ここらでちょっと途中下車

ここらでちょっと途中下車

2006.09.05
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カテゴリ: テレビ
NHKのBS2で、「キリング・フィールド」をしていたことを、今頃知った。今まで観た映画の中で、一番印象に残っている映画だ。ビデオでは持っているが、今回HDDに録画しなかったのが残念でならない。ビデオに撮ったのは、今から9年ほど前。初めてアンコールワットに行った直後だった。

1997年3月、その時の旅行は、ベトナムからカンボジアに入ったが、ベトナムではクチの地下トンネルやベトナム戦争犯罪博物館、カンボジアのプノンペンでは、ポル・ポト政権下で強制収容所となった博物館の見学などもあり、自分の無知さを思い知らされ、アンコールワットの美しさとともに、非常に感慨深い旅行だった。
カンボジアにボランティアで来ていた中田厚仁さんが狙撃されてから4年、まだ内戦の傷跡が色濃く残るカンボジアは、暗く寂しい町だった。
ガイドの若い青年は、両親をポル・ポトに殺されたという。9才でキャンプに保護され、そこでボランティアで来ていた日本の青年に、日本語を教えてもらったそうだ。平和が戻って、プノンペンで車を洗う仕事をしていたそうだが、毎日食べるのがやっとの生活。ある日、日本語の古本を見つけ、思いだしながら独学で勉強したそうだ。日本からの旅行者も増え、やっと結婚も出来ますと笑顔で話してくれた。
アンコール遺跡では、子どもたちがいっぱいついてきて、葉っぱのうちわで扇いでくれながら、1ドル欲しいという。あげたら群がりそうなので、持っていたアメをあげたらものすごく嬉しそうな顔をした。遺跡めぐりの途中、休憩時間になると一緒について来た青年が、○○を日本語ではどう書くのかとか聞いてくる。外国の言葉を覚えてガイドをするのが一番の出世。学校へ行けない子どもたちは、物乞いするか、何か手作りのものを作って売るか、みんな貧しく、みんな必死なのだ。
夕方、アンコールワットの急な階段を上り、塔のてっぺん近くで腰を下ろし、いろんな国の人たちと、アンコールの地平線に大きな太陽が沈んでいくのを見た。そのあまりの美しさに、みんな黙って息をのむ。大人がほとんど殺されてしまっていないこの国は、あまりにも貧しいのに、子どもたちの瞳が澄んでいて、「カンボジアに平和を!」と祈らずにはいられない。沈んでいく夕日を見ながら、心がすうっと清らかになっていく感じがして、涙があふれた。

もと高校だったプノンペンの博物館は、ポル・ポト時代の残虐な行為を色濃く残していた。
ポル・ポトの独裁を新聞などでは知っていたが、これほどまでと思わなかった私は、帰ってからいろいろな本を読んだ。その年の夏、プノンペンで銃撃戦が起こり、またカンボジアへは入国出来なくなった。その頃、深夜番組で見たのがこの映画。それで、最も印象深い映画になったのだ。

アンコールワットへは、2002年の暮れ、夫と再び訪れた。

アンコールワットのあるシュリムアップは、5年の間にずいぶん様変わりしていた。
広い道は日本政府が、大きな病院はフランスが、というようにたくさんの国が援助し、制服を着て学校へ通う子をたくさん見た。
遺跡の中は道路やトイレ、休憩所などが整備され、パスを持った人しか入れない。地元の物売りは、ロープを張られたところに並び、ワットの中へ誰も付いてこなかった。
ガイドの青年は、新しく作られた学校で日本語を習ったという。各国からの援助で学校も作られ、ほとんどの子どもが行けるようになったという。ガイドをするのは、その中でも優秀な人たちだ。
ガイドの彼は決してポル・ポトのことを自分から言わず、悲惨な歴史は覆い隠すことが政策なのか、聞いても困ったような顔をして口を濁した。
とても残念だったのは、アンコールワットは荒廃が進み、暗がりでは危険と言うことで、6時以降の上り下りは禁止され、夕日の沈むのは少し離れた丘の上からしか見られなかったこと。
そこからの夕日も雄大で素晴らしい眺めだったが、あの厳粛な雰囲気をもう一度味わいたかった私には残念だった。アンコール・トムの台座の石にも、もう座れなくなっていた。

森林の中に眠る、神秘を感じさせる、クメールの素晴らしい彫刻を持つ遺跡、アンコールワット。
いつ見られなくなるかわからない。是非早目に訪れることをお勧めしたい場所である。


シドニーと現地の新聞記者であり通訳でもあるプラン(カンボジア人)は、カンボジア内戦を取材している。しかし、カンボジア内戦は、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。この時、シドニーは、プランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは妻子をアメリカに逃がして、自分はカンボジアに残ることに決意する。そして、シドニーとプランは、取材活動を続けていく。

やがて、カンボジアは、完全にクメール・ルージュが支配され、シドニーたちはフランス大使館に避難する。シドニーや他社の記者は、外国人であるから、帰国により逃れることができるが、カンボジア人であるプランは、逃げることができない。そこで、シドニーらは、パスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策する。ところが、粗雑な印画紙に焼き付けたために、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。そのため、プランは、フランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。

集団農場では、人は特別な理由もなく銃殺されていく。農場への往復の際に、荷馬車に乗っていただけで銃殺され、作業が緩慢という理由だけで銃殺される。また、身分を隠していた元教師、元医師たちは、「クメール・ルージュは、君たちを許す」という嘘にだまされて、身分を明かしてしまい、その結果、銃殺されていく。

プランは、集団農場から脱走を図る。その途中、プランが目にしたのはおびただしい人の白骨だった。プランは、脱走に力尽き、行き倒れてしまうが、そこへを別の集団農場の幹部に助けられる。そして、プランはその幹部の身の回りの世話をすることになる。

一方、シドニーは、プランの行方を捜すが、いっこうに消息をつかめない。ピューリッツァー賞を受賞した際に、カンボジアで取材をしていた知人の記者に、プランを見捨てたと非難され、自責の念に駆られていく。

プランは、拾われた幹部に親身に扱われるが、プランは元新聞記者であった経歴を隠そうとする。身分が明らかになると、元教師、元医師たちのように殺されてしまうかもしれないからだ。しかし、その努力も甲斐なく、プランがBBC放送を隠れて聞いているところをその幹部に見つかってしまい、インテリであったことがばれてしまう。ところが、幹部はプランを銃殺せずに、プランに自分の信条を話し出す。彼は、カンボジアを愛しているが、クメール・ルージュのやり方は間違っていると言う。そして、自分に万一のことが合ったときは、自分の子供をつれて外国に逃亡してほしいと、地図と金を渡す。しばらくして、クメール・ルージュの銃殺をやめさせようとしたために、その幹部は殺されてしまう。

プランは、幹部の子供をつれて、他の仲間たちを外国への逃亡を図る。プランらは、幾多の苦難に遭いながら、外国への逃亡に成功する。その逃亡先の難民キャンプでプランは、シドニーとの再会を果たす。





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最終更新日  2006.09.06 09:16:21
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