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実はひそかに愛読しているが、人に言うのはためらわれるという本や著者が、誰しもあるだろう。・・・といっても、エロ本のたぐいの話ではない。僕にとっては、さしずめ中谷彰宏の本がそれに当たる。若い女性ならともかく、いい大人の男が読んでいるなどとは、気恥ずかしくてとても人さまには言えない。なにしろ、OLの教祖である。役者までやっているイケメンである。都会のバーかラウンジで美人に囲まれているのが似合う色男である。普通の中年男から見ると、あの石田純一の同類である(笑)。どうせ、いい加減なウンチクを並べて若い女を誑(たぶら)かそうとしてるのだろう、ぐらいに思う男も多いだろう(・・・ちょっと、ヒドく言い過ぎか)。・・・だが、試しに2~3冊を虚心坦懐に読んでみると、書くものはなかなか悪くない。コピーライターの経験もあるせいか、文章も巧い。しかも、あの真面目なPHP文庫に多数の著書が収録されている。一般人でも、「尊敬する人物」を聞かれたり書かされたりする機会はなんぼでもあるが、そういう場合僕らの世代だと、「松下幸之助と書いとけば間違いない」と両親や大人に言われたものだ。それほど立派な偉人・松下幸之助が創設に深く関与したPHPなどの常連として物を書いており、それらがPHP文庫などに多数まとめられている。やはり、タダモノではない。例えば、PHPではないが、道楽のススメ ちなみに、現在最新の原稿であろう、「PHP2月号スペシャル・運を強くする、味方にする習慣」に掲載された中谷氏の文章「まず、列に並んでから考える人が、運を味方にできる」を読んで、あいかわらず上手いな、と感心した。――新装開店のレストランに大行列ができている。あなたならどうするか。中谷氏によれば、「とりあえず並ぶ」のが正解だという。迷ったら、とりあえず並んでみて、それから考えればいいのだそうだ。なるほど、と思う。以下少し引用してみようか。「『なんかあそこに列があるから並んでみよう』と来てしまう人がいます。その人は自分が何がやりたいか、まだわかっていません。何がやりたいかがわからなくても列に並んでしまった人のほうが、夢を持っているけれども、何も始めていない人よりは勝ちです。行動を起こしているからです。その人に対して『あの人は夢をもっていないけれども、私は夢を持っているから』というのは、ひきこもって何もしないのと同じです。『私は、こんなにすばらしいことを考えている』と思っても、それを口に出さない人は、アイデアを持っていない人と同じです。行動に出ていないのです。」なるほど、とさらに思う。そして、「まず、恥ずかしいことを体験することです。(中略)・・・こんなことは誰でも思いつくから、先にやらないと負けるという危機感を持てばいいのです。」などと続く。むろん、「レストランの行列」の話は、もののたとえである。僕なんかはもともとグルメ指向があんまりないし、この齢になればいろんな場面で山海の珍味からキャビア、フォアグラ、トリュフ、エスカルゴまで、たいがいの物は口にしたことがある。いまさら行列してまで何か食いたいとは思わない。行列が出来ていれば、その横っちょのそば屋あたりで、もりそばかカツどんでも食べられれば満足だ。・・・ではあるが、なかなか上手いもののたとえである。言っている中身は、むしろ陳腐だとすら思う。松下電器提供「水戸黄門」のテーマソングみたいだとも思う。だが、文章がうまい。洗練されている。見事にデオドラント(脱臭)されて垢抜けた現代文になっている。中谷氏の書くものは、いずれもことほどさように口当たりがよく、すらすら読める。しかし、案外バカにしたものでない人生訓が満ち溢れていて、読んでいると元気が出る。膨大な著書があるが、人生論・成功論エッセイのたぐいでは、どれを読んでも同じようなことが書いてあるともいえる。が、文章が上手いので、けっこう飽きない。新鮮である。曰く、とにかく考えていないで行動せよ。自分が動いていないと、見えるものも見えなくなる。周回遅れなのに、まだ早過ぎる、などと思ってしまう。四の五の言っている間に声を挙げて、人ごみの中から一歩抜け出せ。なにげに、けっこうキツイことも書いている。例えば「人は誰でも作家になれる」(PHP文庫、絶版らしい)には、おおよそ次のようなことが書いてある。モノ書きになりたいのであれば、まず書いて書いて書きまくれ。原稿用紙は何枚と数えるのではなく、kg(キログラム)単位で数えよ。何十キログラム書いたかが勝負であり、もちろんそれを机の上に置いておくだけじゃだめで、全て出版社に持ち込む。そのためには、とにかく完成(完結)させること。最後まで(あるいは少なくとも大部分)書いてないのでは判断のしようがない。目の前で編集者に読んでもらうのは、まさに真剣勝負の果し合いである。文筆・文学の世界でも(あるいは、それゆえになおさら)、とかく作品を仕上げてもいないのに、口(自己宣伝)だけは達者な者が多いという。すばらしいあらすじが出来ていても、作品を完成させてみなければ(行動してみなければ)話にならない。すでにコピーライターとして実績があった中谷氏にして、苦節3年だったという。出してはダメ、出してはダメの、壮絶でいつ果てるとも知れない繰り返しだった。編集者に殺意すら持ったという。・・・だが、勘違いしてはならない。編集者は意地悪や新兵イビリがしたいワケではない(そういう癖のある人も皆無ではないかも知れないが)。むしろあらゆる出版社は、ものになりそうな作家、金になりそうな作家を、必死で鉦を叩いて探しているのだ。自分が発掘した作家が売れれば、その編集者にとっても大手柄で鼻高々だ。「ダメ出し」されるのは、むしろ見どころがあると、その才能を買われているからである。多くの作家において、処女作が最も優れているといわれ、大抵それを超えることができないという現象は、処女作にはこれほどの苦闘と苦悩と、涙と怨念がこもっているからだ。真剣味が違う。しかし、念願叶って売れたあかつきには、怨念で微熱さえ発し、そのため暖かいのでその上で猫がよく眠りこけてしまうという“ボツ原稿の山”が、再び生きてくるのだという。それは必死で考えたアイデアの宝庫だからである。その中には、すでに、その作家のすべてがある。以上の記述は、かなり僕流に意訳・要約してしまったものだが、けっこういいこと言ってると思う。軟派な外見と裏腹の、けっこう硬派な体育会系の論理の展開だ。運(ツキ)を呼び込むためには、努力も必要ということか。・・・そうなのである。いわば当たり前のことが書いてあるのである。が、書き方がうまいから、文章それ自体も楽しめるし、納得させられるのである。成功哲学、成功の秘訣めいた本は数多いが、その前提というべき実践的心構えの部分で、中谷氏の本は読みやすくて面白くてためになる。俺も(私も)やれるかも、という気にさせられるところが、何度も言うが上手い。人気があるわけですね。
2007年01月31日
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天才的音楽プロデューサー・小林武史(47)と、このところ共同作業でいい仕事をしてきた人気シンガー&ソングライター・一青窈(30)の間に25日、不倫騒動が持ち上がったという。「フライデー」最新号のスクープである。一青窈作詞、小林武史作曲・編曲のコンビで、Salyu「Name」、綾瀬はるか「交差点Days」などを発表してきており、いずれもなかなか聴きごたえのある佳品だった。今後、このコンビで活動しにくくなることも予想されるのは、ファンとして非常に残念だ。小林武史と、妻で、やはり小林がプロデュースする人気ユニット My Little LoverのヴォーカルAKKOとの間に、かねてより流れていた微妙な空気については、このブログサイトでも以前に触れたことがあったが、ヤッパシ、そういうことだったか~。同年輩の男として、うらやましい、いや、嘆かわしい。AKKOって、スレンダー美女の外見の印象と違い、しゃべると凄い男前というか、非常に気が強くて理屈っぽい感じ。そこらへんのところ、どうなんだろうと、よそながら心配していた(?)。(勝気な妻に嫌気がさした?・・・秋田?山形?)なお、私は古くより小林の大ファンであり、その“アレンジの魔術師”ぶりは音楽ファンとして深くリスペクトしている。このブログサイトでも、折に触れて話題にしている通りだ。・・・加えて、水もしたたるいい男。モテるのは仕方がないところだが、この帰趨、果たしてどうなるのか、興味津々、・・・としか今のところ言いようがないざんすね。とりあえず、Mr.Childrenの「Innocent World」(小林武史編曲)が聴きたくなった。
2007年01月26日
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きのうは仕事は休みでしたが、現在2歳10ヶ月の三つ子三姉妹の子守り三昧で、かえって疲労困憊のヘロヘロざんす。こういう毎日で、21日(日)OAされて話題沸騰のNHKスペシャル「グーグル革命の衝撃」も見てないのが残念無念です。・・・ただ、内容的には多数のウェブやブログのおかげでほぼ推測・把握でき、要するにグーグルが世界の全情報を支配する方向へ向かっているということで、スゴイことではあるが、この番組自体にはにそれほどの新味はないことが分かって、ひと安心。これについては後ほど改めて愚考してみたい。――さて、長女が便秘がちで切れ痔みたいになってしまい、ウンチをしようと力むと痛いので、また排便したがらないという悪循環地獄に陥り、かわいそうに2~3日に一度浣腸で出させている始末です。長女が一番食が細いので、これで済んでるのですが、逆にいうと、それゆえにウンチも出にくいという、これまた悪循環なのです。まあ、時が解決するでしょうが、とにかくお尻の穴がバイキンマンに感染されないように、ってことだけは厳重注意です。薬も副腎皮質ホルモン(ステロイド)剤は使えないのですが、非ステロイドの範囲ではけっこう強いのを処方されてるらしい。痔も、こじらせると大変なことになりんすから。現に僕はもう20年も前だが、痔をこじらせて(痔ロウという状態になり)七転八倒の苦痛から切開手術、1ヶ月入院したことがあるぐらいで、コワサは体で分かってます。お風呂で洗ってやるのも、すごく痛がってかわいそうなんですけどね。きのうは妻が長女を連れて国立病院に受診に行ったので、残る二人と一日遊んでました。僕はオンモに連れて行こうかと思ったのだが、やはり厳寒の候だけに、妻に反対され、従いました、ハイ。そんなワケで、おうちの中をドタバタ走り回ってました。ワタクシめは、仕事の疲れを癒す暇(いとま)もなく、危険なことはないかとハラハラドキドキしながら付き合ってヘトヘトになりましたが、スキンシップはバッチリできました。もともと僕の方が、プンスカ怒りがちの女房より娘たちたちには人気があり、たどたどしい発音ながら「おとうちゃんはトトロみたいだね」といわれて、うれしさのあまり夜な夜なヨヨと泣き濡れているくまんパパなのでございます。
2007年01月25日
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ジャズの街・宇都宮へようこそ!・・・なんて、僕が言う筋合いでもありませんが 。わが栃木・宇都宮の街は、戦前は「軍都」として知られ、そのため戦争中はボーイング29型戦闘機(B29)による焼夷弾の大空襲を受けて焼け野原の灰燼に帰したが、戦後はその軍隊駐屯地跡にアメリカ軍を主体とする「進駐軍」が駐留したので、彼らを相手に腕に覚えのジャズマンが輩出し、いわば「内陸の横須賀」的な側面もあるのです。(・・・やたら漢字の多い文章だ。ツカミはNGだね)今でもジャズ奏者・愛好家は多く、“JAZZの街・宇都宮”と称しているのは、決して誇大広告ではありませぬ。そういった中、同級生・亀和田君が一流のジャズマンになっている(前掲記事)と聞いてうらやましく思う。公務員って時間があって、いいないいな~。 それはともかく、僕も子供が出来るまでは、ずいぶんいろんなジャズ・スポットに聴きに行ったよ。長い独身時代はもちろん、結婚前後にもカミさんとけっこう行った。最近は子育てで行けないのが本当に寂しい。ジャズスポットはもとより、本当にどこにも行けない状態がもう3年ざんす。達磨面壁、石の上にも三年。桃栗三年柿八年。 ・・・この悔しさをバネに(?)、そのうち、子供を連れて毎週末にジャズサロンに入り浸り、ということもありうる(笑)。 ジャズにハマるというのは、趣味としてけっこう高尚・上等な方だと思うね。僕の見るところ、何となく「禅の修業、三昧境」みたいな求道(ぐどう)的な感じも漂ってて、大人の男の嗜みって感じ。・・・シブイざんすね。 ロックもいいけど、“ズージャ”もね。 別の親友Kと、宇都宮駅前の「マニア」という店で、一夜ライブ演奏に酔いしれたこともある。あまりにも楽しくてベロンベロンに酔っ払ってしまいはしゃぎ過ぎて、以来彼とは疎遠になっている、・・・とはもちろん冗談だが。 ここは、ナベサダこと渡辺貞夫を育て、宇都宮ジャズの大パトロンで知られる「富貴堂」という老舗パン屋のご主人が、その倉庫の一角で道楽でやってたような店で、電話帳にも地元ミニコミ誌にもウェブ上にも出ておらず、ほんとにマニアしか知らないような店だったが、この間通りかかったら閉鎖されていた。すごく寂しく思った。 まあ、今はいたるところにいろんな新しいライブスペースがあるから、1960年代(ふ、古い!)の「新宿ジャズ喫茶」そのまんま東みたいな薄汚い店は、時代遅れになってしまったのだろう。汚いなりに、いい雰囲気(アトモスフィア)の店だったんだけどね。ここに一筆記録しておく。安らかに眠れ。合掌。 それにつけても、本当にジャズはいいと思う。亀和田君が言っているらしいが、演奏する側から言えば「アート・芸術」なんだろうし、聴く側からすると、非常にくつろげる、ヒーリング(癒し)って感じで、酒呑みながらゆったりリラックスして浅く大まかに聴いてもいいし、眉間に皺を寄せてグルーヴィー感を深刻に細心に吟味してもいいし、めいめいの聴き方それぞれを包み込む懐の深さがあるね。いい演奏に接すると、このまま時間が止まって、永遠に終わらないでほしいと思ったりする。 ただ、亀和田君にはまことに悪いのだが、僕は個人的にどうも管楽器のラッパ(ブラス、ホーン)系の音がダメで、うるさく感じてしまう。各種サクソフォーンも例外ではない。これは、かのモーツァルトもそうだったらしい。代表的な作品ではあまりラッパを使っておらず、歌劇などでたまに使うときは、「魔王」だとか、邪悪なものを象徴させることが多かった。やはり繊細な感覚を持つものには、神経を逆なでされるような心地がするのだろう。 ただし、マイルス・デイヴィスのトランペットだけは例外。別格官幣大社。
2007年01月22日
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高校の同級生で、ジャズ・ミュージシャン(アルトサックス・プレイヤー)として活躍する亀和田国彦君が、昨1月19日(金)付の地元紙・下野新聞に紹介されました。・・・あっ、なにげに齢がバレたか。ジャズのアルトサックス吹きといえば、宇都宮出身の“世界のナベサダ”こと渡辺貞夫を彷彿とさせますが、やはり、というべきか、彼はお仲間やファンの間では“カメサダ”の愛称で通っているようです。ちなみに彼の本職は、なんと博士号を持つ研究者で公務員。亀和田くん、カッコ良すぎ~。でも、彼ほど本格的でなくても、めいめい趣味はぜひ持った方がいいと思うね。亀和田国彦ホームページへは、click here.プロフィールは英文(!)で書かれていますが、その他は日本語ですから、たじろがないように。
2007年01月20日
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1969年1月18日夜 本郷 東京大学・安田講堂(写真は全て、高沢皓司「全共闘グラフィティ」(新泉社、絶版)より無断転載。・・・すみません。)僕も今さら全共闘の話題でもないとは思ってるけどね。言いたいことはただ一つだけ。二度とああいうバカげた愚行を繰り返してはならない、という切なる願いである。きのうきょうと2日連続で、「おもいっきりテレビ」(日本テレビ系全国ネット)が「安田講堂攻防戦」特集を組み、短い時間ではあるが、なかなか見ごたえのある映像を放映した。こちらはまだ子供だったとはいえ、あの時代の空気をリアルタイムで見聞きし肌で知っている世代としては、やはり大きな感慨を禁じえなかった。 ――彼らは〈それ〉を「解放講堂」と称した。周辺のお茶の水・神田などの学生街は「解放区」だった。彼らの論理による規定では、「ブルジョア帝国主義者の独占」から「プロレタリアート」が「解放」した、というような意味であったろうか。あらゆるところにバリケードが築かれ、封鎖され、アスファルトは剥がされ投石のためのブロックになった。当日の神田神保町付近・・・が、片腹痛かった。大多数の国民は冷たい目を降り注いでいた。単に不逞の輩が不法占拠して居座り、破壊しただけだったとも言える。「昭和戦争(大東亜戦争・太平洋戦争)」がテーゼ(措定)だったとすれば、「学園紛争」がアンチテーゼ(反措定)だったともいえるだろう。どちらも激烈な暴力の中で、多数の前途有為の若者たちの人生が帰らぬものとなり、あるいは破壊し尽くされた。どちらにも、自分の手を汚さない指導層の老人たちがいた。かたや戦争指導部の老人たち、こなた岩波講座派の左翼学者たち。愛人の日本舞踊家・花柳幻舟が“家元制度打倒”を叫んで刃物片手に実力行使に及んだ時、逃げ隠れする情けなさ。そして、納得のいくジンテーゼ(総合)が行われたという記憶はない。全てがうやむやの中、忘れ去られていった。まあ、それはそれで仕方がないことだったかもしれない。誰も思い出したくないほどにその傷は深かったからだ。全てが虚しかった。一瞬の祭りに似ていた。祭りのあとのさびしさは たとえば女でまぎらわし・・・ 岡本修巳「祭りのあと」(吉田拓郎)それは何も生み出さなかった。せいぜい「無援の抒情」でメージャーデビューした歌人・道浦母都子と、 「止めてくれるなおっかさん/背中(せな)で牡丹が泣いている/男東大どこへ行く」のスローガン(?)でデビュー(?)した、当時東大国文科在学中だった巨人・橋本治ぐらいか。彼らの近年の立派な仕事に対して、今なお「寝返った」とか「同志を裏切った」とかいう時代錯誤な罵声が時折投げつけられていると仄聞する。それは、30数年前にアルバム「元気です!」などで“「プチブル・走資派路線」に走った”吉田拓郎に投げつけられた言葉と同じである。しつこいよ、全共闘世代。・・・そして、あの日も今も、空は無関心に青く輝き、野良猫はゴミを漁っている。世はすべて事も無し。当時の東大正門
2007年01月19日
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もう38年も経ったのか。戦後最大の事件だったと言って差し支えないだろう。1969年(昭和44年)の今日1月18日と翌日の2日間に渉り、東京・本郷の東京大学・安田講堂を不法占拠した全学共闘会議(全共闘)の活動家分子と警視庁(というより、日本国家権力)との間の戦いで頂点を極めた、いわゆる「安田講堂攻防戦」が展開された。今では信じられないが、当時気の利いた若者は“革命”を幻視するのが当たり前みたいな風潮で、世間や女の子たち(!)の一定の支持もあり、制圧側の警視庁機動隊の若者たちは「権力の犬」として全く不人気で、見合い話すらなかったという。まだ、カップヌードルも発売されていなかった。このクソ寒い中、本当にご苦労様でした。この東大構内での攻防戦は警察側の完勝に終わり、政府・自民党は治安回復への自信を取り戻したが、当時文藝春秋記者として現場を取材していたジャーナリスト立花隆の著書「中核vs.革マル」(講談社、絶版)によると、その周辺のお茶の水・神田・秋葉原界隈は“解放区”という名の無法地帯となり、権力側の限界も露呈していた。当時田舎の小学生だった僕も、NHKも全民放も挙げて通常番組を完全に休止して中継した攻防戦を、周囲の大人たちとともに息を呑んで、モノクロの小さなテレビ画面で注視し続けた。昨今の“ブログ炎上で大騒ぎ”なんて小さい小さい。この時、日本国家と革命勢力はガチンコ勝負をし、双方火だるまになって炎上し、辛くも国家側が生き延びた。この後、全共闘・共産主義暴力革命勢力の残党は、散り散りになりながら三々五々過激化し、数年後には「あさま山荘事件」や「赤軍派リンチ大量殺人事件」、「よど号ハイジャック・北朝鮮への亡命事件」、「丸の内・三菱重工本社爆破事件」、「秦野警視総監夫人爆殺事件」、そして「中核派」、「革マル派」などの間のバールなどを用いた殺し合い“内ゲバ”など、断末魔の凄惨な事件を起こしながら自壊していった。現在、彼らの多くは生ける屍のようになっていることが、何かの拍子に時折伝えられたりする。当時こちらも思春期に差しかかり、正規分布でいえば僕らの10~15歳上ぐらいを中心とするインテリなお兄さんお姉さんたちが、なぜ破壊のための破壊みたいな愚行に狂奔しているのか、非常に疑問に思った。その後多くの関連書物を読んで、時系列的な経緯については大体分かったように思うが、ある意味、“革命”を自己目的として、あるいは彼岸の浄土として、ひたすらな破壊の方へ倒錯していった一種の腐敗(彼らは、自己こそが最も純粋であると確信=狂信していた)の心的メカニズムについては、到底理解できないものであった。これは、“オウム真理教事件”でも繰り返されたことである。深入りしてもしょうがないので、一言のもとに斬り捨てれば、“集団ヒステリー”でもあったろうか。いずれにしても、そうしたお兄さんお姉さんたちの“奮闘”のおかげで、僕たちはまだ子供だったけれども、とっても大事なことを体感的に学んだように思う。それはユダヤ系ドイツ人カール・マルクスの思想が間違っていたということにとどまらず、全ての「大きな物語」を語る思想は胡散臭いということだ。思想の暴力の恐ろしさが、この目に刻まれた。日本の隣には、今なお“主体(チュチェ)思想に基づくウリ(われわれ)式社会主義”を標榜する“労働者の楽園”が一衣帯水に存在する。何をか言わんや。そして何かを“至上”とする考え方は、確実にインチキだということだ。たぶんそれが、“恋愛至上主義”だとしてもね。
2007年01月18日
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男は女のどこを見るべきか男にとって、女は永遠の謎である。これは万古不易の真実である。知り合って日が浅い表向きの付き合いや、ラブラブかつお互いにカッコつけて本音を隠している恋愛初期段階ならいざ知らず、ある程度以上深まった親密な仲、あるいは年月を経た夫婦ともなれば、女性の考え方や言動・振る舞いが、我々男どもと本質的なところで根源的に違っていることを、誰しも悟らずにはいられないだろう。それを詩的に表現すれば、“巫女的”とでもいうか、神秘的というか、動物的勘というか、男の持つ単純明快・公明正大な青天白日の論理性・分かりやすさからは対極にある、非論理的ではあるがグサっと肺腑を抉る、“魂に近いところ”で動いているように見えるのである。それは、場合によっては、“悪魔的”ですらある。確かに、一般的に論理的整合性では男の脳は優位であるといっていいだろう。だから、一見女がバカに見えることも多い。が、それでナメてかかったら、取り返しの付かない結果を招くであろう。今なお“社会的弱者”であることを余儀なくされている女性は、すでに幼稚園児の頃から、相手の弱点を見極める特訓を積んでいるというのだ。男が逆立ちしても及ばない“女のカン”である。・・・女性が好きで好きでたまらない僕も、身に覚えがあるのである。(この一行、削除する可能性があります。)こういうことは、一人前の男なら、薄々、あるいはかなりの程度まで経験的に知っていることではある。だが、ここまで体系的に解き明かした本も珍しいのではないか。そんな女の本質に少しでも肉薄してみたいキミに、この本は、稀に見る隠れ名著である。ゾっとするほど女の本質・エッセンスが解剖されている。一言でいうと、「恋愛・結婚は、男の人生の一部に過ぎないが、女の人生にとっては全てである」という言い古された格言を、現在までの精神分析学(深層心理)的知見を総動員して徹底的に分析した本である、と言っていいだろう。女性にとって「愛」は、人生の全てを賭けた闘いである以上、あらゆる戦略(ストラテジー)と方法論(メソドロジー)と戦術(タクティクス)が駆使される。“孫子の兵法”も真っ青である。しかも、ここが大事なのだが、論理でなく感情が優位な女性は、そうしたことを無意識的に、すなわち自分で意識しないで貫徹できるのだという。思い当たる。ゾっとする。ホラー映画よりコワイ。しかし心理学などの難しい専門用語はほとんど使わず、非常にこなれた言葉で、しかしクドイぐらいに粘り強く追求しているのが、名著である前著「女は男のどこを見ているか」でも示された著者の真骨頂である。不幸な女性(例えば、いわゆる「ダメンズ・ウォーカー」)は、自分をだましてでも不幸を求める、という、信じられない心理的メカニズムも納得できる形で解き明かされる。そして、周囲を巻き添えにする。例えば、暴力(ドメスティック・ヴァイオレンス)をふるう夫は最低ではあるが、そうなる前にすでに妻の「言葉の暴力」によって数倍傷つけられている、という鋭い指摘などは、正鵠を射ているように思う。暴力夫の心も、ズタボロにダメージを受けている。東京・新宿渋谷バラバラ遺体遺棄・殺人事件が直ちに思い浮かぶ。こういう女に引っかかったら、男の人生も“百年の不作”となること、請け合いであろう。柄の悪い言葉ではあるが、いわゆる「さげまん」か。また、近頃いい女が少なくなったとお嘆きの貴兄にも、目からウロコであることは間違いない。やはり、というべきか、それは親の責任であるという。女は、父親で決まる、ということも、この著者はこの本でもほかの著書でも力説している。恋愛中の男、結婚を意識している男、結婚している男、要するにほとんど全ての成人男子必読の名著といっていいのではないか。すぐ古本屋へ、急げ。納豆と同様、在庫僅少である。〔書物としての総合評価:86点〕
2007年01月14日
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長歌冬ごもり僕の山下達郎と妻の竹内まりやとをかはりばんこにとりかへて聴くぞをかしき長き夜なる反歌めづらけき夫婦(めをと)なりけり仲良きか良からざるかは我知らねどもヴェランダで煙草燻らせ勘(かんが)へぬ獏たる夢と漠たるあしたおぢさんはかくもゆつくり歩き得ず自分探しの無間地獄は
2007年01月12日
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良きことが訪れるがになんとなう温(ぬく)き気分の初春の宵快感が僕の体を突き抜けた「いいこいいこ」を娘にされて「いやよ」とか拒みの意味の「いい」とかをきつぱりと言ふいい反抗期Slow Love and success ゆるやかな坂道だから手に手を取つて竹内まりや「スロー・ラヴ」冬を越す生きものたちの逞しさ清(すが)しと思ふ寒げなれども長塚節「たらちねの母が吊りたる青蚊帳をすがしといねつ弛みたれども」電線にひなたぼつこの雀の子やれ木枯しをふかせたまふな小林一茶「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」、「やれ打つな蝿が手を摺る足を摺る」リヒテルの平均律を流しつつ麦焼酎に酢橘搾れり本文( )内はルビ(振り仮名)。青字は引用、自註。© Nohara Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年01月11日
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恒例の初市(ダルマ市)が、本日11日、旧・奥州街道の上河原通りで開かれています。この市は、遅くとも江戸時代初期には時の藩から許可されていたことが文献上確認されています。9日は群馬・前橋、きのう10日は隣町の鹿沼、きょうは当地・宇都宮と、旅から旅への香具師(やし)のみなさんも大変です。夜店の屋台がずらりと並ぶと、わけもなくワクワクしてしまうのは、子供の頃からの刷り込み現象(インプリンティング)でしょうかね?
2007年01月11日
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人は見た目が9割ヘボ短歌は暮れのうちに詠んじゃったし、新春詠も数首詠んだし、子育てに忙殺されて自宅と会社とスーパー以外はどこにも行かず、代り映えのしない「つらたのしい」(糸井重里)日常が続いており、散文の方もこのところいささかネタ切れの自覚症状があるが、かたや2万アクセスも超えたし、アクセス狙いで“アクセク”することもないかと鷹揚に構えている。細木数子の“六星占術”によると、僕は“水星人のマイナス(-)”らしいので、毎年冬の3ヶ月は、1年間のサイクルの中の“大殺界”らしい(このほかに12年間で循環するサイクルもあるらしい)。水星のマイナスはちょうど季節感と殺界が一致しており、大殺界に動くのは“冬にTシャツで外に出るようなもの”という戒めが割とすんなり腑に落ちる。・・・むろん、100%信じてるワケもなく、話半分に聞いてるけどね。ただ、水星人というのは強靭な意志とカリスマ性で大金持ちになれるとか書いてあるので、この点は120%当たってもらいたい。さて、この「人は見た目が9割」という本、キャッチーなタイトルもあって大ベストセラーになっているようだが、少なくとも僕は意外とつまらなかった。ただ、これは僕が言葉によるコミュニケーションに過度に依存しているせいかも知れない。・・・アフィリエイトの設定をしといて、けなすのもどうかと思うけどね。いわゆる「ノンバーバル(非言語的)コミュニケーション」に関するシンプルな教科書を目指したという趣旨の記述があり、そういう意味では確かにまずまず要領よくまとまっており、著者の携わっている演劇やマンガの表現の具体例は説得力に富み、なかなか読ませる。若い人のこの分野への入門書としては最適であろう。・・・が、どうも食い足りない。そこそこ面白いが、そこそこつまらない。当方の年の功・亀の甲か、大部分の記述が、どこかで聞いたことがあるような、すでにあらまし知っていることを改めて整理しただけみたいな気がするのだ。なんか、30年ぐらい前に、評論家として売り出し中だった竹村健一さんがおんなじようなことを言ってた記憶もある。当時は「ボディ・ランゲージ」、「スキンシップ」という新語として流行語になり、今は普通名詞になったが、要はだいたい同じことだと思う。主として演劇・マンガなどの表現論に終始するのも、イマイチちょっと関係ないかな、という感じで、実はもう少し筆者の生業であるファッション関連小売業に役立つ情報を期待していたのだが、その面ではほとんど全く肩透かしを食らった感がある。僕は、決して他人や人の著書をけなすのは好きではないが、正直ちょっと期待はずれでした。
2007年01月07日
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インスタントラーメンの発明者でカップラーメンの発案者でもあった、日清食品創業者・元会長の安藤百福(ももふく)氏が、昨5日夕方死去された。享年96歳の大往生だった。詳しい評伝はニュースサイトや新聞各紙を読んでいただくとして、48歳で無一文の悲運から身を起こして日清食品を食品製造業の一流企業に育て上げるとともに、インスタントラーメン、カップ麺など即席麺類を全世界の定番食品にした軌跡は立志伝中のものであり、トヨタ、ソニー、ホンダなどに比べればやや地味ながら、戦後日本経済の一方の雄であったといっても過言ではあるまい。それと同時に、少しも気取ったところがなく、いかにも中小製造業者のオヤジ然とした、豪快で親しみやすい風貌と言動は、誰からも親しまれ敬愛されていた。まさに現代日本が生んだ偉人であったといえる。・・・僕は、非常に尊敬していた。余談だが、“百福”という名前を付けたご両親のセンスも偲ばれるね。いかにも縁起がよさそうな。“百恵”ってのもいい名前だと、かねがね思っていたけど。虫の知らせだったろうか、大してラーメン好きでもない僕なのだが、けさは朝6時ごろから無性に日清「出前一丁」が食べたくて、矢も盾もたまらず、作って食べたところであった。インスタントとしては腰がある太麺で、ゴマ辣油付きのスープの味も主張がある。筆者の家は商人(あきんど)であったので、昔は多くの若い衆(わかいし)さんがいたが、お昼といえばみんな日清「チキンラーメン」か、それをパクッた模造品の「ニギリ矢ラーメン」とかであった。これをおかずにご飯を食べる「ラーメンライス」なんてのも、松本零士が自伝的名作「男おいどん」で赤裸々に描く以前から当たり前だった。こんなことを言うと嫌われるかも知れないが、ラーメンてえものはご存知の通り、栄養学的組成でいえば、タンパク質、ビタミン、ミネラルを欠き、ほぼ炭水化物(糖質)と脂肪と過多な塩分だけでできている「エンプティ・カロリー(空っぽの熱源)食品」の代表であり、しかも食物繊維(ダイエタリー・ファイバー)をほとんど残さないまでに高度に精製された穀物(小麦粉)を用い、おまけに酸化しやすい燐脂質を含み、最悪な食い物である。ケーキ、アイスクリームもそうだが、こちらは始終食べるワケではなく、たまさかの嗜好品である。ラーメンは主食にもなりうる(?)だけに、オトロチイ。すでにウチの2歳9ヶ月のまな娘たちは、ラーメン好きの片鱗を見せはじめており、危険がアブナイ兆候を示している。まあ、30過ぎたら、なるべく食べないに越したことはないだろう。日本人なら日本蕎麦にしよう、蕎麦に。健康にいい食物繊維やルチンなどが多い。――大日本隠れ蕎麦通連盟からのお知らせでした。・・・しかし若いうちは、無性に腹が減る。基礎代謝量が大きいから、当然のことだ。そういうときは本当にコンビニエント(重宝)な食品であり、僕自身、ずいぶんとお世話になった。むしろ、ちゃんとした中華料理屋やラーメン屋のラーメンより好きかも知れない。ちょっと前までは、店屋物(てんやもの)とインスタントの間には、空と君との間(中島みゆき)ぐらいの差があったが、近頃ではその厳然たる境界線も曖昧になりつつあるのは、レクサスがベンツの牙城を切り崩しているぐらい驚くべきことである。事実、日清「ラ王」は、インスタント・カップ麺としては値段もなかなかだし、作り方も異例なほど面倒くさいが、肝心の味は、そこらの下手なラーメン屋より上かも知んない、という感じだ。まあ、優等生的な、“可もなく不可もなく”な味ではあるけれども。ちなみに、「ラ王=ラーメン王」とは、たぶん古代エジプトの「ツタンカーメン王」の洒落もからめているのだろうが、地元関西経済界でたてまつられた、安藤氏その人のニックネームにほかならない。我々は日清「カップヌードル」新発売をリアルタイムで知っている世代である。「カップヌードル」発売直前、主力が「チキンラーメン」だけで、業界の共存発展のため、お人よしにも製法特許を公開していた日清食品は決して順風満帆ではなく、後発の東洋水産「マルちゃんハイラーメン(現存せず)」や明星食品「チャルメラ」などの猛追を受け工場は閑古鳥が鳴き、縮小再生産の憂き目にあったといわれる。カップヌードルの開発とヒットは起死回生の一打だったようである。確かにその前後、各社から本当に次から次へと新製品が出て、メーカー・商品によって味のバラエティもあって、健啖だった母などとけっこう食べまくった記憶がある。しかし、メーカーにとっては、出しては消え、出しては消えの死屍累々の戦場でもあった。今、スーパーの店頭を見ると当時からのブランドは数えるほどしか残っていない。それはいいとしても、それら生き残っているのが、かなり無難というか冒険しない凡庸な味付けの物がほとんどであるのは、やっぱりと思う反面、寂しいとも思う。ほんの一例を挙げれば、現在も生き残っているノンフライ高級インスタントラーメン・明星「中華三昧」は、発売当時ハウス食品工業「揚夫人(マダム・ヤン)」と熾烈なサバイバル闘争を繰り広げ、さすがスパイスのハウスだけあって、通(?)の間では「揚夫人(マダム・ヤン)」のスパイシーな味付けの評価が高かったように思うが、結局万人向けの「中華三昧」が生き残り、「揚夫人(マダム・ヤン)」は現在影も形もないし、ハウスはインスタントラーメン戦線そのものから撤退してしまったようである。こういう例はほかにも枚挙にいとまなく、皆さんもお気に入りのラーメンが店頭から姿を消してしまい、がっかりした経験のある方は少なくないだろう。1971年、東京12チャンネル(「2ちゃんねる」とは無関係)、現・テレビ東京JOTXの、当時唯一の人気番組であった、日清食品提供「ヤングOH!OH!」の合間に流れてきたCMソング、♪常識っていうヤツとおさらばしたときに自由という名の切符が手に入るおお ハッピーじゃないか~Oh Happy CupOh My Happy Cupおお ハッピーじゃないか~My Cup Noodle(作詞:阿久悠/作曲:小林亜星/歌:笠井紀美子)・・・という、今書いてても照れるような、当時ですら古色蒼然たる迷文句(といっては言い過ぎかも知れないが)のイメージソングが流れてきて、その衝撃の新製品は巨姿を現わした。“Cup Noodle”のロゴマークには、当時最尖鋭であった、「サイケデリック・アート」の雰囲気が今なお封じ込められており、ロックバンド「YES」のロゴなどとともに、懐かしくも照れくさい。
2007年01月06日
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ア フ リ カ の 風曇れる海 翳雨降る海 気そして我ら星に向かいゆく我ら星に向かいゆく波の海 女神イオ 南天の星座の帆よめでたき言葉 めでたしいみじき眺め いみじそして我ら星に向かいゆく我ら星に向かいゆく常緑樹(ときわぎ) 薔薇の園アフリカの風 西からの微風の神ゼフュロス南東の風の神ウォルトゥルヌス アフリカの風の神しかして我ら星に向かいゆく我ら星に向かいゆく巡り来る季節の風よ 南風の神エウロス(副旋律詞)それぞれに気質(かたぎ)あり それぞれの気質我には我の それぞれにはそれぞれの 切なるもの覚えよ 地の生みたるもの覚えよ 生は短し我には我の それぞれにはそれぞれの 切なるもの作詞:ローマ・ライアン原語:ラテン語(くまんパパ訳)註:ラテン語の辞書を持ってないので、語源解説付きの英和大辞典と、ラテン語の子孫であるイタリア語辞典などを駆使して訳してみた。構文的には難解ではなく、むしろ単純(シンプル)だと思うが、何しろ単語が難しい。勘違いも多々あろうかと思われるので、お気づきの際は忌憚なくご指摘下さい。なお、古代ローマ・ラテン語の成句“Vita Brevis Ars longa”は「人生は短し、芸術は永し」の訳でよく知られている。Afer VentusMare nubium. Umbriel.Mare imbrium. Ariel.Et itur ad astra.Et itur ad astra.Mare undarum. Io. Vela.Mirabile dictu. Mirabilia.Mirabile visu. Mirabilia.Et itur ad astra.Et itur ad astra.Sempervirent. Rosetum.Afer Ventus. Zephyrus.Volturnus. Africus.Et itur ad astra.Et itur ad astra.Etesiarum. Eurus.Running verse:Suus cuique mos. Suum cuique.Meus mihi, suus cuique carus.Mememto, terrigena.Mememto, vita brevis.Meus mihi, suus cuique carus.
2007年01月05日
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わが髪を撫で可愛いと笑まふ子にくまのとうさんありがたうさん生きるとは君と一緒に気持ちよくなるといふことかも知れないねさつき、メイ、しはすしもつきかむなづき君の生まれし月を教へよ古本屋探せどあらず「タイタンの妖女」なりけりヴォネガット著の午前四時二十四、五分前なるも詠むべき言葉探せどあらずロバート・ラム「長い夜 25 Or 6 To 4」(シカゴ)/藤原龍一郎「とりあへず『つらき日暮れ』と書きてのち言葉さがせどさがせどあらず」などてかは知らねど不意に思ひいづジョージ・ハリソン慈愛の人を本文( )内はルビ(振り仮名)。青字は引用、自註。© Nohara Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年01月04日
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なんかアタマん中が依然として松の内モードというか、正月ボケのアッパラパーで、書くことが思いつかない。アタマをひねればいろいろと話題はあるのだろうが、文章にするのが面倒だ。なお、ウチの幼い娘たちは“アタマ”という言葉と、大好きな“アンパンマン”を、完全に混同、というか同一視してます。まあ、アンパンマンのアタマはアンパンで、かわいそうな人に食べさせたり水に濡れたりするとすぐパン屋のおじさんが新しいのを焼き上げてくれて、取り替え可能な便利なツールですから、ある意味、合っていると言えなくもない。・・・なんという的確な連想能力の、お利口ちゃんな我が子たちなんだろう。英訳:What clever and pretty girls my daughters are!おとといきのうあたりは酒の呑み過ぎですっかり腹具合がおかしくなったが、静かに沈思黙考、自分の体に相談したところ、野菜・食物繊維不足だというご託宣が降りてきた、というか、実は単純な話で、無性に野菜ジュースが飲みたくてたまらず、カゴメ野菜ジュース食塩無添加をボトル半分もがぶ飲みして寝たところ、一発で直った。けさは嘘のように爽やかな気分である。たいしたたまげた。恐るべし、野菜ジュース。身内にも、野菜を食わないとガンになるぞとか脅かして無理にでも摂らせている。さて、とりあえずお節料理について書きますが、僕はこれ、目がないんですよ。普段の食事から見れば非常に高価な、何万円もするシロモノなのに、大好きという人はほとんどお目にかかったことがない。これ、非常にもったいない話だと思う。なんかあの「まめに働くから豆」だとか、縁起担ぎの語呂合わせ(駄洒落)みたいのは辛気臭くて説教くさくて食傷気味だが、なにしろ味が純粋に美味いと思う。実は、嫌う人の気分も分からないでもないのだ。僕も子供のころは大嫌いだった。あんなしょっぱくて味気のない加工食品みたいのばっかりで、なんで大人はあんなのを後生有難がるんだろうと思っていた一人だ。特に数の子は嫌だった。蒲鉾もゴムを噛んでるみたいだし、栗金団もやたらに甘いばかりで、チョコレートやケーキが漂わせるデリカシーが全く感じられない代物だった。昔は甘味が貴重だったせいか、この種のものはやたらと甘くてね。関東・江戸前の伝統というか土地柄というか、これでもかというほどクドイ甘さだった。当時の子供が言うんだから間違いない。近頃では、もの皆減塩・甘さひかえめ、関西風になってきており、基本的にはいい傾向だと思うよ。ただし、except蕎麦で、日本そばのつゆに限っては、“減塩”なんてタワケたことを言わないでほしい。最近では、伝統の「藪」系そば屋でも「減塩を心がけています」なんて張り紙が店内に張ってあったりする。・・・おそば屋さんは、そんなこと心がけないでいいの!大奥御用達・更科系の甘口・上品な店はともかく、やぶ系のそばつゆは、辛くてそばを全部つけられないぐらいでいいの!!それが江戸の美学なの!全国そば屋の手本、浅草雷門南の名店・並木藪そばのしょっぱい超辛口を見習ってほしい。おせちに話を戻せば、チョロギだの田作りだのナマスに至っては、普段見慣れないこともあり、ちょっと人間の食い物とは思えなかった、といっては大げさか。ただし、除くexcept伊達巻、だけは別。これだけは子供のころから好きだった。最近では、より上品な、京風端麗薄味繊細な味付けの「錦玉子」が my favorite である。ところがどっこい、大人になるとそういったものが実に旨いんだな~。やっぱし酒の味を覚え、人生の滋味・苦味を知り、恋の味を知り(それは関係ないか)、三十路坂越えぐらいになってくると、自然とこうしたものが美味くなってくるから不思議だよ。ちなみに筆者はとうに四十路坂を越え、ますますご満悦。それは葱とか、茗荷とか、根生姜とか、ピーマンとか、子供の頃はゲゲ~であったものの美味しさが分かってくるのと軌を一にしている。・・・加えてウチなんか、夫婦そろって芹科植物(せり、セロリ、ニンジン、ミツバ)が大好きだから、蓼食う虫も好き好きですわ、いやホント。まあ、要するに、上等な酒のつまみが揃っている、ってことだけど。また、日本酒はもちろん、麦酒、ウヰスキイ、白葡萄酒(ヴァン・ブラン)、焼酎などなど、(たぶん赤ワインを除く)どの酒にも合うざんすよ。カレーもいいけど、おせちもね♥・・・ざんす。ちなみに、衒学癖(ペダントリー)というか瑣末主義(トリヴィアリズム)の虫がウズウズしてしまうので、嫌われるのを承知で書くが、言葉のマニアとして一言知ったかぶりをすると、「しょっぱい」と「塩」は語源的に無関係である。従って、「塩っぱい」と書くのは誤りである。これは、上古語の「しは(しわ、唇)」と「はゆし(刺激される感じだ)」が合わさったものである。「はゆし(はゆい)」は、「面映い(照れくさい)」とか「眩(まばゆ)い(まぶしい)」とか「こそばゆい」とか、いろいろな単語の造語成分になってるざんす。
2007年01月04日
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あけましておめでとうございます旧年中はひとかたならぬご厚誼を賜り、誠にありがとうございました。本年も旧年に倍し何卒よろしくお願い申し上げます。・・・な~んて、ちょっと古めかしい言葉遣いですが、昔の年賀状には、よくこういう堅苦しい文言が書いてありました。僕も、このぐらいのこと言わないと挨拶した気がしない。僕の世代(40代末)ですら浮いてます。これだから、友人には“昭和生まれの明治男”なんて言われちゃうんだよね。・・・でも、こう見えて空気は読める男なんですよ(何の話してるんだか)。さて、お正月も普段と変わらず、2歳9ヶ月になった三つ子三人娘たちの子育て三昧、というか、いつもよりむしろ大変でした。メチャンコ可愛いけど、疲れた~。でもスキンシップはたっぷりと出来ました。女の子と父親の関係って、ちょっと恋愛感情のヒナ型というか萌芽というか、そんな感じが漂ってまして、世上言われる「女性の“男運”は父親で決まる」というのは本当だな~、なんて思っちゃって、ある意味、そら恐ろしい感じもするざんすよ。――お屠蘇気分で、余計なことまで書いてしまいました。
2007年01月03日
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