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土曜か日曜のどちらかで、ここ半年位1週間に一度の割合で、30分早歩きをして休憩し、その後30分家まで歩いて帰ってくる‥ということをしている。外を歩くと景色が変わり、目にも良い。そして花や野菜の栽培が移り変わり、四季を感じられる。勿論体感温度も変わるわけで、色々飽きさせないで楽しませてくれる。休憩場所もヨシズヤの中なので、百均やら服やらと、見るものが多くて楽しい時間である。そんな中、ふと逆方向に行ってみようと思った。そこには同じ位の距離で、アズパークというところがある。ヨシズヤは私の家から北方向に行き、あま市(甚目寺)内に有るのだが、そのアズパークは南方向で、名古屋市中川区に有る店舗である。大治はそれなりに開けているのだが、大型のショッピングとなると近隣の町へ行かないと無い。車を運転しない私としては、南北への移動は自転車か歩きになる。だから東へバスで行って名古屋の中心地へ行ったほうが、近くて便利なのである。バスは通勤時になると2、3分に1本来るし、昼間でも殆ど待たされることなくやってくるので、不便だと感じる事は無い。さて、地図上で同じ位の距離だと思ったのだが‥甘かった。地図と実際は違うわけで、結局ヨシズヤが歩いて30分の距離だったのに対して、アズパークまでは40分かかったことになる。ただ良かったことは、信号が殆ど無かったことだ。名古屋で歩こうものなら、すぐに信号で止められてしまうので、折角意気揚々と歩いている気持ちが萎えてしまう。知らない道を歩いて、行き止まりが多かった。これには笑ってしまったが、名古屋もまだまだ田舎だと思うと、我が町と変わらないことが何となく嬉しかった。
2015年02月28日
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自分が知り得たことで、これは自分一人が知っておくだけでは勿体無い、と感じることがある。例えば私は過去にヘルパーの勉強をしたことがあるのだが、勉強した理由は、当時寝たきりになってしまった母の移動手段として、必要だったからである。といっても、私がその勉強を生かしたことは一度か二度だけで、結局母は病院を転々として亡くなってしまった。それでも勉強したことは良かったと思っている。ベッドから車イスへ移動するのに、知識が有ると無いとでは、介護者の負担が全然違う。それは自分の体を守るためであるし、介護される側の負担を減らすためでもある。万が一腰を痛めてしまったなら、介護する側から介護される側になりかねない。素人考えで行なうと、取り返しのつかない結果が待っている。問題をかかえている人は、みんなが勉強したほうが良い、‥と思ったのだが、人の考え方は十人十色で、そこまで必要を感じない人も居る。得てして、自分が良いと思ったことは勧めたくなる。そこから得た恵みが大きかったからである。でもそれは自分の考えでしかない。人も同じように考えているわけではないのだ。一緒に勉強しようと誘ったこともある。その時の私の友達は、二の足踏んで結局行かなかった。それはそうだ、お金はかかるし時間もかかる。それに勉強もしなければならないし、提出物も有った。他にも実地訓練が有り、個人宅へお邪魔して家事の一部を行なってきた。施設へも訓練のために行き、そこで色々なお世話もした。車イスへの移動だけの勉強というわけにいかないから、面倒臭い勉強もしなければならない。私が勉強して良かったと思ったことでも、そこまでしたくないという意見にも頷けるほど、確かに大変だった。でも友達を誘ったことは悪くないと思っている。知っている情報を伝えるのは、知った者として必要な事だと思うのだ。ただその情報をどうするかは、相手が決めることである。情報を発信したら、結果は相手に委ねるべきである。情報を伝える情熱は、自分の為?相手の為??そこが理解できていれば、それで良いと思う。
2015年02月25日
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コストを取るか、利便性を取るか‥。個人ならどちらかを選択するのは難しくないのだが、これが組織や団体ともなると、色々な意見が有って難しい。例えばマンションで何かを決議する場合でそこにお金が絡むと、各家庭の懐具合が違うだろうから、簡単には結論が出ない。会社だってトップの考えと私たち下で働く者との考えが違い、出た結論に全面的に賛同できるかというと、素直に頷けない。まぁ、会社の場合は給料を戴いているので、心の中では素直でなくても、頷くことにはなるのだが‥。「安物買いの銭失い」という言葉があるように、コストを抑えた結果、後から補給にお金がかかってしまう、などという馬鹿げたことにもなる場合がある。お客様を考えると、コストより利便性だろう~。でも目先のコスト削減に意識がいってしまうという、残念なパターンが多いのも事実である。少しでも経費削減をしたいところだが、それをすることによってお客様が離れていってしまっては、本末転倒になってしまう。そういえばこの間、全く真逆なパターンを紹介していた。ものすごく豪華な歯医者について映像を流していた。今やコンビニの数より歯医者の数のほうが多いというのだから、この情報にはびっくりした。なので歯医者もあの手この手で、お客獲得の為に工夫を凝らしている。でもその歯医者の建物は、お城?のようで、どれだけ儲かっているの??と疑いたくなるような豪華さだった。確か岐阜市だと言っていたような‥。治療費は一般的料金というのだから、まぁ話題性や目を引くためには、これも有りなのかもしれない。でもこの建物を作るとなると、億単位ではないだろうか‥。設備投資が莫大すぎると思うなぁ~。元は取れるのか?と、他人事ながら心配してしまう豪華さだった。選択肢は色々あるが、自分だけでなく周りだけでなく、全てがハッピーになる道が無いかを、まず考えていきたいものである。
2015年02月23日
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「1100種類以上~!?」昨日ニュースを聞いていて驚いたのだが、トクホ(特定保健用食品)は、いまや1100以上出ているようだ。トクホが最初に出た頃、ふ~んという感想で、積極的にトクホ関連のものを購入しようという気持ちにはならなかった。一旦下火になったのを盛り返したのは、コーラやコーヒー関連がトクホに認定された時である。コーラに関しては、あれは歯を溶かすなんて話しが出たことがある。出始めの頃だっただろうか?コーラの入った液体に、歯自体だったかカルシウムだったかを入れて、溶けていく様子を映像で見たことがある。でもあれはずーっと浸けていった場合なわけで、コーラを何時間も口の中に溜めていけるわけでないから、現実的でない実験のように思った。コーヒーは胃に負担がかかるとか、睡眠を妨げるとか、よくない話しもあるわけで、その二つにトクホの認定が下りた時は、コーラやコーヒーが好きな人たちにとって朗報だったのだ。私はコーラを飲まないし、コーヒーは飲むけれどトクホを意識して飲もうとは思わなかった。今回私がこのニュースで反応したのは、ノンアルコール飲料にトクホの認定が下りたという報道だったからだ。許可が下りた商品は、未発売であるサッポロビールの「サッポロプラス」と、花王の「ヘルシアモルトスタイル」のようだ。いずれも種類は清涼飲料水なわけで、だからこそ許可が下りたのだと思う。そして許可した条件は、酒のコーナーに置くことのようである。どうやらサッポロから発売される予定のものは、糖の吸収をおだやかにするもので、花王は脂肪の消費を促すものらしい。私が興味を持ったのは、ビール関連だったからだ。やはり人間は興味の有る情報には食いつくし、興味が無ければ、スルーしてしまうようである。いつ発売だろうか?‥楽しみである。
2015年02月20日
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最近特によく思うのが、伝えることの難しさである。どうやったら私の意図することが伝わるのか、どういう話し方をしたら、私が考えている事を伝えることができるのか。特に占いのお客様の場合、相手に理解して欲しいことがあるのだが、伝え方をどうするかで、一度じっくり頭の中を巡らせることがある。例えば「男運無いよ」とストレートで伝えたとしたら、相手はどんなにショックを受けることだろうか。特にこれから素敵な男性と出会い、お付き合いをして結婚し幸せになりたいと思っている女性に、そういう突き放したような言い方は出来ない。相手の性格が結構しっかりしていて、豪快な人だとしても、やはり何処かで引きずる言葉になるように思う。でも現実をしっかり受け止めてもらわなければならない。それは男運が有る人と一緒の気持ちで、ただただ待っていれば良いわけではないからである。また受け止め方も人それぞれで、こちらが大した意図もなくお話ししたことも、ショックな言葉として受け止めてしまうこともある。これも、できるだけ回避しなければならない。一つ有難いことは、占いをする人の性格が、こちらで把握できることである。でも、それも遠方の人と会わずして鑑定する時は、更なる言葉の難しさを感じる。それはこちらの話したことに対する反応を、目の前で確認できないからである。しかしだからこそ、こういう遠方の人を占ったことで、四柱推命という統計学の素晴らしさを、改めて知る事になった。心理学で言語よりも非言語(言葉以外の情報)のほうが、相手に伝わると比率が大きいという事を教えられる。 言葉が優しくても目に憎しみがあったら、人はその人が言った言葉を、そのまま鵜呑みにはしないからだ。だからそういう情報無しで、生年月日を頼りに占っていく事は、私の鑑定する力を養ってもらったと思っている。目の前の情報が無いし、メールのやり取りという時間のタイムラグもあるので、手間暇がかかるのだが‥、でもそこに自分の成長も有るように感じる。
2015年02月17日
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サムエル記には、醜い人間の心があからさまに書かれている。サウルが自分より強いダビデを妬んだり、ダビデが人妻に手を出したりと、現在となんら変わらない人間の醜さが描かれている。それらを隠ぺいするために、更に罪を重ねていく。嘘に嘘を塗り加えていってしまうのだ。権力を持つ人間が、自分の欲求を満たすために、そしてそれを隠すために、人殺しを正当化して行おうとする。今でも地球の何処かでは、同じようなことが行われているだろうが、人間の愚かさを感じずにはいられない。欲に負けて罪を犯していった結果は、本人にその罪の代償がいくか、或いはその子供や子孫へといくことになる。大切なことは、罪を犯したら何らかの形でそれを背負うということだ。今世で贖われなければ、倍増して来世へと繰り越されていく。そういうことが分かっていないから、人は罪を犯してしまう。自分の魂がどんどん汚れていってしまうのだ。権力が有る人間は、罪を犯しやすい立場にある。そう考えると、平凡な人間でいるほうが、魂レベルで考えると有り難いのかもしれない。大きな飛躍は出来ないが、その代わり大きな罪を犯す機会は少ない。それともこれは、無難に終わらせたい私の要求かもしれない。それにしても聖書の中の至る所に、人間の愚かさが赤裸々に書かれている。歴史は繰り返される‥というが、正にその歴史は数千年の中で、何度も何度も繰り返されてきた。神というものが居るというなら、私たちの犯す罪を見守る辛抱強さは半端ないと思う。どこかで放り出してしまっても可笑しくは無い。真の親の心情に立たれているのだろうと思う。
2015年02月15日
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昨日の会社帰りのバスの中は、随分賑やかだった。観劇かなにかの帰りだったのか、60~70歳位の女性たちで、座席をいくつか占拠していた。別に話しを聞いているわけではないが、席の関係上、どうしたって話しの内容が耳に入ってくる。話しの内容は、降車時にいつ席を立つかという議論だった。「昔は早く席をたって、降りる場所まで行ったよねぇ」確かに一昔前までは、降車時間がかかり過ぎることを嫌い、運転手も降りる人に早めに出口近くまで行くことをアナウンスしていた。それがいつ頃からだったが、突然アナウンスの内容が変わり、ご丁寧に座席の裏にも「バスが止まるまで座席を立たないでください」という言葉が貼ってあり、座っている人の目に止まるようになった。毎回毎回「お降りの方はお早目に出口近くまでお越しください」と何十年言われ続けてきたのが、「バス停でバスが止まるまでお立ちにならないでください」というふうに変わったのだから、最初は違和感満載だった。急ブレーキをかけるかもしれないので、転倒防止のために立たないで欲しいということなのだが、自分が立っている時は(最初から立ってますけど‥)と、心の中で突っ込んでいる(笑)多分推測するに、転倒したお年寄りが何人か続き、会社側も方針を変更したのだろう‥と思う。これは高齢者社会になってきたことの象徴のように思う。時間を節約してバスを走らせるか、ある程度ゆったりとした時間配分にして事故防止をするか、その選択で決めたことだろうと思う。「降りられなかったらどうしよう‥」と、一人の人が他の人に話しかけている。足腰に自信がないようで、早く前のほうに行きたがっている。「席を立たないでと言っているのだから、立ったら駄目よ~」他の人が、立とうとしている友人に戒めている。高齢化社会でバス会社の方針も変わる。そんな中で私たち市民のできることは、健康を維持して、不測の事態が起こっても機敏に対処できるように、日々体を整えていきたいものである。
2015年02月13日
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立春過ぎて雪、昨日の名古屋の温度は最低がマイナス1度で、最高でも3度までしか上がらなかった。朝も積もってなかったので、いつもと同じ時間に家を出たが、道路事情が酷かった。積もっていないので問題ないと思っていたけれど、それが甘かった。バス自体は定刻に来たけれど、乗ってからが大変。ほとんど前に進まないのだ。いつもなら名古屋市内に入るまでに10分とかからない。にも関わらず昨日はたっぷり40分かかって、ようやく市内へ入った。橋はどうしてもネックになる。大治町は、新川と庄内川の二つを越さないと名古屋市内に入れない。これが渋滞を生んでしまう。名古屋に入ってしまえば、スイスイと進んでいく。だって雪は積もってないし、朝の時点ではそんなに降ってもいなかったからだ。結局橋までに掛かった余分の30分だけが、全体の遅れとなった。私はいつも30分以上早めに行っているから問題なかったが、それでも後10分程度の時間がかかっていたら、アウトである。学生二人が遅延証明書を貰っていた。他に貰っていそうな人は居なかったように感じたが、結構遅刻している人は多いように思う。昨日は会社に居ても足元から冷えてきて、底冷えしていた一日だった。外回りをしている男性陣には、頭が下がる思いである。風が強いので、飛んできた雪というところである。非常に細かい雪で、雪と呼ぶほどでない。それなのに影響を受けるなんて、なんとも情けない話しである。朝の天気予報で、午前中が雪マークになっていた。慌てて外を見たが、今のところ雪は降ってないし積もってもいない。大丈夫だと思うが‥道路事情は別問題なので、どうなるだろう。今日も大して温度が上がらないが、何事も無いことを願っている。
2015年02月10日
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先日テレビで98歳の画家の女性を取り上げていた。「笑ってコラえて!」という番組中の企画の一つである。「すご~い入江さんを探して、祝ってらっしゃい」という趣旨で、入江という名前の凄い人を探して、勝手にお祝いするというコーナーである。番組で捉えた人は、98歳の現役の画家で「入江一子」さん。大正5年生まれで幼少時を韓国で過ごしている女性だ。下の子供の面倒を見なければならなかった彼女は、学校から帰ると家の手伝いをしなければならない。そんな彼女の楽しみは、学校と家とを往復する中間地点で、絵を描くことだったという。そこからずっと、絵を描くことが彼女の日課のようになっていく。美しい風景の色彩‥それを描ききれなかった自分‥。その悔しい想いを胸に、益々絵にのめり込んでいく。彼女の描くものは、光が差し込んでいるものが多いのだが、その光で色々なものを表している。描く絵も自分の身長より遥かに高さのある作品で、どこにその絵を描くだけの体力があるのだろうか?と驚く。実際は疲れたら、間に1時間ずつ何度か睡眠を取りいれている。それにしても凄いと思う。だって‥98歳‥スゴい‥。今でも海外へ行って、自分の描きたい風景をデッサンしてくるらしく、その行動力には驚かされる。そしてスタッフが番組の終盤で、近くで素敵な風景の場所にお連れしたのだが、そこの景色を見て彼女はこう言った。「日本にもこんなに色彩の鮮やかな場所がある。今度は日本にも目を向けて描いていきたい。」幾つになっても好奇心を持ち続ける彼女。次々とチャレンジしていく姿に、感動である。
2015年02月09日
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節入りをもって新しい1年を迎える。四柱推命(占い)では、毎年2月4日‥年によっては5日になるが、立春が新しい1年となり、その前日までが前年と考える。だから平成27年の運気は、ここで切り替わる。今年は平穏に時間が流れそうである。ただ来年忙しいようなので、今年は特に健康な体作りを目指したい。来年の動きに対処できるように、今年を使いたいと思う。昔は来年が忙しいからといって、今年しっかり体力を‥な~んて考えもしなかった。でも最近は、普通に熟していけた業務が年々難しくなっていく。体力の低下を日々感じているからだ。だから今年は特に体力作りに重点を置くことにした。実は私の尊敬する先生の一人のホームページへ、ふと‥本当に何気にお邪魔する気持ちになり、節入りの日にお邪魔した。その先生の授業がとても刺激的で、自分の中の別の自分に会えたりしたものだから、機会があればまた授業を受けたいと思っていたのである。ただここ1、2年は、私の願う授業内容でなくなったので、もうあの授業は受けられないなぁ~と思っていた。それでも万が一またその気になってくれたらと、淡い期待をもって、数ヶ月に一度ホームページを覗いていたのだが、今回覗いてみて、受けたい授業が決定的に無くなったことを知った。新年の挨拶に衝撃的なことが書かれていた。それは先生が、立ち上げていた会社自体から撤退した文言だった。これはショックだった。暫く体が動かず頭も機能しない。ふと気を取り直した時、浮かんだ言葉が「勇気ある撤退」だった。確かにショックだったが、こんな方法もあるのか!?と発見。健康に一番良いのが「ストレスを溜めない」ことである。それには業務縮小という選択が、必ず一役かってくれるはずである。どこか義務感を感じて突き進んできた自分が居る。それがストレスを生んでいることも間違いない。この時、すーっと心と体が楽になったことを感じた。この節入りの日に感じた‥ということも、あながち意味があると思う。時には後退することも、人生の中に必要だと思った日である。
2015年02月07日
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便利になると、それに頼ったやり方で進めていくので、そこに問題が生ずると、もう一歩も前に行けない。一番困るのが本社とのオンライン。最近システムを替えたようだが、後から後から問題点が出てくる。システムを替えたのは、セキュリティ強化のようなので、それは必要なことには違いない。ただ、見切り発車的なところがあるものだから、やってみると上手くいかないところが、ボロボロと浮上してくる。だからやりながら直していくことになるのだが、小さい点で問題が起きている状態なら、まだなんとでもなる。でも、大元から動かなくなってしまっては、どうにもこうにも身動きが取れない。昔は当然手書きで、振り込まれる取引会社の名前を、ボールペンで1件1件書いていた。本社に上げる分と手元に置いておく分は、カーボン紙による複写である。伝票も1件1件つけていたのだから、集計表と併せると、同じ会社の名前を2度書いていたことになる。月末ともなれば百件以上のお客様を書くので、2度書くことを考えたら、2,3百回社名を書いていたことになる。そんな時代からパソコンの時代へ移り変わり、手書きから打ち込む時代になり、更に今は顧客情報を読み取ってくれるので、打ち込みすら無くなった。非常に便利になったのだが、反面本社のオンラインが止まると、殆ど経理関係は出来なくなる。全く時間が無駄である。一旦停止してしまうと、不便この上ない。問い合わせを頂いても、顧客台帳の最新版を見ることができない。かろうじて印刷をかけているものに、私は独自で書きこんでいるものだから、まだ何とかなる状態だが、本社及び各支店では、どうにもならないのではないだろうか?便利なものが崩壊すると、機能停止にまで追い込まれる。全く困ったものである。
2015年02月05日
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「今って、園児のためにこんなものが有るの?」昔の乳母車の大判のような、園児を6人は乗せられる長方形の車。どうやら幼稚園や保育園で使われているものらしく、よく見かけるらしいのだが、これは都会ならではの乗り物だろう。田舎で園内の場所がしっかり確保できていれば移動の必要がなく、園内で遊ばせることが出来る。だから田舎に居る私は、お散歩カーなどというものを、一度も見かけたことが無い。そのお散歩カーというものは、車輪が合計6つ付いている。4つの角に小さな車輪が有り、両面の真ん中に大きな車輪が2つある乗り物である。それは多方面から、色々な工夫がされている乗り物だった。園児といえども6人も乗れば、ある程度の重さになる。坂道を下る時にその重さで引っ張られてしまっては大変だ。‥ということで、ブレーキ機能付きである。また園児の乗り降りの際、車が動いてしまってはいけないわけで、万が一を考えて、二重ロックになっている。また乗り降りするスロープもついている。そしてここがニクイところなのだが、背の低い子供でも外の景色が見えるように、子供の目線の高さに、メッシュ生地が取り付けてある。他にも幾つか型の違うお散歩カーが有って、乗せる人数にもバリエーションがあった。保育士さんの数にも限りがあるし、車社会の日本では、急に飛び出したりする園児に、対応するのが難しい。そこで生まれたのが、この園児を運ぶお散歩カーだろうと思う。日本人ならではの細やかな配慮や技術力、そして狭い国土。こういったことが、素晴らしい製品を作るのだろうと思う。
2015年02月03日
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