PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
東京の歴史的建造物である国内最大級の「跳開橋」として有名な昭和を代表する「勝鬨橋」の建設の歴史と今の姿を紹介します。 勝鬨橋は昭和15年に国家的イベントとして計画された万国博覧会のメインゲートとして計画されました。
昭和8年6月10日に工事を着手し、資材が不足する中、7年をかけ、昭和15年6月14日に完成しました。
東京市(当時)、錢高組を主体とし、石川島造船所(現IHI)、横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)、川崎車両(現川崎重工業)で工事を行いました。
当時は、隅田川を航行する船舶が多く、陸運よりも水運を優先させる可動橋として設計され、大型船舶の通航を可能としました。 午前9時、午前12時、午後3時の1日3回、1回につき20分程度開いていました。さらに昭和22年12月24日には都電が開通しています。
しかし、東京オリンピックが開催された昭和39年以降は、跳開回数は年間100回を下まわるようになり、昭和45年11月29日を最後に跳開されることはなくなりました。
勝鬨橋は、我が国で最大規模の跳開橋として、当時の最先端の技術を駆使して建設されており、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁として隅田川に架かる「清洲橋」「永代橋」と共に平成19年6月に国の重要文化財に指定されました。
跳開部の機械設備が歴史的景観を構成する設備として、機械技術面で歴史的意義のある「機械遺産」に平成29年8月に日本機械学会によって認定されました。
※ 川に向かって縦に並んでいる信号機は船のためのもの。
この塔は運転室です。実際に開閉の操作をしていた場所からは橋を見渡すことができました。橋には4つの塔があり、運転室のほかは宿直室、見張室、倉庫室として使われていました。
※ 橋が開くときに歩行者を止めていた信号機
※ 中央部
※ 橋の中央部。ここから「ハ」の字型に開いていきました。
越生の今市 高札場跡(埼玉県越生町) 2024年11月14日
星野家住宅主屋及び袖蔵(埼玉県越生町) 2024年11月14日
金子家住宅主屋(埼玉県越生町) 2024年11月14日