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2025.06.28
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カテゴリ: マザーとマハトマ


 まど・みちお こと 石田道雄 さんについて廖さんという台湾の方が阪田さんに話されたエピソードであった。
阪田さんが台湾時代の まど さんの知っている人の話を聞きたいと調べていたときのことである。ホリネス教会の副牧師だった廖(りょう)さんという方から、石田さんには大恩があるからぜひ会って話したいと電話があった。
ところが、翌日廖さんは心臓発作で入院したという。
数日後その長男から電話が入り、ぜひ病院に来てほしいという。
病院に行くと、点滴注射を受けていた廖さんは、いきなり点滴の注射をはずして、寝台のうえにあぐらをかいて語った。

「年代は忘れましたけど、教会で初めてお会いしたのは私たちも結婚前で、(まどさんは)若い私たちと同じ若い信者でした。私の石田さんの印象の中には『珍しい青年』という気持がありました。率直に言いますけれども、失礼しましたらかんべんして下さい。その頃は植民地という関係で、本島人は日本人との間がどこかに溝がありました。だけれども・・・・」

廖さんは、てのひらをあわせた。
「私が石田さんを、こんにち大へん尊敬しているのはそこから出たのです。若い青年でありながらー当時の青年は本島人にはあまり触れないものです。けれども石田さんの行動はやさしい平等的なものでありました。石田さんの信仰の状態は、信仰の生活化したクリスチャンですよ。実に見上げたられた人です」

そのあと私的なことだと断って自分達の結婚に母親が不同意で、2人で家出したした事情を話した後、
「その苦しい時に石田さんをお尋ねしたわけですよ。台中と沙鹿の間を建設されていたのですが、その時、私たち夫婦が、落ちぶれたよるべのない姿でお訪ねしたんです。そしたら、家内を女中のようにして、出張事務所に入れてくださったんです。それはあとの話ですが、その時いちばん先に、自分の持っていた新しい蚊帳を私たちに貸してくれてー住んでいたのは豚小屋だったんですが、そんな所へ新しい蚊帳を貸して下さって、一層深い印象を与えられたわけですよ。あの時、私たちは、もし石田さんがなかったらもうこの世に存在できなかった。それほど苦しんでたわけですよ」

その後、廖さんは医師となった。そしてまどさんが自分たちによくしてくれたように、日本人が帰国する時に、やれる範囲でただで薬を作って、困っている日本人に持たせたという。

「その時思ったのは、私がこうした事をできるわけは、ただ石田さんが蔭におられたから、ということでした。豚小屋にいる私たちに、買ったばかりの蚊帳を貸して下さったのですから。あの時には涙が出ました!私たちはどうして日本人・台湾人ということを思うのか!」

ひとことでいえば「石田さんは信仰を生活化した人物です」と繰り返した。

そうだ、こんな日本人がいらした。私は人類を超越せねばいけない 、と気がついたのです」と廖さんは言い切った。





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最終更新日  2025.06.28 20:15:46


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