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【本文】としこが、しが寺にまうでたりけるに、ぞうき君といふ法師ありけり。【注】・としこ=肥前の守藤原千兼の妻。第三話に既出。・しが寺=志賀寺。かつて大津市にあった崇福寺。天智天皇の勅願によって建立された。・ぞうき君=増喜。未詳。【訳】俊子が、志賀寺に参拝したときに、増喜ぎみという僧がいたとさ。【本文】それは比叡に住む、院の殿上もする法師になむありける。【注】・院の殿上もする=宇多院の御所(亭子院)の昇殿を許可されていた。【訳】その法師は、比叡山に住む、宇多院の御所に昇殿もする僧だったとさ。【本文】それ、このとしこのまうでたる日、志賀にまうであひにけり。【訳】その僧が、この俊子が参拝した日に、志賀寺に参拝して出くわしたとさ。【本文】はしどのに局をしてゐて、よろづの事をいひかはしけり。【注】・はしどの=谷や崖などの上に、橋のように架け渡して作った建物。・局=建物の内部を屏風や几帳などで仕切った部屋。【訳】山から谷に橋のように建て渡した建物に、部屋を設けていて、さまざまな事を語り合ったとさ。【本文】としこ帰りなむとしけり。それに、ぞうきのもとより、あひみては 別るることの なかりせば かつがつ物は 思はざらまし【注】・かつがつ=まずまず。ぽつぽつ。まあまあ。・あひみる=対面する。また、男女が情を交わす。【訳】俊子が京に帰ってしまおうとしたとさ。その俊子に、増喜のところから、作ってよこした歌、お逢いしたあとでは、もし別れることが無かったならば、まあまあ、物思いに沈むことは、なかっただろうに。【本文】かへし、としこ、いかなれば かつがつ物を 思ふらむ 名残もなくぞ 我は悲しきとなむありける。ことばもいと多くなむありける。【注】・名残も無く=すっかり。【訳】それに対する返歌として、俊子が、どういうわけで、あなたは、時折物思いに沈む程度なのでしょう、私のほうは、すっかり悲しく思っておりますのに。と作った歌を送ったとさ。手紙にはこの歌以外にも、言葉も多く書き連ねてあったとさ。
March 23, 2011
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【本文】さねたうの小弐といひける人のむすめの男、ふえたけの ひと夜も君と 寝ぬときは 千種の声に 音こそなかるれといへりければ、女、ちぢの音は ことばのふきか 笛竹の こちくの声も 聞え来なくに【注】・さねたうの小弐=未詳。「小弐」は、大宰府の三等官。・男=夫。恋人である男。・ふえたけのひと夜も君と寝ぬときは千種の声に音こそなかるれ=「笛竹」に対して「よ(節)」「声」「音(ね)」は縁語。「夜」と「よ(節)」は掛詞。「ひと夜」に対して「千種」は縁語。・千種=さまざま。いろいろ。・ちぢの音はことばのふきか笛竹のこちくの声も聞え来なくに=「ふき(吹き)」に対して「笛竹」は縁語。「こちく」は、胡竹。笛の素材にする中国渡来の竹。「こちく」(こっちへやってくる)意の掛詞。【訳】さねたうの小弐といった人のむすめの恋人の男が作った歌、笛を作る竹のひとふしのように、ひと夜も貴女と寝ないときは、笛でさまざまな音色を発するように、さまざまな嘆きの声をもらして泣けてくるなあ。といってやったところ、女の返歌、千々の音を発するというのは、ことばのうえだけでホラを吹いているのですか。笛竹のこちくの音がきこえてきてもよさそうなのに、「こちく(胡竹)」「此方来(私のいるこっちへやってくる)」という声も聞こえてこなかったのに。
March 20, 2011
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【本文】太政大臣、大臣になり給てとしごろおはするに、枇杷の大臣は、えなり給はでありわたりけるを、つひに大臣になりたまひにけるおほむよろこびに、太政大臣、梅を折りてかざし給て、をそくとく つゐに咲きける 梅の花 たが植へ置きし 種にかあるらんとありけり。【注】・太政大臣=藤原忠平。・枇杷の大臣=藤原仲平。忠平の弟。・かざす=(ここでは手紙の)飾りにする。・種=植物のたね。人の子孫。【訳】太政大臣、藤原忠平様が、大臣におなりになってから、もう何年にもおなりになるのに、枇杷の大臣、藤原仲平様は、大臣になることがおできにならずにずっと過ごしていらっしゃったが、とうとう大臣におなりになったお祝いに、太政大臣が、梅を折りて飾りになさってそれに結びつけてお送りになった歌、遅かったのと、速かったのと、いずれにしても、結果的には咲いた梅の花、いったい誰が植えて置いた種なのだろうか(二人とも、ほかならぬ父上基経さまの子だ)と書いてあったとさ。【本文】その日のことどもを歌などかきて斎宮にたてまつり給とて、三条の右の大殿の女御、やがてこれにかきつけたまひける、いかでかく としぎりもせぬ 種もがな あれゆく庭の かげとたのまむとありけり。その御返し、斎宮よりありけり。わすれにけり。【注】・斎宮=宇多天皇の皇女、柔子内親王。・三条の右の大殿の女御=藤原定方(三条右大臣)のむすめ仁善子。・としぎり=果樹が実を結ばない年があること。【訳】その日の出来事などを、手紙に歌など書いて斎宮に差し上げなさるというので、三条の右の大殿の女御、仁善子様が、そのままこれに書きつけなさった歌、なんとかして、こんなふうに、年によって実を結ばないようなことが無い種があればいいのになあ、そうすれば、荒れていく庭の恵みと当てにしようものを。と書いてあったとさ。その返歌が、斎宮様から、あったとさ。けれどもその歌は忘れてしまったとさ。【本文】かくてねがひ給けるかひありて、左のおとど中納言わたり住みたまひければ、種みなひろごり給て、かげおほくなりにけり。さりけるに斎宮より、はなざかり 春はみにこむ 年切も せずといふ種は おひぬとか聞く【注】・左のおとど=藤原実頼。忠平の子。中納言在任は(九三四……九三九年)。醍醐天皇の没後、その女御、仁善子と結婚した。【訳】こうして、願をおかけになった、その甲斐あって、左大臣になられた中納言藤原実頼様も、仁善子様とお屋敷に来てお暮らしになったので、基経様のご一門は、みな、まいた種から芽が出て葉が広がるように立派に成長なさって、繁栄なさったとさ。そんなふうだったので、斎宮様から送ってきた歌、花が盛りを迎える春が、私どもの身に、やって来るだろう、実を結ばない年がないという種は芽生えたとか聞きましたから。
March 18, 2011
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【本文】同じ女に、陸奧国の守にて死にし藤原のさねきがよみておこせたりける。病いと重くしてをこたりける頃なり。「いかで対面たまはらむ」とて、からくして 惜しみとめたる 命もて あふことをさへ やまむとやするといへりければ、【注】・同じ女=第百十八話の「閑院のおほい君」。源宗于のむすめ。・藤原のさねき=従四位上、陸奥の守をつとめた藤原真興のことかという。・おこたる=病気がよくなる。・からくして=やっとの思いで。ようやく。【訳】同じ女に、陸奧国の守で死んだ藤原真興が、作って送ってよこした歌。ちょうど病気が非常に重かったのが、すこしよくなった頃だ。「なんとか対面していただきたい」というので、やっとのことで、惜しんでこの世にとどめた命のせいで、あなたは対面することをさへ、やめようとなさるのだろうかといってやったところ、【本文】おほい君かへし、もろともに いざとはいはで しでの山 などかはひとり 越えむとはせしといひたりけり。【注】・しでの山=冥土すなわち死後の世界にあるという険しい山。『宇津保物語』《国譲・上》「見し世にぞかくも言はまし嘆きなく死出の山路をいかで越ゆらむ」。【訳】大君の返歌、いっしょに、さあ、まいりましょう、とは言わずに、死出の山路を、どうしてあなたは一人で越えようとなさったのですかといってきたとさ。【本文】さて、きたりける夜も、えあふまじきことやありけむ、えあはざりければ帰りにけり。さて、朝に男のもとよりいひをこせたりける、あか月は なくゆふつけの わび声に おとらぬ音をぞ なきてかへりし【注】・ゆふつけ=にわとり。・音(ね)をなく=声をあげて泣く。【訳】そうして、会いにやってきた夜も、会うわけにいかない事情があったのだろうか、会うことができずに帰ったとさ。そして、翌朝に、男の所からいってよこした歌、泊めていただくことができなかったため、一緒に暁を迎える別れも無かったわけですが、暁に鳴く一番鶏の声に劣らぬような大きい声をあげて、泣いて帰ったことですよ。【本文】おほいきみ、かへし、あか月の ねざめの耳に 聞きしかど とりよりほかの 声はせざりき【訳】大君の返歌暁の、目が覚めていた耳で、たしかに聞きましたが、鶏の声以外は、声はしなかったわよ。
March 17, 2011
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【本文】閑院のおほい君むかしより おもふ心は ありそ海の 浜のまさごは 数もしられず【注】・閑院のおほい君=源宗于のむすめ。第四十六話の「閑院の御」。・ありそ海=岩の多い海辺。『古今和歌集』仮名序「わが恋はよむとも尽きじありそ海の浜の真砂はよみ尽くすとも」。『古今和歌集』巻十五「ありそ海の浜のまさごと頼めしは忘るることの数にぞありける」。【訳】閑院のおほい君が作った歌、むかしから、貴方を思う恋心はありますが、ありそ海の浜の砂粒は数もわからないのとおなじで、私のこの思いも冷たい貴方にはわかりません。
March 8, 2011
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【本文】桂のみこ、嘉種に、つゆしげみ 草のたもとを 枕にて 君まつむしの 音をのみぞなく【注】・桂のみこ=宇多天皇の皇女、孚子内親王。第二十話に見える。・嘉種=源嘉種。官は従五位下、美作の守に至った。桂のみことの話は第七十六話にも見える。【訳】桂のみこが、源嘉種に作って贈った歌、夜露が多いので、その夜露の置いた草のたもとで、松虫が鳴くように、自分の着物のたもとを枕として伏しながら、あなたの来るのを待ちかねて声をあげて泣く私ですよ。
March 7, 2011
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【本文】公平(きむひら)がむすめ死ぬとて、ながけくも たのめけるかな 世中を 袖に涙の かかる身をもて【注】・公平がむすめ=「きむひら」は「きむひこ」の誤写で、従五位上、大膳の大夫をつとめた橘公彦のことかという。百十話に見える。・ながけく=形容詞「ながけし」の連用形。長い。・たのめ=下二段の「たのむ」の連用形。あてにさせる。【訳】公平の娘が、もう死ぬときが近いというので、作った歌、こんなに長くも、あの人は私に、あてにさせたことだなあ、はかない男女の仲を。袖に涙がかかってばかりの、こんな男運の悪い我が身に。岩波日本古典文学大系では「こうして泣き泣き死んでゆくはかない人の身でありながら、思えば人生を長いものと頼みにしてきたことだった」とするが、この話の前後、第百十五・百十七話の和歌が、別人の話ではあるが、いずれも恋を詠んだ歌なので、うえのように恋についての歌として訳した。
March 7, 2011
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【本文】右の大臣、頭におはしける時に、小弐のめのとのもとによみてたてまつりける、秋の夜を まてとたのめし ことのはに 今もかかれる 露のはかなさとなん、あきもこず露もをかねどことのははわがためにこそ色かはりけれ【注】・右大臣=藤原師輔。藤原忠平の子で、正二位、右大臣に至った。(908……960年)・頭=藤原師輔は、(931……935年)にかけて蔵人頭をつとめた。・小弐のめのと=詳しい伝記は不明。一名、しげのの内侍。『後撰集』に「ふきいづるねどころ高く聞ゆなり初秋風はいざ手馴らさじ」という歌を収める。【訳】右大臣が、まだ頭でいらっしゃった時分に、小弐のめのとと呼ばれた女房に、作って差しあげた歌、秋の夜がくるのを待ちなさい、そうしたら逢いましょうと、私に当てにさせたお言葉という葉っぱに、今もかかっている露のように今も期待を置いている私は、もうすぐ秋が終わって約束が破られそうなはかない思いでいますよ。と書いてあったとさ。それに対する小弐のめのとの返歌、まだ秋も来ていないように、貴方に飽きを感じているわけでもなく、露も置いてはいませんように、あなたとお逢いしていませんが、お約束した言葉という葉っぱは、木の葉の色も時が経てば変わるようにったるのですね私にとってすっかり変わってしまいました。
March 5, 2011
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【本文】桂のみこ、七夕のころしのびて人にあひたまへりけり。さてやり給へりける、袖をしも かさざりしかど たなばたの あかぬ別れに ひちにけるかなとありけり。【注】・桂のみこ=宇多天皇の皇女、孚子内親王。(生年不祥……958年没)。第二十話にも見える。・あかぬ別れ=なごり尽きない別れ。『詞花和歌集』「たなばたの待ちつるほどの苦しさと飽かぬ別れといづれまされる」。【訳】桂のみこ、孚子内親王さまが、七夕の頃に、こっそりと人目をしのんで、ある人と契りを結ばれたとさ。そうして、相手にお贈りになった歌、わたくしの袖こそ、織女に貸しませんでしたが、あなたとお逢いした七夕の、名残おしい別れに、涙でびっしょり濡れてしまいましたよ。と書いてあったとさ。
March 1, 2011
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