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けさは、「ダイエット大作戦」開始のための足慣らしも兼ねて、最寄のJR宇都宮駅ビルまで散歩してきた。・・・といっても、正味、ものの30分。最初はこのぐらいでいいと思う。僕は、本来は体を動かすのは大好きな方で、8年前ぐらいまでは鉄人レース・トライアスロンもやってたこともある。ただ、これはさすがにキツかったし、齢とともに反射神経・瞬発力と動体視力(スポーツ・アイ)の衰えは否(いな)むべくもなく、自転車の競り合いなどで、周回進みのトップグループのアスリートに、万が一引っ掛けたりして迷惑をかけては悪いので、やめた。運転免許更新の際や眼鏡店にある視力検査表で測る静止視力とは別に、スポーツ視力にはこういう落とし穴もある。ましてや、パソコン三昧の日々では、動体視力は落ちる一方だろうな~。以前なら、ストレス解消法はと問われれば、ためらいなく運動(走る、泳ぐ、転がす=自転車を)だと答えていたのだが、妻が三つ子三人娘ちゃんを妊娠してこのかた丸々4年(長っ!)、24時間かかりっきり態勢の子育てに忙殺され、全く運動らしい運動をしてこなかった。完全に体はナマリ切っている。人後に落ちない酒好きながら、子供の相手をしているときはもちろん絶対禁酒禁煙、シラフは守っているので、寝る前にここぞとばかり呷(あお)るように飲む晩酌(日本酒とワイン)も、どう考えても体に悪いよね体重15kg前後になった愛娘三姉妹を、代わる代わる抱っこしたり、ヒンズースクワットよろしくおんぶ・肩車したりするという“ハードトレーニング”を夜な夜な続けているせいか、腕の筋肉は健在だが、足腰の筋力・持久力、心肺機能は完全に退化してしまったのを感じる。膝がガクガク。階段の昇り降りぐらいでも「救心」がほしいほどの今日この頃である。もはや、執行猶予(モラトリアム)・延滞(ポストポーンメント)はありえないざんす。なるべく早くダイエット&フィットネスに取り掛かりたい。もちろん写真も載せますが、けっこう面倒くさいんだよね~これがもうちょっとお待ち下され。ただし、これまでの長い運動経験から見て、無理は禁物であると、自分を戒めてあげたい。長年月にわたって運動をしていない場合、戻すには最低でも7~8回の運動が必要である。週3~4回のウォーキング、ジョギングをする場合、十分なストレッチング(筋肉伸ばし)や準備運動をするとともに、最初の2~3週間は、物足りないと思うぐらいの運動量が望ましい。その物足りなさが、持続への意欲になる。運動に挫折するのは、その多くが、自分の現状の力量を超えたハードな運動をして、コリゴリ嫌気がさすことが原因と思われる。アマチュアにとって、一回一回の運動量、パフォーマンスに意味はない。持続することが、当面の目標である。目的とさえ言ってもいいかもしれない。なお、厳密にいえば、本来「ダイエット」とは食餌療法の「献立」のことであるが、最近では本場・英語圏でも、「フィットネス(身体的適応)」や「シェイプアップ(体の輪郭を整えること)」、「リデュース(減量)」、「スリミング(スリムになること)」などと混同されているみたいなので、まあ要するに「(健康に)やせる」ことを「ダイエット」と呼んでかまわなさそうだね。言葉にうるさい歌詠みとしては多少引っかかるが、ま、いいか。なお、ダイエットの本来の意味である栄養面では、とりあえず糖質(炭水化物のうち、食物繊維《ダイエタリーファイバー》を除いたもの)と脂質のできる限りのカットを考えている。・・・というか、すでに始めている。運動を組み合わせるので、微量栄養素のビタミン・ミネラル(鉱物質)不足が懸念される。ためらわずサプリメント(栄養補助食品)を用いることとする。こういうのを「薬」と同一視して嫌う人も世間には多いように感じるが、微量栄養素の必要性に関しては十分に医学的・生理学的に合理的な根拠のあることであり、嫌うのは勝手だが、僕としては理解できない。「ネイチャーメイド」(大塚製薬)の「マルチビタミンミネラル」辺りでいいかなと思う。さて、ひと頃よりかなり涼しくなったが、けさの当地・栃木はかすかな霧雨が降りしきっており、軽い運動でも、やはりかなりの蒸し暑さを感じた。駅ビルの華やかな店舗群は、大都市の匂いを持ち込みつつ午前8時台から活気に満ちており、小泉政権以来の地方切り捨て政策で疲弊し果て、シャッター通りと化した市内の路面の商店街とは雲泥の差があるように思えた。(以下、話はそれるが・・・)もう、どう足掻いても、さほど特色のない地方都市の「街づくり」なんてことは無理だろう。その点では、僕は全く楽天的ではない。悲観的な未来像を確信している。最近では、ビジネスマンの友人たちも、こういった僕の意見を真剣に聞くようになった。危機感が共有されている。大都市を除く日本の大部分が、生き馬の目を抜く東京資本、あるいは先進国の外資に占領される日は着々と近づいている。国際経済競争におけるアジア地域の猛追も、ご覧の通りだ。すでに国と地方自治体の財政は破綻している。お上に頼る時代は、20世紀とともに過ぎ去った。無駄なことに税金を使わないほうがいい。そんな金が(もし)あるなら、セイフティネットや福祉に使ったらどうだろうか。地方の中小零細企業は、それぞれが個別に、才覚と努力の限りを尽くして頑張るしか道はない。地方都市は、コンビニエンスストアと住宅だけが残って、いわゆる小売店なんてものは、ほとんどなくなっちゃうんだろうな。大都市地域、および郊外型の大規模商業ビル(ショッピング・モール)と、インターネット上の仮想商店(バーチャルショップ)しかサバイバルできないんじゃないだろうか。それはそれで、そこにフィット(適応)できるものには面白い時代とも言える。・・・ビジネスパーソンの端くれとしては、いろいろと考えさせられた。歩くと、いろいろ思いつく。犬も歩けば棒に当たる。東京の文化懐かしJR宇都宮駅にそを見にゆけり
2007年08月31日
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Inspired by Mrs.choco's blogMission:Impossibleダイエット大作戦Coming Soon!現在、筆者くまんパパ:178cm/93kg内臓脂肪型肥満。忍び寄るメタボリック・シンドローム。生活習慣病発症の危機。まあ、健康のためとか体が重いとかいろいろ理由は付けられるけど、とにもかくにも、醜く突き出た腹がメチャカッコ悪い!!!この際、赤裸々に告白する!ウェスト98cm!!!1メートルまで、あと2cm!!も~僕は自分を許さない!ダイエット&フィットネス発動に踏み切る!・・・ただし、もう少し涼しくなってからね~ ・・・ここんとこちょっと忙しいので、とりあえずこれだけ。詳しくは追々書きまする。
2007年08月29日
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くまんパパ結社誌「短歌人」11月号のためのブレインストーミング 1(未推敲)君の手の届かぬ場所にときをりは行つてみたいと思つたりしてスッピンがいちばんいいね化粧品会社は全部つぶれていいよナチュラルな君がいいから。おほよそはナチュラルである僕らみたいにわたくしのライフハックは歌を詠むことと仕事と家族サービス我ならず心ならずも生くるため出し抜きたいと思ふ業界殺意すら覚ゆる奴もありにけりけふも擬態の笑顔でお辞儀世は今も男性原理わたくしは時に女が羨ましかり季即ち玄冬、青春、朱夏、白秋。 余白の人に我もなりつつ堪へ難き百日ももかの夏は過ぎにけり (下2句思いつかず)(上3句思いつかず) stand by meわがかたはらにたつてゐてくれ思ひには嘘を吐けない my life isn't yours 秋のあけぼの切り開くしかないだらう暗闇を切り裂き走り光の中へ九月から本気を出すか八月のわたしはすでに死んでゐるから酒ふふみけふも藤沢周平を読みて泣きをりありふれし日日ひたすらに愛かなしかりけりうつせみの未来永劫愛しかりけり著作権を保有します。© Nosho Sakamoto 2007 All rights reserved.朝晩は幾分凌ぎやすくなったせいか、けさはやたらと霊感が降りてきたというか、寝惚けまなこでスイスイスーダララッタと詠めた。とはいえ、いかにも荒っぽい草稿。これからさらに詠むとともに推敲する。ともあれ、11月号の締め切り9月12日には、悠々間に合いそうだ。
2007年08月29日
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よみ人知らずおほかたの秋来るからにわが身こそかなしきものと思ひ知りぬれ古今和歌集 185世間一般の秋が来るのと一緒に、わが身こそ哀しいものと思い知ってしまったのよね~註おほかた:もと貴族社会の意、延いては、世間一般。現代語としても、「今度の安倍改造内閣の人事は、『セコハン内閣』呼ばわりなどの雑音もあるが、大方(おおかた)の賛意を得ている」などと使われるかなし:現代語「悲しい(哀しい)」のニュアンスもあるが、それより意味は広く、「愛しい」「感動的」など、心の動くことの多くに用いられた。日本情緒の底流に伏在する、かすかなナルシシズムも感じられる。秋という自然現象に対するパブリックな感覚と、パーソナルな情動を対比させる意図があったのだろうが、やや言葉足らずで今ひとつ何を言っているのかよく分からない・・・が、そこはかとない佳作であるような気もする。
2007年08月28日
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ザ・ブリリアント・グリーン Stand By Meもう我慢できない!!早くカミングアウトして楽になりたい!!!・・・ボクは、ブリグリ・フリークである。特にヴォーカルの川瀬智子には、デビューした10年前からゾッコンなのである。何しろ、初恋の君にクリソツである。前にも言ったけど、見れば見るほどかつての君に瓜二つだよ(・・・誰に言ってるんだ?)。世界最高の美人は、先日惜しまれつつお亡くなりになった山口小夜子さんだったが、この世で一番キュートな芸能人といえば、Tommyである。内向性と裏腹の擬態ではあろうが、そのツンツンとタカビーな個性、生意気な発言なども、いちいちキュンキュン男心をくすぐる。・・・あふれまくる才能、才気。しかも上品。もう勘弁してくれ~。しかし、いい年こいたオヂサンが口に出せることじゃないだろうと、これまで鉄壁防御、堅忍不抜、臥薪嘗胆で堅く沈黙を守ってきたのである。とりわけ、ここしばらくというもの、愛しのTommyが、アイドルというかアイドルパロディ冗談路線というか、少女趣味の極致である Tommy Feburuary6 と Heavenly6 という、摩訶不思議の国アリス街道を驀進していたため、ますますもって彼女(たち)について語ることはタブーとなっていたのである。今、ブリグリの再結成復活によって、大手を振ってレビューできる。私はウレスイ(もっとも、事実上は、Tommyソロ展開時も、サウンドはブリグリの二人が深くコミットしていた。)そこで、今度の新曲だが、いい!Tommyソロ路線でやるだけやったプリンセスは、重厚なブリティッシュ風味ロックにご帰還だ。実生活で夫である、リーダーでアレンジメントを仕切っているベースの奥田俊作が、いつも立ち位置右後ろでノリノリで弾いてるのも、実にいい風情である。なにしろブリティッシュ系ロックは、リズム系、ことにベースが要であることは、ビートルズ以来の万古不易の法則である。そこに川瀬のアンニュイなVo.が気持ちよく乗っかっている。歌詞は、どこかで聴いたような言葉の寄せ集めだが、そんなこたどうでもいい!って感じ
2007年08月27日
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けさは、当地(北関東)で今季初めて、やや肌寒いくらいの爽やかな秋の気配を感じた。とびきり暑い夏だったが、そのなごりも、もう指折り秒読み段階に入ったかな~。・・・とかなんとか言ってるうちに、さきほど結社誌「短歌人」9月号が届いた。実は、ちょこっと、ギャビ~ンなのである7、8月号連続で6首掲載されていたのが、今回は5首に減らされてしまった!!!やっぱ、少々調子に乗りすぎていたか。これらを実際に詠んだのは、7月上旬。梅雨真っ只中の蒸し暑さがデブなる身にこたえ、体調も悪かった。・・・反省。・・・って、別にそれほど気にもしてないけどね~〔掲載された作品〕ありてある色褪するなき蒼穹あをぞらの全き無関心の大いさ 成らざりし「歌人の星」の徒夢あだゆめは娘に託す 星一徹かよ酒一斗飲み干すごとに詩一篇出来たとかいふ古人いにしへびとは知久といふ苗字の由来由布姫の族うからなるとふ友と語りきテレヴィジョン消せば見るべきもの見えつ月と夜空と妻子めこと我が身と〔ボツにされた詠草〕毟むしれども毟れどもなほイタリアン・パセリ萌え出づ夏の木蔭に汗だくで擂鉢の胡麻擂りにけり昭和四十年頃の夏雑草と誤り抜きし柊の蘖ひこばえ萌えてほつとせしかも蝉時雨幾たび聞きし生よならむか梟睡る欅けやきの巨木蝉時雨、海、山、花火、かき氷 わけて祭の夏は来にけり「歌人の星」は、みごと当選御礼やっぱりOKだったかと、かねてよりの“傾向と対策”の読み通りで、ニンマリざんすこういうのが通るのが、「短歌人」の持ち味の一つである、軽妙洒脱な社風である。真面目な「コスモス」あたりでは、たぶんボツだろうね~4首目、知久という友人がいて、信州・長野の諏訪一族で武田家家臣の末裔だという。まさに、武田信玄側室の由布姫(諏訪御料人)の同族である。また、私ごとだが、ウチの親戚に真田家の子孫もいて、僕のまたいとこの女性もいる。すごく身近な感じのする今年の大河ドラマなのである。「蝉時雨幾たび聞きし~」は、内心イケるかな~と思ってたんだけどね。やっぱり、短歌表現としては常套的で、平凡の謗(そし)りを免れないだろう。凡作と名作は紙一重。これはあらゆる表現行為に言えることだろう。・・・なんちゃって
2007年08月25日
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くまんパパ ブレインストーミング 数首川べりの烏瓜からすうり熟れあはれなる蛇踏んづけて殺あやめしかの日黒暗く秋明あきらけく赤明あかくわが世の秋ぞ白くありける蕎麦汁つゆの五臓六腑に染みわたり秋の光の空澄みにけりイギリスのコンウォールなる港町寂しさ極む君のごとくにいにしへの城塞都市を彷徨さまよひぬ若かりけりな新郎新婦子と眠るやつれし君を眺めつつ合掌しをりありがたうねとやつれると太るんだよね栄養素満ちて溢れて現代日本赤とんぼ記号のやうに真青なる空を翔けゆく抽象的に
2007年08月24日
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2007年08月23日
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福田和也 大丈夫な日本名著だと思う。・・・というより、最も重要(モースト・インポータント)な本だと思う。生きた問題提起と解答が書かれている。この国の将来を心配する貴兄、また、この国でこれからどう生きていくべきか迷っているあなたにとって、必読書といっていいだろう。現在、日本人の多くは自信を喪失しかけている。いちいち具体例を列挙しなくても、この同時代に生きていれば、共通感覚として誰もが感じている不安だと思うが、日本を取り巻くあらゆる分野で、内憂外患の嵐が渦巻いており、出口が見えない。この国は、そして、この国に生きている僕たちの未来は大丈夫なのか?慶応大学教授・福田和也氏は、「ダイジョウブイ」だと言明する。むろん、無条件に、ではない。いくつかの条件はある。では、どこをどうすれば大丈夫なのか?歴史や哲学・文学に対する該博な知識を背景に、まず文芸評論で売り出したが、今や政治、経済、社会、etc.あらゆる領域に、研ぎ澄まされた言説で切り込む「戦う知識人」である。氏の名前を雑誌の広告などで見ない日はないほどだ。まさに福田氏の慶応の先輩に当たり、戦後知識人の旗頭であった江藤淳氏の全盛時代を彷彿とさせ、衣鉢を継ぐ人物である。一見、けっこうごっついコワモテな顔をしているが、テレビ(たまにNHK総合・教育などに出演している)などで拝見すると、きわめて温厚で穏やかな紳士である。新書版とはいえ、中身は非常に濃く、けっこう速読の僕としては珍しく(夏バテのせいもあるが)、読み通すのに実に半月も掛かってしまった。それだけ、熟読玩味、読書百遍に値する内容である。その濃い中身を、ここで簡略に要約するなど、土台無理な話であることはご了解願いたい。きわめて粗っぽい要約で、骨子だけ書くと、以下のごとし。――近代は行き詰まっている。ついに終焉の時を迎えた。近代とは、「無限」への信仰である。しかし今、皆が気づき出したように、地球環境は有限である。人間精神も有限である。「右肩下がり」の時代が世界に到来した。近代は終わりつつあり、また、近代に引導を渡さなければ人類の未来はない。アメリカの日没の兆しも見え始めた。9.11は、その象徴的な事件であった。かつて七つの海を支配したイギリスの覇権(パックス・ブリタニカ)は海を渡ってアメリカに移ったわけだが、その大英帝国の落日は米国において再現される。パックス・アメリカーナの終わりの始まりである。これは、日本の自立のモメンタム(契機)になる可能性がある。安全保障などは、国民の腹の据え方一つであり、自分の安全は自分で守るという覚悟を決めれば、ほとんど解決する。今や愛国主義だけで辛うじて持っている中国が行き詰まることは明らかだ。現在の中国は、「明(みん)」の末期に酷似してきた。遠からず、大きな破局は訪れる。中国に対しては鎖国政策でいい。中国にかまうな。少なくとも距離を取れ。これは歴史の教訓であり、確実に言えることである。日本が中国にコミット(関与)して、いい結果がもたらされた験しはない。経済界も考え直すべきである。煮え湯を飲まされるのが関の山である。これは、外務省主流派の、いわゆる「チャイナ・スクール」一派や、親中派の朝日新聞の論調などとは著しく異なり、180度真逆ともいえるが、もちろんそっちが間違っているのである。マルクス・レーニン主義をはじめとする近代思想は破産し、新しい思想はもう生まれない。しかし、思想が死に絶えたわけではない。歴史という思想が横たわっている。歴史の縦糸を基に構築される「垂直論理」から見ると、近代とは「現在」という座標軸しかない「水平論理」の時代である。「垂直論理」と「持続可能性」は分かちがたい関係にある。日本人は、かつて「持続」という価値観を大切にしてきた。持続のためにこそ、大胆な自己変革も成就させてきた。その伝統は、今も滅びたわけではない。それを改めて思い出せばいい。それを体現するものは今なお数多いが、その価値観の総本山は、言うまでもなく皇室である。江戸時代の先進性を思い見よ。まさに江戸期の日本は「環境先進国」であった。少子化の進行などで、日本の人口の減少は緩やかに進み、2050年に1億を割り、2100年に6400万に半減すると見られるが、これは憂うべきことではない。6000万人というのは、石油輸入が完全に途絶しても、国内で食料が自給できる水準だという。むしろ悦ばしいことである。そして、結語。 「そのとき、われわれ日本人は、毎年クルマを買い換えるのとは異なる豊かさを、生活文化や自分らしい人生、ゆるやかで濃密な時間、といった豊かさを、ひょっとしたら、取り戻しているかもわかりません。 大量生産、大量消費、大量移動の社会、エントロピーの高い社会にはなかった“退屈さ”をしのぐために、仲間で集まって句をひねり、評し合いなどをしながら。」・・・この「句をひねり」のところを、「短歌をひねり」に直せば、ほぼ同感である読むべき本である。
2007年08月22日
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驚くべき訃報が飛び込んできた。世界的トップモデル、女優、ダンスパフォーマーなどとして活躍した、地上最高の美女であり我が女神でもある山口小夜子さんが14日に逝去していたことが、けさ明らかとなった。あまりの衝撃で言葉も出ない。身内の死以外でこれほどの衝撃を受けたのは、1980年12月のジョン・レノンの死以来という気がする。この場を借りまして、心からご冥福をお祈り申し上げます。年齢は非公開のため享年もはっきりしないが、リアルタイムで見てきた40代終盤の僕から見て、少しお姉さんであったことは確かである。・・・というか、女神に年齢はない。知りたくもない。最近ですら、眩暈めまいを覚えるほど美しかった。初めて彼女を見たのは、1973年、「資生堂ベネフィーク」のコマーシャル・フィルム(CF)だったと記憶している。この世のものとも思われないあまりの優美さに、思春期真っ只中の田舎の中学生は、たちまち“寝ても覚めても”状態に陥り、爾来(じらい)30有余年、変わらぬ隠れ崇拝(?)を捧げてきた。その神秘的な雰囲気を生かして映画でも活躍したが、その気になって見ているとテレビにもけっこうチョコチョコ出ていて、彼女が出演したテレビ番組は、能(あた)う限りこの目で見、エアチェック(録画)してきた。トーク番組などに姿を見せると、けっこうお喋りな地金が垣間見えて、真面目で優しい人柄とともに、永遠の少女のようなイノセントな素顔がたまらなく素敵で、心身ともに、骨の髄までチャーミングな人だと印象づけられた。日テレ「おしゃれ」などでは、久米宏と楠田枝里子に「カツ丼なんて食べるんですか?」などとツッコマれて、「食べますよ~、けっこう好きですよ~」とかムキになって答えていたのが可愛かった。・・・まあ、トップモデルさんだって、たまにはカツ丼ぐらい食べるよね。お風呂が好きで、毎日5回ぐらい入るとか聞いて、あ~、こりゃ一緒に暮らすのはちと困難かな~と断念したりした彼女の身体と、その身に纏まとった全てのものは、日本文化の粋すいである。文句なしに、無条件に世界に誇りうるものであった。努力もしただろうけれども、これはもう99%運命さだめである。美しく生まれちゃった女性は、もうしょうがないんだよね~。永遠を身に纏っちゃってるから。本人は孤独だったかも知れないし、そうでなかったかも知れないし、そんなことは外からは計り知れない。ともかく、空前絶後の日本女性であった。日本モデルの先駆者、山口小夜子さん急死 【日刊スポーツ】 黒髪のボブカット、切れ長の目の東洋的な魅力で、世界的なトップモデルとして活躍した山口小夜子(やまぐち・さよこ)さんが14日、急性肺炎のため死去した。葬儀・告別式は親族で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。先月公開された出演映画の初日舞台あいさつには元気な様子で出席しており、所属事務所も急な訃報(ふほう)に驚きを隠せなかった。持病などは特になかったという。 欧米ファッション界で活躍する日本人女性モデルの先駆けだった。横浜市出身で杉野学園ドレスメーカー女学院を卒業後、71年にプロモデルとしてデビュー。70年代にパリ・コレクションやニューヨーク・コレクションに参加した。高田賢三氏や山本寛斎氏のショーにも登場し、77年には米誌ニューズウィークの「世界の6人のトップモデル」に選ばれた。 俳優活動にも力を入れていた。印象的な雰囲気もあって、故黒木和雄監督や、鈴木清順監督などベテラン監督の目を引いた。最後の出演映画「馬頭琴夜想曲」では、幻想世界で馬頭琴を弾く妖艶(ようえん)な美女を演じ、主役に近い役割を担った。同作の木村威夫監督は「とても熱心で研究心あふれる人でした。モデル出身なので、違う表現をしたいということもあったと思います。踊るように表現するのが印象的でした。また仕事ができたらいいと思っていただけに残念です」と話した。山口さんとは1週間ほど前に仕事で会ったばかりで、体調が悪い様子はなかったという。 映画以外にも寺山修司氏演出の演劇「中国の不思議な役人」やCMなどにも出演、コンテンポラリーダンスは欧米20都市で公演した。また、ファッションクリエーターとして「SAYOKO YAMAGUCHI」ブランドを立ち上げ、6月にはジュエリーブランドの発表を行うなど、精力的に活動していた。[ 2007年8月21日9時55分 ] 世界魅せた東洋の美の山口小夜子さん死去 【夕刊フジ】 14日、急性肺炎で亡くなった世界的トップモデルの山口小夜子さん(享年57)。70年代にはパリコレやニューヨーク・コレクションで、おかっぱ頭に切れ長の目の東洋美をアピール。当時“遊び仲間”だった歌手、美川憲一(61)が思い出を明かした。また、若い世代に山口さんのカッコイイ女優姿を印象づけた鬼才・鈴木清順監督(84)が、悲しみにくれた。 山口さんは、2001年10月に公開された映画「ピストルオペラ」で、女優の江角マキコ(40)とダブル主演を果たしていた。 山口さんは、江角さん演じる殺し屋に指令を出すエージェントを演じ、持ち前のミステリアスな雰囲気をただよわせながら、派手なアクションもあるサスペンスに挑戦。 メガホンをとった鈴木清順監督は、20日午後、訃報に接すると、「たいへんショックなので、コメントは少し後にしてほしい」としばらく時間をおいたあと、取材に応じ、こう振り絞った。 「身のこなしが軽やかで、気さくで気取らない人でした。えらいきれいな人だったなぁ…」 山口さんの演技について、映画評論家の小張アキコ氏はこう話す。 「堂々とした貫禄の中に美しさがあった。山口さんの猫目に黒髪のアジアンビューティーの原型とも言われる存在感が周囲の美しさも引き出した。鈴木監督特有の大正レトロの美しさにも見事にマッチした表現でした」 当時の映画スタッフのひとりは、「さすがパリコレなど本場で、ウオーキングモデルを経験しただけのことはある。見た目だけキレイな最近のグラビアモデル出身と違って、身のこなし、動きがカメラの中でも生き生きとしていた」と振り返った。 その鈴木監督が俳優・鈴木清順として山口さんと共演した映画が、最近まで公開されていた。美術監督の巨匠・木村威夫(89)が、ルルドの奇蹟の泉や長崎の原爆をモチーフに極彩色の幻想世界を描いた映画「馬頭琴夜想曲」。 山口さんは、7月21日には都内の劇場で舞台あいさつも務めていたため、突然の死にスタッフのだれもが驚いていたという。[ 2007年8月21日17時2分 ] 遊び仲間だった美川憲一が語る――山口小夜子さん死去 【夕刊フジ】今の若い人は知らないと思うけど、山口小夜子さんといえばあんた、日本のスーパーモデルの先駆け。すっごい人だったのよ。 もう30年以上も前になるけど、仲良くさせていただいていたファッションデザイナーの高田賢三さんが、パリで初めてブティック(現・ケンゾー)をオープンされたというので訪ねたら、紹介されたのよ、彼女のこと。ショーのときとは違って薄化粧だったけど、まぁ~、なんともいえない美貌でさ。見つめられて一瞬、ゾクッとしたのを覚えているわ。 お店でさんざんファッション談議に花を咲かせたあと、じゃ、ディスコにでも繰り出そうってことになって、3人でワーワーいいながら踊りまくったわ。それがまたカッコイイのよ彼女は。街を歩いていてもパリジェンヌの視線クギづけだもの。 そのあとクラブに移動して静かに飲みなおしたんだけど、当時の彼女はお酒も結構いけるくちだったわね。 以来、日本のパーティーなんかで会うと、「お久しぶりねぇ」なんて声かけあって…。あそこまで世界的なトップモデルに登りつめるとはねぇ。 最近はあまり噂を耳にすることはなかったけれど、ついこの間、ロスで夏休みを過ごしているときに、ファッション関係のお友達と彼女のことを話していたのよ。「彼女は時代の先駆者、私たちの憧れだった」って。 そしたらお亡くなりになっていたって…。虫の知らせだったのかしらねぇ…。 心からご冥福をお祈り致します。[ 2007年8月21日17時1分 ] 世界的モデルとして活躍した山口小夜子さんが死去【サンケイスポーツ】 パリ・コレクションなどで世界的なトップモデルとして活躍したファッションモデルの山口小夜子(やまぐち・さよこ)さんが14日に急性肺炎のため死去していたことが20日、分かった。57歳だった。横浜市出身。葬儀・告別式は親族で済ませた。後日お別れの会を開く予定。 関係者によると、17日夜、1人で暮らす東京都港区内の山口さんの自宅を訪ねた知人が部屋で倒れているのを発見。救急車で運ばれたが、病院で死亡が確認された。すでに14日に死亡していたとみられる。 杉野学園ドレスメーカー女学院卒。昭和46年にプロモデルとしてデビューし、パリ・コレクションやニューヨーク・コレクションに参加した。高田賢三氏や山本寛斎氏のショーに登場し、おかっぱ頭、切れ長の瞳の東洋的な魅力で注目を集めた。米ニューズウィーク誌の「世界の6人のトップモデル」に選ばれ、欧米ファッション界で活躍する日本人女性モデルの先駆けとなった。 女優活動にも力を入れ、寺山修司氏演出の演劇「中国の不思議な役人」、鈴木清順監督の映画「ピストルオペラ」などに出演。CMやコンテンポラリーダンス、衣装デザインでも活躍した。 神秘のベールに包まれた印象が強いが、一昨年9月、産経新聞「私の失敗」のコーナーに登場。パリでの初舞台前に失神したことや欧州を電車で移動中、うっかり非常用レバーを倒して特急を止めてしまったことなど、意外に“おちゃめ”な素顔を明かしていた。[ 2007年8月21日7時5分 ] 平凡パンチ1978年2月6日号(楽天ブログ「ともるー's ブログ」より無断転載)ともるーさん、すみません。・・・お、お慈悲を。
2007年08月21日
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正岡子規 「涼し」連作 下 瑞岩寺経きやうの声はるかにすゞし杉木立 松島五大堂涼しさや嶋から島へ橋づたひ立ちよれば木の下涼し道祖神 作並温泉 二句ちろちろと焚火涼しや山の家窓あけて寝ざめ涼しや檐のきの雲すゞしさや関山こえて下り道すゞしさやあるじまつ間の肘枕ひじまくらすゞしさや小舟のりこむ蘆あしの中 王子松宇亭すゞしさの隣をとへば正一位涼しさや子をよぶ牛も川の中牛のせて涼しや淀の渡し舟 白拍子しらびゃうし賛 (遊女)月涼し水干露をこぼすべう (「べく」の古語風音便)
2007年08月21日
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正岡子規 「涼し」連作 中 福島・浅香沼すゞしさの只水くさき匂ひかな 満福寺に宿りて寺に寝る身の尊さよ涼しさよ 福島公園眺望見下ろせば月にすゞしや四千軒しせんけん 福島忍摺(しのぶずり)の古跡にてうつぶけに涼し河原の左大臣 十綱の橋つり橋に乱れて涼し雨のあし 岩代国(福島)湯野村すゞしさや滝ほどはしる家のあひ涼しくもがらすにとほる月夜かな 笠嶋道祖神にてわれはたゞ旅すゞしかれと祈るなり 塩竃(しおがま)神社より浦辺をめぐりて涼しさの猶なほありがたき昔かな涼しさのここを扇のかなめかな 松島雑詠 五句すゞしさの腸はらわたにまで通りけり (名句、子規の代表作の一つ)すゞしさや片帆を真帆に取直しすゞしさや舟うつり行く千松嶋涼しさや嶋かたぶきて松一つすゞしさの大嶋よりも小島かな明治26年夏
2007年08月20日
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正岡子規 「涼し」連作 上夜も更けぬ妻も寝入りぬ門かど涼し涼しさや川打ちわたす馬もなし杉木立すぎこだち土につく手のうらすゞしすゞしさや雲湧き起こる海三寸すゞしさや月に二人の亭主あり (友人二人をヨイショした句らしい)盗人ぬすっともはいる此家このやのすゞしさよ網さげて涼しさうなる雫しづくかな涼しさや目高追はへる女の子 (追い合っていた) 白河結城城址(福島)すゞしさや昔の人の汗のあと (芭蕉「夏草やつはものどもが夢のあと」の本歌取り)夏川すゞしさや馬つなぎたる橋柱明治26年夏( )内は、筆者註。
2007年08月19日
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正岡子規 「暑さかな」連作俳句 下あつき日や肌も脱がれぬ女客傾城けいせいにいつわりのなき暑さかな (手練手管てれんてくだの遊女が嘘でないことをいうのが、暑苦しい)海士あまが家やに干魚ひうをの臭ふあつさかなあつき日や運坐はじまる四畳半 (運坐:句会)此のあたり土蔵の多きあつさかな大仏を見つめかねたる暑さかな気違ひの壁叩きたる暑さかな破やれ垣の隣見えすく暑さかな出立しゅったつの飯いそぎたるあつさかな 病中猶なほ暑し骨と皮とになりてさへ明治26年夏
2007年08月19日
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正岡子規 「暑さかな」連作俳句 中昼顔はしぼむ間もなきあつさかな裸身はだかみの壁にひつゝくあつさかな (引っ付く)ひびわれて苔なき庭のあつさかな石原に片足づゝのあつさかな上野から見下ろす町のあつさかな (上野忍ヶ丘、現・上野公園)ぬれ足に河原をありく暑さかな (「歩く」の古語)鍬くわたてゝあたり人なき暑さかな小蒸汽こじょうきの機械をのぞく暑さかな (小さい蒸気機関車)頭陀づだ一つこれさへ暑き浮世かな (頭陀袋、粗末な作りの袋)さはるもの蒲団木枕きまくら皆あつし明治26年夏( )内はくまんパパ註。
2007年08月18日
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正岡子規 「暑さかな」連作俳句 上あら壁に西日のほてる暑さかな松陰はどこも銭出すあつさかな (茶店の木蔭のことか)暑さかな八百八町家ばかりぐるりからいとしがらるる暑さかな犬の子の草に寝いねたる暑さかな昼顔の花に皺しわ見るあつさかなやるせなき夕立前のあつさかな雨折々あつさをなぶる山家やまがかな我部屋は茶代も出さぬ暑さかな (旅先の宿のチップ)やせ馬の尻ならべたるあつさかな 岩代日本松にて幾曲りまがりてあつし二本松掛茶屋のほこりに坐るあつさかな熱き夜の寝られぬよその咄かな昼時に酒しひらるるあつさかな (強いられる)店先に車夫汗くさき熱さかな道々に瓜の皮ちるあつさかな馬車うまくるま店先ふさぐあつさかな博奕ばくち打つ間のほの暗き暑さかな夕まぐれ馬叱る町のあつさかな腹痛に寝られぬ夜半よわの暑さかなくたびれを養ひかぬる暑さかな明治26年夏( )内はくまんパパ註。
2007年08月17日
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野口雨情 しゃぼん玉しゃぼん玉 とんだ 屋根までとんだ屋根までとんで こわれて消えたしゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えたうまれてすぐに こわれて消えた風 風 吹くな しゃぼん玉 とばそ作曲:中山晋平「金の塔」大正11年11月号註昔も今も、女の子を怖がらせている2番の歌詞は、野口雨情が、生まれてすぐに亡くした長女に捧げた魂鎮(たましず)め(鎮魂)の歌であるという説が有力。そう見ると、「玉」と「魂(たま)」の同音異義語にも意味があるのかも知れない。が、この説に確証といえるほどのものはない。戦前には、当時日本の農村に存在した悪しき習俗「間引き」を歌ったものであるとする解釈も囁かれたといわれる。詩的表現が時に孕む、心胆を寒からしめる凄みを示すエピソードと言えるかも知れない。
2007年08月17日
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野口雨情 赤い靴紅い靴 はいてた女の子異人さんに つれられて行つちやつた横浜の 埠頭はとばから船に乗つて異人さんに つれられて行つちやつた今では 青い目になつちやつて異人さんのお国にゐるんだらう赤い靴 見るたび考へる異人さんに 逢ふたび考へる作曲:本居長世「小学女性」大正10年12月号註表記は、原文のまま。テキストを素直に読めば、人さらいの歌かと思う。また今日(こんにち)では、新潟の海辺から、北朝鮮工作員によって連れ去られた(拉致された)横田めぐみさんを連想してしまうのは、日本人の人情のしからしむるところである。この歌に限らず、野口雨情の歌詞には、謎めいて不思議で、不気味で怖いものが少なくない。この歌にも、ドラマチックないわく因縁ともいうべき事実が秘められているらしいので、興味のある方はウェブ上で検索してみると詳細な解説が出てくるが、詞の内容に直接に反映しているわけではないと思われるし、僕個人としてはそうした“秘話”めいたものに興味はない。こういう作詞の背景のようなことは、ポピュラー音楽でもよく語られるが、たいてい興醒めの効果しかないというのが、僕の経験から得られた教訓である。本文テキストのミステリアスさは、ミステリアスさのまま受け止めたい気持ちだ。
2007年08月16日
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西條八十(さいじょう・やそ) 肩たたき母さん お肩をたたきませうタントン タントン タントントン母さん 白髪がありますねタントン タントン タントントンお縁側には日がいつぱいタントン タントン タントントン真赤まっかな罌粟けしが笑つてるタントン タントン タントントン母さん そんなにいい気もちタントン タントン タントントン作曲:中山晋平「幼年の友」大正12年5月号註私ごとだが、本日は亡き母の命日。・・・昔の日本女性は、本当に優しくてよかった~
2007年08月16日
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林柳波 おうまおうまの おやこは なかよし こよしいつでも いっしょに ぽっくり ぽっくり あるくおうまの かあさん やさしい かあさんこうまを みながら ぽっくり ぽっくり あるく作曲:松島彝(つね)文部省唱歌「ウタノホン」昭和16年3月原詞は全文カタカナ。
2007年08月15日
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リズム時計は、当地・栃木の、陶器で知られるモノ作りの町・益子に大きな工場があり、知人も勤めています(現在、彼は中国広東省の先進都市・深セン〔土へんに川〕の海外子会社に出向しています)。デザイン感覚にすぐれ、夢があふれるモノ作りの、独特の社風で知られています。わが家でも、少し旧型ですが、リズム時計の「となりのトトロ」の掛け時計を愛用しています。小トトロが出てきて時を告げると、子供たちは大喜びです。(なお、シチズンと販売面の提携関係にあるため、“CITIZEN”のロゴマークのものを含みます。) 村上康成クロック ぺろくまくん(深緑) リズム時計 キツツキの動作で木製ベルが鳴ります。毎朝の楽しいお目覚めを。 イタリア製陶器枠時計 ザッカレラZ169 リズム時計 宮崎駿・スタジオジブリアニメの名作をお部屋に。【30%OFF】ねこバス となりのトトロ掛時計 リズム時計 ボブ・サップ 目覚まし時計 リズム時計工業【掛時計】となりのトトロ 4MH769-M06 ミッフィー掛時計
2007年08月14日
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くまんパパ 真夏の夜のアドリブ 数首(未推敲)恋をして酔歩蹣跚そぞろあるいて抱き寄せてエヴリシングルシンプルデイズ蔭ながらお慕ひ申し上げてをりお醤油顔の Bonnie Pinkを 星の夜は願ひをこめてシュビドゥビドゥ plum treeの果実現実 *YUI「CHE.R.RY」よりゆくりかにラヂオのこゑの身に沁みて八月十五日の曳航ヨハネ、ジョン、イワン、ジョヴァンニ、ジャンといふひとりの男がけつぷちなる何もいいことがなかつたこの街に帰り来たれり途方に暮れて *谷村新司「遠くで汽笛を聞きながら」(堀内孝雄)より風に乗り汽笛響けりもしかしてかつて僕らはひとつなりしか© Nohara Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年08月14日
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俵万智残り時間我より多き若者はボチボチという語をよく使う芽キャベツのような夢だね未完熟の言葉に宿る芯のまぶしさ不良債権のような男もおりまして時々過去からかかる呼び出しむしろ死に近きおさなご這いゆけばダメダメダメが口癖となる黄昏のイルミネーション見せやれば子は指させり青きイルカをあんぱんまんの顔がなくなるページありおびえつつ子はしっかりと見る歌集「プーさんの鼻」(2005年11月)註「芽キャベツ」は、「キャベツの芽」ではなく別の品種であり、「未完熟」という俵万智さんの表現には誤解があると思うが、ま、いいか歌としては、名歌と思う。ちなみに、私は芽キャベツのバター炒めが大好物である
2007年08月14日
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先ほど、地元 RADIO BERRY(レディオ・ベリー、FM栃木)の、昔から密かにお慕い申し上げている人気女子ベテラン美人アナウンサー・Kさんが、ニュースの中で「(月遅れの盆で、人々が)線香をテムケていました」とはっきり言うのを聴いたプロのアナウンサーとしては、かなり恥ずかしい間違いといえよう「手向ける」は、もちろん「たむける」。「(花などを)手折る」は「たおる」である。こういった言葉は、葬儀・法事など、衆人環視の厳粛な場面で使うことが多く、間違えると余計に恥ずかしい。・・・踏んだり蹴ったりだといえよう語源的に言うと、「頼る」は「手(た)・依(よ)る」、「助く(助ける)」も「手(た)・助く」であるとも見られるから、全く同じ造語構造である。「守る」は、語源的には「目(ま)・守(も)る」であるから、同様である。ちなみに国語学的に、上古代では、「目」は「ま」、「手」は「た」であったという説もあり、整合性のある理論だと思う。・・・日本語は難しいざんすね
2007年08月13日
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最近はイタリア料理、フランス料理はもとより、タイ、インド、ベトナム料理などなどのレストランが(当地でも)そこかしこに林立する嬉しい時代になったが、ロシア料理店は割と珍しい。これはもう、ただ単に、馴染みが薄いというだけじゃなかろうか。料理名のロシア語も、確かに覚えにくく、舌を噛みそうだもんね実際に食べてみれば、ロシアの大地に根っこを張った、ロシアのおっかさんの家庭料理という感じで、素朴で好ましく、おいしくて楽しく、心温まる。おまけに、ヘルシーだと思う。フランス料理なんか、明らかに宮廷料理の流れを汲み、洗練されているが、庶民的というには程遠い。カロリーも高いし。そこへいくとロシア料理は、本当に庶民的である(お値段の方は、必ずしも庶民的とはいい切れない場合もあるが)。僕と妻は、ロシア料理が大好きである。ここ数年は、3歳5か月になった三つ子三人娘の子育てに大わらわで、食べ歩くどころの騒ぎじゃないのだが、それ以前は、時々車を走らせて、地元栃木・市貝(いちかい)町の「梨美奈(りびな)」や、茨城・水戸の「キエフ」によく行った。特に「キエフ」は、当地・栃木からは遠いっちゃ遠いのだが、水戸偕楽園に梅を見に行ったり、大洗・阿字ヶ浦海岸に遊びに行った帰りに必ず寄ってたので、けっこうそこそこ通ったと思う。いつ行っても、落ち着いた素晴らしい雰囲気で、心温まるディナーを堪能できる。ついでに言えば、少し前までは、たぶん日本共産党関係者あたりと思われるインテリ系の客の溜まり場といった感もあり、“来たるべき連合政権”とかについてボソボソ語り合ってたりして、一種独特な特殊個別的雰囲気も楽しめたりした・・・今はもう、そんなことないだろうけどロシアというのは、明らかにわが国固有の領土である北方四島を不法占拠している怪しからん国ではあるが、料理は美味い。現プーチン政権は、年々歳々強権的なこわもてを強め、国内マスメディアへの圧力を強めたり自由な言論を弾圧したりしている怪しからん政権であるが、プーチン大統領がなかなかの男前であり、ロシア人の間で人気があるのは否めない。それはともかく、本当にロシア料理は、美味くてホッカホッカだよおっかさん。本格的な料理のほとんどは、実際にレストランに行って食べてもらうしかないが、楽天市場でも、その代表選手であるボルシチやピロシキが手軽に入手できるようである。残念ながら、筆者がよく知っている「梨美奈」や「キエフ」ではないが、写真や説明文などから推して、ちゃんとした立派なロシア料理であると断定して間違いないだろう。お値段もお手頃。ぜひ皆さんも、ロシア料理の素朴でやさしい味わいをお試し下さい。 ピロシキの店マルメッコ ピロシキ8個セット お好きなピロシキを8個選んで下さい♪ 組み合わせは自由です♪ 岩手・北上 ロシア料理専門店トロイカ ボルシチ 同上 チーズケーキ ボルシチ(シチュー、レトルト)
2007年08月12日
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北原白秋病める子はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出指先のあるかなきかの青き傷それにも夏は染(し)みて光りぬ太葱の一茎ごとに蜻蛉(とんぼ)ゐてなにか恐るるあかき夕暮歌集「桐の花」(大正2年)
2007年08月10日
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デブにとって一年で1番いやな季節の梅雨末期は過ぎたが、2番目に嫌いな季節である夏はなお続く。この暑さで体調がすぐれない上に、このところ仕事や子育てで相変わらずバタバタしていて、とても落ち着いて歌など詠める心持(こころもち)(夏目漱石風語彙)ではない。・・・が、まあ何とかかんとか強引グ・マイウェイで15首まとめ、昨夜結社に送付した。小1週間のやっつけ仕事にしては、まずまずもっともらしいのをでっち上げられたような気もしている。僕の実力では、どうあがいてもこんなものだろうから、ま、いいや。内容はほとんど再録になるが、自分の覚書きとして収録する。はちぐわつの饐(す)えしにほひの叢(くさむら)に殻のみ晒す蝸牛かな凄まじき驟雨襲ひ来ドストエフスキー新訳読む夏蔭にアリョーシャとスメルジャコフのまなざしの彼方に神の虚ろほの見ゆ人間に興味がないのかも知れぬ神と言葉と今宵たはむる物語なるもの既に飽き果てて夏の大三角形を見つ台風が去りぬるころは我ひとりスカーレットのごとくさぶしゑ *マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」夏祭渡御(とぎょ)の神輿のわかうどの炎(ほむら)立ちぬる魂なりき夏祭踊る阿呆に見る阿呆我と娘も両方阿呆すでにしてをんななるべしたをやかに浴衣まとひし我が子を見れば素麺を啜りなどしてディスカヴァーエキゾチックなジパングの宵幾十年(いくそとせ)一日(ひとひ)のごとくNHKラヂオ体操第一第二赤とんぼてんたう虫にあげはてふ虫愛づる君 蝿蚊を除く第一次反抗期なる娘らのけふも楽しき減らず口かな囲碁脳といふものありと聞きしこそ韻律脳もあらむと思へ九歳で始めさせるか六歳で始めさせるか娘に短歌
2007年08月10日
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きょうは、所属する結社の同人誌「短歌人」の10月号原稿の実質的な締切日(郵送で12日必着なので、きょう9日がギリギリ、遅くとも明日朝一番には出さないと)なので、おケツに火が点いてるざんす。ブログどころじゃないざんすよ~・・・でも、一歩引いて自分を眺めてみると、締め切りに追われるとかって、なかなかいいもんですね。一般の仕事でも、「納期」ってすごく大事。追い込まれて苦しまぎれに吶喊作業で詠んだ歌が、案外名歌だったりして文豪ドストエフスキーが、博打で蕩尽した莫大な借金に追いまくられ、「ロシア報知新聞」の締め切りに追われまくりながら、あの世界文学に冠たる傑作を次々と残したことは、人間精神のメカニズムの怠惰な本質と、「締め切り」の効用を物語ってあり余るものがあるざんす。・・・なんちゃって
2007年08月09日
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林柳波 海海は広いな 大きいな月がのぼるし 日がしずむ海は大波 青い波ゆれてどこまで つづくやら海にお船を 浮かばして行ってみたいな よその国作曲:井上武士文部省唱歌昭和16年3月「ウタノホン」所載。註「うかばして」は、東京弁(標準語ではない)であろうか。現在は「うかばせて」が普通。原文は、カタカナ。ウミハヒロイナ 大キイナツキガノボルシ 日ガシヅムウミハ大ナミ アヲイナミユレテドコマデ ツヅクヤラウミニオフネヲ ウカバシテイツテミタイナ ヨソノクニ
2007年08月08日
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佐々木信綱 夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女が裳裾もすそ濡らして玉苗植うる 夏は来ぬ橘の香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植えわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年5月「新編教育唱歌集」所載。註楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。
2007年08月07日
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くまんパパ 詠草数首 (未推敲)はちぐわつの饐(す)えしにほひの叢(くさむら)に殻のみ曝す蝸牛かな凄まじき驟雨襲ひ来(く)ドストエフスキー新訳読む夏蔭にアリョーシャとスメルジャコフのみそかなる対話に神の空虚(うつろ)ほの見ゆ物語なるもの既に飽き果てて夏の大三角形を見つ夏祭渡御(とぎょ)の神輿(みこし)のわかうどの炎(ほむら)立ちぬる魂なりき夏祭踊る阿呆に見る阿呆我と娘も両方阿呆人間に興味がないのかも知れぬ神と言葉と今宵たはむる© Nohara Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年08月07日
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フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟亀山郁夫(東京外国語大学教授、まもなく学長)訳光文社古典新訳文庫(全5巻)世界文学の最高峰であり、人間精神の到達地点である。近現代文学・思想に与えた影響は、∞(リミットレス)。ひとかどの男子であれば、絶対に読んでおかなければならない本である(・・・女子でもいいよ)。奇しくも、今日は広島原爆忌であるが、ある意味深いところで、このように人間が悪魔たりうるという蓋然性も、本書の中で予言されているといっていいだろう。ただ、あまりにも凄すぎて、まとまったレビューめいたものなんて、とても軽々には書けない。こう暑くちゃ、夏バテで身も心もヘロヘロだし。・・・追々、加筆できればしておきますとにかく、このブログの読者の皆さんはぜひ読んでほしい。生涯最高の読書体験になることは、折り紙付きである。なお、現時点で一つはっきりと言えることは、長年親しんだ米川正夫訳(岩波文庫版)に比べて、平仮名が多すぎる。漢字が少なすぎる。訳文が生き生きとしすぎている。・・・要するに、読みやすすぎる。そこが、大いに不満だ
2007年08月06日
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木製玩具 まゆ玉ころころこの手のおもちゃって、今でもあるんだね~。1列が2列になっただけで、昔とほとんど変わりない。とっても懐かしい。ただ、繭玉は、・・・やっぱしプラスチックか~時代のしからしむるところだね。僕らが子供の頃、縁日(当地では、正月11日の「初市(達磨市)」など)で買ってもらった時は、まぎれもなく本物の蚕(かいこ)の繭だった。中には、蚕蛾の蛹(さなぎ)が入っていて、コロコロ動いた。ちなみに昔の縁日は、普段あんまり見かけないような街の輝きと、ヤクザなおじさんがウロウロしているような雰囲気の異空間で、それだけでもワクワクした。球体と違って生き物みたいに変わった動きをするのが面白い。何といっても、この動きがミソだね。今思えば、栃木県・群馬県(野州・上州)の南部地域の養蚕農家の農閑期の手仕事だったのだろうか。子供心にも、心のこもった、すばらしい手作りの民芸品であると思っていたものだ。・・・しかし、言えば言うほど、中年男の詮無い繰り言である。ま、しょ~がないやね。現在でもレプリカがあるというだけで、オヂサンは感激ダス。皆さんも、ご家族で遊んでミソ~。
2007年08月06日
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詠み人知らず夏草の露分衣つゆわけごろも着けなくにわが衣手ころもでの乾ふる時もなき万葉集 1994夏草の露を分けて通った衣を着ているわけでもないのに、わたしの衣の袖は涙で乾く時もない。註衣手ころもで:袖。なお「袖」の語源も「襲(そ、衣服)」の手。乾ふ:上代語「乾(ふ、乾く、干る)」の連体形。
2007年08月05日
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くまんパパ結社誌「短歌人」10月号のためのアドリブ(未推敲)すでにして女なるべしたをやかに浴衣まとひし我が子を見れば素麺を啜りなどしてディスカヴァーエキゾチックなジパングの午後かき氷さくさく抉えぐり風鈴の音涼やかに絵のやうな夏赤とんぼてんたう虫にあげはてふ虫愛づる君、蝿蚊を除くダメダス。・・・こう暑くては、短歌なんか全然浮かばんわ
2007年08月04日
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大伴家持夏山の木末こぬれの繁しじに霍公鳥ほととぎす鳴き響とよむなる声の遥はるけさ万葉集 1494夏山の梢の繁みにホトトギスが響かせている鳴き声の遥かさ。註中身がびっしりと詰まっていて、言葉の響きに雄渾壮大ささえも湛えた大伴家持の秀歌。名歌が少ない夏の歌としては、屈指のものといえる。
2007年08月04日
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大伴家持夏設まけて咲きたる唐棣はねずひさかたの雨うち降ればうつろひなむか万葉集 1485夏を待ち受けて咲いたニワウメの花は、雨がうち降ると色褪せてしまうだろうか。註設まけて:待ち受けて。あらかじめ準備して。現代語「設ける」の語源。唐棣はねず:ニワウメ(ばら科)。八重咲きのものを通称ニワザクラという。現在でも庭木として愛される低木。花は梅に似て、小さいサクランボのような実をつける。ひさかたの:「空」、「天」、「雨」などに掛かる枕詞。正岡子規は、なんと「アメリカ人」に掛からせている。
2007年08月04日
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毎月初旬になると、所属している結社の同人誌「短歌人」の締め切りが迫ってきて、定期的に気持ちが緊迫してくるのは、今月も例外ではない。・・・とはいえ、なかなか悪くない気分であり、弛んだナマクラ中年男の精神に、得がたい緊張感をもたらしてくれると思っている。毎月12日に発行所必着なので、9日ぐらいが事実上ギリギリの締め切りざんす。とりあえず、10月号のための即興インプロヴィゼーション。推敲・取捨選択は、まだこれからだよ~ん(旧作を含む)。三人みたりの子浴ましめ畢をへし湯に浸かり天上天下唯我独楽第一次反抗期なる娘らのけふも楽しき減らず口かな幾十年いくそとせ 一日ひとひのごとくNHKラヂオ体操第一第二メイちやんに自己同一化せし吾子わこのトトロみたいなおとうちやんなりくれなゐのトマトの熟るる時間とは甘酸つぱくて豊けき無常囲碁脳といふものありと聞きしこそ韻律脳もおそらくあらめ九歳で始めさせるか六歳で始めさせるか娘に短歌台風が去りぬるころは我ひとりスカーレットのごとくさぶしゑワイパーは左右の長さ異なれり夏の奥より驟雨来たりてAlways on my mind ありがたういつも一緒に生きててくれて遠きより在来線の音すなり秋を孕める風に乗り来て驕るるは久しからずと思い出づ自民惨敗民主大勝与野党も鰯不漁も生脚もコンドラチェフもレジーム循環シフトこれらは推敲して研ぎ澄ますとともに、「夕涼み」なんて言葉も使ってみたいし、「祭り」、「素麺」、「きゅうり(旧仮名遣い:きうり)」、「虫すだく」なんかもいいね~。頭捻ってみよっと。・・・あと1週間あれば、何とかなるだろ~
2007年08月03日
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旋頭歌せどうか鯨魚いさな取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干しほひて山は枯れすれ万葉集 3852鯨を取る海は死にますか。山は死にますか。死んでしまうからこそ、海は潮が引き、山は枯れるのでしょう。註旋頭歌せどうか:577、577の韻律の歌体。当時、歌唱されたものと考えられている。「こそ・・・すれ」は係り結び。この歌の場合、“ド迫力”ともいうべき、すばらしい言葉の効果をもたらしている。
2007年08月02日
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8月の声を聞いたと思った途端、累積50,000アクセスの大台を突破することができました皆様、ありがとうございます今後とも、ヨロピクね~
2007年08月02日
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