠平の子。・菅原の君=宇多天皇の皇女、順子内親王。菅原道真の外孫で、忠平の妻、実頼の母。・かくる=皇室など高貴な方が亡くなる。・服=喪にこもる期間。服喪が終わると「ぶくなおし」といって、喪服を通常の服にあらためる。・亭子の帝=宇多天皇。・うち=ここでは醍醐天皇。・いろゆるす=皇族などの服色と紛らわしいために臣下に着用を禁じた梔子(くちなし)色・黄丹(きあか)・赤色・青色・深紫色・深緋色・深蘇芳(すおう)色の七色の使用を特別に許可する。【訳】同じ太政大臣が、ご自身の妻で、ご子息の左大臣さまの御生母にあたる菅原の君がお亡くなりになってしまったとき、その服喪期間を終えられたころ、宇多天皇が醍醐天皇に手紙をさしあげて、禁色の使用をお許しになったとさ。【本文】さりければ、大臣いときよらに蘇芳襲などきたまうて、后の宮にまゐりたまうて、「院の御消息のいとうれしく侍りて、かくいろゆるされて侍こと」などきこえ給。さてよみたまひける、ぬぐをのみかなしとおもひし亡き人のかたみの色はまたもありけりとてなむ泣きたまひける。そのほどは中弁になむものしたまひける。【注】・后の宮=宇多天皇の妃。藤原基経のむすめで、醍醐天皇の母、藤原温子。・中弁=太政官の中位の弁官。参議と少納言の間の位。正五位にあたる。【訳】そういうわけで、大臣がとても上品で美しく、すおうがさねなどをお召しになって、后の宮の所へおうかがいなさって、「宇多天皇さまのお手紙が大変うれしうございまして、このように禁色の使用を許されましたこと」など申し上げなさった。そうして、お作りになった歌、喪服を脱ぐのをばかり悲しいと考えていたが、亡き妻の形見の着物の色は、再び宇多院のおかげで着られることになりよ。といってお泣きになったとさ。その当時の役職は中弁でいらっしゃいましたとさ。
February 6, 2011
閲覧総数 9854
40

逢雪宿芙蓉山主人 日暮蒼山遠、天寒白屋貧。 柴門聞犬吠、風雪夜帰人。 【韻字】遠・貧・人(平声、真韻)【訓読文】雪に逢ひて芙蓉山主人に宿す日暮蒼山遠し天寒うして白屋貧し柴門犬吠ゆるを聞く風雪夜帰る人【注】○芙蓉山 ここは湖南省の衡山をさすか。○白屋 白いカヤで屋根を葺いた家。○柴門 枯れ木の小枝を編んで作った門。【訳】雪に降られて芙蓉山のとある家に宿泊する。日も暮れ遠くに青い山がみえる。空は寒々として今夜とめてもらうのは山中の茅葺きの粗末な家。柴でこしらえた門のところから、犬の吠える声が聞こえてきた。夜になって、風雪のなか、どうやらようやくオヤジがもどってきたらしい。
August 6, 2005
閲覧総数 555
41

【本文】今は昔、二人して一人の女をよばひけり。【訳】それは昔のことですが、二人で一人の女性に対して言い寄っていたとさ。【注】「~して」=「~で」。動作の共同者を表す。「よばふ」=言い寄る。求婚する。【本文】先立ちてよばひける男、つかさまさりて、其の時の帝近うつかうまつりけり。【訳】先に言い寄っていた男が、官位も勝り、その当時の天皇のおそば近くにお仕えしていたとさ。【注】「つかさ」=官職。また、役目。「つかうまつる」=お仕え申し上げる。御奉公申し上げる。「つかふ」の謙譲語。【本文】後よりよばひける今一人の男は、その同じ帝の母后の御兄末(あなすゑ)にて、つかさおくれたりけり。【訳】あとから言い寄ったもう一人の男は、その同じ天皇のご生母の子孫で、官位は劣っていた。【注】「兄末」=末裔。子孫。「おくる」=劣る。【本文】それを女いかが思ひけん、後よりよばひける男に、かの女はあひにけり。【訳】それなのに、女はどう思ったのだろうか、あとから言い寄った男に、例の女は結婚してしまった。【注】「あふ」=男女が知り合う。結婚する。【本文】さりければ、この初めよりいひける男は、宿世(すくせ)のふかく有りけるとおもひけり。【訳】そういう事情だったので、この最初から女に言い寄っていた男は、女と自分の恋敵の男とは前世からの因縁が深かったのだろうと思ったとさ。【注】「さりければ」=そうであったから。「さありければ」の約。一語の接続詞のように使う。「宿世」=前世からの因縁。「夫婦は二世の契り」という。【本文】かくて、よろづによろしからずたいだいしき事を、物の折ごとに、帝のなめしと思し召しぬべき事を、つくりいでつつ聞こえないける間に、この男は宮仕へいと苦しうして、ただ逍遥をして、歩きを好みければ、衛府の官にて、宮仕へをもせずといふ事出できて、其のありける官をぞとり給ひてける。【訳】こんなふうにして、さまざまに好ましくない不都合な事を、折に触れて、帝が無礼だとお思いになるはずの事を、でっちあげてはお耳にいれたので、この後から女に求婚した男は、宮中に出仕するのがとてもつらくて、ただひたすらぶらぶら散策ばかりして、出歩くのを好んだので、衛府の役人でありながら、役所に出仕しないという事態が生じて、その所有していた官位を剥奪なさってしまった。【注】「かくて」=このようにして。こんなふうで。こうして。「たいだいし」=不都合だ。とんでもない。もってのほかだ。「なめし」=無礼だ。無作法だ。失礼だ。ぶしつけだ。「思し召す」=お思いになる。お考えになる。「思ふ」の尊敬語。「つくりいづ」=作り出す。「聞こえないける」=「聞こえなしける」のイ音便。「なす」は、動詞の連用形について「そのように~する」「意識して~する」「特に~する」「ことさら~する」意。「この男」=話の流れからすると、「後よりよばひける今一人の男」。「宮仕へ」=宮中に仕えること。「逍遥」=気の向くままに出かけてあちらこちら遊びまわること。「歩き」=出歩くこと。「衛府」=宮中の警備を担当する役所。中古初期以降は、左右の近衛府、兵衛府、衛門府の六衛府となった。【本文】さりければ、男、世の中を憂しと思ひてぞこもりゐて思ひける。【訳】そんなふうだったから、男は、この世の中をつらいものだと思って家に閉じこもって悩んでいた。【注】「さりければ」=そうであったから。「さありければ」の約。一語の接続詞のように使う。「憂し」=つらい。心苦しい。いやだ。『万葉集』八九三番・山上憶良「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」。【本文】人の命といふもの、幾世しもあるべき物にもあらず。【訳】人間の寿命というものは、いつまでも存在できるものでもない。【注】「幾世」=何代。【本文】思ふ時は、はかなき官(つかさ)も何にかはあるべき。【訳】心に思い悩むことがある時には、取るに足らぬ官位も何になろうか、いや、何の役にも立たない。【注】「はかなし」=つまらない。大して価値がない。むなしい。なんにもならない。「官」=官職。役目。【本文】かかるうき世にはまじらず、ひたぶるに山深くはなれて、行ひにや就きなんと思ひければ、近くをだにはなたず父母のかなしくする人なりければ、よろづの憂きもつらきも、これにぞ障りける。【訳】このようなつらい俗世間とは付き合わず、いちずに山奥に世間から離れて暮らし、仏道修行に専念しようかと思ったので、そば近くからさえも離さないように父母が大事にしている人だったので、さまざまな心配事もつらいことも、出家の志の支障となった。【注】「かかる」=このような。こんな。「うき世」=無常でつらい現世。つらいことの多いこの世。「ひたぶるに」=いちずに。「行ひ」=仏道修行。勤行。『方丈記』「世をのがれて、山林にまじはるは心を治めて道を行はんとなり」。【本文】時しも秋にしも有りければ、物のいと哀れにおぼえて、夕ぐれにかかる独り言をぞいひたりける。うき世には 門させりとも 見えなくに など我が宿の いでかてにするといひて、ひがみをりける間に、なまいどみて時々物などいひける人のもとより、蔦の紅葉の面白きを折りて、やがて其の葉に、「これをなにとかみる」とてかきをこせける。【訳】ちょうどそのとき、季節は秋だったので、なにかととてもさびしく感じられて、夕ぐれにこのような独り言を言った、その歌。この俗世間には門を閉ざしてあるというふうにも見えないのに、どうしてなかなか我が家を出られないのか。と歌を作って、鬱屈しているうちに、中途半端に恋をしかけて時々情を通わせていた相手のところから、蔦の紅葉で美しいものを折り添えて、すぐにその葉に、「これを何だとおもいますか」と書いて寄越した。【注】「さす」=閉ざす。「いでかてに」=出られないで。出られずに。「ひがむ」=心がねじける。ゆがむ。かたよる。「なま」=用言の上について「なんとなく~」「すこし~」「どことなく~」「いくらか~」「なまじ~」などの意を表す。「いどむ」=恋をしかける。「物いふ」=恋愛関係にある。男女が情を通わせる。【本文】うきたつた の山の露の 紅葉ばは ものおもふ秋の 袖にぞありけると言ひやりけれど、返しもせず成りにければ、かくとしもなし。【訳】つらい噂ばかりがたつ竜田川のもみじ葉は、悩みの多い私が流す血の涙に染まる私の袖の色そのものなのだなあと言い送ったけれども、返歌もせずじまいになってしまったので、このような意図で送ってきたともわからない。【注】「うきたつたの山の露の紅葉ばはものおもふ秋の 袖にぞありける」=このままでは歌意通じがたい。『平中物語』には「うきなのみたつたのかはのもみぢばはものおもふ秋の袖にぞありける」とある。それならば、つらい噂ばかりがたつ竜田川のもみじ葉は、悩みの多い私が流す血の涙に染まる私の袖の色そのものなのだなあ、の意。 「うきたつ」=そわそわする。うきうきする。「ものおもふ」=いろいろと思い悩む。物思いにふける。思い憂える。「返し」=返歌。返事として作る歌。「和歌(主として短歌)の贈答は上代(~奈良時代)から行われ、特に、中古(平安時代)の貴族社会では、男女の求愛を中心とする社交の手段として非常に盛んだった。歌を詠み掛けられれば、即座に歌で答え、歌で手紙がくれば、歌で返事をしなければならなかった」(佐藤定義遍『詳解古語辞典』明治書院)。【本文】かかる事どもを聞きあはれがりて、此の男の友だちども、集まりてきて慰めければ、酒飲ませなどして、いささか遊びのけぢかきをぞしける。【訳】こんなことを聞いて、気の毒がって、この男の友達が、集まってきて慰めたので、男はお礼に酒を飲ませなどして、ちょっぴり音楽の遊びで身近なものをしたとさ。【注】「いささか」=ちょっとだけ。ほんのすこし。「遊び」=酒宴を開き、歌舞音曲を演ずる。「けぢかし」=親しみやすい。【本文】夜になりければ、この男かかる歌をぞよみたりける。身をうみの おもひなきさは こよひ哉 うらにたつ波 うち忘れつつとぞよみたりける。【訳】夜になったところ、この男がこんな歌を作ったとさ。わが身がいやになる憂鬱さが無いのは今夜だなあ、心に立つ動揺を忘れて。【注】「身をうみの おもひなきさは こよひ哉 うらにたつ波 うち忘れつつ」の「うみ」に「憂み」、「なきさ」に「無き」と「渚」、「うら」に「心(うら)」「浦」を掛ける掛詞。「海」に対して「なぎさ」「うら」「立つ波」は縁語。【本文】かかりければ、これをあはれがりてぞ、あはれに明かしける。これも返しなし。【訳】こんなふうに慰安会を男が素直に感動したので、友人たちも酒宴を開いた甲斐があったと喜んで、しみじみと楽しんで夜を明かしたとさ。しかし、この男が作った歌を女の元へ届けさせたが、これにも返歌を寄越さなかった。【注】「あはれがる」=感心する。おもしろがる。【本文】さて又の夜の月をかしかりければ、簀の子にゐて、大空をながめてゐたりける程に、夜のふけゆけば、風いと涼しううち吹きつつ、苦しきまでおぼえければ、物のゆゑしる友達のもとに、「これのみぞかねて月みるらん」とて、かかる歌をよみて遣はしける、なげきつつ 空なる月と ながむれば 涙ぞあまの 川とながるる【訳】そうして、次の夜の月が風流だったので、簀の子にすわって、大空を眺めているうちに、夜が更けていき、風が非常に涼しく吹いて、苦痛なほどに感じられたので、情趣を解する友人のところに、「この人たちだけは、先刻から月を見ているだろう」と思って、このような歌を作って贈ったその歌、己の運命を嘆きながら空にある月眺めていると涙が天の川のように滔々とながれることだ。【注】「物のゆゑしる」=風情を解する。情趣を解する。【本文】さりけるほどに、いと深からぬ事なりければ、元の官(つかさ)になりにけり。此の友だちどもは、躬恒・友則がほどなりけり。【訳】そうしているうちに、あまり深刻な事態でもなかったので、元のお役目に復帰したとさ。この友達というのは、凡河内躬恒と紀友則などといった連中だったとさ。【注】「元の官」=六衛府の官人。「躬恒」=平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。宇多法皇・醍醐天皇に仕え、紀貫之らと『古今集』の撰者となり、また、宮廷歌人として活躍した。「友則」=紀友則。平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。紀貫之のいとこにあたる。みやびやかで感情のこもった作風の和歌で知られる。『古今和歌集の撰者の一人。【本文】同じ男、知れる人のもとに常に通ふに、いとにくさげなる女のあるを、女は大人になれば、こよなくなだらかになるなれど、此の女を憂しと笑ひけれど、見るたびにやうやうよくなりもてゆく。ことのほかに生ひ勝りしてみえければ、ぬま水に 君はあらねど かかる藻の みるまみるまに おひまさりけり【訳】同じ男が、知人のところにふだん通っていたが、非常に醜い女がいたのを、女は成人になると、格段に性格が温和になるということだが、この女はいやだと嘲笑していたが、見るたびにしだいに見栄えよくなってゆく。意外に成長するにつれて立派になるように見えたので、作った歌、あなたは、濁って底が見えない沼の水というわけではないが、生えている藻がみるたびに繁茂するように、会うたびに立派になっていきますね。【注】「にくさげなり」=いかにも醜い。「大人」=成人。「こよなく」=格段に。「なだらかなり」=温和。気持ちが穏やかだ。「~もてゆく」=「しだいに~してゆく」。「おひまさる」=成長するにつれて立派になる。「みるまみるま」=「見る間」と海藻の「海松布(みるめ)」を言い掛けた。【本文】女、このかへし、かかるもの みるまみるまぞ うとまるる 心あさまの 沼におふればとかへしたりける。【訳】女が作った、この歌に対する返歌、このように私のように醜い者は、見る見るうちに、嫌われる、あなたのように人を愛する心の浅い沼のなかに生えたばっかりに。【注】「もの」=「者」と「藻の」の掛詞。「みるまみるまに」=「見る間」の「みる」が海藻の「海松」との掛詞。【本文】此の男に、女のいへりける、いつはりを 糺の森の ゆふだすき かけてを誓へ 我を思はば【訳】この男に、女が詠んだ歌、いつわりを正すという糺の森のゆうだすきのように神にかけて誓いなさい、もしも本当に私を愛しているのなら。【注】「いつはりを糺の森のゆふだすき」=「かけて」を導く序詞。この歌は『新古今和歌集』≪恋≫一二二〇番にも見える。 「糺の森」=京都市左京区にある下鴨神社の森。賀茂川と高野川(たかのがわ)の合流点にある。「ゆふだすき」=「かく」にかかる枕詞。ゆう(木綿)で作ったたすき。白く清らかなもので、神事に奉仕する者が用いる。「かく」=「ゆふだすき」の縁語。神に誓いをかける。心を相手に寄せる。【本文】女の、思ふ男をして、たしかにいだすをみて、あらはなる 事あらがふな 桜花 春はかぎりと 散るを見えつつ【訳】女が、愛する男を、よその女が確かに家から送り出すのを見て作った歌、はっきりとバレていることに対し、いいわけなさいますな。桜の花が今年の春はもう終わりだと散って枝から離れていくる姿を見せているように、あなたの心も私から離れていくのは、わかっているから。【注】「あらはなり」=明白だ。たしかだ。「あらがふ」=反論する。言い訳する。【本文】返し、いろにいでて あだにみゆとも 桜花 風のふかずは 散らじとぞおもふ【訳】それに対する返歌、態度に出て、たとえ誠意がないと思えても、桜花は、もし風が吹かなければ、散らないだろうと思う。それと同じように、あなたの私に対する風当たりが強くなければ、あなたのそばを離れるつもりはありませんよ。【注】「いろにいづ」=態度に現れる。顔色に現れる。「あだなり」=浮ついている。誠意がない。『古今和歌集』≪春・上≫「あだなりと名にこそたてれ桜花」。【本文】西の京六条わたりに、築地所々崩れて草生ひしげりて、さすがに所々蔀あまたささげわたしたる所あり。【訳】蔀戸を西の京の六条あたりに、土塀がところどころ崩れて草が生い茂っていて、そうはいうものの所々蔀戸を掲げ連ねてある所がある。【注】「西の京」=平安京のうち、朱雀大路を境に東西に分けた、その西側の区域。この話は『平中物語』三十六と同じ。「六条」=平安京で東西に通る大路で、北から六番目のもの。「築地」=土をつき固めて土手のように作った塀。のちには、柱を立て、板を中にして泥で塗り固め、屋根を瓦で葺くようになった。「蔀」=寝殿造りで、光線や風雨を防ぐため、格子の片面に板を張った戸。上下二枚のうち、下一枚を固定し、上一枚を上げ下ろしする釣り蔀や半蔀と、室内にも用いる衝立の形の立て蔀とがある。【本文】簾のもとに女どもなどあまた見えければ、此の男なほも過ぎで、供(とも)なる童(わらは)して、「などかく荒れたるぞ」といひければ、「誰がかくは宣(のたま)ふぞ」といひければ、「大路(おほち)ゆく人」といひけるに、崩れより女どもあまた出て、かくいひかけたりける。【訳】すだれのそばに女性たちが多数見えたので、この男は依然として素通りしかねて、子供の召使を使って「どうしてこんなに荒れてしまっているのか」と質問させたところ、「どなたがこんなことをおっしゃるのか」と逆に質問してきたので、「大路を通りかかった者です」と言ったところ、土塀の崩れめから女性たちが多数出てきて、こんなふうに歌を詠み掛けてきた、【注】「あまた」=数多く。「供」=従者。主たる人のあとに付き従う者。「童」=元服前の子供の召使。また、頭髪を童形にした召使。「宣ふ」=「いふ」の尊敬語。おっしゃる。「大路」=大通り。町の中心になる道。【本文】人のあきに 庭さへあれて 道もなく 蓬しげれる 宿とやは見ぬといへりければ、童の口にいひいれて、たがあきに あひて荒れたる 宿ならん われだに庭の 草は生ふさじ【訳】愛する人が私に飽きて私の心がすさんだだけでなく、庭まで荒れて、道も無いほどに、蓬がしげっている家だとお思いになりませんか、きっとそのように見えるでしょう。と歌を作って寄越したので、子供の召使の口を通じて内にいる人に言葉をかけていったい誰の飽きにあって嫌われて荒れている庭なのだろう、私のような無精者でさえ庭の雑草は生えささないようにしているのに。 【注】「あき」=「飽き」(いやになること)と「秋」との掛詞。「蓬」=キク科の多年草。モチグサ。生長した葉はモグサに用いる。荒れ地に生えるところから、荒れ果てた場所の象徴。「宿」=家。すみか。また、庭先。屋敷の中庭。家の敷地。「童」=元服前の子供の召使。【本文】さて、ときどき通ひけれど、いかなる人のすかすならんと、つつましかりければ、人にもそこそことも言はで通ふほどに、みな人物へいにけり。【訳】そうして、ときどきこの屋敷へ通ってきたが、どのような方が自分をだまそうとするのだろうと、きまりが悪かったので、周囲の人にも、どこどこでこういう女性がいたとも言わずに通ううちに、その女性たちはみんなどこかへ行ってしまった。【注】「すかす」=だます。あざむく。「つつまし」=恥ずかしい。きまりが悪い。【本文】ただ独り有りて「もし、人とはば是をたてまつれ」とて、文書きて出しける、 わが宿は ならの都ぞ 男山 こゆばかりには あらばさて訪へと有りければ、此の男いたく口惜しがりて、其の家に置きたるものに、物などくれてとひけれど、ふつといはで、ただ「奈良へ」とぞいひける。尋ねん方なし。【訳】ただ単身ここにいて、「もしも、人が訪ねてきたら、これをお渡しせよ」といって、手紙を書いて出した。その手紙に私の引っ越し先の家は奈良の旧都です。男山を越えるような機会がありましたら、お訪ねください。と書いてあったので、旧宅にやってきた男は女が転居したのをひどく残念がって、その家に残してある使用人に、物などをやって「奈良の旧都のどのあたりか、詳しく教えよ」と質問したが、留守番の者はちっとも口を割らず、ただひたすら「奈良へ参られました」と言った。そういうわけで、それ以上尋ねようにも方法がなかった。【注】「たてまつれ」=お渡しせよ。差し上げよ。「男山」=山城の国綴喜郡八幡町(いまの京都府八幡市)にある標高百四十二メートルの山。山頂には石清水八幡宮(主祭神は応神天皇)がある。「ふつと」=(あとに打消しを伴って)全然。少しも。さっぱり。絶えて。【本文】さる程に思ひ忘れにけるに、此の男の親、初瀬に参りける供に有りて、「まこと、さる事ありきかし。ここやそならん、かしこやそならん」など思ふほどに、供なる男どもなどに語らひなどしけり。【訳】そうするうちに、忘れてしまったが、この男の親が、長谷寺に参拝するおともをして、「ああ、そういえばあんなことがあったなあ。ここがあの女の家だろうか。あそこが女の家だろうか。」などと思ううちに、おともをしている男たちに過去の思い出を話しなどした。【注】「さる程に」=そのうちに。「まこと」=ああ、そうそう。忘れていたことを思い出した時に用いる感動詞。「さることありきかし」=そういうことがあったよ。「き」は、過去の助動詞。「かし」は、終助詞。「初瀬」=奈良県桜井市初瀬の長谷寺。真言宗で天武天皇の御代の創建とも、聖武天皇の創建ともいわれる。平安時代、貴族でも特に女性の信仰が厚かった。本尊は観世音菩薩。「かしこ」=あそこ。【本文】さて、かの初瀬に詣でて、三条より帰りけるに、飛鳥本といふ所に、あひ知れる法師も俗もあまたいできて、「今日、日はしたになりぬ。奈良坂のあなたには、人の宿り給ふべき家もさぶらはず。此処に泊らせ給へ」といひて、門並べに家二つを一つに造りあはせたる、をかしげなるにぞとどめける。さりければ、とどまりにけり。【訳】それから、例の長谷寺に参詣を済ませて、奈良の三条大路を通って帰る際に、飛鳥本という所に、知り合いの法師や一般人も大勢現れて、「今日はもうご帰宅なさるには、時間も中途半端で途中で日が暮れてしまうでしょう。奈良坂からむこうには、お泊りになれる家もございません。ここにお泊りなさいませ。」と言って、隣同士の屋敷を一つにつなぎ合わせて建築してある、情緒ある屋敷にこの一行を泊めた。そういうわけで、男の一行は宿泊した。【注】「さて」=それから。「三条」=平城京の東西に通る大路で、北から三番目の通り。「飛鳥本」=奈良市元興寺町あたり。「俗」=俗人。出家していない世間一般の人。「あまた」=数多く。「いでく」=姿をあらわす。「日」=日の出ている時間。【本文】饗応など人々しければ、物など食ひて騒がしきほどしづまり、程なく夕暮にはなりてけり。【訳】御馳走のもてなしなど人々がしてくれたので、食事をして騒ぎも落ち着き、まもなく夕暮時になった。【注】「饗応」=酒食を用意し、もてなすこと。また、もてなしの酒盛り。ごちそうがたくさんある宴会。「ほどなし」=少ししか時がたたない。間もない。【本文】さりければ、戸のもとに佇み出てみるに、この南の家の北なる家にて、楢の木といふ物をぞ二木三木うゑたりける。「あやしく異木をもうゑで」などいひさしのぞきたりけるに、清げなる蔀どもあげわたして、女どもあまたをり。【訳】そんなふうだったので、戸口のところにたたずんで出て見てみると、この南に建つ家の北にある家で、ナラの木というものを、二、三本植えてあった。「不思議なことに、他の木を植えずに」などと言いかけて、のぞいたところ、こざっぱりとして美しい蔀戸を全部上げて、女たちが大勢いる。【注】「戸のもと」=家の出入り口周辺。「異木」=ほかの種類の木「清げなり」=こざっぱりとして美しい。「蔀」=寝殿造りで光線や風雨を防ぐため、格子の片面に板を張った戸。上下二枚のうち、下一枚を固定し、上一枚を上げ降ろしする、釣り蔀や半蔀と、室内にも用いる衝立の形の立て蔀とがある。【本文】「あやし」などをのがうちいひて、供なりける人をよびよせて、「此の人は此の南に宿れるか」と問ひけり。【訳】「不思議だ」などと、自身で何気なく言って、男の御供をしていた人を呼び寄せて、「あなたの主人はこの屋敷の南の屋敷に宿泊しているのか」と質問した。【注】「うちいふ」=何気なく言う。ちょっと口に出す。【本文】築地の崩れより見し人は、「いかに忘れざりけるにか、もし男などに具してきたるにや」など、くもでに思ひ乱るるほどに、 くやしくも ならぞとだにも 言ひてける たまほこにだに 来てもとはねばといひけり。【訳】築地の崩れ目から見た男は、「なんと、私のことを忘れなかったのだろうか。あるいは、ひょっとすると他の男などに従ってきたのだろうか」などと、あれこれと思って心が乱れるうちに、女のほうから、 後悔されるのは別れ際に引っ越し先が奈良だと言ったことだなあ。道を通ってたまたま近所に来てさえ訪問しないのだから。という和歌を手紙に書いて寄越した。【注】「もし」=ひょっとすると。「具す」=従う。連れ立つ。「たまぼこに」=「道」「里」などにかかる枕詞。「たまさかに」=偶然。まれに。の意をきかせた【本文】此の「庭さへあれて」といひし人の手なりけり。京さへなま恋しき旅のほどなりければ、硯こひ出て、楢の木の並ぶほどとは教へねど名にやおふとて宿はかりつると言ひたりければ、【訳】その手紙の文面を見たところ、なんと「人のあきに庭さへあれて・・・」と、あの歌を作って寄越した人の筆跡だったよ。初瀬詣でに数日京を離れて、京のことでさえなんとなく恋しい旅先のことだったので、家の者に硯を貸してくれるよう頼んで、 ナラの木が並ぶところとまでは教えてくれなかったが、名前として持つだけのことはある宿かなと思ってこの宿を借りた。と歌を作って贈ったところ、【注】「名におふ」=名前として負い持っている。その名にふさわしいものである。【本文】「あなうちつけの事や」とて、かくぞ言ひ出したりける。 門すぎて 初瀬川まで わたるせも 我が為とは君は答へん【訳】「まあ、なんて軽率なふるまいでしたろう」と言って、こんなふうに家の中から男のいる外に向かって和歌を詠んだ。我が家の門前を通り過ぎて初瀬川まで渡る瀬までも、ずうずうしいあなたなら私のために渡るのだよと答えるのでしょうね。【注】「うちつけ」=軽率だ。【本文】その夜とまり、つとめて、男、 朝まだき たつ空もなし 白波の かへるかへるも 帰り来ぬべし【訳】その夜は一泊して、その翌朝、男が女に贈った歌、夜が明け切らない時分に、あなたとの別れがつらいから、旅立つ場所も考えられない、ずっとここにいたい。白波のように沖に帰り沖に帰りするも、再び岸に戻ってくるように私も京へ一旦帰るが、またあなたに会いにもどってくるつもりだ。【注】「朝まだき」=夜が明け切らない頃。早朝。「空」=よりどころを離れて不安定である場所。
September 18, 2016
閲覧総数 4478
42

第九十八段【本文】 むかし、おほきおほいまうちぎみと聞こゆるおはしけり。仕うまつる男、長月ばかりに、梅のつくり枝にきじを付けて奉るとてわが頼む 君がためにと 折る花は ときしもわかぬ ものにぞありけると詠みて奉りたりければ、いとかしこくをかしがり給ひて、使ひに禄たまへりけり。【注】〇おほきおほいまうちぎみ=太政大臣。大宝令の制度で太政官の最高の官である左大臣の上に立ち、天皇の師となるような有徳の人が就任する最高顧問のような職。平安時代には、ほとんど藤原氏から選ばれた。ここでは藤原良房をさす。〇聞こゆ=「言ふ」の謙譲語。申し上げる。〇おはす=「あり」の尊敬語。いらっしゃる。〇仕うまつる=お仕えする。「つかへまつる」のウ音便。〇長月=陰暦九月の異名。〇つくり枝=献上品・贈り物などを付けるのに用いた。もともとは、鷹狩の獲物の鳥を人に贈るときに結び付けた木を鳥柴(としば)といった。のちには季節により梅・桜・松などにつけたり、金銀などで造った草木の枝に付けたりした。〇きじ=日本特産の鳥の名。きぎし。きぎす。『徒然草』一一八段に「鳥には雉、双無きものなり」とあるように、かつては食用の鳥の最上のものと考えられていた。〇奉る=「与ふ」の謙譲語。差し上げる。献上する。〇頼む=主人として身を託す。仕える。〇ときしもわかず=「いつでも。四季の区別がない。」の意の「ときわかず」に強意の副助詞「しも」を加えた形。「きし」の部分に「きじ」を言い掛ける〇かしこく=たいそう。はなはだしく。〇をかしがる=賞賛する。〇禄=ほうび。〇たまふ=お与えになる。くださる。【訳】むかし、先の太政大臣と申し上げるかたがいらっしゃった。そのかたにお仕えしていた男が、陰暦九月ごろに、造りものの梅の枝にキジを付けて献上するというので私がお仕えするご主人さまのためにと折る梅の花は四季も区別せず咲くものだなあ、私もこの花同様に年中かわることなく勤勉にお仕えするつもりでございますよ。と詠んで、差し上げたところ、とてもひどく賞讃なさって、使者にご褒美をくださった。
May 7, 2017
閲覧総数 2668
43

送處士歸州因寄林山人 劉長卿陵陽不可見、獨往復如何。舊邑雲山裏、扁舟來去過。鳥聲春谷靜、草色太湖多。儻宿荊溪夜、相思漁者歌。【韻】何・過・多・歌(平声、歌韻)。【訓読文】処士の州に帰るを送り因つて林山人に寄す。陵陽見るべからじ、独往復如何。旧邑雲山の裏、扁舟来去して過ぐ。鳥声春谷に静かに、草色太湖に多し。儻し荊渓の夜に宿さば、漁者の歌ふを相思へ。【注】○処士 仕官せずに民間にいる人物。○林山人 劉長卿の友人らしいが、未詳。「山人」は、世を捨てて山中に隠れた人。○陵陽 安徽省青陽県の東南の陵陽邑。○独往 一人で行くこと。○雲山 雲のかかった山。○扁舟 小舟。○来去 行ったり来たりすること。○太湖 長江と銭塘江下流の土砂が堆積し、むかしの海湾を塞いでできた中国第三の淡水湖。○儻 もし。○荊渓 江蘇省南部にあり。上流は胥渓河、宜興県大埔付近で太湖に注ぐ。○漁者 漁師。『楚辞』《漁父》に登場する漁師は「聖人は物にこだわらず、世の趨勢にさからわないものだ」と歌った。隠遁生活の尊いことをいう。【訳】処士が故郷の州に帰るのを見送り、ことづけて林山人に贈る詩。陵陽はここから見えぬが、ただ一人で行く気持ちはどうであろうか。故郷の村は雲のかかる山のなか、小舟が行き来しては目の前を通り過ぎてゆく。春の谷には鳥の声が静かにひびき、太湖の周囲には青い草が生い茂っている。もしも荊渓で夜泊まることがあったら、漁夫が歌うのを思いだしてくれたまえ。
November 18, 2005
閲覧総数 44
44

温湯客舍 劉長卿冬狩温泉歳欲闌、宮城佳氣晩宜看。湯熏仗裏千旗暖、雪照山邊萬井寒。君門獻賦誰相達、客舍無錢輒自安。且喜禮■(「門」のなかに「韋」。イ)秦鏡在、還(一作盡)將妍醜付(一作赴)春官。【韻字】闌・看・寒・安(平声、寒韻)。【訓読文】温湯の客舍冬狩温泉歳闌(ふ)けんと欲し、宮城の佳気晩看るに宜し。湯仗裏に熏じて千旗暖かに、雪山辺を照らして万井寒し。君門賦を献ずるに誰か相達せん、客舍銭無くして輒(すなはち)自から安んず。且(しばらく)喜ぶ礼■(「門」のなかに「韋」。イ)に秦鏡在り、還つて(一に「尽」に作る)妍醜を将(も)つて春官に付するを(一に「赴」に作る)。【注】天宝四(七四五)年冬、驪山における作。○温湯 温泉。七二三年、驪山に温泉宮が置かれた。天宝六年、華清宮と改めた。○客舍 旅館。宿屋。○冬狩 君主が冬季に行う猟。○闌 終わりに近づく。○宮城 天子のおられる宮殿。○佳気 めでたい気。○熏 ふすべる。煙を立たせる。○仗 天子や宮殿の護衛。○万井 広い地域。あたり一帯。○献賦 賦を献上する。司馬相如は賦を献上しつづけていたが、長年の間、評価されなかった。○相 対象があることを示す。○達 届ける。○輒 いつでも。○且 とりあえず。喜○礼■(イ) 礼部。尚書省に属する六部の一。ここで科挙が行われた。○秦鏡 秦の咸陽宮に在った鏡で、人の善悪美醜を映したという。○妍醜 美醜。ここでは科挙に課せられる賦の出来栄えの善し悪しをいうのであろう。○春官 礼部の異名。【訳】温泉宮のそばの宿屋にて詠んだ詩。天子は冬に狩りをして温泉地にぞ歳暮るる、温泉宮のめでたき気、夕暮れことに美しき。衛兵武器を捧げ持ち、湯気の向こうに建てる旗、山のあたりは雪景色、肌に感ずる寒さかな。天子に賦をば献ぜんと思えど誰が届けよう、金も無ければのんびりと宿に落ち着き外も出ず。まあとりあえず嬉しきは礼部の審査曇り無く、そのできばえの善し悪しに応じた役目を配するを。
September 1, 2007
閲覧総数 296
45

【本文】先帝の御時に、承香殿(じようきようでん)の宮す所の御曹司に、中納言の君といふ人さぶらひけり。【注】・先帝=醍醐天皇。・承香殿の宮す所=光孝天皇の皇女で、醍醐天皇の女御であった源和子。承香殿は、仁寿殿の北、常寧殿の南にある御殿。・中納言の君=貴人のおそば仕えの女房の名。・御曹司=宮中の女官に割り当てられた個室。【訳】醍醐天皇の御代に、承香殿の御息所様のお部屋に、中納言の君という女房がお仕えしていたとさ。【本文】それを、故兵部卿の宮、若男にて一宮ときこえて、色好みたまひけるころ、承香殿はいと近きほどになむありける。らうありをかしき人々ありとききて、物などのたまひかはしけり。【注】・故兵部卿の宮=元良親王。・一宮=第一皇子。【訳】その女房を、元良親王が、まだ年若く第一皇子と申し上げて、よく恋愛なさっていた頃に、承香殿は非常に近いところにあったとさ。機知に富んで風流な方々がいると聞いて、言葉などやりとりなさったとさ。【本文】さりけるころほひ、この中納言の君に忍びてねたまひそめてけり。【訳】そんなふうにして過ごしていた時分に、この中納言の君に、人目を忍んで共寝なさるようになってしまったとさ。【本文】時々おはしましてのち、この宮をさをさとひたまはざりけるころ、女のもとよりよみてたてまつりたりける、人をとくあくたがはてふ津の国のなにはたがはぬ君にぞありける【注】・をさをさ……ざり=めったに……ない。・あくたがは=「芥川」と「飽く」を言い掛ける。・なには=「難波」(大阪市一帯)と「名には」の掛詞。【訳】時々中納言の君のもとへいらっしゃってのち、この親王が、めったに訪問なさらなかった時分に、女の所から作って差し上げた歌、芥川という摂津の国の難波にある有名な川がありますが、人に対して早く飽きるといううわさにたがわぬ、あなた様ですこと。【本文】かくて物もくはで、泣く泣くやまひになりて恋ひたてまつりける。【訳】こうして、食事もとらずに、泣く泣く病気になってずっとお慕い申し上げていたとさ。【本文】かの承香殿の前の松に雪のふりかかりたりけるを折りて、かくなむきこえたてまつりける。こぬ人をまつの葉にふる白雪のきえこそかへれあはぬおもひにとてなむ、「ゆめこのゆき落とすな」と使ひにいひてなん、たてまつりたりける。【注】・まつ=「待つ」と「松」の掛詞。・ふる=「降る」と「経る」の掛詞。・きえかへる=ひどく思いつめる。また、すっかり消える。「雪」と「消え」は縁語。・おもひ=「ひ」に「火」を言い掛ける。・ゆめ……な=決して……するな。【訳】その承香殿の前の松に、雪が降って枝にかかっていたのを折って、こんなふうに歌を作って親王さまに申し上げたとさ。訪ねてこない人を待ちながら月日を送る、松の葉に降る白雪のように、あなたに逢わない恋しい情熱の火に、雪がすっかり消えそうなほど、それほど私も死ぬほど思いつめておりますよと和歌を作って手紙に書き、「決してこの雪を枝から落とすな」と使者に言って、松の枝とそれに添えた手紙を親王様に差し上げたとさ。
May 8, 2011
閲覧総数 10152
46

【本文】信濃の国に更級といふところに、男すみけり。【訳】信濃国の更級というところに、男が暮らしていたとさ。【本文】わかき時に親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひそひてあるに、この妻の心いと心憂きことおほくて、この姑の、老いかがまりてゐたるをつねににくみつつ、男にもこのをばのみ心さがなく悪しきことをいひきかせければ、昔のごとくにもあらず、疎なること多く、このをばのためになりゆきけり。【訳】若い時分に親が死んだので、このおばを親のように思って、若いころから共に寄り添うようにして暮らしていたが、この男の妻の心は非常にいやなところが多くて、この姑が年老いて腰が曲がっているのを、いつも不快に思いながら、男に対しても、このおばの性格が意地悪だということを、言い聞かせたので、おばと男との関係も、昔のように良好ではなく、粗末に扱うことが多く、このおばにとって不運な状況になっていったとさ。【本文】このをば、いとたう老いて、二重にてゐたり。これをなをこの嫁ところせがりて、今まで死なぬこととおもひて、よからぬことをいひつつ、「もていまして、深き山にすてたうびてよ」とのみせめければ、せめられわびて、さしてむとおもひなりぬ。【訳】このおばは、非常に年老いて、からだが二重にみえるほど腰が曲がっていた。このようすを、やはり、この嫁が息がつまりそうに不快に思って、「よくもまああんなに腰が曲がるまで生きのびて、今まで死なないことねえ。」とばかり皮肉を言って、不吉なことを言っては、男に「どこかへつれておゆきになって、深い山に捨てておしまいになってくださいな。」とばかりいって責めたので、妻に責められるのがつらくなって、「いっそ、そうしてしまおう」と思うようになった。【本文】月のいと明き夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊き業する、見せたてまつらむ」といひければ、かぎりなくよろこびて負はれにけり。【訳】月が非常に明るい晩に、「ばあさんや、さあ、いっしょにいらっしゃい。お寺で有り難い仏事をするということです、御覧にいれましょう。」と男が言ったので、このうえなく喜んで男に背負われたとさ。【本文】高き山の麓に住みければ、その山にはるばるといりて、たかきやまの峯の、下り来べくもあらぬに置きて逃げてきぬ。【訳】男は、高い山のふもとに住んでいたので、その山にはるばる分け入って、高い山の峰で、おばが自力では降りてくることもできそうにないところに置いて、逃げて戻ってきた。【本文】「やや」といへど、いらへもせでにげて、家にきておもひをるに、いひ腹立てけるおりは、腹立ちてかくしつれど、としごろおやのごと、養ひつつあひ添ひにければ、いとかなしくおぼえけり。【訳】「これこれ、わたしをおいてどこへいくのだい。」とおばが言ったが、男は返事もせずに逃げて、家に戻ってきて、考えていると、妻が自分に対しておばの悪口を言って立腹させたときには、腹が立って、こんなことをしてしまったが、長い間ほんとうの親のように、養いながら共に暮らしてきたので、非常にやるせなく悲しく感じられた。【本文】この山の上より、月もいとかぎりなく明くていでたるをながめて、夜一夜ねられず、かなしくおぼえければ、かくよみたりける、わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月をみてとよみて、又いきて迎へもて来にける。【訳】この山のうえから、月も非常にこのうえなく明るく出ているのを眺めて、一晩中寝られず、おばのことが愛しく感じられたので、このように歌をつくったとさ。自分の心をなぐさめようにもできなかったなあ。更級のおばを捨ててきた山に照る明るく美しい月をみても。と歌を作って、再び山上へ行って、おばを迎えてつれて来たとさ。【本文】それより後なむ、姨捨山といひける。慰めがたしとはこれがよしになむありける。【訳】それ以後、この山を姨捨山といったとさ。気持ちをなぐさめることができないという引き合いに「姨捨山」と言うのは、この話が由来だということだ。
August 1, 2012
閲覧総数 5092
47

【本文】廿七日。おほつよりうらどをさしてこきいづ。【注】●うらとをさして 浦戸は高知県高知市の地名であるが、「さす」には、戸を閉める意の動詞もあるので、ここには「(裏口の)戸をとざして」というシャレも含んだ表現であろう。【訳】二十七日。大津から浦戸をめざして舟を漕ぎ出した。【本文】かくあるうちに京にうまれたりしをんなご、くににてにはかにうせにしかば、このごろのいでたちいそぎをみれど、なにごともいはず。【注】●にはかに 急に。●うせ 「失す」は、死ぬ。●いでたちいそぎ 旅立ちの準備。【訳】こうして一緒に舟に乗っている人のなかに、ある人は京で生まれた女児が、任国の土佐で急死してしまったので、最近の帰京の出発準備を目にしても、暗く沈んで一言も口を利かない。【本文】京へかへるに、をんなごのなきのみぞかなしびこふる。あるひとびともえたへず。【訳】帰京するというのに、ただひたすら女児が死んだことだけを悲しみ恋しがる。いっしょに船中にいる人々も、悲しみにたえない。【本文】このあひだに、あるひとのかきていだせるうた。 みやこへとおもふをもののかなしきはかへらぬひとのあればなりけり【訳】こうしてみんな悲しみに沈み込んでいるときに、ある人が書いてさしだした歌 いよいよ帰京するんだと思うのに心が悲しいのは一緒に帰らない者がいるからなんだなあ。【本文】またあるときには、 あるものとわすれつつなほなきひとをいづらととふぞかなしかりけるといひけるあひだに、かこのさきといふところに、かみのはらから、また、ことひと、これかれ、さけなにともておひきて、いそにおりゐてわかれがたきことをいふ。【注】●あるものとわすれつつ 従来の諸説は、たとえば「まだ生きているものと、死んでしまったことをつい忘れ忘れして」(新編日本古典文学全集、小学館)のように「ある」の主語を死んだ女児としているが、違和感を禁じえない。日本語の普通の感覚では「死んでしまったことを忘れる」のであれば、「失せしをば忘れつつ」とか「死にしをば忘れつつ」とか表現しそうなものであるし、「まだ生きているものだと考える」であれば「あるものと思ひつつ」とでも表現しそうである。これといって革新的な説があるわけではないが、幽明境を異にす、ということがあるから、「自分はこの世にいるのだ(死んだ子はあの世におり、もはや同じ世界にはいない)ということを忘れて」と解した。【訳】また、あるときには、 自分が生きているということを忘れては依然として死んだ人を「どこにいるの?」と周囲の者に問いかけるようすが悲しい。などと詠んだりしているうちに、鹿児の崎という所に着いた。そこに、国守の兄弟、また、その他の人、この人もあの人も、酒だとか何だとかを持って追いかけて来て、馬から磯に下りて腰を下ろし、別れのつらいことを述べた。【本文】かみのたちのひとびとのなかに、このきたるひとびとぞ、こころあるやうにはいはれ、ほのめく。かく、わかれがたくいひて、かのひとびとのくちあみももろもちにて、このうみべにてになひいだせるうた をしとおもふひとやとまるとあしかものうちむれてこそわれはきにけれといひてありければ、いといたくめでて、ゆくひとのよめりける。【注】●かみのたち 国守の官舎。●こころあり 人情や物事の道理をわきまえている。●くちあみももろもち みんなで一つの和歌を合作して口にしたことを、漁師が共同で網を持つことにたとえる。『例解古語辞典』(三省堂)に「ふだん和歌など作らない人たちが力を合わせてやっと作り上げたことを、『諸持ちにて荷ひ出だせる』と表現したもの。そういう和歌なので、聞きかじりで作られている。『惜し』に『鴛鴦』を重ね、その縁で、『葦鴨』のように連れ立って、としているが、どちらも淡水の鳥なので海岸での作としては、ちぐはぐな感じであり、自然に滑稽さが出ている。ただし、無理をしてでも惜別の和歌を贈ろうとした素朴な人たちの誠意は、よく表れている」とある。●あしかもの 「あしがも」は、水鳥の一種。カモ。古典の文章では濁音符号をつけないほうが普通であるので、ここのところ、従来の説には無いが、あるいは「あじかもの」(簣に入れた物)という意をも持たせてあるのかもしれない。すなわち、「酒の入った徳利やら何やら」をアジカに容れて、「荷なひ」(背負って)、大勢で押しかけてという意味が掛けてあるのかもしれない。後世の作品ではあるが、『太平記』巻四《備後三郎高徳事》に「身をやつし、形を替へ、簣(あじか)に魚を入れて、自らこれを荷なひ」という記述が見える。【訳】国守の官舎の人々のなかで、この別れを言いにやって来た人々が、誠意があり情趣を解する者だと言われて、まんざらでもないようすだった。 このように、別れるのが辛いという気持ちを述べて、その人々が、漁師がみんなで網を持ち上げるように口を揃えて、この海辺で詠んで担ぎ出した歌 京へ帰すのがおしいと思う人が、ひょっとしてとどまってくださるかと思って、アシガモのように大勢で群をなして我々はついつい別れを惜しみにやってきてしまったなあと詠んだところ、非常に絶賛して、旅ゆく人が返しに詠んだ歌。【本文】 さをさせどそこひもしらぬわたつみのふかきこころをきみにみるかなといふあひだに、かぢとり、もののあはれもしらで、おのれしさけをくらひつれば、はやくいなんとて、「しほみちぬ。かぜもふきぬべし」とさわげば、ふねにのりなんとす。【注】●そこひ 奥底。●わたつみ 大海。●かぢとり 舟の運航をつかさどる船長。船頭。【訳】〔その歌に対する返歌〕棹をさすけれども底がどれくらいかもわからない海のように深い心を、こうして遠くから駆けつけて別れを言いにきてくれたあなたがたに見ることだと詠んだりしているうちに、船頭が惜別の情も和歌の趣きも理解しないで、自分だけ酒をすっかり呑みおえてしまったので、さっさと出かけようとして、「完全に潮が満ちた。風もちょうどうまい具合に吹き出すだろう」と口うるさくああだこうだと言うので、船に乗ろうとする。【本文】このをりに、あるひとびと、をりふしにつけつつ、からうたども、ときににつかはしきいふ。また、あるひと、にしぐになれど、かひうたなどいふ。かくうたふに、ふなやかたの「ちりもちり、そらゆくくももただよひぬ」とぞいふなる。【注】●からうた 漢詩。●ちりもちり むかし、中国の魯の音楽の名人虞公が歌うと、梁のうえの塵までその歌に合わせて舞ったという『劉向別録』に見える故事。●そらゆくくももただよひぬ 音楽の名人秦青が節を撫して悲歌すると林の木々も振るえ、空飛ぶ雲も聴き惚れて足をとめたという『列子』《湯問》に見える故事。【訳】この時に、その場にいる見送りの人々が、季節に合わせて、数々の漢詩で、別れの場にぴったりするものを口ずさんだ。また、ある人は、ここは西国なのだけれども、東国の甲斐の民謡などを歌う。このように歌うので、さながら船の屋根に積もった「塵も感動して舞い散り、空を飛び行く雲も聞き惚れて思わず立ち止まってしまう」と、中国の故事にあるような調子である。【本文】こよひ、うらどにとまる。ふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、ことひとびと、おひきたり。【訳】今夜は、浦戸に停泊する。藤原のときざね、橘のすゑひら、その他の人々が、ここまで追いかけて来た。
March 28, 2009
閲覧総数 2185
48

【本文】故中務の宮の、北の方うせたまひての後、ちひさき君たちをひきぐして、三条右大臣殿にすみたまひけり。【注】・故中務の宮=醍醐天皇の皇子、代明親王。中務卿を務めた。(生年不祥……937年)中務卿は、天皇の侍従として、詔勅の文案作成・国史の監修・女官の選考をはじめ、宮中の事務や皇居の警護などを掌った中務省の長官。・三条右大臣殿=藤原定方邸。【訳】故中務の宮が、奥様がお亡くなりになって後、小さいお子様たちをひき連れて、奥様の実家の三条右大臣殿のお屋敷にお住まいになったとさ。【本文】御いみなどすぐしては、つゐにひとりは過し給まじかりければ、かの北の方の御おとうと九君を、やがてえたまはむとなんおぼしけるを、「なにかは、さも」と親はらからもおぼしたりけるに、【訳】服喪期間などを過ごしたあとは、結局男親ひとりではお過ごしなされそうもなかったので、例の奥方の妹にあたる第九女を、すぐに妻となさろうとお考えになったのを、「どうして差し支えがありましょう、それもよろしいでしょう」と親兄弟もお思いになっていたが、【本文】いかがありけん、左兵衛の督の君、侍従に物したまひけるころ、その御文もて來となむきき給ける。【注】・左兵衛の督の君=藤原師尹(もろまさ・もろただ)。忠平の子。侍従・左兵衛佐・右中弁・参議などを務め、正二位、左大臣に至った。(920……969年)【訳】どうなさったのだろうか、左兵衛の督の君藤原師尹さまが、侍従でいらっしゃったころ、その御手紙を第九女のもとに持って来たりしているとお聞きになったとさ。【本文】さて心づきなしとやおぼしけむ、もとの宮になむわたりたまひにける。その時に宮すむ所の御もとより、なき人の巣守にだにもなるべきをいまはとかへる今日の悲しさ【注】・宮すむ所=藤原定方のむすめ、仁善子。三条御息所。【訳】ところで、気に入らないとお考えになったのだろうか、もとのご自宅にお帰りになってしまったとさ。その時に、三条御息所の所から、せめて亡き人の残していったヒナの面倒だけでもみるつもりでおりましたのに、いまはここにはもう住めないと、羽が抜け替わる鷹のように、あなたが自宅へ帰る今日の悲しさといったらありません。【本文】宮の御かへし、すもりにとおもふ心はとどむれどかひあるべくもなしとこそきけとなむありける。【訳】中務の宮の御返事に、小さい子供たちが取り残された巣を守っていただきたいと思う心は残りますが、第九女には、ほかに好きなお方がいらっしゃるようですし、お願いしても甲斐がありそうもないと聞いたからです。と歌を作ったとさ。
January 31, 2011
閲覧総数 2154
49

第百十三段【本文】 むかし、男、やもめにてゐて、 長からぬ 命のほどに 忘るるは いかに短かき 心なるらむ【注】〇やもめ=独身。古くは夫のいない妻を「やもめ」、妻のいない男を「やもを」と言ったが、のちには〇命のほど=この世に命があるあいだ。一生。〇いかに=どんなに。〇らむ=~だろう。推量の助動詞。〇短かし=『角川必携古語辞典』に「考えが足りない。」として、この段を用例に引くが、むしろ「心変りしやすい。飽きっぽい。」の意であろう。『源氏物語』《末摘花》「さりともと短き心はえ使はぬものを」。【訳】むかし、男が、ひとり身でいて、作った歌。長くはない一生のうちに契りを結んだ私を忘れるのは、いったいどれほど移りやすい心なのだろう、あなたの心は。
April 23, 2017
閲覧総数 990
50

家園瓜熟是故蕭相公所遺瓜種悽然感舊因賦此詩 劉長卿事去人亡跡自留、黄花緑蒂不勝愁。誰能更向青門外、秋草茫茫覓故侯。【韻字】留・愁・侯(平声、尤韻)。【訓読文】家園の瓜熟せり。是れ故蕭相公の遺(のこ)したまひし所の瓜の種にして、悽然として旧に感じ因つて此詩を賦す。事去り人亡くして跡自ら留まる、黄花緑蒂愁に勝(た)へず。誰か能く更に青門の外に向かつて、秋草茫茫として故侯を覓めん。【注】○蕭相公 未詳。「相公」は、宰相。○悽然 悲しい様子。又、物寂しい様子。○賦詩 詩を作る。○不勝愁 悲しみにたえられない。○向 場所を示す助字。……において。○青門 漢の召平は、もと秦の東陵侯であったが、秦の滅亡後、長安城東の青門に瓜を植えた。その味は甘美だったという。○茫茫 果てなく広がるさま。○覓 探しもとめる。○故侯 秦の東陵侯召平。暗に蕭相公を指す。【訳】家の菜園の瓜が熟した。この瓜は漢の蕭何さまが残された種で、しんみりと昔を想い作った詩。漢の時代もすでに去り、蕭何さますらもはやない、黄色い花に青いへた、見るたび昔しのばるる。いったい誰が東門のはずれの畑の草のなか、宰相さまをもとめよう。
January 9, 2007
閲覧総数 115