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藤原龍一郎シャボン玉ホリデーのごと牛が鳴きハラホロヒレハレと来る終末かついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮れのメガロポリスに歌集「夢見る頃を過ぎても」(平成元年)註近江:この短歌では、桜の名所として古来数々の和歌に詠まれてきた琵琶湖畔の含意。
2007.03.31
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西行吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたずねん新古今和歌集 86吉野山、去年つけておいた道標(みちしるべ)の道とは変えて、まだ見ぬ方の桜の花を訪ねてみよう。
2007.03.29
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藤原家隆思ふどちそことも知らず行き暮れぬ花の宿かせ野べの鶯新古今和歌集 82思い合っているどうしで、どこということもなく散策している間に日が暮れてしまった。花の宿を貸してくれ、野辺のウグイスよ。
2007.03.29
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紀貫之わが心春の山べにあくがれてながながし日をけふも暮らしつ新古今和歌集 81わが心は春の山辺へと幽体離脱して、長い長い一日を今日もボーっと過ごしてしまった。註あくがる:憧る。魂が、ある対象に向かって離れていく原義。
2007.03.29
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藤原良房年古(ふ)れば齢(よはひ)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思(も)ひもなし古今和歌集 52年が経ったので齢(よわい)は老いてしまった。・・・とはいうものの、この桜の花(のように美しく育った娘)を見れば、何の気がかりもない。註娘、明子(あきらけいこ)は、文徳天皇に入内し、皇后。清和源氏で知られる清和天皇の母。外戚による藤原摂関政治の嚆矢となった。「あきらけい」は、雅な形容詞「あきらけし」の連体形「あきらけき」の音便。
2007.03.28
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与謝野晶子春三月(みつき)柱(ぢ)おかぬ琴に音立てぬ触れしそぞろの我が乱れ髪みだれ髪春の三か月間放りっぱなしの琴に音を立てた。触れたのは、恋にそぞろで気が触れた、あたしの乱れ髪。(拙訳)
2007.03.27
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与謝野晶子やは肌のあつき血汐に触れも見でさびしからずや道を説く君みだれ髪このやわ肌の、熱い血潮に触れてもみないで、寂しくないの?・・・熱心に人生哲学を語っている、あなた。(拙訳)
2007.03.27
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土岐善麿(1885-1980)春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり「遠隣集」(昭和26年)註歌人、新聞記者。読売新聞社会部長時代に、東京・京都間の長距離リレー競争を企画し、「駅伝」と名づけて大成功させるなど、モダーンなアイディアマンで知られた。今でいうコピーライター、イヴェントプロデューサー的素質があったのだろう。短歌の作風は、洒脱な中に肺腑を抉る重厚さを秘めた名歌が多く、僕くまんパパは非常に尊敬している。
2007.03.27
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釈迢空(しゃく・ちょうくう、1887-1953)山ぐちの桜昏(く)れつゝほの白き道の空には鳴く鳥も棲(ゐ)ず註民俗学者、国文学者、神道学者の折口信夫(おりくち・しのぶ)と同一人物。一言でいうと、江戸時代の賀茂真淵や本居宣長などの「国学者」の衣鉢を継いだ全人的な学者であった。
2007.03.26
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与謝野晶子血ぞもゆるかさむひと夜の夢のやど春を行く人神おとしめなみだれ髪血が燃える、ひと夜の夢が嵩(かさ)んで宿る聖なる場所(サンクチュアリ)。春を行く人よ、この神の意思を貶(おとし)めるな。(拙訳)
2007.03.26
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与謝野晶子その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかなみだれ髪二十歳(はたち)とはロングヘアーをなびかせて畏(おそ)れを知らぬ春のヴィーナス(俵万智「みだれ髪 チョコレート語訳」)註与謝野晶子、二十歳の自画像。明治の人々を驚嘆させた。
2007.03.26
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与謝野晶子髪五尺ときなば水にやはらかき少女(をとめ)ごころは秘めて放たじみだれ髪たっぷりと湯に浮く髪のやわらかき乙女ごころは誰にも見せぬ(俵万智「みだれ髪 チョコレート語訳」)
2007.03.26
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与謝野晶子歌にきけな誰(た)れ野の花に紅(あか)き否(いな)むおもむきあるかな春罪もつ子みだれ髪歌に聞きなさい。誰が野の花に紅いことを否定する根拠があるのだろうか?・・・春、罪を持つ娘に。(拙訳)
2007.03.26
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和歌短歌をご紹介かたがた、自分でも温故知新のお稽古をしていますが、こと陽春と桜の名歌となると、あまりにもたくさんありすぎて、どこから手を着けていいものやら、ちょっと陽気なノイローゼ状態ざんすよ。現代のJ-POPでも引きもきらず桜の名曲が生まれていますが、そちらについては、モモンガ2006さんのブログをご覧ください Click here.西行(さいぎょう、1118-1190)願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ山家集願うなら、桜の花のもとで春死のう。その如月の満月の頃。註私は花見が大好きで、子供が生まれるまでは毎年欠かさなかったぐらいだが、桜の花にはそうしたほのぼのとした春の楽しい雰囲気とともに、「滅び」と「死」、時には狂気や陰惨ささえ孕んだ不気味なイメージが付いてまわることも、まぎれもない事実である。それは、散り際が特に美しいという性格にもよるが、この名歌などによって“死の観念”が確乎として付与されたことも相俟っているだろう。ただ、この歌に即して言えば、不吉な感じはほとんどなく、誰もに訪れる死への達観と、桜の生命と一体化したかのような歓喜さえ漂っている。如月の望月:旧暦2月15日。今年でいえば、4月2日。西行:本名、佐藤義清(のりきよ)。「歌聖」といわれ、後世の詩歌への影響は絶大。若い頃は、鳥羽上皇院政下の北面の武士(天皇家の近衛兵)で、武勇を以って聞こえた。あの平清盛とも同い年の同僚で、親友だった。この友情は晩年まで続き、伊豆の流人だった挙兵前の源頼朝や、奥州平泉の藤原秀衡を尋ねたりしている。政治的な含みがあったのかも知れない。まだ読んでいないのだが、吉川英治の「新平家物語」には、この辺りのことも描かれていると聞く。そのうち、ぜひ読んでみたい。1140年、23歳の時、卒爾として(突然に)地位も妻子も捨てて出家し、真言宗の僧侶となり、現世(げんぜ)への執着に苦しみながらも、各地を漂泊して数々の名歌を詠んだ。お仕えした一条天皇の崩御で、世を儚(はかな)んだとも言われるが、詳細は不明。なお、経歴を見ても、決してなよなよした青白きインテリではなく、むしろマッチョな、「ボディガード」のケビン・コスナーみたいな、男の中の男だったともいわれる(笑)。マッチョ系の文人、アーネスト・ヘミングウェイとか、三島由紀夫とか、石原慎太郎みたいな感じだろうか。この歌に詠んだ(予言した?)通り、西行は健久元年(1190)2月16日に入寂した。奇しくもこれは、釈迦(ゴータマ・シッダールタ、紀元前566頃-前485頃)の涅槃(ニルヴァーナ)と同じ日であった。現在は、2月15日が西行忌とされている。
2007.03.25
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大伴宿禰家持が和(こた)へたる歌一首百年(ももとせ)に老舌(おいじた)出でて よよむとも われは厭(いと)はじ恋は増すとも万葉集 764百年経って、あなたが歯の欠けた口から猫みたいに舌を出して、よぼよぼになってよろけていても、わたしは決して嫌いになることはないだろう、恋心は増しこそすれ。参考:森高千里「わたしがオバさんになっても」川内康範「骨まで愛して」
2007.03.23
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紀女郎(きのいらつめ)が大伴宿禰家持に贈れる歌二首女郎、名を小鹿(をしか)といへり。神(かむ)さぶと否(いな)にはあらね はたやはた かくしてのちに寂(さぶ)しけむかも玉の緒を沫緒(あわを)に搓(よ)りて結べればありてのちにも逢はざらめやも万葉集 762、763薹(とう)が立っているとかそうでもないとか思うけれど、はたまたそれでも、こうして恋に身を焦がした後には寂しくなるのでしょうね。玉の緒の命を、泡の玉を連ねた緒に結びつけられれば、この世にいて後々にも、逢えないことがあるでしょうか。註紀女郎:安貴王の妻。註記によれば、名は小鹿(おしか)。古代の女性の実名が判明している珍しい例。大伴家持との仲は、今でいうと不倫関係だが、当時は仏教もまだ本格的には到来しておらず(ましてキリスト教においておや)、日本人に、いわゆる一夫一妻的な「貞操観念」は希薄だった。これは江戸期まで続いていたという指摘もある。神さぶ:大自然・森林などが蒼古として神々しいこと。転じてこの歌では、自分が年上であることを大げさに諧謔し、おどけて見せている。沫緒:紀女郎の造語か。泡(バブル)を玉に見立てて、それを緒に結べたらと、ありえない比喩で恋の儚さを歌っている。「玉の緒(命)」と「沫緒」の掛詞(かけことば)が、お見事。参考:竹内まりや「家に帰ろう ~マイ・スイート・ホーム」
2007.03.23
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大伴家持が坂上大嬢(おほをとめ)に贈れる歌一首春霞たなびく山の隔(へな)れれば妹(いも)に逢はずて月ぞ経にける右は、久邇京より寧樂(なら)の宅(いへ)に贈れり。万葉集 1464春霞がたなびく山を隔てているので、愛しい君に逢わずに一月も経たなあ。註妹(いも):親しい女に言う。妹子(いもこ)、吾妹子(わぎもこ・わがいもこ)に同じ。久邇京:恭仁京(くにきょう・くにのみやこ)。天平12年(740)~16年(744)に置かれた京。かなり不評だったようで、完成を見ないうちにわずか3年あまりで難波京に遷都され、廃都となった(さらに、すぐ平城京に還都)。恭仁京の宮城跡は山城国分寺になった。現・京都府木津川市加茂。奈良から見て北西の山間。
2007.03.22
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大伴家持が贈り和(こた)へたる歌二首わが君にわけは恋ふらし賜(たば)りたる茅花を食(は)めどいや痩せに痩す吾妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実にならじかも万葉集 1462、1463わが“女王様”に僕ちゃんは恋しているらしい。賜った茅花を食べたけれども、ますます痩せる一方ざんす。愛しいあなたの思い出のネムノキは、花ばかり咲いて、おそらく実にならないだろうなあ。
2007.03.22
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紀女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌二首わけがためわが手もすまに春の野に抜ける茅花(ちばな)そ食(を)して肥えませ昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めやわけさへに見よ万葉集 1460,1461僕ちゃんのためにこの手も休めず春の野で抜いた茅(ちがや)の穂ですよ。召し上がってお太りなさいませ。昼は咲き夜は恋して眠るネムノキの花を、“女王様”だけで見ていられると思う? 僕ちゃんも見なさい。註わけ:「若」の転訛とも言われる。年少の親しい男に言う。「ボクちゃん、僕チン」てな感じか。こうした訳語は、この拙訳が初めてである。・・・大胆 。茅花(ちばな):「つばな」ともいう。イネ科・茅(ちがや)の穂。食用で、一種の強壮剤とも見られていた。・・・紀女郎(きのいらつめ)は、大伴家持の“年上の女(ひと)”だったらしい。
2007.03.22
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藤原朝臣広嗣(ひろつぐ)が桜の花を娘子(をとめ)に贈れる歌一首この花の一節(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言(こと)そ隠(こも)れるおほろかにすな娘子(をとめ)が和(こた)へたる歌一首この花の一節のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや万葉集 1456,1457この花の一枝の中には、たくさんの言葉がこもっている。おろそかに思うな。この花の一枝の中では、たくさんの言葉が持ちきれないで、折れてしまったんじゃないの?
2007.03.22
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天平(てむひやう)五年(いつとせといふとし)癸酉(みづのととり)春閏三月(のちのやよひ)、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が入唐使(もろこしにつかはすつかひ)に贈れる歌波の上(へ)ゆ見ゆる小島(こしま)の雲隠りあな息づかし相別れなばたまきはる命に向ひ恋ひむよは君が御船の楫柄(かぢから)にもが万葉集 1454、1455波の上より見える小島が雲に隠れるように、ああ溜め息がでそうだ、別れてしまったならば。魂のきわまる命に向かって恋焦がれているよりは、あなたのお船の楫(かじ)の柄(え)にもなりたい。註天平5年(733)3月(旧暦)、遣唐使(大使:多治比広成)一行に向けて詠んだ歌。
2007.03.22
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笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈れる歌一首水鳥の鴨の羽色(はいろ)の春山のおほつかなくも思ほゆるかも万葉集 1451水鳥の鴨の羽色に似て淡いブルーの霞がかかった春山のように、あなたに愛されているあたしは、エクスタシーと不安の中で、うっとりとぼんやりと、覚束なく思われるのよ。
2007.03.22
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大伴坂上郎女世の常に聞けば苦しき呼子鳥(よぶこどり)声なつかしき時にはなりぬ右の一首は、天平四年三月一日、佐保の宅(いへ)にて作れり。万葉集 1447世間の常識として聞けば厭(いと)わしい呼子鳥だけれど、声が懐かしい季節にはなったわね。註呼子鳥:春の鳥とされるが、古来、諸説紛々。郭公(カッコウ、またはホトトギス)、鵺(ぬえ、トラツグミ)説などが有力、ハト説もある。実らない片思いなどの象徴として、縁起が悪い・忌まわしいものとされていた。なお古い和歌集では「郭公」と書いて「ほととぎす」と読むものが多いので、要注意。左註によって、作歌時期が正確に判明している。
2007.03.20
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大伴家持(おおとものやかもち)打ち霧(き)らし雪は降りつつしかすがに吾家(わぎへ)の苑(その)に鴬鳴くも万葉集 1441霧のように霞んで雪は降りつつ、しかしながら、我が家の園にはウグイスが鳴いているなあ。註万葉集1447の、天平4年(732)3月1日(旧暦)に詠んだという注記により、その少し前に詠まれたと見られるこの1441は、大伴家持(718-785)14歳(!?)ごろの処女作と見られている。
2007.03.20
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大伴坂上郎女うちのぼる佐保の河原の青柳は今は春べとなりにけるかも万葉集 1433さかのぼって行く佐保の河原の青柳は、今は春べになったんですねえ。註前項1432の歌を詠んだあと、実際に佐保路界隈に行ってみたら、もう春になっていたよという、素直な感動の歌。何のヒネリもないと言うなかれ。・・・なにしろ、「なりにけるかも」である。ゆったりとしてコセコセしないおおどかな響きは、まさに万葉調そのものである。皆さんが歌をお詠みになる場合、5句目が思い浮かばなければ、「なりにけるかも」(または「・・・かな」)にしとけば間違いない 。べ:接尾語。大した意味はないとされる。
2007.03.20
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大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)わが背子(せこ)が見らむ佐保道(さほぢ)の青柳を手折(たを)りてだにも見むよしもがも万葉集 1432あなたが見ているであろう佐保路の青柳を、手折った一枝だけでも見るすべがあればなあ。註大伴坂上郎女:大伴旅人の妹。家持の叔母。家持の妻・坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ・「おおおとめ」とも読む)の母。万葉屈指の女流歌人。背子:主に女性が親しい男性に言う(年少の男が年長の男に言う場合もある)。この歌では、おそらく甥・家持。佐保道(路):平城京(現・奈良市)の南一条大路。法隆寺・転害門(てがいもん)から法華寺まで。その先の西大寺(さいだいじ)までは、左紀路。
2007.03.20
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小野淑奈麿(すくなまろ)年の端に春の来たらばかくしこそ梅を挿頭(かざ)して楽しく飲まめ万葉集 833年ごとに春が来たならば、こんな風にして、梅をかざして楽しく飲もうよ。
2007.03.19
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佐伯子首(こおびと)万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし万葉集 830万年の後まで年は来て過ぎようとも、梅の花は絶えることなく咲き続けるがよい。
2007.03.18
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安倍奥島(あべのおきしま)梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも万葉集 824梅の花が散ることを惜しんで、わが家の竹林にウグイスが来て鳴いているなあ。
2007.03.17
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大伴旅人(おおとものたびと)わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも万葉集 822わが園に梅の花が散る。天から雪が流れて来るよ。註ひさかたの:天、空、雨などにかかる枕詞。意味は諸説あるが、「久しい」や「堅い」、「方」などに関係があるか。いずれにせよ、不思議で美しい響きを持つ、枕詞の代表格といえる。
2007.03.17
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西行訪(と)め来(こ)かし梅さかりなるわが宿を疎(うと)きも人は折(をり)にこそよれ新古今和歌集 51訪ねていらっしゃい、梅が花盛りのわが寓居を。疎遠にしている人も、折りによってはなあ(いいものだよ)。
2007.03.16
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西行降りつみし高嶺(たかね)のみ雪とけにけり清瀧川のみずの白波新古今和歌集 27降り積もった高嶺の雪が解けたのだなあ。清滝川の水かさが増して、白波が立っている。
2007.03.15
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藤原秀能(ひでよし)夕月夜(ゆふづくよ)しほ満ち来らし難波江(なにはえ)の蘆(あし)の若葉にこゆる白浪新古今和歌集 26夕月の夜は潮が満ちて来るらしい。難波江の蘆の葦の若葉に越えている白波。
2007.03.15
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源通光(みちてる)三島江や霜もまだ干ぬ蘆の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く新古今和歌集 25三島江よ。霜もまだ乾かない葦の枯葉に、新芽が角ぐむほどの春風が吹いている。
2007.03.15
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後鳥羽上皇鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉しろき逢坂の山新古今和歌集 18ウグイスが鳴くけれどもまだ降る雪に、常緑の杉の葉も真っ白な逢坂の山。註逢坂:山城(京都府)と近江(滋賀県)の境にある山。重要な関所があった。
2007.03.15
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西行岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔のしたみづ道求むらむ新古今和歌集 7岩間を閉ざしていた氷も今朝は解けはじめて、苔の下を潜って通る解けた水が、流れ出る道を探しているのだろう。
2007.03.15
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伊勢波の花沖から咲きて散り来めり水の春とは風やなるらむ古今和歌集 459唐崎の波の花は沖から咲き、散って来るようです。水に花を咲かせる春とは、風のことなのでしょう。註才女・伊勢の面目躍如たる一首。琵琶湖西岸の、風光明媚な唐崎の地名を詠み込んである。
2007.03.14
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詠み人知らず梅が香を袖にうつしてとどめてば春は過ぐとも形見ならまし古今和歌集 46梅の香りを袖に移して留められたら、春は過ぎても思い出(スーブニール)になるだろうなあ。註てば:完了の助動詞「つ」の未然形に「ば」がついたもの。・・・することができたなら。形見:現在の「形見」より意味は広く、記憶の縁(よすが)となるもの全般を言う。
2007.03.14
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宇多田ヒカル;Flavor Of Life失恋や愛の喪失は、いつの世も詩人の栄養源だ。すごい、深い、癒される、の三拍子揃った名曲。ご存知の通り、私はいい音楽を聴くと、それを肴にあ~でもないこ~でもないと屁理屈をこねくりまわすのが好きなのだが、今回の場合感動が深すぎて、今のところ冷静に分析やレビューめいたことなど、とても書けない。タイトルからは、“Power of love(愛の力)”というありふれた言い回しが思い浮かぶ。愛が失われて、“Flavor Of Life(人生の香り)”だけが残ったのか。一切の小細工を弄していないこともあって、最初に聴いた時は、宇多田にしてはちょっと地味めな曲かな? と思ったが、「地味」が「滋味」に感じられるまでに、さほどの時間は掛からなかった。感情が乗りまくり、音楽の女神ムーサイ(ミューズ)が憑依(のりうつ)ったような完璧な歌唱に、改めて彼女の凄さを思い知る。強いて類例を探せば、完璧な歌唱力で知られた全盛期のバーブラ・ストライザンドがこんな感じだったろうか。今でいうとマライア・キャリーとか。Bメロディでは、平原綾香も裸足で逃げ出すドスの効いた低音。宇多田の声としては初めて聴いたと思う。ゾクっとくるほど凄い。しかも、歌い方に、どことなく蓮っ葉な、“夜の新宿裏通り”の母・藤圭子の面影が漂う、・・・と言ってはうがちすぎかな。表向きは、恋の渦中にある若い女の子の揺れ動く感情と心理を謳い上げているが、周知の通りの、私生活上の大きな変化と不即不離(付かず離れず)の、謎めいた歌詞に圧倒される。憂愁の中にあっても、宇多田持ち前の楽天的な感覚と強い女の姿勢が表明される。万葉集の「ますらおぶり」と、新古今和歌集の「たおやめぶり」がリミックスされたような感じか。近松門左衛門の芸談としてよく知られる“芸能の真髄”、「虚実皮膜」の境地に、彼女は軽々と開眼しているように見える。これを、24歳の女性が書いて歌っているとは、にわかに信じられないほどの見事な作品ではないか。平成の歌姫は、昭和の大歌手・美空ひばりを超えつつある。彼女が現代日本を代表するアーティストであることが、改めて再確認された。〔楽曲としての総合評価:91点〕
2007.03.13
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伊勢春がすみ立つを見捨てて行く鴈(かり)は花なき里に住みやならへる古今和歌集 31春霞が立つ、こののどかな景色を見捨てて行く雁は、花のない里に住み馴れているのかなあ。(裏解釈)こんなにも優雅で美しいあたしを見捨ててゆくあなたは、愛のない世界に住んでいるのかしら。
2007.03.13
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凡河内躬恆(おおしこうちのみつね)鴈(かり)の声を聞きて、越(こし)にまかりける人を思ひて詠める春来れば鴈(かり)帰るなり白雲の道行きぶりに言(こと)や伝(つ)てまし古今和歌集 30雁の声を聞いて、越の国に行った知人を思って詠んだ歌。春が来れば雁は北の国に帰るという。白雲の中の道中のついでに、越(こし)の国に赴任している友人に言づてしてもらいたいんだけどなあ(・・・ダメ?)。註越(の国):現在の北陸地方。越前(現、福井・石川県)、越中(富山県)、越後(新潟県)。「言や」と疑問形になっているので、今でいう「駄目かな~?」といった感じ。
2007.03.12
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源宗于(みなもとのむねゆき)常磐(ときは)なる松の緑も春くれば今ひとしほの色まさりけり古今和歌集 24常緑樹(エヴァーグリーン)の松の緑の色だけれど、春が来ればもう一入(ひとしお)色が優るねえ。註何ということもない、至極素直な詠みぶりなのだが、私くまんパパはミョ~に心惹かれる。すごくナチュラルで、自然体。・・・いとをかし。
2007.03.12
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在原行平春の着る霞の衣(ころも)ぬきを薄み山風にこそ乱るべらなれ 古今和歌集 23春が身にまとっている霞という衣は、横糸が薄いので、山風が吹くと乱れちゃうんだろうね(見えちゃいますよ)。註ぬきを薄み:横糸が手薄なので。なんかちょっとエッチというか、チラリズムの歌(笑)。さすがは、当時一流の“チョイ悪オヤジ”でプレイボーイとして聞こえた在原業平の兄貴である。
2007.03.12
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詠み人知らずみ山には松の雪だに消えなくに都は野辺の若菜摘みけり古今和歌集 19深山では松の雪さえ消えないのに、都のあたりでは野辺の若菜を摘んだってさ。
2007.03.11
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詠み人知らず春日野の烽(とぶひ)の野守いでて見よ今いく日(か)ありて若菜摘みてむ古今和歌集 18春日野ののろしの番人、出て来て見てごらん。もう何日経ったら若菜を摘めるかな。註烽(とぶひ):のろし。煙による原始的なモールス信号のような形で、ある程度の情報伝達ができた。筆者の地元、栃木・宇都宮市近郊の鬼怒川河畔には「飛山城址」という場所があるが、古代には「烽山(とぶひやま)」であったことが、考古学的資料の発掘で判っている。てむ:完了の助動詞「つ」の未然形に「む」がついた形。「きっと・・・ができるだろう」の意味。
2007.03.11
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詠み人知らず春日野はけふはな燒きそ若草の妻も籠(こも)れり我も籠れり古今和歌集 17春日野は、今日だけは焼かないでくれ。妻も僕も、草の中にこもっているんだよ 。註古今集編纂当時の艶笑的な民謡と解されている。春日野:奈良市近郊。春日山の麓にある。な焼きそ:(野焼きで)焼くな。若草の:「妻」にかかる枕詞。
2007.03.11
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詠み人知らず野辺近く家居(いへゐ)しをれば鶯の鳴くなる声は朝なさな聞く古今和歌集 16野辺近くに住んでおりますから、ウグイスの鳴く声なんてのは毎朝聞いてんのよ。(珍しくもなんともないわ。うらやましい?・・・これがLOHASなライフスタイルってものよ。)家居:居住。朝なさな:朝な朝な。毎朝。
2007.03.11
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北原白秋(明治18年-昭和17年)春の歌 五首春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕(ゆふべ)ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫(ふる)ひそめし日かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざしあまりりす息もふかげに燃ゆるときふと唇はさしあてしかな廃れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにけるな鳴きそ鳴きそ:鳴くな鳴くな。たけにける:爛漫、酣(たけなわ)だったよ。歌集「桐の花」(大正2年)より抜粋。
2007.03.10
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オリオンの三ツ星あれが汝(なんぢ)らの星なるべしと言ふ日もあらむ(オリオンの三ツ星。「あれがお前たちの星であるように」と言う日もあるんだろうなあ。)・・・と、かつて三つ子の娘たちが生まれて間もない頃、ヘボ短歌に詠んだ「日」が来るのを、かねてより心待ちにしていたのだが、その日は意外に早く訪れた。3月6日(火)の夜、娘たち三人をお風呂に入れた風呂上がり、入れ変わりに妻が風呂に入ったので、これさいわいと鬼のいぬ間に命の洗濯、・・・もとい、風邪を引かせるのを心配する妻に怒られるので冬の間にはめったにできないことなのだが、ないしょでサッシの南に向いてる窓をがっつり開け、低気圧と寒冷前線通過直後で澄み渡った南天群星(サザン・スターズ)を見せた。娘たちは、「おほしさまだ~」と喜んでいるので(・・・キラキラしているものが大好きなんです――なぬ、末恐ろしい?)、今がチャンスだと瞬時に見定め、すかさずオリオンの三ツ星を指し示し、「巨人の星」を長男・飛雄馬に教示する星一徹のごとく、「あれがみんなの星なんだよ~、ほら、こっちから(右から)○○(長女の名前)ちゃん、○○(次女)ちゃん、○○(三女)ちゃんだよ~」と言ったら、さすがにもう2歳11か月、ほぼ意味が分かったらしくて、大喜びでキャ~キャ~騒いで、「なかよしだね~、キラキラきれいだね~」と大はしゃぎで欣喜雀躍、ご満悦の態であった。ただ、前日より一気に10℃近くも気温が下がって、春は名のみの真冬並みの風が入ってきたので、惜しみつつ早々に窓を閉めたが、考えてみればオリオン座も間もなく時季を過ぎて見えなくなるわけだから、ワンポイントの今季ラストチャンスだったと言えよう。・・・いがったいがった。
2007.03.09
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きんたろう 石原和三郎まさかりかついで 金太郎熊にまたがり お馬のけいこハイシ ドウドウ ハイ ドウドウハイシ ドウドウ ハイ ドウドウ足柄山の 山奥でけだもの集めて すもうのけいこはっけよいよい のこったはっけよいよい のこった作曲:田村虎蔵「幼年唱歌」(明治33年6月発行)所載。このブログサイトのタイトルを頂戴した、童謡の名作。いまだに「うたのおけいこ」がいいか、「おうたのけいこ」がいいか、迷っている。現在一般的な、現代カナ遣い・漢字カナ混じり文に直した。原文は、歴史的仮名遣い、全文カタカナ。以下の通り。キンタラウマササカリカツイデ キンタラウクマニマタガリ オウマノケイコハイ シ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウハイ シ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウアシガラヤマノ ヤマオクデケダモノアツメテ スマウノケイコハツケヨイヨイ ノコツタハツケヨイヨイ ノコツタ
2007.03.08
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