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ただ今ライフプラン沿っての生活は順調です。収入は公的年金と私的年金・それに副業と就労収入。公的年金は厚生年金と基金の2種類。生活は私的年金いくつかと基金で賄う。公的年金と私的年金がほぼ同一なので厚生年金はそのまま預金へ回す。私的年金は退職金を一部流用した企業年金だったり、無税の財形年金だったり、雑所得の共済だったり。各金融機関は芥子粒程度の利息でも公的年金用にしには少し上乗せで設定してますから・・・そこへ・・金融資産減にならないよう・・・厚生年金をそのまま使えばいいようだけど、私的年金と公的年金の税優遇を活用してる・・・という事でしょうか。副業収入は諸経費を除いて元本回収まであと2年。消費はそのあと・・・。上澄みの上澄みを消費の予定。就労収入はレジャー費。ゆとり消費用。働くには目的が必要。今の私には楽しみを充実させるため・・・が最適です。だから・・楽しむ時間を確保して体力を温存しストレスをかけない範囲ということで・・労働時間はちょっぴりで賃金も使うだけ。年収を増やしすぎて国民健康保険料や市町村民税・所得税を増やしてもつまりません。 雇用保険受給に必要で始めた就職活動だったけど、目的就労は生活の活性化につながると気づけて良かったかも・・・です。
2012年09月24日
昨日のこと父は約束の時間になっても銀行へ来ない。通帳再発行するんじゃなかったの?印鑑も改印するんじゃなかったっけ? 電話もでない。しばらく待って・・・自宅へ行く相変わらず汚れた衣服で事務所にいた。 銀行へついて行くって約束してたから待ってたんだよ?どうしたの? あぁそうだった。今から行こう・・と父いつものあのバックは?持ってたがいいよ バック?・・・ない・・・という???この間あったじゃない。寝室だよ。一緒に見に行こう。 ほら、あるじゃない。これでしょ?あぁそう・・そう 念の為に中を確認してみて?う・・っん?通帳あるじゃない。これよ。探してたの。どこから出てきたの? ・・・・・あと・・・印鑑やねぇどこかに片付けたんやと思う・・・この間は誰も探しきれなかったけどこうして通帳も出てきたんやから、ゆっくり探せば・・多分出てくると思うよ それより・・服着替えてよ。この間からもう何度もそういってるでしょ。お願いやから・・・仕事もしてないのに・・そんなやと生活が乱れてるって取られるよ。ひったくりにあうの以前の問題よ。 そして・・健康診断の結果聞きに行こうよ。せっかく親切にしてくれたお医者さんとの御縁も切れちゃうから・・頭痛いんやろう?診てもらおうよ? ガンとして聞かない。心配が原因で頭が痛いという。そう、その心配の原因が痴呆なのよ。それを・・と言いたいが飲み込む。 ボケかかってると自覚してる ・・・・ 不安 ・・・・・けど・・・認めたくない。・・・決定づけられるのは・・・さらに不安・・・・なのかもしれない。 今日はパニックに陥ったときの感じじゃない。 少し・・正常なのかもしれない。 年金用通帳あり(再発行手続き中のもの)
2012年09月11日
今日も父が来た。以前にも幾度かあったけれど母が亡くなる2ヶ月ほど前から雑貨はもちろん貴重品も頻繁に言い出したので今日から少し記録を残そうと思う。先日誰かに盗まれたと言って怒り心頭していたお大事バックを下げてきた。見つかったらしい。今日は印鑑がないという。何度も開けては閉じて探す。貸してと中身を確認すると何にも入っていない。印鑑と保険証も入れていたハズなのにどうしたの?と聞くと、何にも入ってないから聞きに来たという。私は知らないよ。出したの?と聞くと、出していない誰かが盗みに来た、お前しかいない、お前じゃなければ誰か来たと言う。 そうかなぁ。もう一度よく探してみたらというが誰それが彼それがとひとしきり。しばらくすると言い疲れたか帰ると言う。それから1時間ほど経って下げて帰ったお大事バックが失くなったと血相を変えてまた来た。団子屋と2人で父宅へ探しに行く。先に到着した団子屋がバック見つかったと言う。何処にあったの?と聞くと寝室の枕元にと言う。とりあえず空っぽでもお大事バックがあって父は安心したらしい。少し表情は穏やかだ。せっかく来たからバックの中身も探そう。印鑑と保険証と通帳に年金手帳を探してと家中を探す。いつも使っていた印鑑入れと保険証は出てきた。印鑑入れは小物箱の引き出しから保険証はタンスの上に積んだ到来物の箱と箱の間から。 ***** 父の家での行動と紛失物発見今、ご飯を炊いているという。母と仏壇にご飯を供えようと思うが今夜がいいか明日がいいかと問う。お供えは炊き立てがいいよ。しばらくしたら引いたらいいからねと言ってる間に炊き上がった。蛇口をひねりおしゃもじを水に濡らしてご飯をよそおったらそのままお供えに行きロウソクと線香をあげ仏壇の前に座る。水はずーと出したまま。シンクに戻る気配がないので止める。以前から幾度もあった。蛇口をあけて野菜を洗い刻みものを始めた父。ゆっくりゆっくり細かく刻む包丁使い。料理が出来上がり最後に包丁とまな板を洗い終わるまでかれこれ40分水はずーと出したまま。倹約家でムダが大嫌いな父だったはず・・・????以前は植木に水やりも日課だったのに、近頃は水代がもったいないとか・・??? 見つからない探し物にいい加減くたびれた頃、突然線香立ての灰の掃除を始めた。その灰を振るう網が失くなった。誰か盗んだと大騒ぎしたその網を使って掃除する。探していた網あったんやねぇと言うと前からここに置いていたと言う。そうかなぁ・・・???この間そこも探したけど・・・なぁ????それに今は探し物してる最中なんだけど・・探し物止めたの? 真新しい鍋がいくつもある。探していた鍋あったんやねぇというと鍋位あるって・・・この間鍋まで誰か盗んで行くから何度も買いにいったってすごい剣幕で姪ちゃんに嫌疑かけてた・・・んじゃなかったっけ??? そうそう剪定鋏、工場の事務所から出てくるわでてくるわ。いくつも買ったからあるのが当たり前なそうな???誰か盗むからと大層お怒りだったんじゃぁ・・・なかったっけ・・・いつも座るこの位置から見えるここにとまとめてと置いてきたけれど、誰かが盗みにくると言ってたからまたあちこちに終いこんでわからなくする・・・・かも 月曜日一緒に銀行に行くけれどその時保険証がいるから預かって帰る・・持ってくるねと居住部位に戻ろうとすると工場のシャッター下ろしてしまった。あっ待って私のカバン置いたままだから持ってくる・・・・と事務所に戻ると・・・・電気も扇風機もついたままでドアも開けっ放し・・・このままの状態で翌日見たら誰か昨晩ここに居た・・・って、また大騒ぎ・・・だったかも 今日は手慰みにする折り紙に使う小刀も3本ほど盗まれたとお怒り。残念ながら今日の捜索では発見できず。 本日発見できたものお大事バック・網・鍋・剪定鋏・保険証・印鑑入れ 今日申し出で発見不可のもの印鑑・小刀3本・本人は下ろしていないというが連絡のあった銀行いわく下ろしたはずの現金 前回から継続捜査中のもの通帳全部 ・年金手帳 ****常から猜疑的な態度の父は疎んじられてきた。それでも母がいたから伯母や叔父もそして姉妹や子供達も顔を出していた。母の死後、頻繁に姉妹で顔を出すと嫌な顔をするので自然と足が遠のいた。私たちが法事の打ち合わせやお参りで頻繁に出入りする頃と紛失物が重なってどうも嫌疑も受けていたようだ。父はいつしか探し物が日課になって、探し疲れると誰彼となく嫌疑をかけて腹を立ててるようだ。誰もそんな事しないよと言うと俺を悪者にすると更に自体は悪化するので・・・そうかなぁ・・でも、もう一度念のため探してみようという恐ろしい形相で吐く暴言に耐え、探し物に付き合う私も結構・・辛い。それでも私のところにしかこないから・・・私、この頃また痩せた・・・頭も痛い・・・兄貴や団子屋に相談・・・兄貴が父と妹らの前で「じいーちゃんは皆にどうして欲しい?」「跡取りがなんでもしていかな・・俺もそうした。兄弟に相談しなかった。」「そうか、わかった。これからはおかんや俺らでする。それでも決めたことには協力はして欲しいと」・・・だから法事の段取りも父の前ではやめた。 怒りで(不安で)駆け込む・跡取りだからは父の世代交代へのシグナルかもしれないが・・・ あの父と四六時中顔を付き合わせて耐えうるか、緊張とストレスで潰れまいか。実の親子が災いし遠慮がない分負荷は大きい。父は常時私の後をついて回り、私はプライバシーも自由も全て諦めることになる。さらに還暦過ぎた主婦に多分だが父は包丁の使い方から指図する。父に世代交代などできるか。まして兄貴や団子屋の生活パターンなど理解できまい。父を呼ぶのではなく帰る立場でより微妙。 認知症はまだ初期症状だとか・・徘徊・排便粗相・誰彼の認識不可・・・・etcの始まりだそうな・・・・
2012年09月08日
還暦をすぎて再び誕生日をすぎた。死ぬ準備はぼちぼち始めたか?母は見送ったから1つは済んだ。まだ法要ごとはあるけれど。父のようにボケが始まらない間に済ませなきゃ。
2012年09月08日
自宅介護を受けていた母が8月12日午前4時頃亡くなりました。いつもと変わらぬ夜がすぎていつもと同じ朝を迎えるはずだったのに・・・母は何の前触れもなく、誰に看取られることもなく黙って一人旅立ちました。不自由でもまだ自分で動ける頃は、結構勝気でなんでも自分でしたし父はおろか孫や娘らとも対等にわたりあった母でしたが、言葉や体の自由が効かなくなった後年は本当に観音仏でした。私利私欲を捨て無我の境地の極限の姿だったと思います。母に制度を利用させたい、これを受けさせたいと思っても父の意向に沿わなければできませんでした。父は医師や介護士の専門的な治療や介護より自分の経験と知識を優先し、それは全てにそうで最後まで父の流儀を通しました。それでも母は何も言わず父の流儀を受け入れました。また、時には娘らに対する度を越した父を諌めてくれる母でもありました。介護保険の趣旨も活用についても母の身障者1級や要介護5の範囲も理解しない父は、おむつの支給と訪問診察・訪問看護しか受けませんでしたが、それでも父の介護受けることが母には一番遠慮がなかったんじゃないかとも感じてます。父のようにとまではいかなくとも、厳選して国の制度を利用するなら日本は消費税UPにはならないだろうと感じてます。****通夜の深夜、自宅で葬儀はする、家に帰ると突然言い出した父。言いだしたら引かない父を自宅に送ったら、父に自宅の内鍵をかけられ締め出された。ドアチャイムも電話にもでない。仕方なく葬儀会館で迎えた朝。 葬儀の早朝、8月14日午前4時頃から3時間程度突然の集中豪雨と連続した落雷が発生。交通機関の運行停止、産業道路の冠水・寸断、葬儀会館の大規模雨漏り・駐車場周辺冠水・・6時すぎ小康状態状態の中を自宅に向かう。会館から自宅迄たった1キロ程度の距離なのに、冠水通行止めの産業道路から数百メートル先の自宅周辺は平穏。酷い雷雨だった程度の印象。父は会館の混乱を知らない。父が会館に到着するまでに会場は落ち着いた。正午過ぎから予定した葬儀には、遠く九州から当日駆けつける縁者も遅れることなくつつがなく済んだ。****あの突然起きた未曾有の自然災害はなんだったのか。父のあの深夜の行動はなんだったんだろう。父が会館で朝を迎え混乱を体験していたら事は更に深刻だったと思える。母が早朝の騒動を察知して深夜自宅へ父を帰したのかもしれない。 感謝・合掌****母の生前から垣間見られた父の痴呆。なすべき仏事の準備が進まない。父の泥棒よばわりには少し慣れたけど、困惑したり振り回されたり。・・・貴重品・鍋・ザル・カップ・剪定鋏・スコップ・・・この次は・・・何?「電話がかからない」と親類から伝えられる→親機電源アダプタのコードをハサミで切られてる→コードレスを撤去し昔ながらのNTT電話機に替える。 父が心配で頻繁に訪れるのも好まない。はたまたどうしたものか・・・身体が壊れ逝った母と脳が壊れ行く父 新たな介護がスタートしたのかもしれない。
2012年09月01日
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