全28件 (28件中 1-28件目)
1
小野小町思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを古今和歌集 552 恋歌二 思いながら寝たので、あの人が見えたのかしら。夢と知っていたなら覚めなければよかったのに。(拙訳)註大伴家持「夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきてかきさぐれども手にも触れなば(夢の契りはつらい、目覚めて手探りしても何も触れないのだから)」(万葉集741)松岡映丘「うたたね」うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき古今和歌集 553 恋歌二 うたた寝に恋しい人を見てからは、夢ってものを頼りにしはじめたのよ。(拙訳)註うたた寝の夢幻境は誰しも好きだろうが、特に古来、文人・詩人たちに愛されてきた。大詩人ステファヌ・マラルメの傑作「半獣神の午後(牧神の午後)」も、真夏の森の木陰で半獣神ファウヌス(パン)がうたた寝をして美しい妖精(ニンフ)たちの幻影を見るという詩である。それにしても、現象としては似てるが、「居眠り」と言ったのでは、まるっきり風情がないざんすね。なお、うたた寝の「うたた」は「現(うつつ)」と同語源とする意見もある(国語学者・大槻文彦)。藤原隆信「うたたねの夢や現(うつつ)にかよふらむ覚めてもおなじ時雨をぞ聞く(うたた寝の夢は現実と往還するのだろうか、目覚めても夢の中で聞いていたのと同じ時雨の音を聞いている)」(千載和歌集407)いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る古今和歌集 554 恋歌二とっても恋しくてたまらない時は、夜の衣を裏返しにして着る。 註当時、寝巻き(またはその袖)を裏返して寝ると、恋しい人を夢に見るという伝承があった。また、恋するもの同士がそうすると、お互いを夢に見るとされていた。民俗学者で歌人だった折口信夫(しのぶ)は、この歌を「呪術的」と評している。万葉集2812「吾妹子に恋ひてすべなみ白妙の袖かへししは夢に見えきや(君に恋しているのに逢うすべがないので、白い寝巻きを裏返したのが夢に見えたかい?)」同2813「わが背子が袖かへす夜の夢ならしまことも君に逢へりしがごと(ダーリンが袖を裏返した夜の夢らしい、ホントにあなたに逢えたみたいね)」世評にたがわず、才女・小野小町の和歌は天才的といって差し支えないだろう。キュートであり、そこはかとなく妖艶・エロティックでもあるが、和歌という短詩形式のせいもあって、決して重くならず、軽やかな洒脱さをまとっている。それにしても、天下の美女(・・・なのかどうか、会ったことがないのでよく知らないが)小野小町を夜も眠れないほど恋焦がれさせた色男は、どこのどいつだ?やはり、噂どおり在原業平あたりか?・・・それとも谷原章介か?!
2007年02月27日
コメント(0)
鞦韆(しゅうせん)は垂るオリオンの星座より山口青邨(せいそん、1892-1998)名句、秀句、佳句はあまりにも世にありすぎて、どれから紹介していいか分からない。とてもじゃないが、僕などの手には余ることである。少なくとも、日本人に生まれて良かったと思うばかりである。和歌・短歌と俳句は、同じ5・7・5の韻律を用いるし、歴史的に見ても俳句が和歌の一種である連歌の上(かみ)の句から発生したことは明らかではあるが、両者は全く別物だと思う。俳句ってものは、たったの十七文字(17音)で、しかも大部分の俳人が属する主流・正統派では、必ず季語を入れなければならないというキッツイ制約がありながら、時々こういう、驚くほどスケールが大きい雄句を生み出してきた。規矩があるから却って最高度の自由が表現され得るという、人間精神の根源的な摩訶不思議さを典型的に示している。ただちに松尾芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」や、与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」などが思い浮かぶのは僕だけではないだろう。ただ、これらに比べ、より幻想味が増しており、どことなくユーモアさえも湛えており、現代俳人ならではの秀作である。大げさに言うと、フランス象徴主義の総帥であった詩人ステファヌ・マラルメの言う、「宇宙代置(置換)」の試みともいえようか。いわば、「この全宇宙が滅んでも、この一句が残ればいい」というような気宇とでもいうか。俳聖芭蕉は、伊賀生まれのれっきとした武士であり、若い頃は地元の大名・藤堂家の近習まで勤めたエリートで、その後も映画に出てくるような“いかにも”の忍者ではないとしても、一種の公儀隠密、すなわち幕府の「上忍」だったという説も一理あるように思われる。こういう人を“教祖”とする俳句ってものには、常にそういう、秘めたる裂帛の殺気が立ち込めていて、僕には非常に怖いものに感じられる。いわば死と隣り合わせの、一種の武士道そのものと言ってもいいだろう。僕は俳人・俳諧者というものをものすごく尊敬しているが、自分ではとても詠めない(・・・いや、短歌も大して詠めてませんけどね)。やっぱりエレガントな王朝文化に連なる“軟派”な和歌・短歌の方がいいざんす。註鞦韆:ブランコ。
2007年02月27日
コメント(0)
河島英昭氏の現代語訳の著作権侵犯(無断引用)はやっぱり多少ヤバいと思うので、ジュゼッペ・ウンガレッティの詩のご紹介はこれでおしまいにするが、とにかくどれもこれもすみずみまですばらしいことは、僕が思うだけではなく、世界の目利きの定評である。詩親愛なるエットレ・セッラよ詩とはこの世界であり人類愛だそして自分の命だ言葉から咲き出たものだ錯乱の酵母から浮かび上がった驚異だ沈黙の奥に一つの言葉を見つけたときそれは命のなかから抉り出した一つの深淵だ1916年、ログヴィッツァ(河島英昭訳)註大きく出た、大胆不敵なタイトル「詩」は、後に「休暇」に改題された。・・・さすがの大詩人も照れたか。エットレ・セッラ:第一次世界大戦当時イタリア陸軍中尉で、詩人の戦友。詩人の最初の理解者となり、1916年12月、デビュー詩集「埋もれた港」を自ら編集し出版させた。・・・陸軍士官までもが詩を解するとは、なるほどイタリア人って、戦争弱いわけだよね。
2007年02月26日
コメント(2)
20世紀世界最高の詩人の一人だったジュゼッペ・ウンガレッティのウンガレッティ全詩集(河島英昭訳)は、楽天ブックスでは絶版らしい。興味のある方は、最寄の図書館へどうぞ。なお厳密に言うと、ここに掲げた現代語訳は、その河島英昭氏の無断引用なので、ほどほどにしとかないとヤバいかも知んない(イタリア語が分かれば自分で訳すんだけど、さすがにキビシ~かな~)。それにしても、どの詩もすばらしくて甲乙つけがたい。圧倒的に清澄で透明感のある言葉の宇宙が構築されている。美しい夜どこの歌声が湧き起こって今夜は織りなすのか水晶のこだまする心で空のイリュミネーションを?どこの祭りが涌き出たのか婚礼の心から?そのとき以来心親しく生み出されてくる宇宙の一瞬一瞬が久しくぼくは暗闇の水たまりだった空間に現れるたびにぼくは噛みついた乳房にすがりつく赤児のようにいまは心もなごんだぼくは宇宙に酔い痴れている海へ出てぼくはそよ風の柩に入った(河島英昭訳)註:この詩の最後の4行は、その後の改訂で、詩人自らの手によって独立の四行詩(ソネット)「宇宙」として分離された。LA NOTTE BELLAQuale canto s'è levato stanotteche intessedi cristallina eco del cuorele stelleQuale festa sorgivadi cuore a nozzeSono statouno stagno di buioOra mordocome un bambino la mammellalo spazioOra sono ubriacod'universoDevetachi, il 24 agosto 1916
2007年02月25日
コメント(0)
第七十七条 次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について当該行為に係る場所を管轄する警察署長(以下この節において「所轄警察署長」という。)の許可(当該行為に係る場所が同一の公安委員会の管理に属する二以上の警察署長の管轄にわたるときは、そのいずれかの所轄警察署長の許可。以下この節において同じ。)を受けなければならない。一 道路において工事若しくは作業をしようとする者又は当該工事若しくは作業の請負人二 道路に石碑、銅像、広告板、アーチその他これらに類する工作物を設けようとする者三 場所を移動しないで、道路に露店、屋台店その他これらに類する店を出そうとする者四 前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーションをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者2 前項の許可の申請があつた場合において、当該申請に係る行為が次の各号のいずれかに該当するときは、所轄警察署長は、許可をしなければならない。一 当該申請に係る行為が現に交通の妨害となるおそれがないと認められるとき。二 当該申請に係る行為が許可に付された条件に従つて行なわれることにより交通の妨害となるおそれがなくなると認められるとき。三 当該申請に係る行為が現に交通の妨害となるおそれはあるが公益上又は社会の慣習上やむを得ないものであると認められるとき。・・・この第77条第2項(第3号)の規定により、伝統的なお祭りなどは、土曜日・日曜日に幹線道路を止めたりして大手を振って行えるわけですね。警察権力の側が「許可をしなければならない」という形の規定は、けっこう珍しいんじゃなかろうか。これほど官僚的な文章の中にかすかに見出せる、人の温もりが感じられる(?)条文である。・・・ほとんどコピー&ペーストな記事でした。
2007年02月25日
コメント(0)
僕は、昔から「道路交通法」の大ファンである。膨大な条文を読んでいると、うっとりしてしまう。いや、マジで。この難解さ・晦渋性は、文学、ことに「現代詩」の域に達している。論理的厳密さと整合性を極点まで追求すると、論理を突き抜けて詩が顕現してくるという、一つの見本といえよう。・・・これは半分皮肉をこめたジョークだが、半分本音だ。すでに、大詩人・谷川俊太郎が、詩集「日本語のカタログ」に、一種の詩のようなものとして収録している。また氏の持ち味を最大限に発揮した、静謐でスタティックな詩集「定義」にも、「道路交通法」の条文が影響を与えたと僕は見ている。まず、序の口から。第十九条 軽車両は、軽車両が並進することとなる場合においては、他の軽車両と並進してはならない。う~む、なにげにワケ分かんない&すばらしい。以下は、一つの白眉といえる。第三十八条 車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。2 車両等は、横断歩道等(当該車両等が通過する際に信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等により当該横断歩道等による歩行者等の横断が禁止されているものを除く。次項において同じ。)又はその手前の直前で停止している車両等がある場合において、当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、その前方に出る前に一時停止しなければならない。3 車両等は、横断歩道等及びその手前の側端から前に三十メートル以内の道路の部分においては、第三十条第三号の規定に該当する場合のほか、その前方を進行している他の車両等(軽車両を除く。)の側方を通過してその前方に出てはならない。すばらしいのひと言だ。横断歩道をモティーフとして、現代日本語で書かれた散文詩の傑作である。僕は古い六法全書を持っているが、これでもいつのまにかずいぶん分かりやすく改正されてしまって、非常に不満である。・・・ま、普通の言葉で言えば、「ワケの分からない悪文の典型」と言うんだろうけどさ。もちろん、車や自転車を運転する皆さんは、きちんと理解して、遵守シナケレバナラナイ。
2007年02月25日
コメント(0)
昔むかし赤ずきんの森へ来て見れば緑のビロードのソファーのようにやわらかな斜面がある思えば遠い街路のカッフェでまどろんでいたものだ独りきりでぼくは今夜のこの月のようにかすかな光を浴びながら1616年8月、標高141地点にて(河島英昭訳)訳者註:「ボスコ・カップッチョ(赤ずきんの森)」は、前年1915年夏の凄惨な戦闘の舞台になった。C'ERA UNA VOLTABosco Cappuccioha un decliviodi velluto verdecome una dolcepoltronaAppisolarmi làsoloin un caffè remotocon una luce fievolecome questa di questa lunaQuota 141, l'1 agosto 1916
2007年02月24日
コメント(0)
埋もれた港詩人はそこまでたどりつき歌をたずさえて光のなかへ帰ってくるそして撒きちらすのだその詩から僕には残る尽きない秘密のあの虚しさが(河島英昭訳)ジュゼッペ・ウンガレッティ(1888-1970)。20世紀イタリア最高の詩人。この短い詩は、1916年6月、第一次世界大戦の最前線の塹壕の中で書かれた、詩人28歳の鮮烈なデビュー作。IL PORTO SEPOLTOVi arriva il poetae poi torna alla luce con i suoi cantie li disperdeDi questa poesiami restaquel nullad'inesauribile segretoMariano, il 29 giugno 1916
2007年02月24日
コメント(0)
今日から折にふれ、古今東西の詩歌を、皆さんとともに味わっていきたいと思う。我ながら、いいところに目をつけたもんだと思う。もともと好きな分野だし、その気になればネタは無尽蔵、いくらでもあるもんね。現代詩歌を除けば、著作権違反の恐れはないし、ネタ切れの心配もなくて、言うことなしざんすよ。(例えば、万葉集一つとってみても、1日一首紹介していったとして12年かかる!)――ネタの安定供給は確保された。なお、詩歌は「しか」ではなく「しいか」と読むのが慣わしである(受験生は覚えておくよ~に)。そのせいもあって、なんか「のしいか」に似てるな~と思う。・・・そのココロは、これがなくても生きていくのに困らないが、あると楽しい。噛めば噛むほど味わいがあって、滋味豊かである。とりわけ酒類と相性がよろしい、ってなことかな~。さて、その万葉集といえば、なんといっても和歌・短歌の最初にして最高・最大の桃源郷・シャングリラであり、「日本文化とは何か?」と問う時には避けて通れないエッセンスである。やはり、この辺からはじめるのが至当であろう。ジャパニメーションやオタク文化などから始まった世界的な日本文化ブームは、いずれその淵源である万葉集に及ぶだろうと、僕はニラんでいる。その成立過程については多くの学者が研究しており、詳しく言うとなかなか複雑なようだが、簡単に言うと最初の方の巻1・巻2あたりが核(コア)として早くに出来ていたが、これに父・大伴旅人をはじめ当時の有名な歌人たちの家集(今でいう「全集・選集」)の作品や詠み人知らずの作品を加え、庶民の東歌なども採録して、現在伝わる形に編集した(760年頃、一応成立か)のが大伴家持(おおとものやかもち、718-785)であることは確かなようである。グレート・ポエット“ヤカモッちゃん”には深く感謝し、リスペクトしている。それではまず一発目は、万葉集所収の、わがふるさと下野の国(栃木県)の東歌(あずまうた)から。・・・1300年前も、やっぱりナマってました。下野(しもつけ)の三毳(みかも)の山の小楢のす 真妙(まぐは)し児ろは誰(た)が筍(け)か持たむ万葉集 巻14 3424 下野の国の歌下野の三毳の山の小楢のように美しい子は誰の(妻になって、その)食器を持つのだろう(拙訳)註:三毳山:現・栃木県佐野市南東部、東北自動車道・佐野サービスエリアの直近にある。「す」は当時の標準語「ぞ」の訛り。「ろ」は「ら」の訛りだが、複数形の意味はない。現代語で、単数でも「こども」と言うようなものである。「(ま)ぐはし」は、精妙・繊細な美しさを言う。現代語「詳しい」と同語源。
2007年02月23日
コメント(0)
枕草子 角川第146段(新潮144段、岩波151段)かわいいもの 瓜に描いた子供の顔。雀の子が、チュッチュッと“鼠(ねず)鳴き”すると、躍り上がって飛んで来るの。一、二歳ぐらいの幼子が急いで這ってくる途中に、すごく小さな塵があったのを目ざとく見つけて、とっても可愛らしい指にとらえて大人なんかに見せてんの。メッチャ可愛い。頭がおカッパの女の子が、目に髪が掛かったのを掻きあげもせずに、首をかしげてものなど見ているのも、キャワユイ~。大柄ではない殿上人の子供が、装束を飾り立てられて歩くのも、可愛い~。愛らしい幼子を、ほんのちょっとの間抱っこして遊ばせて可愛がっていたら、抱きついて寝ちゃったの、すっごく桐島可憐なの。雛人形の道具。蓮の浮き葉のすっごく小さいのを、池から取り上げたの。葵のすごくちっちゃいの。何でも何でも、小さいものは、みんな可愛いの。ものすごく色白で太った幼子の1歳ぐらいなのが、(大人の)二藍(濃紫)の羅(うすもの)なんかを、丈を長めにして、袖を襷(たすき)に結わえたのが這い出してきたの、また、小さい子が袖ばっかりになったみたいのを着て歩くのも、みんな可愛い。七つ八つ九つぐらいの男の子が、声は幼げでいて、(難しい漢書などの)本を朗読してんの、すっごく可愛い。鶏の雛が、脚を長く出して白くて愛らしく、お尻をからげたつんつるてんの着物のような格好で、ピヨピヨとかしましく鳴いて、人の後ろや前に立って歩くのもすてきね。また、親鶏がいっしょに連れ立って歩くのも、みんな可愛いわね。雁の卵、ガラスの壷。〔雁(かり)のこ、瑠璃(るり)の壷(こ)よ。・・・ザブトン10枚よっ!〕(拙訳)註:「うつくし」は「うつくしむ(可愛がる)→いつくしむ」と同語源で、ほぼ「可愛い」の意味に相当する。現代日本語「美しい」とはかなりニュアンスが異なる。原文の「二つ三つ」は数え年(生まれた時に1歳、正月ごとに1歳を加える)なので、現在の満年齢でいうと、0歳数ヶ月から2歳に当たる。当時ハ行は、パピプペポと発音したことは定説。したがって原文「ひよひよ」は「ピヨピヨ」と発音した。「ひよこ」の語源がよく分かる。うつくしきもの瓜にかきたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来るみちに、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし。かしらは尼剃ぎなるちごの、目に髪のおほへるを、かきはやらで、うちかたぶきて、ものなど見たるも、うつくし。 大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられてありくも、うつくし。をかしげなるちごの、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。 雛の調度。蓮の浮き葉のいと小さきを池よりとりあげたる。葵のいと小さき。なにもなにも、小さきものは、みなうつくし。 いみじう白く肥えたるちごの、二つばかりなるが、二藍のうすものなど、衣長にて、たすき結ひたるがはひいでたるも、また、短きが袖がちなる着てありくも、みなうつくし。八つ九つ十ばかりなどの男児の、声はをさなげにて文読みたる、いとうつくし。 にはとりのひなの、足高に、白うをかしげに、衣短なるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに、たちてありくも、をかし。また、親の、ともにつれてたちて走るも、みなうつくし。 かりのこ。瑠璃の壷。
2007年02月22日
コメント(0)
このところ、小納言の清(せい)さまにかまけて(なれなれしいか)書き忘れてましたが、13日(火)の記事に書いた次女(2歳11ヶ月)の風邪は、この一週間の間に、長女(同)、三女(同)、妻(39)に感染(うつ)り、一巡しました。・・・やっぱし次女、長女、妻はいずれも39℃の高熱で一時ダウンしましたが、おとといぐらいまでに何とか終息を見たようです。あ~イガッタイガッタ。三女は筋肉質で見るからに丈夫なのですが、比較的軽かったようです。なお、僕くまんパパだけは全く無事、・・・というか、この冬は一度も風邪一つ引いてません。バカは風邪引かないという古来の格言は、やはり正しいようでございます。
2007年02月20日
コメント(4)
枕草子 角川第183段(新潮180段、岩波188-190段)病気は、胸、もののけ、脚の気。それに、ただなんということもないけれど、ものが食べられない気分。十七、八歳ぐらいの人が、髪がとってもきれいで身の丈ほどもあって、その先はすごくふわゆらふさふさしてるの。とってもふくよかで、ものすごく色白で、顔が可愛らしくて、いいわ~と思える女の子が、歯をメチャクチャ患って、垂らした前髪もぐしょぐしょに泣き濡らして乱れ掛かっているのも知らず、顔も真っ赤にして押さえているのは、ホント、すてきなのよね~。九月あたりに、白い一重のふんわりしたのに袴のよく合うのを着けて、紫苑の着物のすごく上品なのを纏って、胸をひどく煩っているので友達の女房(キャリアウーマン)なんかが次々来てお見舞いして、部屋の外の方にも若々しい公達がたくさん来て、「大変お気の毒なことです。いつもこんなにお苦しみなのですか?」なんてお座なりに言う人もいる。心を掛けている人は、本当に可哀想だと(人知れぬ仲などはまして人目を忍んで、そばに寄るに寄れず)思い嘆いているのがホントにすてき。とっても麗しく長い髪を引き結わえて、吐こうとして起き上がった様子も、可愛らしいわね。陛下にも聞こし召されて、おまじないの御読経の僧侶の声のいいのをお遣わし下さったので、枕元に几帳を引き寄せて、隔てて座らせた。さほどでもない狭さなので、お見舞いの女性が大勢来てお経を聞いたりするのも丸見えで、ちらちら見ながら読んでいるのは、こりゃバチが当たるよ~、と思われたわよ。(拙訳)註:胸:不詳だが、この文の場合、結核(肺病、労咳)のことではないようである。角川ソフィア文庫版は、註釈で結核説を真っ向否定している。結核の場合、当時は不治の病。この文の場合、胃酸過多による胸やけの悪化したもの、みたいな感じか。・・・「太田胃散」でも服用すると利くだろうか。もののけ:怨霊(に取り憑かれること)。今でいうと、何らかの慢性疾患に、精神的な抑鬱状態が重なったようなものか。脚の気:脚気。ビタミンB1欠乏症。ビタミンB複合体が多い胚芽(米ぬか)を摂取せず、肉食をしないことによって起こる。悪化すると死に至る。後世、江戸時代には白米常食による「江戸わずらい」として恐れられた。樋口清之「おもしろ雑学日本意外史」(三笠書房・知的生き方文庫)によると、平安貴族の死因は、おおよそ肺結核が55%、脚気が20%という研究結果もあるという。平均寿命も、せいぜい35歳ぐらいだった。背景には、運動不足とストレスによる免疫力の低下もあったろう。当時の主食は玄米だったので、適量を食べていればビタミンB群は摂取できたはずだが、現在の炊いた(「煮る」ことの一種)ご飯と異なり、蒸し飯(いい)だったので、食感は非常にパサついて、とてもたくさんは食べられない代物だった。僕も玄米を食べたことがあるが、味はまあまあ悪くないが、これが毎日ではちょっとキツイな~と思った。まして蒸し飯ではキビシイね。おかずも、運輸流通・冷蔵庫のない時代とあって干物ばかりで、あまり食欲をそそるものではなかったようである。虫歯も、口腔内の糖質などの富栄養が背景にあると思われるから、これらはすべて当時の王侯貴族ならではの“特権的”病気だったともいえる。非常に贅沢な生活をしながら、食生活は糖質・炭水化物に著しく偏った、一種の栄養失調状態だったとも言われる。さらに、当時すでにけっこう発達した医学もあったが、平安貴族は医師を呼ばず、不例(病気)の時はこの文のようにもっぱら当時舶来のモダーンな先進思想であった仏教・密教の加持祈祷に頼った。宗教のもつ心身症(最近ではガン発生への精神的ストレスなども指摘されている)や精神病などへの一定の癒す力・治癒力は認めるが、これでは治るものも治らなかったろう。なお、庶民は野山を駆け巡る比較的健康的な生活をし、動物性蛋白質、すなわち肉類も食べ、またその日その日を生きるのに精一杯で、もののけに取り憑かれる暇もなかった?十八、九:数え年(生まれた時に一歳、正月ごとに一歳加える)なので、現在の満年齢でいえば、16~18歳に当たる。八月:太陰暦(旧暦)なので、現行の太陽暦(新暦)ではほぼ9月頃。( )内「人知れぬ仲・・・」のくだりは、能因本(写本)のみに存在。この部分は、どうも贋作臭いように思われる。病は、胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくてたけばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えていみじう色しろう顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、みだれかかるも知らず、おもてもいとあかくておさへてゐたるこそをかしけれ。八月ばかりに、白き単(ひとへ)なよらかなるに袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など数々来つつとぶらひ、外のかたにもわかやかなる君達あまた来て、「いといとほしきわざかな。例もかうや悩み給ふ。」など、ことなしびにいふもあり。心かけたる人は、まことにいとほしと(人知れぬ仲などはまして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず)思ひなげきたるこそをかしけれ。いとうるはしう長き髪をひき結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。上にもきこしめして、御読経の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひきよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまたきて経聞きなどするもかくれなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。〔寸評〕病気の話題でさえ半ば面白がり、いわばエンタテインメントにしてしまう、清少納言さまの超絶の美意識の面目躍如たる文章である。19世紀末にフランスの詩人シャルル・ボードレールが詩集「悪の華(病気の花)」を以って西洋世界に呈出した、病的なデカダンス(頽廃)の美が、わが国ではすでに900年も前に清少納言によって見出されていた。・・・ただ、こういう才気走ったところにカチンとくる人もいるのは世の常で、強烈であからさまなエリート意識もあいまって、彼女が嫌いという人は、政敵でもあった紫式部をはじめ、当時も今も少なくない。
2007年02月20日
コメント(0)
枕草子 角川、新潮第40段(岩波43段)虫は、松虫、蜩(ひぐらし)、蝶、鈴虫、蟋蟀(こおろぎ)、きりぎりす、われから、かげろう、蛍。蓑虫は、とってもしんみりするわ。鬼が生んだ子だというので、親に似てこれも恐ろしい心を持っているんだろうと、親のおんぼろな着物をひっかぶせて、「今に、秋風が吹いてくる頃には迎えに来るからね、待ってんだよ。」と言い置いて逃げて行っちゃったのも知らず、風の音を聞き分けて、八月頃(現在の九月頃)になると、「ちちよ、ちちよ」と儚(はかな)げに鳴くのが、めちゃくちゃしみじみあわれなのよ。ぬかづき虫、これがまたじーんと来るのよね。一寸の虫でも道心を起こして、ぬかづいて歩いてるらしいわよ。思いがけず、暗いところでピョコピョコお辞儀して歩いてるのは、ホントすてきだわね。蝿ったら、「憎らしいもの」の中に入れた方がよかったぐらいの、可愛げがないものもあるかしら。いっちょまえに「人民の敵」なんかにするほどの大きさでもないけど、秋口なんか、もうどんなものにでも止まるし、顔なんかに濡れた足で止まったりなんてね~。人の名前に付いてるのは、もう「あっち行ってて」よね。夏虫、とってもすてきで、愛らしいの。灯し火を近くに引き寄せて小説など読んでいると、本の上なんかに飛び歩いてんの。すっごくすてき。蟻は、すごく憎たらしいけれど、身軽さはものすごくて、水の上をすいすい歩き回るのは、ホントにすてきだわね。(拙訳)【原文】虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。 蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず暗き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。 蠅こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき大きさにはあらねど、秋などただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。 註原文の「鈴虫」は、現在のマツムシ。「松虫」は、現在のスズムシ。「きりぎりす」は、現在のコオロギ。後世、江戸初期の松尾芭蕉の名句「むざんやな甲の下のきりぎりす」(「奥の細道」所収)も、コオロギの意味である。「はたおり」は、現在のキリギリス。「われから」は、不詳。ガガンボなどか?「ひを虫」は、現在のカゲロウ。ミノムシ(ミノガの幼虫)が鳴くのかどうか知らないが、「ちちよ」は「乳」に掛けている。ザブトン2枚。「ぬかづき虫」は、現在のコメツキムシ。「蝿が人の名前に付いている」というのは、当時は少なからず実例があった(「蝿麿」など)。中には「糞麻呂(くそまろ)」という例もあったことが知られている。「夏虫」は、ウスバカゲロウとかガガンボ、セセリチョウやら小さな甲虫類などを総称して指しているものと解されている。当時、火に寄ってきて身を焦がす夏虫は、恋に身を焦がす男女と二重写しになって、ロマンティックなイメージがあった。夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり(夏虫が身をいたずらに滅ぼすことも、同じ恋の火によるものだった) 古今和歌集544
2007年02月19日
コメント(0)
枕草子 角川、新潮第39段(岩波42段)気品があるもの薄紫に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。雁の卵。かき氷に甘葛(あまずら)の蜜を入れて、新しい銀のお椀に入れたの。水晶(クリスタル)の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかったの。めちゃめちゃかわいい稚児(幼子)が、苺なんか食べてるの。(「ちご」と「いちご」のお上品なシャレにもなってるのよ。・・・ザブトン3枚だわね 。)(拙訳)あてなるもの 薄色に白襲の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷(ひ)にあまづら入れて 新しきかなまりに入れたる。水晶(すゐさう)の数珠(ずず)。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。 汗衫(かざみ):一重または二重の、主に夏季の軽装の上着。国風文化の中で、後に宮中の女官や童女の正装と見なされるようになった。
2007年02月19日
コメント(1)
枕草子 角川第239段(新潮236段、岩波254段)星は、昴(すばる)、彦星、夕づつ。夜這い星、ちょっとすてきね。・・・尻尾さえなければ、もっとね 。星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。註まいて:「まして」の音便。この段は、短い割には註釈が要りますね。昴:羽子板星、プレヤデス星団。現在、オリオン座の右上にほのめいている。彦星:牽牛星、鷲座アルタイル。天帝(北辰、北極星)の娘・織姫(織女、琴座ヴェガ)との七夕伝説は古来有名。夕づつ:宵の明星、あかぼし。金星、英語ヴィーナス。月を別とすれば、地球にもっとも近い天体なので、非常に明るい。また地球から見て太陽に近いので、早朝の日の出直前または夕方の日没直後にしか見えず、また惑星であるから軌道上の位置によって見えたり見えなかったりし、見える場所も一定しない。「素朴天動説」の古代人には、ことのほか神秘的であったろう。2月下旬現在、夕方6時ごろ、南西の低い空に妖しくきらめいている。夜這い星:彗星、ほうき星。太陽系内の小惑星の一部。楕円軌道を描くため、定期的に地球に近づき、太陽のエネルギーを受けて微細な物質を放出するのが、しっぽのように見える。
2007年02月19日
コメント(0)
枕草子 角川第254段(新潮251段、岩波269段)すべてのことよりも、情があることこそが、男はもちろん女にとっても、すばらしいことだと思われるわ。こともなげな言葉だけど、切実に心の深くからではなくても、気の毒なことを気の毒とも、かわいそうなことを「本当に、どんなお気持ちだったことでしょう」とか言ったというのを人伝てに聞いたのは、差し向かいで言われるよりもうれしいわ。何とかして、この人に、「お情けが身に染みましたよ」と分かってもらえないかな~と、ホントにいつも思っているのよ。必ず心配してくれる人、見舞ってくれるはずの人は、当たり前のことだから、とりたててどうってほどのことはないのよ。そうじゃないような人が、受け答えを親身になってしてくれるのは、うれしいことなのよね。とっても簡単なことだけど、ザラにはありえないことなのよね。だいたい、善人で、実際に才能もないわけじゃないという人は、男も女も、めったにいないみたいだね。はたまた、そういう人も多いだろうね。(拙訳)よろづのことよりも情(なさけ)あるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心深く入らねど、いとほしきことをば「いとほし」とも、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ。」などいひけるを、伝へて聞きたるは、さしむかひていふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがな、と常にこそおぼゆれ。かならず思ふべき人、とふべき人は、さるべきことなれば、とり分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをも後ろやすくしたるは、うれしきわざなり。いとやすきことなれど、さらにえあらぬことぞかし。おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人多かるべし。註:最後の一行のつながり方は、今ひとつ“あやし(ワケ分からない)”。印刷のなかった時代、写本の写し間違いでもあろうか。
2007年02月18日
コメント(1)
枕草子 角川第253段(新潮250段、岩波268段)男はホント、もう何ともありえないぐらい奇妙奇天烈な心地のものではあるわよね。とっても清純な人を捨てて、すごく醜い人を妻に持つのも、奇怪だわよ。公の場所に出入りする男、いいところの息子などは、たくさんいる中にいいと思う女の子をこそ選んで、お思いなさればいいのにね。近寄るまじき高貴な女性であっても、すばらしいと思うような人を、死ぬほど愛し抜きなさいませよ。立派な人の娘、まだ見ぬ人などでも、器量よしと聞いたらもう、何としてでも・・・と思うのが男なんじゃないの。しかるに、女の目から見てもダサいと思う女を思うのは、いったいど~ゆ~ことなのよ?顔かたちがすっごく良くて、心もすてきな人で、字もきれいに書き、和歌もしみじみ詠んで恨みの手紙を送って来たりするのに、返事は小ざかしくしながら寄り付かず、つつましくさめざめ嘆いているのを見捨てて行くなんてことをするのは、呆れ果てて義憤すら感じて、傍目(はため)の気分までブルーになると思うんだけど、本人の身の上では、ちっとも心苦しさを思い知らないんだね~。(拙訳)男こそ、なほいとありがたくあやしきここちしたるものはあれ。いと清げなる人を捨てて、憎げなる人を持たるもあやしかし。公(おほやけ)所に入り立ちする男、家の子などは、あるが中によからむをこそは、選(え)りて思ひたまはめ。及ぶまじからむきはをだに、めでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかかれかし。人の娘、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふは、いかなることにかあらむ。 かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれによみて、恨みおこせなどするを、返りごとはさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち嘆きてゐたるを、見捨てて行きなどするは、あさましう、公腹(おほやけばら)立ちて、見証(けんそ)のここちも心憂く見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。
2007年02月18日
コメント(2)
きららかにをかしをかしすてきすてきと言へるひと YES I LOVE 清少納言
2007年02月17日
コメント(0)
枕草子 角川、新潮第27段(岩波第30段)過ぎ去ったことが恋しいもの(賀茂の祭りの時からそのままになっていた)枯れた葵。人形遊びの調度類。二藍、海老紫染めなどの端切れが、押しつぶされて本の中なんかに挟まっていたのを見つけたこと。また、ある折にジーンとした人からの手紙(和歌)を、雨など降って退屈な日に探し出したこと。去年の夏扇。(拙訳)過ぎにしかた恋しきもの枯れたる葵。雛遊びの調度。二藍(ふたあゐ)、葡萄染(えびぞめ)などのさいでの、押しへされて草子の中などにありける、見つけたる。また、をりからあはれなりし人の文、雨など降りつれづれなる日、さがし出でたる。去年(こぞ)のかはほり。 註:「かはほり」は、「蝙蝠(こうもり)」と同語源。
2007年02月17日
コメント(0)
清少納言 枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいたの(が、すてきね)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわね。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの。また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんか降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すっごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう、言葉では言い表わせない。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、とってもハマっている。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、ダサいのよね。(拙訳)春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
2007年02月17日
コメント(0)
僕なんかの無勝手流・自由狼藉・奔放自堕落フリースタイル短歌に引き換え、正統派の短歌作品を発表しつづけておられるブロガーも少なからずいらっしゃいます。その一つが、たまにゃん1203さんの楽天ブログ 瑠璃色の珠実 です。Click here日常生活などの中の詩情を、しっとりとした筆致で、あるいはハッとするような視点で、時にきららかな表現で詠んでおられ、すてきだなあと日ごろから尊敬しております。ご本人の了解を得まして、ここにご紹介申し上げます。ぜひ、ご一読をお薦めします。
2007年02月16日
コメント(1)
やや旧聞に属する話で恐縮だが、日曜お昼の「ウチくる!?」(フジテレビ系全国ネット)は、MCの秀ちゃんこと中山秀征が好きなこともあってけっこう見てるが、今回のゲストは落語界のプリンス・春風亭小朝だった。・・・が、そこに奥様で元歌手の泰葉が乱入、驚異のハイテンション(?)で一人で喋りまくって笑わせてくれたのを見た方もいるだろう。旦那・小朝とのテレビでのツーショットは、実に初めてだとか言っていた。「もし、男に生まれていれば、今ごろは必ずや落語家になって、父・三平の名を襲名していた」との弁も笑えたが、確かに、その落ち着きのない口八丁手八丁のシャベリの芸風(?)は、昭和の爆笑王の異名を取ったオヤジそっくりではないかと、ある意味マジで思った。それに、その若さにも、ちょっとビックラこいた。46歳。筆者くまんパパと(少しサバを読めば)同世代といってもいい年だが、ものスギョイ若々しさ(バカバカしさ?)。30歳といっても通用する。お母さんに似て、鼻こそ低いがけっこう美人だし。化粧品会社や婦人雑誌は、彼女に目をつけるといいと思う。使えます。・・・というワケで、書斎の隅っこからチリを払って、お宝写真(ってほどでもないが)を発掘してみた。この写真は、昭和61年刊の朝日文庫(朝日新聞社発行)「わが家の夕めし」からの無断借用であるが、とっくの昔に絶版のようなので(楽天ブックスで確認した)、著作権等の非許諾の段はヒラにお許しくだされ~。このぐらい、いいですよね?写真左の「長男の泰孝ちゃん」は、こぶ平改め、現・九代目林家正蔵。「次女の泰葉ちゃん」が、くだんの春風亭小朝夫人。故・三平夫人の海老名香葉子氏も、エッセイスト・児童文学作家として活躍中。
2007年02月15日
コメント(4)
2歳11ヶ月になったわが三つ子三姉妹“かしまし娘”の長女Hの、便秘に伴う深刻な切れ痔がほぼ治ったとホッとしていたら、こんどは次女Nが風邪を引き、39℃台の熱を出してダウンしてしまった。普段は、三人のうち一番おしゃべりでおませな子だけに、力なく無言で横たわっていると、ひときわ目立ち痛々しい。大好きな十二支の動物の顔を象(かたど)った12個のお手玉セットとその袋を、かわいい手で大事に握り締めて玩弄(もてあそ)んでいる。ここで知ったかぶりをすれば、「おもちゃ」の語源は、「(お)もてあそびもの」である。・・・どうでもいいか。苦しそうに喘ぐ様子が本当にかわいそうで、居ても立ってもいられない気持ちだが、医(くすし)ならぬ身には大したこともできず、やさしい言葉をかけてやったり頭を撫でてやったりするだけで、オロオロするばかりが関の山である。切なき窮みである。そんなこんなで、とりあえず数首。寝込みし次女(未推敲)九度二分の熱で寝込みし懐つこき次女お手玉を抱(いだ)き寝入りつ「苦しい?」と父問ひたるに「苦しい」と覚え立てなる言葉で言ひき力なく吾子(わこ)横たはる朧(おぼろ)なるかんばせ見ればいよよ愛(かな)しきキャラメルを欲しがる吾子に銀紙に包まれあるを剥きて渡しぬこの心鬼にしてでも噎(む)せるゆゑ与ふるなかれ「かつぱゑびせん」感染(うつ)るから近寄らざれと妻言ふもうつろなる目の吾子の髪撫づ蒼ざめて緊急事態(エマージェンシー)とりあへず歌に詠みつつおろおろしつつ老病死愛別離苦はこのやうに現代短歌王道なるも短歌については、著作権を保有します。
2007年02月13日
コメント(5)
Blief explanation on Tanka poetry for foreign visitors.Thank you for your visit and welcome to Daddy Bear's "Tanka 短歌 poem" weblog site "Uta No Okeiko (The Study of Tanka)".Tanka is modern, contemporary and ethnic poetry of Japan.It is generally composed of 31(5,7,5,7,7) syllables (みそひともじ misohitomoji) in Japanese languege.This poetical form is based on "Waka 和歌 (or Uta 歌, Yamato-uta 大和歌)" traditional poetry of Japan that really goes back more than 1300 years at least.This traditional literature always grew under the aegis of Emperor of Japan Court (or "Emperor System").We Japanese feel beauty, elegance and a kind of (supreme) spirituality of it.I think Waka tradition and Tanka modernity originated by great Tanka and Haiku poet Masaoka Shiki 正岡子規 (1867-1902) is continuous, but some poets don't think so.It is probably a matter of view and subtle difference, well,well.Then, enjoy it.田児の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽(ふじ)の高嶺に雪は降りける山部赤人 (万葉集318、西暦700年頃)Tago no ura yu uchiidetemireba masiro nizo Fuji no takane ni yuki wa furikeruYamabe no Akahito (Akahito of Yamabe, Manyosyu No.318, about AD700)Coming out from Tago's nestle cobe,I gaze :white, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peakリービ英雄訳Translated by Hideo Levy 2004
2007年02月12日
コメント(0)
「ただいま」とあいさつすれば「ただいま」と三つ返事が来るあたたかさ俵万智「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」より正しくは「おかえりなさい」と言うんだよ なんてどうでもいいような冬
2007年02月09日
コメント(0)
けさ、NHK教育テレビの看板番組「おかあさんといっしょ」で、名曲「白いいき(息)」が放送された。・・・とだけ言っても、説明しなければ、言っていることの僕なりの重大性(?)が分かっていただけないだろうが、実はこれ、「おかあさんといっしょ」で流される膨大な全楽曲中の、独断的マイ・ベスト・ソングなのだ。しかも、年に一度、この時期に突然オンエアされるだけなのだ。これは朝な朝な(あさなさな)、幼い子供たちと一緒に、この番組をいつ果てるともなく見つづけて3年になるので判ったことである。現職「うたのおねえさん」のはいだしょうこが先日読売新聞のインタビューに答えていたが、すぐにも歌えるレパートリーは2000曲(!)あるそうだ。渋谷で流しをしていた売り出し前の北島三郎とか、演歌歌手もかくやと思わせる数字だが、一方聴いている側も、こう毎日毎日繰り返し聴いていれば、かなりのレパートリーを持つに至っている(しかも、ウチの場合タイマーで自動録画しているので、さらに一日何度も聴くことになる)。僕でさえ、1000曲ぐらいはだいたい諳(そら)んじているような気がする、いやホント。話はそれるが、宝塚女役出身の美人おねえさん・はいだしょうこさんの「しょう」の字は「幸せの意味なのよ」と、番組の中で子供たちに言っていたので、「祥子」に間違いないだろう。・・・するってえと、本名は「灰田祥子」さんかな?(未確認)もっとも、この字は最近、「不祥事」という言葉で使われることが多く、残念ざんすな。話がそれたが、そんな膨大な楽曲群の中で、僕のベストワンはこの「白いいき」であると、躊躇いなく言える。・・・まあ、僕の独断と偏見ですから、どう思われるかは人それぞれでしょうけどね。メロディラインの美しさはもちろん、ハープシコード(チェンバロ)風の音色のおそらくシンセサイザーであろうか、伴奏の対位法的というか、装飾的なアルペジオのうつろいが、冬らしくパセティック(悲壮)な感じもわずかに感じさせつつ、ニャンとも耳に心地いい。これは僕がバッハ狂なので、こういう対位法的なサウンドに特に耳が向くのかも知れないが。イントロダクションも含め、華麗にして端正な佳品だと思う。朝のオンエアは茶の間のビデオで自動録画したが、これは女房に宮崎駿アニメやアンパンマンなどでいつ消されてしまうか分からないので、自分のビデオデッキで、間違いなく午後4:20からの再放送をエアチェック(録画)できるように設定したところだ。子供に聴かせるだけではもったいない出来ざんす。
2007年02月05日
コメント(0)
「変じゃない?」心配そうに妻が問うウチの娘はにんじん好きでいとおしく思い当たりし遺伝かな我もにんじん好きな子なりき実写版ペコちゃんだよね赤いベロ出して微笑むわが姫御前(ひめごぜ)は現代かなづかい使用に踏み切りました。・・・ってほどご大層なことでもないけど。
2007年02月04日
コメント(1)
如月(きさらぎ)。とてもきれいな響きと、不思議な語感を併せ持つ言葉だ。ちょっと謎めいた神秘的な感じさえ漂う。語源については諸説紛々だが、岩波「広辞苑」は「生更(いきさら)ぎ」としている。「更(さら)ぐ」という動詞が上古にあったという見立てであろう。生命が新たになるというようなニュアンスであろうか。弥生(やよい、三月)の語源が「弥生(いや・おい)」(草木がぐんぐん伸びてくる意)であることは確実と見られるから、同じようなニュアンスの語源説として肯ける。なお広辞苑では、俗説の「着更着」は真っ向から完全否定している。たしかに陰暦(旧暦)の2月と言えば、現在の太陽暦のほぼ3月に当たり、寒くて重ね着をする時節は過ぎている。また、古い日本語(やまとことば)の造語形式から見ても、「着更着」説は、どことなく直感的におかしいと感じる。「更に」、古代語の「更」の意味(更改される、改まる)から言っても変であり、これはよくある信憑性のない民間語源説といったところである。「気更気」説などは漢字の音読みと混同しており、論外と言っていいだろう。そんな如月なのだが、きょうは2月2日、「重陰(ちょういん、ちょうおん?)」である。「重陽(ちょうよう)」の節句というのは元日(1月1日)、3月3日、5月5日~9月9日と、一年間に5回あり、いろいろな節会(せちえ)の中でも重要視された。これは陰陽五行説などで、5が一種の聖数視されたためで、11月11日は入っていない。ただ、11月には、新嘗祭という、朝廷最大の祭りがあった(現・勤労感謝の日)。なお、節会料理(おせち)は、今はお正月だけになった。重陽があれば重陰もあるんだろう。言葉としては、あんまり聞かないけれども、原理的にはありうる。東洋の陰陽(おんよう、おんみょう)思想では、「太一」から発生した陽と陰が巴のように絡まりあって、宇宙が生成されたと説く。森羅万象に陽と陰があり、「太陽」があれば「太陰(月)」がある。陽気な犬がいれば、陰気な猫がいる。もちろん、どちらがいいというわけではなく、どちらも必要である。動物や人間に当てはめれば、陽はオス(男)、陰はメス(女)とするのが普通だと思うが、わが国の場合、太陽神アマテラスオオミカミは女神であるし、「君は僕の太陽だ You are my sunshine of my life」(スティーヴィー・ワンダー)という言い方もあるから、どちらがどうということは深入りしない。下手すると女性蔑視だとか差別だとかツッコまれる恐れもあるし・・・。そんなこんなで、意外とふくらみのない記事になってしまった。
2007年02月02日
コメント(1)
全28件 (28件中 1-28件目)
1