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2024.11.29
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
今回掲載する御船 八柱神社は、前回掲載した御船 津島神社から県道11号線を5分程北上した御船町宮入の御船川左岸の里山に鎮座します。

上はいつもの明治24年(左₎と、ほぼ現在の地図に赤枠で鎮座地を示したものです。
1891年の地図上では八柱神社の鳥居は描かれていませんが、宝暦2年(1752)以前には、既に、現在の御船町に鎮座していたようです。
図中の赤丸は、前回の御船津島神社で触れた御船城趾の場所になります。
写真は御船町の田園地帯を東海環状自動車道の高架が延々と伸びています。
高架が視界を遮り、先を見通せませんが、八柱神社はこの先にあります。

田園地帯の東に、八柱神社が鎮座する森と鳥居が見えてきます。

社頭全景。
左に由緒書き、右に八柱神社社標が建てられています。


右手の道路を進んだ右側に広い参拝者駐車場があるのでそちらに駐車できます。

この日訪れた神社の中で2社目の八柱神社です。
今年は猿投山に鎮座する猿投神社を参拝しようと決め、その前に山麓の神社を参拝しておこうと始まりました。
周辺を回ってみると、実に多くの八柱神社が鎮座しており、いつしか八柱神社巡りの様相になってきました。しかし八柱神社が多い背景は未だに分かりません。

社頭の解説。
「御船八柱神社 御船町宮ノ入。
御船町東部の高台に位置し、祭神は天照大神の8人の御子で八柱神社として祀られている。
創立年代や由緒など残されていないが、口明塚に始まり御船川沿いに定住した先人達が集落が大きくなるにつれて、この地に鎮守の神として神社を創建したと言い伝えられている。
木札による実証として、鳥居は宝暦2年(1752)を始めとして7度改築されている。」

鳥居から境内の眺め。
境内は、左に社務所、参道正面が舞殿、本殿、右に忠魂碑、開拓碑が建てられています。



石の明神鳥居に掛けられた扁額は「八柱神社」

境内右手の土地改良碑と奥に忠魂碑と戦後記念碑。

土地改良碑碑文。
 梅雨前線がもたらした「昭和47年7月豪雨」は、西三河山間部の中小河川の決壊や山・がけ崩れを引き起こし、小原村、藤岡村、豊田市、足助町などで多くの犠牲者並びに家屋やインフラに深い爪痕を残す大災害となりましたが、そこからの復旧の苦労が記されています。

境内右から八柱神社社殿の眺め。


鬼には「神」の一字が入れられ、妻壁には横たわる龍を描いた装飾瓦が入れられている。

舞殿から中門の眺め。
ひな壇のように本殿域が築かれ、下の段に狛犬と常夜灯、上段に金鯱が飾られた中門が見えます。

左から眺める本殿域。
横長に長い本殿域の中央に本殿が鎮座し、後方は杜に包まれています。

本殿域の左端に、二宮金次郎像が建てられている。
勤勉・勤労の象徴として、後の二宮尊徳の功績を称え、昭和初期にブームとなり、小学校の校庭に建っていたものですが、校舎の老朽化や世の中の考え方の移り変わりから、徐々に消えゆく存在となり、街中では見ることも少なくなりました。

本殿に続く石段の右に聳え立つツガの大木。
樹齢調査はされていないようですが、ツガの成長は比較的遅いとされ、胸周り2㍍と表記されているので、直径約0.6㍍のツガの樹齢は、優に人一人の寿命は越えるもので、名木に値するものかもしれない。

石段脇の由緒、内容は以下。
「八柱神社由緒。
天之忍穂耳命、天之穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀里比売命、市寸嶋比売命、多岐津比売命。

境内社
氏神社 猿田彦命。
弁財天社 多紀里比売命、市寸嶋比売命、多岐津比売命。
磯神社 少名彦命。
荒神社 祭神不詳。
山神社 大山祇命。
忠魂社 護国の英霊。

概歴
天照大御神の御子五男三女神を祀り、創祀の年代は不詳ではあるが、御船の里が縄文時代より安住の地として栄えてきた事は、近在に古墳群を有し、近くに御船城趾がある事から見ても、相応の歴史を経、その守護神として氏子の信望厚く、子々孫々に亘り祀られ現在に至る。
例祭は毎年10月吉日を以って斎行され、町内安全守護、氏子の健勝を祈願する。」

具体的な沿革こそ記されていないけれど、地史を調べても、社頭の解説にあった「鳥居は宝暦2年(1752)」、以上のトピックスはないものとして見てはいません。
参考までに愛知県神社庁の同社の解説だけは見てみると以下内容でした。
「所在地 豊田市 御船町宮ノ入8番地。
祭神 (由緒に準じる)
氏子域 御船町。
例祭日 10月第1日曜日。」とあった。

本殿域。
中門の金鯱と本殿の4本の鰹木と外削ぎの千木が良く見えます。
狛犬の前の常夜灯は大正元年(1912)の寄進年が刻まれています。

石段正面から狛犬と本殿域の眺め。

お世辞にも端正な風貌とはいえない狛犬は、年代は見ていませんが、こちらも大正時代に寄進されたものでしょうか。

中門から白壁が本殿域を取り囲んでいます。
全体が比較的綺麗な状態なので改修後年数を経ていないようです。

祭神は天照大神と建速須佐之男命の誓約から誕生した8人の御子。
棟持ち柱が見えるので神明造と思われ、本殿前には小さな狛犬の姿が見えます。

外から本殿域の様子は全く見る事はできません。

社殿左に4社が祀られています。

社殿右には2社が祀られ、由緒にあるように6社がここに祀られています。
いずれも社名は刻まれていますが、読み取れなかったり、紙垂に遮られ、唯一読み取れたのは右の氏神だけでした。


神門から境内の眺め。
境内左に聳えるのがアベマキで、こちらも豊田市の名木に指定されるもの、樹高は20㍍あるようです。

舞殿から社頭の眺め。
広い境内、収穫の秋の祭礼には豊作を感謝する地域の人々で賑わうことでしょう。

境内から社頭の眺め。
鳥居は記録の残る宝暦2年(1752)以降、代々受け継がれ、現在の鳥居は昭和3年に寄進されたものでした。
御船川にかけて田畑の広がる長閑な光景に、無機質な高速道路の橋梁は浮いて見える。

御船 八柱神社
創建 / 不明
祭神 / 天照大神と建速須佐之男命の誓約から誕生した8人の御子
境内社 / 氏神社、弁財天社、磯神社、荒神社、山神社、忠魂社
祭礼 / 10月第1日曜日
参拝日 / 2024/10/22
車アクセス / 御船 津島神社から​​​県道11号線を北上、東海環状自動車道の高架を右折、御船川を渡った前方、​ 移動時間5分 ​​​​。
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Last updated  2024.11.29 00:00:24
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