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【本文】今は昔、二人して一人の女をよばひけり。【訳】それは昔のことですが、二人で一人の女性に対して言い寄っていたとさ。【注】「~して」=「~で」。動作の共同者を表す。「よばふ」=言い寄る。求婚する。【本文】先立ちてよばひける男、つかさまさりて、其の時の帝近うつかうまつりけり。【訳】先に言い寄っていた男が、官位も勝り、その当時の天皇のおそば近くにお仕えしていたとさ。【注】「つかさ」=官職。また、役目。「つかうまつる」=お仕え申し上げる。御奉公申し上げる。「つかふ」の謙譲語。【本文】後よりよばひける今一人の男は、その同じ帝の母后の御兄末(あなすゑ)にて、つかさおくれたりけり。【訳】あとから言い寄ったもう一人の男は、その同じ天皇のご生母の子孫で、官位は劣っていた。【注】「兄末」=末裔。子孫。「おくる」=劣る。【本文】それを女いかが思ひけん、後よりよばひける男に、かの女はあひにけり。【訳】それなのに、女はどう思ったのだろうか、あとから言い寄った男に、例の女は結婚してしまった。【注】「あふ」=男女が知り合う。結婚する。【本文】さりければ、この初めよりいひける男は、宿世(すくせ)のふかく有りけるとおもひけり。【訳】そういう事情だったので、この最初から女に言い寄っていた男は、女と自分の恋敵の男とは前世からの因縁が深かったのだろうと思ったとさ。【注】「さりければ」=そうであったから。「さありければ」の約。一語の接続詞のように使う。「宿世」=前世からの因縁。「夫婦は二世の契り」という。【本文】かくて、よろづによろしからずたいだいしき事を、物の折ごとに、帝のなめしと思し召しぬべき事を、つくりいでつつ聞こえないける間に、この男は宮仕へいと苦しうして、ただ逍遥をして、歩きを好みければ、衛府の官にて、宮仕へをもせずといふ事出できて、其のありける官をぞとり給ひてける。【訳】こんなふうにして、さまざまに好ましくない不都合な事を、折に触れて、帝が無礼だとお思いになるはずの事を、でっちあげてはお耳にいれたので、この後から女に求婚した男は、宮中に出仕するのがとてもつらくて、ただひたすらぶらぶら散策ばかりして、出歩くのを好んだので、衛府の役人でありながら、役所に出仕しないという事態が生じて、その所有していた官位を剥奪なさってしまった。【注】「かくて」=このようにして。こんなふうで。こうして。「たいだいし」=不都合だ。とんでもない。もってのほかだ。「なめし」=無礼だ。無作法だ。失礼だ。ぶしつけだ。「思し召す」=お思いになる。お考えになる。「思ふ」の尊敬語。「つくりいづ」=作り出す。「聞こえないける」=「聞こえなしける」のイ音便。「なす」は、動詞の連用形について「そのように~する」「意識して~する」「特に~する」「ことさら~する」意。「この男」=話の流れからすると、「後よりよばひける今一人の男」。「宮仕へ」=宮中に仕えること。「逍遥」=気の向くままに出かけてあちらこちら遊びまわること。「歩き」=出歩くこと。「衛府」=宮中の警備を担当する役所。中古初期以降は、左右の近衛府、兵衛府、衛門府の六衛府となった。【本文】さりければ、男、世の中を憂しと思ひてぞこもりゐて思ひける。【訳】そんなふうだったから、男は、この世の中をつらいものだと思って家に閉じこもって悩んでいた。【注】「さりければ」=そうであったから。「さありければ」の約。一語の接続詞のように使う。「憂し」=つらい。心苦しい。いやだ。『万葉集』八九三番・山上憶良「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」。【本文】人の命といふもの、幾世しもあるべき物にもあらず。【訳】人間の寿命というものは、いつまでも存在できるものでもない。【注】「幾世」=何代。【本文】思ふ時は、はかなき官(つかさ)も何にかはあるべき。【訳】心に思い悩むことがある時には、取るに足らぬ官位も何になろうか、いや、何の役にも立たない。【注】「はかなし」=つまらない。大して価値がない。むなしい。なんにもならない。「官」=官職。役目。【本文】かかるうき世にはまじらず、ひたぶるに山深くはなれて、行ひにや就きなんと思ひければ、近くをだにはなたず父母のかなしくする人なりければ、よろづの憂きもつらきも、これにぞ障りける。【訳】このようなつらい俗世間とは付き合わず、いちずに山奥に世間から離れて暮らし、仏道修行に専念しようかと思ったので、そば近くからさえも離さないように父母が大事にしている人だったので、さまざまな心配事もつらいことも、出家の志の支障となった。【注】「かかる」=このような。こんな。「うき世」=無常でつらい現世。つらいことの多いこの世。「ひたぶるに」=いちずに。「行ひ」=仏道修行。勤行。『方丈記』「世をのがれて、山林にまじはるは心を治めて道を行はんとなり」。【本文】時しも秋にしも有りければ、物のいと哀れにおぼえて、夕ぐれにかかる独り言をぞいひたりける。うき世には 門させりとも 見えなくに など我が宿の いでかてにするといひて、ひがみをりける間に、なまいどみて時々物などいひける人のもとより、蔦の紅葉の面白きを折りて、やがて其の葉に、「これをなにとかみる」とてかきをこせける。【訳】ちょうどそのとき、季節は秋だったので、なにかととてもさびしく感じられて、夕ぐれにこのような独り言を言った、その歌。この俗世間には門を閉ざしてあるというふうにも見えないのに、どうしてなかなか我が家を出られないのか。と歌を作って、鬱屈しているうちに、中途半端に恋をしかけて時々情を通わせていた相手のところから、蔦の紅葉で美しいものを折り添えて、すぐにその葉に、「これを何だとおもいますか」と書いて寄越した。【注】「さす」=閉ざす。「いでかてに」=出られないで。出られずに。「ひがむ」=心がねじける。ゆがむ。かたよる。「なま」=用言の上について「なんとなく~」「すこし~」「どことなく~」「いくらか~」「なまじ~」などの意を表す。「いどむ」=恋をしかける。「物いふ」=恋愛関係にある。男女が情を通わせる。【本文】うきたつた の山の露の 紅葉ばは ものおもふ秋の 袖にぞありけると言ひやりけれど、返しもせず成りにければ、かくとしもなし。【訳】つらい噂ばかりがたつ竜田川のもみじ葉は、悩みの多い私が流す血の涙に染まる私の袖の色そのものなのだなあと言い送ったけれども、返歌もせずじまいになってしまったので、このような意図で送ってきたともわからない。【注】「うきたつたの山の露の紅葉ばはものおもふ秋の 袖にぞありける」=このままでは歌意通じがたい。『平中物語』には「うきなのみたつたのかはのもみぢばはものおもふ秋の袖にぞありける」とある。それならば、つらい噂ばかりがたつ竜田川のもみじ葉は、悩みの多い私が流す血の涙に染まる私の袖の色そのものなのだなあ、の意。 「うきたつ」=そわそわする。うきうきする。「ものおもふ」=いろいろと思い悩む。物思いにふける。思い憂える。「返し」=返歌。返事として作る歌。「和歌(主として短歌)の贈答は上代(~奈良時代)から行われ、特に、中古(平安時代)の貴族社会では、男女の求愛を中心とする社交の手段として非常に盛んだった。歌を詠み掛けられれば、即座に歌で答え、歌で手紙がくれば、歌で返事をしなければならなかった」(佐藤定義遍『詳解古語辞典』明治書院)。【本文】かかる事どもを聞きあはれがりて、此の男の友だちども、集まりてきて慰めければ、酒飲ませなどして、いささか遊びのけぢかきをぞしける。【訳】こんなことを聞いて、気の毒がって、この男の友達が、集まってきて慰めたので、男はお礼に酒を飲ませなどして、ちょっぴり音楽の遊びで身近なものをしたとさ。【注】「いささか」=ちょっとだけ。ほんのすこし。「遊び」=酒宴を開き、歌舞音曲を演ずる。「けぢかし」=親しみやすい。【本文】夜になりければ、この男かかる歌をぞよみたりける。身をうみの おもひなきさは こよひ哉 うらにたつ波 うち忘れつつとぞよみたりける。【訳】夜になったところ、この男がこんな歌を作ったとさ。わが身がいやになる憂鬱さが無いのは今夜だなあ、心に立つ動揺を忘れて。【注】「身をうみの おもひなきさは こよひ哉 うらにたつ波 うち忘れつつ」の「うみ」に「憂み」、「なきさ」に「無き」と「渚」、「うら」に「心(うら)」「浦」を掛ける掛詞。「海」に対して「なぎさ」「うら」「立つ波」は縁語。【本文】かかりければ、これをあはれがりてぞ、あはれに明かしける。これも返しなし。【訳】こんなふうに慰安会を男が素直に感動したので、友人たちも酒宴を開いた甲斐があったと喜んで、しみじみと楽しんで夜を明かしたとさ。しかし、この男が作った歌を女の元へ届けさせたが、これにも返歌を寄越さなかった。【注】「あはれがる」=感心する。おもしろがる。【本文】さて又の夜の月をかしかりければ、簀の子にゐて、大空をながめてゐたりける程に、夜のふけゆけば、風いと涼しううち吹きつつ、苦しきまでおぼえければ、物のゆゑしる友達のもとに、「これのみぞかねて月みるらん」とて、かかる歌をよみて遣はしける、なげきつつ 空なる月と ながむれば 涙ぞあまの 川とながるる【訳】そうして、次の夜の月が風流だったので、簀の子にすわって、大空を眺めているうちに、夜が更けていき、風が非常に涼しく吹いて、苦痛なほどに感じられたので、情趣を解する友人のところに、「この人たちだけは、先刻から月を見ているだろう」と思って、このような歌を作って贈ったその歌、己の運命を嘆きながら空にある月眺めていると涙が天の川のように滔々とながれることだ。【注】「物のゆゑしる」=風情を解する。情趣を解する。【本文】さりけるほどに、いと深からぬ事なりければ、元の官(つかさ)になりにけり。此の友だちどもは、躬恒・友則がほどなりけり。【訳】そうしているうちに、あまり深刻な事態でもなかったので、元のお役目に復帰したとさ。この友達というのは、凡河内躬恒と紀友則などといった連中だったとさ。【注】「元の官」=六衛府の官人。「躬恒」=平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。宇多法皇・醍醐天皇に仕え、紀貫之らと『古今集』の撰者となり、また、宮廷歌人として活躍した。「友則」=紀友則。平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。紀貫之のいとこにあたる。みやびやかで感情のこもった作風の和歌で知られる。『古今和歌集の撰者の一人。【本文】同じ男、知れる人のもとに常に通ふに、いとにくさげなる女のあるを、女は大人になれば、こよなくなだらかになるなれど、此の女を憂しと笑ひけれど、見るたびにやうやうよくなりもてゆく。ことのほかに生ひ勝りしてみえければ、ぬま水に 君はあらねど かかる藻の みるまみるまに おひまさりけり【訳】同じ男が、知人のところにふだん通っていたが、非常に醜い女がいたのを、女は成人になると、格段に性格が温和になるということだが、この女はいやだと嘲笑していたが、見るたびにしだいに見栄えよくなってゆく。意外に成長するにつれて立派になるように見えたので、作った歌、あなたは、濁って底が見えない沼の水というわけではないが、生えている藻がみるたびに繁茂するように、会うたびに立派になっていきますね。【注】「にくさげなり」=いかにも醜い。「大人」=成人。「こよなく」=格段に。「なだらかなり」=温和。気持ちが穏やかだ。「~もてゆく」=「しだいに~してゆく」。「おひまさる」=成長するにつれて立派になる。「みるまみるま」=「見る間」と海藻の「海松布(みるめ)」を言い掛けた。【本文】女、このかへし、かかるもの みるまみるまぞ うとまるる 心あさまの 沼におふればとかへしたりける。【訳】女が作った、この歌に対する返歌、このように私のように醜い者は、見る見るうちに、嫌われる、あなたのように人を愛する心の浅い沼のなかに生えたばっかりに。【注】「もの」=「者」と「藻の」の掛詞。「みるまみるまに」=「見る間」の「みる」が海藻の「海松」との掛詞。【本文】此の男に、女のいへりける、いつはりを 糺の森の ゆふだすき かけてを誓へ 我を思はば【訳】この男に、女が詠んだ歌、いつわりを正すという糺の森のゆうだすきのように神にかけて誓いなさい、もしも本当に私を愛しているのなら。【注】「いつはりを糺の森のゆふだすき」=「かけて」を導く序詞。この歌は『新古今和歌集』≪恋≫一二二〇番にも見える。 「糺の森」=京都市左京区にある下鴨神社の森。賀茂川と高野川(たかのがわ)の合流点にある。「ゆふだすき」=「かく」にかかる枕詞。ゆう(木綿)で作ったたすき。白く清らかなもので、神事に奉仕する者が用いる。「かく」=「ゆふだすき」の縁語。神に誓いをかける。心を相手に寄せる。【本文】女の、思ふ男をして、たしかにいだすをみて、あらはなる 事あらがふな 桜花 春はかぎりと 散るを見えつつ【訳】女が、愛する男を、よその女が確かに家から送り出すのを見て作った歌、はっきりとバレていることに対し、いいわけなさいますな。桜の花が今年の春はもう終わりだと散って枝から離れていくる姿を見せているように、あなたの心も私から離れていくのは、わかっているから。【注】「あらはなり」=明白だ。たしかだ。「あらがふ」=反論する。言い訳する。【本文】返し、いろにいでて あだにみゆとも 桜花 風のふかずは 散らじとぞおもふ【訳】それに対する返歌、態度に出て、たとえ誠意がないと思えても、桜花は、もし風が吹かなければ、散らないだろうと思う。それと同じように、あなたの私に対する風当たりが強くなければ、あなたのそばを離れるつもりはありませんよ。【注】「いろにいづ」=態度に現れる。顔色に現れる。「あだなり」=浮ついている。誠意がない。『古今和歌集』≪春・上≫「あだなりと名にこそたてれ桜花」。【本文】西の京六条わたりに、築地所々崩れて草生ひしげりて、さすがに所々蔀あまたささげわたしたる所あり。【訳】蔀戸を西の京の六条あたりに、土塀がところどころ崩れて草が生い茂っていて、そうはいうものの所々蔀戸を掲げ連ねてある所がある。【注】「西の京」=平安京のうち、朱雀大路を境に東西に分けた、その西側の区域。この話は『平中物語』三十六と同じ。「六条」=平安京で東西に通る大路で、北から六番目のもの。「築地」=土をつき固めて土手のように作った塀。のちには、柱を立て、板を中にして泥で塗り固め、屋根を瓦で葺くようになった。「蔀」=寝殿造りで、光線や風雨を防ぐため、格子の片面に板を張った戸。上下二枚のうち、下一枚を固定し、上一枚を上げ下ろしする釣り蔀や半蔀と、室内にも用いる衝立の形の立て蔀とがある。【本文】簾のもとに女どもなどあまた見えければ、此の男なほも過ぎで、供(とも)なる童(わらは)して、「などかく荒れたるぞ」といひければ、「誰がかくは宣(のたま)ふぞ」といひければ、「大路(おほち)ゆく人」といひけるに、崩れより女どもあまた出て、かくいひかけたりける。【訳】すだれのそばに女性たちが多数見えたので、この男は依然として素通りしかねて、子供の召使を使って「どうしてこんなに荒れてしまっているのか」と質問させたところ、「どなたがこんなことをおっしゃるのか」と逆に質問してきたので、「大路を通りかかった者です」と言ったところ、土塀の崩れめから女性たちが多数出てきて、こんなふうに歌を詠み掛けてきた、【注】「あまた」=数多く。「供」=従者。主たる人のあとに付き従う者。「童」=元服前の子供の召使。また、頭髪を童形にした召使。「宣ふ」=「いふ」の尊敬語。おっしゃる。「大路」=大通り。町の中心になる道。【本文】人のあきに 庭さへあれて 道もなく 蓬しげれる 宿とやは見ぬといへりければ、童の口にいひいれて、たがあきに あひて荒れたる 宿ならん われだに庭の 草は生ふさじ【訳】愛する人が私に飽きて私の心がすさんだだけでなく、庭まで荒れて、道も無いほどに、蓬がしげっている家だとお思いになりませんか、きっとそのように見えるでしょう。と歌を作って寄越したので、子供の召使の口を通じて内にいる人に言葉をかけていったい誰の飽きにあって嫌われて荒れている庭なのだろう、私のような無精者でさえ庭の雑草は生えささないようにしているのに。 【注】「あき」=「飽き」(いやになること)と「秋」との掛詞。「蓬」=キク科の多年草。モチグサ。生長した葉はモグサに用いる。荒れ地に生えるところから、荒れ果てた場所の象徴。「宿」=家。すみか。また、庭先。屋敷の中庭。家の敷地。「童」=元服前の子供の召使。【本文】さて、ときどき通ひけれど、いかなる人のすかすならんと、つつましかりければ、人にもそこそことも言はで通ふほどに、みな人物へいにけり。【訳】そうして、ときどきこの屋敷へ通ってきたが、どのような方が自分をだまそうとするのだろうと、きまりが悪かったので、周囲の人にも、どこどこでこういう女性がいたとも言わずに通ううちに、その女性たちはみんなどこかへ行ってしまった。【注】「すかす」=だます。あざむく。「つつまし」=恥ずかしい。きまりが悪い。【本文】ただ独り有りて「もし、人とはば是をたてまつれ」とて、文書きて出しける、 わが宿は ならの都ぞ 男山 こゆばかりには あらばさて訪へと有りければ、此の男いたく口惜しがりて、其の家に置きたるものに、物などくれてとひけれど、ふつといはで、ただ「奈良へ」とぞいひける。尋ねん方なし。【訳】ただ単身ここにいて、「もしも、人が訪ねてきたら、これをお渡しせよ」といって、手紙を書いて出した。その手紙に私の引っ越し先の家は奈良の旧都です。男山を越えるような機会がありましたら、お訪ねください。と書いてあったので、旧宅にやってきた男は女が転居したのをひどく残念がって、その家に残してある使用人に、物などをやって「奈良の旧都のどのあたりか、詳しく教えよ」と質問したが、留守番の者はちっとも口を割らず、ただひたすら「奈良へ参られました」と言った。そういうわけで、それ以上尋ねようにも方法がなかった。【注】「たてまつれ」=お渡しせよ。差し上げよ。「男山」=山城の国綴喜郡八幡町(いまの京都府八幡市)にある標高百四十二メートルの山。山頂には石清水八幡宮(主祭神は応神天皇)がある。「ふつと」=(あとに打消しを伴って)全然。少しも。さっぱり。絶えて。【本文】さる程に思ひ忘れにけるに、此の男の親、初瀬に参りける供に有りて、「まこと、さる事ありきかし。ここやそならん、かしこやそならん」など思ふほどに、供なる男どもなどに語らひなどしけり。【訳】そうするうちに、忘れてしまったが、この男の親が、長谷寺に参拝するおともをして、「ああ、そういえばあんなことがあったなあ。ここがあの女の家だろうか。あそこが女の家だろうか。」などと思ううちに、おともをしている男たちに過去の思い出を話しなどした。【注】「さる程に」=そのうちに。「まこと」=ああ、そうそう。忘れていたことを思い出した時に用いる感動詞。「さることありきかし」=そういうことがあったよ。「き」は、過去の助動詞。「かし」は、終助詞。「初瀬」=奈良県桜井市初瀬の長谷寺。真言宗で天武天皇の御代の創建とも、聖武天皇の創建ともいわれる。平安時代、貴族でも特に女性の信仰が厚かった。本尊は観世音菩薩。「かしこ」=あそこ。【本文】さて、かの初瀬に詣でて、三条より帰りけるに、飛鳥本といふ所に、あひ知れる法師も俗もあまたいできて、「今日、日はしたになりぬ。奈良坂のあなたには、人の宿り給ふべき家もさぶらはず。此処に泊らせ給へ」といひて、門並べに家二つを一つに造りあはせたる、をかしげなるにぞとどめける。さりければ、とどまりにけり。【訳】それから、例の長谷寺に参詣を済ませて、奈良の三条大路を通って帰る際に、飛鳥本という所に、知り合いの法師や一般人も大勢現れて、「今日はもうご帰宅なさるには、時間も中途半端で途中で日が暮れてしまうでしょう。奈良坂からむこうには、お泊りになれる家もございません。ここにお泊りなさいませ。」と言って、隣同士の屋敷を一つにつなぎ合わせて建築してある、情緒ある屋敷にこの一行を泊めた。そういうわけで、男の一行は宿泊した。【注】「さて」=それから。「三条」=平城京の東西に通る大路で、北から三番目の通り。「飛鳥本」=奈良市元興寺町あたり。「俗」=俗人。出家していない世間一般の人。「あまた」=数多く。「いでく」=姿をあらわす。「日」=日の出ている時間。【本文】饗応など人々しければ、物など食ひて騒がしきほどしづまり、程なく夕暮にはなりてけり。【訳】御馳走のもてなしなど人々がしてくれたので、食事をして騒ぎも落ち着き、まもなく夕暮時になった。【注】「饗応」=酒食を用意し、もてなすこと。また、もてなしの酒盛り。ごちそうがたくさんある宴会。「ほどなし」=少ししか時がたたない。間もない。【本文】さりければ、戸のもとに佇み出てみるに、この南の家の北なる家にて、楢の木といふ物をぞ二木三木うゑたりける。「あやしく異木をもうゑで」などいひさしのぞきたりけるに、清げなる蔀どもあげわたして、女どもあまたをり。【訳】そんなふうだったので、戸口のところにたたずんで出て見てみると、この南に建つ家の北にある家で、ナラの木というものを、二、三本植えてあった。「不思議なことに、他の木を植えずに」などと言いかけて、のぞいたところ、こざっぱりとして美しい蔀戸を全部上げて、女たちが大勢いる。【注】「戸のもと」=家の出入り口周辺。「異木」=ほかの種類の木「清げなり」=こざっぱりとして美しい。「蔀」=寝殿造りで光線や風雨を防ぐため、格子の片面に板を張った戸。上下二枚のうち、下一枚を固定し、上一枚を上げ降ろしする、釣り蔀や半蔀と、室内にも用いる衝立の形の立て蔀とがある。【本文】「あやし」などをのがうちいひて、供なりける人をよびよせて、「此の人は此の南に宿れるか」と問ひけり。【訳】「不思議だ」などと、自身で何気なく言って、男の御供をしていた人を呼び寄せて、「あなたの主人はこの屋敷の南の屋敷に宿泊しているのか」と質問した。【注】「うちいふ」=何気なく言う。ちょっと口に出す。【本文】築地の崩れより見し人は、「いかに忘れざりけるにか、もし男などに具してきたるにや」など、くもでに思ひ乱るるほどに、 くやしくも ならぞとだにも 言ひてける たまほこにだに 来てもとはねばといひけり。【訳】築地の崩れ目から見た男は、「なんと、私のことを忘れなかったのだろうか。あるいは、ひょっとすると他の男などに従ってきたのだろうか」などと、あれこれと思って心が乱れるうちに、女のほうから、 後悔されるのは別れ際に引っ越し先が奈良だと言ったことだなあ。道を通ってたまたま近所に来てさえ訪問しないのだから。という和歌を手紙に書いて寄越した。【注】「もし」=ひょっとすると。「具す」=従う。連れ立つ。「たまぼこに」=「道」「里」などにかかる枕詞。「たまさかに」=偶然。まれに。の意をきかせた【本文】此の「庭さへあれて」といひし人の手なりけり。京さへなま恋しき旅のほどなりければ、硯こひ出て、楢の木の並ぶほどとは教へねど名にやおふとて宿はかりつると言ひたりければ、【訳】その手紙の文面を見たところ、なんと「人のあきに庭さへあれて・・・」と、あの歌を作って寄越した人の筆跡だったよ。初瀬詣でに数日京を離れて、京のことでさえなんとなく恋しい旅先のことだったので、家の者に硯を貸してくれるよう頼んで、 ナラの木が並ぶところとまでは教えてくれなかったが、名前として持つだけのことはある宿かなと思ってこの宿を借りた。と歌を作って贈ったところ、【注】「名におふ」=名前として負い持っている。その名にふさわしいものである。【本文】「あなうちつけの事や」とて、かくぞ言ひ出したりける。 門すぎて 初瀬川まで わたるせも 我が為とは君は答へん【訳】「まあ、なんて軽率なふるまいでしたろう」と言って、こんなふうに家の中から男のいる外に向かって和歌を詠んだ。我が家の門前を通り過ぎて初瀬川まで渡る瀬までも、ずうずうしいあなたなら私のために渡るのだよと答えるのでしょうね。【注】「うちつけ」=軽率だ。【本文】その夜とまり、つとめて、男、 朝まだき たつ空もなし 白波の かへるかへるも 帰り来ぬべし【訳】その夜は一泊して、その翌朝、男が女に贈った歌、夜が明け切らない時分に、あなたとの別れがつらいから、旅立つ場所も考えられない、ずっとここにいたい。白波のように沖に帰り沖に帰りするも、再び岸に戻ってくるように私も京へ一旦帰るが、またあなたに会いにもどってくるつもりだ。【注】「朝まだき」=夜が明け切らない頃。早朝。「空」=よりどころを離れて不安定である場所。
September 18, 2016
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【本文】良峰の宗貞の少将、物へ行くみちに、五条わたりに、五条わたりにて雨いたう降りければ、荒れたる門に立ち隠れてみいるれば、五間ばかりなる桧皮屋(ひはだや)のしもに土屋倉(つちやぐら)などあれど、ことに人などにもみえず。【訳】良峰の宗貞の少将が、あるところへ行く途中で、五条わたりに、五条大路付近で雨がひどく降ったので、荒れている門のそばに立って隠れて門内をのぞきこんだところ、五間ほどのヒノキの皮で屋根を葺いた家の端に土蔵などがあるが、そこならとくに人などにも見つからない。【注】「五条」=今の京都市のほぼ中央を東西に走る通りに面した一帯。一番北にある一条大路から数えて、五番目の大路。「桧皮屋」=ヒノキの皮で屋根を葺いた家。「土屋倉」=土蔵。【本文】歩みいりてみれば、階(はし)の間(ま)に梅いとをかしう咲きたり。鴬も鳴く。【訳】歩いて入っいって見たところ、階段の間に梅の花がとても情緒たっぷりに咲いていた。ウグイスも鳴いている。【注】「階の間」=寝殿の正面の階段の上を覆うための差し出した庇の柱と柱の間の軒近く。「をかし」=風情がある。【本文】人ありともみえぬ御簾(みす)のうちより、薄色の衣濃き衣うへにきて、たけだちいとよきほどなる人の、髪、たけばかりならんと見ゆるが、よもぎ生ひて荒れたるやどをうぐひすの人来となくや誰とかまたんとひとりごつ。【訳】人がいるとも思われないスダレの内側から、薄紫色の着物と濃い紅色の着物とを上に着て、身長がほどよい人で、髪が身長と同じほどの長さであろうと見える女性が、ヨモギが生えて荒れている家をウグイスが「人がくるよ」といって鳴くのを誰だとおもって待とうか。と独り言を言った。【注】「薄色」=薄紫色。「濃き」=濃い紅色。「たけだち」=身長。「よきほどなる人」=一人前の背丈の人。『竹取物語』「よきほどなる人になりぬれば」。「人来(ひとく)」=人がむこうからやってくる。「ぴ-ちく、ぱーちく」と鳥の鳴き声の擬声語。。【本文】少将、きたれどもいひしなれねば鴬の君に告げよとをしへてぞなくと声をかしくしていへば、【訳】少将が作った歌、やってはきたものの、女性に言い寄ること慣れていたいので、ウグイスがあなたに思いを告げなさいと教えて鳴くことだ。と優美な声で歌を吟じたところ、【注】「をかし」=優美だ。「いふ」=歌を吟ずる。【本文】女驚きて、人もなしと思ひつるに、物しきさまをみえぬることとおもひて物もいはずなりぬ。【訳】女が、びっくりして、ほかに人もいないと思っていたのに、みっともない様子を見せてしまったことだと思って、だまりこくってしまった。【注】「物し」=不愉快だ。気に入らない。「見ゆ」=相手に見せる。【本文】男、縁にのぼりて居ぬ。「などか物のたまはぬ。雨のわりなく侍りつれば、やむまでかくてなむ」といへば、【訳】少将が、縁側にのぼって腰をおろした。「どうして口をおききにならないのか。雨がやたらに降ってきましたので、やむまでこうやって雨宿りしたい」と言ったところ、【注】「ゐる」=座る。「わりなし」=むやみだ。やたらだ。【本文】「大路よりはもりまさりてなむ、ここは中々」といらへけり。【訳】「大路よりも、ひどく雨漏りがしますから、ここはかえって濡れてしまいますよ」と女が返事をした。【注】「中々」=あべこべに。かえって。「いらふ」=返答する。【本文】時は、正月十日のほどなりけり。簾のうちより茵さしいでたり。【訳】時は、旧暦一月十日ごろのことだった。簾のなかから筵のうえに敷く四角い敷物を差し出した。【注】「茵」=筵のうえに敷く四角い敷物。【本文】引き寄せて居ぬ。簾もへりは蝙蝠(かはほり)にくはれてところどころなし。【訳】少将はそのシトネを引き寄せて座った。スダレも縁はコウモリにかじられてところどころなくなって破損している。【注】「蝙蝠」=コウモリ。「くふ」=かじる。【本文】内のしつらひ見いるれば、昔おぼえて畳などよかりけれど、口惜しくなりにけり。【訳】部屋の内部の装飾をのぞきこんだところ、古風な感じがして畳などは立派なものだったが、いかんせん経年の劣化によって残念な状態になってしまっていた。【注】「しつらひ」=設備。装飾。調度類をそろえ、室内を飾ること。「昔おぼゆ」=古風に感じられる。『徒然草』十段「うちある調度もむかしおぼえてやすらかなるこそ」。【本文】日もやうやうくれぬれば、やをらすべりいりてこの人を奥にもいれず。【訳】日もしだいに暮れたので、少将は静かに女のいる部屋へ入って、女を奥にも入らせない。【注】「やをら」=そっと。しずかに。「すべりいる」=すべるようにして、そっと中へはいる。【本文】女くやしと思へど制すべきやうもなくて、いふかひなし。雨は夜一夜ふりあかして、またのつとめてぞすこし空はれたる。【訳】女は少将にまんまと部屋に入り込まれて残念だと思うが、止めようもなくて、こはやしかたがない。雨は一晩中降りあかして、次の日の早朝、少し空も晴れた。【注】「くやし」=残念だ。後悔される。「制す」=とめる。「いふかひなし」=言ってもしかたがない。「またのつとめて」=「またの日のつとめて」=翌日の早朝。【本文】男は女のいらむとするを「ただかくて」とていれず。【訳】少将は女が屋敷の奥へひっこもうとするのを「ただこうして私のそばにいてください」と言って、奥へ入れなかった。【注】「いる」=入る。屋敷の奥座敷に引っ込む。【本文】日も高うなればこの女の親、少将に饗応(あるじ)すべきかたのなかりければ、小舎人童ばかりとどめたりけるに、堅い塩さかなにして酒をのませて、少将には、ひろき庭に生いたる菜を摘みて、蒸し物といふものにして丁わんにもりて、はしには梅の花さかりなるを折りて、その花弁(はなびら)にいとをかしげなる女の手にて書けり。君がため衣の裾をぬらしつつ春の野にいでてつめる若菜ぞ【訳】日も高くなったので、この女の親が、貧しくて少将にごちそうする方法がなかったので、少将は使用人のうち召使の少年だけを引き留めておいたが、その子には堅い塩をさかなとして、安藤運動具少将には、広い庭に生えている菜を摘んで、蒸し物という料理にして、茶碗に盛り付けて、端には梅で花の盛りを迎えている枝を折り添えて、その花弁に、非常に魅力的な平仮名で書いてある。あなたさまのために、着物のすそを濡らしながら、春の野原に出向いて摘んだ若菜でございます。【注】「あるじ」=客を招いてもてなすこと。ごちそう。「かた」=方法。手段。「小舎人童」=近衛の中将・少将が召し使う少年。「堅い塩」=カタシオ。「きたし」ともいう。未精製の固まっている塩。「女の手」=ひらがな。【本文】男これをみるに、いとあはれに覚えてひきよせて食ふ。【訳】少将はこの歌を見ると、とてもしみじみと誠意が感じられて、用意された膳を引き寄せて食べた。【注】「あはれなり」=しみじみとしているようす。「覚ゆ」=思われる。感じられる。【本文】女わりなう恥かしとおもひて臥したり。【訳】女はやたらに恥ずかしいと思って寝ていた。【注】「わりなし」=むやみに。やたらに。「臥す」=横になる。【本文】少将起きて、小舎人童を走らせて、すなはち車にてまめなるものさまざまにもてきたり。迎へに人あれば、「いま又もまゐり来む」とて出でぬ。【訳】少将は起きて、小舎人童を走らせて、すぐに牛車で、実用的なものを色々と持ってきた。少将の屋敷から迎えに使者がやってきたので、「ちかいうちにまたきましょう」と言ってこの女の家を出た。【注】「すなはち」=すぐに。「まめなり」=実用的だ。【本文】それより後たえず身づからもとぶらひけり。よろづの物食へども、なほ五条にてありし物はめづらしうめでたかりきとおもひいでける。【訳】それ以後、たえず自身でも訪問した。色々な物を食べても、それでもやはり五条で膳にあった物は目新しくすばらしい食事だったと思いだした。【注】「とぶらふ」=訪問する。「よろづの」=さまざまな。「めでたし」=すばらしい。 【本文】年月を経て、つかうまつりし君に、少将後れたてまつりて、かはらむ世を見じとおもひて、法師になりにけり。【訳】何年か過ぎて、お仕え申し上げていた君主に、少将があとに残され申し上げて、天皇が代替わりする御代は見まい、自分がお仕えする帝はお一人だけだと思って、法師になってしまった。【注】「年月を経て」=長い年月がたって。「つかうまつる」=お仕えする。「君」=主君。天皇。帝。具体的には深草の帝こと仁明天皇(八一〇~八五〇年)。第百六十八段に見える。「後る」=死におくれる。あとに残される。【本文】もとの人のもとに袈裟あらひにやるとて、霜雪のふるやのもとにひとりねのうつぶしぞめのあさのけさなりとなむありける。【訳】もとの妻のところに袈裟を洗濯に出すというので作った歌、霜や雪の漏り降る古びた家の屋根の下で一人で寝る、そのさびしくうつぶせになって寝て迎えた今朝でございます。この五倍子で染めた麻の袈裟を洗濯してくださいな。と手紙に書いてあった。【注】「ふるや」=霜雪が降るのフルと古い家屋というフルヤの「ふる」の掛詞。「うつぶしぞめ」=うつぶせになって寝る最初の夜の意と、フシ(五倍子)染めの掛詞。「あさのけさ」=麻製の袈裟と一人でうつむいて寝た翌朝の今朝という意の掛詞。「うつぶしぞめ」=ヌルデから採取したフシで薄墨色に染める方法。
September 12, 2016
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【本文】亭子(ていじ)の帝、石山につねに詣で給ひけり。【訳】宇多天皇さまは、石山寺にしょっちゅう参詣なさっていた。【注】「亭子の帝」=宇多天皇(八六七年~九三一年)。譲位後に亭子院という邸宅にお住まいになったのでい う。第一段に既出。「石山」=石山寺。近江の国(今の滋賀県)大津の瀬田川の西岸の地にある真言宗の寺。上代から信仰が厚 い。近江八景により月の名所として知られる。紫式部が『源氏物語』を執筆したという源氏の間がある。「つねに」=しじゅう。よく。「詣づ」=参詣する。【本文】国の司、「民疲れ国ほろびぬべし」となむわぶるときこしめして、「異くにぐにも御庄(みさう)などにおほせて」とのたまへりければ、もて運びて御まうけをつかうまつりて、まうでたまひけり。【訳】近江の国の国司が、「(こんなに頻繁に帝がおいでになっては)住民が困窮し国が滅びてしまう」とつらさを訴えているとお聞きになって、「他の国にも荘園などに命じて物資を拠出させよ」とおっしゃったので、近江まで運送して、ご準備をいたしまして、参詣なさった。【注】「国の司」=国司。律令制の地方官。守(カミ)・介(スケ)・掾(ジョウ)・目(サカン)などの四等官とその部下の史生(シジョウ)とで構成されて、地方行政をつかさどった。国司は中央貴族に比べ官位は低かったが、生活には裕福なものが多かった。「異くにぐに(異国々)」=日本の中の他国。「御庄」=ミソウ。貴人の所有する荘園。【本文】近江の守、いかにきこしめしたるにかあらむと歎き恐れて、又無下にさてすぐし奉りてむやとて、帰らせ給ふ打出(うちで)の浜に、世の常ならずめでたきかり屋どもをつくりて、菊のはなのおもしろきをうゑて、御まうけつかうまつれりけり。【訳】近江の国守が、帝はどのようにしてお聞きおよびになったのであろうかと慨嘆恐縮して、またむやみにそのまま自らは何も接待せずに放置申し上げることができようかと思って、参詣を終えて都へお帰りになる途中にお通りになる打出の浜で、なみなみならぬ立派な仮設のお屋敷などを建設して、菊の花でみごとに咲いたのを植えて、ご接待もうしあげた。【注】「いかに」=どのように。「きこしめす」=「聞く」の尊敬語。お聞きになる。「無下に」=むやみに。「すぐす」=ほうっておく。「打出の浜」=今の滋賀県の琵琶湖岸。ウチイデノハマともいう。「めでたし」=立派だ。みごとだ。「おもしろし」=美しい。風情がある。「まうけ」=準備。また、ごちそうの支度。「つかうまつる」=「なす」「おこなふ」の謙譲語。「~もうしあげる」。【本文】国の守もおぢ恐れて、ほかにかくれをりて、ただ黒主をなむすゑ置きたりける。【訳】国守も恐縮して、よそに身を隠していて、ただ黒主を留守に残しておいた。【注】「おぢおそる」=びくびくしてこわがる。先に不満を述べたことが帝の耳に入ったことを知ったため、どんなおしかりがあるかびくびくして恐縮している。「黒主」=六歌仙の一人。平安時代前期の歌人。醍醐天皇の大嘗会の近江の国の風俗歌などで知られ、その名は『古今和歌集』の序文にも見える。【本文】おはしまし過ぐるほどに、殿上人、「黒主はなどてさてはさぶらふぞ」ととひけり。【訳】お通りかかりになったときに、殿上人が、「黒主よ、おまえは、どうして、そこにそんなふうにしてひかえているのか」と質問した。【注】「おはしまし過ぐ」=やってこられて通り過ぎる。「殿上人」=四位・五位で清涼殿の殿上の間に昇殿することを許された者。六位でも蔵人は天皇の秘書のような役目を果たす必要上、昇殿を許された。「などて~ぞ」=「どうして~か」。『源氏物語』≪夕顔≫「などてかくはかなき宿りは取りつるぞ」。「さぶらふ」=貴人のそばにお控え申し上げる。【本文】院も御車おさへさせ給ひて「なにしにここにはあるぞ」ととはせたまひければ、人々とひけるに、申しける、【訳】宇多天皇も、お乗りになっていた牛車を停車させなさって、「どうしてここにいるのか」と側近をに命じて黒主に質問させたので、人々が質問したので、黒主が申し上げた歌、【注】「おさふ」=動かないようにする。「なにしに」=どんなわけで。【本文】さざらなみまもなく岸を洗ふめり渚清くば君とまれとかとよめりければ、これにめでたまうてなむとまりて、人々に物給ひける。【訳】さざなみは片時も休む間もなくひっきりなしに岸を洗っているように見えます。もしもこの波打ち際が清らかで美しいとお目にとまりなさいましたら帝にご宿泊なさいませとかいうことでございました。という和歌を作ったので、この歌に感動なさってご宿泊なさって、おまけに人々に結構なものをお与えになったとさ。【注】「さざらなみ」=さざれなみ。細かく立つ波。さざなみ。波が立つようすから、「間もなく」の枕詞。また「波」に対して「岸」「洗ふ」「渚」は縁語。「めり」=現実の状況を実際に観察し、たしかにそうだと判断しながらも断定を避け、傍観的に「~のように見える」とやわらかく推定する助動詞。
September 10, 2016
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【本文】今の左の大臣、少将に物したまうける時に、式部卿の宮に常にまゐりたまひけり。【訳】現在左大臣でいらっしゃる藤原実頼様が、少将でいらっしゃった時に、式部卿の宮様のところに常に参上なさっていた。【注】「今の左の大臣」=藤原実頼。九十六段に既出。「式部卿の宮」=敦慶親王。十七段および百七十段に既出。【本文】かの宮に大和といふ人さぶらひけるを、物などのたまひければ、いとわりなく色好む人にて、女いとをかしうめでたしとおもひけり。【訳】式敦慶親王の御屋敷に大和という人がお仕えしていたが、彼女に対し藤原実頼様が、恋心を告白なさったところ、女は非常に色恋というものがわかっている人だったので、実頼様を非常に魅力的ですばらしいかただと思った。【注】「ものいふ」=恋愛関係にある。男女が情を通わせる。「のたまふ」は「いふ」の尊敬語。「色好む」=恋愛の情趣を理解する。【本文】されど、あふことかたかりけり。大和、人しれぬ心のうちに燃ゆる火は煙は立たでくゆりこそすれといひやりければ、【訳】けれども、対面することはなかなかできなかった。そこで、大和が作った歌、人に知られず心の中でひそかに燃えている恋の炎は煙は立たないのでうわべからは目立たないでしょうが、くすぶっております。【注】「あふ」=対面する。男女が知り合う。結婚する。「燃ゆる」に対し「火」「煙」「くゆる」は縁語。「くゆる」=くすぶる。恋愛の相手とめったに会えないため、煙がくすぶるように、気が晴れずに思い悩んでいるということ。【本文】返し、ふじのねの絶えぬおもひもある物をくゆるはつらき心なりけりとありけり。【訳】それに対する実頼の返事の歌、富士の嶺から立ち上り続けている噴煙のようにあなたのことを絶えず思い続け燃え続けている思いという情熱が私にはあるのに、あなたのほうは目立たずくゆる程度というのでは、あなたは冷たいお心だなあ。と書いてあった。【注】「おもひ(思ひ)」と「ひ(火)」の掛詞。「火」に対し「くゆる」は縁語。「つらし」=冷たい。薄情だ。【本文】かくて久しう参りたまはざりけるころ、女いといたう待ちわびにけり。【訳】こうして長いこと式部卿の宮の御屋敷に参上なさらなかったころに、大和はとてもつらい思いで長いこと待つはめになってしまった。【注】「待ちわぶ」=待ちあぐむ。つらい思いで長い間待つ。【本文】いかなる心ちのしければか、さるわざはしけむ。人にも知らせで車にのりて内にまゐりにけり。【訳】どんな気持ちがして、そんな行動をとったのだろうか、周囲の人にも知らせずに牛車に乗って宮中に参内してしまった。【注】「わざ」=行動。「車」=牛車。中古(平安時代)には車といえば、ふつう牛車を指す。「内」=宮中。内裏。【本文】左衛門の陣に車を立てて、わたる人をよびよせて、「いかで少将の君に物きこえむ」といひければ、「あやしきことかな。誰ときこゆる人の、かかることはしたまふぞ」などいひすさびていりぬ。【訳】左衛門の陣に車をとめて、通りかかった人を呼び寄せて、「なんとかして少将の君に連絡がとりたい」と言ったところ、「ふしぎなことだなあ。何と申し上げるおかたが、このようなぶしつけな行動をなさるのか」などと言って無視して中へ入ってしまった。【注】「左衛門の陣」=衛門府(内裏の外郭門内の警護にあたる役所)の役人の待機所。「立つ」=止める。「わたる」=通る。「物きこゆ」=お知らせ申し上げる。【本文】又わたればおなじことといへば、「いさ、殿上などにやおはしますらむ、いかでかきこえん」などいひていりぬる人もあり。【訳】また、別の人がとおりかかったので、同様のことを言ったところ、「さあ、どうだろうか。少将様は殿上の間などにいらっしゃるのだろうか、もしそうならどうしてそんな恐れ多い場に行って申し上げることができようか、いや、とてもできない」などと言って、中に入ってしまう人もいた。【注】【本文】袍きたるもののいりけるを、しひてよびければ、あやしとおもひてきたりけり。【訳】うえのきぬを着ている人が郭内にはいったところを、強引に呼び止めたところ、ふしぎだなとは思いながらも近づいてきた。【注】「袍」=うえのきぬ。男性が衣冠・束帯の正装をするとき、いちばん上に着る衣服。文官・武官の別、位階によって、ぬいかたや色に差がある。【本文】「少将の君やおはします」と問ひけり。【訳】「少将様はいらっしゃいますか」と質問した。【注】「おはします」=いらっしゃる。おいでになる。「あり」「をり」の尊敬語。【本文】「おはします」といひければ、「いと切にきこえさすべきことありて、殿より人なむまゐりたると聞こえたまへ」とありければ、「いとやすきことなり。そもそも、かくきこえつきたらむ人をば忘れたまふまじや。いとあはれに夜ふけて人少なにて物し給ふかな」といひていりて、いと久しかりければ、無期にまちたてりける。【訳】「いらっしゃいますよ」と言ったので、「そうしても申し上げなければならないことがあって、お屋敷から使者が参上しておりますと申し上げてください」と申し上げたところ、「おやすい御用だ。いったい、こんなふうに取り次ぎ申し上げてあなたのために骨を折る私をお忘れにはなるまいね。非常に殊勝にも夜がふけてから人も少ない状態でいらっしゃったのですねえ」と言って郭内に入って、非常に長い時間が経過し、大和は、いつ返事があるかもわからぬ状況で立って待っていた。【注】「いと切に」=どうしても。「きこえさす」=申し上げる。「いふ」の謙譲語。「殿」=御殿。貴人の邸宅。「聞こゆ」=申し上げる。「いふ」の謙譲語。「物す」=ここでは「来」の謙譲語「まゐる」の代用。【本文】辛うして、これもいひつがでやいでぬらむ、いかさまにせむとおもふ程になむいできたりける。【訳】この最後の男も、取り次がないで退出してしまったのだろうか、これからどうしようかと思っている時分に、やっとのことで出てきた。【注】「いひつぐ」=言い伝える。「いかさまにせむ」=どうしたらよいだろう。【本文】さて、いふやう、「御前に御あそびなどし給ひつるを、辛うしてなむきこえつれば、『たが物したまふならむ。いとあやしきこと。たしかにとひたてまつりて来』となむのたまひつる」といへば、【訳】そうして、言うことには、「帝の前で音楽会などなさっていたが、タイミングを見計らってやっとのことで申し上げたところ、『いったい誰がいらっしゃったのだろう。とても不思議だ。しっかり質問申し上げて確認してこい』とおっしゃった」と言ったので、【注】「御前」=貴人の前。「あそび」=もと、日常的な生活を忘れて、心の楽しいことに熱中することをいい、上代には山野で狩りをし、酒宴を開き、音楽や歌舞を演じるのが一番のたのしみであった。中古(平安時代)には、音楽や詩歌を楽しむことを指す場合が多い。「たしかに」=しかと。まちがいなく。「のたまふ」=「いふ」の尊敬語。【本文】「真実には、下つ方よりなり。身づから聞こえむとを聞こえたまへ」といひければ、「さなむ申す」ときこえければ、「さにやあらむ」とおもふに、いとあやしうもをかしうもおぼえ給ひけり。【訳】「じつは、下々の者からの連絡だ。自身で申し上げようといっているむね、申し上げてください」といったところ、取り次ぎの者が「お屋敷からの使者はそんなふうに申しております」と少将に申し上げたところ、「ひょっとすると使者というのは大和であろうか」と思いあたるにつけても、少将は大和の行動を奇怪だとも興味深いやつだともお感じになった。【注】「真実(シンジチ)」=本当のこと。まこと。「下(しも)つ方(かた)」=身分の低いほうの者。「あやし」=奇怪だ。異常だ。「をかし」=興味深い。「おぼゆ」=思われる。感じられる。【本文】「しばし」といはせてたちいでて、広幡の中納言の侍従に物したまひける時、「かかることなむあるをいかがすべき」とたばかりたまひけり。【訳】「ちょっと待っておれ」と伝言させて立って外へ出て、侍従を務めていた広幡の中納言に、「このように女性が宮中まで訪ねて参ったのをいかがいたしましょう」と相談なさった。【注】「しばし」=少しのあいだ。「広幡の中納言の侍従」=源の庶明(もろあき)。宇多天皇の皇子であった斎世親王の息子。九二五年~九二九年まで侍従を務めた。「たばかる」=相談する。【本文】さて、左衛門の陣に、宿直所なりける屏風・畳など持ていきて、そこになむおろし給ひける。【訳】そうして、左衛門の陣に、とのいどころにあった屏風や畳などを持ち込んで、そこに下ろしなさった。【注】「宿直所(とのゐどころ)」=宮中で大臣・納言・蔵人の頭・近衛の大将・兵衛の督などが、宿直をするときの詰所。【本文】「いかでかくは」とのたまひければ、「なにかは、いとあさましう物のおぼゆれば」、【訳】「どうしてこんな夜更けに宮中まで訪ねてきたのか」とおしゃったところ、大和は「ほかになんの理由がございましょう、ただ、あなたさまが一向に会いにきてくださらず、あまりにもひどいと思われたので、こうして参ったのです」と答えた。【注】「なにかは」=どうしてどうして。「あさまし」=あきれるほどひどい。【本文】敦慶のみこの家に大和といふ人に、左大臣、今さらに思ひいでじとしのぶるを恋しきにこそ忘れわびぬれ【訳】敦慶親王の家の大和といふ人にあてて、左大臣が作った歌、今さら思い出すまいとなるべくあなたのことを考えないように我慢していたが、あまりにも恋しいのでたやすく忘れられなかったっよ。【注】「敦慶のみこの家に大和といふ人に」=敦慶親王の家の大和といふ人のところにあてて。「~に~に」は、『伊勢物語』九段に「京にその人のもとにとて文書きてつく」とあるのと同様の表現。「~わぶ」=「~しかねる」。「たやすく~できない」。
September 4, 2016
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【本文】伊衡の宰相、中将に物したまひける時、故式部卿の宮、別当したまひければ、つねにまゐりなれて、御達もかたらひ給ひけり。【訳】宰相の藤原伊衡が、中将でいらっしゃった時、今は亡き式部卿の宮が、別当をなさっていたので、いつも宮のもとへ参上しなれて、宮仕えの女性とも親しく付き合っておられた。【注】 「伊衡の宰相」=宰相の藤原伊衡。彼は承平四(九三四)年に参議、すなわち宰相に任ぜられた。「中将」=藤原伊衡は、延長二(九二四)年十月に権中将に任ぜられた。「故式部卿の宮」=敦慶親王(八八七~九三〇年)。宇多天皇の第四皇子。美貌で管絃にも長じていた。十七段に既出。「別当」=宮家の別当。役所・院・親王家などの事務長。「御達」=宮仕えの女性に対する敬称。「たち」は、もと複数を示す接尾語だったが、「ごたち」は、単数を表すこともある。『伊勢物語』巻三一段「昔、宮の内にて、ある御達の局の前を渡りけるに」。「かたらふ」=話を交わす。親しく付き合う。【本文】その君、内よりまかでたまひけるままに、風になむあひたまうてわづらひたまひける。【訳】その宰相の藤原伊衡が内裏から退出なさったとたんに、強い風にあたってご病気になった。【注】「内」=内裏。宮中。「まかづ」=退出する。「退く」「去る」の謙譲語。「わづらふ」=病気になる。【本文】とぶらひに薬の酒・肴など調じて、兵衛の命婦なむやりたまひける。【訳】お見舞いに薬種や酒やつまみなどを用意して、兵衛の命婦がお送りになった。【注】「とぶらひ」=見舞いの贈り物。「調ず」=調達する。「兵衛の命婦」=一族の男子に兵衛(兵衛府の職員)がいる命婦(五位以上の中級の女官)。【本文】そのかへりことに、「いとうれしうとひたまへること。あさましうかかる病もつくものになむありける」とて、あをやぎのいとならねども春風のふけばかたよるわが身なりけりとあれば、【訳】その見舞いに対するお礼の返事に、「非常にうれしくもお見舞いなさったこと。情けないことにこんな病気にかかるものだなあ、と言って、青柳の細い枝じゃありませんが春風が吹くと一方へ偏るわが身であるなあと和歌を作ったところ。【注】「かへりこと」=返事。「とふ」=病状を問う。「あさまし」=情けない。見苦しい。「あをやぎのいと」=青柳の細い枝を糸に見立てて言う語。「偏る」と「縒る」は掛詞、「よる」は糸の縁語。【本文】兵衛の命婦かへし、いささめに吹くかぜにやはなびくべき野分すぐしし君にやはあらぬ【訳】兵衛の命婦の返歌、ささやかに出たばかりの青柳の新芽に吹く春風ぐらいにそう簡単になびいたりするはずがあろうか、いや、ない。野分だってやり過ごしたあなたではないか。【注】「いささ」=ささやかな意の接頭語。「野分」=台風。特に二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。
September 3, 2016
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【本文】昔、内舎人なりける人、おほうわの御幣使ひに、大和の国にくだりけり。【訳】むかし、ウドネリだった人が、オオミワ神社の官幣使として、大和の国に下ったとさ。【注】「内舎人(ウドネリ)」=中務省に属する職。帯刀して宮中を警備し、また、宿直や雑役にあたる。行幸の際には、供をして警護する。ウチノトネリ・ウチトネリともいう。百五十五段に既出。「おほうわ」=「おほうわ」は「おほみ(ミ)わ」の誤写かと考えられている。すなわち、奈良県の三輪山のふもとにある大神神社。「御幣使(みてぐらづかひ)」=格式の高い神社に対し、祈年祭・月次祭・新嘗祭に、朝廷から神祇官を通して幣帛をささげる使者。官幣使。【本文】井手といふわたりに、きよげなる人の家より、女ども・わらはべいできて、このいく人をみる。【訳】井手という土地付近で、こざっぱりとした民家から、女どもや子供が出てきて、この使者を見た。【注】「井手」=歌枕。京都府綴喜郡井手町。山吹と蛙の名所として和歌によく詠まれる。「きよげなり」=こぎれいだ。「わらはべ」=子供。また、貴族や寺に使われる召使。【本文】きたなげなき女、いとをかしげなる児を抱きて、門のもとにたてり。【訳】こぎれいな女が、とてもかわいらしい赤ん坊を抱いて、門のところに立っていた。【注】「きたなげなし」=こぎれいだ。見苦しくない。「をかしげなり」=かわいらしい。【本文】この稚児の顔のいとをかしげなりければ、めをとどめて、「その児こち率てこ」といひければ、この女寄りきたり。【訳】この赤ん坊の顔が非常にかわいらしかったので、目を留めて、「その赤ん坊をこっちへ連れてこい」と言ったので、この抱いていた女が近寄ってきた。【注】「率(ゐ)る」=連れる。【本文】近くて見るにいとをかしげなりければ、「ゆめ異男したまふな。我にあひたまへ。おほきになり給はむほどに、参りこむ」といひて、「これを形見にしたまへ」とて帯を解きてとらせけり。【訳】近くで見ると、たいへんかわいらしかったので、「決してほかの男と結婚なさるな。私と結婚なさい。この子が大きくおなりになる時分に、参上しよう」と言って、「これを記念になさい」と言って、帯を解いて与えた。【注】「をかしげなり」=なんともかわいらしい。「ゆめ~な」=「けっして~するな」。「あふ」=結婚する。「形見」=遠く別れた人を思い出すきっかけになるもの。【本文】さて、このしたりける帯を解きとりて、もたりける文に引き結ひて、持たせていぬ。【訳】そうして、この巻いていた帯を解いて手に取って、持っていた手紙に引きむすんで、与えて立ち去った。【注】「さて」=そうして。そこで。【本文】この児、今年六七ばかりありけり。この男、色好みなりける人なれば、いふになむありける。【訳】この子は、今年六歳か七歳ぐらいだった。この男は、恋愛の情趣を解する人だったので、こんなふうに言ったのだった。【注】「色好み」=恋愛の情趣を解する人。石田穰二訳注『伊勢物語』第二十五段の注に「最も古くは、どんな女性でも選びうる、またそうするほど家、国が栄える、男性の理想像を意味したが、平安時代、一般には単に粋人とか、多情な人とかに用いられた」と見える。【本文】これをこの児は忘れず思ひ持たりけり。【訳】こう言われたことをこの子は忘れず使者のことを思って記念の品を持っていた。【注】「これ」=官幣使の掛けた言葉と形見の帯。【本文】かくて七八年ばかりありて、又同じ使にさされて、大和へいくとて、井手のわたりにやどりゐてみれば、前に井なむありける。【訳】こうして七・八年ほどたってから、再び同じ官幣使として派遣されて、大和の国に行くというので、井手の付近で宿泊して、みてみると、前に井戸があった。【注】「さされ」=派遣されて。使いにやる。さしつかわす。『今昔物語集』巻十六「使ひをさして、多くの財物を持たしめて」。【本文】かれに水汲む女どもがいふやう、 (この段は原文がここで途切れている)【訳】彼に向って水汲み女がいうことには、【注】「水汲む女」=水汲みに従事する女。こういう肉体労働に従事する下働きの女性を雑仕女(ゾウシメ)という。
September 2, 2016
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